モントリオール
テンプレート:世界の市 モントリオール(テンプレート:Lang-fr、テンプレート:Lang-en)は、カナダのケベック州最大の都市。国内では、オンタリオ州のトロントに次ぐ第二の都市である。セントローレンス川沿いに位置し、アメリカ合衆国との国境や、カナダのオンタリオ州との州境に近い。なお、フランス語での発音はモンレアルテンプレート:IPA-fr。
目次
概要
モントリオール大都市圏の人口は約380万人であり、これは北米で15番目、世界でも第77位の規模。面積は約4千km²。2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第30位の都市と評価されており[1]、カナダの都市ではトロントに次ぐ第2位である。
住民の大半がフランス系を中心にしたヨーロッパ人である一方、市の約26%は非白人と世界各地からの移民も多い多民族都市である。モントリオール大都市圏の住民の7割弱が第一言語をフランス語とし、かつて人口数ではパリに次いで世界第2の規模を持つフランス語圏の都市とされてきたが、1980年代には同じくフランス語圏の都市であり人口が急増しているコンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都・キンシャサと順位が逆転し現在では世界第3の規模となっている。フランス文化の薫り高い異国的な雰囲気、美食の町、石造りの住宅街、街中にある数多くの教会、パリのメトロに似たゴムタイヤの地下鉄、石畳のヨーロッパ調の旧市街の街並みなどから観光客向けに「北米のパリ」と宣伝される。Joie de vivre(生きる喜び)を信条とするなど、生活や暮らしにもラテン的精神文化を色濃く反映している都会である。一方では、住民の1割強の第一言語は英語であり、英国文化も色濃く残り、北米文化と混合している側面も持つ。経済的にはトロントにその地位を譲ったが、世界的に名高いエンターテイメント集団シルク・ドゥ・ソレイユの拠点であるなど、文化的にはカナダはもちろん北米全体をリードする都市だとされる。
歴史
テンプレート:Main ジャック・カルティエが1535年に訪れたとき、現在のモントリオールにはイロコイ族の砦があった。 サミュエル・ド・シャンプランが1603年に訪れたのち、1641年にテンプレート:仮リンクにより建設され1642年よりフランス人の入植が始まった。5月17日に、聖職者、尼僧、開拓者からなる一団がヴィル・マリー(マリアの街)の名で開拓地を設立した。1644年には北米で最初の病院が建てられた。
モントリオールは毛皮取引の中心地となり、またフランス人探検家たちの拠点として使われた。1760年にイギリス軍に占領されるまで、フランス領土であった。
1832年に市に昇格し、1844年から1849年に掛けて英領カナダ州(Province of Canada)の首都となった。1861年から1933年の大恐慌までの期間、モントリオールは経済的に発展し、黄金時代を迎えた。二つのカナダ横断鉄道路線がモントリオールを通り、モントリオールは経済的にカナダで最も重要な都市となった。
1967年にモントリオール万国博覧会、1976年にモントリオールオリンピックが開催された。
かつてはカナダ最大の都市であったが、1970年に生じたオクトーバー・クライシスと言われる要人誘拐殺人ならびに爆弾テロ事件多発に伴う軍出動の戦時措置法の発動といった社会混乱(イギリス資本が攻撃の標的となった)、およびその後のフランス語単一公用語化に伴い、多くの企業の本拠地がトロントへと移った。その後ケベック解放戦線(FLQ)の主要メンバ−の検挙等により、社会は沈静化し、現在は他の北米地域に比べ安全であると言われる[2]に至る。
2002年1月1日に、周囲の自治体を吸収して、市域を拡大した。しかし、このうちいくつかの地域は、2004年6月20日の住民投票により、再び独立した自治体となることを選択し、2006年1月1日に分離した。
地理
都市名の由来はフランス語の「王の山(モン・ロワイヤル)」といわれており、都市中央部にある標高233mの山の名にちなむ。セントローレンス川とオタワ川の合流点にある川中島・テンプレート:仮リンクに位置し、ニューヨークのマンハッタン島のように市内と郊外はいくつかの橋やトンネルで結ばれている。川幅は5kmに及ぶ場所もあり、サンルイ湖、ドゥ・モンターニュ湖などと名を変え、モントリオールは湖に浮かぶ島のように感じられる。これらの川や湖は、冬場にはほぼ凍りついてしまう。市内には合計74の島がある。
これらの湖の下流では、セントローレンス川はラシーヌ瀬という急流になっている。現在はセントローレンス海路を進む船はセントローレンス川南岸の運河で急流を迂回するが、かつてはこの急流を船が遡ることはできず、海から五大湖へ向かう貨物は一旦モントリオールで陸揚げされ、急流の上流でまた船に積み替えられていた。この急流の存在のためにモントリオールは重要な河港となり、後にカナダ各地からの陸上貨物を外航船に積み替える港町となった。
