とんねるずのみなさんのおかげです

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 テレビ番組とんねるずのみなさんのおかげです』は、フジテレビ系列で放送されたバラエティ番組である。略称は「おかげです」もしくは「みなおか」だが、出演者やスタッフの間では、『とんねるずのみなさんのおかげでした』と合わせて、「みなさん」と呼ばれている。放送時刻は毎週木曜日の21:00-21:54(JST)。

お笑いコンビのとんねるず石橋貴明木梨憲武)と多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成された。 1989年から1994年までの6年間、バラエティ番組の年間平均視聴率一位を記録する功績を収め、さらに96年~02年まで冠番組視聴率ランキング一位を記録している。名実ともに、『ねるとん紅鯨団』、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』と並ぶ、とんねるずの代表番組の一つである。

概要

不定期特番時代

元々は同局・火曜日の19:30-20:54に放送されていた『火曜ワイドスペシャル』(現:『カスペ!』)のスペシャル番組だった(パート1 - 4まで)。パート4の1コーナー「仮面ノリダー」のウケも良く、パート5を待たずにレギュラー番組へと昇格した。とんねるずの肖像権の複雑化の絡みで再放送やDVDソフト化がないものの、放送ライブラリー1988年10月13日放送分を閲覧する事ができる。

番組名は本番組の誕生のきっかけだった『火曜ワイドスペシャル』のとんねるず起用を決定した日枝久の名を冠して『ヒエダさんのおかげです』にしようと、とんねるずが提案したが、スタッフの反対により『みなさんのおかげです』に落ち着いた。そもそも当時、とんねるずが結成6周年と言う節目もあって『みなさんのおかげです』になったと言われている。

レギュラー放送時代

レギュラー番組に昇格した1988年10月からはコントがメインの番組としてはまだ当時珍しかったステレオ放送で放映された。当時はドラマコントがメインの番組構成で番組後半にゲストの歌を1曲流すなどの放送内容が中心であり、音声の臨場感を伝える役割を果たしていた。この体制は後番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に至るまで続けられた。後に音楽企画やドラマコントが事実上廃止状態となり、通常のバラエティ番組と同様の内容になったことから、2005年4月以降は総集編特番と音楽企画の回を除いてモノラル放送地上デジタルテレビ放送はモノステレオ放送)へと変更されたが、2008年6月5日以降は、再びステレオ放送へと変更されている。

放送休止

1990年4月から同年9月までにかけてはとんねるずが日本テレビ系ドラマ『火の用心』の出演に専念するため、一旦打ち切り、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が代わりに放送され、ドラマ収録終了後の10月に番組が復活した。何度も放送休止をするバラエティ番組は稀である(他にも8時だョ!全員集合など)。他に1994年4月から9月までに『ラスタとんねるず'94』、1997年4月から7月までに『とんねるずの本汁でしょう!!』が放送された。石橋貴明によれば、どちらも番組のプロデューサー石田弘の糖尿病療養期間のつなぎ番組だとネタにされているが『ラスタとんねるず'94』の方は表向きの理由であり、放送の裏には1993年12月に宜保タカ子のロケで富士山麓の天然記念物生息地(氷穴)を爆薬などで荒らし、撮影セットのゴミを不法投棄したことが問題となり、当時、各局や各新聞でニュース報道され、スタッフが処分されて番組も半年間収録が出来なくなったというのが実情である。

内容

その後、フジテレビお台場社屋移転後の1997年7月から後継番組ではなく、『とんねるずのみなさんのおかげでした』としてリニューアルして放送を再開。それに伴い、『とんねるずのみなさんのおかげです』の最終回は、新聞のラテ欄では終マークはなかった。『とんねるずのみなさんのおかげでした』では、コントなしでゲストの嫌いな食べ物を見抜く「新・食わず嫌い王決定戦」や「モジモジくん」のコーナーが人気になっている。

