本初子午線
テンプレート:Location map-line 本初子午線(ほんしょしごせん)とは、経度0度0分0秒と定義された子午線(経線)のことである。「本初」とは「最初・首位」という意味である。
赤道や地理極という明確な基準のある緯度と異なり、経度には明確な基準が自然には存在しないため、本初子午線は人為的に設定する必要がある。過去、世界各地で様々な子午線が本初子午線に設定されてきた[1]。加えて、経度の測定には技術的な困難があった(→経度の歴史)。
2012年現在では、イギリス・ロンドン郊外のグリニッジ天文台を通過するグリニッジ子午線から東に5.64秒、距離にして102.5mずれているIERS基準子午線が、国際的に使用される本初子午線となっている。
本初子午線は、180度経線とともに大円を形成する。この大円により、地球表面は2つの半球に分けられ、本初子午線の東の半球を東半球、西の半球を西半球という。
目次
歴史
経度の記法はアレクサンドリアのエラトステネス(紀元前276年頃 - 紀元前195年頃)とロドスのヒッパルコス(紀元前190年頃 - 紀元前120年頃)によって考案され、地理学者ストラボン(紀元前63年頃 - 23年頃)によって数多くの都市に適用された。しかし、世界地図に一貫性のある経度を使用したのは、プトレマイオス(90年頃 - 168年頃)の著書『テンプレート:仮リンク』(Geographia、地理学)が最初であった。
プトレマイオスは、"Fortunate Isles"と呼ばれたカナリア諸島(西経13 - 18度)などの大西洋の島々を基準とした。アフリカの最西端(西経17.5度)より西に本初子午線を設定することにより、プトレマイオスの地図には負の経度が現れない。プトレマイオスの本初子午線は、ウィンチェスター(およそ西経20度)より西に18度40分の子午線に相当する[2]。このときよく用いられていた経度観測法は、異なる国での月食の観測時間を比較する方法であった(月食は世界中で同時に観測されるため)。
プトレマイオスの『ゲオグラフィア』は、その地図とともに1477年にボローニャで初めて印刷された。そして、初期の地球儀はプトレマイオスの地図を元に作成された。しかし、「自然の」本初子午線を画定するという試みは引き続きあった。クリストファー・コロンブスは1493年に、大西洋の中央のどこかで方位磁針が真北を指した(自差が0になった)と報告した。そして、この報告を元に、1494年のトルデシリャス条約で、スペインとポルトガルの間で新世界の境界が定められた。トルデシリャス条約で定められた境界は、ベルデ岬から西に370リーグの子午線に設定された。これがテンプレート:仮リンクの1529年の地図に表されている。
遅くとも1594年のクリストファー・サクストンのころまで、アゾレス諸島のサンミゲル島(西経25.5度)が本初子午線として使用されてきたが、この頃から、方位磁針の自差が0になる線は子午線に沿って直線状に伸びるものではないということがわかってきた[3]。
1541年、メルカトルは41cmの地球儀を作成し、カナリア諸島のフエルテベントゥラ島(西経14度1分)を通る箇所に本初子午線を引いた。彼の後の地図では、磁気の仮説に従ってアゾレス諸島を本初子午線とした。
しかし、1570年にオルテリウスが最初の地図を刊行する頃には、ベルデ岬のような他の島が本初子午線として使用されるようになってきた。オルテリウスの地図では、経度は今日のような西経180度から東経180度ではなく、0度から360度であった。この経度は18世紀まで使用された。[4]。
1634年、フランスの政治家リシュリューは、パリから西に19度55分の所にあるカナリア諸島最西端のフェロ島を本初子午線とした(フェロ子午線)。不幸にも、フランスの地図製作者テンプレート:仮リンクがパリとフェロ島との経度差をちょうど20度に丸めていたことから、フェロ子午線がフランスの本初子午線に採用されることとなった[5]。
18世紀初頭、ジョン・ハリソンによるクロノメーターの開発と、正確な星図の発達により、海上における経度の測定が改善された。星図については特に、初代イギリス王室天文官のジョン・フラムスティードが1680年から1719年にかけて作成し、彼の後継者であるエドモンド・ハレーが広めた天球図譜が多くの航海者によって使われた。これにより航海者は、テンプレート:仮リンクとジョン・ハドリーが開発した八分儀を使用して、テンプレート:仮リンクによってより正確な経度の測定が行えるようになった[6]。1765年から1811年の間、ネヴィル・マスケリンは49版の『テンプレート:仮リンク』を刊行した。それは、グリニッジ天文台を通るグリニッジ子午線を基準とするものであった。マスケリンの航海年鑑は、月距法を実用的なものにしただけでなく、グリニッジ子午線を全世界の基準点とした。航海年鑑のフランス語訳では、マスケリンの計算結果をパリ子午線基準に換算していた[7]。
