ケイン・コスギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:ActorActress

ケイン・コスギKane Takeshi Kosugi1974年10月11日 - )は日系アメリカ人俳優タレントアメリカ合衆国ロサンゼルス出身。日本名は小杉 健(こすぎ たけしテンプレート:Refnest)。ロサンゼルスのマラナサ・ハイスクール卒業、ピッツバーグ大学日本校中退。国籍はアメリカ合衆国。デスティニープロダクション所属。

家族

父はハリウッドアクション俳優、ショー・コスギ。母は台湾人で、英語日本語を習得。弟は同じく俳優のシェイン・コスギ。また、9歳下の妹がいる。

来歴

1歳半から父親に空手を教えられるなどしてスポーツに親しみ、柔道剣道テコンドー器械体操スカイダイビング水泳アメリカンフットボールバスケットボールなどスポーツ万能。

1982年、8歳で父の主演するハリウッド映画『ニンジャII・修羅の章 (REVENGE OF THE NINJA)』に出演し、芸能界にデビュー。その後も父の主演映画数本に弟シェインと共に子役として出演、幼くしてスタントも披露している。ハイスクール卒業後の1993年に来日し、父の母国日本で芸能活動を始める。

1993年には『ウルトラマンパワード』にウルトラマンパワード / ケンイチ・カイ隊員役で出演、1994年には「スーパー戦隊シリーズ」第18作『忍者戦隊カクレンジャー』にニンジャブラック / ジライヤ役で出演し、萩原佐代子と共に、戦隊ヒーローウルトラマンの両方を演じた俳優となった。

TBS系のスポーツバラエティ番組『筋肉番付』では、番組を見て自ら出演を希望。プロスポーツ選手や一流のアスリートに勝るとも劣らない優れた身体能力を示し、スポーツタレントとしての地位を築く。

2002年には映画『マッスルヒート』で主演を飾り、2007年には映画『DOA/デッド・オア・アライブ』のリュウ・ハヤブサ役に抜擢され、念願の自力ハリウッド・デビューを果たす。

2009年12月30日に、3歳年下の香港出身の一般女性と同年11月に結婚していたことを発表した。

2013年12月27日にゲーム「TEKKEN」を原作にした映画の主演決定という情報が公式サイトに掲載された。しかしこれは誤りであり(公式サイトには謝罪文が掲載されている)、正しくは『AGENT X(仮)』での主演が決定した。ケインにとってハリウッド映画初主演となる[1]

人物

好きな食べ物はハンバーガーコロッケカレートンカツすき焼き春巻き[2]

ゲーム『ストリートファイター』のファンであり、OVA『ストリートファイターZERO』ではリュウの声を担当した。またアニメ『ドラゴンボール』が好きであることを公言している[3]

身体能力

  • 2001年12月30日放送のテレビ番組『ZONE』(TBS)において握力や立位体前屈等を計測。その際ケインについて立花龍司は「プロ野球選手の中に入れてもすべてにおいてトップクラスの成績」と語っている。
  • 筋肉番付』のプロデューサーである樋口潮は、ケインの跳び箱の試技をアトランタ五輪の開会式で五輪の歴史に名を刻む選手として全世界に紹介されたスーパースター、ヴィタリー・シェルボらと比較し、ケインの跳躍の脅威さや、自身の驚嘆の意を自著で著している[5]。その優れた身体能力から、筋肉番付の司会や実況を務めた古館伊知郎から『運動神経のグランドスラム』、『運動能力宝の山』などと称されていた。

筋肉番付での活躍

テレビ番組『筋肉番付』内で活躍しテンプレート:Refnest、後述のスポーツマンNo.1決定戦やSASUKEの他、番組内で少林寺SWAT等での修行の模様も放送された。テレビ体操21という企画においてテレビ体操21のVHSも発売されている。

