日系人
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox 民族 日系人(にっけいじん)とは、日本以外の国に移住し当該国の国籍または永住権を取得した日本人、およびその子孫のこと。現在約260万人存在すると推定されている[1]。いわゆるハーフなどの混血の人も含む。日系人のうち日本に居住する者を「在日日系人」、日本以外に居住する者を「海外日系人」と呼びわけることもある。在日日系人は約35万人存在する。ただし混血が多いため、「日系人」は、その他に「スペイン人」「オランダ人」他多数、さまざまな人種名を併行して使い分けている場合が多い。
目次
歴史
中世・近世
- 1586年、アルゼンチンで日本人が奴隷として売られた[2]。
- 1613年よりも前のメキシコやペルーのリマの住民調査に日本人の記録があった[3]。
- 1613年に日本を出帆した慶長遣欧使節の中には、メキシコやスペインに残留した日本人があった[4]。
- 日本人町
- 朱印船貿易で日本人が移住した東南アジア諸港に日本人町が形成された。その最大のものはタイのアユタヤ日本人町で、他にもベトナムのホイアン(世界遺産)、マレー半島のパタニ王国、カンボジアのプノンペン、フィリピンのマニラにも同様の小規模な日本人町があった。これらの日本人町は、江戸幕府の鎖国政策により日本との往来が途絶えたため、現地に残留した。また朝鮮半島では中世に三浦倭館と称する日本人居留地があり、近世には釜山の草梁倭館となった。
近代・戦前
近代日本人の海外移民は、第二次世界大戦以前は一時的な出稼ぎの要素が強く、「故郷に錦を飾る」ことを目標とする者が大半であった。そこで、この時期の移民にはおおむね国籍の離脱・変更といった行為が伴っていない。一時的な出稼ぎと移民を区別すべきという意見もあるが、おおむね海外移民の嚆矢とされるのは、ジョン万次郎などごく少数の漂流民を除けば、明治元年(1868年)にいわゆる「元年者」と呼ばれるハワイへの移民153名が、非合法(江戸幕府とイギリス人ブローカーの契約だったため、明治新政府から認められず、パスポート不所持のまま移民)ながら渡航したのが最初である[5]。その後政府公認として、1881年のハワイ国王カラカウアの来日を契機にした1885年のハワイ移民を皮切りに19世紀末以降本格化、第二次世界大戦後暫くの間迄日本政府も積極的に関わって行われた。移民先は主にアメリカ州で、1893年のグアテマラ移民をはじめとして、1897年に35名がメキシコへ渡った「榎本移民」をきっかけに組織的移住が始まり[6]、アメリカ合衆国(特にカリフォルニア州とハワイ州)とブラジル(特にサンパウロ州とパラナ州)が圧倒的に多い。1908年、日本政府と合衆国政府の間で紳士協定が結ばれ、日本からの移民制限、ハワイから米国本土への移民禁止措置が行われ、事実上既に移民した者の親族以外の渡航が不可能となり(親戚でなくとも、移民との結婚を前提に、いわゆる「写真花嫁」などとして渡航した女性はいた)、さらに1924年、排日移民法が施行され、いかなる形の新規移民も認められなくなって以降、第二次世界大戦前には、先述のブラジルのほか、ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイやチリへの移民も盛んに行われた。一時期はフィリピンへも移民が行われた。
第二次世界大戦前には、日本が領有していた南樺太、朝鮮半島、台湾、南洋諸島へ渡った者も多いが、これは日本領地内の移動と考える事もできる。法的には外国であった満州国への移住も、アメリカ州への移住と様相が違っていたともいえるだろう。これらの地域からは、日本が敗戦した1945年から数年間の「引き揚げ」によって合計300万人とも言われる日本人はほぼ一掃されたが、両親を失ったり、「引き揚げ」の途中で家族とはぐれたりして、孤児となった一部の日本人年少者が現地人の家庭に引き取られ、現地人として育てられた例もある(中国残留孤児も参照)。
だが、南洋諸島で居住していた日本人男性と現地人女性との間に生まれた子供は、そのまま米軍統治下に留まって米国籍を取る者が数多くいた。その後独立したパラオでは、クニオ・ナカムラなど日系人の政治家も多く、現在も日系人が大きな発言力を持っている。また数は少ないが、敗戦後にベトナムやインドネシアに留まり、これらの国籍を取得した残留日本兵もいる。
アメリカ州への移民は主に農業に従事する人が多かった。大規模農業プランテーションでの小作のほか、日本国と受け入れ先国との取り決めにより一定の土地を自由に開墾する権利を与えられたというケースがよく見られる。しかし多くの場合、その土地は現地の人が開墾に二の足を踏む様な劣悪な場所であり、また流通市場の確保等の面において様々な困難・差別を受ける事も多く、初期の移民は白人地主に搾取される事も多かったため、成功に至れずに潰えてしまった者、帰国した者も少なくない。