コントに登場する名物キャラクターは他のバラエティ番組の追随を許さなかった。チェッカーズ宮沢りえなど、当時一世を風靡した豪華なゲストも毎週出演していた。

エトセトラ

木曜21時台という当時では子供向けと言うにはやや遅めの時間帯の番組であったが、「仮面ノリダー」を中心にさまざまなコントキャラクターが子供にも絶大な人気を誇っていた。宮沢りえ牧瀬里穂観月ありさともさかりえ松嶋菜々子など、まだ知名度が高くない時代から抜擢し人気タレントに駆け上がっていった登竜門的番組でもあった。その一方で、本来ならば子供人気や新人清純派タレントとは相容れない、深夜番組でも放映が難しいような下ネタも多かったが、意味を理解しないまま子供受けしていたのも事実であり、子供人気、新人タレント、下ネタという綺麗なトライアングルを形成できたのはとんねるずのキャラクターによるある種の奇跡である。石橋が女性ゲストにキスや、押し倒したり添い寝をしたり、口に入れたお粥を牧瀬里穂の顔に垂らしたり、赤ちゃん役に扮していた小泉今日子が咥えていたおしゃぶりやイチゴなど取り上げて自分の口に入れ「…おいし〜い!」と至福の表情で言うなどといったセクハラギャグや「コンコンコーン」、「オナラじゃないのよ、ちょっと空気が入っただけ」などで、ノリダー人気から家族単位で見ていた茶の間の親を凍りつかせて苦情もしばしば。また石橋が放送禁止用語をアドリブで発しピー音が付くのも晩年では茶飯事であった。子供への絶大な人気を受け『月刊コロコロコミック』などでも特集記事が組まれたりしていたが、下ネタギャグに関してはほとんど触れられていなかった。

スペシャル版の放送は、人気絶頂期においては通常の延長よりも長くされていたが1時間15分(実際はミニ番組放送の関係上1時間9分延長、予告編を含めて21:00 - 23:03放送)の延長とされることが多く、深夜時間帯に差し掛かる直前にエンディングが流れるなどの配慮がされていたほか、稀に夜19時からの放送となることもあった。

放送末期には楽屋落ちが増え、あまり作り込んでいないという印象を視聴者に与えてしまっていたが、木梨がTRFの振り付けのモノマネをした際には本番の数時間前にスタジオ入りし多忙の中練習に励むなど真剣にやるべき演出は決して手を抜かない一面も持ち続けていた。

出演者

メインキャスト

準レギュラー

番組に出演したゲスト

放送期間

火曜ワイドスペシャル版

レギュラー版

  • 第1期
    • 1988.10-1990.03
  • 第2期
    • 1990.10-1994.03
  • 第3期
    • 1994.10-1997.03

