宮城球場
テンプレート:野球場情報ボックス 宮城球場(みやぎきゅうじょう)は、宮城県仙台市宮城野区の宮城野原公園総合運動場内にある野球場。プロ野球パシフィック・リーグの東北楽天ゴールデンイーグルスの専用球場(本拠地)。
2005年からゴールデンイーグルスが本拠地として使用するとともに、宮城県が球場命名権(ネーミングライツ)の保有について民間企業と契約を締結中(詳細は後述)。2014年(平成26年)1月1日からは、同球団の親会社である楽天が命名権を取得し、楽天Koboスタジアム宮城(略称:コボスタ宮城)という呼称を用いている。
目次
概要
宮城県立都市公園条例で定められた正式名称は宮城野原公園宮城球場(みやぎのはらこうえん みやぎきゅうじょう)だが、一般的には公園名を省いて単に「宮城球場」と呼ばれている。施設は宮城県が所有し、東北楽天ゴールデンイーグルスの運営法人・株式会社楽天野球団が都市公園法に基づく管理許可制度により運営管理を行っている。東北楽天ゴールデンイーグルスのホームゲーム警備担当は地元企業のトスネットが行っている。
なお、一部報道など[1][2]で「県営宮城球場」と表記されることがあるが、これは旧称に基づくものである[3]。1990年代に施設管理権が宮城県教育委員会から県教委の外郭団体である宮城県スポーツ振興財団へ移管した際、県の直接管理ではなくなったことから前述の「宮城球場」に改称しており、「県営」は冠さない。また2004年までは報道などにおいて、球場名に都市名を冠した仙台宮城球場という通称が使用されていた。
歴史
大日本帝国陸軍練兵場跡地に1950年(昭和25年)5月開業。同月27日の竣工を前にこけら落としとして同月5日、パシフィック・リーグ公式戦・毎日オリオンズ対南海ホークス、毎日オリオンズ対大映スターズの変則ダブルヘッダーが組まれた。前売券約3万枚が前日までに売り切れ、混乱が予想されていたが、当日は未明から観衆が続々と詰め掛け、朝には球場外に約2万人が集まった。このため主催者は開場予定を繰り上げ、午前8時から子供を優先的に入場させ始めた。ところが8時20分頃、入場の列を離れた子供がフェンスをよじ登ってスタンドに入ったのを見て、大人たちも殺到。一斉に約500人が殺到してよじ登ろうとしたため、フェンスが約50mに亘って倒壊。群衆は折り重なるように将棋倒しとなり、3名が死亡、26名が重軽傷を負う大惨事となった。
1973年(昭和48年)5月22日、河北新報社を中心とする宮城県内の有力企業・団体が参画して発足した東北野球企業の資金援助により、プロ野球公式戦のナイター開催に対応する照度を確保可能な鉄塔6基の照明設備と一部電光式のスコアボードが完成[4]。これは東北地方では初の設備だった[4]。折りしもロッテオリオンズが本拠地として使用していた東京スタジアムが1972年(昭和47年)シーズン終了を以って閉鎖されたため、ロッテは1977年(昭和52年)まで宮城球場を暫定的に本拠地として使用した(1973年のみ準本拠地)。詳細はジプシー・ロッテを参照。その期間中の1974年(昭和49年)には日本シリーズこそ開催できなかったが、プレーオフの阪急戦第3試合を開催。その試合で3連勝を達成して地元でリーグ優勝の胴上げを果たした(1974年のパシフィック・リーグプレーオフ参照)。その後、1977年にもプレーオフが開催された(1977年のパシフィック・リーグプレーオフ参照)。
1973年(昭和48年)10月10日、ロッテ対太平洋クラブライオンズ戦のダブルヘッダーの第一試合で、ロッテの八木沢荘六投手が完全試合を達成している。また1978年8月31日、ロッテ対阪急戦で、阪急の今井雄太郎投手が完全試合を達成している。
1978年(昭和53年)、大洋ホエールズが本拠地を新設の横浜スタジアムに移転したのに伴い、ロッテはそれまで大洋が本拠地として使用していた川崎球場に本拠地を移転した。だがロッテはその後も年間10試合前後の主催公式戦を宮城球場で開催してきた。ロッテが千葉マリンスタジアムに移転した1992年(平成4年)以降は仙台での開催は年1〜2回・2〜5試合と減少したものの、ロッテ主催の公式戦は2004年(平成16年)まで継続して開催された。この他横浜ベイスターズが毎年1試合を開催したり、読売ジャイアンツが隔年開催の東北シリーズで使用するなど、セ・パ公式戦が数多く開催されてきた。また1992年(平成4年)には地方球場として初めてオールスターの第3戦が開催された[5]。しかし、選手名が手書きのままの電光掲示板、座席の劣化など施設の老朽化が著しかったため、その後のプロ野球公式戦の開催数は大幅に減少した。また、雨の多い時期に公式戦が開催されるうえ、グラウンドに水が溜まりやすいこともあって、雨天中止が多かった。夏の高校野球大会の予選でも雨天中止が続出したため、予定が大幅にずれ込むこともあった。このような状況を打開すべく、宮城県内では改修や移転新築などがたびたび議論に上がり、1999年には、約12万人分の署名と全面改修の嘆願書が県に提出された。しかし、県の財政難や都市公園法など法律上の問題がネックとなり、具体的な改善策を打ち出すに至らなかった。
転機となったのは2004年(平成16年)である。オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に伴い、日本野球機構が選手会側の要望により1チームの新規参入を認めることになり、ライブドアと楽天がNPBに加盟を申請、双方とも宮城県を保護地域とし、宮城球場を改修した上で本拠地として使用する旨を発表した。審査の結果、11月に東北楽天ゴールデンイーグルスの新規加入が決定。こうして、老朽化が進んでいた宮城球場はプロ本拠地として設備を拡充すべく、大規模な改修工事を受けることになった。12月に第1期改修工事開始。大雪の影響もあり、工事の遅れも懸念されたが、当初の予定通り翌2005年(平成17年)3月に工事終了。2005年シーズンが終了した10月からは第2期改修工事が行われ、大幅な遅れもなく2006年(平成18年)3月に完工した。改修に関する詳細は後述。また仙石線の地下化や、仙台駅東口側の都市整備が進んだことで鉄道、自動車等でのアクセスも向上した。
2005年(平成17年)3月、人材派遣のフルキャストに球場の命名権を売却。呼称を「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」とした。
同年4月1日、楽天初の試合となる対西武ライオンズ戦が行われ、これに勝利する。またこの年は15年ぶりとなる巨人主催試合が行われ(対横浜)、仙台出身の横浜投手・佐々木主浩が現役最後の登板を行っている(高校時代からのライバルでもあり親友でもある清原和博との対戦。結果は三球三振)。9月17日には萩本欽一率いる茨城ゴールデンゴールズとさとう宗幸が総監督を務める地元の社会人球団NTTグループ東北マークスとの練習試合がナイターで行われ観客13,600人を集めた。試合は16-10でNTTマークスが勝利した。
2006年(平成18年)7月31日、夏の高校野球宮城大会決勝・仙台育英対東北戦が行われ、仙台育英・佐藤由規、東北・高山一輝両投手による投手戦が展開される。お互いに譲らず、試合は延長15回・0-0の引き分けに終わり、翌日に再試合。その再試合では仙台育英が勝利し、5年ぶりの宮城代表に輝いた。
2007年(平成19年)7月21日には、ガリバーオールスターゲームが開催された。宮城球場でのオールスター開催は先述の1992年以来、15年ぶり2度目。前述のロッテ本拠地時代にはオールスターの開催実績がないため、プロ野球球団の本拠地としてのオールスター開催は東北地方では初めてとなった。なお試合は8回表、セ・リーグの攻撃中に雨脚が強くなり、雨天コールドゲーム。試合は11-5でセ・リーグの勝利。オールスターの雨天コールドは日本プロ野球史上初の出来事である。
同年シーズン終了後、フルキャストとの命名権契約を解消し名称が一時的に元の「宮城球場」に戻ったが、その後日本製紙に命名権を売却。2008年2月に「クリネックススタジアム宮城」に改称(詳細は後述)。
2008年(平成20年)6月14日、楽天対巨人戦がデーゲームで行われる予定であったが、この日の試合前のAM8:43に発生した平成20年岩手・宮城内陸地震に伴う交通機関の混乱や被害状況拡大などを考慮して、晴天であるにも関わらず試合を中止した。尚、地震による試合中止は日本プロ野球史上初であった。翌日の15日には試合が行われたが、試合前にはこの地震の被害者に対して黙祷が捧げられた。
2009年(平成21年)、楽天主催のオープン戦が初めて行われた(3月23日は対オリックス戦、翌24日は対西武戦を開催)。これまで当球場では改修工事ならびに気候の問題でオープン戦が開催されていなかったが、この年はWBC開催の影響で公式戦開幕が4月3日に設定されていた。また、この年、楽天はレギュラーシーズン2位となったため、パ・リーグクライマックスシリーズ第1ステージを初めて開催(3位ソフトバンクと対戦)した。
2010年(平成22年)6月13日対東京ヤクルトスワローズ戦で、外野スタンドの観客が2.8メートル下のグラウンドに転落する事故があった。幸い男性は左足首の打撲で済んだ。
2011年(平成23年)1月1日付で球場名に社名を冠し、「日本製紙クリネックススタジアム宮城」に改称(略称の「Kスタ宮城」は変わらず)。3月25日、楽天初のリーグ開幕戦(対ロッテ)を行う予定であったが、同11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)及び東京電力・福島第一原子力発電所での事故の影響で中止(開幕日は4月12日に延期となり、楽天はQVCマリンフィールドでのロッテ戦で開幕を迎えた)。球場も一部損傷し、その補修工事のため使用できず。チームの当球場での初戦は4月29日の対オリックス戦となった。7月24日、マツダオールスターゲーム2011第3戦が開催された[6]。
