シェトランド諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 スコットランドのカウンシルエリア シェトランド諸島Shetland、中世スコットランド語:Ȝetlandスコットランド・ゲール語:Sealtainn)は、スコットランド亜寒帯に属する群島。グレートブリテン島の北東部に位置する。

概説

オークニー諸島の約80km北、フェロー諸島の南東約280kmに位置し、シェトランドの西は大西洋、東は北海となる。総面積は1,468km²で、2009年時点の人口は22,210人である[1][2]スコットランド議会のシェトランド選挙区を構成しており、スコットランドの32あるカウンシル・エリアの1つである。シェトランドの行政中心地で、唯一の自由都市はラーウィックである。

諸島のうち最大の島は単にメインランド島といい、面積は967km²、スコットランドの島のうち3番目、ブリテン諸島中5番目の面積を持つ[3]。さらに15の有人島がある。シェトランド諸島は海洋性気候であり、複雑な地質、険しい海岸線と総じて低い丘陵がある。

石器時代より人が定住し、島について最古に書かれた文献はローマ時代のものである。歴史上最古の時代はスカンジナビア、特にノルウェーの影響を受け、島々は15世紀までスコットランドの一部ではなかった。シェトランドがグレートブリテン王国の一部となった1707年から、漁業は今日まで経済の重要な側面で有り続けているが、北ヨーロッパとの貿易は衰退していた。しかしいまや連合王国の一部となり、1970年代の北海油田発見が大幅にシェトランド諸島経済・雇用・公共部門の収益を押し上げた。

地元住民の生活は、火祭りのウップ・ヘリーアー(en)、伝統的なフィドルのスタイルに代表される音楽の伝統といった、ノース人文化とスコットランド文化の両方が反映されている。シェトランド諸島は様々な詩と散文の作家を輩出しており、彼らの多くはシェトランド語(en)を用いる。地元の動植物を保護するためもうけられた保護地域が多くあり、そこには海鳥の重要な営巣地が含まれている。

語源

ファイル:Heladia Carta Marina.JPG
16世紀の地図カルタ・マリナに描かれたシェトランド

紀元43年と77年、ローマの著述家ポンポニウス・メラ大プリニウスは、それぞれHaemodaeとAcmodaeと呼ぶ7つの島々についてふれた。この名称はどちらもシェトランドのことであると推測されている。シェトランドについて書かれた古い記述は他にもある。紀元98年、タキトゥスはローマのオークニー諸島発見と征服について記した後、ローマ艦隊はトゥーレを見たとした[Note 1] 。古いアイルランド文学において、シェトランドは『ネコの島』(Inse Catt)としてふれられた。これは島にいたノース人以前の住民の名であった可能性がある。Cat族はスコットランド本土北部の一部を占領し、彼らの名はケイスネスや、サザランドゲール語名Cataibhに見つけることができる[6][Note 2]

現在の名であるシェトランドの最古のかたちは、1190年に記されたHetlandensisである。様々な変換のあとに1431年にはHetlandとなった。ピクト語のcatの発音がノース人の人名を形成することが可能である。その後16世紀にはHjaltlandとなった[8][9][Note 3]

ノルド語が徐々にスコットランド語に取って代わっていったように、HjaltlandはȜetlandとなった。最初の文字は中世スコットランド語のものである。Ȝの発音は元々のノルド語とほとんど同じである。ヨッホを文字として用いることが中断されたとき、それは多くの場合似たような文字であるZに置き換えられた。それゆえにZetlandという誤ったスペルが1975年以前にカウンティ議会において用いられていたのである[11][12]

一部の派生は不明瞭でノース人以前(おそらくはピクト人、ケルト以前の名称)のものもあるだろうが、シェトランドの島々は個々にノース語の名を持っている[13]

地理

シェトランド諸島はスコットランド本土の北170kmにある。海岸線は2702kmある。諸島の中心地にして最大の町であるラーウィックは人口約7500人が暮らし、町の16km以内に諸島の人口の約半分が暮らしていることになる[14] 。1708年まで諸島の中心であった西岸のスカロウェイは、人口が1000人以下である[15][16]

およそ100ある島のうち、有人島は16しかない。主要島はメインランド島、次いで北のイエル島アンスト島フェトラー島、東のブレセー島とホエルセー島である。イースト・バラ島、ウエスト・バラ島、マックル・ロー島、パパ・ストア島、トロンドラ島、ヴァイラ島はメインランド島の西にあってより小さい。メインランド島から遠く離れている有人島には、フーラ島フェア島、アウト・スカリーズ島がある。

無人島には、鉄器時代に建てられた塔・ブロッホ・オブ・ムサが最高の保存状態で残るムサ島、イギリス最大の陸繋島でメインランド島と陸続きとなっているセント・ニニアンズ島、ブリテン諸島最北の地であるアウト・スタック島がある[17][18][19] 。シェトランド諸島の位置から、『国内で最も北』という形容詞がつく記録が多い。マネス城は国内最北にある城であるし、スコーは国内最北の集落である[20][21]

ファイル:Fort Charlotte, Lerwick - geograph.org.uk - 17910.jpg
ラーウィックを見下ろすシャーロット砦

数多くの断層や褶曲の軸があるシェトランドの地質は複雑である。シェトランドの島々はカレドニア造山運動の北の前哨基地にあたり、先カンブリア時代変成岩であるルイジアン、ダルリアダンの露頭、モイン累層群の変成岩があり、それらはスコットランド本土にあるものと似た歴史をたどっている。同様に、古い赤色砂岩の堆積物、花崗岩の侵入もある。最大の特徴はオフィオライト、アンスト島やフェトラー島におけるかんらん岩斑れい岩イアペトゥス海en)の底の遺物である[22]。シェトランド経済の多くは、周辺海域における原油を含む堆積物に依存している[23]。地質学的証拠は、紀元前6100年頃ノルウェー海の海底地すべり(en)で起きた津波がシェトランド、そしてスコットランド東海岸を直撃したことを示している。そして現在の人口密集地であるスコットランドのファース(湾)において波の高さは25mとなっていたと推測される[24]

シェトランド最高地点はロナスの丘で高さは450mでしかない。更新世期に氷河は島々全体を覆っていた。スタナス・オブ・ストファストという迷子石は重さが2000トンあり、この時代にラナスティングの丘に移動してきて鎮座するようになった[25]

シェトランドはナショナル・シニック・エリア(en)である[26]

気候

シェトランド諸島は、長いけれども穏やかな冬、短くて涼しい夏が特徴の海洋性気候である。周囲の海からの影響で、3月の最高気温は5℃、7月8月の最高気温は14℃と、気候は一年中穏やかである。気温が21℃を上回ることはまれである。過去に最も気温が高かったのは1991年7月の23.4℃で、反対に最も低かったのは1952年と1959年の1月に記録した-8.9℃である[27]のない期間は3ヶ月ほどと短い。