レギュラー版全体を通しての放送回数は363回。

コント・コーナー

テンプレート:Main

人気キャラクター

石橋
  • 保毛尾田保毛男(ほもおだほもお) - おかげです中学のコントで教師として初登場。一時期はホモといえば保毛尾田保毛男の姿がイメージされるほどのインパクトを誇った。話し方のモデルは井上陽水。このキャラは人気を博しメインとしたコントも多数作られている。どのコントも、ホモということを問いただされると、「あくまでも噂で・・・」とはぐらかすシーンが頻繁に登場する。現代的視点からするとかなり差別的な内容であるが、放映当時は、現代ほど性的少数者に対する理解が進んでいなかった。
  • ダーイシ男 - モデルは石田弘(番組プロデューサー)。豪放な性格で糖がきてるという。 「すまなかった!」が口癖。『まるまるちびまる子ちゃん』にも出演。
  • バブルス - 元ネタはマイケル・ジャクソンのペットのチンパンジー。タバコを吸うなどふてぶてしい態度を取る。
  • 田村マサカズ - モデルは田村正和。田村の口調を誇張した異様に舌っ足らずなしゃべり方をし、終始クールに振舞おうとするが空回りして失敗するキャラクター。
  • 中村絵里子 - モデルは本人。「もう、台無し。」が口癖。
木梨
  • ノリユキ - 今で言うストーカーないし(度が過ぎた)アイドルオタク。コントに脈略なく現れてはアイドルに対し「息くれよ。」とせがむが大抵マネージャー役の石橋にどつかれる。体当たりが得意技で、石橋に「飛ぶぞ」と挑発する。
  • 小港さん - モデルは港浩一(プロデューサー兼ディレクター)。猿みたいな仕草をしながら競馬の予想を気にしている。ダーイシとは犬猿の仲。
  • サブ北島 - モデルは北島三郎。本人が出演していた寿司のCMのワンフレーズをよく口ずさむ。「ひとりものまね王座」以降はなぜか身長が縮む。
  • ひろし5木 - モデルは五木ひろし。パンストを被った上にカツラをかぶった顔つきで、常に怪しげな動作をする。
  • 森進一郎 - モデルは森進一。モデルの歌声を極端に誇張したような野太い奇声と異様に力の入った表情が印象的。
  • みのりもんた - モデルはみのもんた
  • スーさん - モデルは鈴木正人(ディレクター)。長髪と白い服という出で立ちで様々なコントに出没。鈴木ほかスタッフ数名と「寝ちゃダメ隊」を結成している。
その他
  • ボブ市川 - とんねるずのマネージャー。
  • 玉井しのぶ - デビュー曲「からくり銀座」のリリースの際にたびたび登場し「からくり銀座」を歌おうとするが、タライが落ちてぶっ倒れるというオチ。