スポーツマンNo.1決定戦

最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』では、歴代最多の6度の総合No.1に輝いている。MONSTER BOXで世界記録に1段差と迫る22段、パワー系種目のWORK OUT GUYSでは世界記録である45秒46、スピード系種目のSHOT-GUN-TOUCHでは芸能人歴代1位となる13m10cmの記録を持つ。スピード系、パワー系、筋持久力系競技でNo.1となるなど[6]、万能選手として活躍した。

第2回芸能人サバイバルバトル(1997年4月2日放送)

スポーツマンNo.1決定戦初登場。

DOGDE POLESでいきなりNo.1を獲得[7]。更に第2種目のQUICK MUSCLEでもNo.1となり、2種目連続のNo.1[8]

SHOT-GUN-TOUCHでは最終試技に成功した際、雄叫びを上げた[9]大澄賢也が最終試技に挑むも失敗し、ケインの総合No.1が確定。表彰式では声を震わせ英語でスピーチした[10]

第3回芸能人サバイバルバトル(1998年4月1日放送)

2連覇を懸けて参戦。

BEACH FLAGSでは序盤こそ立ち上がりで遅れることもあったものの勝ち上がり[11]、準々決勝ではスタートでいち早く立ち上がり楽々旗をゲット。準決勝もぶっちぎりで通過し、決勝でも体二つ分リードしダイビング。No.1に輝いた[12]。POWER FORCEでもNo.1に輝くも[13]、THIRTYではNo.1になることができず[14]、3種目連続No.1は逃した。

MONSTER BOXでは跳び箱を跳ぶのは初めてというケインだったが[15]、15段終了時点でNo.1が確定[16]。その後当時緒方孝市が持つプロスポーツマン記録であった18段を楽々クリアした[17]。更に19段も前に突っ込みすぎたもののクリアした[18]。初挑戦で19段の記録を残す。

QUICK MUSCLEでもNo.1に輝き、5種目中4種目No.1。これでスピード系、パワー系、そして筋持久力系競技を制した[6]。TAIL IMPOSSIBLEでは第3レースまで残ったもののここで脱落し、最終レース進出を逃す[19]。同競技終了時点で500ポイント。2位に230ポイントの差を付けた[20]。SHOT-GUN-TOUCHでは最終試技に成功後、前回同様涙を流した[21]。ケインは7種目中5種目制覇。個人記録が残る3種目ではすべて新記録を達成した。

今大会はケインが日本中に知られることになった大会となり、プロデューサーの樋口潮は「ケインってすごいね」といろいろな人から言われたという[22]

第4回芸能人サバイバルバトル(1998年10月2日放送)

3連覇を懸けて参戦。ケインは1週間前から跳び箱のことを考えほとんど眠れない日々が続いており、昨日はほとんど一睡もしていなかったという[23]

BEACH FLAGSでは決勝で西山浩司と対決。立ち上がりでリードを許したものの勝利した[24]。THE BEST OF TUGGERではチーム清水として2回戦で敗戦を喫した[25]

MONSTER BOXでは前回ギリギリでクリアした19段を楽々クリア[26]。 20段も両足着地でクリア[27]。 21段を完璧に超え、その上両足着地で成功[28]テンプレート:Refnest。更に世界2位タイとなる22段も成功テンプレート:Refnest。その後ケインは世界記録の23段に挑戦するも失敗に終わったが、世界記録に1段差に迫る22段を記録し、ケインの上は世界一の跳躍力を持つヨウ・ホンチュルのみとなった[29]

QUICK MUSCLEでもNo.1となる[30]

DASHでは予選で最高タイムをマークし準決勝進出[31]。準決勝では高校2年時に50メートル走で6秒フラットを記録しているという西山と対決[32]。スタートでは互角だったが30メートルを過ぎてからケインがリードし、勝利[33]。決勝は山口達也と対決。しかしすでにケインは疲れ切っており、山口に敗れ、No.1を逃した。ケインは結局予選のタイムがベストであった[34]

