北海
北海(ほっかい:英語 テンプレート:En、ドイツ語 テンプレート:De、フランス語 テンプレート:Fr、オランダ語 テンプレート:Nl、デンマーク語 Nordsøen、ノルウェー語 Nordsjøen)は、大西洋の付属海。古名はゲルマン海(ラテン語 Mare Germanicum、英語 テンプレート:En)。
東はノルウェー、デンマーク、南はドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、西はイギリス、北はオークニー諸島・シェトランド諸島に囲まれている。東はスカゲラク海峡・カテガット海峡でバルト海に、北はノルウェー海に、南はドーバー海峡・イギリス海峡で大西洋に繋がっている。南北の長さは970km、東西は580km、面積は75万km2、水量は94000km3である[1]。
北海に流れ込む主な川はエルベ川、ヴェーザー川、エムス川、ライン川などがある。なかでも、最も北海に影響を及ぼす河川はエルベ川とライン川・ムーズ川である.[2]。北海の集水域にはおよそ1億8500万人がくらしており、また世界で最も工業化された地方のうちのひとつが含まれている.[3]。また、キール運河が北海とバルト海をつないでいる。
北海油田と総称される油田・ガス田が多数あり、ヨーロッパの貴重なエネルギー源である。
地理
大部分はヨーロッパ大陸棚で、平均水深は90m[4]。ただ、北海北部、オスロ沖からベルゲン沖にかけて陸地と平行に南北に伸びているノルウェー海溝のみは深く、もっとも深い場所は最大725mである。ドッガーバンク(堆)は氷河が運んだ岩・砂の堆積物でできており、水深15~30mの広大な浅瀬で.[5][6]、好漁場となっている。 平均水温は夏の17度C、冬の6度C[1]。冬は暴風が頻繁に吹く。海流は大まかに反時計回りで、岸に沿って流れている[7]。主として北西から大西洋の海水が、南のイギリス海峡から暖かい海水が流れ込む。潮汐流がノルウェー沿岸を流れ、塩分の少ない浅層の海水は沖へ、高塩分の深層海水は陸へ動く。干満の差は0~8mである。
北東部のノルウェー沿岸では顕著な氷食地形をなしており、フィヨルドが連なっている。いっぽう南部沿岸は砂州と低湿地が主で、海岸沿いに砂州からなるフリジア諸島が連なる。とくに南部沿岸では浸食が激しく、オランダにあったフレヴォ湖が洪水によって海に開口し、海水の浸入によってゾイデル海となるなど、大洪水によって陸地の縮小が起こっていた。それを食い止めるために1000年ごろから特にオランダにおいて干拓が活発化し、「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」と呼ばれるほどに干拓が進んだ。1918年にはゾイデル海の淡水化・干拓計画が認可され、1932年に締め切り堤防が完成し、ゾイデル海は再び淡水のアイセル湖となった。
歴史
北海沿岸の確実な記録が残されるようになるのは、紀元前55年から紀元前54年のユリウス・カエサルによるブリタンニア侵攻であり、43年にはクラウディウス帝によって属州ブリタニアが創設された。
409年にローマ帝国がブリタニアより撤退すると、現在のデンマークや北部ドイツ周辺にいたゲルマン人の一派であるアングル人、ジュート人、サクソン人が北海を渡ってブリタニアを征服し、イングランドの原型ができた。5世紀ごろからはオランダ北部に居住しているフリース人(フリースラント人)が北海交易を開始し、ライン河口に作られたドレスタットの町は9世紀まで北海の交易の中心地となっていた[8]。
8世紀末ごろよりヴァイキングの活発な活動が始まり、デーン人やノース人が北海を渡ってイングランドやフランク王国にたびたび襲撃をかけた。やがて14世紀にはハンザ同盟がこの地域で勢力を伸ばしたが、16世紀には衰退し、それに変わってオランダが北海の覇権を握るようになった。1560年ごろより、それまでデンマークのスン海峡方面に生息していたニシンの群れがドッガーバンクをはじめとする北海洋上に群生するようになり、オランダの経済繁栄の一因となった[9]。しかし、17世紀後半の英蘭戦争によって北海の制海権はイギリスへと移った。
経済
政治状況
北海を取り巻く国々は12海里領海で排他的漁業権を主張している。EUの漁業政策で漁業権を調整し、EU諸国とノルウェー間の紛争を処理する。北海で炭化水素が発見されたため、大陸棚会議で各国の権利を中間線方式で区分した。中間線とは二国間の陸上国境の延長とみなされる境界線のことである。ただし、ドイツ・オランダ・デンマークの海底領土は長い交渉と国際司法裁判所の裁定を経て決定された。
海上交通
世界で最も利用されている海域である。世界第3位のロッテルダム港、アントワープ、ハンブルク、ブレーメン、ブリュージュなどRO-RO船で混雑する港など、商船の他に漁船、石油基地の船などを各港が管理している。ドーバー海峡は1日に400隻以上が行き来する。北海沿岸には運河が発達しており、北海とバルト海を結ぶキール運河はユトランド半島を迂回すると460kmになる距離の節約になる。
石油・ガス
1960年にイギリスが北海で最初に油田を開発し[10]、その後ノルウェーがエコーフィスク油田の開発を1969年にはじめ、1971年に生産が開始された。1973年の石油危機で油価が高騰し、一気に開発熱が高まった。生産コストは高いものの、良好な原油性状、安定した政治環境、重要な市場に近いことで、北海は世界でも重要な産出地域の一つとなった。西欧で最大の埋蔵量を誇り、非OPECの重要な生産地域である。ブレント原油は世界の原油価格の重要な指標である[11]。2000年代に入り、特にイギリス領の油田において徐々に生産量が減少しつつある。北海で最大の人身事故は1988年のパイパー・アルファ基地火災で、167名が死亡した[12] 。また、大量の原油漏出が1977年にエコーフィスク油田で起きた。
風力発電
恒常的な強風を利用した風力発電が90年代からドイツとデンマークで発達している。オランダやイギリスの沿岸にもウィンドファームが出来始めた。しかし、船舶の衝突、魚や鳥など生物への影響といった問題も指摘される。波力発電や潮汐発電はまだ実験・実証段階である。
漁業
北海海域は古くから世界有数の好漁場として知られており、世界の商業的漁業の5%を占めている。漁業は沿岸の南部に集中している。トロール船での漁業が中心である[13] 。1995年には、北海の総漁獲高は350万トンだった。[14]。
しかし、乱獲がたたり2000年前後にはフィッシュ・アンド・チップスの原料となるタラの漁獲が極端に減少。持続可能な漁業への転換が模索されている[15]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
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- ↑ 「商業史」p20 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫著 有斐閣 1980年11月20日初版第1刷
- ↑ 「ニシンが築いた国オランダ 海の技術史を読む」p27 田口一夫 成山堂書店 平成14年1月18日初版発行
- ↑ 「知られていない原油価格高騰の謎」p98 芥田知至 技術評論社 平成18年5月5日初版第1刷
- ↑ 「石油価格はどう決まるか 石油市場のすべて」p29 甘利重治、山岡博士著 河村幹夫監修 時事通信社 2007年12月20日第1刷
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