さとう宗幸
テンプレート:Infobox Musician さとう宗幸(さとう むねゆき、本名:佐藤宗幸、1949年1月25日 - )は、日本の歌手・俳優・司会者。所属事務所はさとう音楽事務所。岐阜県可児市出身、宮城県古川市(現・大崎市)育ち。現在は宮城県仙台市在住。愛称は「宗さん」。
トレードマークの髭は、敬愛する歌手ジョルジュ・ムスタキを意識してのものである。
来歴
- 1949年(昭和24年)、岐阜県(現可児市内)に生まれる。
- 1951年(昭和26年)、2歳のときに、家族と共に宮城県古川市(現・大崎市)に転居。
- 古川市立古川中学校在籍中、ブラスバンドに所属してトロンボーンを演奏
- 宮城県古川高等学校在籍中、マンドリンクラブに所属。
- 東北学院大学在籍中、釣りクラブ、少林寺拳法クラブに所属。うたごえ喫茶『若人』で歌い始める。
- 1972年(昭和47年)、上京して(株)平和嶋(現·京急開発)に勤務。
- 1973年(昭和48年)、仙台に戻ってうたごえ喫茶『若人』でリーダー再開。
- 1976年(昭和51年)、アルバム『バラ色の人生』を自主制作
- 1977年(昭和52年)、NHK-FM仙台「FMリクエストアワー」のDJを始める。
- 1978年(昭和53年)、「青葉城恋唄」でメジャーデビュー。これを機に拠点が東京に移る。
- 1981年度(昭和56年度)の1年間、「2年B組仙八先生」において、伊達仙八郎役で主演。
- 1986年(昭和61年)、法務省より保護司の任命を受けた。
- 1987年(昭和62年)、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で支倉常長役を務める。
- 1995年(平成7年)、ミヤギテレビの夕方ワイド番組「OH!バンデス」の司会となる。
歌手
青葉城恋唄
テンプレート:Main 学生時代から歌声喫茶でギター片手に歌い、セミプロのフォークソング歌手であったさとうは、1977年(昭和52年)4月からNHK-FM仙台「FMリクエストアワー」でDJを務めており、この番組にはリスナーから寄せられた詩に曲をつけて歌をつくるコーナーがあった。
同年6月、このコーナーから生まれたのが『青葉城恋唄』である。星間船一が仙台の街の美しい情景と切ない恋情を綴った詞にさとうが曲をつけたこの歌は、翌1978年(昭和53年)5月5日にキングレコードから発売され、さとうのメジャーデビュー曲となった。また、それまでいわゆる「ご当地ソング」がなかった仙台市の後押しもあり全国的に大ヒット。同年、さとうは数々の音楽新人賞を獲得し、仙台を代表する曲のひとつとなった。
また、『青葉城恋唄』は、原作者承認の上、東北地方を拠点に活動する「CUZSICK」率いる「Mess→Age Crew」のアルバム『前略、未知の國から』収録の『青葉城恋唄21』で、ラップに改変された。変わりゆけどもなお美しき杜の都・仙台の情景と、現代の若者達の切ない恋を歌い上げ、今なお名作に新たな命を吹き込まれ歌い継がれている。
岩尾別旅情
1970年代、北海道、特に知床半島を旅する若者にとって『岩尾別ユースホステル』は旅人に対する熱烈なもてなしの気持ちとサービスで格別の存在であった。さとう宗幸はその頃の『岩尾別』を象徴する人物。その当時作った歌が「岩尾別旅情」で、今でもローカルではカラオケの定番である。
みんなのうた
曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 初回放送月 |
---|---|---|---|---|
北の旅 | さとう宗幸 | さとう宗幸 | 小野崎孝輔 | 1978年8月-9月[1] |
夕顔の里 | さとう宗幸 | さとう宗幸 | 三枝成章 | 1979年8月-9月[2] |
土湯讃歌 | 岩田唯男 | 菅野栄 | 小野崎孝輔 | 1980年2月-3月[3] |
風の向うに | さとう宗幸 | さとう宗幸 | 小野崎孝輔 | 1981年4月-5月[4] |
学校坂道 | 西口ようこ | 西口ようこ | 若松正司 | 1984年4月-5月[5] |
はる なつ あき ふゆ | 志賀大介 | 大山高輝 | 小野崎孝輔 | 1989年10月-11月[6] |
その他
そのほかのヒット曲として、「萌ゆる想い(「2年B組仙八先生」主題歌)」「向日葵の頃」「地球岬」「おひさしぶりだねナゴヤ」(愛知・名古屋マイソング最優秀曲、石川ひとみとのデュエット。後年、芹洋子とのデュエットによるカヴァー版がCD化されている)「欅伝説」(「OH!バンデス」のエンディングテーマ)「妻ありて」「CALENDAR(カレンダー)」(庄子眞理子とのデュエット。仙台地区のCD売り上げ、および有線リクエストで上位にランクインした。オリジナル歌手は土居まさる)、「夢のつばさ」(東北楽天ゴールデンイーグルスの公式応援歌として制作された)などがある。
