エアロスミス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Musician

エアロスミスAerosmith)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンからデビューしたロックバンド

概要

1973年デビュー。メンバーの脱退・一時離脱などを経た今もオリジナルメンバーで活動しているバンドである。2001年には「ロックの殿堂」入りを果たしており[1]、第2回「MTV アイコン・アワード」にも選ばれている[2][3]。これまでに「グラミー賞」4回、「ビルボード・ミュージック・アワード」4回、「アメリカン・ミュージック・アワード」6回、「MTV Video Music Awards」10回などを獲得している[4]。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」においては第59位にランクインされている[5]。スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーのソングライティング・コンビは“トキシック・ツインズ”(The Toxic Twins)とも呼ばれ、米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)からポップ・ミュージックを形成し多大な影響を与えたパイオニア的存在に贈られる「ファウンダーズ・アワード」が受賞されており[6][7]、ナショナル・アカデミー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入りもしている[8][9][10]

日本では、1970年代後半からクイーンキッスとともに“3大バンド”の1つとして人気を博し1977年に初来日している。1998年には海外アーティスト初となる4大ドームツアーを敢行した。

トータルセールスは、全世界で1億5,000万枚以上と言われている。

テンプレート:See

メンバー

150px 150px 130px 150px 160px
スティーヴン・タイラー
Steven Tyler
ボーカルブルースハープ
1948年3月26日生まれ
ニューヨーク州ヨンカーズ出身
ジョー・ペリー
Joe Perry
リードギターバッキング・ボーカル
1950年9月10日生まれ
マサチューセッツ州ローレンス出身
ブラッド・ウィットフォード
Brad Whitford
リズムギター
1952年2月23日生まれ
マサチューセッツ州ウィンチェスター出身
トム・ハミルトン
Tom Hamilton
ベース
1951年12月31日生まれ
コロラド州コロラドスプリングス出身
ジョーイ・クレイマー
Joey Kramer
ドラムスパーカッション
1950年6月21日生まれ
ニューヨーク州ニューヨークブロンクス区出身

サポート・メンバー

  • デイヴィッド・ハル(David Hull ) - ベース
トム・ハミルトン病気療養中の全米ツアーに参加していた。

メンバーの変遷

1970 - 1971
(バンド結成時)
  • スティーヴン・タイラー
  • ジョー・ペリー
  • レイモンド・タバーノ(Raymond Tabano
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー
1971 - 1979
  • スティーヴン・タイラー
  • ジョー・ペリー
  • ブラッド・ウィットフォード
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー
1979 - 1980
(ジョー脱退期)
  • スティーヴン・タイラー
  • ジミー・クレスポJimmy Crespo
  • ブラッド・ウィットフォード
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー
1980 - 1984
(ジョー、ブラッド脱退期)
  • スティーヴン・タイラー
  • ジミー・クレスポ
  • リック・ダフェイ(Rick Dufay
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー
1984 -
  • スティーヴン・タイラー
  • ジョー・ペリー
  • ブラッド・ウィットフォード
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー

来歴

1970年(バンド結成) - 1972年

1970年夏、アメリカニューハンプシャー州サナピー湖にあるクラブ「ザ・バーン」で友人関係にあったジョー・ペリートム・ハミルトンらによるバンド「ザ・ジャムバンド」の演奏をスティーヴン・タイラーが観ており、彼らに新バンドを組む話を持ちかけた事が「エアロスミス」誕生の発端とされている[11]。スティーブンはすでに別のバンド(「ザ・ストレンジャーズ」や「チェーン・リアクション」)でドラマーボーカルとして活動しており、地域で知名度もあった。

この新バンドでスティーブンはフロントマンに徹し、ドラマーにジョーイ・クレイマー、もう1人のギタリストにレイモンド・タバーノが加入し活動がスタート。バンド名はジョーイが高校時代からイメージしていたバンド名にちなんで「エアロスミス」に決まった[12]。バンドロゴはレイモンドの原案が採り入れられた。

しかし、翌1971年にレイモンドが脱退。バンドは新たなギタリストとしてバークリー音楽大学を卒業し、複数のバンドでの経験もあるブラッド・ウィットフォードを迎えることになり、オリジナルメンバーが揃うことになる。

はじめはカバー曲中心のパーティバンドのような活動をしていたが、ボストンの「フェンウェイ・シアター」支配人からの紹介により地元有力プロモーターに出会い、マネジメント契約を結ぶ。その後、マネジメント会社の交渉により1972年夏にコロムビア・レコードとの契約が成立した。こうしてエアロスミスはデビューする足掛かりを掴んだ。

