スティーヴン・スピルバーグ
テンプレート:ActorActress スティーヴン・アラン・スピルバーグ(テンプレート:Lang-en-short, 1946年12月18日 - ) は、アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー。アメリカ映画アカデミー会員。大英帝国勲章 (KBE) 受章。
経歴
オハイオ州シンシナティでウクライナ系ユダヤ人[1]の家庭に生まれ、アリゾナ州に育つ。古い資料では1947年生まれとなっているが、これはスピルバーグが長年1947年生まれと偽ってきたためで、1946年生まれが正しい。Spielberg(シュピールベルク)というドイツ語の姓は直訳すると「芝居山」という意味で、祖先が17世紀に居住していたオーストリアの町の名前に由来する。英語訳では「Playmount」となり、彼が若い頃の映画製作の社名にしていた。父のアーノルド・スピルバーグ (1917 - ) は電気技師、母のリア・アドラーはコンサートピアニスト(後に、レストラン経営者となり、ロサンゼルスで“The Milk Way”というユダヤの乳製品料理のレストランを始める)であった[2]。
父の仕事の都合上、引っ越しが多かったという。ユダヤ人であったほか、ディスレクシア(失読症もしくは難読症、学習障害の一種)のために同級生より読み書きを修得する速度が遅く、このためいじめも受けたこともあった[3]。両親は離婚しており、これが後の作品に大きな影響を及ぼすことになる。
初めて観た映画は5歳の頃に鑑賞した『地上最大のショウ』。幼い頃から8ミリカメラで自主的に映画を製作する。きっかけは13歳の頃、家族旅行の際に父親から8ミリカメラを渡され撮影係を頼まれたためだという。スタンリー・キューブリック、デヴィッド・リーン、黒澤明、アルフレッド・ヒッチコック、『ゴジラ』など様々な映画の影響をうけるが、特にディズニー映画は初期の彼の作品にさまざまな影響を与えている。彼自身、雑誌のインタビューで「ウォルト・ディズニーこそ僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」と語っている。
17歳の時、アリゾナに住んでいたスピルバーグはカリフォルニアに遊びに来た際、ユニバーサル・スタジオをバスで回るツアーに参加。ツアーの途中でトイレに隠れてバスが去ってからスタジオ内を探索するという大胆な行動を行った。スタジオで映像保管係をしていたスタッフと知り合うと、3日間の通行証を作ってもらったためその3日間で人脈を作り、スタジオには顔パスで入れるようになり、通行証なしで出入りできるようになったという[4]。この頃、映画監督のジョン・フォードと出会う。
1965年からカリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて映画を専攻。この頃になると、スピルバーグは大学に通う一方で休みになるとユニバーサルへ潜り込むようになり、ついには空き部屋だった掃除小屋を自分のオフィスとして使用してユニバーサルに居候を始め、ハリウッドを出入りするようになる。その後、21歳のときに、オープニングタイトルとオプチカル効果の会社を経営しているデニス・ホフマンと知り合い、映画製作資金を提供してもらうこととなり、最初の作品「アンブリン」を完成させる。この映画がユニバーサルテレビ部門の責任者シドニー・シャインバーグの目に止まり、ユニバーサルと7年契約することとなる。
しかし、上記の契約のため大学の卒業は困難になり、1969年にカリフォルニア州立大学は中退した。後に再度入学し卒業、2002年にB.A.(学士号)を取得。なお、1999年にブラウン大学から名誉博士号を授与されている。
キャリア
1970 - 1980年代
1972年に、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。1974年に『続・激突! カージャック』で、劇場用映画監督に進出。
1975年に公開された『ジョーズ』はそれまでの『ゴッドファーザー』の記録を破り1977年に『スター・ウォーズ』に抜かれるまで世界歴代興行収入1位を記録する大ヒットとなり一流監督の仲間入りを果たす。その他ヒット作に『未知との遭遇』、『インディ・ジョーンズ』シリーズなど多数存在し、1982年の『E.T.』では2度目の世界歴代興行収入1位を記録し、1997年に『タイタニック』に破られるまで続いた。
初期の頃は、娯楽映画で評価を得ていたが、やがて様々なジャンルの映画を手がけるようになる。
また、1980年頃より、自ら監督を務めない作品でも、プロデューサーとして名を連ねることが多くなった。ただし、必ずしも製作指揮をとっていたわけではなく、製作資金を確保するために名前を貸したケースも多い(詳細は#主な製作総指揮作品を参照)。
1990 - 2000年代前半
1993年には『ジュラシック・パーク』を大ヒットさせ、同年のアカデミー賞では『シンドラーのリスト』で作品賞、監督賞を受賞する。スピルバーグは、この作品の製作に意欲的で報酬を断っている。
1994年にドリームワークスを設立。1998年に『プライベート・ライアン』で、2度目のアカデミー監督賞を受賞する。1999年4月に南カリフォルニア大学のロバート・ゼメキス・センターに50万ドルを寄付した。2001年に英国王室(エリザベス2世)より、ナイト爵を授与された。
2000年以降
ドリームワークスの経営者としての活動が多くなり、監督作品を出すペースもやや遅くなりつつある一方でプロデューサー(製作総指揮)としての活動が盛んになり、『トランスフォーマー』や『イーグル・アイ』で大ヒットを飛ばす。3年ぶりの監督作であり19年ぶりの続編となる『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』では興行的には成功したものの、ゴールデンラズベリー賞で最低リメイク及び続編賞を受賞する不名誉な結果となった。
近年では、パラマウント映画との関係が悪化するなどで契約上のトラブルが多くなり、長年温めている企画であるエイブラハム・リンカーンの映画も制作に取り掛かるまでに時間を要したが、2011年秋にようやく撮影開始となった。その後は2年間で監督作3作品を公開し、その内2作品が2年連続でアカデミー作品賞にノミネートされるなどの活躍を見せている。
2013年2月には第66回カンヌ国際映画祭の審査委員長に就任し、5月15日から26日の間で審査員長を務めた。「映画が世界共通の言語であることを長年に渡って証明し続けてきた、最も権威ある映画祭の審査委員長を務めることを大変光栄に思っている」と語っている。
2012年1月には旧約聖書に記される古代イスラエルのモーゼを描く映画『Gods and Kings』(原題)の監督にほぼ決定したと報じられたが[5]、2013年3月に降板が決定した[6]。2013年5月にはアメリカの狙撃手の実話を映画化する「American Sniper(原題)」の監督に就任したと報じられたが、8月に降板したと、Deadlineで報じられた[7]。
人物
作風・監督作品の特徴
(IMDb Steven Spielberg http://www.imdb.com/name/nm0000229/bio の翻訳転載)
- 暗いシーンの中で強烈な懐中電灯の光を使う。それはしばしば、空気中の埃や霧などで輪郭のはっきりしたビームとして描かれる。(『ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』『E.T.』)