気候の総合的な特徴は、曇りがちで風が強いことである。1年に250日間は少なくとも2mm以上の降雨がある。年間平均降雨量は、最も雨の多い11月から12月で1003mmである。降雪は通常11月から2月までの期間に限られており、地上に1日中雪が残っていることが少ない。降水量が50mm以下の月はないが、4月から8月は降水量が減少する。は、穏やかな南からの風で海上が冷やされるため、夏に発生するのが一般的である[28][27]

高緯度にあるため、夏にはほぼ確定した日照がある一方、晴れた冬の夜にはオーロラが時々見られる。年間平均日照時間は1090時間で、曇りの日が一般的である[28]

テンプレート:Weather box

野生の動植物

ファイル:Edmondston's Chickweed, Keen of Hamar CRW 2437.JPG
岩の間で自生するCerastium nigrescens

シェトランドには、ハーマナスとノスの海鳥コロニー、キーン・オブ・ヘイマーにある蛇紋岩土壌に育つ植物を保護する、3つの国立自然保護区がある。さらに81箇所の特別科学関心地区(en)がある。

植物相

シェトランドの風景は、放牧されたヒツジが草を食んでいるさまが特徴である。そして過酷な条件のため植物は約400種と総数が限られている。セイヨウナナカマドやヨーロッパ原産のワイルドクラブアップル(en)といった土着の樹木は、崖や小島といった他から隔絶された数少ない場所に見られるのみである。植物はアルプス高山植物、野生種の花、コケ地衣類で占められる。特に保護された場所では、春海葱(en)、セリバオオバコ、マルバトウキ、イワベンケイが豊富である。ミミナグサ属Cerastium nigrescensはシェトランドにしかない固有種である。この花は1837年、植物学者トーマス・エドモンドストンによって最初に記録された。19世紀には他の2つの場所から植生の報告があったが、現在はアンスト島の蛇紋岩でできた2つの丘の上にしか見つけられていない。全国的に希少なエゾルリソウがいくつかの島で見つかっており、レッドリストコケ植物オオトラノオが絶滅危惧種として記載されている[29][30][31][32]

動物相

シェトランドには多数の海鳥コロニーがある。ニシツノメドリウミツバメアビシロカツオドリオオトウゾクカモメが島々で見られる[33]。希少種としてマユグロアホウドリハクガンがある。シロフクロウのつがいが1967年から1975年までフェトラー島で繁殖していた[33][34][35]。シェトランドミソサザイ、フェアアイルミソサザイはシェトランドの固有亜種である[36][37]ダイシャクシギ、コシャクシギ、ヨーロッパムナグロといった様々な湿原の鳥類の個体群もある[38]

シェトランドの地理的孤立と、シェトランドがかつて氷河に覆われていた歴史により、哺乳動物相の枯渇をもたらした。ドブネズミハツカネズミは、シェトランド諸島に現在いるげっ歯類の3種のうち2種である。残りの1つであるシェトランドノネズミは、固有種でもあり、そのうち3つの種類がイエル島、フーラ島、フェア島に生息する[37]。彼らはアカネズミの変種であり、考古学的証拠からこの種は鉄器時代中期から島に存在していたことを示唆している。アカネズミは、少なくとも青銅器時代から人がいたオークニー諸島から導入された可能性がある[39]

家畜

ファイル:Shetland Pony1.jpg
シェトランド・ポニー
ファイル:ShetlandShpdogBlue2 wb.jpg
シェットランド・シープドッグ

島土着の様々な品種がある。そのうち、体格の小さなシェトランド・ポニーは、おそらく最も有名であるだけでなく、シェトランド農業の歴史の重要な一部である。ポニーについて最初に書かれた記録は1603年のものである。その小柄な体格のため、すべてのウマの品種の中で最も強健である[40][41]。その他にシェットランド・シープドッグ、絶滅危惧種のシェトランドウシ[42]、シェトランドガチョウ[43][44]、そしてヒツジのシェトランド種は西暦1000年前に起源があると考えられている[45]。グライスは半家畜化されたブタであったが、1930年代に絶滅した。ヒツジを攻撃する習性のため、絶滅を防ぐことができなかった[46]

歴史

ファイル:Stanydale Temple 20080820 01.jpg
新石器時代の遺跡、スタニーデイル神殿跡
ファイル:Jarlshof 20080821 - aisled roundhouse and broch.jpg
ヤールショフで保存されている、ホイールハウスとブロッホ
ファイル:Old scatness 2.jpg
オールド・スキャットネス

先史時代

実質的に樹木のないシェトランド諸島に石でできた建物ができたのは少なくとも新石器時代初頭である。シェトランドは有史以前の時代の建造物が非常に豊富で、5000箇所以上の遺跡が存在する[47]。メインランド島南岸のウェスト・ヴォーには紀元前4320年から紀元前4030年頃の貝塚があり、中石器時代に人間が活動していた証拠となっている[48][49]。同じ場所では新石器時代の活動の存在を示しており、スコード・オブ・ブロースター内の壁は紀元前3400年代にさかのぼれる[Note 4] 。ノースメイヴィンで見つかったシェトランド・ナイフは石器で、珪長岩でこの時代に作られたものだった[51]

集落遺跡ヤールショフでは陶器の破片が見つかっている。主要な定住地は青銅器時代からのものだが、ここでは新石器時代から人が活動してきたことを示している[52]。遺跡には鍛冶場、ホイールハウス(en)の密集、そして後のブロッホ(円筒形の塔)が含まれていた。この場所は、ヴァイキング時代直前までの様々な時代の居住の証拠を示している[53][54]。かかとの形をしたケアンは、シェトランドでは珍しい室状のケアンで、特に大きなものがヴェメントリー島にある[51]

多数のブロッホが鉄器時代の間に建てられた。ブロッホの起源と目的は論争の的となっているが、ムサに加え、クリキミン、カルスウィック、オールド・スキャットネス、ウェスト・バラファースにあるブロッホが重要な遺跡である[55]。過去の記録はまばらであるが、鉄器時代後期のノーザン・アイルズの住民は、おそらくピクト人であった。歴史家ジェームズ・ハンターは2000年に、6世紀のピクト王ブリデイ1世との関連を述べている。『シェトランド、オークニー、スカイ島と西部の島々にいた住民たちは、そのほとんどがこの時点において文化のうえでも言語のうえでもピクト人であったように思える。彼らはブリデイ1世をかなり遠い存在とみなしていた可能性が高い。』[56]

