石橋貴明
テンプレート:Infobox お笑い芸人 石橋 貴明(いしばし たかあき、1961年(昭和36年)10月22日 - )は、日本のお笑いタレント、歌手。
目次
概要
- 出身 : テンプレート:Flagicon 日本・東京都板橋区成増
- 身長 : 182cm
- 体重 : 74kg
- 趣味 : 野球、ゴルフ、映画鑑賞、酒、料理
- 好きな食べ物 : 焼肉
- 嫌いな食べ物 : ラッキョウ、ツナマヨおにぎり[1]
- 好きな漫画 : 1・2の三四郎(好きな漫画ベスト3には入る)
- 尊敬する人物 : 伊集院静[2]
- お笑いコンビ『とんねるず』の大柄な方でリーダー、相方は木梨憲武。
- 芸能事務所・アライバル代表取締役社長兼タレント。
- 前職はホテルマンで、センチュリーハイアット東京に勤務していた[3]。
- 結婚歴は2回で子供は計4人。前妻である元モデルのまさよとの間の娘は女優の石橋穂乃香[4]。妻は女優の鈴木保奈美。
- 愛称 : 「タカさん」「タカちゃん」「イシバシ」「タカアキ」など。後輩芸人からは基本的に「タカさん,貴明さん」と呼ばれている。20歳代の頃は主に女性ファンから「タカちゃん」と呼ばれていた。また、「バシタカ」と呼ばれた時期もある。相棒の木梨憲武、水谷豊、古舘伊知郎、堺正章、モト冬樹、秋元康、和田アキ子らは「タカアキ」と呼ぶ(木梨はフルネームで、堺はタカ、秋元は石橋くんと呼ぶことも)。またヒロミは「石橋くん」、勝俣州和は「貴明さん」と呼ぶのが基本だが、石橋の振る舞いに怒り興奮すると2人とも「イシバシ!!」と呼び捨てにすることも。SMAPの中居正広も、通常は「タカさん」、たまに「石橋くん」と呼んでいるが、テンションが上がると「イシバシ!!」と呼ぶことも。飲み友達で、プライベートで親交が深いコージー冨田もテレビでは「石橋貴明」とフルネームで呼ぶことが多い。次長課長の河本準一のみ、テレビ番組中で「ジジィ」・「ジィジ」と呼ぶ。長い交流がある藤井フミヤ、東国原英夫、定岡正二らは「タカちゃん」と呼ぶ。美空ひばりはタカと呼ぶ。
略歴
東京都葛飾区の裕福な家庭に生まれるも、小学一年のとき、父・武夫の経営する「石橋化成」が倒産。 板橋区成増へ移住(夜逃げ)し、更に父が蒸発。それ以降は極端な貧乏生活を強いられる。 素人時代にテレビに出て様々な賞をとったのは、 自分が頑張って賞金をもらい、その様子が父の目に留まれば帰って来てくれるとの考えがあったという。 現在もその延長である旨を書籍で語っている [5]。
小学6年生の時『アフタヌーンショー』の「ちびっ子ものまね大会」に出演。その後、中学生・高校生時代には『ぎんざNOW!』など素人参加番組に多く出演した。この頃からお笑いタレントとしての道を意識し始める。
帝京高等学校進学後は、7歳上の兄の影響で野球を始め、野球部に入部する。右投左打で、1年秋に二塁手から投手に転向するが、控え投手だった。「帝京の秘密兵器」として、投手または二塁手として出場し、甲子園を目指したが、秘密のまま終わる(スポーツ番組でよくネタにする)。帝京高校野球部が石橋が2年生の時に、選抜大会に出場しているが、ベンチ入りは叶わなかったようである。交遊のある高校時代の2年後輩にヤクルトスワローズ元投手の伊東昭光がいる。
高校の同級生の木梨憲武と貴明&憲武を結成。所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』に出場するも、あと一息のところで賞金72万円を獲り逃がす。その後も木梨と共にコンビとして『お笑いスター誕生』など素人参加番組に出演。単身で『TVジョッキー』の「ザ・チャレンジ」という素人参加コーナーにも出演し、後に木梨も単身で同コーナーに出演をしている。
高校卒業後は「元々サービスするのは好き」という自分の性格と父親の勧めもあり、「ホテル センチュリーハイアット東京(現・ハイアットリージェンシー東京)」に就職。
