午後は○○おもいッきりテレビ

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テンプレート:Notice テンプレート:基礎情報 テレビ番組午後は○○おもいッきりテレビ』(ごごはまるまる おもいっきりテレビ)とは、日本テレビ系列で1987年10月5日から2007年9月28日まで放送されていたテレビ番組で、通称「おもいッきりテレビ」、「おもいッきり」。生放送ハイビジョン制作地上デジタル放送のみ)。

この番組は放送開始20周年を機に2007年10月1日から『おもいッきりイイ!!テレビ』にリニューアルされた。

概要

テンプレート:Ambox-mini 番組初期は、後に迎える黄金期とコンセプトが異なり、ニュースを中心としていた。一部地域を除き正午から15:45まで(JST)放送されたコンプレックスワイド番組で、従来の『お昼のワイドショー』、『2時のワイドショー』(読売テレビ製作)、『酒井広のうわさのスタジオ』を統合する形でスタートした。番組タイトルは、「それまで分断されていた枠を思い切って一つにまとめ、何かあった際も迅速に対応する」という意味で名づけられた。「午後は○○(まるまる)」[1]というサブタイトルもその名残りだった。この編成はラジオのワイド番組を手本にしたと言われている。初代司会者に山本コウタロー(本名の山本厚太郎名義で)、アシスタント司会者に泰葉を迎えた。12時台は事件・事故・芸能情報が中心であった。

  • 13:55から『2時のワイドショー』(元は独立番組)が大阪の読売テレビから放送された。また、ネット局(クロスネット局やNNS非マストバイ局)の中にはテレビ朝日の正午の番組を遅れ放送するため、この時間以降ネットしなかった局もある一方で、13:20で飛び降りる局(後述)が14時から再び飛び乗る局(福井放送など)も存在していた。また、マストバイ局でも広島テレビが『ほっとひろしま』を放送するため、13:40(その後13時20分に前倒し)で飛び降り、14時から再び飛び乗っていた。このため、13:55からの5分間は日本テレビと読売テレビとのスタジオを繋いで引き継ぎをする様なスタイルをとっていた。
  • 14:50からは東京に戻り、芸能情報「うわさのうわさ」が放送された。当初は12・13時台に続いて山本がメインだったが、視聴率は伸びず南美希子に司会を変え、山本はオープニングのみの挨拶だけだった。このコーナーは『酒井広のうわさのスタジオ』を引き継いだものである。一部ネット局は『3時のあなた』(フジテレビ)やテレビ朝日の正午の番組を放送するためなどの理由でこの時間は放送していなかった。
  • 番組の最後に「おもいッきりプレゼント」という視聴者プレゼントコーナーがあり、ハガキで応募する様になっていた。このコーナー直後がエンディングで、長大なエンディングロールが流れていた。
  • また、ゴールデンウィーク7月に行われたプロ野球読売ジャイアンツのデーゲームの主催試合(札幌シリーズ)開催時および年末年始の特別編成時には13:20または13:55までの放送となっていた。ただし、札幌シリーズでのデーゲーム中継は2時間放送になってからも13:20飛び降りで継続されていたが、ナイター設備のある札幌ドーム完成後はナイターに切り替わったのを受けて行われなくなった。最後のデーゲーム中継に伴う短縮は2002年で、この時には札幌ドームになっていたのだが、日韓共催FIFAワールドカップサッカーの関係でデーゲームになっていたためだった。
  • 番組開始から1年後の1988年10月3日から放送時間を12:00 - 13:55の2時間に短縮した。

しかし、視聴率が苦戦し1988年の3月で泰葉は降板。1988年4月からアシスタント司会には高橋佳代子が起用された。それでも視聴率は低迷状態のままだった。1年後、山本が参院選出馬によりそれまでコーナー進行として出演していたみのもんた1989年4月から2代目司会者に起用されるとともに生活情報番組に切り替わった。番組内で情報やニュースを織り交ぜているが、ビデオリサーチ社ではバラエティ番組での扱いとされている。

次第に視聴率が上昇し、その結果、同年8月には若年層をターゲットにした番組フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』に次いで民放の同時間帯視聴率2位となった。そして1991年4月に平均10%を突破し、曜日によっては『いいとも!』を抜く様にもなり、年間平均視聴率でも視聴率で時間帯1位を取った事もある。

番組末期には、中学生高校生修学旅行その他学習の一環で度々スタジオを見学する事があった。

番組ロゴは開始当初から終了まで変わらなかった。が、OPロゴアニメーションに関しては、番組開始から2004年(定かではない)までは「午後は○○」と出てから「おもいッきり」→「テレビ」と出ていたが2005年頃から番組終了までは時間短縮等により「おもいッきり」が少し先に出てから多少動きがあった後「午後は○○」とでて最後に「テレビ」と出るようになった。

(カラーリング:テンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Colorテンプレート:Color 但し、放送上の番組ロゴと番組ムック本のロゴでは多少色の濃淡が違う)

2005年4月以降、みのもんたの健康不安説が一部で囁かれ司会者交代や番組自体の打ち切りが噂されていた。また、MBSたかじんONE MAN』にゲスト出演したデーブ・スペクターが『NEWS ZERO』について語った際、「日本テレビは今ターゲット層を若者向けにしようとしているから『おもいッきり』はお荷物番組になりつつある」と述べた。

2005年10月10日放送分から12時台の構成を若干変え、オープニングに「みのカメラが行く」という中継コーナーを設けた。

スポンサーは「情報特急便」のみローカル(1998年10月から。かつてはネットスポンサーがあり、日本直販の1社のみ〈その後P&Gが加わる〉だった。)で、他は全国共通だった。

