郵政省
郵政省(ゆうせいしょう)は、2001年(平成13年)1月5日まで存在した郵便事業・郵便貯金事業・郵便為替事業・郵便振替事業・簡易保険(簡易生命保険事業)及び電気通信・無線・放送行政を取扱う中央省庁である。長は郵政大臣。
目次
来歴
- 1949年6月1日 - 逓信省の二省(郵電)分離に伴い、電気通信省とともに郵政省が設置された[1]。
- 1952年8月1日 - 電気通信省の日本電信電話公社への移行、総理府電波監理委員会の廃止に伴い、電気通信監督行政、電波監理行政を新たに所管した。
- 2001年1月6日 - 中央省庁再編の実施に伴い、郵便・簡易保険・貯金の各事業を郵政事業庁へ分割。情報通信部門を自治省・総務庁と統合。総務省が発足し、郵政省は廃止された。
本省庁舎
設置当初は港区飯倉町(現在の麻布台)に所在した逓信省貯金局庁舎(1930年竣工)を引き続き郵政本省庁舎として使用した。なお、設置以前の1945年、空襲で被災した麻布郵便局がこの庁舎に仮住まいの後、正式に入居している。
俗称についてはなぜか外苑東通を介した反対側のロシア大使館一帯の地名である「狸穴(まみあな)」と呼ばれ、他の省庁が集積している霞が関から遠く離れていたこと、三公社五現業のひとつである郵政三事業を取扱う「現業官庁」であったが故、「三流(もしくは四流)官庁」「狸穴の田舎者」と揶揄され格下に見られていた不遇な時代が長く続いていた。
しかし、後に内閣総理大臣にまで上り詰めた田中角栄が郵政大臣に就任したことを契機として、本省は1969年7月に霞が関(現在の日本郵政ビル)へ移転した。1984年7月、電気通信政策局・電波監理局の二つだった政策担当局を、情報化社会の到来とともに、通信政策局・電気通信局・放送行政局のマルチメディア三局に拡充させ、電気通信・放送行政を担う省庁として、「現業官庁」から「政策官庁」への脱皮として注目されるようになった。これにより通産省と情報通信分野における主導権争いを演じた。
本省が霞が関へ移転した後も、飯倉の旧本省庁舎は長きにわたり「飯倉分館」として本省(後の郵政事業庁本庁、日本郵政公社本社)の一部部局、地方支分部局(関東郵政監察局)及び施設等機関(郵政研究所)の執務場所として使用され続けたほか、一時は発足間もない国土庁や総務省関東総合通信局の一部部局が入居していた時期もあった。
しかし、千代田区大手町にあった日本郵政公社東京支社(旧東京郵政局)が2005年5月に飯倉分館に移転、この建物を東京支社社屋として使用することとなったため、飯倉分館としての役目は終えたが、建物自体は民営化された2007年10月現在もなお「日本郵政グループ飯倉ビル」として使用され続けているほか、麻布郵便局も引き続き入居している。
郵政省の組織(本省)
郵政事務次官
氏名 | 在任期間 | 前職 | 退任後の役職 |
---|---|---|---|
大野勝三 | 1949.6.1 - 1954.2.1 | 国際電信電話社長 エフエム東京社長 | |
中村俊一 | 1954.2.1 - 1955.8.9 | 経理局長 | |
宮本武夫 | 1955.8.9 - 1956.9.21 | 大臣官房人事部長 | |
小野吉郎 | 1956.9.21 - 1959.4.24 | 簡易保険局長 | NHK会長 |
加藤桂一 | 1959.4.24 - 1961.6.16 | 貯金局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 |
大塚茂 | 1961.6.16 - 1962.5.15 | 貯金局長 | 新東京国際空港公団総裁 |
西村尚治 | 1962.5.15 - 1964.6.26 | 郵務局長 | 参議院議員 総理府総務長官・沖縄開発庁長官 |
佐方信博 | 1964.6.26 - 1965.6.1 | 郵務局長 | 富士重工業副社長 |
田中鎮雄 | 1965.6.1 - 1966.7.1 | 簡易保険局長 | |
長田裕二 | 1966.7.1 - 1967.7.28 | 郵務局長 | 科学技術庁長官 参議院議長 |
浅野賢澄 | 1967.7.28 - 1969.11.21 | 電波監理局長 | フジテレビジョン社長、会長 |
曾山克巳 | 1969.11.21 - 1971.7.2 | 郵務局長 | NEC副社長 エフエムジャパン社長 |
竹下一記 | 1971.7.2 - 1973.7.13 | 郵務局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 熊本県民テレビ社長、会長 |
溝呂木繁 | 1973.7.13 - 1975.7.15 | 郵務局長 | 日本衛星放送社長 |