就職後も、木梨と共に素人参加番組に挑戦を続ける。就職してから約4か月後、センチュリーハイアット東京を辞め、木梨と「とんねるず」を結成してプロデビュー。デビューに当たっては、父親に「大学に行ったつもりで4年間だけチャンスが欲しい」と強く申し出たという。
この時期、友人の近藤伸明(現・ブラザー・コーン)に紹介してもらい、あのねのねに弟子入りを志願するが断られている。また佐藤B作が主催した劇団東京ヴォードヴィルショーに入団を志願するも、佐藤から「俺は君の歳の頃にヴォードヴィルを造ったんだ。自分でやらなきゃダメだよ。」と諭されこちらも断念した。また高校卒業前には、担任教師から卒業後の進路としてお笑い芸人への道を薦められ、その気があれば毒蝮三太夫を紹介すると言われたが、「毒蝮三太夫の弟子は全員芸名にヘビの名前を入れなければならない」ことが気に入らず、断ったと言う。
そして1982年4月、「お笑いスター誕生!!」で念願の10週勝ち抜きでグランプリを獲得した。プロデビュー後2、3年は下積みの日々を過ごしたが1985年頃から売れはじめる。
以降「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」(共にフジテレビ系列)の出演などで若者のカリスマ的存在となり、一気にスターの階段をかけ上っていく。1984年 - 1986年に深夜ドラマの草分けである『トライアングル・ブルー』に相方の木梨、柄沢次郎、前田耕陽、 可愛かずみ、川上麻衣子 などと出演する。1980年代後半からレギュラー番組が次々に当たり社会現象を巻き起こすほどの影響力を与えるまでになり、今日まで活躍を続ける国民的人気のお笑いコンビとなっていった。
1988年、元モデルの前妻と入籍。妻との間に1989年には娘で今は女優の石橋穂乃香をもうける。
1998年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「新・食わず嫌い王決定戦」で共演した女優の鈴木保奈美と再婚。(後に、鈴木との間に娘を3人もうける。)
2005年、『MLB主義』で共演した牛島和彦監督が率いる横浜ベイスターズのエグゼクティブ・アドバイザーに就任(以前は読売ジャイアンツのファンだった)。
2008年8月28日、MCを担当していたTBSの『うたばん』が1996年10月15日の放送開始以来500回の節目を迎えた。番組はその後2010年3月23日まで13年半続いたが番組は終了した。2010年4月から9月まで放送された後続の音楽番組である『ザ・ミュージックアワー』を含めて丸14年に渡る長寿音楽番組となった。
2010年、コンビ結成30周年を迎える。
2012年秋、憧れの先輩でもあるビートたけしと『日曜ゴールデンで何やってんだテレビ』を開始する。
その他コンビとしての略歴はとんねるずを参照のこと。
芸風・仕事
伝説
若かりし時代の石橋は「超」がつくほどの暴れん坊で、日本のテレビ史上に空前絶後の伝説を数多く残している。
お笑いスター誕生に登場した当時は、帝京高校の野球部やサッカー部の学生だけで笑いを取っていたネタをそのまま番組のコーナーで提供し、ハチャメチャ振りが放送されたが石橋は「これでいいんだ」と思っていた。そんな芸風について周囲は称賛の声を与える人はいなかったが、タモリと赤塚不二夫だけは賞賛しており、辛いことがあってもタモリの「それでいいんじゃない」という言葉を思い出して乗り越えていったという[6]
1985年1月19日放送の「オールナイトフジ」にて『一気!』を熱唱中、石橋がテレビカメラを何度も揺すっているうちに、バランスが崩れてフロアに横倒しになった。倒れたカメラはスタッフがすぐに立て直したが、とんねるずの二人は顔面蒼白であった。木梨は「俺、しらねーよ……」と幾度もつぶやき、曲終了後、MC陣がその場を取りつくろった。カメラは倒された際の衝撃で廃棄処分となり、約1,500万円を弁償する羽目になった。保険はあったものの、当時のカメラマンが報告書に「とんねるずの悪ふざけ」と申請した為、認められなかったと本人たちは語る(一方で保険金は下りたと語る関係者もいる[7])。その後、フジテレビの歴史や過去を振り返る特番等で、このシーンは繰り返し放送されている。しかしながら、とんねるず(特に石橋)が(問題児として)広く知られるようになり、この一件を境に出演番組の演出家から「自由に暴れてくれ」と求められるようになったらしく、ブレイクのきっかけになった出来事と言える[8]。