2007年1月22日放送分からテロップなどのCGが新しくなり、番組開始から使われていた手書き風書体のテロップを完全に廃止した(但し、みのが出すフリップに書いている言葉などは番組終了まで手書きのものを引き続き使用していた。また番宣ゲストの場合CGが新しくなった後も白字に普通のテロップだった事があった)。と共に冒頭に「○月×日(△曜日)」という日付も表示された。また、ゲストコメンテーター陣も冒頭でみの・高橋と共に立って挨拶・オープニングコーナー・トークを行い、特集に入る前の提供に切り替わってから座るというパターンになっていた。

日テレの2006年秋~2008年春の番組改革に従い、2007年秋改編、即ち9月28日で後枠の『ザ・ワイド』とともに終了。その次番組として10月1日から『おもいッきりイイ!!テレビ』(8月16日放送にて発表。仮題は「みのもんたの昼も頑張れ!!お祭りワイド」だった。)が放送開始され、ワイドショー番組に衣替えすると同時に放送時間を5分(11:55 - )早めた(2009年3月に終了[2])。司会者のみのは引き続き担当したが、アシスタント司会の高橋は降板した。

9月28日の最終回は、12時台に20年間の総決算として、健康をテーマにしたクイズ(おもいッきりテレビ検定)を、13時台に過去の総集編VTRを放送した(視聴率は7.8%)。また番組途中にサプライズとしてみのとも交友がある和田アキ子からの生電話もあった。そして、最後にみのが高橋に花束を渡して終了した。また、初代司会者の山本や初代アシスタント司会者の泰葉は過去VTRには登場したものの、スタジオゲストやVTRコメントなどの出演はなかった(ちなみに、「情報特急便」の歴代キャスターだった久能靖真山勇一もスタジオゲストやVTRコメントなどの出演は一切なし)。最後はみの・高橋および出演者・スタッフ全員が出演し、視聴者に別れを告げながら番組は終了。

放送時間の変遷

期間 放送時間
日本時間
1987.10.05 1988.09.30 月曜日 - 金曜日 12:00 - 15:45
1988.10.03 2007.09.28 月曜日 - 金曜日 12:00 - 13:55

生活情報番組としての影響力と批判

番組のホームドクターは医学博士松原英多

特集で取り上げるテーマは健康や料理に関するものが中心だったが、時々「便利グッズ」や「お金を賢く貯める生活法」といったものも紹介していた。特に健康に関するテーマには、制作スタッフが日本で行われる学会のほとんどに出席し、その資料の中からテーマを選び、学会の了承を得た上で放送するなど慎重を期しているとされていた[3]。番組の影響力は絶大で、番組内で紹介された食品が放送日当日から翌日にかけてのスーパーの売り上げを大きく上げる程だった。

とはいえ、その影響力はみのの巧みな話術と出演している医学博士を利用した権威付けによるものが大きく、特集の内容そのものには週刊朝日などから『発掘!あるある大事典』と同様の疑問が投げかけられていた。また、度々食品や食材を紹介し、特定の栄養素を「健康成分」と称してその含有量と効果を謳っていたが、その栄養素は別の食品などで摂取してもよく効率の多寡はあるものの、わざわざ番組で紹介された食材そのものを摂取する必要はないことも多かった。人によっては食物アレルギーなどの個別の事情があるため、紹介されたものを摂取する事で逆に健康を損なう可能性があるものも存在していた。こうした情報を鵜呑みにする現象を「みのもんた症候群」と呼ぶ医療関係者もいる[4]。こうした特定の食材の効果を断言する番組のスタイルは日本やアメリカのテレビ番組に散見される典型的なものであり、科学者などから「フードファディズム」という言葉でも呼ばれる。

いずれにせよ、視聴者の個別の事情があるため、番組で紹介された事をすべて実行する事は現実的ではない。視聴者が自身の健康や生活の質を向上させるために、番組で紹介された事を実行するに当たっては、番組は教養や医療情報を提供する番組ではなく、あくまでも「このような情報がある」という視点を提供する番組である事を踏まえた上で実行する事が求められていた(メディア・リテラシー)。

番組テーマ曲

テーマ曲は宮川泰作曲による番組オリジナル。オープニング・エンディング曲の他にCM前後に入れる短い曲(ジングルサウンドステッカーアタックなどと呼ばれる)も調を変えるなどテーマ曲のアレンジであり、4時間時代も「2時のワイドショー」部分を除いて全編で流れていた。他に「ちょっと聞いてョ!おもいッきり生電話」「情報特急便」などのコーナーテーマ曲があった。また、2003年からはエンディング曲として『元気イキイキ!おもいッきり』という番組テーマソングも流れていた。

出演者

「午後は○○おもいッきりテレビ」歴代の出演者一覧
期間 メインキャスター アシスタント 情報特急便
1987.10 1988.3 山本厚太郎 泰葉 (コーナーなし)
1988.4 1989.3 高橋佳代子
1989.4 1990.3 みのもんた1 久能靖
1990.4 1992.9 真山勇一
1992.10 2004.5 久能靖2
2004.6 2006.3 真山勇一2
2006.4 2007.9 金子茂2・3

  • 1 『おもいッきりイイ!!テレビ』も続投。
  • 2 『ザ・ワイド』ニュースコーナーを兼務(久能(第2期)は1993年4月から)。
  • 3 『NNNニュースD』を兼務。
備考
  • 山本が夏休みなどで不在だった頃は大橋巨泉が代理司会を、みのが夏休みで不在の場合は徳光和夫草野仁峰竜太中山秀征羽鳥慎一藤井貴彦など日本テレビの報道・情報番組の司会者が代理司会を、高橋が夏休みで不在の場合は日本テレビの女性アナウンサーがアシスタントの代理をしていた。
  • 1987年10月から1988年9月の間、南美希子がうわさのうわさコーナー司会を担当したことがある。
  • 1990年4月に真山に交代したのは、久能の週末夕方ニュースへの異動に伴う。1992年10月に久能に交代し、真山の『NNNニュースプラス1』への異動に伴い復帰した。