2012年(平成24年)3月30日、楽天球団初のリーグ開幕戦(対ロッテ)を開催した。
2013年(平成25年)10月26日、開場以来初めての日本シリーズ、楽天VS巨人が開催された。同年末、日本製紙との命名権契約を終了。
2014年(平成26年)1月1日、命名権契約先が楽天に変更されたのに伴い、「楽天Koboスタジアム宮城(略称:コボスタ宮城)」に改称。
ロッテ移転後のプロ野球本拠地構想
ヤクルトスワローズ誘致構想
2004年(平成16年)6月、東北地方へのプロ野球チーム誘致を目指す複数の市民団体が、プロ野球・ヤクルトスワローズを仙台市に誘致する活動を開始した。ヤクルトの本拠地・明治神宮野球場の使用契約の更新は1年毎となっているなど不安定で、移転を検討している可能性がある、との情報から、活動を活発化した。非公式ながら署名など誘致活動を行い、団体では「5年後を目途に誘致したい」という意向を見せていた。しかし、宮城球場の老朽化、新球場計画に具体案がないことなどから実現性に関しては不透明な状況だった。更にはその後起こった球界再編問題も絡み、宮城球場を本拠地とする新球団参入計画に引き継がれることによりその話は事実上消滅した。
「ライブドア」、「楽天」新球団構想
2004年(平成16年)9月16日、インターネットポータルサイトを運営するライブドアが、宮城球場を本拠地とするプロ野球チームの運営子会社「ライブドアベースボール」を設立し、日本プロ野球組織に加盟申請を行った。また、同月22日には同じくインターネット関連企業の楽天が、同じく宮城球場を本拠地の第一候補としてプロ野球に加盟申請を提出する旨を表明。24日午後に加盟申請の手続きを行い、こうしてこの2社による、仙台を本拠とする新規球団を巡る攻防が繰り広げられた。
10月6日の両社に対する第1回公開ヒアリング(審査会)では、両社が同球場の改修計画について述べた。楽天側は「段階的に増改築を施し、2005年開幕時には23,000人収容で暫定オープン。将来的には3万人規模にスタンドを拡張する」とし、対するライブドア側は「2005年シーズン途中を目途に改修工事を完了させ、3万人収容でオープンさせる」という提案をそれぞれ行った。改修工事費用についてはそれぞれ親会社が負担し、楽天は32億円程度、ライブドアも20〜30億円程度の予算を提示した。
2004年11月2日に行われたプロ野球実行委員会とオーナー会議の席上で、新規参入球団を「東北楽天ゴールデンイーグルス」とする決定がなされた。これにより、ロッテ時代以来28年ぶりにプロ野球チームの本拠地に返り咲く形となったが、創設当初から東北地方を本拠地とする球団が誕生するのは史上初。
施設概要
陸上自衛隊・霞目飛行場の制限表面[7]による高さ規制が当球場の約半分にかかっているため、構築物やアドバルーンなどの高さが規制されている。
球場データ
- 建築面積:13,351.83m2(2012年)
- 延床面積:26,135.04m2(2012年)
- 収容人数:23,451名(2013年9月以後設置の仮設席は除く 過去の収容人員については#球場改修工事にて詳述)
- 両翼:100.1m、中堅:122m、左右中間:116m(2013年)
- 両翼サイズは2012年まで日本で建造された球場の中で最長である。2004年までの最長は阪急西宮球場の101m(1992〜2002年)。
- 2013年から外野フェンス・フィールドの改修で両翼101.5mから100.1m、左・右中間117.0mから116.0m、フェンス高さ2.8m(両翼4.1m)から2.5m、両翼ポール高さ15.0mから16.2mに変更。
- 外野フェンス高:2.8m(中堅から左右中間にかけて) - 4.1m(両翼)2013年から2.5m
- グラウンド面積:12,800m2(インフィールド面積:10,400m2、ファウルグラウンド面積:2,400m2)
- インフィールド面積が公表されているのは日本国内では当球場のみである。
- 内外野:ロングパイル人工芝「ビッグターフ」(日本フィールドシステム社製)
- 照明設備:鉄塔6基・444灯(バッテリー間:2500ルクス、内野:2000ルクス、外野:1500ルクス)
- ブルペン:三塁側3人分、一塁側2人分。三塁側に限って投球練習を見ることができる(見られない日もある)。一塁側はビジターチームのグッズ運搬トラックが駐車しており、見るのは不可。
- ベンチ:ベンチにあるRECARO社製シートは個別になっており、リクライニング・シートウォーマー付[8]。
2004年以前
- 収容人数:28,000人(内野:座席13,000人、外野:芝生15,000人)
- 改修前の座席以外の部分の収容人員の算出は、興行場法に定められた観客1人当たりの面積によってなされている。しかし、改修後はその約60%増しで算出しており、その分が減員につながっている。
- 両翼:91.4m、中堅:122m
- 外野フェンス高:2.5m(ラバー1.8m+金網0.7m)
- 金網は1990年代に追加されたもので、観客の乱入を防ぐ意味もあった。
- 内野:クレー舗装、外野:天然芝
- スコアボード:得点部チーム名、オーダー表示は手書き、得点表示のみ電球式、一度に12回まで表示可能
- 照明設備:鉄塔6基・444灯(バッテリー間:2500ルクス、内野:2000ルクス、外野 : 1500ルクス)
- 2004年以降に行われた改修においても、照明設備の改修はランプの交換を行う程度にとどまっており、6基の鉄塔は1973年の設置当初のものを継続使用している。
フィールド
フェアグラウンドの面積は、NPB球団が本拠地(専用球場)としている球場の中では最大級(公称値において他に上回る可能性があるのは阪神甲子園球場と福岡 ヤフオク!ドームのみ)である。ただし他のパ・リーグの球場もほぼ同等の広さを持ち、外野フェンスがより高めのところが多いためにパークファクターの数値は毎年それほど低くない。
2004年までは通常規模のファウルグラウンドがあったが、2005年に設置されたフィールドシートのおかげで当時の他の本拠地球場では類を見ないほどの狭さとなり(2009年現在ではダッグアウト前がより狭いMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島や改修された西武ドームの方が狭くなっている)、ファウルフライアウトが非常に少なくなっている。
グラウンド拡張の際に内野スタンドの外野方ファウルラインと平行にそのまま削り取ったため、外野フェンスは中堅と両翼の中間辺りから両翼にかけて徐々に高くなるようになっている。
スタンド
2004年まではバックネット裏のスタンドやダッグアウト部分のみが鉄筋コンクリート製で、他の部分は土盛りであった。2005年からの改修では土盛り部分のスタンドの座席と床面を取り壊したが、土盛りの構造は照明塔とともに内外野ともそのまま残されている。バックネット裏の外周部(2階コンコース部分)や、内野スタンドと外野の両翼側にある上段部は継ぎ足すように鉄筋コンクリート製の建物が造られている。元々のコンコース面積が小さいために拡張後も売店の半数は球場外側にあり、チケットがなくても利用できるようになっている。
フィールドシート部分はグラウンド面より低く掘り下げられており、出入り口にはそれまで球場外から車椅子席(1998年に増設されたもので現在も一部がそのまま使用されている)やグラウンドへの通路であったものを流用している。
スタンド全体の規模は、NPB球団が本拠地(専用球場)としている球場の中では最も小さく、収容人員も少ない。ただ客席と選手が近いことにより観客の声援や野次が聞こえやすく、2006年から2009年までイーグルスの指揮を執った野村克也監督は「そんなに(観客が)入る球場ではないけど、声がよく聞こえるから、敵にとっては甲子園並みにアウェー感があるんじゃないか」と語っている。
スコアボード
- 楽天参入前
開設当初は、甲子園球場と同じように得点表示するのみの簡易的なスコアボードであったが、前述の歴史で述べたように、1973年、東北野球企業の資金援助により、一部電光式の本格的なスコアボードが完成した。
そのスコアボードは得点表示、チーム名、オーダー表示は手書き、得点表示のみ電球式で、一度に12回まで表示可能であった。また、プロ野球のチーム名はアルファベットで書された。(例、ロッテ→「M」、西武「L」)しかし、アルファベット1文字では表示できないヤクルトや横浜などは「YS」、「YB」などと2文字で表示される。また、メンバーの枠に投手枠が無かったので、DH制を採用する試合では守備チーム側のDH選手のところに投手のボードを入れていた。 スコアボード下部分に「カニトップ」が、左右それぞれに「東北電力」と「サンシティ」の広告が設置されていた。
- 楽天参入後
まず、2004年オフに、スコア表示のみ電光掲示式で、ほかは手書きパネル式だった以前のものから、LEDを採用した最新鋭の電光掲示式に改められた。選手・チーム名表示はこれまでと同じ横書き。下方には東芝ライテック製の大型スーパーカラービジョンが設けられた。それにより、プレーのリプレイや、各種情報などが表示できる。
打順表のチーム名表示は企業名または地名(「楽天」、「日本ハム」、「広島」など)を使用。スコア表示部分のチーム名は各チームの帽子のマークを表示。ポジションの表記は数字であるが、指名打者は「DH」、投手は「P」と表記される。なお、イニングスコア表示、選手名表示、試合時間は固定式であるが、そのなかでも簡単なアニメーションを表示できる。また、バックネット裏にあるサブボードは突貫工事であるため、以前SBO表示のみのものがそのまま使われた。
