カルトQ
『カルトQ』(カルトキュー)は、フジテレビ系列局で放送されたフジテレビ製作のクイズ番組である。製作局のフジテレビでは1991年10月22日から1993年3月21日まで放送。特定ジャンルに特化したマニアックな問題が出題された。
目次
番組概要
既存のクイズ番組とは一線を画し、特定ジャンルに徹底的に特化するマニアックなクイズ番組として、1991年に登場。クイズ番組としては珍しく深夜に放送された、「真夜中の狂信的(カルト)クイズ」。他にも『カノッサの屈辱』(1990年)など、個性的で独創的な番組を次々と送り出した事で知られる、1990年代前半のフジテレビの深夜番組黄金期(いわゆるJOCX-TV2)を代表する番組であり、1992年10月にはプライムタイム枠に昇格。本放送の終了後にはフジテレビ739(現・フジテレビONE)で再放送されていた。
第1回の「ブラックミュージック」を皮切りに、サブカルチャー(オタク文化)を題材にしたテーマが多く採り上げられ、番組で扱われたテーマは50以上に上った。(後述)
- 放送期間:1991年10月22日 - 1993年3月21日
- 放送時間(日本時間、関東地区):
- 司会:うじきつよし、中村江里子(当時フジテレビアナウンサー)
- 問題を読み上げたのは、牧原俊幸(フジテレビアナウンサー)。
流れ
予選
まず、テーマごとに出場者を募集し、予選を行う。予選問題は筆記テスト。(初級、中級、超カルト=上級)。予選を通過し、本選に進めるのは上位5名のみ。
本選
予選を通過した上位5名がスタジオに集結、カルトキング(女性ならカルトクイーン)を目指して戦う。優勝者には賞品ならびにトロフィーが与えられる。出題される問題は全て早押しで、1問につき5人全員が間違えるまで解答権があった。この結果、当時芸能人系クイズ番組で頻繁にあった早押しボタンの連打が素人系クイズ番組で見られるというケースが目立った。
- 初級カルトクイズ
- オープニング問題、全5問。
- 中級カルトクイズ
- 難易度が上がるが、ルールは初級と同じ。
- 映像、イントロカルトクイズ
- 各回、それぞれのテーマにちなんだ映像や音声による問題を出題する。それぞれ、どの映像か、どの曲名かを当てる。
- 各テーマごとに特別なカルト問題を出題する場合もある。例えば「ラーメン」では「スープカルトクイズ」。スープを一口飲み、どの店のスープかを当てる問題だった。プロレスでは、フィニッシュの技と勝者を全て当てる。マッキントッシュでは「実演カルトクイズ」として、マッキントッシュの指定されたある画面を表示させる。というものだった(このとき解答者は、番組側が用意した解答とまったく違うやり方で正解を出した)。ブランドの映像カルトクイズでは、数秒の映像が流れただけで出題されるであろう問題まで推測、正解を叩き出した女子大生もいた(しかも2問連続でそのように解答し、「基本です」と言い放った)。
- 各カルトクイズの得点は一律10点。
- 超カルトクイズ
- 本選中、特に難しい問題。正解で20点。音楽が鳴ると最終問題。ゲーム終了時点で最高得点者が2人以上いる場合には決勝問題を出題し、正解したほうがカルトキング(クイーン)となる。
誤答、お手つきはその問題の解答権を失うだけで減点は無いが、本当に分からない問題に解答者は当てずっぽうで答えることはほとんど無く、無闇にボタンを押さないことが多かった。また、カルトな問題が出た反面、正誤判定は非常に甘い。解答者が惜しい答えを言うと、うじきの裁量で言い直しを認められることがあった(その際に少しの間が空き、うじきが「ん?」や「ん〜?」などと唸って具体的な解答を求めた)。中には4、5回答え直して正解にたどり着くケースもあった。
テーマ
オリジナル版でのテーマ(五十音順)。 テンプレート:Multicol
カルトQの豆知識
放送局
- 関西テレビでの放送は1992年10月の全国ネット化以降のみのため、それまでは独立UHF局であるKBS京都で放送されていた。
- 深夜時代、東海テレビでは土曜深夜の『スーパーサタデー25』枠で放送されていた。
もう1つのサブタイトル
- 深夜時代のオープニングにおけるテーマ紹介ナレーションでは、「深夜のブレインパーティー」という呼称も付けられている(誰が名付け親なのかは不明)。日曜22時台に枠移動してからは「日曜夜のブレインパーティー」へと変更された。
スタジオセット・オープニングなど
- スタジオセットはモアイ像など、岩石島を模したもの。1992年3月30日よりMC部分のみ、モアイ像に?光る宝石を埋め込んだもの(カルトパワーを意味する)になった。
- 1992年10月18日より、全国ネット昇格に伴い、オープニング映像、スタジオセット、テーマソングなど全体的にリニューアルされた。