おかげです事件史

ニンジン事件
1991年1月17日放送分の沢口靖子と共演したコントの中で、木梨が噛み砕いて吐き出したニンジンの煮物を石橋が「頂きます」と食べてしまった事件。木梨・沢口はおろかスタッフも大いに驚き、木梨は「何故こんなことができるかというと(石橋が)酔ってるからだよ」とコメント[1]
木梨憲武の盲腸緊急追悼特番・騒動事件
1991年10月31日、木梨憲武が盲腸による休養から復帰することになっていた放送で、冒頭から『緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…』と題し、木梨憲武が死亡したという設定で、生放送の追悼特番を模したドッキリを放送した。追悼特番司会の石橋貴明と野崎昌一(当時:フジテレビアナウンサー。現:フジMHD投資管理部長)が深刻な気配で会話し2分半程経過したところで、緑のジャージを着た木梨が現れるというシュールなコントであった。木梨が登場した後も2分程無視して喋り続けるものの、石橋が「出口3箇所ふさがれてましたから・・・」といった直後笑い出して木梨に気付き、セットチェンジ。結局『木梨憲武盲腸記念'91 憲武を笑わせろスペシャル 爆笑総集編』として番組の総集編が放送された。ニッポン放送吉田拓郎のオールナイトニッポン』での「吉田拓郎死亡放送事件」が元ネタとされている。このドッキリを敢行した理由については石橋が本放送内で語ったところによると、「(木梨が入院していた為)撮りに来ないから放送する分がなくなってしまい、何とかして視聴者の目をごまかそうとして」という事らしい。
この放送を見ていた当時同局アナウンサーで番組レギュラーだった中村江里子は、途中まで本当に信じていたという。もし本当だった場合これだけのタレントなら新聞やニュースで大きく取り上げられるので、ネタであることが誰にでも分かると制作スタッフは踏んでいたようだが、この日の『タイム3』に木梨本人が生出演したこともあり、緊急性を含んだドッキリとして視聴者を信じさせる要素もあった。
放送中や番組終了後には、「本当ですか!?」との質問や「ふざけるな!」との抗議の電話が約800件にも上った。盲腸により木梨が入院して放送するネタがなかったことからこのドッキリが企画されたが、多数の菊の花と木梨の写真(木梨のパスポート写真を使用)を配した大きな祭壇を組んだ追悼セット、暗いBGM、現役アナウンサー出演など、あまりにも悪ふざけが過ぎるとの声が多かった。
放送内において、野崎は「亡くなられた」とは一言も発しておらず、代わりに冒頭で「信じられないことになってしまいました」と表現しているのみで、石橋が「これからご実家のほうで焼香に行ってですね」「ハゲる前に死ねて良かったな、と」「安らかに眠って欲しい」などと発言しているのは木梨登場後で、「眠って欲しい」といった時には木梨が「眠んねーよ、この野郎」といって石橋の頭を叩いている。本編前の木梨の生涯を辿る前編(BGMとしてダイアナ・ロスの『イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー』)では、ナレーションで「あまりにも短い生涯であった」という一節が放送されており、「親戚の老婦人に凄い怒られた」と木梨は後に語っている。
この放送の最中に「『塗装業者の誘拐殺人』などの容疑で手配されていた元警察官が逮捕されました」とのニュース速報テロップが出るという一幕もあった。
元々は野崎でなく、当時役員待遇だった露木茂(現:フリー)の出演を予定していたが本人が逃げてしまい、部長待遇だった野間脩平(現:共同テレビ)にも逃げられたため、『プロ野球ニュース』の司会のため夜勤だった野崎が急遽呼ばれた。よりリアリティを持たせるため森光子にもオファーを出したが断られたという。
この回の視聴率は23%で多くの視聴者を驚かす結果となった。ゼネラルプロデューサー(当時)の石田弘が考えた企画と言われるが、石田は後年「ふざけると言っても超えてはならない一線があり、悪ふざけにはならないようにしなければならない」という、この一件を忘れたか、戒めるかのような発言をしている。この放送について石田の見解は明らかになっていない。
それいけマサカズ・ボヤ事件
人気コーナー「それいけマサカズ」で、石橋扮する田村正和が燃えたカツラをかぶりながら何食わぬ顔で通り過ぎる、というコントを撮影したが、消防法上大変危険であるとして、当時のフジテレビ本社を管轄していた東京消防庁牛込消防署から抗議を受けた。
石橋貴明の試合放棄事件
カルトQ「おかげです全般」で、司会者の木梨が石橋の解答に対して「正確じゃないとだめです」と何度も不正解とし、怒った石橋が「もういやだ」と言って途中で帰りそのまま試合放棄した事件。退場後は女児の人形が置かれコーナーは最後まで進行した。このとき石橋は「ひな」(中村江里子の愛称)という名前で出場していた[2]
セクシャルハラスメント訴訟事件
1992年11月4日、石橋貴明とチーフディレクターがセクシャルハラスメントをしたとして、東京地方裁判所に民事提訴された事件。原告は「帰りなおばちゃん」として番組に準レギュラーで出演していた当時56歳の稲村さち子で、訴えの理由は、同年10月29日放送の番組内、露出度の高いビキニを着せられた稲村に対し、石橋が「ヘアが見える」と発言しテロップで「素人のおばちゃんですからヘアの手入れはしていません」と流されたこと、CMやテレビドラマで芸歴が10年あるにも関わらず「素人のおばちゃん」と2度テロップを流されたことだった。稲村は石橋とチーフディレクターに対し200万円の損害賠償と番組内で名誉回復のコーナーを設けることを請求した。フジテレビの石田弘プロデューサーは取材に対し「素人のおばちゃん役で出演してもらった。傷つけたことは申し訳ない」と回答し、石橋の所属事務所は「本人と連絡取れないのでコメントできない」とした[3][4]。後に稲村は提訴を取り下げたことが報じられた[5]。この時期は番組自体(特に石橋が下半身を露出してゲスト出演者を追い回すなど)下ネタ傾向が強かった時期でもあり、事件後下ネタ禁止令が下された。