ゲストコメンテーター

1回の放送につき当初は6名(男女3名ずつ)、後に4名(男女2名ずつ)が出演。以下、順不同。

男性

女性

補足

リポーター

主なコーナー

シノハラ教授 お昼の脳トレ

2007年4月2日から始まった番組のオープニングコーナーだった。

諏訪東京理科大学教授の篠原菊紀が監修し、健康インストラクターの松田明典又は太田翔を迎えて放送した(1か月毎に交代)。毎日レベルアップしている事が特徴だった。1週経つと脳トレ内容が変わり、またそれが毎日レベルアップしていく。と、これを毎週繰り返した。最終回には松田・太田が共に2人で出演した。

みのカメラが行く

2005年10月10日から始まった番組の冒頭コーナー。主に首都圏エリアのとある場所(主に商店街や町工場、職人、イベント会場など)からのカメラ中継で、リポーターはおらず、スタジオの声は中継先に届いているので取材先の人との絡みも可能だった。たまに首都圏以外の地域にも中継したが、こちらは系列局の技術協力があった。スタジオモニターの関係から、ハイビジョンではなく頭角4:3にアップコンバートした映像で放送された。

2006年9月15日から2007年3月30日の間は、金曜日のみ13時台の「きょうは何の日」の後にもパート2という事で流れていた(3月30日は下記の事情によりなし)。

きょうは何の日

1989年から始まった。主に19世紀末~20世紀(番組末期は21世紀2000年代〉も)の今日(つまり放送日)起こった事件・事故・話題・訃報を再現映像を交えて振り返っていき、後日談を含めて紹介していた。主に戦後を扱った場合、当日の読売新聞(朝刊・夕刊)の1面を紹介してからVTRに入る事が多かった。かつては「ごちそうさま」の後に放送されていたが、放送終了後は現在の12:53頃(2007年4月以降は12:58頃)に始まっていた。当初はスタジオでその日の起こった出来事を再現するという形式だった。

かつてはCMを挟んだ2部構成だったが、下記コーナーの開始に合わせてCM抜きで一気にVTRを流す方法に変わった。また、2000年代後半では開始前のアイキャッチ時に当時の流行曲を流す事があった。

ナレーション(松井良他)は基本的に「です・ます」調であるが、窪田等などが稀に事件・訃報などを扱う場合は「だ・である」調になる事があった。

このコーナーは後番組のおもいッきりイイ!!テレビでも継続放送され、おもいッきりDON!では同様の構成で「きょうはDONな日!?」として放送されていたが、半年後の2009年10月5日放送分より元の『きょうは何の日』に戻し、『DON!』終了まで継続した。

ちょっと聞いてョ!おもいッきり生電話

1989年7月3日から開始された13時台の核ともいえるコーナーだった。当初のスタートBGMは『アンパンマン』の「勇気りんりん」の出だしの部分が使われていたが、1991年頃に宮川泰作曲のテーマ曲に変わった。13時20分丁度から概ね15分前後の時間に充てられた(この為、一部ネット局では放送されなかった)。事前に電話やFAXで募集されて選ばれた人(コーナー内で募集テロップを表示)が電話でみのやゲストに相談する。高橋は書記を担当し、相談者の年齢や家族構成、相談の内容などをホワイトボードに書き込む役割を担う。

相談者は主婦が多く、男性相談者が登場する事は稀である。一番多い相談は嫁姑問題、続いてそれ以外の家族問題や浮気などの夫婦間問題、ご近所同士の揉め事といった事が続いていた。原則として相談者の名前は仮名でも付けておらず(これは最初の相談者が「匿名で」と発言した事からである)そのため番組では相談者の事を「奥さん」、「お嬢さん」、「あなた」と呼んでいた。相談者の住所も大まかな地域(関東・関西・東日本・西日本)ですら出さない(せいぜい「車で30分」といった抽象的なもの)。みのは余程特別な事情がない限り相談者に同情する事は少なく、余程大きな落ち度のある相談者に対しては本気で激怒するあるいは怒鳴ったり、時には電話を切ることもあった(つまり、相談にのらない)。これはみの自身も出演していたフジテレビ愛する二人別れる二人』(後にやらせ問題が発覚したため打ち切り)、テレビ東京愛の貧乏脱出大作戦』でもこのパターンが見られた。

ゲストコメンテーターの中でも特に内海好江崔洋一は相談者に厳しいコメントをする事が多かった。これには新聞の投書欄などで「厳しすぎる」「言いすぎだ」などの批判もあり、賛否両論になることすらあった。この時に芳村真理アグネス・チャンなどが出演する際は、みのの厳しいコメント及びみのが本気で激怒する場面を、内海や崔と共演した際には2人の厳しいコメントを何とか中和させる事も多かった。但し、みの不在時の代理司会者はみのに比べてさほど本気で激怒あるいは厳しいコメントなどをすることはほとんど無かった。

また、相談者が放送禁止用語[7]を発言したこともあり、その時はコーナー終了後に高橋がお詫び・謝罪を行ったことがあった。

但し、上記のように殆どが悩みの相談ではあるが、コーナーの方針自体は悩み相談に特化しているという訳ではない。コーナーの最後の募集要項にもある通り「話したくてウズウズしている事を電話する」のが趣旨である。その為、稀にではあるが「みのさんに今の自分がいかに幸せであるかを聞いてほしい」「みのさんとテレビで世間話をしたいからかけた」「優しい夫に恵まれている事への感謝」等の悩み相談とは全く無縁の話題も存在した。

2007年4月2日以降は多少タイムテーブルが変わったため、13時24分頃から10分前後の時間に短縮され、金曜日の放送が廃止となり、代替コーナーとして「どう思います?お嬢さん」を放送していた。但し、地方での公開放送の時は原則として放送されなかった。番組末期の相談の締めは「人生は60歳から」(相談者が60歳の場合)や「お化粧して旦那を驚かしちゃいな」など、みのの言葉は半ばマンネリ化していた。