LOG相撲でも1回戦で宮下直紀、準決勝で西山に勝利するも[35]、決勝では野村将希に一瞬引いたところを押し切られ、敗れた[36]。SHOT-GUN-TOUCHでは最終試技で総合No.1が確定している状況で自己記録更新を狙ったが、この時点で完全に疲れ切っており、ボールに全く届かず。ケインはSHOT-GUN-TOUCH初の失敗となった[37]。しかしながら3連覇を達成。

第5回プロスポーツマン大会(1999年1月1日放送)

芸能人大会3連覇を果たしたケインがプロスポーツマン大会に初参戦。

POWER FORCEでは芸能人大会では同競技No.1に輝いているケインだったが、1回戦で吉原孝介に敗れ、BEACH FLAGSでも3回戦で吉原との競り合いに敗れた。

更にMONSTER BOXではNo.1に輝いたものの記録19段に終わり、その後はいずれも種目別No.1はならず、総合4位に終わった。

しかしながら孤独な状態で黙々と全競技に挑み続けたケインに魅せられた飯田哲也がSHOT-GUN-TOUCHでケインに飛び込み方などを伝授。その成果あってかケインは同競技2位に食い込んだ[38]。エンディングでは「もっと練習して、また挑戦したいと思います。」と語った。

第5回芸能人サバイバルバトル(1999年3月26日放送)

池谷直樹が芸能人大会初参戦。

BEACH FLAGSでは準決勝敗退し、芸能人大会では初めての敗北となった。MONSTER BOXでは17段で大森晃が脱落し、17段終了時点で生き残りは池谷とケインのみとなった。両者22段を成功させ、決着は世界記録23段に持ち越された。池谷は23段を成功、ケインは失敗し、こちらも初めて敗北となった。

更にQUICK MUSCLEでも自己記録に届かず、初めてNo.1を逃す。TAIL IMPOSSIBLEでも第2レースで敗退。WORK OUT GUYSでは鋸の選択ミスにより丸太切りでタイムロスを強いられ、ミルク缶運び、トラック引きで大きく挽回したものの4位に終わり、同競技終了時点で暫定総合3位、種目別No.1ゼロと大不振に陥った。

SHOT-GUN-TOUCHでは1回目に11m80cm、2回目に12m00cmを成功させ、暫定総合1位の池谷を追い詰める。ケインは最終試技で自己記録を20cm上回る12m40cmを申告し、見事成功を収め雄叫びを上げた。試技後は涙を見せた。池谷は3回目で12m00cmを申告し、決めれば総合No.1となるこの距離を成功させ、再逆転し5ポイント差で総合No.1に輝き、ケインは芸能人大会では初めて総合No.1を逃した。

第6回プロスポーツマン大会(2000年1月1日放送)

スペシャルトライアルテンプレート:RefnestのWORK OUT GUYSで1分08秒27を記録し、暫定トップに立ったものの、最終組のフランシスコ・フィリォが1分05秒71をマークし、2位に終わる。 BEACH FLAGSでは3回戦まで危なげなく勝ち上がるも、準々決勝で河口正史のブロックに遭い、狙う旗を変更するもロスは埋められず敗退した。MONSTER BOXでは20段で福西崇史が失敗し、No.1が確定。その後21段を成功させ、更に23段に挑むも失敗に終わった。

POWER FORCEでは1回戦でニコラス・ペタスと対戦。スタートで一瞬優位に立つも敗れ1回戦敗退となった。THIRTYでは№1に。THE GALLON THROWでは昨年の記録を上回る5m25㎝を記録したが、5m75㎝を記録した河口に総合ポイントで逆転を許す。

最終種目SHOT-GUN-TOUCHでは、ケインが成功すれば自己新記録となる12m50cmを一発で成功。12m20cmが自己記録だった河口は12m50cmを1回目に失敗するも、2回目に成功させて自己記録更新。ケインは12m70cmも一発で成功させ雄叫びをあげた。しかし河口も失敗が許されない状況で前回までの自己記録を50cmも上回る12m70cmを成功した。 12m90cmでケインは1回目の失敗。河口もこの距離を失敗し、暫定総合1位のまま試技終了。そしてケインは失敗したら敗北という状況から2回目の試技に臨み、見事12m90cmを成功。10ポイント差の河口をひっくり返し、逆転で総合No.1に輝く。成功の際再び雄叫びを上げた。