1973年(デビュー) - 1977年

1973年1月、1stアルバム『野獣生誕』(Aerosmith)でデビュー。アルバム収録曲の「ドリーム・オン」(Dream On)がアメリカ東海岸地区のロック系ラジオを中心として注目され、同曲をシングルカット。全米チャート59位(Billboard Hot 100)まで上昇するヒットとなる。

1974年3月、2ndアルバム『飛べ!エアロスミス』(Get Your Wings)を発表。1年以上に渡って全米チャート200位圏内(Billboard 200)に入り続ける作品になった。プロデューサーはジャック・ダグラスが担当した。

ファイル:Aerosmith Tom Hamilton.jpg
トロント公演で演奏するトム・ハミルトン(1975年)

1975年4月、3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』(Toys In The Attic)を発表。「ウォーク・ディス・ウェイ」(Walk This Way)や「スウィート・エモーション」(Sweet Emotion)もシングルヒットし、アルバムも全米チャート11位(Billboard 200)まで上昇。バンド初のプラチナ・ディスクを獲得した。この勢いで前2作のアルバムのセールスも上がり、シングル「ドリーム・オン」は再発売されて全米チャート6位(Billboard Hot 100)まで上昇した。なお、日本では同年5月に『飛べ!エアロスミス』が発売されて日本デビューとなった。

1976年4月、全米ツアー開始。ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンでのライブも開催。5月には4thアルバム『ロックス』(Rocks)を発表。全米アルバムチャート3位(Billboard 200)を記録し、「ラスト・チャイルド」(Last Child)、「ホーム・トゥナイト」(Home Tonight)、「バック・イン・ザ・サドル」(Back In The Saddle)もシングルヒットする。日本でも彼らの知名度は上がり、「クイーン」(Queen)、「キッス」(Kiss)と並び“3大バンド”の1つとして人気を博した。10月には初のヨーロッパツアーを開始。翌1977年2月には初の日本ツアーも行っている。

1977年 - 1983年

人気の拡大とともにバンド活動には2度目のヨーロッパツアーを含む大規模なツアーが組み込まれ、その合間に次作のレコーディングが行われるという過酷なスケジュールになり、以前から使用していたとされるドラッグも使用頻度が増していった(薬物乱用)。そのような中、1977年12月に5thアルバム『ドロー・ザ・ライン』(Draw The Line)を発表。全米チャート11位(Billboard 200)のヒットとなる。1978年3月にはロック・フェスティバルカリフォルニア・ジャム2』でヘッドライナーを務め、同年7月から公開されたビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を取り上げた同名タイトルの映画にも出演。「カム・トゥゲザー」をカバーするなど精力的な活動が続いていた。しかし、バンド内ではスティーヴンとジョーの関係悪化が進み、ステージ上で小突き合いまでしていた[13]。さらに、バンド内に蔓延しているドラッグ癖が次作のアルバム制作にまで影響を及ぼす状況になっていた。そして、1979年7月のロック・フェスティバル『ワールド・シリーズ・オブ・ロック』出演後に些細な出来事からバンド内で大喧嘩が起こり、ジョーがバンドを脱退する事態にまで発展した。

同年11月、ジョーは新たに「ジョー・ペリー・プロジェクト」を立ち上げてライブ活動を始め、バンドはジョーに代わるギタリストとしてジミー・クレスポを加入しアルバム制作を続行し、制作途中であった6thアルバム『ナイト・イン・ザ・ラッツ』(Night In The Ruts)を完成させた(プロデューサーはゲイリー・ライオンズ)。

1980年3月、ジョー・ペリー・プロジェクトが1stアルバム『熱く語れ!』(Let The Music Do The Talking)を発表。一方、スティーヴンの負傷などにより活動が停滞していたバンドは、10月に初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』(Aerosmith's Greatest Hits)を発表する。

1981年8月、ブラッドがデレク・セント・ホルムズとアルバム『ウィットフォード/セント・ホムルズ』(Whitford/St. Holmes)を発表しバンドから脱退する。また、ジョー・ペリー・プロジェクトは2ndアルバム『忘れじのロックン・ロール』(I've Got The Rock'n'Rolls Again)を発表する。

1982年8月、ブラッドに代わるギタリストにリック・デュフェイを迎えて7thアルバム『美獣乱舞』(Rock In A Hard Place)を発表。

1983年9月、ジョー・ペリー・プロジェクト3rdアルバム『いつまでも熱く』(Once A Rocker, Always A Rocker)発表。

1984年 - 1996年

1984年2月、エアロスミスのボストン公演をジョーとブラッドが訪れる。後日、話し合いの場が持たれてオリジナルメンバーでの再活動が決まり、諸条件(ドラッグ、アルコールからの脱却とマネジメントの刷新)を整えてツアーを開始。レコードレーベルゲフィン・レコードに移籍する。