同年10月17日放送の「ザ・ベストテンin静岡」で生放送に出演したとき、2位で登場したとんねるずに対して客席は総立ちに。とんねるずはスタッフの担ぐ御輿の上に乗り、客席の間の通路を通ってステージに向かう演出であったが、警備の不備なども重なり御輿に観客が殺到して衣装を引っ張るなどしたために石橋が御輿に乗れず、逆上して観客に掴みかかる事態にまでなった。怒り心頭の石橋は生放送中にもかかわらず、ステージ上で観客に対して「馬鹿野郎!」「ふざけんじゃねぇぞ、この野郎!」「てめぇら最低だ!」などと罵声を浴びせたり衣裳の飾りを客席に投げつけたりし、木梨のフォローも構わず、「雨の西麻布」を怒鳴り声で歌った。石橋の態度に対し番組宛に抗議が殺到し、局側の要請で石橋が翌週放送で謝罪した。これも石橋の暴れん坊ぶりを象徴した事件と言える[9]が、当時を知るTBS関係者によると「勢いに乗っていたとんねるずだったため、視聴者はともかく業界内では笑って許されたが他の芸人だったら出禁レベルの事件」とのこと。
また、2001年7月21日放送の「FNS27時間テレビ」では、石田弘(通称:ダーイシ)に扮する石橋が、港浩一(通称:小港)に扮する木梨とのパター対決でゴルフボールを大型モニターに激突させ破壊している。オールナイトフジでは顔面蒼白となっていた二人だが、このときはほとんど動じず、そのまま石田と港のキャラを演じつづけた[10]。
数々の破壊行為で「凶暴な男」のイメージを決定づけた石橋だが、実はこれに遡ること1996年、当時人気番組だった『新春かくし芸大会』(フジテレビ系)などでも暴君とも言える破天荒な言動を取っている。
詳細は次項の「共演者へのイジリ」を参照のこと。
共演者へのイジり
芸能界きっての傍若無人で、かなり強烈な稀有の「イジり」キャラのタレントとして有名。芸能界の同じようなキャラとしては横山やすしや上岡龍太郎、やしきたかじんなどが挙げられるが、関東のお笑いタレントの中ではこれほどの「イジり」キャラは石橋の他にはさほど見受けられない。たいていイジりの矛先はお笑い芸人だと思われがちだが、石橋はアイドル、歌手、俳優、スポーツ選手、さらには番組スタッフや素人とジャンルを問わない。
石橋の特徴として「メインよりもその横にいる埋もれがちな人をトコトンいじる」ということが目立つ。とんねるずのみなさんのおかげでしたの「食わず嫌い王決定戦」で若手芸人コンビが出ると、どちらかというと目立たないほうにスポットを当てたり(例:DonDokoDon・平畠、雨上がり決死隊・蛍原、など)、「うたばん」でバンドが出演する際には、ボーカルではなくベーシストやドラマー(例:LUNA SEA・真矢、PENICILLIN・O-JIRO、など)、の特異な外見に注目したり、ジャニーズ系のアイドルグループが来れば中心人物の横にいそうな「天然キャラ」っぽいメンバーを好む傾向がある(嵐の大野智、KAT-TUNの中丸雄一、V6の坂本昌行、関ジャニ∞の安田章大、Hey! Say! JUMPの知念侑李など)。