- 画面上の人物が、画面外の何かを凝視する。(『ジュラシック・パーク』のグラント博士がブラキオサウルスをはじめて見るシーンなど)
- 太陽の映像(『インディ・ジョーンズ シリーズ』『太陽の帝国』『カラーパープル』『プライベート・ライアン』)
- 子供を何らかの危機に陥らせる。(『ジュラシック・パーク』など。)
- 第二次世界大戦に言及、引用する。(『ジョーズ』の巡洋艦インディアナポリスに関する話など。)
- ディズニーの映画、音楽、テーマパークに言及、引用する。
- 高い頻度でピアノが重要なシーンを際立たせる要素として使われる(『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』『マイノリティ・リポート』)
- 車のバックミラー越しに重要なことが描写される。
- 特殊視覚効果を多用する。一見気づかれない部分に使っていることもある。『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』以降、ほぼすべての映画を、ジョージ·ルーカスとの関係によってILMを使っている。例外的に『ターミナル』のみデジタル・イメージワークスが担当した。
- デジタルを使わず、フィルムで撮影する(同様のスタイルの監督は、マーティン・スコセッシやオリヴァー・ストーンなど。近年では『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』など例外もある)。
- 作中の家庭は離婚家庭であることが多く、父親は不在であるか、無責任なもののように描写される。「離れ離れになった家族」という構図が頻繁に登場する。これはスピルバーグ自身の両親が離婚していた体験が反映されていて、「私の映画は、両親が離婚した子供たちに向けられたものだ」と語ったこともある。
- あまりズームを使用しない(黒澤明の影響だと本人は語っている)。ただし、『E.T.』と『ジョーズ』ではアルフレッド・ヒッチコック流の「めまいズーム」を使用している。
- 異文化の登場人物間のコミュニケーション(『未知との遭遇』『アミスタッド』『E.T.』『カラーパープル』『ターミナル』)
監督作品はアクション、ロマンス、サスペンス、コメディ等様々な要素を盛り込まれ、視覚効果も駆使したヒット作が多い。1980年代半ばからよりドラマ性の強い作風に変化している。
劇場映画初監督の『続・激突! カージャック』はテレビ映画『激突!』とは本来無関係の作品であるし、脚本の検討に時間がかかるとして『ジョーズ』続篇の映画化にはタッチせず、高い収益を上げた『E.T.』は(利益が見込める)続篇を求められても拒否した。監督作『ジュラシック・パーク』は2作目ですでにあまり乗り気ではなく、3作目は監督せずプロデュースにまわった。プロデュース作品はシリーズ化されたものも多くあり、テレビでも『ER緊急救命室』が10年以上続くなど成功しているが、目下監督を手がけるシリーズは『インディ・ジョーンズ』だけ。リメイクも『トワイライトゾーン/超次元の体験』第2話、『オールウェイズ』、『宇宙戦争』と作品数は多くない。
監督としての功績
監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられる。監督作品の全米生涯興行収入は2014年現在で計41億5590万1520ドル(約4155億円)に達しており、歴代1位を記録している[8]。また、プロデュース作品の同興行収入も計67億2221万5241ドル(約6876億円)を記録していて、歴代1位である[9]。
撮影においてリハーサルをほとんど行わないなど、凄まじいほどの早撮りで、3時間近くある自身渾身の大作『プライベート・ライアン』は2か月で撮影を終えたという。また、このために多作である。製作費を安く抑えることでも知られ、製作費が1億ドルを越えたのは『マイノリティ・リポート』、『宇宙戦争』、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』、『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』。このことに関しては、ルーカスの助言が影響している[10]。
撮影機材に精通した監督としても知られている。また、多くの監督がデジタルで撮影を行っている中、彼は未だにフィルムを使用している。『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』はモーションキャプチャによるアニメーションという形となったため、監督としては初となるデジタル撮影かつ3Dでの公開となった。『戦火の馬』でもフィルム撮影でありながら、編集はAvidを用いてデジタル作業で行われた。
ダニエル・デイ=ルイスが『リンカーン』で受賞するまで、監督作の出演者はアカデミー賞演技部門ではノミネートにとどまり受賞には恵まれなかった。その一方で『太陽の帝国』のベン・スティラーやクリスチャン・ベイル、『フック』のグウィネス・パルトロウなど、駆け出しの頃にスピルバーグ作品に出演して注目された例もある。
友人
同業のジョージ・ルーカスは長年の親友かつ一番のライバルであり、ルーカスの学生時代の作品『電子的迷宮/THX 1138 4EB』を観た当時は「彼が大嫌いだった、私よりずっとうまく映画を撮るから」と、純粋な対抗心を持っていたことを打ち明けている。ルーカスとは『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ』でも一部を手伝ったことがある。『レイダース』を生んだ1977年、ハワイでの休暇で、新作『スター・ウォーズ』の失敗を確信していたルーカスは自身が受け取る『スター・ウォーズ』の収益歩合と、スピルバーグが受け取る『未知との遭遇』の収益歩合を交換しようと持ち掛けスピルバーグも了承(正確には印税の2.5%を交換)。『スター・ウォーズ』は『未知との遭遇』を超える大ヒットとなり、現在になってもスピルバーグに利益をもたらしている。また、この『スター・ウォーズ』の収益のお陰でコロンビア映画は破産を免れたという。
その他にもマーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、クリント・イーストウッドといった監督と長年の交友があり、トム・ハンクス、ハリソン・フォード、リチャード・ドレイファス、トム・クルーズなどの俳優陣と親交が深く自身の監督作にも頻繁に起用している[11]。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で長男マックスが2015年の世界で『ジョーズ19』(小説版では『ジョーズ14』)を監督しているジョークがあったが、現実ではゲームソフト『メダル・オブ・オナー』製作に一部関わったり、『ターミナル』に端役で出演したりしている。『ターミナル』にはサーシャも出演。この後『ミュンヘン』と『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』にも出演した。トム・ハンクス主演の『ビッグ』で脚本を書いたアンは実妹。もう一人の妹ナンシーと学生時代のスピルバーグ作品に参加した。また父が『プライベート・ライアン』メイキングに出演している。
常連スタッフ