視聴率

1986年秋に石橋が当時フジテレビの編成局長であった日枝久(現:フジテレビ会長)に「僕らにゴールデンタイムの2時間番組を下さい、視聴率30%とってみせます」と編成部まで行って頼み込んだという。ちなみにこの際、日枝局長に「もし取れなかったらどうする?」と聞かれた石橋は、番組プロデューサーである石田弘を「彫刻の森美術館に飛ばしてください」と言った(石田はその場には居なかった。一方で、30%を達成したらフジテレビの食堂で何を食べてもいいという約束を取り付けた)。まもなく『火曜ワイドスペシャル』で番組を持たせてもらい、放送が始まった。結果、視聴率30%には及ばなかったものの常に高視聴率を獲得し(平均20.3%。この結果は放送翌日の「夕やけニャンニャン」で石橋の口から発表され、「まあこんなもんだろ、よしよし」と二人は結果に満足していた)、定期的にスペシャルを行った後に1988年10月からレギュラー番組としてスタート。もう一説によるとこの公約を叩きつけた石橋は「20%に届かなかったら笑いの世界から身を引く」と後年TBSの特別番組でそのまんま東の発言によって語られた。

番組開始当初から「仮面ノリダー」のコーナーなどで人気を博し、開始から半年が経過した1989年3月30日(『とんねるずのみなさんのおかげです春休みスペシャル』)に最高視聴率29.5%(関東地区)を記録した(ただし、普段の時間ではなく午後7時スタートのスペシャル版にて)。その後、「仮面ノリダー」終了後も他のコーナーも大人気となり、1989年から1994年まではバラエティ番組年間平均視聴率の第一位を保持、2度にわたる充電期間を経ても人気を保った。

番組晩年にあたる1995年以降も全盛期ほど視聴率は取れなくなったものの安定した数字を残していた。

1997年3月に放送終了(4月に内容変更・改題などのリニューアル)した。 「おかげです」(8年半を通じて)としての平均視聴率は20.2%(最終回の前週に発表)。9年間で使った予算は186億8900万円(こちらは最終回でダーイシが発言)。

最終回

1997年3月27日放送の『おかげです』としての最終回はかつての人気コント「仮面ノリダー」、「保毛尾田保毛男」、「最終回によくある風景」、「太陽にほえるな!」、「貧乏家の人々」など番組の人気コントを全て新作、完結編として放送した。また、番組の冒頭と最後にかつての常連ゲストで番組を愛していた小泉今日子を迎え、石橋扮する石田プロデューサーと木梨扮する小港ディレクターとともに局内に入り「石田プロデューサーの引越しと『みなさん』が終わっちまって大変なんだよォ日記」なるコントを放送。最後は番組を作り終えた石田プロデューサーがテレビマンとして燃え尽き死んでしまいその霊がバブルスとなって木梨、小泉とともに「最後のバァーイ、センキュー」のコールとともに本編は終了。ちなみにこの時、石橋が「以上、みなさんのおかげでした」と発言しているが、これが現在番組のタイトルとして使用されているのと関係があるかどうかはわからない。

そして、ラストはフジテレビ社屋が河田町から現在のお台場に移転したこともあり、とんねるずが歌う当時の番組のエンディングテーマ『テレビ〜時々の神よ〜』をバックに『おかげです』と共に使命を終えた旧社屋の表情を映し、最後は現お台場社屋の屋上でとんねるずが歌っているシーンに繋がるという映像で番組を締めくくった。これには、ここまで自分らを大きくしてくれた河田町に思い入れがあってのことだろう。

後にコント形態として『おかげでした』に受け継がれたのは「ちょっと北の国から」と「新畑任三郎」のみである。『北の国から』のパロディ「ちょっと北の国から」に関しては「ちょっと北の国から'97冬」として1分にも満たない完結編が放送され、「純と蛍が凍死する」というストーリーであったにも関わらず、『おかげでした』では何事もなかったように続編が放送された。1998年には前編・後編・完結編と3週に渡って放送されたが、2002年には「北の国から コントの記憶」として総集編があったものの、本編は1週しかなかった。