それらの悪環境の中にあっても、日本人の特質とも言えるきめの細やかな管理が重要となる養鶏や果実栽培等の分野を中心に徐々に成功する者も現れ、ブラジルでは大地主になる者も現れた。これらの成功者の功績等により、日系人は移民受け入れ国内でも一定の評価を得るに至り、"nikkei"と言う単語が認知される程になった所が多い。
戦後
第二次世界大戦直後には沖縄等の戦争の傷跡の深い地域から南米に移民する人が多かった。例えば、ボリビアには「オキナワ」と言う名前の日本人移住者が作った村がある。この移住事業にはGHQとアメリカ軍の意向が強く働いたと言われている。
戦後の南米の移住者達には、日本政府の比較的手厚い支援があった。JICA(国際協力事業団、現国際協力機構)の南米での事業の大きな柱の一つは日系人移住者の支援にある。JICAによる日系社会支援は資金援助よりも、多数の農業専門家を派遣したり、日系社会青年ボランティア制度を運用する等と言った、人的・技術的な支援が主になっている。
移住者数は第二次世界大戦終結から1950年代にかけて、ベビーブームによって人口爆発が起こった事などから飛躍的に増加したが、この時に「土地がなくなる」などと言った農村部に危機感をあおる報道がなされ、国策的に移民が行われた。周到な準備がなされずに移民送出が行われたため、「棄民」と呼称されることもある。しかし、日本が高度経済成長を遂げ、国民が豊かになった1960年代に移民希望者が減少し始め、外国に移住するメリットがなくなり、1980年代から1990年代にはごくわずかとなった。
近年
1970年代末以降の「移民」は主に、海外への憧れによって海外移住を求める者がするものとされ、アメリカ(ニューヨーク市やカリフォルニア州)やヨーロッパの大都市(ロンドンやパリなど)を中心に以前と比べるとかなり小規模ながらも行われた。この時代になると、交通機関、メディア・通信技術の発達、またビザなどの渡航に関する手続きが簡素になったため(主要国へビザなし観光渡航などが出来るようになった)海外の情報が大量に流入し、それに憧れる者が増えたためである。1970〜1980年代などに行われた、日本からの留学生が帰国せずに居留国にて永住権を取得する、または国籍を変更する行為は、通貨の価値バランスにも影響されて(1990年代初頭に1ドル80-100円時代があった為)1980年代末〜1990年代初頭の留学ブームで多少助長された。
しかしながら、バブル崩壊後から2010年前後には留学ブームの加熱自体がほぼ終息し、留学生の数は最盛期に比べかなり減少したため、現在の主な移民理由は外国人との結婚、親族の国への移民、1980年代の日本企業が海外に進出した時、外国で生まれた子供が成人し、日本国籍を選択しない場合、長年外国に住む帰国子女が日本になじめず、居留国に同化、移民するなどが主な理由である。
現在、日系人社会は、19世紀末から20世紀初頭に移民した所では3世〜5世が、戦後移民した所でも2世・3世が中心世代となってきている。日本国外にいる日系人を中心に日本語が読み書きできない、話せない日系人も珍しくなくなっている。特に、アメリカ州では、太平洋戦争下で、日系人の強制収容や、激しい差別が行われたため、日系人が移民先の国民である事・敵性外国人ではない事を国内に示すため、1930-1940年代生まれの3世以降には、わざと日本語を教えなかった家庭が多くあった事も影響している。
国籍
日本国の国籍法は、1985年に改正されるまで父系血統主義をとっていた。すなわち、父親が日本国民であれば子も日本国籍を得られるが、母親のみが日本国民である場合、子は日本国籍を得られなかった。20世紀前半に日本から移民した1世の下で生まれ、現地で結婚した日系2世の女性から生まれた子供(3世)は、日本国籍を得ていない。またこの事情により日本国籍を得られなかった3世男子の子供(4世)も日本国籍を得られない。日本国の国籍法が父母両系血統主義に改正されてから30年近くが経過し、このような事情が存在していることを想像することは難しくなっているが、留意すべき点である。
日系人はしばしば複数の国籍を持っている。1985年以降、日本は国籍に関して主に「血統主義」(親のいずれかが日本国民ならば日本国籍を取得できる)であるのに対し、日本人が多く移住した北米·南米の多くの国は主に「出生地主義(生地主義)」(生まれた国の国籍を取得できる)を採っているためである。近年の改正により、出生地主義国も血統主義的な要素を、血統主義国も出生地主義的要素を統合する傾向がある。例えばカナダ人夫婦の子供は、カナダ国外で生まれてもカナダ国籍が与えられる。
生地主義の国で1985年以降に生まれた者は、両親のどちらかが日本国籍を保持している限り日本と出生国両方の国籍を持つ事ができる。また生地主義の国ではなくとも、日本人と血統主義の国の人間との国際結婚であれば、生まれた子供が二重国籍を持つ可能がある(イランなど父親のみの血統主義しか認めない国もある)。またそのような国際結婚家庭の子供が生地主義の国で生まれた場合(例えばペルー人と日本人の子供がアメリカ合衆国で生まれた場合)、子供は三重国籍となる。