スピルバーグ自身が監督する作品の製作総指揮は、初期からキャスリーン・ケネディとの連名になっており、キャストのオーディションなどにも同席する。その他、自らの監督作品には作曲家のジョン・ウィリアムズ、編集のマイケル・カーンら、多くのスタッフを継続して起用する傾向がある(製作に名を連ねているだけの場合は、現場の監督らに人選を任せる)。それは、気心が知れたスタッフなら、簡単な指示を出すだけで自分の意向に沿った仕事をしてくれるため、時間と資金の節約になるからである。
カーンは、ビデオで編集したくないというスピルバーグの意向から、ノンリニア編集を使わず極力フィルムによる編集を心がけているという[12]。2013年にはアメリカ映画編集者協会(ACE)より第63回ACEエディ賞授賞式にて、監督と編集者の関係を数10年にわたって維持してきた功績を称えられ、特別賞にあたる「ACE Golden Eddie Filmmaker of the Year賞」を授与された[13]。
撮影監督は1990年代からのヤヌス・カミンスキーとの作品が続いている。初期作品を支えた撮影監督はアレン・ダヴィオーであり、また2作で組んだヴィルモス・スィグモンドから受けた影響の大きさも語っている。
新技術に対する姿勢
テンプレート:節スタブ DVDが新メディアとして登場した際、監督、プロデューサー、俳優らによるオーディオコメンタリーの録音が盛んに行われるようになったが、スピルバーグは「コメンタリー嫌い」と公言し、自身の監督作品のDVDにコメンタリーを吹き込むことは一切なく、他のスタッフやキャストによるコメンタリーも入れさせない。その代わりに、特典映像を豊富に提供するという姿勢を取っている。
ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』で全編デジタル撮影を行ったのをきっかけに、ハリウッド業界の大勢は安価で増産もしやすいデジタル化に傾いたが、スピルバーグは慎重な態度を示した。2002年末の『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』公開時点で全米に36000以上あった劇場映画用スクリーンのうち、デジタル・スクリーンがわずか100以下しか存在しなかったというのが主な理由だが、35ミリのセルロイド・フィルムの絵を好むことでも知られるスピルバーグは、自身をラッダイト運動にたとえて「デジタル映像化は進歩とはいえない。キズなどが付かない綺麗な映像は作れても、映画製作における芸術性を損なう」「映画というのは、1人でノートパソコンで見るより、知らない者同士が映画館に集まって、一緒にチカチカする映像を見るものだ」ともコメントした[14]。
次世代DVD規格をめぐってBlu-rayとHD DVDが競合した際、スピルバーグ作品の配給元・販売元であるパラマウント映画社は後者を支持したが、スピルバーグ自身は規格争いが終息するまで待つという構えを崩さなかった。そのため、スピルバーグ監督作品は一切、HD DVD化されなかった。
アカデミー賞とヒットメーカー
1981年に「私はアカデミー賞を獲れないだろう」と発言したスピルバーグだが、1998年の『プライベート・ライアン』でアカデミー監督賞(2度目の)受賞スピーチでは「どうしても欲しかった」と語った。
『未知との遭遇』と『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で監督賞、『E.T.』で監督賞と作品賞にノミネートされたが受賞は出来ず、『カラー・パープル』では作品、脚色、主演女優賞を含む10部門にノミネートされながら全て逃し、自身は監督賞にノミネートもされないという苦い思いを味わった。1980年代はスピルバーグにとって娯楽性の高い作風からシリアス路線へと移行した時期だが、アーヴィング・G・タルバーグ賞を1987年に40歳という異例の若さで受賞した際には「オスカーが獲れないのはヒット連発に対する嫉み」という噂が立つことになった[15]。『ジュラシック・パーク』を大ヒットさせた同じ年に『シンドラーのリスト』でアカデミー監督・作品賞をダブル受賞。
『マイノリティ・リポート』と『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)、『宇宙戦争』と『ミュンヘン』(2005年)とシリアスな作品とより娯楽性の高い作品が同じ年に作られたが、3度目の受賞には至っていない。
逸話
- 親日家
親日家としても有名で、『宇宙戦争』の日本限定のCMを公開したり、自らの作品及び製作に携わった作品の予告編の前振りに出演することがある。『1941』の日本版サントラの解説によると食べ物の中で寿司が好物とのこと。テンプレート:要出典範囲とも言われる。自宅の門には日本語で「スチーブン スピルバーグ」と彫られた木製の表札が掛かっており、これは三船敏郎が『1941』に出演した際にプレゼントしたものである。2001年に『A.I.』と『鉄腕アトム』の類似性について尋ねられた際、「日本のテレビ局のインタビューを受けるまで、『鉄腕アトム』という作品の存在すら知らなかった」と答えた[16]。ただし手塚治虫とは一時親交があった。手塚治虫はテレビのインタビューで、スビルバーグ監督からもらった色紙を披露しており、そこにはサインとともに監督直筆のETが描いてあった。また手塚治虫は、自分とスピルバーグとの共通点は黒澤明監督から影響を受けていることだと述べている。
- 自ら監督・製作した映画への出演
通行人などとして、数秒カメオ出演することがある。
- 影響を受けた作品
スピルバーグが影響を受けた映画は数多く、本人曰く103本くらいあるという。また、テレビやラジオ、家族から聞いたお伽話からも影響を受けている、と語っている[17]。
映画の撮影前や製作に行き詰まったときに、もの作りの原点に立ち戻るために必ず観る映画として、『捜索者』『七人の侍』『素晴らしき哉、人生!』『アラビアのロレンス』を挙げている[18]。
特に『アラビアのロレンス』は、彼を最も映画監督になりたいと思わせた映画であると語っている。また、この映画は1962年に、ロイヤル・プレミアで公開された際には222分の上映時間であったが、その1か月後には約20分カットされ、以後も上映効率のためなどで次々と短くなっていった。しかし、スピルバーグやマーティン・スコセッシの働きかけにより、欠落部分を探し出し、監督のデヴィッド・リーン自身が最終的に216分にまでに編集し、1989年に〈完全版〉として再上映させることに成功した(復元には2年を費やし、費用が掛かりすぎたため、一時は完成も危ぶまれた)。その後、2001年にリリースされたDVDには、特典としてスピルバーグ自身が『アラビアのロレンス』を語るという映像を収録し、「A miracle of a film」という賛辞をDVDパッケージにコメントしている。また、『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』では、若きインディアナ・ジョーンズは、1908年エジプトにて、T・E・ロレンス(『アラビアのロレンス』の主人公)と実際に出会っている。ロレンスはインディにとっても、考古学者としての先輩であり、旧友であったという。
私生活
妻と子供
1985年から89年までは女優のエイミー・アーヴィングと結婚していた。1989年の離婚調停で、裁判官が弁護士無しでナプキンに書かれた婚前契約書を無効としたため、アーヴィングはスピルバーグから1億ドルを受け取った。彼らの離婚は史上3番目に高額なセレブ離婚と報じられている[19]。離婚後もスピルバーグとアーヴィングは息子のマックスの親権を共有している。