当番組終了前日の2007年9月27日に終了し、翌28日の最終回で総集編が組まれた。リニューアル後の『おもいッきりイイ!!テレビ』では、火曜日に続編企画として、女性視聴者から寄せられたトラブルを元に構成したドラマが流され、その後みのらに相談するコーナー「火曜おんなの劇場 幸せになりたい」が放送されていた。2009年3月27日の『おもいッきりイイ!!テレビ』最終回でも、総集編が一部組まれていた。

開始当初にとんねるず冠番組とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)で、木梨憲武ものまねで扮するみのりもんたの司会で「ちょっと聞いてョ!おもいッきりノリ電話」というタイトルでパロディされた事もあり、みの本人及びおもいッきりゲストが出演した事があった(但しゲストは4人ではなく3人)。また、栗田貫一もものまねでパロディを披露した。

番組終了後、高橋がアデランスの女性用ウィッグのCMキャラクターに起用され、CMの中には高橋がホワイトボードに髪に悩む女性の相談内容を書き込むという場面が登場しており、このコーナーを思わせる演出がなされている。

情報特急便

1989年4月から開始されたニュースコーナー。番組が開始されるまで13:55から5分間放送されていた『NNNニューススポット』( - 1993年4月2日)が形を変えて復活したものといえよう。最新情報がない限りは11:30の『NNNニュースD』(←『NNN昼のニュース』)の内容と映像がそのまま流用された。ただ、番組が録画放送・公開生放送だったり、重大事件などの場合は報道フロアから放送された(これは現在のDON!でも同様)。

コーナー開始から2006年夏まではみのは一旦休憩のためスタジオを離れてCM明けの後半から登場していたが、同年7月頃からコーナーを通して登場し、気になったニュースについてはコメントをする様になった(これも現在のヒルナンデスでも行っているが、現在は最後の話題的な項目にコメントを行うスタイルをとっている)。詳しくは備考参照。

リニューアル後の『おもいッきりイイ!!テレビ』では「NEWSエスプレッソ」として受け継がれた。キャスターに関しては「情報特急便」の晩年期を担当していた金子茂10月より首相官邸担当記者に異動となったため[8]、『NNNニュースD』の後番組『NNNストレイトニュース』の平日メインキャスターである丸岡いずみが担当した。『おもいッきりDON!』では「丸岡いずみのDONDON取材中」→「丸岡キャスターのNEWSエクスプレス」として丸岡が引き続き担当。『DON!』では「NEWSエクスプレス」として岸田雪子に受け継がれ(丸岡は夕方のニュース番組開始に伴う異動)放送。現在の『ヒルナンデス!』では当番組~DON!を含む45年間続いたこの時間帯における情報・報道路線から完全バラエティ路線へと方向転換した事によりニュースコーナー自体設けられていなかったが、2012年1月より定時ニュースコーナーが復活した。ただし、進行方式としては『DON!』までのような同じスタジオでは行わず、『情報ライブ ミヤネ屋』同様、スタジオとは別の報道フロアからニュースを伝え、ニュース終了後にスタジオ出演者とのクロストークを行う形を採っている。

13時台の日替わりコーナー

月曜日はスタジオからの生放送、火曜日以降はVTRでの放送だった。

爆笑!S-3ライブ 笑いは健康の源(月曜日)

漫才コーナー。毎週1組のお笑い芸人を呼んで漫才を行った。視聴者の年齢層に受け入れられ易い芸人が出演していた。後に若者に受け入れられ易い芸人も出演するようになった。番組収録のスタジオが「S-3スタジオ」である事がコーナー名の由来だった。紹介VTRのナレーターは佐藤賢治

バンザイ!日本の大家族(火曜日)

多数の家族を抱え、人情に密着するコーナー。ナレーターは屋良有作。2007年3月までは月曜日に放送されていた。 テンプレート:節stub

ふるさと味自慢 こだわりの逸品(水曜日)

全国各地の特産物を紹介するコーナー。ナレーターは大山尚雄、真地勇志他。 テンプレート:節stub

ドキドキ 今ドキッ新婚さん(木曜日)

新婚の夫婦に密着するコーナー。このコーナーのみ当初はVTRを一気に流す方法だったが、後にCMを挟んだ2部構成となった。ナレーターは林田尚親。 テンプレート:節stub

出会いふれあい 路線バスの旅(金曜日)

路線バスに乗りながら人情探しをするコーナー。ナレーターは永井一郎テンプレート:節stub

どう思います?お嬢さん

金曜日に放送されていたコーナーで、2007年3月まで前コーナーは『ちょっと聞いてョ!おもいッきり生電話』だった。同月最終週までは木曜日に放送された。

過去に放送されたコーナー

テンプレート:節stub 「ごちそうさま」はほぼ全国完全ネットだったが、「昼下がりのカルチャー」は13時台後半の放送であったため、放送していない地域もあった。ただし系列外で「ごちそうさま」をネットしていた局(北陸放送など)は「おしゃれ」時代と同様、「昼下がりのカルチャー」とセットでネットしていた。

  • ごちそうさま(味の素一社提供)
  • 今日のおもいッきり赤ちゃん
  • 昼下がりのカルチャー
  • なるほどなっとく!→知れば知るほどそれよさそう!
  • 日本全国 噂のあの人!この技!!