石井多加三 | 1975.7.15 - 1977.7.19 | 郵務局長 | 郵便貯金振興会理事長 国際電信電話社長 |
廣瀬弘 | 1977.7.19 - 1978.7.1 | 郵務局長 | 日本郵便逓送社長 通信・放送衛星機構理事長 |
神山文男 | 1978.7.1 - 1980.4.8 | 郵務局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 テレビユー福島社長 |
淺尾宏 | 1980.4.8 - 1982.7.7 | 簡易保険局長 | 郵便貯金振興会理事長 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 |
守住有信 | 1982.7.7 - 1984.8.21 | 電気通信政策局長 | 郵便貯金振興会理事長 参議院議員 |
小山森也 | 1984.8.21 - 1986.6.17 | 電気通信局長 | 通信・放送機構理事長 |
澤田茂生 | 1986.6.17 - 1988.6.3 | 電気通信局長 | 日本電信電話会長 |
奥山雄材 | 1988.6.3 - 1989.6.30 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 |
塩谷稔 | 1989.6.30 - 1990.6.29 | 電気通信局長 | (財)日本データ通信協会理事長 |
中村泰三 | 1990.6.29 - 1992.6.23 | 通信政策局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 国際電信電話会長 |
森本哲夫 | 1992.6.23 - 1993.7.1 | 電気通信局長 | 通信・放送機構理事長 |
白井太 | 1993.7.1 - 1994.7.1 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 通信・放送機構理事長 |
松野春樹 | 1994.7.1 - 1996.7.1 | 電気通信局長 | (財)日本データ通信協会理事長 日本電信電話副社長 |
五十嵐三津雄 | 1996.7.1 - 1998.6.19 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 |
谷公士 | 1998.6.19 - 2001.1.5 | 電気通信局長 | 人事院総裁 |
中央省庁再編後の組織の変遷
郵政事業部門
- 総務省の内部部局「郵政企画管理局」
- 郵政事業における制度の企画立案、経営の基本的事項等に関することを所掌。
- 2003年4月1日の日本郵政公社設立とともに名称を「郵政行政局」と改め、併せて規模が縮小された。
- 総務省の外局「郵政事業庁」
- 郵政事業の実施に関することを所掌。
- 2003年4月1日に国が設置する特殊法人「日本郵政公社」として総務省より独立し、2007年10月1日には日本郵政グループとして民営化された。
- 総務省郵政公社統括官
- 郵政事業庁を日本郵政公社へと円滑に移行するため、公社設立までの時限で局長級の郵政公社統括官が置かれた。
- 併せて、郵政公社統括官のもと移行準備組織が置かれていた。
電気通信・放送行政
所轄研究所
関連施設
かつて郵政省の管轄だったが現在は下記の関連病院となっている。
日本郵政(JP)
- 札幌逓信病院
- 仙台逓信病院
- 横浜逓信病院
- 東京逓信病院
- 新潟逓信病院
- 富山逓信病院
- 名古屋逓信病院
- 京都逓信病院
- 大阪北逓信病院
- 神戸逓信病院
- 広島逓信病院
- 徳島逓信病院
- 福岡逓信病院
- 鹿児島逓信病院
郵政省以外の逓信病院
- 大阪逓信病院(現・NTT西日本大阪病院)
- 関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)
大阪逓信病院は、旧逓信省が設置した後、電気通信省(後の日本電信電話公社)発足に伴い、同省に移管された。
関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)は、日本電信電話公社発足後に同公社が設立したものであり、逓信省および郵政省に属したことがない。
ただし、両病院とも、電電公社およびNTTの職域病院の時代から、郵政省職員の利用が可能であった。
脚注
関連項目
テンプレート:中央省庁(中央省庁再編前) テンプレート:総務省
テンプレート:日本郵政グループ- ↑ 同年3月31日法律第6号「郵政省設置法の一部を改正する法律」