みちのくコカ・コーラボトリング
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みちのくコカ・コーラボトリング株式会社は、コカ・コーラ商品を販売する会社(ボトラー)のうち青森県、秋田県、岩手県の北東北3県を担当する会社である。本社は岩手県紫波郡矢巾町。
岩手県を代表する企業一族、谷村家(同じグループに新興製作所、谷村電気精機、みちのくキャンティーンなどがある)が大株主。以前は国際興業も株主で、グループ会社だった。
なお、宮城県、山形県、福島県は仙台コカ・コーラボトリングの管轄となる。
沿革
- 1962年11月 - 盛岡市に北斗飲料株式会社設立。
- 1963年4月 - 営業所3拠点、4ルート・8台の車両で営業開始。工場未設のため仙台コカ・コーラボトリング等他ボトラーから商品の供給を受ける。
- 1965年10月 - 商号を北斗コカ・コーラボトリングに変更、花巻市城内6-6に移転。
- 1965年12月 - 本社敷地内の岩手工場竣工。自社製造開始。
- 1966年8月 - 商号をみちのくコカ・コーラボトリングに変更。
- 1970年3月 - 青森工場竣工。製造開始。
- 1972年5月 - 秋田工場竣工。製造開始。
- 1975年7月 - ジョージアコーヒー発売。
- 1977年3月 - コカ・コーラリットルサイズ(1リットル)リターナブルびん導入。秋田工場で製造開始。
- 1983年6月 - コカ・コーラ1.5リットルPETボトル発売。秋田工場で製造開始。
- 1984年3月 - カナダドライ製品の製造販売権を獲得。
- 1986年5月 - 花巻工場竣工。250ml炭酸缶生産ライン稼動開始。
- 1987年2月 - 花巻工場にジョージア生産用レトルト缶ライン増設。
- 1988年4月 - みちのくキャンティーン社設立。
- 1988年9月 - 岩手工場製造終了。
- 1988年11月 - 青森工場にPETライン(炭酸)増設。
- 1988年12月 - 秋田工場にPETライン(非炭酸)増設。(2011年まで)
- 1989年6月 - ワンウェイびんのコカ・コーラミディ500発売。青森工場で製造開始。
- 1994年7月 - 国際興業が株式を取得しグループの一員に。(2010年頃グループ離脱)
- 1995年6月 - 青森工場にレトルト缶ライン増設。
- 2002年4月 - 花巻工場の既存缶ラインを改造したボトル缶生産ライン稼動開始。東北・北海道にボトル缶製品の供給開始。
- 2002年 - 本社新社屋完成。移転(岩手県紫波郡矢巾町)。
- 2009年 - 青森工場でコカ・コーラ等炭酸飲料の小型PETボトル製品の生産を開始。
- 2012年9月 - 「ファンタ アップル 250g缶」「ファンタ ゴールデングレープ 250g缶」がみちのくコカ・コーラ設立50周年記念限定商品として期間限定で復活(2013年3月まで)。
- 2012年10月 - 「ジョージア グランデ 190g缶」がみちのくコカ・コーラ設立50周年記念限定商品として期間限定で復活(2013年4月まで)[1]。
工場
括弧内は製品につけられる製造工場記号。
- 花巻工場(H→MHA)
- 1986年に完成したみちのく社初のキャンニングラインを持つ工場で、当時の最新鋭のキャンニングラインを有した。この工場が建設されるまでは埼玉に本社があるサツキコカ・コーラキャンニング(後に三国コカ・コーラボトリング)より缶製品の供給を受けていた。現在は缶製品(炭酸・非炭酸・コーヒーショート及びロング缶)、ボトル缶製品(炭酸、非炭酸)を製造。
- 青森工場(AO→MAO)
- 秋田工場(AK→MAK)
- ゼロ/ゼロフリーを含むコカ・コーラの各種PET(500ml、および850ml、1.0L、1.5L、2.0L)製品[2]、およびリターナブルびん(200ml)製品、ファンタ、スプライト、カナダドライ(ジンジャーエールのみ)等の炭酸系の大型PET(いずれも1.5L)製品を製造[3]。コカ・コーラのびん製品はみちのく以外にも自社生産をやめた北海道コカ・コーラボトリングや仙台コカ・コーラボトリングにも供給。
- 岩手工場-旧本社敷地内。1988年閉鎖。
- リターナブルびん製品の他、スーパー300等ワンウェイびん製品を製造していた。