1985年11月、プロデューサーにテッド・テンプルマンを迎えた8thアルバム『ダン・ウィズ・ミラーズ』(Done With Mirrors)を発表。

1986年Run-D.M.C.が「ウォーク・ディス・ウェイ」をカバー。スティーヴンとジョーレコーディングに参加しミュージック・ビデオにも出演した。このシングルは全米チャート4位(Billboard Hot 100)のヒットとなり[14]、エアロスミスが音楽シーンにカム・バックしていくきっかけになった。

1987年8月、プロデューサーにブルース・フェアバーンを迎えた9thアルバム『パーマネント・ヴァケイション』(Permanent Vacation)発表。全米チャート11位(Billboard 200)を記録し、「エンジェル」(Angel)、「ラグ・ドール」(Rag Doll)のシングルもヒットした。翌1988年6月には11年ぶりとなる日本ツアーを行った。

1989年9月、10thアルバム『パンプ』(Pump)を発表。全米チャート5位(Billboard 200)を記録し、「エレヴェイター・ラブ」(Love In An Elevator)、「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」(Janie's Got A Gun)、「アザー・サイド」(The Other Side)、「ホワット・イット・テイクス」(What It Takes)のシングルもヒットした。また、12年ぶりとなるヨーロッパツアーや初のオーストラリアツアーも行われた。

1990年グラミー賞で「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」が「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞[15]MTV Video Music Awardsでも「ヴューワーズ・チョイス」などを受賞[16]。同年9月には日本ツアーを開催。

1991年、MTV Video Music Awardsで「アザー・サイド」が「ベスト・メタル/ハードロック・ビデオ」を受賞[17]。初のボックス・セット『パンドラの箱』(Pandora's Box)を発表する。

1993年、1度レコーディングしていた曲を聴き込み、それらの曲を収録せずさらに追加で制作した曲をレコーディングするなど熟考を重ねた11thアルバム『ゲット・ア・グリップ』(Get A Grip)を発表。バンド初の全米チャート1位(Billboard 200)を獲得し、「リヴィング・オン・ジ・エッジ」(Livin' On The Edge)、「クライン」(Cryinテンプレート:')、「クレイジー」(Crazy)のシングルもヒットした。MTV Video Music Awardsでは「リヴィング・オン・ジ・エッジ」が「ヴューワーズ・チョイス」を受賞[18]。翌1994年第36回グラミー賞でも「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞し[15]、「クライン」がMTV Video Music Awardsの最優秀賞に当たる「ビデオ・オブ・ジ・イヤー」などを受賞した[19](「クライン」は第37回グラミー賞で「ベスト・ロック・パフォーマンス」も受賞している[15])。また、同年に開催された日本ツア-では日本武道館7日間公演などを行い、初の南米ツアーも行われた。11月にはゲフィン・レコード期から選曲したベスト・アルバム『ビッグ・ワンズ』(Big Ones)を発表する。

1997年 - 2004年

1997年3月、レコードレーベルがデビュー当時に所属していたコロムビア・レコードに変わり、プロデューサーにケヴィン・シャーリーを迎えた12thアルバム『ナイン・ライヴズ』(Nine Lives)を発表。前作に続き全米チャート1位(Billboard 200)を獲得した。なお、当初のディスクジャケットヒンドゥー教徒からの反感を買いかねないということで、デザインが変更されている[20]。翌1998年の日本ツアーでは“海外アーティスト初”となる4大ドームツアーを開催した(名古屋・大阪・福岡・東京のドーム球場に加え、横浜アリーナ公演も行った)。また、同年に公開された映画『アルマゲドン』のテーマ曲に起用された「ミス・ア・シング」(I Don't Want To Miss A Thing)が、バンド史上初となる全米シングルチャート1位(Billboard Hot 100)を獲得[21]。MTV Video Music Awardsの「ベスト・ビデオ・フロム・ア・フィルム」を受賞した[22]。同年10月にはライブ・アルバム『ア・リトル・サウス・オブ・サニティ』(A Little South Of Sanity)を発表した。

ファイル:Rockn wdw.jpg
ディズニー・ハリウッド・スタジオ内のロックンローラー・コースター(2011年)

1999年第41回グラミー賞で「ピンク」(Pink)が「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞[15]。7月にはアメリカフロリダ州ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート内の「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」にエアロスミスをフィーチャーしたアトラクション「ロックンローラー・コースター」がオープンする。年末には再び来日し、大阪ドームでのカウントダウン・ライブを含む年を跨いでの4大ドームツアーを開催した。