都市中央部、モントリオール島のモン・ロワイヤルは公園となっている。モントリオール市があるモントリオール島から、テンプレート:仮リンクを挟んで北西テンプレート:仮リンクには人口40万人のラヴァル市、南岸には人口23万人のロンゲール市があり、郊外のベッドタウンとなってモントリオール大都市圏を形成している。
行政区分
モントリオールは行政単位のモントリオール市と大都市圏単位(CMA)のモントリオール大都市圏、さらにモントリオール島の大まかに3つに分類される。モントリオール市とはモントリオール島の大部分を占める自治体で2011年の人口は1,649,519人[3]で19の行政区で構成される。2002年にモントリオール島の全ての自治体が合併しモントリオール島全体で単一のモントリオール市となったが、2006年には英語圏を中心とした一部自治体が再離脱した。ウエストマウント、ハムステッド、コート・サン・リュックなどは別の自治体であり、これらに加えウエストアイランド地区を含んだものをモントリオール島、さらに、モントリオール島以外のラヴァル市やロンゲール市、などの郊外を含んだ地域をモントリオール大都市圏とされ、2011年の人口は3,824,221人[4]。
気候
ケッペンの気候区分によれば、亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属し、寒暖の差が大きい大陸性気候である。夏季は気温が30℃に達することも多く、湿度も比較的高くて蒸し暑くなる。一方、冬季の気候は厳しく、1981~2010年平年値によると1月の月平均気温は-9.7℃で、最高気温の平均が-5.3℃、最低気温の平均が-14.0℃である。北極からの寒気団に覆われると、日中でも最高気温が-20℃以下となり、晴れた無風の朝には放射冷却現象のために-30℃前後の猛烈な冷え込みとなる。年間降雪量は209.5cmであり、北米の都市としては、ケベック(303.4㎝)、オタワ(223.5㎝)やアメリカ合衆国のシラキューズ(325㎝)などのオンタリオ湖南岸の都市と並ぶ降雪量の多さであるが、日本の豪雪都市と比べるとそれほど多くない。 テンプレート:Weather box
テンプレート:Weather box テンプレート:Weather box
人口動勢
2006年の人口調査によるとモントリオール都市圏の人口は363万5,571人。2010年の都市的地域の人口では340万人であり、世界第95位、国内第2位である[5] モントリオール大都市圏の人種別構成は2006年調査時点では下記の通り。( )内はモントリオール市での数値である。
白人はフランス系が大多数を占める。しかし、モントリオールは世界各国からの移民を受け入れてきた歴史がある。このため、イングランド系、スコットランド系、アイルランド系に加えて、イタリア系の白人も多く見られる。またその他の地域からの移民も見られ、市内にはイタリア人街の他にも、中華街、ベトナム人街、ギリシャ人街、ポルトガル人街、アラブ人街、ユダヤ人街、などが形成されている。このうちモントリオールに住むユダヤ系人口は約9万人ほどで、敬虔なユダヤ教徒が多くイディッシュ語も話されている。モントリオール式ベーグルやテンプレート:仮リンクなどのユダヤ文化が根付いている。また、モントリオールのベルベル人コミュニティは5万人で北米最大規模である。ハイチ系移民も約10万人を数え、マイアミ、ニューヨークと並ぶ北米屈指の規模である。先住民も7万人ほど暮らしている。
近年の移民は、フランス、モロッコ、アルジェリア、レバノン、ハイチ、カメルーンなどのフランス語圏や旧フランス植民地からの移民が多いのが特徴である点で他の北米の都市とは大きく異なり、特にアラブ諸国やイスラム圏からの移民が急増している。その他、中国、コロンビア、ルーマニア、フィリピン、モルドバからの移民が多くなっている。トロントやバンクーバーに比べるとアジア系は少ないが、第二次大戦後にカナダ西部から移住してきた日系人も5,000人ほどと小規模ながらコミュニティが存在し、日系文化会館[6]も設置されている。
民族 | 人口 |
---|---|
カナダ人 | 1,670,655 |
フランス人 | 936,990 |
英国人 | 291,935 |
イタリア人 | 260,345 |
アイルランド人 | 216,410 |
アラブ人 | 181,065 |
ユダヤ人 | 92,970[8] |
ハイチ人 | 85,785 |
中国人 | 82,665 |
ドイツ人 | 78,315 |
北アメリカインディアン | 74,565 |
ケベック人 | 72,445 |
ギリシャ人 | 61,770 |
