豚カツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(トンカツから転送)
豚カツ(とんかつ)は、厚みのある豚のロースやヒレのスライス肉を、小麦粉・溶き卵・パン粉をまとわせて食用油で揚げた料理[1]。 表記は、「とんかつ」・「とんカツ」・「トンカツ」・「豚カツ」など様々である。単に「カツ」と書かれることもある。
目次
概要
家庭用のレシピとしては、以下がポピュラーである。
- 「トンカツ用」などとして売られているスライスされた豚肉を使う。筋切り、塩コショウする。
- 小麦粉をまぶして軽くはたき落し、溶き卵にくぐらせ、パン粉をつける。
- 天ぷら鍋にサラダ油を満たし、150~160℃という比較的低温で10分ほど揚げる。衣をカリっとした食感とするために、最後の1分間だけ火を強くするとよい。
- 数cm幅に切り分け、ソースやからしなどを添えて提供する。
業務店では、効率化のため小麦粉と溶き玉子の代わりに業務用に販売されている「バッター粉」で代用している例も多い[2]。
現在「とんかつ専門店」では、茶碗飯・味噌汁をセットにした和食のスタイルで「とんかつ」を提供している[3]。肉の部位はロースとヒレのどちらかを選択できる店が多い。生キャベツの千切り[4]を添えることが多い。しじみ汁を供する店が多いのは、脂肪分の分解を助けるメチオニンや、そこから合成できるタウリンといったアミノ酸が摂取できて理に適っているといわれる[5]。
歴史
外食店
- 1899年(明治32年)、東京市・銀座の洋食店「煉瓦亭」が「豚肉のカツレツ」(「ポークカツレツ」)をメニューに載せた。それまでのカツレツと違い、牛肉でなく豚肉を使い、ソテー(炒め揚げ)ではなく天ぷらのように大量の油で揚げ(ディープ・フライ)[6]、温野菜のかわりに生キャベツの千切りを添えて提供した[注釈 1]。西洋人だけではなく日本人の客に受け入れられることを目論んで作った料理で、人気となった。
- 1911年(明治44年)永井荷風の随筆「銀座」[7][8]では露店で供される「トンカツ」について触れられている[9]。また高村光太郎の1912年(大正1年)の詩「夏の夜の食欲」[10]にも「トンカツ」への言及を見ることができる[11]。
- 関連料理として、1918年(大正7年)に「カツカレー(河金丼)」と、1921年(大正10年)に「カツ丼」[12]が誕生。同1921年に、新宿の「王ろじ」が厚いヒレ肉の「とんかつ」[13][14]をはじめて売り出したというとんかつ発祥説のひとつがある[15][注釈 2]。
- 1923年(大正12年)の関東大震災後、洋食や中華料理の人気におされて人気が下降していた日本蕎麦屋が、起死回生策としてカツ丼やカレーライスを扱いはじめたところ、気安く食べられる「蕎麦屋の洋食」として大人気となった[16]。
- 1929年(昭和4年)、御徒町の洋食店「ポンチ軒」が「とんかつ」をはじめて販売[17][18]。厚みのあるカツを箸で食べやすいようにあらかじめ包丁で切り分け、茶碗飯と漬け物と味噌汁で食べさせるという和定食のスタイルで客に出し、評判となった。2.5〜3センチという厚い豚肉に十分に火を通す加熱調理法を考案した同店のコック島田信二郎は、各種文献で「とんかつの発明者」とされているが、自分の料理を「とんかつ」と呼ばれる事を嫌っていたともいい、かれが本当にとんかつの発明者であったのかどうか、現在にいたるまで謎のままである[注釈 3][19]。いずれにせよこのスタイルの「とんかつ」が人気を得て、全国に広まった[20][21]。
- 1932年(昭和7年)には、上野や浅草に「楽天」・「喜田八」・「井泉」など「とんかつ専門」を標榜する店が次々と開店し、東京下町の繁華街でとんかつブームが起こった[22]。また同じ頃、須田町食堂やデパートの大食堂など、和洋中のすべてをあつかう大衆飲食店が人気となり、豚カツ(トンカツ、とんかつ)の普及に貢献した。一方、昭和恐慌の時期とも重なっており、安サラリーマンの贅沢は給料日に肉屋の店頭で買う一枚五銭の豚カツ(トンカツ、とんかつ)とも言われた[23]。
- 1958年には、とんかつチェーン和幸の第一店が開店。カツの衣を湿らさない工夫として金網を利用したり、千切りキャベツや味噌汁をおかわり自由にするなど、新たなサービス攻勢により、とんかつ専門店の間でも競争が激化するきっかけとなった[24]。