改修工事の完工直前、NPB側から、バックスクリーンがやや狭く投球の視認性が悪いことが指摘されたため、スクリーン両側に遮光板を急遽追加。アサヒビールがスポンサーとなり、同社製品「アサヒスーパードライ」の缶を模した広告スペースが設けられた。またスーパーカラービジョン下部には東芝のロゴが設置されていたが、こちらも視認性の問題から、急遽ビジョン上部に移設された。 5回終了後、河北新報ニュースがビジョンに表示される。
2005年オフには、1塁側のイーグルスネスト上部に東芝ライテック製スーパーカラービジョンが設置され、インプレー中は楽天の攻撃の場合は選手の顔写真が、ビジターチームの攻撃の場合はビジターチームのロゴマークが表示される。他にも、ボールカウント、打率、本塁打、打点を表示出来ることから、試合中は常に使われている。 なおこのボードは1軍試合のみに使用され、ファーム戦や一般利用の場合は使用しない。
また、バックスクリーンには、メインビジョン下部に広告用ビジョン(ペンタビジョン)が設置された。阪神甲子園球場などに設置のものと同様、以前から同スタジアムでメインスポンサーとなっており、仙台を拠点に拡販するシティ派マンション分譲会社サンシティの広告が掲出されている。同社は、前述した通り2004年以前からバックスクリーン部に広告を出しており、楽天の東北遠征時にも「サンシティみちのくシリーズ」と銘打たれるメインスポンサーである。
2006年オフに、バックネット裏に、試合の展開に応じて様々な文字・画像情報を提供する横幅94.08mのLEDの電光表示装置「オーロラリボン」(三菱電機製)を、日本の野球場では初めて設置した。(のちにQVCマリンや甲子園にも使用された。)
2007年オフには、前年バックネット裏に設置された「オーロラリボン」をレフト・ライト両ウィング上方に増設した。
2008年オフに、バックネット裏の広告スペースが改修当初の回転幕式から、T字型の三菱電機製「オーロラビジョン」に入れ替えられた。これによって試合進行中に広告スペースとして使用する他、試合前後やイニング間には各種情報を表示できるようになった。フィールドレベルに映像装置が導入されたのは、国内の野球場では初のケースである。
2009年オフには、右中間寄りにあった遮光板(前掲)の位置に、三菱電機製「オーロラビジョン」が設置された。幅20.64m、高さ16.32m、1036インチ、面積336.8m²で、スコアボードのスーパーカラービジョンの約7倍の表示面積を有し、日本の屋外球場に設置されている映像装置としては最大級である。
この映像装置にも設備命名型広告が適用され、前年まで設置されていた遮光板のスポンサーであった創造電力が命名権を取得し「創造電力ビジョン」と命名された。これによって、打者は、打率、得点圏打率、出塁率、長打率、打点、本塁打、得点が表示されるようになった。今までは一般的に、打率と打点、本塁打のみ表示する球場しかなかったがインプレー中に表示するのは、日本のプロ野球本拠地では唯一である。
また、投手は、登板数、勝ち数、負け数、セーブ、投球回、ホールド、奪三振、防御率、投球数(2010年のみ)が表示されるようになった。これも打者と同じくすべてをインプレ―中に表示するのは日本で唯一である。
2010年オフは、スコアボード、サブスコアボードのカウント表示部が、従来の「SBO(上からストライク・ボール・アウト)」順から、国際ルールに則った「BSO」順に改修された。これは2010年シーズンからプロ本拠地などで採用されているもので、同年から横浜スタジアムやMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島などがこの表示順を踏襲している。改修ではないが、2010年シーズンまでは試合時間を表示していたが、2011年シーズンは表示しなかった。
2011年、打順表における楽天のチーム名表記を楽天のロゴマークに変更。
2013年5月、打順表のチーム名表記をアルファベット表記(「EAGLES」「GIANTS」など)に変更。 2013年より、夏季の「TOHOKU GREEN」の企画中のみ、スコア・選手名の表記を緑色としている。
球場使用料
当球場の使用料は他球団と比べて比較的安価で年間約7000万円であることが横浜ベイスターズ身売り問題を取り上げた報道ステーション中で公表された。これは自前の球場を持つ阪神の甲子園球場と西武の西武ドームを除いた10球団の中では一番安価である。また、約90億円を投資して改修工事を行い、それを宮城県に寄付する形でその見返りとして無形固定資産として使用権、営業権を楽天野球団が所持している。その結果、自前球場と比べると固定資産税の負担がなく、税制上もランニングコストも低く抑えることができ、スタジアムから、販売戦略に乗った入場料収入、広告看板を利用するスポンサーシップ収入、直営ショップによるグッズ販売収入、飲食、テナント収入を効率よく上げることができた。 また、一般向けには時間帯によっては4時間で10000円を切る時間帯も存在する(同じくパリーグの福岡 ヤフオク!ドームの最低価格は2時間で約26万円つまり同じ条件では52万円)。このように、他球場に比べ球団も一般も安く利用することができる。
球場改修工事
新規参入球団の仙台進出計画に呼応するように、宮城県は2004年10月に県立都市公園条例を改正し、宮城野原総合運動場内で球場に隣接する宮城陸上競技場(現仙台市陸上競技場)の補助グラウンド(宮城陸上補助競技場)を条例上の運動施設から削除する事務調整を行った。
都市公園法上の規定で、公園内の運動施設は総面積の50%未満と定められている。しかし総合運動場は同法が施行された1956年以前からこれを上回る約52%となっていた。これでは仮に球場を拡張した場合には規定を充足できなくなるので、県の条例を改正して敷地面積が18,000m²ある補助競技場を「運動施設」から削除し、総合運動場内の運動施設総面積を削減した。宮城陸上競技場はこれまで日本陸上競技連盟公認の第1種陸上競技場で、補助グラウンドの設置が必要となっていたが、2001年、市北郊の利府町に宮城スタジアムが完成したのに伴って補助グラウンドが不要な第3種に格下げしているので、規定上の問題がなくなった。これにより、最大14,000m²まで球場を拡張することが可能となり、ライブドア、楽天の両者が順次明らかにした宮城球場の改修計画に対応できることとなった。
そして楽天の参入決定に伴い宮城球場の改修工事が行われることとなり、同時に宮城球場の運営管理についても、県の外郭団体である宮城県スポーツ振興財団から楽天野球団に移管した。球場改修工事の工期は2004年秋から2005年春にかけてと、2005年秋から2006年春にかけての2期に分けて行われ、現在にいたる外観や設備が形成された。
その後も毎シーズンオフに、座席形態の見直しを含めた興行面の施策等、顧客満足度の向上を目的とした小規模な改修を実施している。それに伴って施設内容も年々変貌を遂げ、また座席の増減などによって収容人数も毎シーズン変更されている。
2期にわたる大規模改修工事
- 第1期(2005年3月完成)
- グラウンド
- 拡張した上で全面ロングパイル人工芝とした。当初は改修前と同様、内野は土、外野は天然芝を維持する予定だったが、気候や芝生の管理の関係から切り替えられた。
- 客席
- バックネット裏スタンドの全ての椅子をこれまでより大きめのサイズに取り替えた。
- バックネット裏スタンド前方には日本球界初の「砂被り席」を設置した。規定(ホームベースより60ft≒18.3m)より大きなファウルゾーン部分を利用して半地下式とし、グラウンドと全く同じ視点で観戦できるようにしている。この砂被り席は、基本的にはチームのスポンサー企業ならびに関係者専用となり、一般販売は行われていない。ただし一般ファン用にもオークション等で若干数を座席設定しているという。
- 内野スタンドは床を作り直したほか、椅子をこれまでの背もたれなしの長椅子式から背もたれありの個別式に改めた。
- ファウルゾーンにあったブルペンの箇所には、フィールドシートを設置。ファウルライン寸前まで客席をせり出させ、より臨場感あふれるスタイルに改めた。しかしフェンスが前にあって観にくいと不評である。
- 全て芝生席となっていた外野席には新たに椅子席を設置。鷲が翼を広げたような形に似るところから「ウイング席」と呼ばれるようになる。しかし現在はあまり「ウイング席」と呼ばれていない。バックスクリーンから左右中間部分にはこれまでの芝生エリアを残した。
- レフト側芝生エリア後方には「楽天山」と呼ばれる小高い丘のようなエリアが設けられた。尚この際、外野席の芝生部分には、改修前に外野のフィールドで使用していた芝の一部も移植されている。
- 以上の改修により、収容人員はこれまでの28,000人から20,000人に改められた。
- 改修工事の完工直前、バックスクリーンがやや狭く投球の視認性が悪いことがNPB側から指摘されたため、スクリーン両側に遮光板を急遽追加。アサヒビールがスポンサーとなり、同社製品「アサヒスーパードライ」の缶を模した広告スペースが設けられた。またスーパーカラービジョン下部には東芝のロゴが設置されていたが、こちらも視認性の問題から急遽ビジョン上部に移設された。
- その他
- バックネット裏スタンドの外周部分にはロッカールーム等の球団関係者専用室、球団のグッズショップ等が設けられ、売店も増設された。球団は「ボールパーク養成ギプス」と名付けた。
- ブルペンはダッグアウト後方に移設された。このブルペンは3塁側に限って球場の外からも見ることができ、試合時には投球練習を見ることも可能。ただし、見られない日もある。
- 第2期(2006年3月完成)
- 客席
- バックネット裏スタンドの外周部分「ボールパーク養成ギプス」を2階建てから5階建てに拡張。3 - 5階には屋根付き席「クラブシート」を設置。3階にはフードコートが設けられ、気軽に飲食を楽しみながら観戦できるスペースを提供。4階には8名程度が入れる完全個室型の「ロイヤルボックス」14室が設けられた。5階には中央部にテレビ/ラジオ中継用の放送席ならびに記者席が設けられ、三塁側には会員制のプレミアムラウンジが設けられた。