ネット局

系列は放送終了時点のもの。
放送対象地域 放送局 系列 ネット形態 備考
関東広域圏 フジテレビ フジテレビ系列 制作局
北海道 北海道文化放送 同時ネット
青森県 青森放送 日本テレビ系列 遅れネット 1991年9月までテレビ朝日系列とのクロスネット局[6]
岩手県 岩手放送 TBS系列 現:IBC岩手放送、1991年2月まで
岩手めんこいテレビ フジテレビ系列 同時ネット 1991年4月開局から[7]
宮城県 仙台放送
秋田県 秋田テレビ
山形県 山形テレビ 1993年3月打ち切り
福島県 福島テレビ
山梨県 テレビ山梨 TBS系列 遅れネット
新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列 同時ネット
長野県 長野放送
静岡県 テレビ静岡
富山県 富山テレビ
石川県 石川テレビ
福井県 福井テレビ
中京広域圏 東海テレビ
近畿広域圏 関西テレビ
島根県
鳥取県
山陰中央テレビ
広島県 テレビ新広島
山口県 テレビ山口 TBS系列 遅れネット
徳島県 四国放送 日本テレビ系列 途中打ち切り
岡山県
香川県
岡山放送 フジテレビ系列 同時ネット
愛媛県 テレビ愛媛
高知県 高知放送 日本テレビ系列 遅れネット 1996年9月打ち切り[8]
福岡県 テレビ西日本 フジテレビ系列 同時ネット
佐賀県 サガテレビ
長崎県 テレビ長崎 1990年9月まで日本テレビ系列とのクロスネット局
熊本県 テレビくまもと 1989年9月までテレビ朝日系列とのクロスネット局
大分県 テレビ大分 フジテレビ系列
日本テレビ系列
遅れネット
→同時ネット
1993年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局
宮崎県 テレビ宮崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
同時ネット
鹿児島県 鹿児島テレビ フジテレビ系列 1994年3月まで日本テレビ系列とのクロスネット局
沖縄県 沖縄テレビ

ネット局に関する備考

  • 1997年4月に開局を控えたさくらんぼテレビ高知さんさんテレビは、開局前のサービス放送で最終回スペシャルのみ同時ネットで放送された。
  • FNS・NNSとのクロスネット局1993年9月まではANNとのトリプルネット局でもあった)であるテレビ大分は、1993年9月までは日曜10:00からの時差ネットで放送されていた[9][10]が、10月に大分朝日放送の開局に伴うANN脱退に伴い同時ネットに変更されたと同時に、FNS加盟全26局の同時ネット化を達成した[11]
  • 1994年3月に先述の理由により一旦休止するが、FNS加盟26局と青森放送・テレビ山梨・テレビ山口・高知放送はそのまま『ラスタとんねるず'94』のネット局となり、同年10月の本番組の再開時のネット局も同様だった。
  • 山形テレビは1993年3月まで同時ネットで放送されていたが、第2期の途中である同年4月にANNへのネットチェンジに伴い、打ち切りとなった。
  • 青森放送は開始後1年ほどでネットを開始したため、放送の遅れを埋めるために夏休みや冬休みの期間に平日の夕方に集中放送を行っていた時期がある。