2001年1月、アメリカン・ミュージック・アワードから「アワード・オブ・アチーブメント」(功労賞)を受賞し[23]、授賞式で新曲「ジェイディッド」(Jaded)を披露。『第35回スーパーボウル』のハーフタイムショーにも出演した。3月には13thアルバム『ジャスト・プッシュ・プレイ』(Just Push Play)を発表。全米チャート2位(Billboard 200)を記録した。また同年、バンドは「ロックの殿堂」入りを果たした[1]

同年10月、テクモがゲームソフト「DEAD OR ALIVE 3」においてエアロスミスとの楽曲仕様契約を締結したことを発表。エアロスミス側はナイン・ライヴスホーム・トゥナイトアメイジングを提供[24][25]

2002年1月、日本ツアー開催(3度目となる4大ドームツアー)。5月に公開された映画『スパイダーマンサウンドトラックで「スパイダーマンのテーマ」(Theme From Spiderman)をカバーした[26]。6月に再び来日し、『2002 FIFAワールドカップ』のオフィシャルコンサートに出演。アンコールでB'zと共演し「トレイン・ケプト・ア・ローリン」(Train Kept A Rollinテンプレート:')を披露した。7月にはレーベルの垣根を越えたベスト・アルバム『アルティメイト・エアロスミス・ヒッツ』(O,Yeah! The Ultimate Aerosmith Hits)を発表。

2003年、全米でキッスとのジョイントツアーを開催した。

2004年3月、彼らのルーツとなるブルース作品のカバー・アルバムホンキン・オン・ボーボゥ』(Honkin' On Bobo)を発表。共同プロデューサーとしてジャック・ダグラスが『ドロー・ザ・ライン』以来となるアルバム制作に関与した。7月には日本ツアーを開催(広島公演はスティーヴンの怪我により中止された)。ロック・フェスティバル『POCARI SWEAT BLUE WAVE THE ROCK ODYSSEY 2004』にヘッドライナーとしても出演した。ツアー終了後は長期休暇をとる予定であることが伝えられた[27]

2005年 -

新作の発表はしばらくなかったがライブ活動は不定期的に行われており、ライブ・アルバム『ロッキン・ザ・ジョイント』(Rockin' The Joint)発表後は北米ツアーを行い、2007年には南米・中東・ヨーロッパを含むツアーを行った。しかし、各メンバーに病気や怪我によるツアーの途中キャンセルや一時離脱が続いた。ソロ活動としては、2005年にジョーが初のソロ名義となるアルバム『ジョー・ペリー』(Joe Perry)を発表。2009年には『ハヴ・ギター、ウィル・トラヴェル』(Have Guitar, Will Travel)を発表。ジョー・ペリー・プロジェクト名義で北米ツアーも行った。この頃、バンド活動を休みたいスティーヴンとバンド活動に長期間の空白を作りたくないメンバー間に軋轢が生じていた[28]

2010年5月から9月までツアーを開催するものの、スティーヴンはアメリカのオーディション番組『アメリカン・アイドル (シーズン10)』の審査員を務め(引き続き『アメリカン・アイドル (シーズン11)』の審査員も務めた)、シングル「LOVE LIVES」(映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』主題歌)を発表するなどのソロ活動を行い、一時期は“スティーヴン脱退説”や“エアロスミスが新たなシンガー模索中”などのニュースが流れることになった[29]2011年に南米からツアーがスタートし、11月には7年ぶりとなる日本公演も行った[30]

ファイル:AerosmithNassauColliseum.jpg
2012年7月1日ナッソー公演でのスティーヴンとジョー

2012年11月、発売延期を経て『ジャスト・プッシュ・プレイ』以来、実に11年振りとなるスタジオ・アルバムミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』(Music From Another Dimension!)を発表。翌2013年には日本公演を開催。QVCマリンフィールドでの公演は“AEROSONIC”と題してB'zと対バン形式のライブを開催[31]。「ママ・キン」(Mama Kin)をともに披露した[32]。また、シンガポール公演と大阪公演最終日では日本のヒューマンビートボクサーHIKAKINと「ウォーク・ディス・ウェイ」で共演した[33]