その後スピルバーグは『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』に出演した女優のケイト・キャプショーとの関係を深めていった。1991年10月12日に2人は結婚し、キャプショーはユダヤ教に改宗した[20]。
スピルバーグとキャプショーの子供は以下の7名:
- ジェシカ・キャプショー(Jessica Capshaw, 1976年8月9日 - ) - 娘。ケイト・キャプショーとその前夫ロバート・キャプショーとの子。
- マックス・サミュエル・スピルバーグ(Max Samuel Spielberg, 1985年6月7日 - ) - 息子。スピルバーグとその前妻エイミー・アーヴィングとの子。
- セオ・スピルバーグ(Theo Spielberg, 1988年 - ) - 息子。キャプショーが結婚前に出産[21]。
- サーシャ・スピルバーグ(Sasha Rebecca Spielberg, 1990年5月4日 - ) - ロサンゼルスで生まれる[22]。
- ソーヤー・アヴェリー・スピルバーグ(Sawyer Avery Spielberg, 1992年3月10日 - )[23]。
- ミカエラ・ジョージ(Mikaela George, 1996年2月28日 - ) - 養子。
- デストリー・アリーン・スピルバーグ(Destry Allyn Spielberg, 1996年12月1日 - )
資産
『フォーブス』誌によると、2009年時点でのスピルバーグの個人資産は30億ドルである[24]。
2010年2月、『ヴァニティ・フェア』誌が「2009年に最も稼いだハリウッドの稼ぎ手」のランキングを発表し、8,500万ドルを稼いで2位にランクインした。この収入はユニバーサルスタジオからの著作権料や今までの作品のDVDのロイヤリティの額が半分以上を占めている[25]。同年12月、『フォーブス』誌による「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」では、1億ドルを稼いで7位にランクインした[26]。2011年2月、『ヴァニティ・フェア』誌が「2010年にハリウッドで最も稼いだ人たち」のランキングを発表し、2010年のギャラが推定8,000万ドルになることがわかった[27]。
認識
2002年、ソルトレイクシティで行われた冬季オリンピックの開会式ではオリンピック旗手の8人のうち1人を務めた。2006年、『テンプレート:仮リンク』はテンプレート:仮リンクで最も影響力のある人物の一人としてスピルバーグを挙げた。また『タイム』ではテンプレート:仮リンクの一人に選ばれた。20世紀末、『ライフ』は彼の世代で最も影響力のある人物としてスピルバーグの名を挙げた[28]。
政治的言動
- スピルバーグはアメリカ民主党の候補者を支援しており、党と候補者に80万ドル以上の寄付を行っている。ビル・クリントン元大統領とは友人であり、合衆国のミレニアムの祭典の際には協力している。彼はジョン・ウィリアムズ作曲で、『The American Journey』という題の18分の映画を監督している。それは1999年12月31日、ワシントンD.C.のリンカーン記念館のナショナル・モールで行われた米国ミレニアム祝祭で上映された[29]。
- 2001年、テンプレート:仮リンクが反同性愛のスタンスを取っていることを理由に、同団体の全国諮問委員会のメンバーを辞任した[30][31]。
- ハリウッドでの友人でもある共和党のアーノルド・シュワルツェネッガーのカリフォルニア州知事再選の際にはジェフリー・カッツェンバーグやハイム・サバンと共に支持した。
- 2006年のレバノン侵攻の間、イスラエルに100万ドルの寄付をしたため、翌2007年にアラブ連盟がスピルバーグの映画をボイコットすることとなった[32][33]
- 2007年2月20日、スピルバーグ、カッツェンバーグ、デヴィッド・ゲフィンはバラク・オバマの基金パーティに民主党員を招待した[34]。しかしながら2007年6月14日、スピルバーグは大統領選ではヒラリー・クリントンを支援した(カッツェンバーグとゲフィンはオバマを支持し続けた)。だが2008年8月、スピルバーグはオバマのためのビデオを監督し、バラク・オバマ大統領就任式にも出席した。
- 2008年2月、ダルフール紛争での中国政府の対応に不満を持ったスピルバーグは同年の北京オリンピックの芸術顧問を降板した[35]。スピルバーグは「これ以上この仕事を続けるのは私の良心が耐えられない」という声明を発表した。また、「スーダン政府には継続しているこれら犯罪行為の責任があるが、国際社会、特に中国はもっと手を打つべきだ」とも述べた[36]。国際オリンピック委員会(IOC)はスピルバーグの決断を尊重したが、IOC会長のジャック・ロゲはインタビューで「(スピルバーグは)確かに創造性の面で開幕式へ多くものを提供しただろう。」と認めた[37]。スピルバーグの声明は中国当局と国営メディアから「不公平」であると批判された[38]。
- 2008年9月、スピルバーグ夫妻は同性結婚を支持するため、「No on Proposition 8」キャンペーン・ファンドへ10万ドルの寄付を行った。これはブラッド・ピットと同額である[39]。
趣味
スピルバーグは熱心な映画ファンとして知られており、撮影を行っていない時期には「映画パーティ」を行っている[40]。
熱心なコンピュータゲームプレイヤーとしても知られ、1974年に『ジョーズ』を撮っていた頃にはポンで遊んでいた。Wii、PlayStation 3、PlayStation Portable、Xbox 360を所有しており、『コール オブ デューティ4 モダン・ウォーフェア』や『メダル・オブ・オナー』といったファーストパーソン・シューティングを楽しんでいる。ゲームにテンプレート:仮リンクを使うことに関しては批判的であり、ゲームプレイ中に自然に話の流れを作ることが今後のゲーム開発者の課題だと考えている[41]。『シェンムー』を高く評価したことで知られ、ディレクターである鈴木裕にサインを求めたことがある。また、2006年5月10日から12日にかけて開催されたE3では、ゲームデザイナーの宮本茂と『Wii Sports』のテニス対決をし、この模様は、AP通信が伝え、全世界に配信された。
犯罪被害
2001年、スピルバーグは陰謀論者で元ソーシャル・ワーカーの女からストーカー被害を受けた。女は洗脳攻撃を受けていると主張し、スピルバーグとジェニファー・ラブ・ヒューイットを非難していた。女はストーキングの罪を認める前に精神病院に予防拘禁され、その後スピルバーグとヒューイットに近づかないという条件で釈放された[42][43][44][45]。
2002年の白人至上主義者によるテロ計画では攻撃対象の一人にされていた[46]。
また、ジョナサン・ノーマンが1997年6月と7月の2度にわたってパシフィック・パリセーズのスピルバーグの自宅に侵入を試みたとして逮捕された。ノーマンはカリフォルニア州で25年の懲役刑に処された。スピルバーグは裁判で「ノーマンがもし実際に私に遭遇していたら、彼は私をレイプするか殺していただろう」と証言した[47][48]。
発達障害
2012年10月、ディスレクシアであることを明かした[49]。その際の記事によると過去にはアスペルガー症候群との診断も受けたらしい[50]。