その「イジリ」により、多くのタレントやスポーツ選手を芸能界でブレイクさせたという功績もある。さかのぼると「オールナイトフジ」のオールナイターズや「夕やけニャンニャン」のおニャン子クラブといったアイドルグループのメンバーやプライベート、グループ内事情などを容赦なく切り込んでいったのが初めである。また「とんねるずのみなさんのおかげです」のコントで共演した女優も普段演技では見られない素顔の部分を石橋による執拗なイジリによって引き出されてその後ブレイクを果たすきっかけにもなっている(新人だった宮沢りえ、観月ありさ、ともさかりえ、松嶋菜々子など)。「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」では、定岡正二、錦野旦、輪島大士、輪島功一らを徹底的にイジり、バラエティ界での彼らの面白さを引き出した。モーニング娘。に対しては、メンバー個人にオリジナルのあだ名をつけるなどして独特のイジり方をし、一時期フィーチャリングされた保田圭絡みの企画が何度か放映された、最近では、バナナマン設楽統と日村勇紀や、おぎやはぎ小木博明と矢作兼などのブレイクにも一役買っている。
しかし、「イジれる相手」ならば人も場所も選ばず、勢いあまって不謹慎や厳しい言葉を発してしまい、騒動を起こしてしまうことがしばしばある。『新春かくし芸大会』が何年ぶりかで生放送をした際にゲストとして出演したミッキーマウスに対して「どうせ中におっさんが入っているんだろ」と発言し、着ぐるみの頭をつかんで脱がそうとしているところで急遽CMに入るハプニングがあり、それが原因で「東京ディズニーランドに出入り禁止」になるという都市伝説が生まれるほどの物議をかもす[11][12]。フジテレビの1993年F1モナコGP中継にゲスト出演した際に、アイルトン・セナびいきが過ぎたためか、同レース中にライバルのアラン・プロストやミハエル・シューマッハにアクシデントが発生したときに、「オレがプロストのタイヤに穴開けときました」「シューマッハ、やってもぉた!」などそのことを露骨に喜ぶような言動が大ひんしゅくを買ってしまい、視聴者やF1ファンからの抗議が殺到して、以後のF1中継に呼ばれることがなくなってしまったり[13]、「みなさんのおかげです」で当時番組名物素人であった共演者に名誉毀損で告訴された(局側の謝罪により後に示談成立)こともある。「うたばん」にて、ZONEのMIZUHOに「チンチンの先」というあだ名を付け、BPOから厳重注意を受け後日テレビ局が「メンバー並びに視聴者に不快感を与え、申し訳なく思っています」と謝罪する事件を起こしたこともある[14]。
音楽活動
自身の音楽活動としては、「NHK紅白歌合戦」において別名義で2回の初出場をしている(1991年:とんねるず、1999年:野猿)。1997年には「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」発のユニットで工藤静香と組んだ“Little Kiss”の「A.S.A.P.」(オリコン初登場3位)、また同年に定岡正二・デビット伊東と組んだ“ANDY'S”の「FREEDOM」(作曲:佐野元春)(オリコン初登場10位)をリリースし、人気を博した。Little Kissでは当時ヒット曲を輩出していた宝石会社のCMソングに起用され、PVでの過激な二人の絡みや、生放送音楽番組「ミュージックステーション」で間奏中にキスをして話題になった。ANDY'Sでは河村隆一やHOUND DOGのライブに飛び入り参加した。後に“関東裸会三羽烏”や、松田聖子との“SEIKO with Crazy.T”でCDリリースをしている。公式のCDリリースのなかったものとしては「矢島工務店」がある(琴担当)。この矢島工務店の流れを汲み、2008年には、「とんねるずのみなさんのおかげでした」での企画として「矢島美容室」が結成され、メンバーのプロデュースを行っている(メンバーとは飽くまで別人ということになっている)。
俳優活動
映画「メジャーリーグ2」では謎の日本人選手「タカ・タナカ」として出演。続編にあたる「メジャーリーグ3」にも出演した。これは、第1作が世界でヒットした作品だったが、日本での興行成績がふるわなかったために、そのテコ入れとしての起用であった。これがきっかけで石橋は本場のメジャーリーグ選手やファンから「あの日本人選手」として知名度を得た。その後三谷幸喜脚本、西村雅彦、飯島直子とのトリプル主演だった1998年「今夜、宇宙の片隅で」や、議員秘書に焦点を当てた2001年「レッツ・ゴー!永田町」でドラマの主役を演じる。その後も映画やテレビドラマなどコンスタントに出演。