主な楽曲

「ドリーム・オン」(Dream On
1973年のデビュー・アルバム『野獣生誕』からのリカット。アルバムのセールスは思わしくなかったものの、「ドリーム・オン」はボストン周辺で高い支持を得ていた。その後、バンドのブレイクとともに再発売され、1976年には全米チャート6位(Billboard Hot 100)まで上昇した[21]。後に、ライヴ・バージョンが映画『ラスト・アクション・ヒーローサウンドトラックに提供された。Xboxで発売されているテクモの3D格闘ゲーム『デッド・オア・アライブ・アルティメット』挿入歌としても使用されている。元レインボーブラック・サバスのヴォーカリストだったロニー・ジェイムズ・ディオは、イングヴェイ・マルムスティーンとともに、「ドリーム・オン」をエアロスミスのトリビュート・アルバムでカバーした。
『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』において173位にランクインしている[34]
「トレイン・ケプト・ア・ローリン」(Train Kept A Rollinテンプレート:') 
飛べ!エアロスミス』収録。彼らが若い頃から憧れ尊敬しているバンドヤードバーズのカバー曲(原曲は、タイニー・ブラットショー)でありながら、エアロスミスの代表曲の1つにもなっている。ライブ定番の曲として披露される事が多い。
2002年6月27日に東京スタジアムで開催された『2002 FIFAワールドカップ・オフィシャル・コンサート インターナショナル・デイ』出演の際にはB'zとこの曲で共演し、コンサートを締め括った。
2009年には、「ロックの殿堂」入り授賞式恒例のオールスター・フィナーレでジョーが元ヤードバーズのジェフ・ベックジミー・ペイジ、さらにロン・ウッドフリーメタリカとともに「トレイン・ケプト・ア・ローリン」を演奏した。
「スウィート・エモーション」(Sweet Emotion
1975年発表の3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』収録。アルバム発売翌月にリカットされ全米チャート36位(Billboard Hot 100)を記録した[21]
トムによるベースラインが印象的となっている。
『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』において416位にランクインしている[35]
「ウォーク・ディス・ウェイ」(Walk This Way
1975年発表の3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』収録。1977年にリカットされ全米チャート10位(Billboard Hot 100)を記録した[21]
ラップ・ロックの先駆的な楽曲であり、1986年にRun-D.M.C.によるカバー曲が全米チャート4位(Billboard Hot 100)を記録するヒットとなった[14]。このカバーにはスティーヴンとジョーも参加している[36]
日本では日本テレビ系列のバラエティ番組『踊る!さんま御殿!!』メインテーマとして使用されている。
『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』において336位にランクインしている[37]
「バック・イン・ザ・サドル」(Back In The Saddle
4thアルバム『ロックス』1曲目に収録。シングルは全米チャート38位(Billboard Hot 100)を記録している[21]。ライブでもオープニングを飾ることが多く、ライブ・アルバムライヴ・ブートレッグ』、『ライブ・クラシックスII』でも1曲目に収録されている。
1984年にジョーとブラッドが復帰してからの再始動ツアーのタイトルにもなった。
「ドロー・ザ・ライン」(Draw The Line
1977年発表の5thアルバム『ドロー・ザ・ライン』タイトル曲。シングルは全米チャート42位(Billboard Hot 100)を記録している[21]。ジョーによるスライド・ギターが印象的で、曲後半でのスティーヴンによるほぼシャウトと言える歌唱パートがある。
「デュード」(Dude (Looks Like a Lady)
1987年発表の9thアルバム『パーマネント・ヴァケイション』収録。シングルは全米チャート14位(Billboard Hot 100)を記録している[21]キッスボン・ジョヴィなど多くのアーティストを手掛けてきたデズモンド・チャイルドと共作した1曲。アルバムからの第1弾シングルとして発表され、全米チャート16位(ビルボード)を記録した。
「エンジェル」(Angel
1987年発表の9thアルバム『パーマネント・ヴァケイション』収録。スティーブンとデズモンド・チャイルドとの共作曲で、1988年に全米チャート3位(Billboard Hot 100)を記録するヒットとなった[21]
日本では2005年にフジテレビ系列の月9ドラマ『エンジン』オープニングテーマに起用された。
「エレヴェーター・ラブ」(Love In An Elevator) 
1989年発表の10thアルバム『パンプ』収録。リカットされて全米チャート5位(Billboard Hot 100)を記録した[21]
「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」(Janie's Got A Gun
1989年発表の10thアルバム『パンプ』収録。スティーブンとトムによる共作曲で、バンド史上初のグラミー賞受賞曲となった[15]児童虐待銃社会が歌詞のテーマになっている。全米チャート4位(Billboard Hot 100)を記録した[21]
「フォーリング・イン・ラヴ」(Falling In Love
1997年発表の12thアルバム『ナイン・ライヴズ』の先行シングル。全米チャート35位(Billboard Hot 100)を記録する[21]。ミュージック・ビデオがMTV Video Music Awardsの「ベスト・ロック・ビデオ」を受賞した[38]
ミス・ア・シング」(I Don't Want To Miss A Thing
映画『アルマゲドン』主題歌。楽曲はダイアン・ウォーレン作。バンド史上初となる全米シングルチャート1位(Billboard Hot 100)を獲得(4週連続)[21]第71回アカデミー賞「歌曲賞」部門にノミネートされ、MTV Video Music Awardsの「ベスト・ビデオ・フロム・ア・フィルム」を受賞した[22]
ミュージック・ビデオでは映画の映像が所々で使用されており、映画と同様にスティーヴンの娘であるリヴ・タイラーも出演している。また、映画のクライマックスシーンである父と娘の最期の会話シーンがミュージック・ビデオの最後で再現されており、スティーヴンとリヴの本物の親子が共演する形となった。
「ジェイディッド」(Jaded
2001年発表の13thアルバム『ジャスト・プッシュ・プレイ』収録。全米チャート7位(Billboard Hot 100)を記録した[21]。ミュージック・ビデオにはミラ・キュニスが出演している。ビルボード・ミュージック・アワードの「ベスト・ハード・ロック・クリップ・オブ・ザ・イヤー」を受賞した[4]
2004年には日本コカ・コーラCMソングに起用されている[39]