フィルモグラフィ
メジャースタジオのうち、20世紀フォックスと版権分割以後のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM。旧ユナイテッド・アーティスツ時代を含む)では全く仕事をしていない。版権分割以前のMGMについても『ポルターガイスト』の1作品のみ。
監督作品
- 刑事コロンボ/構想の死角(Columbo: Murder by the Book, 1971年)(テレビ映画)[51]
- 激突!(Duel, 1971年)(テレビ映画)
- 続・激突! カージャック(The Sugarland Express, 1974年)
- ジョーズ(Jaws, 1975年)
- 未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind, 1977年)
- 1941(1941, 1979年)
- レイダース/失われたアーク《聖櫃》(Raiders of the Lost Ark, 1981年)
- E.T.(E.T. the Extra-Terrestrial, 1982年)
- トワイライトゾーン/超次元の体験(Twilight Zone: The Movie, 1983年)(監督4名によるオムニバス作品の第2話)
- プロローグ 本当に怖いものジョン・ランディス監督作品
- 第1話 偏見の恐怖ジョン・ランディス監督作品
- 第2話 真夜中の遊戯スティーヴン・スピルバーグ監督作品
- 第3話 こどもの世界ジョー・ダンテ監督作品
- 第4話 2万フィートの戦慄ジョージ・ミラー監督作品
- インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説(Indiana Jones and the Temple of Doom, 1984年)
- 世にも不思議なアメージング・ストーリー(Amazing Stories, 1985年)
- 最後のミッション 出演:ケヴィン・コスナー/キーファー・サザーランド
- ゴースト・トレイン 出演:ドリュー・バリモア/ルーカス・ハース
- カラー・パープル(The Color Purple, 1985年)
- 太陽の帝国(Empire of the Sun, 1987年)
- インディ・ジョーンズ/最後の聖戦(Indiana Jones and the Last Crusade, 1989年)
- オールウェイズ(Always, 1989年)
- フック(Hook, 1991年)
- ジュラシック・パーク(Jurassic Park, 1993年)
- シンドラーのリスト(Schindler's List, 1993年)
- ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク(The Lost World: Jurassic Park, 1997年)
- アミスタッド(Amistad, 1997年)
- プライベート・ライアン(Saving Private Ryan, 1998年)
- A.I.(Artificial Intelligence: AI, 2001年)
- マイノリティ・リポート(Minority Report, 2002年)
- キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(Catch Me If You Can, 2002年)
- ターミナル(The Terminal, 2004年)
- 宇宙戦争(War of the Worlds, 2005年)(H・G・ウェルズ原作宇宙戦争の再映画化)
- ミュンヘン(Munich, 2005年)
- インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull, 2008年)
- タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密(The Adventures of Tintin: Secret of the Unicorn, 2011年)
- 戦火の馬(War Horse, 2011年)
- リンカーン(Lincoln, 2012年)
- タイトル未定、トム・ハンクス主演の冷戦スリラー (2015年)
- The BFG (2016年)
- Robopocalypse(未定)[52]
製作作品
- E.T.(E.T.: The Extra-Terrestrial, 1982年)
- ポルターガイスト(Poltergeist, 1982年)
- トワイライトゾーン/超次元の体験(Twilight Zone: The Movie, 1983年)
- カラー・パープル(The Color Purple, 1985年)
- 太陽の帝国(Empire of the Sun, 1987年)
- オールウェイズ(Always, 1989年)
- アメリカ物語2/ファイベル西へ行く(An American Tail: Fievel Goes West, 1991年)
- シンドラーのリスト(Schindler's List, 1993年)
- アミスタッド(Amistad, 1997年)
- プライベート・ライアン(Saving Private Ryan, 1998年)
- A.I.(Artificial Intelligence: AI, 2001年)
- キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(Catch Me If You Can, 2002年)
- ターミナル(The Terminal, 2004年)
- ミュンヘン(Munich, 2005年)
- SAYURI(Memoirs of a Geisha, 2005年)
- 父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers, 2006年、監督:クリント・イーストウッド)
- 硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima, 2007年、監督:クリント・イーストウッド)
- SUPER8/スーパーエイト(Super 8, 2011年)
- タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密(The Adventures of Tintin: Secret of the Unicorn, 2011年)
- 戦火の馬(War Horse, 2011年)
- リンカーン(Lincoln, 2012年)
- The Hundred-Foot Journey(2014年)
- タイトル未定、トム・ハンクス主演の冷戦スリラー (2015年)
- The BFG (2016年)
- The Adventures of Tintin: Prisoners of the Sun(2016年)
- シカゴ7裁判(The Trial of the Chicago 7, 未定)
- 地球最後の日(When Worlds Collide, 未定)
製作総指揮作品