過去に放送された特別企画

怪奇特集・あなたの知らない世界

詳しくは「あなたの知らない世界」を参照。

年忘れ健康クイズスペシャル

  • 1995年は生放送、1996年は録画(情報特急便のみ生放送)で放送された。
  • 2006年12月28日に10年ぶりに復活したが、この時は生放送だった。

生中継

番組と連動してCM前後(アイキャッチ)に各地のお天気カメラからの生中継も行った。通常は日本テレビが設置している麹町→汐留本社、江の島築地などから行っていた。以前は関東地方の行楽地(としまえんマザー牧場など)にスタッフを派遣しての中継や全国のNNN系列局からの天カメ中継も行っていた(週1日ずつ実施。特に系列新局の開局日にはその局のカメラを使用)。2005年10月からは提供クレジット表示時に「みのカメラが行く」での中継先が時々映る様になった(2006年第1回目の放送では同コーナーにみの自ら出演した〈正月に手術したため入院した病院からの出演〉。また、地上デジタル放送では以前まで汐留・渋谷羽田空港などに設置してあるハイビジョンのお天気カメラ映像がこの番組では副調整室の都合により4:3の標準画質にダウンコンバート(映像の両端をカット)されていたが、同年11月頃からは16:9のハイビジョン画質になっていた(「みのカメ」の中継は標準画質で実施)。

地方での公開放送

出演者が地方に出向いて公開生放送を行う事もあった。特集ではご当地名物の食材から分かる健康効果などを紹介していた。これまでに以下の場所で行われた。ただし「情報特急便」のコーナーは日本テレビの報道フロアからの放送だった。みのは2005年3月以降朝の情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)を担当する様になったため、同番組が海外ゴルフ中継やテニス中継で休止となる日を狙って実施されていた。

2004年
2005年
  • 4月11日…愛媛県松前町(まさきちょう)・松前総合文化センター(南海放送開局50周年/松前町町制50周年記念)
2006年
2007年

みのが本番組でよく口にする言葉

  • 観客が高齢者でも「お嬢さん」と呼ぶ。
  • 手を挙げた観客にどこから来たかを質問する時は「どちらからおみえになりました?」又は「どこから来たの?」と質問する。
  • 問題を出して、観客に番号札を挙げさせる時「グッと挙げて!ワキの下気にしないで!」
  • 問題に正解した観客を数える時
    • 多数の場合は「(○番〈○or×〉挙げた人または)はい、正解」または「○番挙げた人、よく分かりましたねー」と言って流す。
    • 少数の場合は「差し上げましょう!」と言ってテレホンカード(汐留社屋移転後は図書カード)をプレゼントする。
    • 解説者が間違えて正解を出してしまってから問題を出したとき、観客のうち1人だけ解説者と異なる答えを挙げたケースで、その観客にテレホンカード(図書カード)をプレゼントした事がある。
  • もっとすごい健康効果を紹介する時は「ここで終わったんじゃ普通のワイドショー」
  • フリップの文中に「ただし(但し)…」と出て来ると「ただし(人名として)、こっちへいらっしゃい」とふざける。
  • フリップの最初に「注目情報」とある場合「『ちゅうめ』と書いて『ちゅうもく』と読みます」
  • 観客に「食べてみたい方いらっしゃいますかー?」と試食をさせると思いきや、「作り方簡単ですからねー」と作り方のフリップを見せる。
  • (アシスタントの高橋に突然問いかけ)「今日は何月何日?」「昨日放送の特集は何だったっけ?」
  • 「みのカメ」終了後に「それでは皆さん、気を付けてお帰りください」と番組を締めようとする。
  • 「見ててよかった“おもいッきりテレビ”」
    • 2000年代後半ではあまり出なくなった。
    • みのが出演する他の番組でも稀に口にする事があるが、この時は「見ててよかったこの番組」と表現する。
    • この番組に限って以上の言葉を頻繁に口にしているが、聴き慣れているからか末期は観客の受けが悪かった。
  • 情報特急便で役所・企業・教師の不祥事や少年などが引き起こした事件やいじめ問題をキャスターが伝えた後、「冗談じゃありませんよ!」「ふざけるんじゃないよ!」と怒りのコメントが始まる。また、『みのもんたの朝ズバッ!』でもよく口にする。

ネット局

本編をネットした局のみ明記、系列はネット終了時のもの。一時期内包されていた『ごちそうさま』と『2時のワイドショー』については、ごちそうさま (テレビ番組)#ネット局2時のワイドショー#放送ネット局をそれぞれ参照。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 日本テレビ(NTV) 日本テレビ系列 制作局
北海道 札幌テレビ(STV)
青森県 青森放送(RAB) 1991年10月1日からフルネット
岩手県 テレビ岩手(TVI)
宮城県 ミヤギテレビ(MMT)
秋田県 秋田放送(ABS) 2007年4月2日からフルネット
山形県 山形放送(YBC) 1989年10月2日からフルネット
福島県 福島中央テレビ(FCT)
山梨県 山梨放送(YBS) 2007年4月2日からフルネット
新潟県 テレビ新潟(TeNY)
長野県 テレビ信州(TSB) 1991年4月1日から[9]
静岡県 静岡第一テレビ(SDT)
富山県 北日本放送(KNB) 1994年1月からフルネット
石川県 テレビ金沢(KTK) 1990年4月開局から
福井県 福井放送(FBC) 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
2007年4月2日からフルネット
中京広域圏 中京テレビ(CTV) 日本テレビ系列
近畿広域圏 読売テレビ(ytv)
鳥取県島根県 日本海テレビ(NKT) 1988年10月3日からフルネット
広島県 広島テレビ(HTV)
山口県 山口放送(KRY) 1993年10月1日からフルネット
徳島県 四国放送(JRT) 2007年4月2日からフルネット
香川県・岡山県 西日本放送(RNC)
愛媛県 南海放送(RNB) 1992年10月1日からフルネット
高知県 高知放送(RKC) 1993年4月5日からフルネット
福岡県 福岡放送(FBS)
長崎県 テレビ長崎(KTN) フジテレビ系列
日本テレビ系列
1990年9月28日打ち切り
長崎国際テレビ(NIB) 日本テレビ系列 1991年4月開局から
熊本県 熊本県民テレビ(KKT)
鹿児島県 鹿児島読売テレビ(KYT) 1994年4月開局から[10]

