ブルース
テンプレート:複数の問題 テンプレート:Otheruseslist テンプレート:Infobox Music genre ブルース(Blues)は、米国深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽のひとつ、またはその楽式。19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものと言われている。
アコースティック・ギターの弾き語りを基本としたデルタ・ブルース、バンド形式に発展したシカゴ・ブルース、ロックと融合したブルースロックなど、時を経て多様な展開をしている。
本来の発音は、ブルーズ[blú:z]である。
目次
音楽の特徴
20世紀以降のポピュラー音楽に幅広く影響を与えた。ジャズやロックンロールのルーツのひとつとしても知られている。
ブルースの基本的な構成として、12小節形式(ブルース形式)で綴られる詩が多い。12小節形式の基本はA・A・Bの形式をとる。つまり、4小節の同じ歌詞を二度繰り返し、最後の4小節で締めの歌詞を歌う。これがワンコーラスとなる。
ブルース形式(12小節形式)のコード進行
I | I または IV | I | I |
IV | IV | I | I |
V | IV または V | I | I または V |
これらのローマ数字は、コード度数を表している。これが例えばキーがC (ハ長調)だとすると以下の通りとなる。
C | C または F | C | C |
F | F | C | C |
G | F または G | C | C または G |
歌詞は、身近な出来事、感情を表現したものが多い。日常の幸せなことや憂鬱なこと(blues)を12小節に乗せて歌う。アメリカ南部の黒人たちにとって身近な存在だったギターは、伴奏楽器として適していたこともあり、初期のブルースはギターの弾き語りによるものが多かった。
旋律に独特の節回しがあり、一般にブルー・ノート・スケールと呼ばれている5音階(ペンタトニック・スケール)で即興的に演奏される。特に短3度、減5度、短7度の音に用いられる微妙な音の「訛り」はクオーターと呼ばれ、ブルース独特の「音」であり、カントリーやジャズには基本的にみられない音である。ギターでは、「クオーター・チョーキング」=1/4音上げで演奏されることが多いが、厳密には1/4音と決まっているわけではなく、人それぞれ感覚的に上げて使っているというのが実情である。ピアノではこの音を出すのが不可能のため、3度の音の場合は、長短の二つの鍵盤をトリルしたり同時に打鍵したりなどのテクニックを用いる奏者もいる。また1950年代からはジャズの影響によって、(ブルー・ノート・スケール5音だけではない)テンション・ノートやテンション・コードが用いられるなど、洗練さを加えてきた。
シャッフルと呼ばれる、はねるリズムパターンが主流である。譜面上は便宜上、12ビート(12/8)とするか、はねた8ビート(8/8)の1拍3連の2拍目を休符にするか、1拍目と2拍目をつないだ形で表記されることが多いが、実際には均等に3等分したものではない。人によって微妙にリズムが異なり、ほぼ3連符の場合もあれば、16ビートに近いくらい後拍が遅れたもの(4連の16分音符の2拍目と3拍目を休符にしたもの)や、8分音符に近いものもある。ジャズの「スウィング」と似た部分もあるが、独特な後拍の強調があり同じではない。
ブルース形式でなくとも、タイトルに「〜ブルース」と付く曲も多く存在する。
また日本の歌謡曲の一スタイルとしてブルースと呼ばれるものもあるが、それは「憂鬱=Blueな気持ちを歌った曲」という意味合いが強い。
歴史
19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものと言われている。
1903年、ミシシッピ州のデルタ地帯を旅行中だったテンプレート:仮リンクが同州タトワイラーで、ブルースの生演奏に遭遇。この後、彼によってブルースは広く知らしめられることになった。この年を「ブルースの生誕の年」とする見方もあり、2003年はブルース生誕100年を記念してアメリカ合衆国議会により、「ブルースの年」と宣言された。[1]
1920年、メイミー・スミスがオーケー・レーベルに初レコーディング。これがブルースのレコーディングとしては初と言われている。彼女の"Crazy Blues"は、初年度75,000枚を売り上げるヒットを記録した。[2]
戦前のアメリカにおいて、ブルースは米国深南部からセントルイス、シカゴ、ニューヨークなどへ北上し、各地でスタイルを変えながら発展した。元々ギターの弾き語り中心であったが、都市部に展開するにつれ、ピアノとギターのデュオ形式、バンド形式など、より都会的な洗練された形式へと変わって行った。都市部で展開されたブルースのスタイルをシティ・ブルースという。代表的なミュージシャンは、リロイ・カーなど。しかし都会にあこがれる反面、故郷への想いが強く詩に影響を与えている歌が多い。[2]
シカゴでは、1950年頃からエレクトリックのバンドによるブルースが登場した。デルタ・ブルースを基調とした泥臭いサウンドで、戦前のシティ・ブルースとは一線を画すものであった。このサウンドはシカゴ・ブルースと呼ばれるようになった。その代表格となるのが、マディ・ウォーターズである。ロックンロールの巨匠、チャック・ベリーもこの頃のブルースに大きく影響を受け、後のロックバンドにも受け継がれているといえる。[3]
1960年代初めになると、イギリスでアメリカから多くのブルースのレコードが輸入され、同国でブルースのブームが起きた。その流れの中で、ローリング・ストーンズ、フリートウッド・マック、クリーム、アニマルズなど、ブルースに影響を受けたバンドが多く登場するようになった。[4]