- 3塁側内野席の上段にスタンドを増設し1800席を設置した。一塁側内野席の後方には5人1組で利用可能なボックス席「ボックスシート5」が設けられた。
- 以上の改修により、収容人員が前年の20,000人から23,000人に増えた。
- その他
- 1塁側「ボックスシート5」後方に最大300人を収容できるガラス張りの大型ラウンジ「イーグルスネスト」を設置。この名称は「鷲の巣」を意味する。空調の整った室内で快適な観戦が可能。各種飲食物も取り扱っている。ただし利用できるのは年間席ホルダーやバックネット裏やフィールドシートなどの席の購入者や、ファンクラブの「ブースタークラブ」(ファンクラブの組織で、最も会費が高い)会員に限られる。また、試合のない日は結婚式を含めた各種パーティ等を行うことが出来る。
- 球場外1塁側内野席後方にはクラブハウスと50m四方の室内練習場を新設。クラブハウスと球場とは連絡通路で直結。
- 楽天野球団の島田亨オーナーによると客席を当初の予定だった28,000人収容から23,000人に減らした分、特別感を楽しめる内容の改修にしたという。また、女性トイレの設置増やオムツ換えベッドの全てのトイレへの設置、授乳室4箇所の設置、全階層への多目的トイレやオストメイトの設置などを実施した。
- 使用するベンチや応援席などの配置は3塁側をホーム・楽天、1塁側をビジターチームとする。2007年4月24日に開催された「巨人対横浜」でもホームチームである巨人が3塁側を使用していた。その他、球場のフェンス広告もこれまでの白色1色だけのものからスタンド広告と同じカラー広告を多く配することとなった。このカラー広告フェンスはかつて大阪球場(1979年まで)、日本生命球場(1997年の閉鎖まで)、藤井寺球場(1983年まで)、平和台野球場(1970年代から80年代前半ごろ)でも採用されたことがある。
2007年以降に行われた改修
当球場では、2006年春に大規模な改修工事を完了した後も、プロ野球のオフシーズンに球場施設の改修・新設などの工事を進めている。
- 2007年の改修
- ベンチにシートヒーター内蔵型の防水本皮シートを取り入れた。ドイツ・レカロ製で、野球場としては世界初の採用である。
- またスコアボードに隣接する右中間側に、巨大な遮光板が新設された。楽天が使用する三塁側ダッグアウトは南西側を向いており、特にデーゲームや薄暮の際に右翼側からの直射日光を受けやすいことから、選手側からの要望で防眩のため設置された。広告スペースとして活用され、2007年から2年間は東新住建グループ、2009年からは創造電力がスポンサーとなった。
- 2008年の改修
- 右翼スタンドのうち右中間部分の芝生席を廃止し、新たに約400人収容の外野グループシート(5人掛け)を新設した。宮城県と楽天野球団は同年2月20日付で「宮城球場設備命名型広告基本協定書」を締結、球場内の設備にも施設命名権を導入することになった。このグループシートはその適用第1号となり、コンビニエンスストア大手のローソンが2年契約で命名権を取得。同社店舗に設置されているオンライン端末に因んで「Loppiグループシート5」と命名され、グループ5のチケットはローソンチケット限定での取り扱いとなった。これによる収容人数の減少と概数から実数への変更で、収容人数は23,000人から22,187人となった。
- グラウンドの人工芝の全面張替えを行い、左中間・右中間にそれぞれ1箇所、楽天グループのシンボルマーク(R)が白色で塗色された。蛇足であるが、張替えの理由は県・球団の公式発表においては「経年劣化のため」とされたが、これとは別に楽天の球団非公認マスコット「Mr.カラスコ」のストーリーの一環として「カラスコの度重なるグラウンド乱入によって、人工芝が傷ついたため」とも発表している。この人工芝の張替えによって打球が大きく弾むようになり、エンタイトルツーベースの数が激増した。
- スタジアム名変更に伴い、入り口およびスコアボード上部に設置されていた「フルキャストスタジアム宮城」のロゴを撤去。新しく「クリネックススタジアム宮城」のロゴを設置した。
- 2009年の改修
- バックネット裏の前部を改修した。従来は露天だった砂被り席の上にも座席を作り、既設置の砂被り席と併せて年間シートエリア「プレステージゾーン」とし、座席をフルクッションシートにグレードアップさせた。このゾーンには設備命名型広告が適用され、青葉区に製造拠点を保有するニッカウヰスキーが2年契約で命名権を取得し「ニッカウヰスキー・プレステージ」と命名された。エリア内にはプレステージゾーンチケット保有者が自由に使えるバーラウンジ「ニッカ・プレステージバー宮城峡」がオープン。各種食事、飲み物がビュッフェ形式で用意されている。また一塁側と三塁側の行き来も可能になり、メインスタンド部の回遊性・利便性が改善された。この改修により、収容人数は前年比89人減の22,098人となった。
- 前述しているが、遮光板の設置個所にオーロラビジョンを設置する改修工事を行った。
- 2010年の改修
- 右翼スタンドのグループシート5(ローソンは命名権契約を更新せず、座席名称から「Loppi」を削除)の隣接部にペアシート316席(158組)とトリプルシート75席(25組)を新設。また左翼スタンドの「楽天山」は雨天時に足許が滑りやすくなるため、天然芝を撤去して全面ラバーチップに張り替え、足場の安定を確保した。この改修により、収容人数は前年比928人増の23,026人となった。
- なお同年オフにはこの他、左翼スタンドを改修して1,500席程度の増席を予定していたが、観客動員数が伸び悩んだことなどから着手は見送られた。また開幕前の2011年3月11日に東日本大震災が発生し、場内の設備が一部損傷する被害を受けたため、同年4月中旬まで応急の復旧工事を実施した。
- 2011年の改修
- シーズン終了後、震災による損傷箇所の全面的な補修が行われた。
- また外野スタンド右中間側のグループシート5は、新たにセブンアンドアイホールディングスとセブン-イレブンジャパンが設備命名型広告の権利を取得し「セブン-イレブン・グループシート5」に、内野の一塁側ボックス席の5人掛けシートはみちのくコカ・コーラボトリングが同様に広告権を取得し「コカコーラ・ボックスシート5」となった。前掲2券種と、グループシートに隣接する3人掛けの外野ライト・トリプルシートの計3券種のチケットは、セブン-イレブン店内のマルチコピー機端末限定での取り扱いとなっている。
- 2012年の改修
- 前年まで震災復旧のため一時中断していた「ボールパーク構想」の計画を再開。
- ホームランが出にくいことを踏まえ、2012年度のシーズン終了後、外野フェンスに「ラッキーゾーン」(通称「Eウィング」)を設置に着手することになった。両翼と左中間・右中間を1m程度前にせり出し、両翼を100.1m、左中間・右中間は116mにする。この「ラッキーゾーン」にも観客席(90人分)が設置される。
- また1塁内野席にはボックス席(345席)を設置し、収容人員は約400人強増えて23,451人(2012年までは23,026人)となる[10]
- 2013年の改修
- 楽天球団史上初のポストシーズン進出の可能性が高くなった8月から、9月以降の公式戦およびポストシーズンへの対応策として、仮設スタンドを設置。収容人員は25,651人と、シーズン開幕時より約2,000人分増加した。さらに、球団初のリーグ優勝でポストシーズンへの進出が決まったことから、仮設スタンドの増築や立ち見席の新設を実施。このような暫定措置を重ねた結果として、収容人員は日本シリーズ開催の時点で28,120人にまで増えた。
- 2014年の改修
- スタジアム名変更に伴い、入り口およびスコアボード上部に設置されていた「クリネックススタジアム宮城」のロゴを撤去。新しく「楽天Koboスタジアム宮城」のロゴを設置した。
- シーズン開幕前の3月に「楽天山」、公式戦期間中の4~8月に三塁側へそれぞれ常設スタンドを建築することで、最大収容人数を28,723人にまで増加[11](詳述次項参照)。室内練習場に隣接した敷地には、天然芝敷設・見学スペース付きの練習・イベントスペース「Green Field」(グリーンフィールド、約2,000平方メートル)を新設したうえで、8月17日から運用を開始した[12]。
収容能力に関する問題
概要
当球場の収容能力については、法律面・環境面で大きな制約を抱えている。このため、規定上30,000人以上の収容能力を求められる日本野球機構(NPB)の主催試合(オールスターゲームや日本シリーズ)を当球場で開催することについては、運営面や収益面などで支障が生じることが長年にわたって懸念されてきた。
楽天では、2004年秋に球界への参入を表明した際に、専用球場としての当球場の収容能力について「当面23,000人規模で運営した後に、28,000~30,000人規模にまで段階的に改修する」という公約を提示した。実際には、2005年以降の段階的な改修によって、収容能力は23,000~26,000人規模で推移。NPBも、この改修を評価したうえで、2007年・2011年にオールスターゲーム、2013年に日本シリーズを開催した。2014年には、シーズン開幕前と公式戦期間中の改修によって、最大収容人数を28,723人にまで増加。楽天の球界参入表明から10年余りを経て、前述の公約を達成する目途が立った[11]。
法律面・環境面での制約