ネット局に関する備考

  • かつては青森放送、秋田放送、山形放送、山梨放送、北日本放送、福井放送、山口放送、四国放送、南海放送、高知放送の10局が13:20で番組を終了していた。
    • 青森放送、山梨放送、山口放送、四国放送、高知放送の5局は13:30 - 14:00に『ライオンのいただきます』→『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ)をネットしていた。
      • 青森放送と山口放送の2局はテレビ朝日系新局(青森朝日放送山口朝日放送)開局に伴うANN脱退・NNSマストバイ局化に伴う『ごきげんよう』打ち切りでフルネットになった他、高知放送は14:00から放送していたテレビ朝日正午枠の時差ネット廃止並びに、それに伴う『ごきげんよう』の14:00 - 14:30への時間変更に伴い、1993年4月5日からフルネットになった。
    • 秋田放送、山形放送、北日本放送、福井放送、南海放送の5局は13:25 - 13:55に『愛の劇場』(TBS)をネットしていた。
      • 山形放送では4時間時代、『ごちそうさま』で一旦ネットを飛び降り、『通販番組』・『天気予報』・『愛の劇場』・テレビ朝日正午枠(14:00からの時差放送)の後、キー局と10分遅れの15:00から『うわさのうわさ』を放送していた。その後、4時間編成終了直後の1989年10月よりTBS系列のテレビユー山形が開局して『愛の劇場』の放映権が移行したため、フルネットでの放送となった。
      • 南海放送はあいテレビ(TBS系列)に「愛の劇場」の放送権が移行した上でフルネットになり、北日本放送は『愛の劇場』がチューリップテレビ(TBS系列)に放映権移行後の1990年10月から1993年12月まではよみうりテレビ制作の『朝の連続ドラマ』を遅れネットし、『朝の連続ドラマ』終了後の1994年1月からフルネットとなった。
    • 飛び降りポイントがあった当時はかつては正味13:19で1部が終了していたが、その後1部の終了時刻は正味13:20に変更された。2007年3月30日を最後に飛び降りポイントは廃止となり、最後まで飛び降りを行っていた秋田放送・山梨放送・福井放送・四国放送の4局も翌4月2日からフルネットとなった(これらの局で差し替えをしていた番組同月以降も打ち切ることはなく、山梨放送・四国放送では『ごきげんよう』を同日の16時台に移動して放送している他、秋田放送・福井放送は2009年3月まで夕方に放送時間を変更した上で『愛の劇場』のネットを続けた)。ただ、番組は2007年9月28日で終了となったため、「ネットしていた局全てがフルネット」だった状況は、最終回までのわずか半年にとどまった。
  • 青森放送では1993年から数年間毎年9月15日に『青森県民駅伝競走大会』の実況中継を行うため、開催が月 - 金曜日に当たる場合は『ザ・ワイド』と共に番組を休止していた(但し、『ごちそうさま』のみを15時台に時差ネット)。現在は毎年9月第1日曜日の開催になっているため、この問題は解消されている。また、クロスネット時代の1990年2月19日には衆議院選挙[11]があり、その開票状況を番組内でも放送した関係で、通常13:20で飛び降りする所を13:55までのフルバージョン放送となった。
  • 日本海テレビでは、4時間枠時は13:55で一旦飛び降り。テレビ朝日正午枠(同局では14:00からの放送)[12]をネットした後、14:55から無理矢理『うわさのうわさ』に飛び乗っていた。
  • 広島テレビでは、4時間時代『情報特急便』の時間帯を差し替える形で、また時間短縮後しばらく経過してからは13:20で飛び降り、ローカル情報番組『ほっとひろしま』を放送していたが、『柏村武昭のテレビ宣言』開始後は、ローカル番組の整理によりフルネットとなった。長時間時代のSTVの14時台以外でのマストバイ局で、差し替えと飛び降りをしていた局は珍しい。
  • テレビ長崎も、1990年9月NNN離脱(NNSは非加盟)まで同時ネットしていたが、13:00で飛び降り(13時台はフジテレビ系番組同時ネット『ライオンのいただきます』→『東海テレビ制作昼の帯ドラマ』のため)。
  • 1996年10月から2000年9月までは『スカイパーフェクTV!』の『CS★日テレ』でも放送されていた。

歴代セット

テンプレート:節stub 初代・8代目・最終回のセットを除いてセットチェンジ→先代のセットをマイナーチェンジとこれを繰り返してセットが変わっていった。

  • 初代:1987年10月 - 1988年
  • 2代目:1988年 - 1991年頃
    • 1989年4月にゲストの椅子が6人から4人に減った。
    • 1991年にゲスト4人の椅子が変更されるが、その変更後の椅子は7代目まで継続使用された。
  • 3代目:1991年頃 - 1993年頃
    • 2代目セットのマイナーチェンジ版。ゲスト席後ろの壁が変わっただけだった。
    • 同時に司会・アシスタントテーブルが変更されるが、その変更後のテーブルは7代目まで継続使用された。
  • 4代目:1993年頃 - 1997年頃
    • このセットのモニターに後に日本テレビのマスコットである「なんだろう」がモニター左下に置かれていた。
    • このセットから後にゲスト席にミニテーブルが付けられる。
  • 5代目:1997年頃 - 1998年3月27日
    • 4代目セットのマイナーチェンジ版。セット全体の壁が変わっただけだった。また、司会・アシスタントテーブルの脚の色が白から茶色に変わっている。
  • 6代目:1998年3月30日 - 2000年頃
    • このセットからみのが右、高橋が左と立ち位置が逆になった。また、4人のゲスト席が画面から向かって右側に変更された。また「なんだろう」はゲスト席の後ろに置かれた。
    • このセットからモニターが、セットの壁から離れ動くモニターセットとなった。
  • 7代目:2000年頃 - 2004年2月27日
    • 6代目セットのマイナーチェンジ版。セットの壁が変わっただけで後は一緒。また、4代目途中~6代目までセットに置かれていた「なんだろう」が無くなっている。
    • 日本テレビ麹町社屋では最後のセットでもある。
  • 8代目:2004年3月1日 - 2007年9月27日
    • 日本テレビ汐留社屋への移転に伴い変更。最後のセット。
    • 4人のゲスト席が再び画面から向かって左側に戻されて、ゲスト席の椅子を変更した。同時にみの(左)と高橋(右)の立ち位置が戻り、司会・アシスタントテーブルも変更した。また、ゲスト席の椅子のみ後に再度変更している。
    • 2005年11月 - 12月にはみのが腰の病気を患っていたため、みののみ丸椅子が設けられていた。
    • 2007年2月26日にモニターセットを変更した。
  • 9代目:2007年9月28日
    • 最終回のセット。セットの模型は地方からの公開放送のセットを模していると思われる。
    • このセットのみモニターがハイビジョン型モニターだった。