ただし、中華人民共和国など一部の国では血統主義の規定が厳密である。例えば、出生した日本人と中華人民共和国籍保持者の子は、出生と共に中国籍を保有するか、日本籍を選択する事を強いられるため、多重籍はほぼありえない。日本人と中国人の親を持つ子供が両国に出生届を出して、両方の国籍を得ようとしても、日本の国籍を選択する意向がないか厳しく調査される。後に、中国側に外国籍を持っている事が後に発覚した場合、中国籍を剥奪されるため、中国人と日本人夫婦の子孫は日系人にはなりえたとしても、日本国籍と中国籍を持つ多重国籍になる事はほぼあり得ない。
逆に海外で生まれた子供の出生届を日本の大使館・総領事館に提出しなかったり、出生届に国籍留保の記入をしなかった場合は、両親とも日本人であっても子供に日本国籍は与えられない(ただし、養子でなく日本国民であった者の子の場合、日本に引き続き3年以上住所または居所が有れば、帰化手続きを取って日本国籍を取得することができる)。
日本の国籍法は、経過措置等を除き、多重国籍を防止するよう1984年に改正、1985年に施行されたため、基本的には22歳になるまでに国籍を選択しなければならないとされている。しかし、日本国籍の選択の宣言をしても、他の国が多重国籍を権利として認めていたり、問題としていない場合にはその国籍は失われないため、多重国籍の状態でいられる事になる。日本の国籍法は日本の国籍の選択の宣言をした場合、他国の国籍の離脱に努めることとなっているが、それには強制力は無く、また実際の運用上それを強力に要求した事例は知られていない。日本の国籍法は、多重国籍を認めている他国において日本国民の権利を行使する事や他国民の権利を行使する事を禁じてはいない。
1985年に日本では国籍法の大幅な改正が施行され、1984年12月31日までに海外で出生するなどして多重国籍になっていた者は、改正施行日の1985年1月1日の時点で20歳以上の場合(著名人の例ではアルベルト・フジモリ)はその日から2年以内に、20歳未満の場合(著名人の例では宇多田ヒカル)は22歳になるまでの間に、国籍の選択をする義務が定められた。同期限内に日本国籍選択の宣言をしなかった場合は、日本国籍を選択し他国籍を放棄する旨の宣言をしたものとみなされ日本国籍の保持が確定するが、必ず多国籍を喪失するわけではない。他国籍ついてはあくまで「日本の国内法に基づき」「外国籍を放棄する」ことを「日本政府に対してのみ宣言」したと「日本政府が一方的にみなす」に過ぎず、当該「他国政府」に対して国籍を変動させるような拘束力を持たないからである。また、法改正前からの既得権者に対する経過措置として、みなし宣言者に対しては国籍法第15条の「国籍選択の催告」及び第16条の「他国籍の離脱の努力規定・外国公務員となった場合の日本国籍喪失規定」は適用されないこととなっている(既得権対象者であっても自主的に日本国籍を選択した人は第16条の対象にはなる)。このため、「日本政府からは『日本国籍を選択し外国籍を放棄することを宣言した』とみなされているものの、法的には日本国籍も外国籍も引き続き合法的に保有している」重国籍者が多数存在する。
一方、この改正以降に出生するなどして本人の志望によらずに日本と他国との重国籍となった者は、22歳になるまでの間に国籍の選択をしなければならないのは改正前からの重国籍者と同じである。ただし
- その期限までに選択しなかった場合に「日本国籍選択宣言したものとみなす」ようなどちらかに自動決着させる規定はなく、そのまま「未選択状態」が続く
- 選択をしなかった場合は国籍法第15条の「催告」規定の適用を受け日本国籍を失う可能性がある。
- 日本国籍の選択を宣言した場合は他国籍の離脱に努めることが求められる(あくまで努力規定)
など、改正前からの重国籍者とは異なり、規制が厳しくなっている(ただし、過去実際に第15条と第16条の手続が行われた例はない)。
なお、元々の制度として重国籍者を網羅的に正確に把握・登録するシステムが日本にはない(重国籍を自ら表明している著名人や自ら重国籍者であることを法務局等に届け出ている人のような個別ケースを除く)ため、このような「みなし宣言者」、「未選択者」、「日本選択宣言者」である日本人の中には日本の旅券と外国の旅券の両方、あるいは外国の旅券のみを持って日本での出入国手続に及ぶ者が存在する。このような場合、出入国管理及び難民認定法(入管法)第2条第2号の規定の建前から言えば重国籍者は「当然に日本の旅券で日本人扱いで出国・帰国手続をする」ことが求められることになるが、実際には前述のように政府がそもそも誰が重国籍者かを把握仕切れていないため、(重国籍者とは気づかれぬまま)外国旅券でそのまま外国人として手続ができてしまうケースもある。現実的な出入国手続の現場の対応としては、戸籍謄本その他の資料で確認の上、外国旅券に日本人用の出国・帰国証印(スタンプ)を押して「重国籍者」と漢字で付記し日本人の出国・帰国の記録として取り扱うこととなっている[1][2]が、特に日本からの出国で外国旅券のみの場合は日本国籍の確認に手間取り出発便に乗り遅れるなどの不便をこうむる可能性もある。[3]
日本の国籍法の多重国籍に関するさらに詳しい内容は国籍法 (日本)#多重国籍者の国籍選択制度を参照のこと。