当球場の大幅な収容人員増が不可能な理由として、前述の都市公園法の問題が挙げられる。現在宮城野原公園総合運動場内の運動施設の総面積は、同法で規定された「50%以下」の規定ぎりぎりの49.6%となっている。2005年から2箇年にわたって実施した大規模改修の際には公園内の施設を廃止するなどして規定を充足させたが、現在公園内に所在する各施設は利用者が多く、競技団体などからも施設の存続を強く要望されており、また近隣地区への移転新築も財政難等で難しいことなどから、これ以上公園内の施設を廃止するのは事実上困難である。また現状、公園内の施設は宮城県所有だけでなく仙台市が所有する施設もあり、施設ごとの所有者・管理者の権限も錯綜している。ただし、上記の法規制や問題を抱える当球場でも、使用期限が1年以内の仮設スタンドであれば増設できる状況にある[13]。
2度目のオールスターゲーム開催(2007年)
NPB側では、楽天が当球場を専用球場として使用したことを機に、プロ野球専用球場としての収容能力が少ないことを問題視。その一方で、2007年にはオールスターゲームの第2戦を開催した。第1次改修・専用球場化以前の1992年に続いて2度目の開催であったが、同ゲームの歴代開催球場では収容人員が最も少なかった。
クライマックス・シリーズの開催とNPB・楽天以外の球団からの問題提起(2009年)
当球場では2005年以降、楽天の対戦カードや予告先発投手などによって、公式戦のチケットが早々に売り切れる事態が頻発。2009年のシーズン終盤には、楽天が球団初のクライマックス・シリーズ(CS)進出をめぐって熾烈な戦いを展開した影響で、チケットの入手が困難になる事態を引き起こした。結局、楽天は球団史上初のシーズン2位でCSへ初進出。CSでは、シーズン2位でファーストステージの試合開催権を得たことから、当球場初のポストシーズンゲームとしてソフトバンクとのファーストステージ全試合を開催した。なお、楽天が日本シリーズに進出した場合も当球場を使用することが内定していたが、札幌ドーム(収容人数約43,000人)で開催のファイナルステージ(対日本ハム戦)で敗退したため実現には至らなかった。
ところがNPB側では、CSファイナルステージの開催期間中に、当球場で日本シリーズを開催した場合の収益の試算を発表。札幌ドームで開催した場合に比べて、NPBが入場料収入から得られる1試合あたりの収益が1億円ほど下回ることを指摘していた[14]。この指摘に対して、楽天側は「1席あたりの料金を引き上げることで、札幌ドームで見込める収益に追い付かせる」と回答している。
日本シリーズ終了後の11月11日に開催されたプロ野球実行委員会では、NPBが楽天に対して、当時22,098人まで収容できた観客席を6,000席分増設することを要望。同席していた巨人の清武英利球団代表が「NPBの収益や球団・選手の分配金が減るのは問題」と話すなど、楽天以外の球団の代表者からも楽天に改善を求める意見が寄せられた。しかし、楽天を代表して出席していたオーナー代行の井上智治は、「仙台では22,000人ぐらいがちょうどいい。都市ごとに適切なキャパシティがある。席を増やさなくても、値段を上げる手もあるし、やり方はいろいろある。(NPBからの要望については球団で)検討するが、『絶対にやらなきゃいけない』とは思っていない」と発言。大規模な増席に否定的な見解を示した。
11月18日のオーナー会議では、前述の増席問題が議題に上らなかったものの、会議後に巨人の滝鼻卓雄オーナーが楽天の球界参入時の改修計画に言及。「『(増席は)現金が300億円あるからすぐできる』と言っていた。約束したのだから実現してもらわないと(いけない)」という苦言を呈したうえで、楽天側による入場料の値上げ案についても「(増席に伴うコストの負担を)ファンへ押し付けるのはひどい」と批判した。これに対して、 楽天の島田亨オーナーは、「『(参入時の計画で)実現する』と約束したのは23,000席で、28,000席はあくまでも努力目標。論拠はなく法的拘束力もない。1,000席分は対応するが、やみくもな増席は経営を圧迫する」との反論を展開している。
12月7日のプロ野球実行委員会では、前述の増席問題を再び審議。NPB側から楽天側に対して、再度6,000席もの増席要望が出された。下田邦夫コミッショナー事務局長(いずれも当時)は、楽天が球界への参入審査の際にNPB側へ提出した資料を基に、「28,000席という約束があった」として改めて増席の早期実現を要求。井上オーナー代行は、2009年度オフシーズンの改修で外野席を1,000席分を増やす方針を示す一方で、今後の増席については「NPB主催試合の開催が前提ではないが、段階的に状況を見ながら前向きに検討したい」と回答するにとどめた。増席よりも入場料の値上げを優先する楽天の試案については、かつて当球場を本拠地同然で使用していたロッテオリオンズが収容能力などの問題からパ・リーグを制した1974年に日本シリーズを当球場で開催できなかったことを踏まえて、一部の球界関係者から「このまま座席を増やさなければ、仙台で日本シリーズが再び開催できない事態になりかねない」との危惧が示されていた[15]。
その一方で、プロスポーツの経営に詳しい大坪正則(帝京大学教授)は、2009年時点における楽天の年間観客動員数(120.3万人)と仙台市の人口(100.7万人)を根拠に、「当球場の観客動員に対する仙台市の人口比は1.19倍で、専用球場のある日本国内の都市の平均よりやや低い」と指摘していた。球場の収容能力問題については、「イーグルスが2万3000席の現状維持に固執すると、リーグ優勝を念頭に置いていない球団、消極的な球団とファンが見なしかねない。(中略)しかし、人口比1.2倍の観客数と73%の観客席占拠率を勘案すると、2万3000席から2万8000席に増やす経済的必要性はない。現行の2万3000席が平均して90%以上埋まるようになってからでも遅くはない、と考えることもできる。また、観客席数を増やす金があるなら、その金を選手に投資して戦力強化を図るほうが大事と指摘する声もある。筆者も、先に席数を増やすよりも、チームの戦力を強化し常時優勝争いをするようになり、観客動員数が増えてから席数を増やすのが順序のような気がする」と主張していた[16]。
結局楽天は、2010年シーズン前の改修で、当球場の観客席を約900席増設。その結果、当球場の収容人数は23,026人にまで増えた。
楽天による東京ドームでの主催試合開催と増席計画の見送り(2010年)
楽天は4月20日に、「楽天グループお客様感謝デー」と銘打って東京ドームで初の主催公式戦(対ロッテ戦)を開催。球団側の発表で、40,421人もの観客動員を記録した。この結果、三木谷浩史球団会長は、2011年以降も東京ドームでの主催試合の開催継続を示唆。実際に、「楽天グループデー お客様感謝祭」として、東京ドームで毎年1試合の公式戦を開催している(2011年:対ソフトバンク戦、2012年:対ロッテ戦、2013年:対日本ハム戦)。2010年当時の一部報道では、当球場の問題が解決できなかった場合、前述のロッテのケースと同様に仙台での日本シリーズ開催を断念し、東京ドームで開催する為の布石ではないかとの憶測も報じられた[17]。
その一方で、当球場については、2011年のシーズン前に左翼スタンドの改修を計画。1,500席程度の増席を予定していた。しかし、シーズン6位で観客動員数が伸び悩んだことなどから、10月上旬までに県へ提出する予定だった改修申請を見送った。この時点では、球団関係者が「2011年シーズンに観客数が増えたら(増席を)再検討したい」と話している。
このような楽天側の姿勢について、NPBの加藤良三コミッショナー(当時)は、12月28日の総括会見で「プロ球団がどういうサイズの球場を持つかは非常に大事。楽天(当球場)と横浜(収容人数が3万人以上ながらセ・リーグ球団の専用球場では最少の横浜スタジアム)で日本シリーズをやったら、どれだけ観客が入るのか。日本シリーズをやる球場(の収容人数)は3万席が最低(必要)だと思う」という見解を披露。楽天側が計画していた入場料の値上げについても、「客席が少ないと座席料を高くするしかないが、今の経済状況で料金を上げるのは難しい」と否定した。これに対して、楽天の島田オーナーは、12月29日の総括会見で「(レギュラーシーズン中の観衆が)常に満員となれば増やす価値はあるが、慎重に考えないといけない。日本シリーズのためだけに増やすのは経営判断として違う」と反論。増席に慎重な姿勢を改めて示した。
東日本大震災の発生と3度目のオールスターゲーム開催(2011年)
3月11日に東日本大震災が発生。当球場の施設の一部に被害が出たことから、公式戦での使用は4月29日の楽天対オリックス戦まで持ち越された。公式戦の開幕後には、同震災の被災地域の復興などを目的に、NPBが2013年までの3年間にわたってオールスターゲームを毎年3試合開催することを急遽決定。2011年に宮城(震災の発生前から予定していた第3戦の開催球場を東京ドームから当球場に変更)、2012年に岩手、2013年に福島の各県で第3戦を開催することも決まったため、7月24日に当球場で第3戦を開催した。
仮設スタンドによる増席と初めての日本シリーズ開催(2013年)
楽天は、公式戦の開幕直後から首位の座を堅持。当球場でも、「盆休みシリーズ」として8月9日から開催したソフトバンクとの3連戦で、全試合のチケットが完売した。このような盛況を受けて、同月12日には、同年9月以降の主催試合での使用とシーズン終了後の解体を前提に仮設スタンドの設置を発表。3塁側に936席、レフト側の「楽天山」の後方に1249席(合計で2185席)もの観客席を急遽仮設したため、9月以後の収容人員は25,651人にまで増加した。この時点では、楽天がCSに進出した場合にさらなる増席を予定していたほか、2014年度以後の増席については2013年のシーズン終了後に改めて検討するものとされていた[18]。3塁側仮設席は9月3日の西武戦から、レフト側仮設席は同月13日のオリックス戦から運用を開始した。同月13日の試合前には、3塁側仮設席の愛称を「蔵王」、レフト側仮設席の愛称を「栗駒」(いずれも宮城県内の山岳名に由来)と発表している[19]。