特に料理に関する特集の場合、ゲスト席が食卓の様なテーブルになる場合があった。

備考

情報特急便

  • かつて13:55に存在した「NNNニューススポット」の流れを汲むニュースコーナー。
  • 通常はスタジオで伝えられているが、よほどの緊急ニュースや地方からの公開放送の場合に報道フロアからの放送になる(番組自体が収録放送の場合も同様)。緊急ニュースの場合で12時台でも登場する事があった。
  • みのが司会になってから2006年7月頃までニュースコーナー「情報特急便」になると一旦退出して休憩をとり、CM明けの後半から登場していた。たまにエンディングにも現れない場合があったりした。しかし、同月辺りからみのもコーナーを通して出演し、各ニュースについてコメントをする様になった。コメントが長くなる場合が多くなったので、コーナー開始時間が2 - 3分程早まったり、CMを挟んだ後半部分が極端に少なくなっていた(場合によっては伝えるニュースをカットする事もあった)。
  • みのがこのコーナーにきちんと出演する様になったのは、自身が同じく司会を務める『みのもんたの朝ズバッ!』で「事件に対してみのが怒る」スタイルが定着したため、本番組でも取り入れたのではないかと思われる。
  • ただ、事件や裁判絡みのコメントでは怒りのあまり加害者などの問題主体を激しく批判・攻撃(ともすれば罵倒に近い)するため、キャスターが慌ててフォローする場面も多々あった。内容によってはその場のゲストや客も同調する事もあったが、ほとんどは閉口してしまう事が多かった。視聴者も同じく同調する事もあったが、ほとんどは『朝ズバッ!』同様、やりすぎと見ており、みの自身や本番組の評判を下げている感が否めなかった。そういった批判があったからか、番組末期はコメントも少なかった(日によっては終始黙り込む事もあり)。ただ、みのが興味・関心のあるニュース(少年犯罪・政治問題など)はコメントを行い、そうでないニュースは黙り込んでいるという見方もある。
  • その『朝ズバッ!』を担当してから2006年6月までの1年ちょっとの間、コーナーで立ったまま居眠りしていた事も週刊誌などで取り上げられ、みの本人も認めている。
  • 久能時代は、重大ニュースがあった日を除き最後のニュース(大体明るい話題が主)は関連したダジャレを言ってスタジオ中を和ませてから締めていた。
  • また、取材映像はスタジオのモニターに配慮してか、ハイビジョンでも16:9から4:3にカットされサイドパネルを付けて放送された。ただし、画質はハイビジョンの高精細のままだった。しかし、2007年2月26日放送分より16:9のモニターに変更されたためハイビジョン映像になった。同年9月現在も16:9のハイビジョン映像となっているが、スタジオのモニターは再びこのコーナーのみ4:3標準画質モニターとなっていた。また4:3映像でも2月26日以前の様なサイドパネルは付けなくなった(正規のNNNニュース形式に変更していた)が、番組終了までサイドパネルに灰色の帯と「おもいッきりテレビ」の番組ロゴが付いていた。最終回のみ、ハイビジョン型のモニターとなっていた。
  • ほとんどは『NNN昼のニュース』→『NNN News D』の映像をそのまま流用し、特に大半の記者報告VTRはニュースDでの生中継を録画したものだった。またBS日テレ日テレNEWS24のパートで流れていたニュースも流用していた(ytvのローカルニュースも使われている)。
  • 番組末期直前になり、金曜日に週末〜来週の週間天気を伝える様になった。
  • 新番組・特番シーズンになると、2分程コーナーを切り上げて番組宣伝に充てられていた。
  • ニュースの項目は他のニュース番組と同様、画面下に表示されているが、当コーナーは一切表示されず(報道フロアーからの放送の時は表示)、マルチ画面の表示でそれを代替していた。
  • 後番組『おもいッきりイイ!!テレビ』では情報特急便の代替としてNewsエスプレッソというニュースコーナーを放送していた。