在留資格と労働範囲について
日本には35万人の日系人が居住しているが、基本的にビザの問題は存在しない。1990年の入管法改正で日系2世や3世又はその配偶者は、就労活動には制限のない在留資格(日本人配偶者等もしくは定住者)が与えられており唯一「公認」された「合法的な非熟練外国人労働者」である。日本政府は、政策上、製造業や建設業、サービス分野での単純労働の外国人は受け入れないという方針を定めているが、(不法滞在者以外は)日系人が唯一間接的に合法化されたその種の労働力である。
日系人数
日本国籍を保持している場合、永住者として外務省が調査する在外日本人の海外在留邦人統計に出てくるが、2世、3世となると、国籍は離脱し、また、混血も多く正確な日系人数の把握は難しい。南洋諸島のパラオやミクロネシア連邦、マーシャル諸島では全人口の2割程度が日系人とされることもある。また、長らくペルー日系人口は8万人といわれてきたが、この調査は数十年前に行なわれたものであり、しかも当時、ペルー国外に住む日系ペルー人は調査対象とはならなかったうえ、日本人との混血をあまりカウントしなかった。これらの事実と、その後の自然増を勘案すれば、現在の日系人口は数十万に達している可能性がある。テンプレート:要出典範囲もあるが、いずれも実数調査がなされていない。
ブラジル | 1,400,000人
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アメリカ合衆国 | 1,000,000人
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ペルー | 80,000人
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カナダ | 68,000人
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アルゼンチン | 32,000人
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オーストラリア | 20,000人
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メキシコ | 17,000人
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パラグアイ | 7,700人
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ボリビア | 6,700人
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チリ | 1,600人
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コロンビア | 900人
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ドミニカ共和国 | 800人
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キューバ | 800人
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ベネズエラ | 800人
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ウルグアイ | 500人
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エクアドル | 300人
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海外日系人協会資料より抜粋。平成16年。概数。
著名な人物
(名字の50音順)
あ行
- 相沢進 - 元プロ野球選手、ミクロネシア連邦・チューク州首長会議議長
- デヴォン青木 - 女優、モデル、父は日本人実業家のロッキー青木、母はイギリスとドイツのハーフモデル
- アステリオ・タケシ - ミクロネシア連邦外務大臣
- ケビン・アサノ - ソウルオリンピック柔道軽量級銀メダリスト
- 安孫子久太郎 - 初期の日系移民のリーダー
- 阿部力 - 日本の俳優。中国系日本人。
- ジョージ・アリヨシ - 元ハワイ州知事
- 池澤春菜 - 声優・ナレーター、父は日本人翻訳家、母はギリシャ系日本人で郷土料理研究家。ギリシャ生まれ。
- 石川康 - 元プロサッカー選手、現ビーチサッカークラブ監督。
- トラビス・イシカワ - メジャーリーガー、日本人の父と、アメリカ人(白人系)の母を持つ。
- カズオ・イシグロ - イギリスの作家。ブッカー賞受賞
- 石坂団十郎 - ドイツのチェリスト。父が日本人。
- ステファン・イシザキ - プロサッカー選手、スウェーデン代表。父が日本人。
- 葉山エレーヌ - 日本テレビのアナウンサー。一時期、石田エレーヌを名乗っていた時期あり。母がフランス人。フランス生まれ。