その後、鉄道網の整備が始まると陸域でも地域共通の時刻が必要とされはじめた。イギリスではロンドンの時間であるグリニッジ平均時が鉄道の運行に用いる「鉄道時間」として採用が始まった。その後、イギリス全土で共通の時刻を用いるよう収斂していった。これはのちの標準時の考え方の元となった。
1850年、アメリカ合衆国は旧海軍天文台子午線を本初子午線に採用した(航海用にはグリニッジ子午線を採用)。アメリカは領土が東西に長く広い鉄道網を持っていたため、国内で統一した子午線を使うことが必要とされていた。
一方1875年、国際地理学会はカナリア諸島フェルロを基点とするフェロ子午線を基準子午線とすることを決議した。全世界的に採用するには特定国の首都などは避けたほうがいいという主張を受け入れたものだが、実際にはカナリア諸島を基点とするとパリを基準にするのとほぼ同じ意味になる(経度差がちょうど20度のため)という理由であった。しかし、この基準子午線はフランス以外の国には非常に不評だった。1881年に再度開かれた国際地理学会では、カナリア諸島は基点としては不適で重要な観測拠点となりうる天文台を基点とするべきだという主張が行われた。
1884年10月13日、アメリカ合衆国の提案で国際子午線会議テンプレート:EnlinkがワシントンD.C.で開かれた。投票の結果、グリニッジ天文台を基点とする案が採用され、グリニッジ子午線は国際的な基準子午線となった。この会議には日本からは菊池大麓が参加した。フランスは中立国を基点とするよう主張したがフランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられず、フランスは決議に棄権した。他にブラジルも棄権し、ドミニカ共和国は反対したが、他国は賛成した。
日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには京都にあった改暦所という役所を通る子午線を基準としていた。1871年に日本の基準子午線は東京の皇居(江戸城)富士見櫓を通る子午線に移された。1886年7月13日の勅令「本初子午線經度計算方及標準時ノ件」で、グリニッジ子午線を基準子午線として採用することが定められた。
フランスは1911年3月9日に、アメリカ合衆国は1912年8月22日にグリニッジ子午線を本初子午線として公式に採用した。
世界各地の本初子午線
地名 | GPSによる経度 | 子午線の名称 | 備考 |
---|---|---|---|
ベーリング海峡 | 西経168度30分 |
| |
ワシントンD.C. | 西経77度03分56.07秒(1897), 西経77度04分02.24秒 (NAD 27), 西経77度04分01.16秒 (NAD 83) | 新海軍天文台子午線 | |
ワシントンD.C. | 西経77度02分48.0秒, 西経77度03分02.3秒, 西経77度03分06.119秒, 西経77度03分06.276秒 (both presumably NAD 27). If NAD27, the latter would be 77度03分05.194秒 (NAD 83) | 旧海軍天文台子午線 | |
ワシントンD.C. | 西経77度02分11.56258秒 (NAD 83), 西経77度02分11.55880秒 (NAD 83), 西経77度02分11.57375秒 (NAD 83) | ホワイトハウス子午線 | |
ワシントンD.C. | 西経77度00分32.6秒 (NAD 83) | 議事堂子午線 | |
フィラデルフィア | 西経75度10分12秒 | ||
リオデジャネイロ | 西経43度10分19秒 | [10] | |
フエルテベントゥラ島(アゾレス諸島) | およそ 西経25度40分32秒 | 中世まで使用。国際子午線会議でピエール・ジャンサンが「自然な本初子午線の可能性」として提案した[11]。 | |
エル・イエロ島(フェロ島)(カナリア諸島) | 西経18度03分, テンプレート:Nowrap 西経17度39分46秒 |
フェロ子午線 | 古代、プトレマイオスの『テンプレート:仮リンク』で使用。後に「グリニッジから西に17度39分46秒」から、「パリから西に20度」に再定義された。 |
リスボン | 西経9度07分54.862秒 | ||
マドリード | 西経3度41分16.58秒 | ||
グリニッジ | 西経0度00分05.3101秒 | グリニッジ子午線 | エアリー子午線[12] |
グリニッジ | 西経0度00分05.33秒 | テンプレート:仮リンク | ブラッドリー子午線[12] |
グリニッジ | 西経0度00分00.00秒 | テンプレート:仮リンク | |
パリ | 東経2度20分14.025秒 | パリ子午線 | |
ブリュッセル | 東経4度22分4.71秒 | ||
アントワープ | 東経4度24分 | テンプレート:仮リンク | メルカトルが使用 |
アムステルダム | 東経4度53分 | テンプレート:仮リンクを通過する経線。1909年から1937年まで、オランダの公式の時間を定義するのに使用された。 | |
ベルン | 東経7度26分22.5秒 | ||