表彰式では涙を流しながら英語で「全力を尽くしてあきらめずに頑張ればできないことは何もありません。今回、最高の結果を残すことが出来ました。この素晴らしい場を僕に与えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。」と語った。

第6回芸能人サバイバルバトル(2000年3月24日放送)

総合No.1奪回を懸けて参戦。番組冒頭では英語で「去年の敗北を片時も忘れたことはありません。今度は僕が勝ちます。」と意気込みを語った。

BEACH FLAGS2大会ぶりに決勝進出を果たすも、決勝で池谷に敗れた。MONSTER BOXでは池谷と共にNo.1。2大会ぶりにNo.1となった。QUICK MUSCLE前回池谷に更新された芸能人最高記録を更新し、こちらも2大会ぶりにNo.1となった。同競技終了時点で暫定総合2位で、1位の池谷と10ポイント差。

POWER FORCE2回戦で清水宏次朗、準決勝で野村将希、決勝で照英を破り、POWER FORCE3連覇を達成。暫定総合1位に立った。池谷は2回戦で工藤順一郎に敗れ、暫定総合2位に転落。WORK OUT GUYSでもケインがNo.1となり、前回の雪辱を果たす。

SHOT-GUN-TOUCHでは最終試技で13m00cmを申告するも失敗。しかしながら総合No.1を奪回。6種目中5種目を制す圧倒的な成績を収め、前回の雪辱を果たした。表彰式では英語で「ベストを尽くしても負けることはあります。でもその敗北がまた人を強くしてくれます。応援してくれた皆さんに心から感謝します。ありがとう」と語った。

第7回芸能人サバイバルバトル(2000年10月10日・14日放送)

池谷直樹が右足首骨折により欠場。

BEACH FLAGSでは準決勝でスタートに失敗し、敗退。3大会ぶりのNo.1はならなかった。MONSTER BOXではNo.1に輝いたが、23段成功はならなかった。QUICK MUSCLEでもNo.1に輝き、同種目2連覇を達成した。

TAIL IMPOSSIBLEでは第2レースで骨膜炎を発症し、途中棄権。しかしPOWER FORCE2回戦で総合No.1を争う照英に、準決勝で中村繁之に勝利。決勝ではプロスポーツマン大会でNo.1経験のある内藤尚行に敗れ、芸能人大会では同種目初敗戦となった。

SHOT-GUN-TOUCHでは1回目で11m80cm、2回目で12m00cmを楽々成功。3回目で13m00cmを申告するも失敗に終わったが、2連覇を達成した。

第7回プロスポーツマン大会(2001年1月1日放送)

プロ初連覇を懸けて参戦。

WORK OUT GUYSでは丸太切りでやや出遅れ、1分06秒80を記録。同組のニコラス・ペタス(1分01秒16)に敗れ、暫定2位。最終順位は大畑大介、ペタスに次ぐ3位と不本意な結果に終わった。BEACH FLAGSでは1回戦で芸能人大会において敗れた照英にリベンジを果たす。その後3回戦までは危なげなく勝ち上がるも、準々決勝で再び河口のブロックに遭う。前年のように他の旗は狙わず河口と同じ旗を狙いに行ったが僅かに及ばず、準々決勝で敗退した。

MONSTER BOXでは21段を成功させた後、池谷直樹が棄権。3大会連続のNo.1を確定させた。その後23段に挑むも失敗に終わっている。同競技終了時点で池谷に次ぐ暫定2位(210ポイント)。TAIL IMPOSSIBLEには骨膜炎の影響か出場せず、0ポイント。同種目3位の大畑大介が池谷と並び総合暫定1位に浮上し、ケインは3位に後退した。POWER FORCEでは1回戦で照英を、2回戦で武田修宏を、準決勝で暫定総合1位の大畑に見事勝利。準決勝で勝った際には雄叫びを上げた。決勝戦では清原和博に敗れるも、暫定総合1位に立った。しかしTHIETYでは2回戦で痛恨の敗退。同種目2位の大畑が80ポイントを加え総合365ポイント、No.1の池谷が総合100ポイントを加え340ポイントとし、ケインは暫定総合3位に後退した(315ポイント)。