スペイン人 | 56,770 |
ポーランド人 | 51,920 |
ポルトガル人 | 46,535 |
インド人 | 39,305 |
ルーマニア人 | 36,275 |
ロシア人 | 35,800 |
ベトナム人 | 30,505 |
言語
2006年国勢調査によると、モントリオール大都市圏のうち66.5%がフランス語を、13.2%が英語を、 0.8%がフランス語と英語の両方を、22.5%がその他の言語を第一言語としている。その他の言語の内訳はイタリア語3.5%、アラビア語3.1%、スペイン語2.6%が多くなっている。一般に、フランス語と英語のバイリンガル都市と言われるが、実際はフランス語が主体であり、英語を母語とする人は郊外を含めたモントリオール大都市圏人口の内1割強に過ぎず少数派である[9]。このように、大半の住民にとって英語はあくまで外国語(第二言語)として広く話されているため、英仏両言語が同程度に使われているというイメージでのバイリンガル都市とは実態はかけ離れている。またフランス語、英語の上に、移民の言語を加えてトライリンガルも一般的である。モントリオール大都市圏の家庭で最も使用される言語は、2011年の国勢調査によると70.4%がフランス語、14.0%が英語、その他の言語は16.6%となっており、英語は年々減少傾向にあり、英仏以外の言語の使用が増えている。
モントリオールのフランス語は多種多様なフランス語が使われている。フランスの標準語に近いものから方言色の強いもの、英語話者が話すフランス語、移民が話すフランス語までさまざまであるが、一般には、標準語とはかなり発音の違うケベック方言が話されている。一方、英語は語彙や表現などにフランス語の影響を受けたものがあるものの、英語ネイティブの間ではごく標準的なカナダ英語が話されている他、フランス語話者が話すフランス語訛りの英語もよく聞かれる。
モントリオールに住む日系人には、日本からの直接の移住者は少なく、戦後、強制収容所のあったカナダ西部から移住してきた日系カナダ人の子孫がほとんどであるため、彼らの言語は一般に英語が主流である。また、市内に多く住むユダヤ人は英語やイディッシュ語が主流、モントリオール南部に住む先住民のモホーク族は英語とテンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンクが主流である。
フランス語圏と英語圏
テンプレート:仮リンク内は中心部(ダウンタウン)を境に東部と西部によって言語が分かれている。中心部(ダウンタウン)ではフランス語が主体であるものの、英語も幅広く多く使われている。しかし、東部へ行くほど完全なフランス語圏になり英語が通じにくくなる。一方、西部はフランス語よりも英語が主体に使われており、住民の半数以上は英語を母語とするためほぼ英語圏であり、ウエストアイランドと呼ばれる地域にはイギリス系、アイルランド系住民が多く住む緑豊かで閑静な住宅街が広がる。そして、セントローレンス川を渡ってモントリオール島を出ると、一部を除いてほぼフランス語圏となっている。
なお、ケベック州の公用語はフランス語のみであるため、原則的にすべての地域でフランス語表記が義務付けられている。地下鉄のアナウンスなどもフランス語でしか行われない。案内板などでも英語は併記されていないことが多く、道路標識もすべてフランス語のみである。英語のみが店舗名や広告看板などで使われることも禁止されているので、英語を目にする機会は話されている割合に比べると少なくなっている。しかし、行政区分上でモントリオール市に属さない英語圏の地区(ウエストマウント市など西部の市)では、道路標識に英語併記がされている場合が多くなる。中心街においても、世界中から留学生やビジネスパーソンの集まるマギル大学やコンコルディア大学のある周辺以西の地域ではフランス語よりも英語を聞く機会が多くなる。一方、テンプレート:仮リンク周辺のテンプレート:仮リンクやテンプレート:仮リンクでは英語を聞く機会はかなり少なくなる。また、通りの名前などもフランス語圏と英語圏の呼び名があり、目抜き通りのサント・カトリーヌ通り(Sainte-Catherine)はフランス語圏の読み方で、英語圏ではセント・キャサリン通りとなる。
静かなる革命によるフランス語憲章が制定される前の1960年代までは、モントリオールの中心部では英語が主体であり、経営者や管理職(イギリス系)の言語は英語で企業内での使用は英語に限定されており、フランス語は労働者(フランス系)の言語であった。現在、法律による規制から街中に英語のみによる看板はほとんど見られないものの、特に旧市街のビルの古い広告看板などは大きく英語のみで書かれていたり、消された跡が残っていることから、古い建物にはその時代の名残が見受けられる。