日本におけるブルース・ブーム
日本では、1970年代にブルース・ブームが起こった。
1971年、B.B.キングが初来日を果たす。1973年にスリーピー・ジョン・エスティスの「スリーピー・ジョン・エスティスの伝説(The Legend of Sleepy John Estes)」がオリコン・チャートに食い込む大ヒットとなる。
1974年、「第1回ブルース・フェスティバル」開催。同フェスティバルは第3回まで開催され、エスティスを始めロバート・ロックウッド・ジュニア&エイセズ、オーティス・ラッシュらの来日が実現した。
京都、大阪を中心にウエスト・ロード・ブルース・バンド、憂歌団、BREAK DOWN(1970年代前半当時、三大ブルースバンドと呼ばれた)など、ブルース・バンドが登場。日本の独自のブルース・シーンが形成されて行く。
代表的なブルース・アーティスト
戦前ブルース (デルタなど)
- ロバート・ジョンソン
- ブラインド・レモン・ジェファーソン
- ベッシー・スミス(ブルースの女王と言われている)
- レッドベリー
- サン・ハウス
- チャーリー・パットン
- ブラインド・ブレイク
- タンパ・レッド
- トミー・ジョンソン
- サニー・ボーイ・ウィリアムスンI
(W. C. ハンディはブルースの父とされるが、実際は音を譜面におこしただけである)
シカゴ、モダン・ブルース
- マディ・ウォーターズ
- ハウリン・ウルフ
- バディ・ガイ
- エルモア・ジェームス
- リトル・ウォルター
- ヒューバート・サムリン
- サニー・ボーイ・ウィリアムスンII
- オーティス・ラッシュ
- マジック・サム
- B.B.キング
- アルバート・キング
- ジョン・リー・フッカー
南部のブルース・マン
その他のブルース・マン
- ボビー・ブランド(ボビー・ブルー・ブランド)
- ビッグ・ビル・ブルーンジー
- アール・フッカー
- ジェイムズ・コットン
- ハウンド・ドッグ・テイラー
- スヌークス・イーグリン
- ゲイトマウス・ブラウン
- ジュニア・ウェルズ
- フェントン・ロビンソン
- スリーピー・ジョン・エステス
ファンク・ブルース
日本人のブルース・マン
- シバ (ミュージシャン)
- 妹尾隆一郎
- 近藤房之助
- 憂歌団
- 山岸潤史(ルイジアナ在住)
- 永井ホトケ隆
- 内田勘太郎
- 大木トオル
- ウエスト・ロード・ブルース・バンド
- 上田正樹
ブルース関連の映画
- ワッツタックス-Wattstax(1973年) /メル・スチュアート監督(ソウルが中心)
- Leadbelly (1976年) /ゴードン・パークス監督(レッドベリーの伝記映画)
- ブルース・ブラザーズ-The Blues Brothers (1980年) /ジョン・ランディス監督
- クロスロード-Crossroads (1986年) /ウォルター・ヒル監督、ラルフ・マッチオ主演
- モ・ベタ・ブルース-Mo' Better Blues(1990年) /スパイク・リー監督、デンゼル・ワシントン主演
- ディープ・ブルース-Deep Blues(1991年) /ロバート・マッジ監督
- ブルースランド〜ブルースの誕生〜-Bluesland: A Portrait In American Music(1993年) /ケン・マンデル監督
- ブルース・ブラザーズ2000-Blues Brothers 2000 (1998年) /ジョン・ランディス監督
- ブルース・ムービー・プロジェクト(マーティン・スコセッシ製作総指揮)(2003年)
- フィール・ライク・ゴーイング・ホーム-Feel Like Going Home /マーティン・スコセッシ監督
- ソウル・オブ・マン-The Soul Of A Man /ヴィム・ヴェンダーズ監督
- ロード・トゥ・メンフィス-The Road To Memphis /リチャード・ピアース監督
- デビルズ・ファイアー-Warming By The Devil's Fire /チャールズ・バーネット監督
- ゴッドファーザー&サン-The Godfathers And Sons /マーク・レヴィン監督
- レッド、ホワイト&ブルース Red, White & Blues /マイク・フィギス監督
- ピアノ・ブルース-Piano Blues /クリント・イーストウッド監督
- ライトニング・イン・ア・ボトル-Lightning In A Bottle(2004年) /アントワン・フークワ監督
- Ray/レイ-Ray(2004年 /テイラー・ハックフォード監督、ジェイミー・フォックス主演
- ブルース・イン・ニューヨーク-Lackawanna Blues(2005年)
- オー・ブラザー!-O Brother, Where Art Thou? (2000年) /ジョエル・コーエン監督、ジョージ・クルーニー主演
脚注
- ↑ 『男の隠れ家』 2011年1月号 ロック&ポップスのルーツ、黒人音楽を知りたい pp.46, 47
- ↑ 2.0 2.1 『男の隠れ家』 2011年1月号 ロック&ポップスのルーツ、黒人音楽を知りたい p.48
- ↑ 『男の隠れ家』 2011年1月号 ロック&ポップスのルーツ、黒人音楽を知りたい pp.48, 49, 54
- ↑ 『男の隠れ家』 2011年1月号 ロック&ポップスのルーツ、黒人音楽を知りたい pp.78, 79
参考文献
- 『男の隠れ家』 2011年1月号 ロック&ポップスを産んだ黒人音楽の世界 GOSPEL BLUES SOUL JAZZ 朝日新聞出版 (株)グローバルプラネット pp.46-57:妹尾みえ, 78-79, 18-19, 20-23:ピーター・バラカン, 24-27:鈴木啓志, 58-63:大森一輝, 40-45:原田和典