2011年、ブロッホ・オブ・ムサ、オールド・スキャットネス、ヤールショフを含む「鉄器時代シェトランドのるつぼ」(en)は、世界遺産の暫定登録リストに加わった[57][58]

スカンジナビア人による植民地化

スカンジナビア人人口の拡大は、利用可能な資源と耕地の不足につながった。このことがヴァイキングの海外遠征時代を招き、ノース人は徐々に略奪から占領へ関心を移していった[59]。シェトランドは8世紀終わりから9世紀にかけ征服された[60]。既に島にいた先住民の運命については不明である。現在のシェトランド諸島人は、父方の先祖も母方の先祖もスカンジナビア人である割合が同一である。このことは島に男女とも均等に移住したことを示唆している[61]

当時のヴァイキングは、島をノルウェーおよびスコットランド本土の海岸に対する海賊遠征の本拠としていた。それに対してノルウェー王ハーラル美髪王は875年にノーザン・アイルズを併合した[Note 5] [63]ムーレ伯爵Rognvald Eysteinsson(en)はハーラル美髪王より、スコットランドでの戦いで息子を失った代償として、オークニーとシェトランドを伯領として授かり、オークニー伯爵(英語ではEarlであるがノース語ではJarl)となった。その後弟Sigurd Eysteinssonが伯領を継承した[64]

シェトランド諸島がキリスト教化されたのは10世紀終わりである。オーラヴ1世王はオークニー訪問中、オークニー伯シグルドを召還し、『伯と伯の臣民すべてが洗礼を受けることを命ずる。もし拒むならば、私はその場で伯を殺さねばならない。私は火と鋼を用いてすべての島々を破壊せんことを誓う』と言った。当然のごとく、シグルドと島民たちは同意しキリスト教徒となった[65]。異常なことに、1100年代以降、ノース人の伯爵たちはケイスネス伯爵の爵位を保有することからノルウェー王とスコットランド王の両者に忠誠を誓っていた[66]

1194年、Harald Maddadssonがオークニーおよびシェトランド伯であったとき、スヴェレ・シグルツソン王に対する内乱が勃発した。Øyskjeggsたちはノルウェーに向け出航したが、ベルゲン近郊のFlorvågの戦いで敗退した。この勝利の後にスヴェレ・シグルツソン王はシェトランドをノルウェー王の直接支配下に置き、この後2世紀近くにわたってこの情勢が続いた[67][68]

スコットランドの北進

13世紀半ば以降、スコットランドの王たちはますます本土周囲の島嶼部に対する管理を強めるようになった。政策が本格的に始められたのはアレグザンダー2世からで、彼の後継者アレグザンダー3世によって政策は継承された。この戦略は、最終的にはホーコン4世のスコットランド遠征につながった。彼の艦隊はスコットランドへ出航する前にブレセー水道で組み立てられた。ラーグスの戦いでの行き詰まりの後、ホーコン4世はオークニーに退却し、1263年12月に急死した。サーガの暗唱によって彼は死の床で慰められた。彼の死はスコットランドへのノルウェー軍のさらなる遠征を中止させ、この不運な遠征にともない、マン島および島嶼王国(ヘブリディーズ諸島マン島で構成)は1266年のパース条約の結果スコットランドに屈した。しかしスコットランド人は、オークニー諸島とシェトランド諸島へのノルウェーの主権を継続して認めていた[69][70][71]

スコットランドへの質入

ファイル:James III and Margaret of Denmark.jpg
ジェームズ3世に輿入れしたマーガレット・オブ・デンマークが、シェトランドをスコットランドへもたらした

14世紀のオークニー諸島とシェトランド諸島はノルウェー王国の県であった。しかしスコットランドの影響は増していた。オークニー伯Jon Haraldssonは1231年にサーソーで殺害され、彼の死は切れることなく続いてきたノース人のオークニー伯爵の断絶となった[72]。その後のオークニー伯は、スコットランド貴族であるアンガス伯と、シンクレア家のヘンリーが務めた[73]。1380年、デンマークとのカルマル同盟で同君連合となったノルウェーは、島嶼部の高貴な家柄への関心が薄れていった[67] 。1468年、デンマーク・ノルウェー王クリスチャン1世は、スコットランド王ジェームズ3世と婚約していた娘マルグレーテの持参金支払いに対する保証としてシェトランドを抵当に入れた。金が支払われることはなく、シェトランドとスコットランド王との関係は永久となった.[Note 6] 。1470年、初代ケイスネス伯ウィリアム・シンクレアは、自らの称号をジェームズ3世へ譲り渡した[76] 。翌年から、北部島嶼部はスコットランド王権に直接属することとなった。それにもかかわらず、シェトランドとノルウェーの関係が絶えることがなかったことが証明されている[Note 7]

15世紀初頭から、シェトランド諸島人はドイツ商人のハンザ同盟を通じて島で生産されたものを売っていた。ハンザ商人は、塩漬けの魚、羊毛、バターといった船一隻分の積荷を買い、塩、布、ビールやその他商品を輸入していた。16世紀終わりから17世紀初めは、専制的なオークニー伯ロバート・スチュアートの影響が支配的だった。ジェームズ5世の庶子であった彼は、異母妹であるスコットランド女王メアリーによって島々を与えられていた。ロバートの跡を継いだパトリック・スチュアートはスカロウェイ城の建設を開始したが、1609年に処刑されたため、再びオークニーとシェトランドはスコットランド王のものとなった。1643年、チャールズ1世はオークニーとシェトランドを第7代モートン伯ウィリアム・ダグラスへ与えた。1766年まで保持したモートン伯爵家は、第14代伯爵ジェームズ・ダグラスの代にシェトランドをローレンス・ダンダスへ売却した[77][78]

イギリス支配

ファイル:Wind Bound Lerwick around 1880.jpg
ラーウィック沖合いに碇を下ろすバーク、1880年頃
ファイル:Shetland ponies ca 1900.jpg
ポニーとシェトランドの女性、1900年頃のパパ・ストゥア島

1707年まで、北ドイツの町との貿易は続けられた。1707年の合同法によって、対スコットランド貿易を行う北ドイツ商人に対して高い塩税を払うことが禁止された。シェトランドはその後経済不況に陥った。スコットランドおよび地元の貿易業者たちは、塩漬け魚を製造することのように貿易に熟練していなかった。しかしドイツ人商人の活動が中断される一方で一部の土地持ち商人が台頭した。シェトランドからヨーロッパ大陸へ魚を輸出するために独自に船を装備したのである。シェトランドの小作農にとって、これは否定的な結果を招いた。彼らは土地持ち商人たちの要求に応じて漁をしなければならなくなったからである[79]