実際に英語、フランス語ともネイティブ並みに話せる市民は少なくテンプレート:要出典、たいていは英語圏とフランス語圏の両親に生まれたものに限られる。学校教育においても、フランス語と英語の学校に分かれているが、英語圏出身者やその移民(厳密には英語が母国語であるか、英語で初等・中等教育を受けたものに限るなどの詳細な規定がある)は英語で教育される学校に入ることができるが、フランス語圏出身者や非英語圏出身の移民はフランス語で教育を受けることが義務付けられている。例外的に短期滞在者のみ、非英語圏出身者であっても英語で教育を受けることが可能であるが、その場合もたいていの学校でイマージョン教育が行われているので、フランス語で授業を受ける時間が多くなっている。なお、大学などにはこの規定は適用されないため、英語系であるマギル大学などは全体の2割近くがフランス語を母国語とする学生である。
このような政策の結果、現在でも英語系住民は州外へ流出する傾向が強くなっている。また、フランス語ではなく英語を主に使用する移民、特に中国人などの東洋系やインド人などの南アジア系移民は、より同胞コミュニティ規模の大きいトロントなど他州へ再移住する人も少なくない[10]。これは、ケベック州が移民審査基準が他州に比べると緩いからと言われている。
メディア
テレビ局
フランス語放送
- SRC(CBC)公共放送
- テンプレート:仮リンク民間放送 - ケベック州のみ
- テンプレート:仮リンク民間放送 - ケベック州のみ
英語放送
- テンプレート:仮リンク公共放送(CBC系)
- テンプレート:仮リンク民間放送(CTV系)広島ホームテレビ(テレビ朝日系)と姉妹局提携(1990年4月)
新聞社
フランス語紙
- テンプレート:仮リンク発行部数:31万部:北米最大のフランス語新聞
- テンプレート:仮リンク発行部数:28万部
英語紙
- テンプレート:仮リンク発行部数:16万部
日本語フリーペーパー
新都市計画
近年、モントリオールでは、新時代の芸術と文化を取り入れた都市の開発が始まった。古い石切り場であるゴミ埋立地などを改良し、巨大なサーカス用のドーム(TOHU)を作るなど力を注いでいる。計画の中でも、テーマは「新時代」。ニューヨークのセントラルパークは19世紀をイメージした公園だが、モントリオールの新公園は21世紀をイメージする予定である。なおモントリオールはシルク・ドゥ・ソレイユの発祥の地であり、その国際本部があることでも有名。例えば、街の中にあるいくつものパブで音楽と同時に大道芸を行うなど、街の店でも新都市計画にあわせた動きが見られる。
観光
ケベック付近のセントローレンス川沿いにカエデ並木が存在し、ここは「メープル街道(カエデ街道)」として、秋にカエデの紅葉を楽しむことができる観光ルートとなっている。また、北米大陸の中でもフランス語圏という特殊な背景を持ち、先述のようにモントリオールは「北米のパリ」と観光客に宣伝しており、石造りの町並みなど独特の雰囲気を持つことも観光のポイントとなっている。また郊外に目を向けると、北にはテンプレート:仮リンクがあり、夏はキャンプ、冬はスキーなどのアウトドアレジャーの宝庫となっている。 主な観光地は下記の通り。
- 旧市街(Vieux-Montréal):フランス風の町並み、名所旧跡が多い
- モントリオール・ノートルダム聖堂:北米で最大のカトリック聖堂
- サント・カトリーヌ通り(rue Ste-Catherine):繁華街ショッピング・ストリート
- サン・ジョゼフ礼拝堂 ケベック州最大規模のカトリック教会。山の中腹を削って建てられている。
- 世界の女王マリア大聖堂 - ケベック州3番目の大きさのカトリックの教会。ローマ聖ペテロ大聖堂を模してある。
- オリンピック・スタジアム:1976年モントリオールオリンピックのために建設されたが、ストライキのため開催時未完成で使用された。
- テンプレート:仮リンク:ロワイヤル山上。
- テンプレート:仮リンク:高級ショッピング・ストリート
- モントリオール美術館
- 安全航海ノートルダム教会:(Notre-Dame de Bonsecours):入植時代に安全航海祈願のため建立。
- ラ・ロンド:1967年モントリオール万国博覧会記念遊園地。隣接のジャンドラポ公園は国際催物会場やモントリオール・カジノがある。
スポーツ
スポーツチーム
モントリオールを本拠地とするプロスポーツチームは以下の通りである。
- アイスホッケー(NHL)
- モントリオール・カナディアンズ(Montreal Canadiens / Les Canadiens de Montréal)・・・本拠地はベル・センター
- カナディアンフットボール(CFL)
- モントリオール・アルエッツ(Montreal Alouettes / Les Alouettes de Montréal)・・・本拠地はパーシバル・モルソン・記念スタジアム(レギュラーシーズン)とオリンピック・スタジアム(プレイオフ)