THE GALLON THROWでは試技開始前にインタビュアーに「最低ラインというのは」と質問されたのに対し「最低は5m75cmですね」と発言し、自信を覗かせていた。しかし樽の高さこそ6mを超える投てきを見せつけたものの5m75cmを下回る5m25cmに終わる。同種目記録なしの池谷を抜くことには成功したが、同種目5m75cmを記録した大畑は抜くことができず暫定総合2位に。

SHOT-GUN-TOUCHでは自己記録12m90cmまでノーミスでクリア。続く13m10cmでは実況の古館伊知郎がスタートダッシュ完璧と発言する見事なスタートを決め、距離にかなりの余裕を残してクリアした。しかしその後はそのスタートは身を潜め、13m30cmに2度挑むも僅かに届かず失敗。総合2位が決定した。

試技後のインタビューでは「まだまだ強くならないと、No.1はキープできないですね。」「明日からトレーニングします。」と語った。

第8回芸能人サバイバルバトル(2001年3月23日放送)

一週間前のSASUKEで腕を負傷しながらの参戦。またプロスポーツマン大会で大畑に敗れたケインは、敢えてゴールドゼッケンを返上している。

BEACH FLAGS3回戦敗退と不本意な結果に終わるも、WORK OUT GUYSでは他者を圧倒。54秒04という圧倒的なタイムでNo.1となった。MONSTER BOX、QUICK MUSCLEでは池谷との対決に敗れ、2位。TAIL IMPOSSIBLEでは第3レースで敗退。

SHOT-GUN-TOUCHでは1回目で申告した12m40cmを難なく成功するも、2回目の12m70cmはギリギリの成功。しかし3回目の13m00cmは見事な成功を収め、雄叫びを上げた。 しかし照英が3回目の12m30cmを成功させ、1ポイント差で総合No.1を逃す。

第8回プロスポーツマン大会(2002年1月1日放送)

No.1奪回を懸けて参戦。開幕前にインタビューにて「去年は悔しい思いをしたので今年は必ず優勝します。」と意気込みを語った。

WORK OUT GUYS

前回の覇者大畑大介が史上最速タイムとなる50秒01を記録。その後も多くの選手が50秒台を記録したが、大畑のタイムを超えられず。しかし満を持して登場したケインは史上初の40秒台(45秒46)を記録。ゴール直後には雄叫びを上げた。試技後のインタビューでは雄叫びについて聞かれ、「今日は絶対優勝しますから。力はいってます。」と語った。その後後続の選手もケインのタイムを超えられず、ケインのNo.1が確定。前年の雪辱を晴らした。

BEACH FLAGS

開始前のインタビューでは「自分も練習しましたから。絶対大丈夫です。」と自信を覗かせていた。その言葉通り1回戦、2回戦ともに余裕の突破。2回戦では第8回芸能人大会で同種目No.1に輝いた照英を背中を見せつける大差で圧倒し、リベンジを果たした。3回戦では旗から見て一番左隅のポジションを引き、隣に大畑が並んだ。大畑はケイン側の旗を狙いに行ったが、ケインに後れを取り、途中で路線変更。スタート直後に転倒した池谷側の旗を狙いに行き、共に準々決勝進出を果たす。
ケインは準々決勝でも一番左隅のポジションを引き、今度は隣にここまで圧倒的なスピードで他者を圧倒していた室伏が並ぶ。スタートで室伏に優位に立たれたケインは中央の旗を狙いに行くもコース取りのロスを修復できず、3年連続となる準々決勝敗退となった。今大会は籤運に恵まれず、1回戦から準々決勝まで全て隅のポジションを引いてしまった。