17世紀から18世紀、シェトランドを天然痘の流行が襲った。しかし1760年以降ワクチンが一般的となり、1861年の人口はこれまでの最高の31,670人に達した。イギリス支配は多くの一般人のみならず、貿易業者にとって高くついた。シェトランド諸島人の航海技術が、イギリス海軍に求められていた。約3000人が1810年から1815年のナポレオン戦争に供出され、強制徴募が行われた。このときフェトラー島だけで120人もの男性が連れて行かれ、このうち故郷へ戻れたのはたった20人だった。19世紀後半、シェトランド全体の90%の土地を所有していたのは32人の地主だった。1861年から1881年にかけ8000人以上のシェトランド諸島人が移住していった[80][81]。1886年、自由党の首相ウィリアム・グラッドストンが、地主から小作農を解放すべく、クロフターズ法(en)を可決させた。これは地主のために農奴となっていた小作農たちが、自分の所有する農園を持ち家とできるようになった効果的な法律だった[82]

20世紀

第一次世界大戦中、多くのシェトランド諸島人たちはイギリス陸軍歩兵連隊ゴードン・ハイランダーズ(en)に配属された。さらに3000人が海軍船員となり、1500人以上が地元で海軍予備役となった。第10巡洋艦船隊がスウォーバックス・ミンに配置され、1917年3月からの1年間だけで4500隻以上の船が、護衛伝達システムの一部としてラーウィックを出港していった。シェトランド諸島は、出身者から150人以上の戦死者を出した。これはイギリス国内のどの場所よりも高い割合であった。1920年代と1930年代にさらに島外への移住が行われた[81][83]

ファイル:Leif Larsen ShetlandsLarsen.jpg
シェトランド・バス作戦におけるノルウェー人リーダー、レイフ・ラーセン

第二次世界大戦中、ノルウェー海軍に所属し、のちにシェトランド・バス(Shetland bus)のニックネームで呼ばれることになる部隊が、1940年秋に特殊作戦執行部(Special Operations Executive, SOE)によってランナ基地に設置された。後にスカロウェイに基地が移され、ノルウェー沿岸周辺での作戦の指揮を執ることとなった。ナチス・ドイツのノルウェー占領(en)によって、ノルウェーを脱出した難民が使用したおよそ30隻の漁船が集められ、シェトランド・バスは諜報員、難民、レジスタンスの指導員、軍事物資を運ぶ秘密工作を行った。海を渡って20回以上往復したレイフ・ラーセンは、戦時中最も勲章(52回)が授与された連合国側海軍将校である[84][85]イギリス空軍の基地も数箇所設置され、灯台の数箇所が敵機から爆撃され被害を受けた[83]

20世紀後半、シェトランド東西の海域で石油埋蔵地が発見された。石油は島の収入の多くの代替源として提供されてきた。東シェトランド海盆(en)はヨーロッパ最大の油田の1つであり、石油収入とノルウェーとの文化的つながりの結果として、オークニーおよびシェトランドの独立運動が発生した。独立運動はマン島だけでなく、シェトランドの最も近い隣人でデンマークの自治領であるフェロー諸島もモデルとしている[86]

政治

ファイル:Shetland Flag.jpg
シェトランド諸島の旗

シェトランドは、オークニー・アンド・シェトランド選挙区の一部として、庶民院国会議員を送っている。現職はアリステア・カーマイケルである。1950年以来、この議席は自由党または自由民主党が維持しており、彼らがイギリス国内で維持するどの議席よりも期間が長い[87][88][89]

スコットランド議会においては、シェトランド選挙区は小選挙区制によりスコットランド議会議員を選出している。現在のシェトランド選出スコットランド議会議員は、スコットランド自由民主党のタヴィッシュ・スコットである[90]。現在のシェトランドは、スコットランド議会のハイランズ・アンド・アイランズ選挙地区内にある。

シェトランド諸島議会の政治的構成は、無所属議員22人である。政党を代表しない議員が多数派を占める、スコットランド内のカウンシル・エリア3つのうち1つである[Note 8]

1966年、Roy Grönnebergがスコットランド国民党の地方支部を設立した。彼はビル・アダムズと共同で、シェトランドのノルウェーからスコットランド移管500周年を記念してシェトランド諸島旗をデザインした。色の配置はスコットランドの旗と同じ青と白だが、スカンジナビア十字の形を採用している。1985年の住民投票を含む数度の失敗の後、2005年にロード・ライアン・キング・オブ・アームズ(en、スコットランド紋章院長官とも)はシェトランド諸島の旗を公式旗として認定した[93][Note 9]

経済

ファイル:Beryl alpha from air.jpg
エクソン・モービルのベリル・アルファ石油プラットフォーム、東シェトランド海盆
ファイル:Sullom Voe.jpg
サロム・ヴォーの石油ターミナル

現在、シェトランドの主な収入源は農業、養殖業、漁業、再生可能エネルギー、石油産業(原油天然ガス生産)、クリエイティブ産業と観光業である[94]

漁業は現在もシェトランド諸島経済の中心であり、2009年の漁獲総量は75,767トンで、評価額は7320万ポンドであった。さらには、漁獲量においても収入においてもシェトランド諸島の漁獲高の半分以上を占めるのがサバである。続いてコダラ、タラ、ニシン、タラ科Merlangius merlangusアンコウ、貝類のかなりの水揚げがある[95]。農業は主として、非常に細かい羊毛がとれることで知られるシェトランド種のヒツジの飼育にかかわっている[16][96][97]。穀物はコムギとオオムギが生産される。しかしその寒さと吹きさらしの風にさらされるシェトランドはほとんどの植物にとって過酷な状況である。法的に制限された借地ごとに、小区画化された農地で農業を行うクロフティング(en、小規模農場による農業)はまだ実践されており、これはシェトランドの伝統というだけでなく重要な収入源とみなされている[98]

石油と天然ガスは1978年サロム・ヴォー入り江にて初めて地上にもたらされた[99] 。サロム・ヴォー石油ターミナルは、その後ヨーロッパ最大級のものの1つとなった。石油の税収入は社会福祉、芸術、スポーツ、環境対策と経済開発など公的部門への収入として増加している。シェトランド諸島内の労働力の3/4がサービス業に採用されている[100][101] 。2003年にはシェトランド諸島議会単独で生産高の27.9%を生み出していた[102][103]。石油収入に対するシェトランドの方法は、地元の様々な事業に順番で資金を提供するシェトランド公益トラストに資金を提供したことである。2011年のトラスト残高は2億1700万ポンド、すなわち一人当たり9500ポンドであった[104][Note 10]