その他
- 「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」では「バラエティ番組でのテロップ編集」を導入、「うたばん」ではカメラワーク・CGを最大限に利用するなど、現在のテレビバラエティでは常套手段となった手法をいち早く取り入れた(前者のテロップ編集に関しては探偵ナイトスクープが先にテロップ編集を取り入れているなどローカルでは目立ちつつあった)その一方で「第四学区」「石橋貴明のレディオイシバシーノ(仮)」のような編集一切なしのトーク一本の番組もこなす。
- 2000年代後半以降、とんねるずとしての活動は縮小傾向にあり、2013年現在、2人揃ってのレギュラー番組は「とんねるずのみなさんのおかげでした」のみである。
人物
趣味・嗜好
番組で出身地である板橋区成増や東武東上線に関連したゲストが来ると、必ずと言っていいほど東上線など地元ネタを絡めたトークを始める(その際、相方の木梨が負けじと同じく出身地である祖師ヶ谷大蔵について勝手にトークに割り込み、石橋が逆に呆れてしまうパターンもある)。過去放送されていたトーク番組「第四学区」においても古舘伊知郎と板橋区トークを展開した。他にも、globeと番組で共演した際には、メンバーの小室哲哉と「早実(早稲田実業)VS帝京」の話になったことがある(小室は早稲田実業出身)[15]。トーク相手の地元ネタや出身地などを笑いに変えることが目立つ。
とんねるず自体が「高卒」をウリにし石橋自身も貧乏だったという環境だったため、育ちの良い芸能人には非常にコンプレックスを感じており、トーク中に皮肉を込めた羨望の言葉を発することも。その反動からか、食べ物の嗜好や趣味などは相方の木梨と比べると高級志向な物が多い。
またオセロに造詣が深く、番組内で以前、ゲストの瑛太との対局風景がテレビで流れた(結果は惨敗)[16]。また『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』でもサダーズ(定岡正二&輪島大士)との対戦にオセロを指定したことがある。
料理への関心が高く、休日には合羽橋に料理道具をよく買いに行っている。将来は自分の料理店を開きたいという願望を抱いている。特にハンバーグは「小学3年生の時から自分で作っていた」というこだわりぶりで、「自作のハンバーグ以上に旨いハンバーグを食べたことがない」と豪語するほど腕前に自信がある[17]。その腕前の一端は『イシバシ・レシピ』などの料理番組で披露されることも多い。
嫌いなものはらっきょう。その嫌いぶりは相当なものであるらしく、元々らっきょう好きだった木梨すらもらっきょう嫌いにさせてしまったほど。
相方の木梨共々、絶叫マシンが苦手。乗ると吐いてしまうらしく、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「モジモジくん」での企画で、絶叫マシンを賭けたゲームをやった際も、勝ったものの巻き添えをくらいかけ、全力で逃げていき、結局乗らなかった。
子供の頃はあべ静江の大ファンで下敷きに写真を入れていた。
スポーツ
スポーツ好きとしても知られており、様々なスポーツ(プロ野球、メジャーリーグ、競馬、オリンピック、ボクシング、プロレス、相撲など)に関する知識が豊富である。1999年秋〜2000年秋に計3回放送された「FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル」(とんねるず司会)では「タカvsカルトQ」という、石橋がほかの出演者全員と早押しクイズを対決するという企画があり、そこでスポーツ問題が多数出題され、1999年秋・2000年春の2回の放送ではほとんどの問題で石橋がことごとく早押しを決めて正解した。