- 和泉新 - プロサッカー選手、インド代表。母が日本人。
- 伊藤由奈 - 歌手。父が日本人、母は韓国系アメリカ人
- ダニエル・イノウエ - アメリカ上院議員
- ジェームス・イハ - ミュージシャン、元スマッシング・パンプキンズのギタリスト、DJ、ファッションデザイナー
- アヤカ・ウィルソン - 元子役の女性タレント。日系カナダ人。
- 上田藤夫 - 元プロ野球選手
- 上田良夫 - 元プロ野球選手
- 植野行雄 - お笑いコンビ・デニス。ブラジル系日本人。大阪(吹田市)出身。
- 上原エドウィン - 元プロサッカー選手
- レイコ・エイルスワース - アメリカの女優、24 -TWENTY FOUR-に出演
- セルジオ越後 - サッカー解説者、プロサッカー選手
- 衛藤バタラ - 日系インドネシア人の実業家。
- 王貞治 - 元プロ野球選手、元監督(現ソフトバンク球団社長)。母が日本人。
- 王理恵 - マルチタレント・料理研究家(雑穀系)・野菜ソムリエ。父は中国(中華民国)系の王貞治。
- 大城ジョエル・ディック - 日系カナダ人のプロアイスホッケー選手。
- 大城バネサ -NHK「のど自慢」アルゼンチン大会代表で海外勢初のグランドチャンピオンに輝いた演歌歌手。
- ハーブ・オオタ - ハワイのウクレレ奏者
- アポロ・アントン・オーノ - アメリカのスピードスケート選手(ショートトラック)。父が日本人
- 荻野アンナ - 混血系アメリカ人を父に持つ日系人。フランス文学者。母は同じく文学者の江見絹子。
- ソフィー・オダ - アメリカの女優。ディズニーチャンネル「the Suite Life on Deck」に出演
- ロナルド大森 - 元プロ野球選手
- エリソン・オニヅカ - 宇宙飛行士
か行
- 甲斐友治 - 元プロ野球選手
- ガエル・カクタ - フランス出身のサッカー選手。プレミアリーグチェルシーFC所属。日本人の祖父を持つ日系3世。
- ミチオ・カク - 理論物理学者、作家。アメリカ出身(3世)。専門は素粒子論、超弦理論。
- 柏枝文治 - 元プロ野球選手
- 片山文男 - 元プロ野球選手
- 加藤シルビア - TBSのアナウンサー。ポーランド系日本人。
- 金城武 - 俳優。台北出身で父が日本人。
- アマタ・カブア - マーシャル諸島共和国初代大統領
- イマタ・カブア - マーシャル諸島共和国第2代大統領・クェゼリン環礁大酋長。
- ティーブ・釜萢 - ジャズミュージシャン。元「ザ・スパイダース」かまやつひろしの父。
- 神谷雅巳 - 元プロ野球選手
- 亀田忠 - 元プロ野球選手
- 亀田敏夫 - 元プロ野球選手
- ポール・カリヤ - カナダのホッケー選手。父が日系2世。母はスコットランド系カナダ人。
- カルメン・マキ - 歌手・ロックシンガー。諸事情により現本名は非公開としている。父はユダヤ系アイルランド人、母は日本人。
- カルロス・トシキ - 元歌手。かつて「カルロス・トシキ&オメガトライブ」のグループ名で活動。代表曲は「君は1000%」。
- 川口悠子 - ロシアのフィギュアスケート選手。
- クーデンホーフ光子 - オーストリア・ハンガリー帝国の貴族、ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーの妻。リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの母。
- Sophia(ソフィア・グリーンウッド) - 女性モデル。後述のJOYの実姉。近年、タレント活動も順次開始している。ちなみにSophia・JOY姉弟の実家は群馬の英会話教室。
- 栗原類(くりはら るい) - 日本の男性モデル。日系イギリス人で、母は翻訳家(主に英訳担当)・栗原泉(くりはら・いずみ)。
- 桑原ライアン春男 - 日本のプロホッケー選手。母が日本とカナダのハーフ。
- KENTA - 俳優・タレント。後述のダルビッシュ有の末弟で本名(元芸名)・ダルビッシュ賢太。
- リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー - オーストリアの政治家。汎ヨーロッパ主義を提唱し、EUの父と呼ばれている。母が日本人。
- 北村正司 - 元プロ野球選手
- 倉場富三郎 - 実業家、水産学者。同じく実業家であるトーマス・グラバーの息子。
- クリスティーナ・レイコ・クーパー - アメリカのチェリスト。俳人高浜虚子の曾孫。作曲家池内友次郎の孫。ヴァイオリニスト池内睦子の娘。
- ブライアン・クレイ - 陸上選手。十種競技アテネオリンピック銀メダリスト。
- 黒木メイサ - モデル・歌手。沖縄日系人でも珍しくアメリカ系ブラジル人(母)とのハーフ。
- ディーン・ケイン - 父親が日系人。
- 幸田シャーミン - ジャーナリスト。国連関連の団体職員(国連広報センター東京支局長)、東京農業大学客員教授を歴任。現在、公式では本名・幸田シャーミン光代(こうだ しゃーみん ひろよ)として活動。