2007年1月、シェトランド諸島議会はエネルギー会社SSE plc(en)と、風力発電所タービン20基と海底ケーブルを設置するパートナーシップ契約を結んだ。この再生可能エネルギー事業は約600メガワットを出力し、シェトランド経済に年間200万ポンド程度寄与するという[106]。計画は諸島内でかなりの数の反対を生んでいる。開発で予想される視覚的なインパクトが第一の理由である[107]。アンスト島でのPURE計画は、風力発電と風力ハイブリッド発電を生む燃料電池を組み合わせるための研究センターであった。この事業は地元コミュニティーの発展トラストである、アンスト島パートナーシップによって運営されている[108]

ニットウェアはシェトランドの経済と文化の両面で重要である。フェア・アイルは非常によく知られている。しかしニット業界は、他のメーカーや商標認証によるシェトランドの名称の盗作問題に直面している。例えばシェトランド・レディ(The Shetland Lady)は商標登録されている[109]。シェトランドは毎週地元新聞社が発行するシェトランド・タイムズ、BBCラジオ・シェトランド放送が提供するシェトランド・ニュース、商業ラジオ局SIBCが提供されている[110]

シェトランドはクルーズ船の人気の行き先である。2010年、ロンリープラネットはシェトランドを、『手付かずの行き先を求める観光客にとって世界で6番目の適地』と評した。シェトランド諸島は『美しく、実りある』、シェトランド諸島人は『激しく独立した個人、自立生活者の一団』と称された[111]

2006年における訪問客全体の支出は1640万ポンドであった(その年ラーウィック港にクルーズ客船の乗客が26,000人到着した)。2009年に最も観光客が訪れた場所はシェトランド博物館、サンバラ・ヘッドの鳥類保護王立協会(en)保護区、ワイズデイル・ミルのボンホガ・ギャラリー、ヤールショフであった[112]

交通

ファイル:Yellferries.jpg
イエル島に停泊するフェリー

諸島間の輸送は第一にフェリーである。シェトランド諸島カウンシルは様々な島間のサービスを運営している[113]。シェトランドと本土のアバディーン間をノースリンクス・フェリーズ社のフェリーが片道12時間で運航している[114][115]

シェトランド第一の空港であるサンバラ空港は、ラーウィックの南約40km、サンバラ・ヘッドに位置する。スコットランドの航空会社ローガンエアはFlybeのための路線を持っており、1日に10度スコットランドの他地域へ便を運航する。目的地はカークウォール、アバディーン、インヴァーネスグラスゴーエディンバラである[116]

島と島の間を飛ぶ航空路線は、シェトランドのメインランド島からほとんどの有人島に向けて可能である。ラーウィック西11kmにあるティングウォール空港からの便は、シェトランド諸島カウンシルと提携したダイレクトフライト社が運営している[117][118]。アバディーン=スキャットスタ(サロム・ヴォー近郊)をしばしばチャーター便が飛ぶ。このチャーター便は油田で働く労働者を輸送するために用いられ、スキャットスタの小さなターミナルは、スコットランドで国際線乗客が5番目に多い場所となっている[119]。公営のバスサービスは、メインランド島、ホエルセー島、バラ島、アンスト島、イエル島で運行されている[120]

シェトランドは風と潮にさらされ続けており、船が難破した場所が多い。灯台が様々な箇所で海上交通の補助として設置されている[121]

公共サービス

シェトランド諸島カウンシルは、シェトランドの全ての島々のための地方自治体当局で、ラーウィック・タウン・ホールにある。シェトランド諸島のモットーは、カウンシルの紋章に記されているように、Með lögum skal land byggjaである。ニャールのサガ(en)に書かれた一節からとられており、『法によって土地の上に築かれなければならない』を意味する[122] 。シェトランドは12のシビル・パリッシュに分割されているが、もはやこれらは行政的に意味を持たない。しかしシビル・パリッシュは時に統計上の用途と、18ある地域協議会で使用される[123]

シェトランドには高等学校2校、中学校7校、30以上の小学校がある[124]。シェトランドはまた、北大西洋漁業専門学校、北欧研究センター、そしてシェトランド・カレッジがあり、これらは全てインヴァーネスに本部のあるハイランズ・アンド・アイランズ大学の関連である[125][126]

シェトランドの文化

ファイル:Shetland crofthouse museum.jpg
シェトランド・クロフトハウス博物館
ファイル:UpHellyAa3(AnneBurgess)30Jan1973.jpg
1973年に撮影されたウップ・ヘリーアーの様子
ファイル:Haroldswick Methodist Church.jpg
ハロルズウィックのメソジスト教会。イギリス最北の教会建築[127]
ファイル:Bressay Crosses St Mary's Church.jpg
ブレセー島、セント・メアリーズ教会に残る十字架

シェトランドがスコットランドに移管された後、何千人ものスコットランド人世帯が16世紀から17世紀にシェトランドへ移住してきた。しかし島民の遺伝子構造の研究が示しているように、シェトランド諸島人の半数がスカンジナビアに起源を持つ[61]。この組み合わせは地元の生活の多くの側面に反映されている。例えば、現在使われている地名のほとんどがヴァイキングの時代にさかのぼることができる[128]ノルド語は古ノース語の形態で、18世紀まで話されていた。その後、シェトランド語として知られるスコットランド語の島方言に置き換えられた。また、現在はスコットランド英語に置き換えられつつある。何百年も話されてきたノルド語は現在絶えてしまっており、わずかに書き言葉が残っている[129]。シェトランド語は地元ラジオ局と書き言葉の両方で使われており、シェトランド民俗協会によって生き続けている[130][131][132]

冬のさなかにラーウィックで行われるウップ・ヘリーアーは、毎年シェトランドで開催される様々な火祭りの1つである。祭りは現在で100年以上の歴史があり、高度に組織化されている。原型は冬の長い夜を追い散らすための禁酒祭りで、今は島の伝承を祝うものとなった。男たちはヴァイキングの服装で行列し、ロングシップのレプリカを燃やすのである[133]

シェトランド料理は、ほとんどが有機食品である地元産ラム肉、牛肉とシーフードを基本とする。無濾過でパスチャライゼーションをしないリアル・エールを作っているヴァルハラ醸造所は、国内で最も北にある醸造所である[134]。シェトランドは隔年開催される国際アイランドゲームズ協会の一員であり、2005年には開催地となった[135]

教会と信仰

宗教改革がシェトランドにもたらされたのは1560年であった。明らかに平和的な移行であり、記録されたシェトランドの歴史上において宗教的熱狂や不寛容の証拠はわずかである[136]。諸島内には様々な宗派がある。メソジスト教会は諸島内で比較的信者数が多く、メソジスト教会の教会地区となっている(スコットランド本土が構成する地区とは別である)[137]スコットランド国教会はラーウィックのセント・コロンバ教会が含まれるシェトランドの長老会を持っている[138]