歴代スタッフ

  • 構成:秋元康 / 玉井貴代志沢口義明吉野晃章遠藤察男井辺清三谷幸喜菊原共基小川浩之小原信治浅野吉朗小野沢実アラヤ★ダイスケ岩崎夏海柄沢正典丸山桜奈小板橋健野口昌良杉村秋生
  • TD・SW:堀田満之・馬場直幸・石田智男(フジテレビ)
  • カメラ:藤江雅和、島本健司、小山茂明、高田治、花島和弘、北井勇作、武川圭祐、長瀬正人、小林光行、野々村知彦、河野昌寿、秋山勇人/伊澤明男・勝村信之・長田崇・二見健二・岸田花子(フジテレビ)
  • 映像:石井利幸、高瀬義美、田中十内、谷古宇利勝、瀧本恵司、田畑司、水野博道、斉藤雄一、塚本修、松岡浩司、宮本学、西脇貴美孝、青木洋子、高草木直樹、松宮竜一郎
  • 録画:原啓教、油谷忍
  • 音声:篠良一、杉山直樹、石井俊二、松本政利、深谷高史、森田篤、海老沢俊彦、高橋幸則、本間祥吾、寺川秀和、戸山善裕、奈良岡純一、福沢寿三、平沢晃
  • PA:唐松秀弥、後藤龍幸、横島一光
  • 照明:小田原敬、谷川富也、蓑島公男、高木一成、吉川知孝、富沢宴令、中原淳一、森本勝、日高栄治、安藤雅夫、安藤雄郎、土倉潤一、岩本泰和、藤本潤一、穴田健二、黒井宏行、谷口明美、佐藤博樹、堀田耕二、宗像徹馬、牧野隆、藪木健太郎、毛利克也
  • カメラクレーン:佐藤史郎、高久誠司
  • 美術制作:石鍋伸一朗・重松照英(フジテレビ)
  • デザイン:根本研二・越野幸栄(フジテレビ)、別所晃吉
  • 美術進行:伊藤則緒、小野秀樹、安藤典和、工藤圭介、中村秀美
  • 大道具:成井一浩、鈴木康之、塩山勝之、竹島正夫、清水篤弘、関口正晴、畠山健、大原隆、石黒勇二郎、三上晋、迫田康義
  • 装飾:小池長寿、今村文孝、加藤登、竹内達、菊池保、望月富夫、門間誠、大串武士
  • 持道具:網野高久、平井文朗、山本健史、藤井直也、斉藤広治、竹川京太、中丸慶三郎
  • 衣裳:神波憲人、武藤直樹、沖田正次、小林幸子、永野美紀、中山美和、大吉明美
  • メイク:興山洋子、塩幡万里子
  • かつら:川田明子、矢津田一寛、牧野勇、郡司敏幸、植竹圭一
  • 視覚効果:飯塚生臣、大関晃、内山栄一、坂井郁美、中里義明
  • 電飾:田中信太郎、飯田修一、菰原大裕、中沢千恵子、小沢崇、崎本光成、井川延郎
  • アクリル装飾:平山晃哉、高信作、上川洋行、今井輝彦、木谷伸三
  • 生花装飾:坂口曜子、春川興司、武笠博子
  • 植木装飾:須田信治、広田明
  • アートフレーム:津田忠直
  • 楽器:磯元洋一、佐野武史
  • 特殊効果:水尾一雄
  • 特殊美術:中島豪章(CAVIN)、佐藤むさく
  • タイトル:三好登久昭、川崎利治、原野真理子
  • タイトルロゴ:染谷淳一
  • CGタイトル:Go Go H.I.P.
  • VTR編集:伊五澤守雄・正木俊行・頼信良三・管野邦大・真壁一郎・二宮嘉郎・清水良浩・藤井陽一・飯星岳・永吉敬文・今村猛彦・喜多彰宣・奥山なほみ・松田和茂・上野譲・原靖・大橋一明・小野貴志・吉田亨・吉川奈津子(IMAGICA
  • スキャニメイト:後藤和夫・大沢宏次郎(IMAGICA)
  • ペイント:菊池大介・山口由紀子(IMAGICA)
  • MAV:寺尾享泰・新野真・森岡浩人・遠山正(IMAGICA)
  • 音響効果:鈴木真、松下俊彦、張替正美、波多野精二
  • 車輌:ほしのみちあき、桑山朗、島村達也、富川太一、柏田武士、高村徹、岡本貴幸、杉川博志、風見高広、諸星寿伸、倉田知己、本田浩光、小池清治、駒崎浩宣、大塚修、福島真、奥山道明、久保清、森泉澄人、渡辺美夏子
  • ナレーター:戸谷公次中江真司牧原俊幸坂口哲夫ほか
  • 殺陣:多賀谷渉菊地竜志岡田勝ほか
  • 編成:原岡健一郎・小林義和・鈴木専哉・石井浩二(フジテレビ)
  • 広報:石井道夫・森隆志・大貫伊都子・八木祐子(フジテレビ)
  • スチルカメラ:村山篤人、半田一道、久保田栄
  • タイムキーパー:杉山清美、安富弘江、江野澤郁子
  • デスク:鈴木桂子、長谷川薫、関根弘之、生雲理愛、道山雄一
  • 制作スタッフ→ディレクター(1989年4月 - ):光野道夫、鈴木正人、時宗大、北村要、篠原一成、石田英史、菊川正、小澤俊一、鈴木智、小松伸一、白石一幸、清水勇、佐々木裕哉、松村匠、加賀義則、佐々木俊、太田一矢、李闘士男(第3期)、神原孝濱田俊也、河津潔、澤田親宏、神尾昌宏(コント「太陽にほえるな!」のメンバーの一部)
  • ディレクター→演出(1989年4月 - 第2期まで)→アシスタントプロデューサー→ディレクター・プロデューサー:石井正幸
  • アシスタントプロデューサー:尾崎充(第3期)
  • 演出→兼プロデューサー(1989年4月 - ):港浩一(フジテレビ)
  • プロデューサー:増田晴男(フジテレビ、1988年10月 - 1989年4月)
  • プロデューサー→ゼネラルプロデューサー:石田弘(フジテレビ)
  • 演出協力:ウイルスプロダクション
  • 技術協力:ニユーテレス
  • 制作協力:アライバル
  • 制作:フジテレビ第二制作部
  • 制作著作:フジテレビ
    • 一部のスタッフについては野猿も参照。