家庭向け料理書における表記の変遷
- 岡田哲の調べによる[25]
- 1872年(明治5年)仮名垣魯文著『西洋料理通』に「ホールコットレット」として紹介されたものがルーツと考えられる。
- 1895年(明治28年)、バターで炒め焼きするカツレツのレシピが載る。
- 1904年(明治37年)、豚の薄切り肉を使用した「豚の肉フライ」のレシピが載る。リンゴソースをかけて食べる。
- 1910年(明治43年)、「魚の切身位」の厚さの「豚肉のカツレツ」のレシピが載る。三杯酢をかけて食べる。
- 1915年(大正4年)、二分(約0.6cm)の厚さの「ポークカツレツ」のレシピが載る。橙をかけて食べる。
- 1922年(大正11年)、「牛肉のカツレツ」のレシピの中で、刻みキャベツと、ウスターソースの文字が初めて登場する。
- 1926年(大正15年)、「ポークカツレツ」のレシピの中で、キャベツの千切りを添えるとある。
- 1930年(昭和5年)、「豚肉カツレツ」のレシピが登場。
- 1942年(昭和17年)、「ポークカツレツ」(「とんかつ」と併記された)のレシピが登場。
- 1959年(昭和34年)、「豚(とん)カツ」の表記が登場。以後しばらくこの表記が主流となる。肉の厚さは1cm〜1.5cmとなり、少量の油で炒め揚げる手法は廃れる。
- 1974年(昭和49年)、このころから「とんカツ」の表記が広まっている。
関連料理
豚カツは、さらに調理されて別の料理となったり、他の料理と組み合わせられる事がある。
- カツカレー - カレーライスと豚カツを組み合わせた料理。
- カツ丼 - 豚カツとタマネギをタレで煮て鶏卵でとじたものを丼飯に載せた料理。卵とじにせず豚カツをソースにつけて丼飯の上に載せたものは一般にソースカツ丼と呼ぶ。
- カツサンド - 豚カツをウスターソース等で味付けし、サンドイッチの具としたもの。
- 一口カツ - 一口で食べられるような小さく切った素材を使ったもの。軽食として食べられるようにこれを串に刺す場合と、素材を串に刺してから提供する串カツもあり、これは豚カツ専門店以外に軽食店や露店でも供されている。
地方料理も多く、かつめし、エスカロップ、味噌カツ、トンカツラーメン、トルコライス、ボルガライスなど、また地元のブランド豚を使用するなど町おこしの一環としても利用されている[注釈 4]。
国外における豚カツ
日本食を好む外国人は多いが、その中でもこの豚カツを好む人が多数存在する[26]。
- 中国料理では「排骨」と呼ばれる調理法で作られたポークカツレツが普及していて、日本ラーメン店や中国料理店でも見かける。
- 台湾においても普及の過程は韓国と同様である。2000年代頃からでは日系のコンビニ弁当の具材として使用され、カツ丼に似た「排骨飯」も普及している。
- 韓国では韓国語で「トンカス」(돈가스)と呼ばれている。 日本統治時代にカツレツとして伝わっていたが、庶民的な料理になったのは1970年代中頃からで韓国の豚カツは豚肉を薄く延ばすなど、むしろ「ポークカツレツ」に近いものであったが、肉厚がありジューシーな食感を持つ日本の豚カツもやがて一般化し、大都市では主流となっている[27]。
- アメリカなどでも日本料理店で「Tonkatsu」として提供されている[28]。
- フランス人観光客も日本の豚カツに感動するという。一つはフランス料理にかかせないソースが食材そのものの良さを引き立てていて、豚カツソースに目を丸くするのだという。次にキャベツで、一般に豚肉料理の付け合わせというと、ほうれん草やフライドポテト、インゲンであることが多いが、日本では生のキャベツが出てくるからだ。フランスでは紫キャベツを除くと、キャベツを生で食べない。とても固いので、煮込みやスープに用いるだけで、こんなに柔らかいキャベツを食べたことがないと感動する[29]。
トンカツの日
- 日本記念日協会は、10月1日を「トンカツの日」に認定している。冷凍食品メーカーの「味のちぬや」が提唱したもので、「スポーツの秋にトンカツを食べて元気になり、勝負に勝つ(カツ)」ことと、トンを10、カツを1(=1番)に見立てて決めたものである。
- またこれとは別に、東京都食肉事業協同組合が10月10日を「とんかつの日」と決め、特別セールを行なっている[30]。
脚注
注釈
参考文献