MONSTER BOX

三浦貴が20段で失敗し、脱落。この時点で生き残りはケインと池谷だけになり、前年同様池谷との一騎打ちとなる。しかしながらケインは22段で惜しくも失敗。池谷は23段を記録し、ケインはプロスポーツマン大会では初めてNo.1を逃したが、ここで再び暫定総合1位に立った。

POWER FORCE

1回戦で前年55本塁打を放ったタフィ・ローズと1回戦でいきなり激突。体重78キロのケインに対しローズは87キロと約10キロの差があったものの、見事に勝利した。2回戦でも軽量級の池谷を寄せ付けず勝利し、2年連続となる準決勝進出を果たす。準決勝では総合No.1を争う室伏と対決。しかしながらあっという間に室伏に敗れた。室伏は決勝戦で河口を破り同種目No.1となり、暫定総合1位に浮上。ケインは2位に後退した。

THIRTY

室伏が2回戦敗退。一方前回2回戦敗退のケインは順調に勝ち上がる。決勝で南山真との激闘を制し、同種目No.1。再び暫定総合1位に返り咲いた。

TAIL IMPOSSIBLE

ケインが第1レースを第2位でフィニッシュ。一方で総合No.1を争う室伏は第1レースをラストに追い上げなんとか通過。しかし第2レースでは他の選手に大きく引き離され、第2レース最下位に。ケインも大きく遅れた室伏を見てペースを落とし、第2レースで敗退。室伏の順位を上回り、暫定総合1位をキープした。

THE TUG-OF-WAR

ケインは準決勝でマイク・キャメロンに敗れ、準決勝で敗退。一方室伏は3種目となるNo.1に輝き、ケインは再び暫定総合1位を明け渡す。

SHOT-GUN-TOUCH

THE TUG-OF-WARで暫定総合2位に後退したケインだったが、室伏との差は僅かに5ポイント。室伏の記録を10cm以上上回ればケインの総合No.1が決まるという展開となった。室伏は自己記録11m80cmだったが、12m70cmまでノーミスでクリア。一方自己記録13m10cmの記録を持つケインは12m70cmで痛恨の失敗を喫する。後のない2回目の試技で見事な成功を収めた。
しかし続く12m90cmではボタンプッシュミスによる痛恨の失敗。12m70cmですでに1回目の失敗を喫しているケインはこの試技で脱落が決定。室伏とのデッドヒートの末、悲願の総合No.1奪回は果たせなかった。
第10回プロスポーツマン大会(2004年1月1日放送)

池谷直樹とともに2年振りの参戦となった。しかしながら序盤から苦戦を強いられることになる。

WORK OUT GUYSでは丸太を素早く切り落とし、新たに導入された連結式のミルク缶運びも難なくこなしてみせたが、暫定1位の河口のタイムには僅かに及ばず。最終的に同種目3位に終わった。BEACH FLAGSでは1回戦、2回戦を難なく通過したものの、3回戦で池谷とのデッドヒートの末、敗退。1999年以来となる3回戦敗退となった。

MONSTER BOXでは記録20段に終わり、同種目2位。SPIN OFFでは準優勝することになる斉藤祐也との接戦の末、1回戦敗退となった。

THE GALLON THROWでは自己記録である5m25㎝を記録。POWER FORCEでは2回戦で前回同種目No.1の吉田秀彦に敗れる。吉田は同種目2年連続となるNo.1に輝いた。TAIL IMPOSSIBLEでは第3レースまで進出。

SHOT-GUN-TOUCH開始前の時点で暫定総合4位と、本来の力を発揮できていなかったが、同種目でもその傾向は変わらず、12m70cmで脱落となった。

ケイン同様今大会不振に終わった池谷は、翌年総合No.1に輝くなど復活し、それ以降も出場を続け活躍を見せたが、ケインは今大会を最後に出場することはなかった。またケインは今大会まで同じ相手に総合順位で2度負けたことが一度無かったが、今大会で河口に1999年以来の敗戦を喫し、今大会で初めて2度目の敗北を喫した。