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

発売年 タイトル
(原題)
レコード会社 チャート最高位 ゴールドディスク
US[40] CAN[41] UK[42] GER[43] NLD[44] AUS[45] JPN[46]
1973年 野獣生誕
Aerosmith
ソニー・ミュージック
コロムビア・レコード
21
  • RIAA:2×プラチナム[47]
1974年 飛べ!エアロスミス
Get Your Wings
74
  • RIAA:3×プラチナム[47]
1975年 闇夜のヘヴィ・ロック
Toys in the Attic
11
  • RIAA:8×プラチナム[47]
1976年 ロックス
Rocks
3
  • RIAA:4×プラチナム[47]
1977年 ドロー・ザ・ライン
Draw the Line
11
  • RIAA:2×プラチナム[47]
1979年 ナイト・イン・ザ・ラッツ
Night in the Ruts
14
  • RIAA:プラチナム[47]
1982年 美獣乱舞
Rock in a Hard Place
32
  • RIAA:ゴールド[47]
1985年 ダン・ウィズ・ミラーズ
Done with Mirrors
ユニバーサルミュージック
ゲフィン・レコード
36
  • RIAA:ゴールド[47]
1987年 パーマネント・ヴァケイション
Permanent Vacation
11 37 42
  • RIAA:5×プラチナム[47]
  • BPI:ゴールド[48]
1989年 パンプ
Pump
5 3 33 1 10
  • RIAA:7×プラチナム[47]
  • BPI:シルバー[48]
  • BVMI:ゴールド[49]
1993年 ゲット・ア・グリップ
Get a Grip
1 2 3 2 3 7
  • RIAA:7×プラチナム[47]
  • BPI:プラチナム[48]
  • BVMI:プラチナム[49]
1997年 ナイン・ライヴズ
Nine Lives
ソニー・ミュージック
(コロムビア・レコード)
1 2 4 3 17 13 3
  • RIAA:2×プラチナム[47]
  • BPI:ゴールド[48]
  • BVMI:ゴールド[49]
  • RIAJ:2×プラチナ[50]
2001年 ジャスト・プッシュ・プレイ
Just Push Play
2 2 7 6 32 27 4
  • RIAA:プラチナム[47]
  • BPI:シルバー[48]
  • RIAJ:2×プラチナ[51]
2004年 ホンキン・オン・ボーボゥ
Honkin' on Bobo
5 5 28 32 64 6
  • RIAA:ゴールド[47]
  • RIAJ:ゴールド[52]
2012年 ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!
Music from Another Dimension!
5 6 14 7 33 30 6
"—"は、チャートイン不明な場合を表す

ライブ・アルバム

発売年 タイトル
(原題)
レコード会社 チャート最高位 ゴールドディスク
US[40][21] CAN[41] UK[42] GER[43] NLD[44] AUS[45] JPN[46]
1978年 ライヴ・ブートレッグ
Live! Bootleg
ソニー・ミュージック
コロムビア・レコード
13
  • RIAA:プラチナム[47]
1986年 ライヴ・クラシックス
Classics Live I
  • RIAA:プラチナム[47]
1987年 ライヴ・クラシックスII
Classics Live II
  • RIAA:ゴールド[47]
1998年 ア・リトル・サウス・オブ・サニティ
A Little South of Sanity
ユニバーサルミュージック
ゲフィン・レコード
12 6 36 21 34 3
  • RIAA:プラチナム[47]
  • RIAJ:プラチナ[53]
2006年 ロッキン・ザ・ジョイント
Rockin' the Joint
ソニー・ミュージック
(コロムビア・レコード)
24 16
"—"は、チャートイン不明な場合を表す

