お昼のワイドショー
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『お昼のワイドショー』(おひるのワイドショー)は、1968年9月30日から1987年10月2日までの19年間にわたって日本テレビで放送された、主婦層をメインの視聴ターゲットにしたワイドショーである。通称「昼ワイド」。
概要
- 開始 - 1972年3月までは平日の12:30 - 13:30まで、1972年4月 - 1975年3月までは平日の12:00 - 13:00に放送、1975年4月 - 最終回までは、12:55 - 13:00に5分間のミニ番組『暮らしのヒント』が放送されるため12:55までの放送となった。
- 日本テレビはこの時間帯に主にニュースワイド番組『ワイドニュース』等を編成していたが、それを主婦にターゲットを絞って、芸能情報こそ皆無だったが、最近のニュースについての解説(「八丁破れのニュース解説」)や生活に役立つ情報、また新倉イワオのライフワーク的な企画で心霊研究家として大ブレークするきっかけを作った(木曜日のレギュラーコーナー、夏休みなどの長期休暇にはまとめて放送された)「怪奇特集・あなたの知らない世界」、「女の事件」コーナー、「テレビ公開捜査」コーナー等様々な内容が放送された。東京製作のみとなった後も、最初の頃には視聴者参加型のゲーム企画やバラエティショーが放送されていた時期もある。また、夏休み・冬休み・春休みを中心にカラオケ大会を実施していたこともある。
- 初代司会は、スタートした1968年夏の参議院選挙で初当選し、「タレント議員」という言葉を世に根付かせた青島幸男と横山ノック。夜の看板番組『11PM』と同じく、隔日ごとに東京・日本テレビと大阪・よみうりテレビの製作で放送されており、青島は日テレ発の(「青島のワイドショー」というタイトルにもなっていた)、ノックはよみうりテレビ発の(「ノックのワイドショー」というタイトルになっていた)同番組のメイン司会を担当。国会会期中を中心に議員活動との両立で定期的に番組出演や打ち合わせへの参加を見合わせる必要のあった青島・ノックを補佐する進行役として中山千夏と八代英太(後に2人とも参議院選挙に出馬し、当選。当初は青島が所属していた第二院クラブに所属していた)が参加し、トリオ体制での放送が行われていた(のち、1971年4月からは日本テレビ製作版のみとなり、同時に大阪版のホスト役であったノックも番組を降板、青島・中山・八代のトリオ司会で全曜日の放送が行われるようになった)。
- その後、1973年6月に愛知県刈谷市で行われた歌謡ショーの司会をしている最中、八代が事故に遭い、下半身不随の重傷を負って長期療養を強いられることになった。しかし、約3か月後の同年8月、番組に復帰。車椅子に乗った司会者として出演した(八代の出演は1976年9月まで)。
- 1976年9月にスタート当初から8年間、青島のアシスト役を務めてきた中山・八代がそれぞれテレビ出演撤退・政治活動への進出(中山)、参院選出馬の準備(八代)を理由に番組を降板。残った青島も、政治活動へと参加するようになった中山・八代の指南役を買って出ていた事情から、1977年以降は番組を欠席する機会が増えて行き、1979年9月をもって司会を勇退(但しその後も「あなたの知らない世界」や「女の事件」の常連コメンテーターの一人として番組には最末期まで参加していた)。
- その後、しばらくの間はサブ司会の落語家の8代目古今亭志ん馬・神山喜久子(当時日本テレビアナウンサー)コンビによる司会で放送が行われたが、翌1980年4月より「体操のお兄さん」として有名だった砂川啓介が新たなメイン司会者として起用され、最後の1年半は元NHKアナウンサーの生方恵一が司会となった。
- 日本テレビでは昼-午後枠のテコ入れとして本番組と後に続く『ごちそうさま』、『2時のワイドショー』(よみうりテレビ製作)、『酒井広のうわさのスタジオ」を統合し、1987年10月から『午後は○○おもいッきりテレビ』をスタート。これにより、番組は19年の歴史に幕を下ろした。最終回は番組の顔だった青島、砂川らの歴代司会者や番組に携わった人が生出演し、19年間を振り返った。
歴代司会
- 1968.09 - 1971.03 青島幸男(月・水・金)/横山ノック(火・木)/中山千夏/八代英太
- 1971.04 - 1976.09 青島幸男/中山千夏/八代英太(※1973年6月から8月まで一時降板)
- 1976.10 - 1979.09 青島幸男/古今亭志ん馬/神山喜久子
- 1979.10 - 1980.03 古今亭志ん馬/神山喜久子
- 1980.04 - 1986.03 砂川啓介/神山喜久子
- 1986.04 - 1987.03 生方恵一/栗原アヤ子/小倉淳
- 1987.04 - 1987.09 生方恵一/岸ユキ/小倉淳
変遷
期間 | 司会→メイン司会 | 進行→サブ司会 | |||
---|---|---|---|---|---|
1968.09 | 1971.03 | 青島幸男 (月・水・金) |
横山ノック (火・木) |
中山千夏 | 八代英太 |
1971.04 | 1973.05 | 青島幸男 | |||
1973.06 | 1973.08 | 中山千夏 | |||
1973.09 | 1976.09 | 中山千夏 | 八代英太 | ||
1976.10 | 1979.09 | 古今亭志ん馬 | 神山喜久子 | ||
1979.10 | 1980.03 | 古今亭志ん馬 | 神山喜久子 | ||
1980.04 | 1986.03 | 砂川啓介 | |||
1986.04 | 1987.03 | 生方恵一 | 栗原アヤ子 | 小倉淳 | |