1997年
大会 放送日 総合順位
第2回 芸能人サバイバルバトル テンプレート:04月テンプレート:02日 No.1
1998年
大会 放送日 総合順位
第3回 芸能人サバイバルバトル テンプレート:04月テンプレート:01日 No.1
第4回 芸能人サバイバルバトル 10月テンプレート:02日 No.1
1999年
大会 放送日 総合順位
第5回 プロスポーツマン大会 テンプレート:01月テンプレート:01日 4位
第5回 芸能人サバイバルバトル テンプレート:03月26日 2位
2000年
大会 放送日 総合順位
第6回 プロスポーツマン大会 テンプレート:01月テンプレート:01日 No.1
第6回 芸能人サバイバルバトル テンプレート:03月24日 No.1
第7回 芸能人サバイバルバトル 10月
10日・14日
No.1
2001年
大会 放送日 総合順位
第7回 プロスポーツマン大会 テンプレート:01月テンプレート:01日 2位
第8回 芸能人サバイバルバトル テンプレート:03月23日 2位
2002年
大会 放送日 総合順位
第8回 プロスポーツマン大会 テンプレート:01月テンプレート:01日 2位
2004年
大会 放送日 総合順位
第10回 プロスポーツマン大会 テンプレート:01月テンプレート:01日 4位

SASUKE

大会 放送日 備考
第1回大会 1997年テンプレート:09月27日 3rd STAGE進出
第4回大会 1999年10月16日 3rd STAGE進出
第6回大会 2000年テンプレート:09月9日 3rd STAGE進出
第7回大会 2001年テンプレート:03月17日 2nd STAGE進出
第8回大会 2001年テンプレート:09月29日 Final STAGE進出

エピソード

  • 日本に来たばかりのとき、知っている日本語は「元気ですか?」だけであり、喫茶店のアルバイトで出前の際、道に迷っても交番で「元気ですか?」としか言えなかったとのこと。『カクレンジャー』の収録時の当初は共演者ともなかなかコミュニケーションが取れずに困惑していた。後に、サスケ役の小川輝晃から和英辞典をプレゼントされたり、一緒にジムへ行ってトレーニングをしたり食事を共にするうち、次第に他の共演者とも交流を深めていったという。『カクレンジャー』の劇中で、ケイン演じるジライヤが「僕、日本に来た時、寂しかった。言葉伝わらなかった。」と仲間に胸中を告げるシーンがあるが、自身の実体験から基づいた言葉である。本人も『カクレンジャー』に出演したことを誇りに思っており、現在でも出演者との交流を続けている。それ以来は小川のことを「兄さん」という愛称で呼んでいる。
  • 国籍上アメリカ人であるが、コスギという氏名から「日本人」と言われることがある。
  • 父ショー・コスギはハリウッドで、東洋人としてはハイクラスの地位を築いており、幼少のケインも何不自由なく育ってきたため、初めて日本に来たとき、借りたアパートの部屋が6畳一間で、部屋全体を全部「玄関」だと思い「狭いなあ」と思ったという。
  • 日本に来ても特にやることがなかったため、秋葉原駅前広場(2001年7月31日に閉鎖)でバスケットボールをしていたところ、たまたまサモ・ハン・キンポーの息子がいて知り合いになりジャッキー・チェンを紹介され、その後ジャッキーの下で2か月間映画製作の勉強をさせてもらう。
  • 独特のアクセントの日本語から、物まねの対象となることも多い。
  • ケインはケインの物まねを行うものまねタレント山本高広の結婚を知った際には、公式サイトの日記にて祝福している[39]

