松島トモ子

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テンプレート:存命人物の出典明記 松島 トモ子(まつしま ともこ、本名;松島奉子[1](ともこ)、1945年7月10日 - )は、満州国奉天生まれの日本の歌手女優タレント[2]東京都目黒区育ち。東根小学校を経て大東学園高等学校卒業。日本芸術専門学校特別講師。

略歴

生後まもなく満州国からの引き揚げを体験。本名の奉子とは生誕地の奉天に帰する。3歳から石井漠舞踊研究所に入門、バレエを始める。

映画館の劇場ニュースにて、石井漠門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていた松島トモ子を阪東妻三郎がスカウト。1949年に芸能界デビューし、東横映画「獅子の罠」に出演。その後も、嵐寛寿郎主演の時代劇「鞍馬天狗」(杉作)、三益愛子との「丹下左膳」(ちょび安)、江利チエミとの「サザエさん」(ワカメ)など多くの映画に出演した。80本の映画に主演[2]

童謡歌手としても、米山正夫門下となり、1953年、コロムビアより「村の駅長さん」でデビュー。 その後も、「風にゆれるレイの花」、「三匹の子豚」、「雨に唄えば」などを吹き込み、「杉作太鼓」、「悦ちゃん」、「ワカメちゃん」、「怪傑黒頭巾」、「赤いカンナの花咲けば」など映画主題歌や挿入歌を吹き込んだことでも知られる。 少女雑誌「少女」では、表紙を10年間一人で務め[2]、芸能雑誌「平凡」でもグラビアモデルを務めた。

大東学園高等学校卒業後は、ミュージカルを勉強するため渡米。 ザ・マスターズ・ハイスクールに2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金をもらい研修し、帰国。 帰国後は、ミュージカルを中心に、ラジオ、テレビのパーソナリティ、ミネラル麦茶のCM、「ひょっこりひょうたん島」の声優など活躍を見せた。 マネージャーは3歳でデビューしてから母親が務めている[3]

エピソード

1950年11月19日舞踏家石井漠らと共に巣鴨プリズン所長 鈴木英三郎に、刑務所近くにある米軍専用の劇場に招かれた。司会者は、三井物産のタイのハジャイ出張所所長であった松島の父・高橋健が満州奉天で召集をうけたのちシベリアに抑留され生死も不明で、松島は母と二人でかろうじて帰国したと紹介し、会場は静まり返った(その後父はナホトカ郊外の収容所で1945年10月29日に死亡していたことが判明)。続いて法被姿に鉢巻をしめ大きな目をした5歳の松島が現れ、洋舞「かわいい魚屋さん」を踊った。並んだ約1千名の戦犯(B級C級戦犯。この中には、映画『明日への遺言』で藤田まことが演じた陸軍中将・岡田資も混じっていた)らは涙を流して深く感動し、何度もアンコールし、彼女もそれに応えた。

1986年には日本テレビTIME21』の撮影でケニアを訪れて、10日の間にライオンとヒョウに立て続けに2度襲われ、帰国後にギブス姿で記者会見して話題になった[4]1月28日にジョイ・アダムソン(『野生のエルザ』の作者)の夫であるジョージ・アダムソンと共にナイロビのコラ動物保護区で人に慣れた野生のライオンの群れと接触し子ライオンと戯れていたところ、ジョージが松島とライオン達から目を離した隙にその子ライオンの母親に襲われ、首や太腿に全治10日の怪我を負う(目を離していたジョージは耳が遠く助けに行くのが遅れた)。その際にジョージにより松島は助けられている。このとき周りには複数のライオンがいたが、攻撃を加えたのは一頭のみである。治療後再び別の動物保護区を訪れ、万全の態勢でロケに挑むが、10日後の2月7日に保護区のスタッフの男性と共にこの保護区で飼育されているヒョウを見に、周りを高い柵で囲われた施設に行った。施設の外に出たところ、その柵を跳び越えて中にいた雌ヒョウに襲われ首に噛み付かれ持ち上げられた。このとき骨がガリガリと囓られる音を聞いたという。これは、松島の隣にいたこのヒョウの飼い主の男性が、松島と親しくしているように見えたためヒョウが嫉妬したと考えられている。この後、松島は救助隊に救急ヘリを要求したが、夜間の飛行は危険であるとして拒否されたため朝まで止血しながら耐え、その後、朝になり救急ヘリが到着し病院に運ばれた。

ヒョウに襲われた後も撮影を続けて、2月17日に帰国、コルセットをつけて記者会見に臨み「それでも動物が好き」とコメントした[5]。このときに撮影された映像は3月31日に「それでも私はライオンが好き」と題して『TIME21』で放送された[6]

主な出演

映画

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『鞍馬天狗 御用盗異変』(1956) 左は嵐寛寿郎

テレビドラマ

ラジオ

バラエティー

CM

テレビアニメ、他

著書

  • 車椅子でシャル・ウイ・ダンス
  • ニューヨークひとりぼっち(自身の渡米を綴ったもので、上記の学会とは全く関係ない)
  • 母と娘の旅路
  • ホームレスさん こんにちは
  • ともだちの詩

ディスコグラフィー

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シングル

  • たん子たん吉珍道中(1954年)
  • 芝刈りローラの歌(1954年)
  • 母恋人形(1954年)
  • 母の呼ぶ声(with小島秀人、1954年)
  • 赤いカンナの花咲けば(1955年)
  • トモ子の花売娘(1955年)
  • 潮来の兄妹(with青木光一、1956年)
  • 杉作太鼓(1956年)
  • 潮来船(1957年)
  • 悦ちゃん(1957年)
  • 怪傑黒頭巾(1958年)
  • ピンク・シュー・レーセス(1960年)
  • パイナップル・プリンセス(1960年)
  • 汽車ポッポのタンゴ(1961年)
  • 谷間の灯ともし頃(1961年)
  • シンデレラ(1961年)
  • カッコーの森(1962年)
  • おもちゃのチャチャチャ(1962年)
  • ティーンエイジ・ウエディング(1963年)
  • チム・チム・チェリー(1965年)
  • コーヒーと仔犬(1971年)
  • 風にゆれるレイの花
  • ひとりで恋して
  • 丘にのぼろう
  • 眠りの森の物語
  • お誕生日の歌(ハッピーバースデートゥーユー)訳詞:丘灯至夫
  • ふるさとの四季/なんだべ坂の七ふしぎ(1976年、「まんが・ふるさと昔話」主題歌)
  • ジングル・ベル

アルバム

  • 家をでるとき(1976年)
    荒井由実(「過ぎたことだから」。後の松任谷由実)らが楽曲を提供した。
  • 心に残るうたの贈りもの(1985年)
    峠の我が家、ディズニーメドレーなど収録

出典

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外部リンク

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  1. 『声優名鑑』成美堂出版、1999年、268頁、ISBN 978-4415008783
  2. 2.0 2.1 2.2 松島トモ子とはコトバンク
  3. 徹子の部屋
  4. 「芸能・ゴシップ」『噂の真相』1986年4月号、p.96
  5. ナンシー関『何の因果で』角川文庫、1999年、p.139
  6. 松島トモ子プロフィール 講演依頼.com|講演会の講師紹介