音楽

シェトランドの文化と風景は、様々なミュージシャン、作家、映画製作者にインスピレーションを与えている。1950年代に結成されたザ・フォーティ・フィドラーズは、伝統的なフィドルの演奏スタイルを促進し、現在も地元文化の活気ある一部となっている[139] 。シェトランド民族音楽の注目すべき人物としてアリー・ベイン、トム・アンダーソン、ピーリー・ウィリー・ジョンソンがいる。トーマス・フレイザーはカントリー音楽のミュージシャンであったが生涯を通じて商業ベースのレコーディングをしたことがなかったが、1978年の早すぎる死のあと20年以上人気を保っている[140]

文学

ウォルター・スコットが書いた1822年のThe Pirateにおいて、舞台はシェトランドの遠く離れた場所となっている。これは1814年に彼がシェトランドを訪れた際にインスピレーションを得たためである。Jarlshofという名は『伯爵の邸宅』を意味する彼の造語である[141][142]

スコットランド人詩人ヒュー・マクダーミッド(en)は、1930年代半ばから1942年までホエルセー島で暮らした。彼はその間、直接的またはシェトランドの環境を反映させた詩を書き上げた。"On A Raised Beach"は無人のウェスト・リンガ島訪問に触発され書いたものである[143]。作家ハモンド・インズが1975年に発表した小説North Starは、主な舞台をシェトランドとしている。ラマン・マンデアの2007年の詩集A Choreographer's Cartographyは、シェトランドを背景にアジア系イギリス人の視点を表している[144]。ウォルズ島生まれのヴァガランドは、おそらく20世紀シェトランド最高の詩人であろう[145]

シェトランドでは月刊誌Shetland Lifeとi'i' Shetlandが発行されている[146][147]

映画・ドラマ

1937年にマイケル・パウエルが製作したThe Edge of the Worldは、絶海の孤島セント・キルダに暮らす最後の36人の島民が1930年8月29日に島外に避難する実話を基として脚色した作品である。セント・キルダはアウター・ヘブリディーズ西方64kmの大西洋上の群島だが、パウエルはそこでの撮影許可を得ることができなかった。ひるまなかったパウエルは、フーラ島で1936年の夏の四ヶ月間撮影を行った。映画ではセント・キルダでの出来事をシェトランドでの出来事に置き換えたのである。40年後の1978年、パウエルはフーラ島を再訪問し、ドキュメンタリー映画Return to the Edge of the Worldの中で当時のキャストやクルーと再会を果たした。

シェトランドで撮影された、またはシェトランドにちなむ映画作品には、A Crofter's Life in Shetland(1932年)[148]、A Shetland Lyric(1934年)[149]、Devil's Gate(en、2003年)、コメディ・ドキュメンタリーのIt's Nice Up North(en、2007年)がある。

シェトランドにちなむテレビドラマには、Shetland(en、2013年)がある。

参照

テンプレート:Reflist

脚注

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Refbegin

  • Armit, I. (2003) Towers in the North: The Brochs of Scotland, Stroud. Tempus. ISBN 0752419323
  • Ballin Smith, B. and Banks, I. (eds) (2002) In the Shadow of the Brochs, the Iron Age in Scotland. Stroud. Tempus. ISBN 075242517X
  • Barrett, James H. "The Norse in Scotland" in Brink, Stefan (ed) (2008) The Viking World. Abingdon. Routledge. ISBN 0415333156
  • Clapperton, Chalmers M. (ed.) (1983) Scotland: A New Study. Newton Abbott. David & Charles.
  • Gillen, Con (2003) Geology and landscapes of Scotland. Harpenden. Terra Publishing. ISBN 1903544092
  • Graham-Campbell, James (1999) Cultural Atlas of the Viking World. Facts On File. ISBN 0816030049
  • Fleming, Andrew (2005) St. Kilda and the Wider World: Tales of an Iconic Island. Windgather Press ISBN 1905119003
  • Gammeltoft, Peder (2010) "Shetland and Orkney Island-Names – A Dynamic Group". Northern Lights, Northern Words. Selected Papers from the FRLSU Conference, Kirkwall 2009, edited by Robert McColl Millar.
  • General Register Office for Scotland (28 November 2003) Occasional Paper No 10: Statistics for Inhabited Islands. Retrieved 22 Jan 2011.
  • テンプレート:Haswell-Smith
  • Hunter, James (2000) Last of the Free: A History of the Highlands and Islands of Scotland. Edinburgh. Mainstream. ISBN 1840183764
  • Jones, Charles (ed.) (1997) The Edinburgh history of the Scots language. Edinburgh University Press. ISBN 0748607544
  • Keay, J. & Keay, J. (1994) Collins Encyclopaedia of Scotland. London. HarperCollins. ISBN 0002550822
  • Noble, Gordon; Poller, Tessa & Verrill, Lucy (2008) Scottish Odysseys: The Archaeology of Islands. Stroud. Tempus. ISBN 9780752441689
  • Omand, Donald (ed.) (2003) The Orkney Book. Edinburgh. Birlinn. ISBN 1841582549
  • Nicolson, James R. (1972) Shetland. Newton Abbott. David & Charles.
  • Sandnes, Berit (2003) From Starafjall to Starling Hill: An investigation of the formation and development of Old Norse place-names in Orkney. (pdf) Doctoral Dissertation, NTU Trondheim.
  • Schei, Liv Kjørsvik (2006) The Shetland Isles. Grantown-on-Spey. Colin Baxter Photography. ISBN 9781841073309
  • Scottish Natural Heritage (2008) The Story of Hermaness National Nature Reserve. Lerwick.
  • Shetland Islands Council (2005) "Shetland In Statistics 2005". (pdf) Economic Development Unit. Lerwick. Retrieved 19 Mar 2011.
  • Shetland Islands Council (2010) "Shetland in Statistics 2010" (pdf) Economic Development Unit. Lerwick. Retrieved 6 March 2011.
  • Thomson, William P. L. (2008) The New History of Orkney. Edinburgh. Birlinn. ISBN 9781841586960
  • Turner, Val (1998) Ancient Shetland. London. B. T. Batsford/Historic Scotland. ISBN 0713480009
  • Watson, William J. (1994) The Celtic Place-Names of Scotland. Edinburgh. Birlinn. ISBN 1841583235. First published 1926.