コンピレーション・アルバム

発売年 タイトル
(原題)
レコード会社 チャート最高位 ゴールドディスク
US[40] CAN[41] UK[42] GER[43] NLD[44] AUS[45] JPN[46]
1980年 グレイテスト・ヒッツ
Aerosmith's Greatest Hits
ソニー・ミュージック
コロムビア・レコード
43
  • RIAA:11×プラチナム[47]
1988年 ジェムズ
Gems
133
  • RIAA:ゴールド[47]
1991年 パンドラの箱
Pandora's Box
45 21
  • RIAA:プラチナム[47]
1994年 パンドラズ・トイズ
Pandora's Toys
52 41 88
ビッグ・ワンズ
Big Ones
ユニバーサルミュージック
ゲフィン・レコード
6 7 5 8 12 5
  • RIAA:4×プラチナム[47]
  • BPI:プラチナム[48]
  • BVMI:ゴールド[49]
  • RIAJ:プラチナ[54]
1997年 グレイテスト・ヒッツ1973-1988
Aerosmith's Greatest Hits 1973-1988
ソニー・ミュージック
(コロムビア・レコード)
52
2001年 ヤング・ラスト
Young Lust:The Aerosmith Anthology
ユニバーサルミュージック
(ゲフィン・レコード)
191 32 78 48 37
  • RIAA:ゴールド[47]
  • BPI:プラチナム[48]
2002年 アルティメイト・エアロスミス・ヒッツ
O,Yeah!The Ultimate Aerosmith Hits
ソニー・ミュージック
(コロムビア・レコード)
4 6 23 3
  • RIAA:2×プラチナム[47]
  • RIAJ:プラチナ[55]
2006年 エアロスミス濃縮極極ベスト
Devils' Got a New Disguise - The Very Best of Aerosmith
33 19 80 31 8
  • BPI:プラチナム[48]
  • RIAJ:ゴールド[56]
2011年 タフ・ラヴ:ベスト・オブ・バラード
Tough Love: Best of the Ballads
ユニバーサルミュージック
(ゲフィン・レコード)
109 42 99
マキシマム・ベスト
The Essential Aerosmith
ソニー・ミュージック
(コロムビア・レコード)
104 44 52
"—"は、チャートイン不明な場合を表す

映像作品

発売年 タイトル レコード会社 ゴールドディスク
1978年 テキサス・ジャム '78
Live Texxas Jam '78
コロムビア・レコード
  • RIAA:ゴールド[47]
1987年 Aerosmith Video Scrapbook
  • RIAA:ゴールド[47]
1988年 Permanent Vacation 3x5 ゲフィン・レコード
  • RIAA:ゴールド[47]
1989年 Things That Go Pump in the Night
  • RIAA:プラチナム[47]
1994年 メイキング・オブ・パンプ
The Making of Pump
  • RIAA:ゴールド[47]
Big Ones You Can Look At
  • RIAA:ゴールド[47]
  • BPI:ゴールド[48]
2004年 ユー・ガッタ・ムーヴ
You Gotta Move
コロムビア・レコード
  • RIAA:4×プラチナム[47]
2013年 ロック・フォー・ザ・ライジング・サン
Rock for the Rising Sun

日本公演

会場
Rocks Tour
1977年 1月29日 群馬県スポーツセンター
1月31日 日本武道館
2月1日 名古屋市公会堂
2月4日 福岡市九電記念体育館
2月6日 京都会館第一ホール
2月7日 フェスティバルホール
2月9日 日本武道館
Permanent Vacation Tour
1988年 6月17日 名古屋市公会堂
6月20日 大阪城ホール
6月21日 日本武道館
6月23日
6月24日
6月26日 横浜文化体育館
Pump Tour
1990年 9月12日 大阪城ホール
9月14日 愛知県体育館
9月16日 横浜アリーナ
9月17日 日本武道館
9月19日
9月20日
9月22日 国立代々木競技場第一体育館
Get A Grip Tour
1994年 4月27日 横浜アリーナ
4月29日 大阪城ホール
4月30日
5月3日 広島サンプラザ
5月4日 福岡国際センター
5月6日 名古屋レインボーホール
5月7日 日本武道館
5月9日
5月10日
5月12日
5月13日
5月16日
5月17日
Nine Lives Tour
1998年 3月1日 ナゴヤドーム
3月3日 大阪ドーム
3月5日 福岡ドーム
3月8日 東京ドーム
3月9日
3月12日 横浜アリーナ
3月14日
Roar Of The Dragon Tour
1999年 12月29日 大阪ドーム
(31日はカウントダウン・ライブでバックチェリーMr.Bigも出演)
12月31日
2000年 1月2日 ナゴヤドーム
1月4日 福岡ドーム
1月6日 東京ドーム
1月7日
Just Push Play Tour
2002年 1月25日 大阪ドーム
1月27日
1月29日 福岡ドーム
1月31日 ナゴヤドーム
2月2日 東京ドーム
2月3日
2002 FIFA WORLD CUP KOREA/JAPAN OFFICIAL CONCERT
INTERNATIONAL DAY
presented by JVC
2002年 6月27日 東京スタジアム
(出演:鼓童B'z、エアロスミス)
How's It Honkin' Tour
2004年 7月10日 札幌ドーム
7月13日 大阪ドーム
7月15日 広島グリーンアリーナ
7月17日 ナゴヤドーム
7月20日 東京ドーム
テンプレート:Small
THE ROCK ODYSSEY 2004
2004年 7月24日 横浜国際総合競技場
(出演:LOVE PSYCHEDELICO、ジョシュ・トッド、ミシェル・ブランチポール・ウェラー稲葉浩志ザ・フー、エアロスミス)
7月25日 大阪ドーム
(出演:LOVE PSYCHEDELICO、ジョシュ・トッド、ミシェル・ブランチ、ウルフルズ、ポール・ウェラー、ザ・フー、エアロスミス)
Back On The Road Tour
2011年 11月22日 いしかわ総合スポーツセンター
11月25日 広島グリーンアリーナ
11月28日 東京ドーム
11月30日
12月2日 マリンメッセ福岡
12月6日 京セラドーム大阪
12月8日 愛知県体育館
12月10日 札幌ドーム
テンプレート:Small
AEROSONIC[31]
2013年 8月8日 QVCマリンフィールド
(出演:B'z、エアロスミス)
Global Warming Tour
2013年 8月11日 日本ガイシホール
8月14日 大阪市中央体育館
(HIKAKIN参加)
8月16日