スピルバーグは多くの監督作品を手掛けているが、実際には製作総指揮作品の方が圧倒的に多い。「製作総指揮」の明確な仕事の内容は決まってはおらず、スピルバーグやジョージ・ルーカスは製作総指揮作品でも制作に参加することがある。例として、『トランスフォーマー』では主演のシャイア・ラブーフを始めとして、ほとんどのキャスティングを行い、監督をマイケル・ベイに頼んだのも彼自身である。特に、自ら経営するアンブリンやドリームワークスの制作作品は多数プロデュースしている。また、クレジットに名前は載っていないが、『ディスタービア』の監督にD・J・カルーソーを選んだのもスピルバーグである[53]。
- 抱きしめたい(I Wanna Hold Your Hand, 1978年)
- ユーズド・カー(Used Cars, 1980年)
- Oh! ベルーシ絶体絶命(Continental Divide, 1981年)
- グレムリン(Gremlins, 1984年)
- ヤング・シャーロック ピラミッドの謎(Young Sherlock Holmes Pyramid of Fear, 1985年)
- ファンダンゴ(Fandango, 1985年)
- バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future, 1985年)
- グーニーズ(The Goonies, 1985年)
- 世にも不思議なアメージング・ストーリー(Amazing Stories, 1986年)
- マネー・ピット(The Money Pit, 1986年)
- アメリカ物語(An American Tail, 1986年)
- ニューヨーク東8番街の奇跡*Batteries not Included(-, 1987年)
- ハリーとヘンダスン一家(Harry and the Hendersons, 1987年) - クレジットなし
- インナー・スペース(Inner Space, 1987年)
- タイム・リミットは午後3時(Three O'Clock High, 1987年)
- ロジャー・ラビット(Who Framed Roger Rabbit, 1988年)
- リトルフットの大冒険/謎の恐竜大陸(The Land Before Time, 1988年)
- 晩秋(Dad, 1989年)
- バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2(Back to the Future Part II, 1989年)
- 夢(Dreams, 1990年)(日本 / アメリカ)
- バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3(Back to the Future Part III, 1990年)
- ジョー、満月の島へ行く(Joe Versus The Volcano, 1990年)
- グレムリン2 新・種・誕・生(Gremlins 2: The New Batch, 1990年)
- アラクノフォビア(Arachnophobia, 1990年)
- ローラー・コースター・ラビット(Roller Coaster Rabbit, 1990年)
- A Wish for Wings That Work (1991年)
- ケープ・フィアー(Cape Fear, 1991年) - クレジットなし
- A Brief History of Time (1991年)
- 恐竜大行進(WE're BACK! A DINOSAUR's STORY, 1994年)
- バルト(Balto, 1995年)
- キャスパー(Casper, 1995年)
- ツイスター(Twister, 1996年)
- メン・イン・ブラック(Men in Black, 1997年)
- ディープ・インパクト(Deep Impact, 1998年)
- マスク・オブ・ゾロ(The Mask of Zorro, 1998年)
- チキンラン(Chicken Run, 2000年)
- ミート・ザ・ペアレンツ(Meet The Parents, 2000年)
- バガー・ヴァンスの伝説(The Legend of Bagger Vance, 2000年)
- フリントストーン2/ビバ・ロック・ベガス(The Flintstones In Viva Rock Vegas, 2000年)
- シュレック(Shrek, 2001年)
- ジュラシック・パークIII(Jurassic Park III, 2001年)
- メン・イン・ブラック2(Men in Black II, 2002年)
- レジェンド・オブ・ゾロ(The Legend of Zorro, 2005年)
- モンスター・ハウス(Monster House, 2006年)
- トランスフォーマー(Transformers, 2007年)
- イーグル・アイ(Eagle Eye, 2008年)
- トランスフォーマー/リベンジ(Transformers: Revenge of the Fallen, 2009年)
- ラブリーボーン(The Lovely Bones, 2009年)
- ヒア アフター(Hereafter, 2010年)
- トゥルー・グリット(True Grit, 2010年)
- カウボーイ & エイリアン(Cowboys & Aliens, 2011年)
- トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン(Transformers: Dark of the Moon, 2011年)
- リアル・スティール(Real Steel, 2011年)
- ロック&キー(Locke & Key, 2011年)(テレビ映画)
- メン・イン・ブラック3(Men in Black III, 2012年)
- トランスフォーマー/ロストエイジ Transformers: Age of Extinction (2014年)
- Jurassic World (2014年)
- Real Steel 2 (未定)
テレビシリーズ
製作総指揮を担当したテレビシリーズ作品。
- 世にも不思議なアメージング・ストーリー( Amazing Stories, 1985 - 1987年)(監督, 脚本も担当したエピソードもある)
- タイニー・トゥーンズ(Tiny Toon Adventures, 1990年 - 1992年, 1994年, 1995年)(アニメ)
- アメリカ物語 ファイベルの冒険(Fievel's American Tails, 1992年)(アニメ, クレジットなし)
- シークエスト(SeaQuest DSV, 1993年 - 1995年)
- アニマニアックス(Animaniacs, 1993年 - 1999年)(アニメ)
- ピンキー&ブレイン(Pinky and the Brain, 1995年 - 2000年)(アニメ)
- Pinky, Elmyra & the Brain(Pinky, Elmyra & the Brain, 1998年 - 1999年)(アニメ)
- Freakazoid! (1995 - 1997年)(アニメ)
- ハイ・インシデント/警察ファイルJ High Incident (1996 - 1997年)
- スティーブン・スピルバーグのトゥーンシルバニア(Toonsylvania, 1998年)(アニメ)
- バンド・オブ・ブラザース(Band of Brothers, 2001年)
- TAKEN テイクン(Taken, 2002年)
- Into the West(Into the West, 2005年)