ピサ | 東経10度24分 | ||
オスロ(クリスチャニア) | 東経10度43分22.5秒 | ||
フィレンツェ | 東経11度15分 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:仮リンクで使用。対蹠地(地球の反対側)はベーリング海峡を通る。 |
ローマ | 東経12度27分08.4秒 | テンプレート:仮リンクの子午線 | |
コペンハーゲン | 東経12度34分32.25秒 | テンプレート:仮リンクの経度 | |
ナポリ | 東経14度15分 | [11] | |
ストックホルム | 東経18度03分29.8秒 | ストックホルム天文台の経度 | |
ワルシャワ | 東経21度00分42秒 | テンプレート:仮リンク | |
オラデア | 東経21度55分16秒 | ||
アレクサンドリア | 東経29度53分 | [13] | |
サンクトペテルブルク | 東経30度19分42.09秒 | プルコヴォ子午線 | プルコヴォ天文台の経度 |
ギザの大ピラミッド | 東経31度08分03.69秒 | 1884年 [14] | |
エルサレム | 東経35度13分47.1秒 | 聖墳墓教会のドームの経度 | |
メッカ | 東経39度49分34秒 | テンプレート:仮リンク | |
テンプレート:仮リンク | 東経75度47分 | 4世紀からインドの天文や暦に使用[15] | |
京都 | 東経135度74分 | 1779年から1871年まで日本の地図や暦で使用。中京区西月光町の京都改暦所を通る経線。 | |
180度 | グリニッジ子午線の反対側。1884年10月13日の国際子午線会議でテンプレート:仮リンクが提案した[11]。 |
国際本初子午線
現在の国際的な本初子午線はIERS基準子午線(IERS Reference Meridian)である。
1960〜70年代まで、国際的な本初子午線は、グリニッジ天文台を基準としたグリニッジ子午線だった。
1884年10月、世界で共通に使用する「経度0度」を決めるためにワシントンD.C.で開かれた国際子午線会議テンプレート:Enlinkにおいて、25カ国41人の代表者によってグリニッジ子午線を国際本初子午線とすることが採択された[16]。
グリニッジの本初子午線
グリニッジ子午線の位置は、1851年に当時の台長ジョージ・ビドル・エアリーがテンプレート:仮リンクを設置し、以降、観測を行った地点と定義されている[17]。
それ以前は、第2代王室天文官・エドモンド・ハレーが1721年に最初に観測した位置を、子午線儀を使って継承していた。その地点は、フラムスティード・ハウスとウェスタンサマーハウスの間の天文台の北西端の角であった。その地点(現在はフラムスティード・ハウスの中に包含されている)はエアリーの子午環から西に43メートルの場所であり、時角にして約0.15秒の距離にある[12]。
1884年、エアリーの子午環の位置が国際的な基準の本初子午線となった[18][19]。
グリニッジ子午線は、地表から天文観測によって位置が決定され、地表の重力方向の鉛直線によって指向された。この天文観測に基づくグリニッジ子午線およびグリニッジ平均時は、当初はテンプレート:仮リンクによって、後に船でクロノメーターを運ぶことによって、その後には海底ケーブルによる電信によって、最後には無線信号によって、世界中に伝えられた。
IERS基準子午線
現在の国際的な本初子午線はIERS基準子午線(IERS Reference Meridian)である。これは国際地球回転・基準系事業(IERS)によって定義、保持されている測地系である国際地球基準座標系(ITRF)のx軸方向である。アメリカ国防総省の運営するGPSの基準座標系WGS84の基準子午線もこれを用いている。
この基準子午線はグリニッジ天文台のグリニッジ子午線から東に5.64秒、距離にして102.5mずれている。これはGPSの前身となる最初の全地球航法衛星システムであるTRANSIT衛星の基地局の座標系として北米測地系1927を基準としたためである[20]。IERS基準子午線の方向は地球の大陸プレートの動きの加重平均に追従する。
国際水路機関は1983年にすべての海図で国際地球基準座標系を採用している。
IERS基準子午線が通過する地点
本初子午線は、北極点から北極海、ヨーロッパ、地中海、アフリカ、大西洋、南極海、南極大陸を通過して南極点までを結ぶ。
他の天体の本初子午線
地球と同様に、他の天体の本初子午線も人為的に決められたものである。クレーターのような目立つ目標物はよく本初子午線に設定される。また、磁場に基づいて決められることもある。
- 月の本初子午線は、地球に向かっている面の中心に設定されている。テンプレート:仮リンククレーターの近くを通過する。
- 火星の本初子午線は、エアリー0クレーターによって定義されている。
- 金星の本初子午線は、アリアドネ・クレーターの中央の丘によって定義されている[21]。