- 小島勝治 - 元プロ野球選手
- ケイン・コスギ - アクション俳優、父はショー・コスギ。弟・シェインもアクション俳優として活動。
- マリア・コダマ - アルゼンチンの作家ボルヘスの夫人。ボルヘス財団代表。
- シェーン・コミネ - オークランド・アスレチックスに所属する野球選手。投手。
- 小山ちれ - 中国系日本人の卓球選手。
さ行
- 櫻井嘉実 - 元プロ野球選手
- エリック・サトウ - バレーボール元アメリカ代表。ジャンピングサーブの名手。現在は日本でバレーボール男子の代表監督として活躍。
- 佐藤二朗 - 元プロ野球選手
- レン・サカタ - 元メジャーリーガー。
- ジェロ - アメリカの演歌歌手。祖母が日本人。
- マイク・シノダ - ミュージシャン、父は日本人の血を、母はネイティブアメリカンの血を引くアメリカ人。日系3世。
- ジェイク・シマブクロ - ハワイのウクレレ奏者。父は沖縄系(島袋氏)のハワイ人。
- JOY - 日本で活躍する日系イギリス人の男性モデル。本名はジョゼフ・グリーンウッド。
- ペドロ・シモセ - ボリビアの詩人、作家。
- 蒋緯国 - 元中華民国国民革命軍、ドイツ国の軍人。父は元国民政府の政治家、戴季陶。母が日本人。
- 城田優 - 日本で活躍する日系スペイン人の俳優、国籍を取得したスペインでの本名は優・城田・フェルナンデス。
- アルベルト城間 - 日本のラテンバンド・ディアマンテスの創始者兼リーダー。日系ペルー三世。
- エリック・シンセキ - アメリカの軍人、第34代陸軍参謀総長
- ハリー杉山 - 日本のマルチタレント。父がイギリス人ジャーナリスト。当初は杉山ハリーと日本式表記における名義で活動していた。
- 杉山マルコス - プロバレーボール選手。日系ブラジル人。因みに父はブラジル人の元サッカー選手・カルロス・エステベス[7]。
- カート・スズキ - オークランド・アスレチックスで活躍するメジャーリーガー。ポジションは捕手。
- 銭村健三 - 元プロ野球選手
- 銭村健四 - 元プロ野球選手
- 瀬間仲ノルベルト - 元プロ野球選手
た行
- フェルナンダ・タカイ - 1990年代のブラジルで最も成功したロックバンドのひとつであるパト・フのボーカル。
- 高橋吉雄 - 元プロ野球選手
- イワオ・タカモト -「弱虫クルッパー」などを手がけたアニメーター。
- 滝川クリステル - フリーアナウンサー。近年行っている慈善家としての活動は、世界の医療団(日本支部)で広報大使を務める。
- エディ武井 - 元プロ野球選手
- ジョージ・タケイ - アメリカの俳優。『スター・トレック』のヒカル・スールー(ミスター・加藤)役で有名。
- ビョルゴルフル・タケフサ - プロサッカー選手。サッカーアイスランド代表。
- 田中マルクス闘莉王 - プロサッカー選手、父は日系人、母はイタリア系ブラジル人。日本に帰化している。
- 田中義雄 - 元プロ野球選手
- ロドリゴ・タバタ - プロサッカー選手
- 玉木重雄 - 元プロ野球選手、日系ブラジル3世。
- Dark翔 - 2013年9月デビューのプロ格闘家。ダルビッシュ有(後述)の次男。
- ダルビッシュ有 - プロ野球選手(NPB→MLB、投手)。父はイラン人の元プロサッカー選手(元イラン代表)、イランサッカー連盟顧問、実業家。
- ファイヴェル・カズキ・チャン - 国連職員、医師、母は日本人。
- 辻占スティーブンケン - 日系カナダ人のプロアイスホッケー選手。。名字・辻占の読みは「つじうら」。
- 鄭大均 - 韓国系日本人の学者。母は日本人。
- ディーン元気 - 陸上選手(やり投げ)。本名はディーン・ロドリック・元気。
- グレート東郷 - プロレスラー。股引スタイルで悪役として活躍。
- マイケル富岡 - 日本で活躍するタレント。母が日系人。
- 友利結 - 元プロ野球選手(投手)。一時期、登録名が「デニー(友利)」としていたことがあるが、これは実父の名字が「デニー」であったことから由来。
な行
- アリーニ・ナカシマ - 父が日本人、母がポルトガル人、ブラジルのトップモデル
- ケント・ナガノ - アメリカの指揮者。
- ジョン・ナカマツ - アメリカのピアニスト。
- クニオ・ナカムラ - パラオ第5代大統領。
- トシオ・ナカヤマ - ミクロネシア連邦初代大統領
- 長洲未来 - アメリカのフィギュアスケート選手、父が日本人。
- 山本モナ - 元アナウンサーのタレント。一時期は結婚後の性・中西で活動。一時、久しくタレント活動をしていなかったが。2013年に個人事務所立ち上げてタレントとして活動再開。母は日本人、父はノルウェー人航海士(当時三光汽船在籍)。
- ホセ中村 - 元プロ野球選手
- マイケル中村 - プロ野球選手。
- マサオ・ナカヤマ - ミクロネシア連邦国連大使
- 南部陽一郎 - アメリカの理論物理学者、理学博士。ノーベル物理学賞受賞者。1970年に帰化した一世。
- 錦野旦(にしきの あきら) - 近年、韓国系日本人と公言したタレント・歌手。本名・錦野 明(読み同じ)、旧芸名・にしきの あきら。