- 1993年1月10日よりオープニング映像をリニューアル。エンディングテーマに歌がついた(東京バナナボーイズが担当)。
音楽
- 出題時と正解時には『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』の早押しの演出であった音楽が流れ、カルトQ独特の不気味さをさらに増長させていた。曲のタイトルは「Old Step/旧ステップ」で、高橋幸宏作曲によるもの。山本耀司との共同名義で1987年に発表されたアルバム「La Pensse/ラ・パンセ」に収録されている。
- オープニングテーマ&エンディングテーマは、東京バナナボーイズのシングルCD「瞳はYES!」のカップリングに収録されている。曲名は「カルトQのテーマ」。また、当時のフジテレビの深夜放送を集めたサントラ『深夜のフジテレビ』にも収録されている。
賞品など
- 優勝者にはテーマにちなんだ賞品が与えられていたが、1992年3月30日放送分(2時間スペシャル)からはトロフィーも授与されていた。深夜時代にはシンプルなガラス製の三角タイプ(ヤマト徽章制作)のトロフィーだったが、日曜プライムタイムへの昇格後にはマーク・ウィーガンによるデザインのもの(カルトロフィー)に変更された。
- 全国ネット昇格から新ルールとして、得点が250点を超えるとカルトゴッドとして「カルトな旅」のプレゼントが用意されたが、250点を越えたのは1人もいなかった。
出演者
- スタート当初は問題の難易度がそれほど「カルト」でもなく、その道のエキスパートではなく、クイズ研究会などが優勝をさらっていってしまうケースもあった。一例としてはコンピューターゲームの回が挙げられる。この時勝敗を争った二人は早稲田大学のクイズ研究会メンバーで、「サークルの宣伝のために出た」と語っていたが、終了後にMCのうじきに「逆効果にならないように祈ります」と突っ込まれている。
- 「競馬」の回で優勝したのは、元東京都議会議員、現衆議院議員の柿沢未途である(当時は東京大学ホースメンクラブに所属)。柿沢は「オグリキャップの生涯着順は?」という問題の解答で、マイルチャンピオンシップとジャパンカップの順番を間違えたにも関わらず、正解とされた。
- 1993年3月14日放送のYMOの回では、一般人に混ざって出場した電気グルーヴ(当時)の砂原良徳がカルトキングになった。造詣の深さを遺憾なく発揮した、堂々たる勝利であった。
- 「プロレスラー」の回で予選は芸能人も多かった。ちなみに本選に、獣神サンダー・ライガーの衣装を着た南原清隆が出場したものの、クイズでは2問ほどしか答えられず専ら薀蓄を語ることで存在感を誇示。また「ジャパニーズポップス2」の回ではカステラのヴォーカル、大木知之(現・TOMOVSKY)が出演するも、「当時の彼女が自らを振ったときの台詞」しか答えられず、この回の最低得点20点に終わった。
- 「犬」の回には、現在はクイズ作家として活躍しているクイズ王の田中健一が出場したものの最終問題で逆転負けになり、優勝はできなかった。その後、田中は『史上最大!第16回アメリカ横断ウルトラクイズ』で優勝し、一躍有名になった。
- 解答者の凄まじいまでのカルトさが、番組の想定すら超えてしまったことも度々あった。東急ハンズの回では、渋谷店のある売り場で働く店員の名前を答えるという問題が出たが、名札には名字しか書かれていないのに解答者はフルネームを知っていた。これは店内での業務連絡放送を常に聞いていたからであった。
- ブランドの回で、ある解答者が正解したときに言った「基本です」というフレーズは、番組以外でも一時流行した。
- ポップアートの回で、ダントツの正解数で優勝した解答者が「普段、誰にも話せない知識が、披露できて満足しています」とコメントした。
- 解答する時に行き詰ると、他の解答者がボタンを連打してカタカタ鳴らしながら、パニックにさせる作戦も定着し、他のクイズ番組などでも駆使されるようになった。
- 『週刊プロレス』編集部では、テーマに取り上げられる前に「プロレスカルトQ」特集を組んでいた。取り上げられると、編集部で猛プッシュされた。
- 一度だけ最終問題でうじきが「正解すれば得点を倍にしましょう!」と洒落で言ったが、結局はプロデューサーの判断で誤答のブザーが鳴り、あっさり却下された。
他番組内のコーナー
- 1992年7月19日 午前4:30 - 5:30まで『FNSの日1億2000万人の平成教育テレビ』内で『たけし・逸見の平成教育委員会』をテーマにした回を放送。解答者に逸見政孝と岡本夏生のチームも特別参加。なお、レギュラー放送は一部地域で放送されていなかったが、この回のみFNS26局(当時)全て[1]で放送した。一方でレギュラー回は放送していた青森テレビではこの回のみ放送されなかった。ちなみに、通常は予選の模様は放送しないが、この時のみ8日前の7月11日(土曜日)にフジテレビ本社で実施された予選の模様の一部とその時出された問題の一部も放送された。なお、『平成教育テレビ』での当コーナーは、「朝錬」の位置づけであった。