- 岡田哲 『とんかつの誕生――明治洋食事始め』 講談社[講談社選書メチエ]、2000年 ISBN 4062581795
- 小菅桂子『にっぽん洋食物語大全』講談社+α文庫、1994年 ISBN 978-4062560658
- 今柊二『とことん! - とんかつ道』 中央公論新社 中公新書ラクレ 2014年 ISBN 978-4121504821
- 富田仁 『舶来事物起原事典』 名著普及会、1987年 ISBN 978-4895513128
- 『とんかつ フライ料理 人気店のメニューと調理技術』旭屋出版ムック 2009年 ISBN 4751108182
- 『とんかつ・コロッケ雑学帳』旭屋書店 料理と食シリーズ12
- 産経web「ウイークエンド首都圏 町と味のストーリー」(掲載終了)
関連項目
外部リンク
- jbpress 『揚げ物ではなかった「とんかつ」誕生秘話』 豚肉の炒め焼きが遂げた画期的な進化とは
- ↑ 小菅桂子『にっぽん洋食物語大全』p120
- ↑ [1]
- ↑ 日本橋三四四会「食文化史研究家・岡田哲氏は、洋食の歴史を詳しく紐解いた著「とんかつの誕生 明治洋食事始め」(講談社選書メチエ)で、前述の歴史のほか、とんかつが洋食でなく、和食の一つとして完成するまでの経緯を述べている」
- ↑ 欧米を読む基礎知識
- ↑ しじみ習慣 しじみオルニチンの効果 しじみの栄養学/自然食研。2014年3月22日閲覧。
- ↑ 天ぷら「少量の油で揚げていたはずの天ぷら」現在の天ぷらとは異なる量
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:青空文庫
- ↑ どんぶり探偵団編・文藝春秋刊「ベストオブ丼」70ページでも触れられている。
- ↑ 高村光太郎『道程-詩集』(角川書店、1968年)より。「浅草の洋食屋は暴利をむさぼって/ビフテキの皿に馬肉を盛る/泡のういた馬肉の繊維、シチュウ、ライスカレエ/癌腫の膿汁かけたトンカツのにほひ」
- ↑ 明治時代に知られてきた洋食の「ポークカツレツ」は、「豚カツレツ」という表記でも料理書や店のメニューに散見されるようになった(上 : 岡田 とんかつの誕生 p171)
- ↑ 文春文庫『ベスト オブ 丼』 「カツ丼は大正10年(西暦1921年)2月、早稲田高等学院の学生・中西敬二郎さんが考案した、というのが定説である。」
- ↑ 日本で最初に豚肉フライに「とんかつ」という名称を付けたとんかつ屋『王ろじ』に行ってみた
- ↑ とんかつの名付け親☆王ろじ
- ↑ どんぶり探偵団編・文藝春秋刊『ベストオブ丼』p70
- ↑ 上 : 岡田 とんかつの誕生 p220
- ↑ 富田仁の『舶来事物起原事典』(名著普及会、1987年)p59に以下の記述がある。「カツレツがとんかつという名になったのは昭和四年頃のことである。宮内省大膳部にいた島田信二郎が、上野のぽんち軒という西洋料理店のコックになり、ポークカツをつくったとき、その名称に悩み、考えた末に平仮名で『とんかつ』と名づけたのである」。ただし、ぽんち軒とは、いまも続く「ぽん多」のことではなかったかと小菅桂子が著書で控え目に指摘している。
- ↑ 息子の島田忠彦によると、島田信二郎は「とんかつ」という呼び方を嫌っていたという。
- ↑ 上 : 岡田 とんかつの誕生 p172
- ↑ 上 : 岡田 とんかつの誕生 p166
- ↑ 小菅桂子『にっぽん洋食物語大全』p122
- ↑ 上 : 岡田 とんかつの誕生 p172-175
- ↑ コロッケはその半額だった。上 : 岡田 とんかつの誕生 p173
- ↑ 和幸
- ↑ 上 : 岡田 とんかつの誕生
- ↑ Travel Japan(Tonkatsu, Japanese Pork Cutlet)
- ↑ 八田靖史 韓国料理大図鑑
- ↑ Saboten Japanese Tonkatsu North American Grand Openingテンプレート:En icon
- ↑ 藤野敦子『不思議フランス』(春風社)pf.176。
- ↑ 東京都食肉事業協同組合・東京都食肉生活衛生同業組合HP
引用エラー: 「注釈」という名前のグループの <ref>
タグがありますが、対応する <references group="注釈"/>
タグが見つからない、または閉じる </ref>
タグがありません