- ルイス・ニシサワ - メキシコの画家、母はメキシコ人。
- 西田亨 - 元プロ野球選手
- 新田幸夫 - 元プロ野球選手
- ジョン・健・ヌッツォ - アメリカのテノール歌手。父はイタリア系アメリカ人、母は日本人。
- 猫ひろし - カンボジアの陸上競技(マラソン)選手。お笑い芸人。
- NESMITH(ネスミス) - EXILEのメンバー、父はアフリカ系アメリカ人。本名はネスミス・竜太・カリム。
- 野上清光 - 元プロ野球選手
- オジエル(オジエル・ノザキ) - 日系ブラジル人の俳優(役者と名乗る)・タレント・モデル。
- イサム・ノグチ - 彫刻家、芸術家、父は日本人、母はアメリカ人。
- ジャスティン・ノヅカ - 父が日本人、母がアメリカ人、カナダの歌手
は行
- ジョン・キムラ・パーカー - カナダのピアニスト
- イリーナ・ハカマダ - ロシアの政治家。右派連合のリーダー。父が日本人
- スタンレー橋本 - 元プロ野球選手
- 長谷川重一 - 元プロ野球選手
- 早田英志 - コロンビアのエメラルド王。
- カールトン半田 - 元プロ野球選手
- 範多範三郎(ハンス(ハンサブロー)・ハンター) - 実業家。大阪鉄工所創業者のE・H・ハンターの息子。
- 範多(平野)竜太郎 - 実業家・造船技術者、E・H・ハンターの息子で、範三郎の実兄。平野姓は母方の旧姓。
- ジェームス・ブラウン - 父はインディアン・アパッチ族で、母はアフリカン・アメリカンとアジア人であり、彼の4分の1は日系人および日本人の血筋である[8][9]。
- 比嘉リカルド - プロサッカー選手、フットサル選手
- 一青窈 - 歌手。父は台湾人、母は日本人。舞台女優の一青妙は実姉。
- ディーン樋口 - 「ディーン・ホー」のリングネームで知られるプロレスラー。
- 日野聡 - 日本の声優。アメリカ生まれの東京育ち。
- 平川喜代美 - 元プロ野球選手
- 平山智 - 元プロ野球選手
- 広田順 - 元プロ野球選手
- メイジー・ヒロノ - 前ハワイ州副知事、現同州選出アメリカ合衆国下院議員
- 藤田キヨシ - 日系カナダ人のプロアイスホッケー選手。旧名はライアン・フジタ。
- グレン・S・フクシマ - 経営者
- フランシス・フクヤマ - アメリカの政治経済学者「歴史の終わり」の著者
- タッド・フジカワ - アマチュアゴルファー
- ハリー藤原 - ミスター・フジのリングネームで知られるプロレスラー。マネージャーとしても活躍したWWE殿堂者。
- 藤重登 - 元プロ野球選手
- アルベルト・フジモリ - ペルー元大統領。
- ローラ・フラウチ - アメリカのヴァイオリニスト。
- ブリドカットセーラ恵美 - 声優(吹き替えも担当)。父はオーストラリア人、母は日本人。福島・いわき市生まれ。
- ベリッシモ・フランチェスコ - タレント、料理研究家、父はイタリア人、母は日本人
- 古川正男 - 元プロ野球選手
- 古谷譲 - 元プロ野球選手
- ベッキー - 日本で活躍する日系イギリス人女性タレント。父はイギリス人、母は日本人。
- チャールズ・ペダーセン - アメリカの化学者。1987年ノーベル化学賞受賞。母は日本人、父はノルウェー人。
- エバ・ポピエル - 韓国KBSの美女たちのおしゃべりに出演。父はポーランド系イギリス人、母親は日系イギリス人。東京生まれ。
- 堀尾文人 - 元プロ野球選手
ま行
- まいける - タレント、歌手。父は日本人の日系アメリカ人だが、国籍はアメリカである。
- フレディ・マエムラ - チェ・ゲバラと共に戦った日系ボリビア人。
- 牧ダレン聡 - 日系アメリカ3世のプロバスケットボール選手。
- 松浦一義 - 元プロ野球選手
- 松岡光雄 - 元プロ野球選手
- リョート・マチダ - 父が日本人、母がユダヤ人ブラジルの格闘家
- スパーク・マツナガ - アメリカ上院議員
- 政井マヤ - フリーアナウンサー。メキシコ合衆国チワワ州出身のスペイン系メキシカン2世。
- 松坂慶子 - 女優・タレント。在日韓国2世(現在、日本国籍取得)。本名では母方の高内(たかうち)姓を名乗る。
- 松田優作 - 満40歳の若さで膀胱癌転移により病没した日本の元俳優。母が在日韓国人3世。
- 松元ユウイチ - 東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。元日系ブラジル人。
- 松島ウォルターブラウン - プロバスケットボール選手。祖母が日本人。
- マリウス葉 - ジャニーズタレントで、同社のアイドルグループ・SexyZoneのメンバー。
- マルシア - 歌手・タレント
- 道端3姉妹(アンジェ・ジェシカ・カレン) - 父がスペイン系アメリカ人とイタリア人のハーフ。「道端」姓は母方の姓。3人ともファッションモデルとして活動。
- 水沢アリー - タレント。曽祖父がドイツ人、本名・鈴木千里(すずき せり)。
- 満島ひかり - 女優、タレント、元Folder→Folder5メンバー。父がトルシエ元サッカー日本代表監督似のフランス系アメリカ人。