テーマソング

オープニング

曲名不詳(第1期)
曲名不詳2(第2期)
  • 作曲:後藤次利
「ガラガラヘビがやってくる」(第2期)
  • 作詞:秋元康 / 作曲:後藤次利 / 編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
「がじゃいも」(第2期)
  • 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
「フッフッフッってするんです」(第2期)
  • 作詞:秋元康 / 作曲:後藤次利 / 編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
「ガニ」(第3期)
  • 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず

エンディング

「星降る夜にセレナーデ」(第1期)
「あした元気になーれ」(第1期)
  • 作詞:松井五郎 / 作曲:玉置浩二 / 編曲:星勝 / 歌:とんねるず
「情けねえ」(第2期)
  • 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
「一番偉い人へ」(第2期)
  • 作詞:秋元康 / 作曲:後藤次利 / 編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
「テレビ~時々の神よ~」(第3期)
  • 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず

脚注・出典

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:前後番組 テンプレート:とんねるずのみなさんのおかげです テンプレート:とんねるず

テンプレート:秋元康
  1. この日は、フジテレビ以外の民放在京キー局では同日発生した湾岸戦争報道特別番組を放送していた。
  2. 次回も「バミューダ」の名前で出場した石橋が、正誤判定の厳格さに腹を立て退場しようとしたが、結局木梨らに説得され未遂に終わった。退場しようとした時に木梨が「ほっといたらいいんです!どうせ人形になるんですから!」と相槌の突っ込みを入れている。
  3. 「石橋さん(とんねるず)らを提訴 「番組の中で性差別発言」共演女優」『読売新聞1992年11月5日朝刊。
  4. 「とんねるずのおかげでセクハラ フジテレビ出演の女性 石橋さんらを訴え」『中日新聞』1992年11月5日朝刊。
  5. 「TVセクハラ取り下げ」『中日新聞』1992年12月9日朝刊。
  6. 開始当初から1995年の春改編までは平日の夕方(金曜日16:00-16:55が多かった)に放送されていたが、翌月の『出会いふれあい生テレビ』開始に伴い末期まで火曜日深夜24:45-25:40で放送されていた。
  7. 実質には1991年3月のサービス放送時から。
  8. 高知さんさんテレビへのフジテレビ系番組の移行準備に伴う打ち切り。
  9. このため、8月最終週は24時間テレビを放送するため休止していた。
  10. 1989年1月9日の放送は、日本テレビ昭和天皇崩御ならびに今上天皇即位特別番組が放送されたため休止している。
  11. 『みなさんのおかげです』同時ネット化と同時に、とんねるずのレギュラー番組である『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)も同時ネットでレギュラー放送を開始した(1993年9月までは『生ダラ』は不定期放送)。