さらに、リーグ優勝とクライマックスシリーズ進出決定を受けて、日本シリーズ進出時に28,120人収容となるようにするために、10月に段階を追って仮設席の増築が決定した[20]。
- 第1段階 10月3日からレギュラーシーズン最終日まで 217席増席(収容人員25,868人)
- 内訳 レフトポール際の臨時席60、レフトポール際の臨時席上段72、ライトポール際の臨時席60、外野指定席25(レギュラーシーズン中は当日券のみ発売)
- 第2段階 10月17日からのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ開催期間 さらに1,097席増席(収容人員26,965人)
- 内訳 座席224(1塁側ウッドデッキ臨時席・3階コンコース臨時席・内野3塁側コンコース臨時席・外野ライトビジョン下臨時席)、立見席873(1塁側ウッドデッキ立ち見自由席、3塁側コンコース立ち見指定席、内野3塁側コンコース立ち見自由席、内野3塁側上段立ち見自由席)
- 第3段階 (クライマックスシリーズ・ファイナルステージを突破した場合)10月26日から(11月3日まで)の日本シリーズ開催期間 さらに1,155席増席(収容人員28,120人)
- 内訳 全て立ち見(3階コンコース立ち見自由席、外野ライト自由席)
このように短期間で増席を重ねた結果、前身の宮城球場時代を含めても初めてとなる日本シリーズ第1戦(2013年10月26日)では、当時の最多記録となる25,209人もの観客を集めた[21]。なお、球団初の日本一達成がかかった第6戦(同年11月2日)では、開場以来最多となる25,271人もの観客動員を記録。さらに、スタジアムの外周で開催したパブリックビューイング(PV) にも1万人以上の観衆が集まって身動きが取れない状況に至ったため、5回裏からは球団サイドでスタジアムのある公園敷地への入場制限措置を講じた[22]。翌3日の第7戦では、PVの会場を急遽、スタジアムに隣接する仙台市営陸上競技場へ変更[23]。この試合で楽天が日本シリーズ初制覇を決めたものの、スタジアムへの観客動員は25,249人で、前日達成の最多記録をわずかに下回った。
上記の仮設席については、鉄パイプが剥き出しになった構造による視覚的な不安から「崩壊の危機」を煽る記事も出た[24]が、長野オリンピックスタジアムなどのスポーツイベントでの運用で安全性が保障されている。しかし当球場では、楽天の好機に仮設席から大勢のファンが起立して応援することで、仮設スタンド全体に振動が生じていた。この現象や、仮設スタンドによる増席の影響でビジター球団側(一塁側およびライト側)の常設観客席における収容人数が相対的に少なくなったことについては、一部のファンから批判の声が上がっている。
常設スタンドの大幅な増築へ(2014年)
当球場では、法律面・環境面による前述の制約などから、2013年の日本シリーズ終了直後に「栗駒」を除く全ての仮設スタンドの撤去工事に着手。この時点では、「蔵王」の跡地に仮設スタンドを再度建築することを前提に、2014年シーズンに立ち見席を除く観客席の最大収容人数を約26,000席と見込んでいた[13]。
しかし楽天では、最大収容人数を28,723人にまで増やすべく、2014年1月17日に総額約20億円・2期にわたる常設スタンドの建築計画を発表。3月から公式戦開幕直前までの第1期工事で、「楽天山」の後方に1,509人収容の「楽天山観覧席」を新設した。
さらに、公式戦期間中の4月から8月までの第2期工事によって、カウンター付きの座席・テーブル付きの座席・ボックスシート・パーティーデッキ・立ち見席を備えた3,000人収容の常設スタンドを「蔵王」の跡地に建てることを計画。7月末に竣工した[25]。スタンドの内訳は以下の通りで、2014年8月30日の対ソフトバンク戦[26]からの運用を予定している。
- 総収容人員3019人
- 内野3塁側スタンド 1462人
- カウンターシート 224人
- プレミアムシート 651人
- ボックスシート6(6人掛け) 合計48人(8組)
- ボックスシート7(7人掛け) 合計70人(10組)
- スカイデッキA(テーブル付き立ち見デッキ席)50人
- スカイデッキB(テーブル付き立ち見デッキ席)50人
- スタンディング25 270人
- スタンディング50 75人
- 立見席 24人
- ハイパースタンド(ポール際) 1509人
- ハイパーシート(座面跳ね上げ式一般席)1371人
- ハイパーリビング4(4人掛け) 合計32人(8組)
- ハイパーリビング5(5人掛け) 合計20人(4組)
- ハイパーリビング7(7人掛け) 合計56人(8組)
- 立見席 30人
- コンコース立見席 48人
- 内野3塁側スタンド 1462人
今回の3塁側・および左翼側の常設席増設について、楽天球団社長の立花陽三は「今回の増席による28,000人収容は通過点であり、将来は3万人収容を目指す」として、オールスターや日本シリーズを開催に必要な収容人数の下限を満たすべくさらなる増席の計画を温めている[27]。なお、2014年のシーズン開幕から3塁側常設スタンドの運用開始までは、前述の仮設スタンドを撤去した関係で最大収容人数が25,723人になっている[28]。
野球以外での利用
- 球場では、イベント・アトラクションを多数実施するようになった。
- 宮城球場正面の特設リングで、Mr.カラスコ出場の「レッスルフルスタMIYAGI」が開催されている。2005年8月24日のvol.1ではみちのくプロレス、同年8月29日のvol.2では新日本プロレスが参戦した。2006年は、5月17日の「06 みちプロ編」、9月6日の「大阪プロレス編」が開催された。2007年は5月にみちプロと対戦した。
- 2006年8月23日〜9月6日の約2週間、SENDAI光のページェント実行委員会との共催で、「フルスタ宮城 光のページェント」との名称のイルミネーションイベントが行われた。
- 2006年と2007年に、仙台クラシックフェスティバルのプレイベントの1つとして、「楽都フルスタMIYAGI」の名称でクラシック音楽とジャズの演奏が外周スペースで行われた。
- 2007年のGWには、「フルスタ宮城ヒーロー列伝」の名称で仮面ライダー電王とYes!プリキュア5のイベントショーが開催された。
応援時の鳴り物等の持込規制
楽天の新本拠地となったことにあたり、球団では当球場で開催するホームゲームで鳴り物入りの応援を大幅規制している。理由は、「近隣住宅地への配慮」「ボールの音が聞こえる観戦環境の確保」「仙台医療センターが近隣にある」などとされている。(仙台市によると、市民からの「応援の騒音に対する苦情」は毎年起きており、事実、球団ではスピーカーなどの音響装置の改修工事を毎年行い1億円程度の設備投資を行っている)
具体的な制限事項は以下の通り。
- トランペット、カネ、笛、拡声器、ラジカセの持込・使用は一切禁止。
- 太鼓はNPBが公認した私設応援団のみに許可され、「四方40cm、高さ30cm以内」のもの1個のみ可。使用場所は指定席を除いた外野席に限られ、22時以後は使用禁止。
- 応援旗もNPB公認の私設応援団のみ可。「縦2m、横3m以内」で枚数は制限なし。また横断幕は原則として手持ちのみとし、フェンス、スタンド等の球場施設への取り付けは禁止。(ガムテープ・養生テープでの貼り付け、ハトメを使った固定も不可。ただし許可を得た私設応援団に限り横断幕のスタンドへの貼り付けと応援大旗を振る行為は認めるが、外野中央通路、及び主管球団などが指定した個所のみに限る)
- 過度の座席確保のためのレジャーシートなどのによる敷物使用禁止。
- なお、ジェット風船については特に規制されておらず、他球場に倣い応援の盛り上げに使われている。ボランティアによる使用後の風船の回収とリサイクルの実施が継続して行われ、全国的に注目されている。
- しかし、高校野球ではこの規則に関係なくブラスバンドによる応援がされる。
球場では売店の売り上げを確保するため(球団のコメント)、及び、保安の強化とごみなどの問題を考慮し、食べ物はコンビニや弁当屋からの買出し、自宅からの持込を含めて禁止している。ただし球場敷地内でチェック済みで販売されている、専用のシール(通称:楽天シール)が貼ってある食べ物に限り、持込を許されている。入場時には警察など関係機関からの指導を受け手荷物検査も実施されており、飲料については、缶、瓶、ペットボトル、水筒、パック飲料の持ち込みは禁止で、ゲートにて自分自身で中身を指定の紙コップに移し替えが必要となる。
ただし、外周に飲食可能スペースが多くあるため、このスペースを利用し持ち込み飲食物の飲食を済ませることは可能である。持ち込み禁止については、球団は施設管理者であり営業権も付与されている為、法規上は特に問題が無く現状に至るものの、一部には根強い批判がある事も事実である。
命名権
- 施設命名権による名称の変遷
- フルキャストスタジアム宮城(2005年3月20日 - 2007年10月4日)
- 日本製紙クリネックススタジアム宮城(2008年1月1日 - 2013年12月31日)
- ただし、2008年2月15日 - 2010年12月31日は社名を外し「クリネックススタジアム宮城」としていた。
- 楽天Koboスタジアム宮城(2014年1月1日 - )
※施設命名権導入後も、宮城県条例上の施設名称は「宮城球場」を維持している。
フルキャストスタジアム宮城