- サッカー(MLS)
- モントリオール・インパクト(Montreal Impact / Impact de Montréal)・・・本拠地はスタッド・サプト
スポーツイベント
- 夏季オリンピック
- 1976年オリンピック大会を開催。
- F1世界選手権 (フォーミュラ1)
- カナダグランプリが1967年以降ほぼ毎年開催されている。(2009年は開催されず)会場はジル・ヴィルヌーヴ・サーキット。
- インディカー・シリーズ
- モルソン・インディ・モントリオールと呼ばれるインディカー・イベントをSanair Super Speedwayにて1984年から1986年まで、そしてジル・ヴィルヌーヴ・サーキットにて2002年から2006年まで開催していた。
- プロテニス
- その他のスポーツイベント
交通
港湾
空港
- モントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港(仏:Montréal - Aéroport International Pierre-Elliott-Trudeau、英:Montreal – Pierre Elliott Trudeau International Airport)
- 過去「ドーヴァル空港」と呼ばれていた空港を2004年より国際線・国内線共通主要空港として改装し、第20代および第22代のカナダ首相を務めた地元出身の政治家ピエール・エリオット・トルドーの名を冠した名称に変更した。 空港コードはYUL。空港から中心地までは空港連絡バス(747番)や市バスが連絡している。最寄りの鉄道駅(Dorval駅)もあるが、本数は極めて少なく駅までかなりの距離がある。そのため、空港と中心街を結ぶ鉄道路線が計画されており、すでに、鉄道駅施設はターミナル内に完成している。
- 空港からドーヴァル駅までは30分に一本の市バス(204番)がある。空港からダウンタウンへはドーヴァル駅近くのターミナルで市バス211番に乗り、終点で下車、終点近くにあるグリーン・ラインとオレンジラインのリオネル・グルー駅(Lionel-Groulx)を利用する。空港からダウンタウンの主要ホテル経由Berri-U-QAMバスターミナルへのリムジンバスは30分間隔で運行されている。
- モントリオール・ミラベル国際空港(仏:Aéroport International Montréal-Mirabel、英:Montreal – Mirabel International Airport)
なお、モントリオールには国際航空運送協会 (IATA) と国際民間航空機関 (ICAO) の本部機能がおかれている。
高速バス
- トロント、オタワ方面 コーチ・カナダ (Coach Canada)
- ケベック・シティー オルレアン・エクスプレス (Orléans Express)
- ボストン、ニューヨーク グレイハウンド (Greyhound)
- 空港への連絡は、747 Express busが、高速バスターミナルからモントリオール市街地を経由するルートで結んでいる。
市バス
STM公社が、モントリオール市内を運行している。 バスルートマップ“Plan de réseau”は地下鉄各駅にあるカウンターで無料でもらえる。
地下鉄
モントリオール地下鉄がある。札幌市交通局の地下鉄と同様に全ての路線はゴムタイヤ式である。車両は全てアルストーム製MP59の亜種であるMR63とインバーター車のMR73(外観は同一)。路線バス同様にSTM公社が運行している。
- グリーン(Angrignon ↔ Honoré-Beaugrand)1号線。市中心部北側を走る。
- オレンジ(Côte-Vertu ↔ Montmorency)2号線。市中心部南側を走る。
- イエロー(Berri-UQAM ↔ Longueuil–Université-de-Sherbrooke)4号線。セントローレンス島へ延びる。モントリオール万国博覧会のために作られた路線。
- ブルー(Snowdon ↔ Saint-Michel)5号線。モンロワイヤル北側を走る路線。
鉄道
- VIA鉄道・・・モントリオール中央駅(Gare centrale de Montréal)からトロント、オタワ、ケベック・シティー、ハリファックス、ガスペ、サグネ方面へ路線が延びている。アムトラックもここからニューヨークへ向けて出発している。なお、VIA鉄道の本社は、モントリオールに置かれている。
- コミュータートレイン・・・モントリオール大都市圏交通局(AMT=Agence métropolitaine de transport)によってモントリオール中央駅とルシアン・ラリエール駅(Lucien L'Allier)から出ている通勤路線。
教育
大学