- ユナイテッド・ステイツ・オブ・タラ(United States of Tara, 2009 - 2011年)
- フォーリング スカイズ(Falling Skies, 2011 - 2012年)
- Terra Nova 〜未来創世記(Terra Nova, 2011年)
- ザ・パシフィック(The Pacific, 2010年)
- SMASH(Smash, 2012年)
- THE RIVER 呪いの川 (The River, 2012年)
- アンダー・ザ・ドーム (Under the Dome, 2013年)
- Extant (Extant, 2014年)
- World of Halo (未定)
脚本作品
スピルバーグは多くの作品を監督・プロデュースしているが、その一方で、脚本を行った作品は非常に少ない。また、『A.I.』はスタンリー・キューブリックの遺した原案のトリートメントを基に書いたもので、あまり“脚本家”とは肩書きされない。しかし、クレジットされていなくとも脚本の作業に参加することはあるという[54]。
- 未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind, 1977年)
- ポルターガイスト(Poltergeist, 1982年)
- A.I.(Artificial Intelligence: AI, 2001年)
カメオ出演
- ブルースブラザーズ The Blues Brothers (1980年)
- インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 Indiana Jones and the Temple of Doom (1984年)
- グレムリン Gremlins (1984年)
- バニラ・スカイ Vanilla Sky (2001年)
- オースティン・パワーズ ゴールドメンバー Austin Powers in Goldmember (2002年)
- ER緊急救命室レトロスペティブル(2009年)※インタビュー出演
- 宇宙人ポール Paul (2011年) 声の出演
受賞とノミネート
賞 | 年 | 部門 | 作品名 | 結果 |
---|---|---|---|---|
アカデミー賞 | 1977年 | 監督賞 | 『未知との遭遇』 | テンプレート:Nom |
1981年 | 監督賞 | 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』 | テンプレート:Nom | |
1982年 | 監督賞 | 『E.T.』 | テンプレート:Nom | |
作品賞 | 『E.T.』 | テンプレート:Nom | ||
1985年 | 作品賞 | 『カラーパープル』 | テンプレート:Nom | |
1986年 | アービング・G・タルバーグ賞 | - | テンプレート:Won | |
1993年 | 監督賞 | 『シンドラーのリスト』 | テンプレート:Won | |
作品賞 | 『シンドラーのリスト』 | テンプレート:Won | ||
1998年 | 監督賞 | 『プライベート・ライアン』 | テンプレート:Won | |
作品賞 | 『プライベート・ライアン』 | テンプレート:Nom | ||
2005年 | 監督賞 | 『ミュンヘン』 | テンプレート:Nom | |
作品賞 | 『ミュンヘン』 | テンプレート:Nom | ||
2006年 | 作品賞 | 『硫黄島からの手紙』 | テンプレート:Nom | |
2011年 | 作品賞 | 『戦火の馬』 | テンプレート:Nom | |
2012年 | 作品賞 | 『リンカーン』 | テンプレート:Nom | |
監督賞 | 『リンカーン』 | テンプレート:Nom | ||
英国アカデミー賞 | 1975年 | 監督賞 | 『ジョーズ』 | テンプレート:Nom |
1978年 | 監督賞 | 『未知との遭遇』 | テンプレート:Nom | |
脚本賞 | 『未知との遭遇』 | テンプレート:Nom | ||
1982年 | 監督賞 | 『E.T.』 | テンプレート:Nom | |
作品賞 | 『E.T.』 | テンプレート:Nom | ||
1985年 | アカデミー友愛賞 | - | テンプレート:Won | |
1993年 | 監督賞 | 『シンドラーのリスト』 | テンプレート:Won | |
作品賞 | 『シンドラーのリスト』 | テンプレート:Won | ||
1998年 | 監督賞 | 『プライベート・ライアン』 | テンプレート:Nom | |
作品賞 | 『プライベート・ライアン』 | テンプレート:Nom | ||
2011年 | アニメ映画賞 | 『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』 | テンプレート:Nom | |
カンヌ国際映画祭 | 1974年 | パルム・ドール | 『続・激突!/カージャック』 | テンプレート:Nom |
脚本賞 | 『続・激突!/カージャック』 | テンプレート:Won | ||
ヴェネツィア国際映画祭 | 1993年 | 名誉金獅子賞・特別功労賞 | - | テンプレート:Won |
2001年 | Future Film Festival Digital Award | 『A.I.』 | テンプレート:Won | |
放送映画批評家協会賞 | 1998年 | 監督賞 | 『プライベート・ライアン』 | テンプレート:Won |
2002年 | 監督賞 | 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』、『マイノリティ・リポート』 | テンプレート:Won | |
2005年 | 監督賞 | 『ミュンヘン』 | テンプレート:Nom | |
2011年 | 監督賞 | 『戦火の馬』 | テンプレート:Nom | |
2012年 | 監督賞 | 『リンカーン』 | テンプレート:Nom |
- 全米映画批評家協会賞
- 1982年: 監督賞 / 『E.T.』
- 1993年: 監督賞 / 『シンドラーのリスト』
- ロサンゼルス映画批評家協会賞
- 1982年: 監督賞 / 『E.T.』
- ゴールデングローブ賞
- 1983年: 作品賞 / 『E.T.』
- 1993年: 監督賞・作品賞 / 『シンドラーのリスト』
- 1998年: 監督賞・作品賞 / 『プライベート・ライアン』
- 2007年: セシル・B・デミル賞(生涯功労賞)
- 2008年: セシル・B・デミル賞
- レジオンドヌール勲章
- 2004年: シュヴァリエ[55]
- ビジュアル・エフェクト・アワード
- 2008年: 生涯功労賞
脚注
関連文献
- 猪狩哲郎著『スピルバーグ ハリウッド魔宮の伝説』竹書房、1986年5月、ISBN 4884750179
- フランク・サネッロ著、中俣真知子訳 『はじめて書かれたスピルバーグの秘密』 学習研究社、1996年11月、ISBN 4-05-400714-7
- 原著: Frank Sanello, Spielberg: the Man, the Movies, the Mythology, Taylor Publishing Co., Mar 1996, ISBN 0878339116, Sep 2002, ISBN 0878331484