宮城球場が楽天の本拠地となるにあたり、所有者である宮城県は、県が保有する資産を有効活用して収入確保を図ると共に、地域に密着したプロ球団の育成を目指すため、楽天野球団と共同で施設命名権(ネーミングライツ)の売却を決定し、2005年1月11日からスポンサー企業の募集を開始。契約期間3年以上、年額1億5,000万円以上で、名称の一部に「宮城」の2文字を使用することが条件だった[29]。その結果、労働者派遣業大手のフルキャスト(現フルキャストホールディングス。当時の本社は東京都渋谷区に所在)1社のみが応募し、球団と宮城県などによる審査を経て、1月22日に契約期間3年、年額2億円(うち1億5000万円は球団、5000万円は県の収入)で基本合意に達し、呼称はフルキャストスタジアム宮城に決定、同年3月20日から採用された。「フルスタ」「フルスタ宮城」「フルキャスト宮城」などといった略称・通称でも呼ばれ、報道などでも使用された。なお、県と楽天野球団が命名権導入にあたって締結した「ネーミングライツ基本協定書」において、最低売却額は年額1億5,000万円、売却益の分配率は1:3(県25%、楽天野球団75%)と取り決められた。
だが2007年8月3日に、フルキャストが警備や建設・港湾荷役など労働者派遣法で定められている禁止業務に労働者を派遣する違法行為を繰り返し行ったとして、1箇月ないし2箇月の業務停止処分を受けた。これについて村井嘉浩宮城県知事は「重大で許し難い行為。県民は快く思わないのではないか」と不快感を表明し、また楽天の池田敦司取締役も「出てきた事実に基づき県と相談する」と話した。
フルキャストは2005年に県・球団と命名権契約を交わした際、契約解除条項の一として「社会的信用が失墜したと認められる場合」を明記していた。また2008年3月18日までの契約期間終了に伴って、県は年内を目途に新たな契約企業を募集する方針を当時既に決定しており、引き続きフルキャストと契約を更新することも選択肢の一つとしていたものの、前述の違法行為が発覚した際、ある県幹部は「その可能性はなくなった」と話した。
この一連の事態を受けて8月30日夕方、フルキャストの役員が県庁を訪れ、県に対し謝罪した上で「自社の業務停止処分の問題に関する県民・ファンへの影響などを考慮した」として命名権の契約解除を申し出た。これは翌31日に県教育委員会が開いた「広告審査委員会」の席上で明らかにされた。県は9月3日以降に改めてフルキャスト側の事情聴取を行った上で結論を出すことを決めた。なおフルキャスト側は契約解除の時期を「混乱を避けるため、できればシーズン終了後にしたい」と話したという。
そして9月7日、県は楽天主催公式戦のシーズン最終戦当日を以って、フルキャストとの命名権契約解消を決定した。プロ野球本拠地野球場の命名権契約が途中解消されるのは日本では初めてのケースとなった。これに伴い、県は新たな契約企業募集に向けた準備に入り、楽天主催公式戦のシーズン最終戦(対ロッテ23回戦)が開催された10月4日を以って「フルキャストスタジアム宮城」の名称使用を終了し、翌10月5日から新たな契約先が決定するまでの間は県条例上の施設名称である「宮城球場」のみを暫定的に使用することになった。なお、フィールドやスコアボード、メインスタンド正面など球場施設内に掲出されていたフルキャストの社ロゴや看板、その他球場内外の標識・案内板などの撤去費用等については、その後県、仙台市などの関係機関とフルキャスト両者が協議して負担割合を決定した。
日本製紙クリネックススタジアム宮城
フルキャストとの命名権契約解消に伴い、県は2007年10月29日から11月20日にかけて命名権契約企業の募集を実施した。前回と同様、球場名には「宮城」を入れることを条件とした。その結果、県内外3社から応募があったことを公表。その後、県内から応募した1社が辞退し、県外2社について審査を継続した結果、東京都千代田区有楽町に本社を置き、宮城県内にも岩沼市と石巻市に製造拠点を置く日本製紙に命名権を売却することが決定した。県・楽天野球団と同社が検討を進めた結果、同社グループの日本製紙クレシアが製造販売するティッシュペーパーの商品名「クリネックス」を施設名に冠することが決まり、新たな施設名称は日本製紙クリネックススタジアム宮城に決定した。契約期間は2008年1月1日から2010年12月31日までの3年間で、契約金額は年額2億5000万円(うち1億8750万円は球団、6250万円は県の収入)。また、公式略称をKスタ宮城とすることも併せて決定した。なお新規契約先募集に先だって、基本協定書の内容が2007年10月11日付で一部変更され、最低売却額は年額2億円に引き上げられた。
略称「Kスタ」の「K」は、クリネックスの英字表記「Kleenex」の頭文字をとったもの。先の「フルスタ」に倣って「クリスタ」と省略することも検討されたものの、「『クリスタ』はいくつかの商品で商標登録されている」「大阪市中央区にある地下街『クリスタ長堀』など類似した名称を使用している施設が既にある」「『クリスタ』では『クリスタル (Crystal)』を連想させ、『クリネックス』を略した事が認識しにくくなる」などの要因から、略称にはイニシャルを使用する運びとなった。
だが、両者が契約文書の細部調整作業を進めていた同年1月9日、日本製紙が製造する再生紙年賀はがきの古紙配合率が定められた基準値を下回っていることが発覚したのを発端に、製紙各社による古紙配合率偽装問題が勃発した。1月25日、日本製紙の本村秀常務らが仙台を訪れ、県に対して謝罪するとともに命名権の契約継続を要請。席上、同社側は「一定期間、呼称から『日本製紙』の社名を外したい」という考えを示した。村井知事は1月28日の定例記者会見でこの問題について「消費者を欺いた大きな社会問題だが、配合率の基準に無理があった事情も汲まなければならない」と一定の理解を示し、社名を呼称から外す提案について「会社のPRを狙って命名権を取得したのだから、問題を非常に重く受け止めている証しではないか」と同社の姿勢を評価。楽天の島田社長も「基本的に続けて頂きたい」と契約維持を求めていた。
2月1日の広告審査委員会でこの件が審議され、日本製紙が社内に調査委員会を設け、原因究明と再発防止を進めていることや、社名外しを求めたことについても「信頼回復に努めている姿勢の表れ」と評価。また既に命名権による呼称が印刷物などで使用され始めており、特にパ・リーグ開幕が3月20日に迫っていることから、仮に契約を解除した場合、大きな混乱が生じる可能性も考慮され、契約を継続することが決まった。これを踏まえ、村井知事は2月4日の定例記者会見で契約継続を正式に発表。また併せて契約継続の条件として、契約満了までの3年間、呼称から社名を外すことも発表した。社名外しの期間については、日本製紙側は「1年間ないし2年間」を提示していたが、契約満了までとしたことについて、村井知事は「社会的影響を考えると、自粛して頂くのが妥当と判断した」と話した。これを受けて日本製紙側は「それだけ重大であると判断されたということ。真摯に受け止めたい」として、県、球団に改めて陳謝した。こうした過程を経て、2月15日に県・楽天野球団と日本製紙は正式に契約を締結。これにより、同日以降の呼称はクリネックススタジアム宮城となった。なお、略称のKスタ宮城は引き続き使用した。
宮城県は、旧契約の期間満了を前にした2010年9月13日、日本製紙との命名権契約を更新する方針を明らかにした。当時既に日本製紙側が契約更新の意思を県・楽天野球団側へ事前に伝達していたことから、契約中の企業が優先交渉権を有すると定めた県の規定に基づいて、県・楽天野球団は日本製紙側と契約更新に向けて交渉を進めた結果、3年間の契約延長が決まり、11月1日に発表された[30][31][32]。契約期間は2011年1月1日から2013年12月31日までの3年間で、契約金額は年額2億円(うち1億5000万円は球団、5000万円は県の収入)。年額が5000万円減となったことについて、村井知事は同日の定例記者会見で「企業では厳しい経済状況を背景に広告経費を削減する傾向にあり、他県でも命名権の契約額を減額する傾向にある。2億円は基本協定書の最低金額を満たしており、やむを得ないものだと考えた。2億円でも更新になったのは大変ありがたい」と説明した。また契約更新にあたって県教委の広告審査委員会が同社を再審査した結果、コンプライアンス(法令順守)体制や地域貢献活動への取り組みを評価し、再び名称に社名を冠することを認めたため、2011年からの呼称は日本製紙クリネックススタジアム宮城とすることが決まった。併せて略称のKスタ宮城もこれまで通り継続して使用し、加えて旧呼称のクリネックススタジアム宮城も新たに略称として使用することになった。
しかし日本製紙は、国内需要の縮小に伴う経営効率化の一環として、2013年10月に前述の命名権契約を更新しない意向を宮城県に伝えた。このため県では、日本シリーズ終了後の11月5日から12月4日まで、日本全国の企業を対象に新たな命名権契約企業を公募[33]。その結果、楽天と他1社が名乗りを上げた[34]。なお、「日本製紙クリネックススタジアム宮城」「クリネックススタジアム宮城」「Kスタ宮城」といった呼称は、契約期間の満了と新たなスポンサー企業(楽天)との命名権契約締結を機に変更された(後述)[35]。
楽天Koboスタジアム宮城
宮城県が上記の命名権契約企業公募に応じた楽天など2社を審査した結果、イーグルスを所有する楽天が、年間契約料2億100万円で命名権を取得。2014年1月1日からは、同社の電子書籍通信販売サイト「楽天kobo」の名称を冠して、球場の愛称を楽天Koboスタジアム宮城に変更した[36][37][38]。なお、契約期間は従来と同じ3年間で、略称はコボスタ宮城[39]。
宮城県におけるアマチュア野球の聖地
1950年から半世紀以上に渡って、宮城球場は県内のアマチュア野球界にとって聖地となってきた。高校野球の甲子園大会の予選のみならず、・中学野球・大学野球・社会人野球などの決勝戦等で使用され、様々なドラマを演出してきた。そのため、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地に決まった時、宮城球場でのアマチュアの試合回数が減るのではないかと危惧された。しかし、宮城県と楽天の協定の中で、
- 従来の料金でのアマチュア野球への貸し出し
- 楽天が野球振興に協力する