その他

  • 当初から一般観客入れ番組で、放送開始前の午前11時頃には当時の麹町NTV本社隣にある大野屋酒店からお茶が30缶Kスタジオに配達され、観客に振舞われた。
  • 番組に関係した出演者などが亡くなった場合には、「みのカメラが行く」が休止・短縮となる場合があった。ほとんどの亡くなった出演者は「情報特急便」の冒頭で伝えられていた。
  • 末期には学習の一環で見学に来た学生などに対し、みのが「何でここを選んだの?[13]」と見学の理由を尋ね、「日本テレビの番組が好きだからです」「みのさんに会いたかったから」などと、みの曰く“良い事”を言われると、みのから学生全員およびその引率者に図書カードを渡すのがお約束の光景となっていた[14]
  • 1999年頃まで12時台の提供クレジット出しは日本テレビ以外の系列局はネットスポンサーにも関わらず自局出しだった(『お昼のワイドショー』から継続)。また、後のクレジットではテーマ曲(スローバージョン)も系列局によっては日本テレビからの音声を遮断して流していた(オープニングとは異なり、テーマ曲に併せて日テレからの提供読みが入ってしまうための措置。この方針に対して読売テレビでは同じテーマ曲とタイトルコールを提供読みと共に自社で送出していた。また、秋田放送広島テレビは前のクレジットは自局での提供読みだったのに対し、後のクレジットは日本テレビの提供読みをそのまま流していたが、テロップは自局出しだった。)。1997年4月からは日本テレビでの提供表示システムが変更(2004年2月28日の汐留現社屋移転・送出マスター切り替え前日まで使用されていた)されたことに伴い、テーマ曲は全国で日本テレビ送出のものになった。
  • 2002年10月1日にはこの番組を題材にした『みのもんたの人生相談デカ〜おもいッきりTV殺人事件〜』が火曜サスペンス劇場で放送され、みのと高橋が主演した。
  • 2006年3月21日(火曜日・春分の日)はワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦を放送したため、番組は休止された。年末年始以外での番組休止は唯一この事例のみだった。また、この日は番組テーマ曲の作曲者・宮川泰が亡くなった日でもあった。
  • 2006年12月4日 - 15日は、FIFAクラブワールドカップの番宣を兼ねた特設コーナーを放送した。コーナー名は付いていないが、4日 - 7日は世界の健康食品とサッカーに関してという事で各代表の地域を1日1回紹介していた。担当は陣内貴美子。月曜と金曜はスタジオから生で伝えていたが、火曜 - 木曜はスポーツバーを兼ねた特設スタジオから放送されていた。ちなみに、特設スタジオに呼び掛けたりしているが、実は録画放送となっている。11日 - 15日は大会ハイライトをスタジオから放送している。
  • 通常、新年最初の放送は高校サッカー決勝の翌日からだったが、2007年は1月4日からの放送だった(例年放送されていた『ザ·ワイド』の新春拡大スペシャルがなかったため)。ただし、「情報特急便」のみ生放送(報道フロアから金子が1人で伝えた)で、それ以外は録画放送だった。翌5日は高校サッカー中継で休止になり、8日が事実上の同年最初の放送となる。4・5日は『朝ズバッ!』も休止となっており、みのは正月休暇取得中であったと見られる(高橋も同様)。
  • 2007年1月16日に放送された火曜ドラマゴールド現代に甦った闇の死置人 あなたの怨み晴らします』では、22時13分頃や49分頃などに番組内の"情報特急便"部分の"パロディ"が放送された(BGMや出演者および番組タイトルなどは全く“本家”と同じものだった)。
  • 2007年3月30日は「みのカメ第2部」の中継回線が不調だったため中止し、その替わりとして当日に発売されたみのもんたの新著「義理と人情 僕はなぜ働くのか」(幻冬舎新書)の中身について本人が紹介する時間に充てた。また、同日の「情報特急便」で「プロ野球セ·リーグ開幕」のニュースの際に横浜スタジアムからの中継に『朝ズバッ!』でみのと共演およびスポーツコーナー担当でTBSアナウンサーの高畑百合子が当時日本テレビアナウンサーの古閑陽子とともに登場し、本番組と『朝ズバッ!』の最初で最後のミニコラボレーションが実現した(この日みのは同球場の「横浜-巨人」開幕戦の始球式で高畑と共に司会を務める事になっていた)。

こぼれ話

  • 日本文化センターマルトモ(末期には降板)は『お昼のワイドショー』時代からのスポンサーである。日本文化センターではかつて13時台でもスポンサーに入っていた事があったり、末期までは一部地域で本番組のローカルスポット枠でも同社のCMが流れている事があった(青森放送では「おもいッきりDON!」でも流れていた)。その中でも後継番組に導入されているものもあった。日本文化センター、ロート製薬アサヒ緑健など。
  • 1991年、みのと高橋が不倫交際をしていると話題となった。

スタッフ

脚注・出典

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関連項目

外部リンク

テンプレート:前後番組

テンプレート:みのもんた テンプレート:平日昼のワイドショー テンプレート:平日午後のワイドショー

  1. 「○○」の部分にどのような言葉が入るのか視聴者の間で憶測が行き交ったが、言葉を伏しているわけではない。
  2. 番組終了と同時にみのはこの枠から降板した。
  3. 2007年1月22日放送のTBS系『みのもんたの朝ズバッ!』内で『発掘!あるある大事典II』の捏造問題に関連する形でみのもんたが発言。
  4. 檜原村診療所だより(インターネットアーカイブ保存データ)
  5. 番組テーマ曲を作曲。
  6. いとうは、後に該当枠で放送「ヒルナンデス!」の曜日レギュラーとなる。
  7. 孫娘が着ていた流行のファッション(傷や破れのある服)に対する発言
  8. 本番組では明かされなかったが、次の『ザ・ワイド』最終回にて初めて明かされた。なお、『おもいッきりイイ!!テレビ』の第1回放送分である10月1日には、金子が国会議事堂から中継出演。これ以降も政治関連ニュースの場合、金子が中継で出演することがあった
  9. 1991年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局(NNS非加盟)だったため、テレビ朝日系の同時ネット枠だったため未放送だった。
  10. 1994年3月までの日本テレビ系列局だった鹿児島テレビ(フジテレビ系列とのクロスネット局)は、フジテレビ系同時ネット枠だったため未放送だった。
  11. 同年1月24日の衆議院解散に伴う、2月18日が投票日に該当する選挙の事。
  12. 1989年9月の日本海テレビのANN脱退に伴い打ち切り、テレビ朝日正午の番組は1989年10月から山陰放送に一本化された。
  13. 笑っていいとも!』ではなくわざわざ本番組を選んで見学に来たと返答した学生グループもいた。
  14. この流れが定着化してくると、見学の理由について「マスコミ業界に興味があったから」などといった返答があると、高橋が「他には?例えば出演者とか」といった「誘導尋問」を行うシーンも見られた。