- ジョン・バクスター著、野中邦子訳 『地球に落ちてきた男 スティーブン・スピルバーグ伝』 角川書店、1998年1月、ISBN 4-04-791289-1
- 原著: John Baxter, Steven Spielberg: The Unauthorized Biography, HarperCollins, May 1997, ISBN 0002555875, Trafalgar Square, Feb 1998
- 橋本勝著『スピルバーグ』(『For beginnersシリーズ』88)、現代書館、2000年2月、ISBN 4768400884
- 年譜あり
- 筈見有弘著『スピルバーグ』(講談社現代新書)、講談社、1987年11月、ISBN 4-06-148875-9
- スピルバーグ関係ブックガイド・フィルモグラフィ: p202 - 208
- ダグラス・ブロード著、栗山微笑子訳『スティーブン・スピルバーグ シネマの天才』(『シネマ・スター・ライブラリー』)、シンコー・ミュージック、1995年11月、ISBN 4401615271
- 原著: Douglas Brode, The films of Steven Spielberg, Citadel Trade, Jan 1995, ISBN 0806515406, Oct 2000, ISBN 0806519517
- アンドリュー・ユール著、高橋千尋訳『スティーブン・スピルバーグ 人生の果実』プロデュース・センター出版局、1999年10月、ISBN 4938456540
- 原著: Andrew Yule, Steven Spielberg: Father to the Man,Little Brown and Company, 05 Dec 1996,
Andrew Yule, Steven Spielberg: Father of the Man: His Incredible Life, Tumultuous Times and Record-Breaking Movies, Warner Little Brown & Co Ltd, Nov 2002, ISBN 0751512907
- 原著: Andrew Yule, Steven Spielberg: Father to the Man,Little Brown and Company, 05 Dec 1996,
- アンドリュー・アルバネーゼ/ブランドン・トリスラー編 佐々田雅子訳『グラデュエーションデイ~未来を変える24のメッセージ』、2007年4月、ISBN 9784903825007
- スピルバーグのスピーチ収録
関連項目
外部リンク
テンプレート:スティーヴン・スピルバーグ監督作品 テンプレート:アカデミー賞監督賞 1981-2000 テンプレート:アービング・G・タルバーグ賞 テンプレート:Normdaten
- ↑ Steven Spielberg: "I'm Russian. But that doesn't explain a thing." //KP.RU
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ スピルバーグが学習障害であると診断されたのは60歳になってからのことである。テンプレート:Cite news
- ↑ 「映像の魔術師 スピルバーグ自作を語る」
- ↑ スピルバーグ監督、旧約聖書のモーゼを描く新作監督にほぼ決定!
- ↑ アン・リー、スピルバーグが蹴ったモーセを題材にした新作映画で監督に!?
- ↑ スピルバーグ監督、ブラッドリー・クーパー主演映画から降板
- ↑ マイケル・ベイ「トランスフォーマー」で全米生涯興行収入ランキング更新!
- ↑ Box Office Mojo - People Index
- ↑ http://homepage3.nifty.com/gachinkobros/badget-a.html
- ↑ [1]
- ↑ 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』や『ターミナル』ではエンドロールに"edited on moviola"(ムヴィオラで編集=ノンリニア編集は使用せず)と明記している。
- ↑ スティーブン・スピルバーグ、米編集者組合から特別賞 : 映画ニュース - 映画.com
- ↑ The Economist - A movie-making Luddite: Is Steven Spielberg right to fear technological change in the movie business?(2002年12月19日付)を参照。なお、同記事では、デジタル映画は安価で、かつ輸送・増産しやすいかわりに違法コピーも簡単に作れると指摘し、また『A.I.』や『マイノリティ・リポート』は、技術的変化に懐疑的な視線で描かれているとも分析している。
- ↑ あからさまに「彼(スピルバーグ)は充分成功しているから受賞の必要なし」と発言するジョン・ヒューストンの例もある。
- ↑ DVD映画ポータル - スティーブン・スピルバーグ監督 サテライト記者会見 「A.I.」(2001年6月19日、帝国ホテルにて)
- ↑ http://cinematoday.jp/page/A0001432
- ↑ FilmMakers.com、“Steven Spielberg”、2007年12月16日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ "Spielberg movies banned by Arab League, WikiLeaks cable reveals." Haaretz, 18 December 2010.
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ Obama excites entertainment communityテンプレート:リンク切れ By JOCELYN NOVECK, AP National Writer
- ↑ テンプレート:Cite news テンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite video
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ コロンボ・シリーズでは「愛情の計算」で犯行解明に一役買う天才少年の名前が「スティーヴン・スペルバーグ」になっていたり、「予期せぬシナリオ」(「狂ったシナリオ」とも)では若い頃のスピルバーグそっくりの映画少年が事件にかかわる。
- ↑ Fleming, Mike (2010-10-22). "Steven Spielberg Commits To Next Direct 'Robopocalypse'". Deadline.com. http://www.deadline.com/2010/10/steven-spielberg-commits-to-direct-robopocalypse/. Retrieved 2010-10-22.
- ↑ 『ディスタービア』DVDの特典映像より
- ↑ 『A.I.』DVD特典
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2014年2月3日中日新聞朝刊27面