という条件で、楽天の本拠地となってからもアマチュア野球の試合数は一定数確保されることとなり、アマチュア野球の聖地としての地位の一部は守られている。
例をあげると「杜の都の早慶戦」と称される「仙台一高二高硬式野球部定期戦」は1900年(明治33年)に始まったもので、大正から戦中の中断を経て戦後の1946年(昭和21年)に復活後、現在まで続いている。宮城県における伝統ある試合として約半世紀に渡って試合会場となってきたが、プロ野球参入後は日程の問題や「仙台国際ハーフマラソン」との競合で、宮城球場での開催が危ぶまれた。しかし、宮城県・楽天双方の努力と関係者の奔走により、日程の確保がなされた。
2005年の定期戦では、試合中に両校による伝統ある熱烈な応援合戦がなされてきたが、改修された球場では、応援団が乗る大舞台の設置が難しく楽天側から拒否されてしまった。宮城県、楽天双方で設置と現状復帰について何度か協議したが、物理的・時間的に法的基準を満たす設置と復旧が難しいことがクリア出来ず、最終的には、一高はビールケースで作った小さな舞台を内野スタンドに作って応援し、二高は舞台を設置せずに外野スタンドで応援する、という形式に変更することとなった。 しかしながら、2008年以降は楽天側が日程や設置方法の変更をアドバイスし、問題点がクリアされたことにより舞台が設置されている。
また、毎年楽天野球団が公表している報告書によると、2005年以降のアマチュアへの貸し出し日数は70日以上となっており、2004年以前の貸し出し水準を大きく超えている状態が維持されている。これは、プロ野球が開催されるホーム球場ということで、設備の整った球場の人気が高まり利用希望が増えている為といえる。宮城県が意図していた、「管理占有許可を認めることでプロスポーツ企業に大幅な利用権限を与え、施設の向上を図り利用者の利便性を向上させる」という考えが成功したものと言え、内外のスポーツ関係者からは高く評価されている。
尚、宮城球場が2005年から楽天の本拠地となり、プロ野球の開催が優先されるようになったため、アマチュア野球の試合・練習場所を確保する必要が生じた。2007年には市が宮城野区内で整備計画を進めている野球場が完成する予定だったので、竣工までの向こう2シーズンの間、アマチュアが優先的に使用できる施設が必要となった。そこで市は2005年から、廃部されたJT硬式野球部が練習場として使用していた宮城野区の旧JT球場(東仙台球場。日本たばこ産業仙台工場跡地内、硬式・軟式いずれも使用可)を2年契約でJTから借り上げ、市の管理施設として供用した。また泉区・泉パークタウンの明通球場は主に軟式野球で使用された。このうち東仙台球場は2006年10月を最後に利用契約が終了したが、代わって2007年5月、宮城野区に仙台市民球場が竣工して供用を開始し、アマチュア野球公式戦の一部が行われている他、一般利用向けにも供用されている。
交通機関
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線 宮城野原駅または榴ヶ岡駅から徒歩5〜10分。
- 宮城球場を含む宮城野原公園総合運動場の北端に位置している宮城野原駅の方が、信号3つ分遠い榴ヶ岡駅から下車するよりも利用しやすい。宮城野原駅は駅舎外観、内部、ホームとイーグルスカラーで染められている。
- 仙台駅からも30分弱ほど歩けば到達可能である。試合終了時はバスを待つより、徒歩の方が早い場合もある。道中も榴ヶ岡駅付近までは若干上り気味であるが、ほぼ平坦かつ直線。コンビニや他チームのレプリカユニフォームを販売する店もあり、店舗もそれなりに充実している。
- 楽天の主催試合時には、仙台市交通局および宮城交通により仙台駅東口発着のシャトルバスが運行される。運賃は大人100円、小学生以下は50円(2008年時点)。また本数は少ないが定禅寺通市役所発着(大人200円、子供100円)の便もある。
- またJRバス東北の一部高速バスが当球場前まで延長運転される(当球場の向かいに同社の仙台支店があり、入庫回送を活用したもの)なお当球場始発の便は設定されない。
- 2015年中の開業を目標に、当駅から南へ500mほどに仙台市地下鉄東西線・薬師堂駅が新設される予定。八木山などの太白区の一部、一番町の繁華街、卸町、荒井など若林区北部からのアクセスが向上する。
脚注
関連項目
- 日本の野球場一覧
- 仙台のスポーツ
- SENDAI光のページェント(「フルスタ宮城 光のページェント」を共催)
外部リンク
- スタジアム情報東北楽天ゴールデンイーグルス球団公式サイト
- 宮城野原公園総合運動場(宮城県 教育庁スポーツ健康課)
- 転送 Template:End
※現在の本拠地はQVCマリンフィールド テンプレート:日本プロ野球の本拠地野球場
テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ- ↑ ベースボールマガジン 2001年夏季号 「野球場」大特集 - 2001年、ベースボール・マガジン社発行
- ↑ 球場物語―この1冊で球場のすべてが分かる! B.B.mook―スポーツシリーズ(338) - 2005年3月、ベースボール・マガジン社発売 ISBN 4583613113
- ↑ 開場から1970年代に改修されるまでの間、メインスタンド正面には「縣營宮城球場」と掲出されていた。1970年代の改修から、楽天が本拠地とする前年の2004年までの間は「宮城球場」という銘板が掲出されていた。
- ↑ 4.0 4.1 (7) 東北初ナイター・宮城球場(河北新報「ニュースの記憶〜仙台圏・あのころ」)
- ↑ (28) 宮城球場・プロ野球オールスター戦(河北新報「ニュースの記憶〜仙台圏・あのころ」)
- ↑ 当初、当球場での開催は予定されていなかったが3月に発生した東日本大震災の被災者救済チャリティー試合として急遽開催されることになった。但し予備日が設けられていなかったため、仮に降雨等で中止となった場合は開催取り止めだった。
- ↑ 霞目駐屯地から「高さ制限」のお知らせ(霞目駐屯地 2009年3月24日)
- ↑ 2010年12月4日放送のTBSテレビ『S☆1』より。
- ↑ 出典・2ちゃんねる「ロッテ本拠地時代の仙台球場」テンプレート:出典無効
- ↑ Kスタ改修 サイズ縮小も「投手にも打者にもフェアな球場になる」(2012年12月19日スポーツニッポン 2012年12月23日閲覧)
- ↑ 11.0 11.1 【楽天】本拠増席 最大収容2万8723人に(「日刊スポーツ」2014年1月17日付記事、同日閲覧)
- ↑ 天然芝のフィールドが完成!名称は“Green Field”東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト2014年8月17日付ニュース
- ↑ 13.0 13.1 【楽天】Kスタ仮設スタンドを再建設へ(「スポーツ報知2013年11月20日付記事、同月21日閲覧)
- ↑ 日本選手権シリーズ試合規定第15条では、入場料で得られた収益をNPBと進出2球団で折半する割合が定められている。
- ↑ 2009年11月9日付・スポーツニッポンより
- ↑ 『パ・リーグがプロ野球を変える』大坪正則:著、朝日新書、2011年、p61-64
- ↑ 2010年4月22日付・サンケイスポーツより
- ↑ Kスタ、来月2185席増席 楽天が計画発表(2013年8月13日 河北新報・同日閲覧)、日本製紙クリネックススタジアム宮城「増席計画のお知らせ」(2013年8月12日 東北楽天ゴールデンイーグルスリリース 同8月13日閲覧)
- ↑ 【楽天】Kスタ宮城左翼に特設スタンド(2013年9月13日、日刊スポーツ・同日閲覧)
- ↑ 日本製紙クリネックススタジアム宮城「28,000増席計画のお知らせ」(2013年10月1日 東北楽天ゴールデンイーグルスリリース 同10月12日閲覧)
- ↑ 東北初シリーズにKスタ最多の2万5209人(日刊スポーツ2013年10月27日 同11月1日閲覧)
- ↑ 【楽天】観客動員2万5271人過去最多(日刊スポーツ2013年11月3日 同11月6日閲覧)
- ↑ 第7戦PV Kスタ隣接の陸上競技場で(日刊スポーツ2013年11月3日 同11月6日閲覧)
- ↑ 「台風」に「観客増」 Kスタの仮設スタンドが崩壊危機!?(日刊ゲンダイ2013年10月23日 同11月1日閲覧)
- ↑ コボスタ宮城に巨大スタンド完成!2万8736人収容可能に(『スポーツニッポン』2014年7月28日付記事)
- ↑ 3019席の巨大スタンドが完成!8月30日(土)からバラエティ豊かな観戦が可能に!(東北楽天ゴールデンイーグルス2014年7月28日)
- ↑ コボスタ宮城 東北楽天が8月まで観客席4500増設へ(2014年1月28日河北新報 8月16日閲覧)
- ↑ 【楽天Koboスタジアム宮城】スタジアム増席・改修に関して東北楽天ゴールデンイーグルス2014年1月17日付プレスリリース
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite press release
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- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ 新球場名は「楽天koboスタジアム」=球団親会社が命名権 時事通信社 2013年12月14日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ ただし、NHKプロ野球の中継では頭に楽天はつかず「コボスタジアム宮城」という表現が用いられている。
- ↑ 楽天本拠地 愛称は「コボスタ宮城」 2014年1月1日から使用(『スポーツニッポン』2013年12月24日付記事)