脚注・出典

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

オフィシャルサイト
YouTube
Facebook・Twitter
レコード会社サイト
公式ファンクラブサイト

テンプレート:エアロスミステンプレート:Link GA

テンプレート:Link GA
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. 4.0 4.1 List of awards and nominations received by Aerosmith テンプレート:En icon 参照。
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite book
  12. ジョーイが学生時代ノートの隅に書いてあったバンド名の1つであり、「空気」を意味する「エアロ」(Aero)と「職人」を意味する「スミス」(Smith)を合わせた造語である。
  13. テンプレート:Cite book
  14. 14.0 14.1 テンプレート:Cite web
  15. 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 テンプレート:Cite web
  16. テンプレート:Cite web
  17. テンプレート:Cite web
  18. テンプレート:Cite web
  19. テンプレート:Cite web
  20. Nine Livesテンプレート:En icon で変更前のディスクジャケットが確認できる。また、アルバムタイトルの「Nine Lives」は、“a cat has nine lives(猫には九つの命がある)”の故事が由来となっている
  21. 21.00 21.01 21.02 21.03 21.04 21.05 21.06 21.07 21.08 21.09 21.10 21.11 21.12 21.13 テンプレート:Cite web
  22. 22.0 22.1 テンプレート:Cite web
  23. テンプレート:Cite web
  24. http://www.tecmo.co.jp/company/pdf/20011011.pdf
  25. 「アメイジング」はDOA4で使われた。
  26. テンプレート:Cite web
  27. テンプレート:Cite web
  28. テンプレート:Cite book
  29. テンプレート:Cite web
  30. テンプレート:Cite web
  31. 31.0 31.1 テンプレート:Cite web
  32. テンプレート:Cite web
  33. テンプレート:Cite web
  34. テンプレート:Cite web
  35. テンプレート:Cite web
  36. テンプレート:Cite web
  37. テンプレート:Cite web
  38. テンプレート:Cite web
  39. テンプレート:Cite web
  40. 40.0 40.1 40.2 テンプレート:Cite web
  41. 41.0 41.1 41.2 テンプレート:Cite web
  42. 42.0 42.1 42.2 テンプレート:Cite web
  43. 43.0 43.1 43.2 テンプレート:Cite web
  44. 44.0 44.1 44.2 テンプレート:Cite web
  45. 45.0 45.1 45.2 テンプレート:Cite web
  46. 46.0 46.1 46.2 テンプレート:Cite web
  47. 47.00 47.01 47.02 47.03 47.04 47.05 47.06 47.07 47.08 47.09 47.10 47.11 47.12 47.13 47.14 47.15 47.16 47.17 47.18 47.19 47.20 47.21 47.22 47.23 47.24 47.25 47.26 47.27 47.28 47.29 47.30 テンプレート:Cite web
  48. 48.0 48.1 48.2 48.3 48.4 48.5 48.6 48.7 48.8 テンプレート:Cite web
  49. 49.0 49.1 49.2 49.3 テンプレート:Cite web
  50. テンプレート:Cite web
  51. テンプレート:Cite web
  52. テンプレート:Cite web
  53. テンプレート:Cite web
  54. テンプレート:Cite web
  55. テンプレート:Cite web
  56. テンプレート:Cite web