- 『とんねるずのみなさんのおかげです』で同番組にちなんだテーマのカルトQを何度か放送したことがある。テーマは「仮面ノリダー」や「とんねるずのみなさんのおかげです全般」。ノリダー編では、司会は木梨憲武(別人名義)と中村江里子(ひなと名乗っていた)、解答者に石橋貴明が参加しており、回によってでは石橋と木梨が逆になった。ただし、こちらはあくまでバラエティ番組のため、木梨が司会のときには最終問題を大量得点に設定していた。また本家より正誤判定が厳しかった。問題の読み上げは本家と同じく牧原だった。本家が終了した後も、一度放送されたことがあるが、得点表示はデジタル式に変わっていた。
- テンプレート:いつ範囲、『北野ファンクラブ』でビートたけしがバイク事故による入院中の折、急場をしのぐために「北野カルトQ」という企画が放送されたことがある。高田とガダルカナル・タカが司会で、解答者はたけし軍団、たけしの友人、予選を勝ち抜いた一般視聴者で競われた。ただし、本家と違って初級が10点、中級が20点、超カルトクイズが30点と設定され、最終問題で2位以下が必ず逆転できる得点が予告無しに設定されたが、こちらも逆転したケースは無かった。10週勝ち抜きで温泉旅行獲得で、一般視聴者が見事達成した。こちらも牧原が問題読み上げを担当した。
- 1993年、ボクたちのドラマシリーズ『お願いダーリン!』第3話で劇中番組として放送されたこともある。森脇健児演ずる高校教師・福原啓介が「カルトQ『トレンディドラマ』」の回に出場して優勝。スタジオで応援していた高橋由美子演ずる生徒の中山香織らが駆け寄った。無論、本家のカルトQでこのような事は無い。このトレンディドラマの回はドラマ内のみで行われた特別編である。
- レギュラー放送の終了から4か月後の1993年8月8日に放送された「フジテレビの日」特番(関東ローカル、生放送)で、カルトQの特別編(テーマ:フジテレビ)が行われた。
- 2000年11月24日(金)には、フジテレビ721において「F1」をテーマにしたカルトQが放送された。司会はうじきとフジテレビアナウンサーの島田彩夏。直前までフジテレビ721は『iQバトル!20世紀』というクイズ番組を2年間放送していた関係から、『iQバトル!20世紀』のスタッフが制作を担当した。この番組は2時間番組だったため、筆記予選で22人を選抜し、何回戦も行って、最後に残った5人で通常の「カルトQ」のルールの決勝戦を戦う方式だった。またこの番組には約10年前に地上波で放送されたカルトQ(テーマ:F1)の回のチャンピオンも出場し、優勝は逃したものの決勝戦まで勝ち残っている。
- 2005年10月17日(月)深夜1:19 - 2:14の『登龍門 ニューカマーズ』枠で、『カルトQ2005〜誇り〜(北の国から編)』が放送された。
- 2007年1月4日には、スカイパーフェクTV!において、カルトQをもじった『CLカルチョQ!』なる番組が放送された。司会はうじき。カルトQの雰囲気そのままに、UEFAチャンピオンズリーグに関するマニアックな知識を競うクイズ番組。優勝者にはUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦チケットがプレゼントされた。
ゲームソフト
- 1993年5月28日にPCエンジンのゲームソフト『クイズキャラバン カルトQ』が発売されている(ハドソン(現・KONAMI)、SUPER CD-ROM²、5,800円)。
スタッフ
カルトQ 問題作成委員会
- 構成:大田一水
- 問題作成:マンダラハウスほか
- 編集・MA:アートプラザ1000
- ディレクター:小島俊一(4/g)、黒河博之(4/g)
- プロデューサー:加藤友和(フジテレビ)/阿部恒久(4/g)、島田大輔(4/g)
- 制作協力:4/g(フォーグラムビジュアルデパートメント)
- 制作著作:フジテレビ
補足
ネット局の鹿児島テレビでは、本番組のプライムタイム昇格後、当時日曜 22:30 - 23:00の放送枠が日本テレビ系時差ネット枠のため、30分遅れの23:00 - 23:30に放送。なお、提供スポンサーのCMもフジテレビと同じ物だった。
脚注
- ↑ この時は、未ネットの系列局向けに番組冒頭で番組内容説明も兼ねて過去放送分のごく一部が、ダイジェストとして放送された。
外部リンク
- 広報ページ:カルトQ テンプレート:リンク切れ - フジテレビ721+739
- ニューカマーズ 2005年10月17日放送 カルトQ2005〜誇り〜 - フジテレビ