テンプレート:Refend

外部リンク

テンプレート:Commons category

テンプレート:スコットランドの地方行政区画 テンプレート:Good articleテンプレート:Link GA

テンプレート:Link GA
  1. Shetland Islands Council (2010) p. 4
  2. Shetland Islands Council (2010) p. 9
  3. Haswell-Smith (2004) p. 406
  4. Breeze, David J. "The ancient geography of Scotland" in Smith and Banks (2002) pp. 11-13.
  5. Watson (1994) p. 7
  6. Watson (2005) p. 30
  7. Oftedal, M. (1956) "The Gaelic of Leurbost". Norsk Tidskrift for Sprogvidenskap. (Norwegian Journal of Linguistics).
  8. Gammeltoft (2010) p. 21-22
  9. Sandnes (2010) p. 9
  10. "Placenames with -a, hjalt, Leirvik". Norwegian Language Council. (Norwegian). Retrieved 26 Mar 2011.
  11. Jones (1997) p. 210
  12. "Zetland County Council" shetlopedia.com. Retrieved 16 July 2009.
  13. Gammeltoft (2010) p. 19
  14. "Visit Shetland". Visit.Shetland.org Retrieved 25 December 2010.
  15. "Scalloway" Undiscovered Scotland. Retrieved 19 March 2011.
  16. 16.0 16.1 Shetland Islands Council (2010) p. 10
  17. Hansom, J.D. (2003) "St Ninian's Tombolo". (pdf) Coastal Geomorphology of Great Britain. Geological Conservation Review. Retrieved 13 March 2011.
  18. "Get-a-map". Ordnance Survey. Retrieved 7 March 2011.
  19. Fojut, Noel (1981) "Is Mousa a broch?" Proc. Soc. Antiq. Scot. 111 pp. 220-228
  20. "Muness Castle". Undiscovered Scotland. Retrieved 13 March 2011.
  21. "Skaw (Unst)" Shetlopedia. Retrieved 13 March 2011.
  22. Gillen (2003) pp. 90-91
  23. Keay & Keay (1994) p. 867
  24. Smith, David "Tsunami hazards". Fettes.com. Retrieved 7 March 2011.
  25. Schei (2006) pp. 103-04
  26. "National Scenic Areas". SNH. Retrieved 30 Mar 2011.
  27. 27.0 27.1 Shetland Islands Council (2005) pp. 5-9
  28. 28.0 28.1 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「climatetemp」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  29. Scott, W. & Palmer, R. (1987) The Flowering Plants and Ferns of the Shetland Islands. Shetland Times. Lerwick.
  30. Scott, W. Harvey, P., Riddington, R. & Fisher, M. (2002) Rare Plants of Shetland. Shetland Amenity Trust. Lerwick.
  31. "Flora" visit.shetland.org. Retrieved 7 Apr 2011.
  32. Steer, Patrick (1999) "Shetland Biodiversity Audit". Shetland Amenity Trust.
  33. 33.0 33.1 SNH (2008) p. 16
  34. テンプレート:Cite book p. 35.
  35. "Home". Nature in Shetland. Retrieved 12 Mar 2011.
  36. Williamson, Kenneth (1951) "The wrens of Fair Isle". Ibis 93(4): pp. 599-601. Retrieved 12 Mar 2011.
  37. 37.0 37.1 "Endemic Vertebrates of Shetland". Nature in Shetland. Retrieved 12 Mar 2011.
  38. SNH (2008) p. 10
  39. テンプレート:Cite journal
  40. "Breed History" Shetland Pony Studbook Society. Retrieved 20 July 2009.
  41. "Shetland Pony" Equine World. Retrieved 20 July 2009.
  42. "Home" Shetland Cattle Breeders Association. Retrieved 20 July 2009.
  43. テンプレート:Cite web
  44. "Shetland Goose" American Livestock Breeds Conservancy. Retrieved 20 July 2009.
  45. "Sheep Breeds - S-St". Sheep101.info. Retrieved 1 May 2009.
  46. テンプレート:Cite web
  47. Turner (1998) p. 18
  48. Melton, Nigel D. "West Voe: A Mesolithic-Neolithic Transition Site in Shetland" in Noble et al (2008) pp. 23, 33
  49. Melton, N. D. & Nicholson R. A. (March 2004) "The Mesolithic in the Northern Isles: the preliminary evaluation of an oyster midden at West Voe, Sumburgh, Shetland, U.K." Antiquity 78 No 299.
  50. Fleming (2005) p. 47 quoting Clarke, P.A. (1995) Observations of Social Change in Prehistoric Orkney and Shetland based on a Study of the Types and Context of Coarse Stone Artefacts. M. Litt. thesis. University of Glasgow.
  51. 51.0 51.1 Schei (2006) p. 10
  52. Nicolson (1972) pp. 33–35
  53. shetland-heritage.co.uk. Retrieved 2 August 2008
  54. Kirk, William "Prehistoric Scotland: The Regional Dimension" in Clapperton (1983) p. 106
  55. Armit (2003) pp. 24-26
  56. Hunter (2000) pp. 44, 49
  57. "From Chatham to Chester and Lincoln to the Lake District - 38 UK places put themselves forward for World Heritage status" (7 July 2010) Department for Culture, Media and Sport. Retrieved 7 Mar 2011
  58. "Sites make Unesco world heritage status bid shortlist" (22 Mar 2011) BBC Scotland. Retrieved 22 Mar 2011.
  59. Graham-Campbell (1999) p. 38
  60. Schei (2006) pp. 11-12
  61. 61.0 61.1 Goodacre, S. et al (2005) "Genetic evidence for a family-based Scandinavian settlement of Shetland and Orkney during the Viking periods" Heredity 95, pp. 129–135. Nature.com. Retrieved 20 Mar 2011
  62. Thomson (2008) p. 24-27
  63. Thomson (2008) p. 24
  64. Thomson (2008) p. 24
  65. Thomson (2008) p. 69 quoting the Orkneyinga Saga chapter 12.
  66. Crawford, Barbara E. "Orkney in the Middle Ages" in Omand (2003) p. 64
  67. 67.0 67.1 67.2 Schei (2006) p. 13
  68. Nicolson (1972) p. 43
  69. Hunter (2000) pp. 106-111
  70. Barrett (2008) p. 411
  71. "Agreement between Magnus IV and Alexander III, 1266" Manx Society IV,VII & IX. isleofman.com. Retrieved 23 Mar 2011.
  72. Crawford, Barbara E. "Orkney in the Middle Ages" in Omand (2003) pp. 72-73
  73. Nicolson (1972) p. 44
  74. "Diplom fra Shetland datert 24.november 1509". Bergen University. (Norwegian). Retrieved 13 September 2009.
  75. "Norsken som døde". Universitas, Norsken som døde. (Norwegian.) Retrieved 13 September 2009.
  76. Nicolson (1972) p. 45
  77. Schei (2006) pp. 14-16
  78. Nicolson (1972) pp. 56-57