出演

テレビドラマ

テレビその他

ほか多数

映画

  • ニンジャII/修羅ノ章 Revenge of the Ninja (1982年) - ケイン・オオサキ 役
  • デス・オブ・ニンジャ Nine Deaths of the Ninja (1984年) - ケイン 役
  • プレイ・フォー・デス Pray for Death (1985年) - タケシ・サイトウ 役
  • ブラック・イーグル Black Eagle (1987年) - ブライアン・タニ 役
  • 兜 KABUTO (1990年) - 徳川頼宗 役
  • ザ・格闘王 (1994年)(ビデオ) - ケン・大城 役
  • ザ・格闘王2 (1994年)(ビデオ) - ケン・大城 役
  • 劇場版 忍者戦隊カクレンジャー (1994年) - ジライヤ / ニンジャブラック 役
  • スーパー戦隊ワールド (1994年) - ニンジャブラック(声) 役
  • キャッツ・アイ Cat's Eye (1997年) - 李・黒旗 役
  • フー・アム・アイ? Who Am I? (1998年) - 日本人特殊部隊員・タケシ 役
  • マッスルヒート Muscle Heat (2002年) - ジョー・ジンノ 役
  • ゴジラ FINAL WARS (2004年) - 風間勝範 役
  • DOA/デッド・オア・アライブ DOA: Dead or Alive (2007年) - リュウ・ハヤブサ 役
  • ローグ アサシン War (2007年) - ヤクザ 役
  • COWEB (2009年)
  • 蔡李佛 (2011年) - 武田少佐 役
  • Ninja 2 (2013年) - ナカバラ 役

ビデオ・DVD

ラジオ

  • ケイン・コスギのファイティングロード(NACK5
  • ケイン・コスギのI love sports(文化放送

OVA

CM

書籍

  • 『ケイン・コスギ カッコイイボディーになりたい』(講談社、2000年8月、ISBN 4062103613)
  • 『「KANE」写真集』(文春ネスコ、2000年11月、ISBN 4890361189)
  • 『ケイン・コスギのシンプルエクササイズ』(ソニーマガジンズ、2001年10月、ISBN 4789717488)
  • 『K’ENGLISH 』(ソニーマガジンズ、2001年11月、ISBN 4890361421)
  • 『ケイン・コスギin MUSCLE HEAT』(講談社、2002年12月、ISBN 4062116766)
  • 『ケイン・コスギの子どもの作法(NHK「からだであそぼ」で学んだこと)』(講談社、2007年2月、ISBN 4062136678)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

注釈

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

参考文献

外部リンク

テンプレート:すぽると!キャスター

テンプレート:ポンキッキシリーズ
  1. テンプレート:Cite web
  2. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「ka」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  3. テンプレート:Cite web
  4. 出演者プロフィール(テレビ番組・日本のミカタ)」2013年5月4日閲覧。
  5. テンプレート:Cite book
  6. 6.0 6.1 テンプレート:Cite book
  7. テンプレート:Cite book
  8. テンプレート:Cite book
  9. テンプレート:Cite book
  10. テンプレート:Cite book
  11. テンプレート:Cite book
  12. テンプレート:Cite book
  13. テンプレート:Cite book
  14. テンプレート:Cite book
  15. テンプレート:Cite book
  16. テンプレート:Cite book
  17. テンプレート:Cite book
  18. テンプレート:Cite book
  19. テンプレート:Cite book
  20. テンプレート:Cite book
  21. テンプレート:Cite book
  22. テンプレート:Cite book
  23. テンプレート:Cite book
  24. テンプレート:Cite book
  25. テンプレート:Cite book
  26. テンプレート:Cite book
  27. テンプレート:Cite book
  28. テンプレート:Cite book
  29. テンプレート:Cite book
  30. テンプレート:Cite book
  31. テンプレート:Cite book
  32. テンプレート:Cite book
  33. 『跳び箱神話part2』、レゾナンス出版、356-357頁。ISBN 4-947735-07-4。
  34. テンプレート:Cite book
  35. テンプレート:Cite book
  36. テンプレート:Cite book
  37. テンプレート:Cite book
  38. テンプレート:Cite book
  39. テンプレート:Cite web