- 光吉勉 - 元プロ野球選手
- ノーマン・ミネタ - アメリカ元合衆国運輸長官
- 宮澤ミシェル - 元プロサッカー選手。父はフランス人、母は日本人。息子にプロサッカー選手・宮澤勇樹、娘に乃木坂46メンバー・宮澤成良。
- 宮武東洋 - 写真家。戦時中の日系人収容所にて、手製のカメラで写真を撮り続けた人。
- 宮本次郎 - 元プロ野球選手
- 宮本敏雄 - 元プロ野球選手
- パッツイー・ミンク - アメリカ上院議員(マイノリティの女性として初)
- 準・メルクル - ドイツの指揮者。父はドイツ人、母は日本人。
- melody. - 歌手
- マニー・モリ - ミクロネシア連邦の政治家で、2007年5月より第7代大統領。
- 森口次郎 - 元プロ野球選手
- 守田政人 - 元プロ野球選手
- 森本稀哲 - プロ野球選手。
や行
- 八道勉 - 元プロ野球選手
- 山内成俊 -元証券マン、元陸上コーチ(妻の付き人として)。妻はイギリスの元陸上選手、マーラ・ヤマウチ。
- クリスティー・ヤマグチ - アメリカのフィギュアスケート選手
- 山田伝 - 元プロ野球選手
- アラン山本 - 元プロ野球選手
- トージョー・ヤマモト - プロレスラー。マネージャーやトレーナーとしても活躍。
- ユージ - 日本の男性モデル。本名・塩畑有司(しおはた・ゆうじ、日本名)、トーマス・ユージ・ゴードン(英名)。父はアメリカ人俳優であるマイケル・ゴードンで、父の曽祖父はドミニカ共和国大統領を歴任したアントニオ・グスマン。
- ケン・ユーストン - ギャンブルプレイヤー。著述家。父が日本人、母はオーストリア人
- 与儀眞助 - 元プロ野球選手
- クリスティーン・ヨシカワ - カナダのピアニスト
- 吉村大志郎 - 元プロサッカー選手。日系ブラジル人。
- 与那嶺要 - 元プロ野球選手
- 与那城ジョージ - 元プロサッカー選手。名前の「ジョージ」は祖国・ブラジルの母語ポルトガル語名の本名・ジョルジの英語訛り。日系二世のブラジル人。
ら行
- ユキ・ラインハート - 日本のラジオパーソナリティ・歌手。現在は主にJFNC制作のラジオ番組『A・O・R』担当。父は米軍の在日将校。
- ラフルアー宮澤エマ - 日本の元首相(76代目)・宮沢喜一の孫娘(母方)。父は元駐日代理大使のアメリカ人、クリストファー・ラフルアー。
- パブロ・ラリオス - 元サッカーメキシコ代表GK。1986W杯に出場。
- アドリアナ・リマ - ブラジルのモデル
- 隆濤剛 - 日系ブラジル人の元大相撲力士。本名・池森 剛(いけもり ごう、旧名・池森ラメリク剛)
- ハルオ・レメリク - 初代パラオ大統領
- ローラ - 日系人のファッションモデル。父はバングラデシュ人、母はロシア系日本人。
わ行
フィクション
フィクションにおいても、「日系人」という設定は、外国人っぽさを持たせつつも日本語が流暢であっても不自然でない存在としてよく利用される。例として、MASTERキートンの太一・平賀=キートン、機動警察パトレイバーの香貫花クランシー、To Heartの宮内レミィなど。
関連項目
- 日本の民族問題
- 邦字新聞
- NHKワールド
- 黄禍論
- 排日
- 反日感情
- ハルとナツ 届かなかった手紙
- 99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜
- リトル・トーキョー
- フランクリン・ルーズベルト
- 第442連隊戦闘団
- 山河燃ゆ
- リマ排日暴動
- リベラルタ
- サンフアン・デ・ヤパカニ移住区
- ハワイにおける日本人移民
脚注・出典
外部リンク
- 財団法人 海外日系人協会
- Japanese American National Museum日本語ページ
- National Association Of Japanese Canadians 日系カナダ人の組織
- サンパウロ人文科学研究所
- ボリビア日系協会連合
- 真珠湾攻撃が始まった - ハワイに住む福島県出身者の戦中・戦後
- 日系アメリカ人 オンライン資料館
- ↑ 海外日系人協会の資料より在日日系人数、海外日系人数を合計。概数。アジア・ヨーロッパなどへの永住者や日系人は含まれていない。
- ↑ 「日本人奴隷の謎を追って」ニッケイ新聞
- ↑ 「慶長遣欧使節」派遣400周年」ニッポンドットコム財団
- ↑ 「慶長遣欧使節」派遣400周年」ニッポンドットコム財団
- ↑ これとは別に、当時独立国であった琉球王国からの出稼ぎ移民も多数存在した。このため現在もハワイの日系団体は、本土系団体と沖縄県系団体は別個の組織として運営されている。
- ↑ 日本と中南米(エピソード集)~遠くて近いアミーゴの国々~
- ↑ ヤンマーサッカー部(セレッソ大阪の前身)在籍時代、釜本邦茂(Jリーグ初代キャプテン)とチームメイトだった。
- ↑ テンプレート:Cite web
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