  79. "History". visit.shetland.org. Retrieved 20 Mar 2011.
  80. Ursula Smith" Shetlopedia. Retrieved 12 October 2008.
  81. 81.0 81.1 Schei (2006) pp. 16-17, 57
  82. "A History of Shetland" Visit.Shetland.org
  83. 83.0 83.1 Nicolson (1972) pp. 91, 94-95
  84. "The Shetland Bus" scotsatwar.org.uk. Retrieved 23 Mar 2011.
  85. "Shetlands-Larsen - Statue/monument". Kulturnett Hordaland. (Norwegian.) Retrieved 26 Mar 2011.
  86. Tallack, Malachy (2 April 2007) "Fair Isle: Independence thinking" New Statesman. Retrieved 19 Mar 2011.
  87. "Alistair Carmichael: MP for Orkney and Shetland" alistaircarmichael.org.uk. Retrieved 8 September 2009.
  88. "Candidates and Constituency Assessments". alba.org.uk - "The almanac of Scottish elections and politics". Retrieved 9 February 2010.
  89. "The Untouchable Orkney & Shetland Isles " (1 October 2009) www.snptacticalvoting.com Retrieved 9 February 2010.
  90. "Tavish Scott MSP" Scottish Parliament. Retrieved 20 Mar 2011.
  91. MacMahon, Peter and Walker, Helen (18 May 2007) "Winds of change sweep Scots town halls". Edinburgh. The Scotsman.
  92. "Political Groups" Shetland Islands Council. Retrieved 23 April 2010.
  93. 93.0 93.1 "Flag of Shetland". Flags of the World. Retrieved 19 Mar 2011.
  94. "Economy". move.shetland.org Retrieved 19 Mar 2011.
  95. Shetland Islands Council (2010) pp. 16-17
  96. "Home" Shetland Sheep Society. Retrieved 19 Mar 2011.
  97. "Shetland" Sheep101.info. Retrieved 1 May 2009.
  98. " Crofting FAQS" Scottish Crofting Federation. Retrieved 19 Mar 2011.
  99. "Asset Portfolio: Sullom Voe Termonal" (pdf) BP. Retrieved 19 Mar 2011.
  100. Shetland Islands Council (2010) p. 13
  101. "Shetland's Economy". Visit.Shetland.org. Retrieved 19 Mar 2011.
  102. Shetland Islands Council (2005) p. 13
  103. "Public Sector". move.shetland.org. Retrieved 19 Mar 2011.
  104. "Financial Statements 31 March 2011." Shetland Charitable Trust. Retrieved 8 Oct 2011.
  105. テンプレート:Cite web
  106. "Powering on with island wind plan" (19 January 2007). BBC News. Retrieved 19 Mar 2011.
  107. "Shetlands storm over giant wind farm" (9 Mar 2008). London. The Observer. Retrieved 19 Mar 2011.
  108. テンプレート:Cite web
  109. Shetland Islands Council (2005) p. 25
  110. Shetland News. shetland-news.co.uk. Retrieved 17 Mar 2011.
  111. Hough, Andrew (2 Nov 2010) "Shetland Islands among best places to visit, says Lonely Planet guide". London. The Telegraph. Retrieved 7 April 2011.
  112. Shetland Islands Council (2010) p. 26
  113. "Ferries". Shetland.gov.uk. Retrieved 23 May 2011.
  114. Shetland Islands Council (2010) pp. 32, 35
  115. "2011 Timetables" Northlink Ferries. Retrieved 7 Apr 2011.
  116. "Sumburgh Airport" Highlands and Islands Airports. Retrieved 16 Mar 2011.
  117. Shetland Islands Council (2010) p. 32
  118. "Shetland Inter-Island Scheduled Service" directflight.co.uk. Retrieved 16 Mar 2011.
  119. "UK Airport Statistics: 2005 - Annual" Table 10: EU and Other International Terminal Passenger Comparison with Previous Year. (pdf) CAA. Retrieved 16 Mar 2011.
  120. Shetland Islands Council (2010) p. 34
  121. "Lighthouse Library" Northern Lighthouse Board. Retrieved 8 July 2010.
  122. "Shetland Islands Council". Heraldry of the World. Retrieved 2 April 2011.
  123. Shetland Islands Council (2010) pp. 51, 54, 56
  124. Shetland Islands Council (2010) pp. 41-42
  125. "NAFC Marine Centre" North Atlantic Fisheries College. Retrieved 17 Mar 2011.
  126. "Welcome! " Centre for Nordic Studies. Retrieved 17 Mar 2011.
  127. "Haroldswick Methodist Church". Undiscovered Scotland. Retrieved 19 March 2011.
  128. Julian Richards, Vikingblod, page 236, Hermon Forlag, ISBN 8283200165
  129. "Velkomen!" nornlanguage.com. Retrieved 8 Mar 2011.
  130. "Culture and Music". Visit.Shetland.org. Retrieved 20 Mar 2011.
  131. "Shetland ForWirds" shetlanddialect.org. Retrieved 20 Mar 2011.
  132. "Shetland Folk Society". Shelopedia. Retrieved 20 Mar 2011.
  133. "Up Helly Aa" Visit.Shetland.org. Retrieved 20 Mar 2011.
  134. "Shetland Produce" shetlandtourism.com. Retrieved 8 April 2011.
  135. "Member Profile: Shetland Islands". International Island Games Association. Retrieved 20 Mar 2011.
  136. Schei (2006) p. 14
  137. "Area 3 Districts". methodist.org.uk. Retrieved 20 Mar 2011.
  138. "Lerwick and Bressay Parish Church Profile". (pdf) shetland-communities.org.uk. Retrieved 20 Mar 2011.
  139. "The Forty Fiddlers" Shetlopedia. Retrieved 8 Mar 2011.
  140. Culshaw, Peter (18 June 2006) " The Tale of Thomas Fraser" guardian.co.uk. Retrieved 8 Mar 2011.
  141. "Jarlshof" Undiscovered Scotland. Retrieved 2 August 2008.
  142. "Jarlshof" Gazetteer for Scotland. Retrieved 2 August 2008.
  143. "Hugh MacDiarmid" Shetlopedia. Retrieved 8 Mar 2011.
  144. Morgan, Gavin (19 Apr 2008) "Shetland author wins acclaim". Shetland News. Retrieved 26 Mar 2011.
  145. "Vagaland" Shetlopedia. Retrieved 8 Mar 2011.
  146. "Shetland Life" Shetlopedia. Retrieved 17 Mar 2011.
  147. "Publications" Millgaet Media. Retrieved 17 Mar 2011.
  148. "A Crofter's Life in Shetland" screenonline.org.uk. Retrieved 12 October 2008.
  149. "The Rugged Island: A Shetland Lyric" IMDb. Retrieved 12 October 2008.


引用エラー: 「Note」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="Note"/> タグが見つからない、または閉じる </ref> タグがありません