1986.04 | 1987.03 | 岸ユキ |
ネット局
※系列は放送当時のもの
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 日本テレビ | 日本テレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 札幌テレビ | 1972年3月まではフジテレビ系列(FNSのみ加盟)とのクロスネット局 | |
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1975年3月までは日本テレビ系単独加盟局 |
岩手県 | テレビ岩手 | 日本テレビ系列 | 1979年10月よりネット開始 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
宮城県 | ミヤギテレビ | 1975年10月よりネット開始 | |
秋田県 | 秋田放送 | ||
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1980年3月までは日本テレビ系単独加盟局 |
福島県 | 福島テレビ | 日本テレビ系列 | 時差ネット 1970年2月から9月まで |
福島中央テレビ | 1981年10月よりネット開始 | ||
山梨県 | 山梨放送 | ||
新潟県 | テレビ新潟 | 1981年4月の開局から | |
静岡県 | 静岡第一テレビ | 1979年7月の開局から | |
富山県 | 北日本放送 | ||
福井県 | 福井放送 | ||
中京広域圏 | 名古屋テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1973年3月まで |
中京テレビ | 日本テレビ系列 | 1973年4月よりネット開始 変則クロスネット解消に伴う移行 | |
近畿広域圏 | よみうりテレビ | ||
鳥取県 →鳥取県・島根県 |
日本海テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1972年9月までの放送エリアは鳥取県のみ |
広島県 | 広島テレビ | 日本テレビ系列 | 1975年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 |
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1978年9月までは日本テレビ系単独加盟局 |
香川県 →香川県・岡山県 |
西日本放送 | 日本テレビ系列 | 1983年3月までの放送エリアは香川県のみ |
徳島県 | 四国放送 | ||
愛媛県 | 南海放送 | 1970年代の一時期、12:05からの5分間時差録画ネットだったことがあった[1] | |
高知県 | 高知放送 | ||
福岡県 | 福岡放送 | 1969年4月の開局から | |
長崎県 | テレビ長崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 | |
熊本県 | くまもと県民テレビ | 日本テレビ系列 | 1982年4月の開局から |
ネットに関する備考
- テレビ長崎(当時NNN/FNNクロスネット局)は、1969年4月の開局時からこの番組を同時ネットしていたため、フジテレビの『笑っていいとも!』は夕方に時差放送されていた(『笑ってる場合ですよ!』以前の同枠については未ネット)。
- 12時台にNET→テレビ朝日との同時ネットだったテレビ信州・テレビ大分、フジテレビとの同時ネットだったテレビ宮崎・鹿児島テレビ等、一部のクロスネット局では放送されなかった(なお、番組最後の「暮らしのヒント」のコーナーだけは『お昼のワイドショー』が放送されない地域の一部の局にもネットされた)。
- 初期に、当時NNNに加盟していた福島テレビ(FTV)が時差ネットをしたことがある。(FTVはこの時期日本テレビとTBS両系列のクロスネット局で、正午の時間帯はTBSの番組を同時ネット)
- ミヤギテレビは開局当時、NETテレビとのクロスネット局だったため、正午から『アフタヌーンショー』を放送していたので、この『お昼のワイドショー』はネットしていなかったが、1975年10月のテレビ朝日系の東日本放送開局に伴い放送を開始した。
- テレビ岩手は開局当時はテレビ朝日とのクロスネット局だったため、開局当初から『アフタヌーンショー』を同時ネットで放送してきたが、ANN脱退直前の1979年10月に同番組を打ち切ってこの『お昼のワイドショー』の同時ネットに切り替えた(テレビ岩手は1980年4月からNNSマストバイ局)。
- スポンサーは基本的に日本文化センター等全国ネット協賛社のネットセールスであるが、局によってはローカルスポンサーに差し替えた場合もあった(例・北日本放送では日本文化センターに代えて富山専門店会が、テレビ岩手では釜石共栄(地元スーパー)が協賛していた)。このためか、タイトルロゴや提供クレジット・アナウンスはネットスポンサーのみの局も含めて各局で送り出していたため、「お昼のワイドショー」のタイトルロゴ(デザインは全局とも同じ)のサイズや、テロップの縁取りの有無など各局ごとに差があった。
- この状態は後番組の「おもいッきりテレビ」でも、しばらくの間続いた(ただし、提供クレジットのみ)。
脚注
- ↑ これは11:40 - 12:00に『RNBサロン・奥さまと20分!!』、さらに12:00 - 12:05に『南海放送(愛媛新聞)ニュース』が放送されたためである。