- 太陽の日面座標系は2通りある。1つはキャリントン日面座標系で、1853年11月9日に地球から見える太陽の中心を通る子午線を本初子午線とする。この日はリチャード・キャリントンが黒点の観測を始めた日である。もう1つはテンプレート:仮リンクである。
- 木星にはいくつかの座標系がある。それは、外側から見える木星の雲の表面が、緯度によって違う速度で周回しているためである[22]。木星が、地球のような座標系を可能にする固体の表面を持っているかどうかは、わかっていない。天文学者は、南北部分の中緯度に当る領域での大気の動きに基づいたシステムII座標や、惑星磁気の回転に基づくシステムIII座標を使用している。
- 土星の衛星タイタンは、地球の月と同様に常に同じ面を土星に向けているため、地球の月と同じく土星に向けている面の中央を経度0度としている。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
- "Where the Earth's surface begins—and ends", Popular Mechanics, December 1930
- scanned TIFFs of the conference proceedings
- Prime meridians in use in the 1880s, by country
- Canadian Prime Meridian
- ↑ Prime Meridian, geog.port.ac.uk
- ↑ テンプレート:Harvnb
- ↑ テンプレート:Harvnb
- ↑ 例えば、ヤーコプ・ロッヘフェーンは1722年にイースター島の経度を268度45分(フエルテベントゥラ島を0度として)と報告しているテンプレート:Citation
- ↑ Speech by Pierre Janssen, director of the Paris observatory, at the first session of the Meridian Conference.
- ↑ テンプレート:Harvnb
- ↑ テンプレート:Harvnb
- ↑ International Conference Held at Washington for the Purpose of Fixing a Prime Meridian and a Universal Day. October, 1884. Project Gutenberg
- ↑ http://www.reissmann.info/bibliotheke/projektoi/AUXhA%20--%2019372-07-06%20=%202006-03-25%20--%20Argadorian%20Calendar%20--%20en.pdf
- ↑ Atlas do Brazil, 1909, by Barao Homem de Mello e Francisco Homem de Mello, published in Rio de Janeiro by F. Briguiet & Cia.
- ↑ 11.0 11.1 11.2 http://www.gutenberg.org/files/17759/17759-h/17759-h.htm
- ↑ 12.0 12.1 12.2 http://www.thegreenwichmeridian.org/tgm/articles.php?article=8
- ↑ プトレマイオスのアルマゲストの子午線
- ↑ Wilcomb E. Washburn, "The Canary Islands and the Question of the Prime Meridian: The Search for Precision in the Measurement of the Earth"
- ↑ テンプレート:Harvnb
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Greenwich Observatory ... the story of Britain's oldest scientific institution, the Royal Observatory at Greenwich and Herstmonceux, 1675-1975 p.10. Taylor & Francis, 1975
- ↑ . テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ アメリカ合衆国は1912年よりグリニッジ子午線を本初子午線として採用していたが、1960年前後から開発された最初の全地球航法衛星システムであるTRANSITによる測位法を用いて1969年に測定すると、北米測地系は、東におよそ100mずれた子午線を本初子午線としていることが明らかになった。これがIERS基準子午線となった。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web