澄んだテノールの声質と、並外れた歌唱力は、安らぎと暖かさを多くの人に提供して余りあり、シャンソンや叙情歌をもレパートリーにできる実力も兼ね備えているが、オリジナル曲は比較的少なく、現在は、司会を務める「OH!バンデス」で、ギターを手にして歌うレギュラーコーナー、地元でのイベントや全国各地でのコンサートなどを活動の中心に据えている。
2012年5月23日にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)に、ボーカルとして参加している。
俳優
「青葉城恋唄」のヒットをきっかけに全国区の人気者となり、ドラマにも出演するようになった。
「2年B組仙八先生」では伊達仙八郎として主演し、生徒役を務めた薬丸裕英・本木雅弘・布川敏和(この3人は後にシブがき隊としてデビューし、人気アイドルとなる)・三田寛子らと共演した。また、NHK大河ドラマで歴代1位の視聴率を得た「独眼竜政宗」では、支倉常長を演じた。
司会者・ローカルタレント
1990年代までは東京に拠点を置き、歌手活動のほか、俳優としても活動していた。
1990年(平成2年)1月6日から9月29日まで、毎週土曜昼に仙台放送「スーパーSAT」で司会を担当し、宮城県でのレギュラー番組を持った。
1995年(平成7年)、地元仙台に戻り、夕方ワイド番組の「OH!バンデス」(ミヤギテレビ)の司会となる。番組は高視聴率を獲得し続けており、いまや宮城県では司会者「宗さん」として定着し、東北地方全体でも、伊奈かっぺい(1年先輩)と並ぶ著名なローカルタレントとなっている。
東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉ファンクラブ会員(会員No.4)として、創立1年目は応援歌「夢のつばさ」(作詞:さとう宗幸、作曲:元WANDSの木村真也、編曲:葉山たけし)も制作・発売するなど活動したが、田尾安志監督の1年での解任に激怒。「1年で何が分かるのか?」と独善的な発言が目立った三木谷浩史オーナーの態度に失望してファンクラブも脱退。楽天と決別を宣言した。なお、2006年(平成18年)3月28日の楽天-オリックス戦(ホーム開幕戦)で国歌独唱をしたり、2007年(平成19年)には「OH!バンデス」の企画で楽天の寮と2軍練習場を訪れ、選手を激励をするなど、楽天イーグルスの一ファンとしては変わらず応援している。2013年9月の楽天初優勝に際しては、喜びの言葉がマスコミで報じられた[7]。同年の日本シリーズ第1戦では、試合開始前の国歌斉唱を担当し、「ファン冥利に尽きる」とコメントした[8]。
1999年(平成11年)にサッカーJ2のベガルタ仙台・市民後援会が発足した際に後援会会長に就任し、年1回シーズンオフに発行されるメモリアルデータブック「カントリーロード」に毎年コメントを発表している。
伊奈かっぺいに出した年賀はがきのくじが、1等に当選し、佐藤家(伊奈かっぺいの本名は佐藤元伸)のノートパソコンに引き換えられた。
2011年(平成23年)3月11日、仙台市で「OH!バンデス」の生放送でミヤギテレビへ到着する直前に東日本大震災に遭遇。さとうやミヤギテレビ、その周辺では大きな被害は無かったものの、ミヤギテレビのある宮城野区の沿岸部を始め東日本の広い範囲が地震・津波で甚大な被害を受けた。さとうも被災地を拠点とするタレントとして積極的に復興活動へ取り組んでおり、5月2日には松島からの中継放送となった「情報ライブ ミヤネ屋」に生出演し「青葉城恋唄」を披露。
出演番組
現在
過去
テレビドラマ
- 幾山河は越えたけど(NHK、1979年)
- 2年B組仙八先生(TBS、1981年-1982年) - 主演・伊達仙八郎 役
- おゆう(TBS、1983年) - 隆太郎 役
- うっかり夫人ちゃっかり夫人(フジテレビ、1983年)
- 虹を越えて(フジテレビ、1983年)
- 2年B組仙八先生スペシャル(TBS、1984年) - 主演・伊達仙八郎 役
- 妻よ妻よ(TBS、1987年)
- 独眼竜政宗(NHK、1987年) - 支倉常長 役
- あなたもスターになりますか(TBS、1987年)
- 裸の木(関西テレビ、1992年)
その他
- 達人の釣り (ミヤギテレビ)
- 午後は○○おもいッきりテレビ (日本テレビ)
- にんげん家族(NHK教育テレビ)
- なっトク!古今東北(NHK仙台放送局・東北地方ブロックネット)
- おゆう(TBS)
- スーパーSAT(仙台放送)