モントリオール市内には4つの総合大学が存在する他に、幾つもの教育機関が存在している。
- モントリオール大学(Université de Montréal):仏語大学
- モントリオール理工科大学(École Polytechnique de Montréal):仏語大学
- モントリオール商科大学(École des Hautes Études Commerciales de Montréal):仏語大学
- ケベック大学モントリオール校(Université du Québec à Montréal, UQÀM):仏語大学
- マギル大学(McGill University):英語大学
- コンコルディア大学(Concordia University):英語大学
カレッジ・CEGEP
- 英語CEGEP
- ドーソン・カレッジ (Dawson College)
- ジョン・アボット・カレッジ(John Abbott College)
- シャンプラン・リージョナル・カレッジ(Champlain Regional College)
- バーニエー・カレッジ(Vanier College)
- マリアノポリス・カレッジ(Marianopolis College)私学
- 仏語CEGEP
- fr:Collège Ahuntsic
- fr:Collège André-Grasset
- fr:Cégep André-Laurendeau
- fr:Collège de Bois-de-Boulogne
- fr:Collège Édouard-Montpetit
- fr:Collège Gérald-Godin
- fr:Collège Jean-de-Brébeuf
- fr:Collège de Maisonneuve
- fr:Collège Montmorency
- fr:Cégep Marie-Victorin
- fr:Cégep de Rosemont
- fr:Cégep de Saint-Laurent
- fr:Cégep du Vieux Montréal
姉妹都市
- テンプレート:Flagicon 上海市 (中国)- 1985年
- テンプレート:Flagicon 広島市 (日本・広島県)- 1998年
- テンプレート:Flagicon ニューヨーク市 (アメリカ・ニューヨーク州)
- テンプレート:Flagicon ハリスバーグ市 (アメリカ・ペンシルベニア州)
- テンプレート:Flagicon ホノルル市 (アメリカ・ハワイ州)
- テンプレート:Flagicon ロサンゼルス市 (アメリカ・カリフォルニア州)
- テンプレート:Flagicon ロンドン市 (イングランド)
- テンプレート:Flagicon アムステルダム市 (オランダ)
- テンプレート:Flagicon アテネ市 (ギリシャの首都)
- テンプレート:Flagicon パリ市 (フランスの首都)
- テンプレート:Flagicon トゥールーズ市 (フランス)
- テンプレート:Flagicon 釜山市 (韓国)- 2000年
- テンプレート:Flagicon ブリュッセル (ベルギーの首都)
関連項目
- シルク・ドゥ・ソレイユ
- モントリオール交響楽団
- ブエノスアイレス:「南米のパリ」と呼ばれている。
- ベイルート:「中東のパリ」と呼ばれている。
- プノンペン:「東洋のパリ」と呼ばれている。
- 1000 ドゥ・ラ・ゴシュティエール
脚注
外部リンク
- 公式
- 日本政府
- 観光
テンプレート:夏季オリンピック開催都市 テンプレート:ケベック州の地方行政区
- ↑ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
- ↑ http://www.anzen.mofa.go.jp/manual/montreal.html
- ↑ Census Profile 2011,Statistics Canada
- ↑ Census Profile 2011,Statistics Canada
- ↑ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
- ↑ モントリオール日系文化会館
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ http://www.federationcja.org/index.php/jewish_montreal/demographics/?langID=1
- ↑ もっとも、モントリオール市内に限れば英語使用者の割合は2割近くに達する。
- ↑ Présence en 2012 des immigrants admis au Québec de 2001 à 2010