プロ野球は読売ジャイアンツファンだが、妻で女優の鈴木保奈美が大の横浜ベイスターズファンであることや親交のある牛島和彦が同球団監督に就任(現在は退任)したため、横浜を応援していた時期もあり、(牛島からの依頼で)同球団のファン獲得・選手のプロモーション企画の提案・集客促進をするEA(エグゼクティブ・アドバイザー)も務めた過去がある。
スポーツ観戦にも積極的で2006年3月に米国で開催された第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝の「日本対キューバ」戦においてはスケジュール多忙の中、1泊3日という「弾丸ツアー」を強行して日本が世界一になる瞬間を見届けた。ちなみに、会場で観戦する姿がテレビを通じて放映された。3年後の第2回WBCでは、日本ラウンドの日韓戦の試合においてもテレビを通じて放映された。そのため、スポーツ選手や関係者とは多くの友人が存在し、特に社会人野球時代から友人関係にある野茂英雄とは旧知の仲で知られ、大リーグ入団の際、当時マスコミなどから非難を浴びていた野茂をアメリカまで駆けつけて激励したエピソードがある。現在にいたるまで野茂との交流は続いており、野茂もとんねるず関連の番組には積極的に出演している。芸能人との野球対決で何度か投手としてマウンドに立ったことがあり、その時は時速120キロ台の直球を投げていた。
そんな中、芸能人やスポーツ関係者の中でも唯一松岡修造だけには苦手意識を持っている。傍若無人でツッコミ屋な性格を持つが故に、様々なタイプの芸能人との絡みができる石橋だがマイペースの熱血漢という松岡のキャラクター・性格からか、松岡が石橋出演の番組に出ると石橋のツッコミにも全く動じずにことを運ぶシーンが繰り返された。
ゴルフにも熱心になり、2006年「とんねるずのみなさんのおかげでした」内でのスペシャル企画『石橋貴明 GOLF世界一へ〜セント・アンドリュースへの挑戦〜』でコーチとして知り合った谷原秀人とは仲が良く、石橋は谷原をゴルフの師匠と呼んでいる。企画が始まった2006年の「アルフレッドダンヒル・リンクス選手権」には準備不足から出場は出来なかったが、翌2007年の当大会に谷原とのプロアマペアで日本代表として出場した。ちなみに、得意技はパターである。
近年力を入れているのがテニス。『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』内のテニス対決で松岡修造に勝利するべく、2011年より神和住純らのコーチを受けるようになり、以後「趣味はテニス」と公言するまでになった。また同番組が縁で錦織圭と親交が生まれ、2012年には『情熱大陸』の特別企画「石橋貴明が撮る錦織圭」のために7ヶ月に渡り錦織に密着取材している(同年11月放送)[18]。
ものまねの対象として
石橋の特徴的な声質は、しばしばものまね番組などでターゲットにされている。有名どころでは、最初に石橋のモノマネを始めた松村邦洋で、とんねるず好きであった松村が、「夕やけニャンニャン」や「とんねるずのオールナイトニッポン」など、特に1980年代の荒々しい時代を得意とする。その後、コージー冨田や原口あきまさがさらに微細な喋り方の癖や、仕草の特徴を捉えたものまねをしている。コージー冨田を気に入った石橋は、プライベートでも麻雀仲間として付き合いがある。一方原口は木梨のモノマネもレパートリーに持ち、一人とんねるずもこなす。
その他
- 中学生の時、『8時だヨ!全員集合』の公開収録を見学、当時長髪だった志村けんを見て「あの長髪の奴、つまんねぇよ」と言っていたことを、志村けんのエッセイで明かされている[19]。
- タバコは、マイルドセブンをよく吸っていたが2005年から禁煙している。
- 子供の頃からテレビっ子で、そして意外なことに幼少の頃いじめられっ子であった(ライブのMCでの発言)。
- 貧乏でも終生誇りを捨てなかった父・武夫を、貴明は現在も尊敬しており、父は常に貴明の味方であったという。中学時代にテレビに出たことを学校側が問題視したが、武夫は「帰宅した後は学校の管轄外だ! 帰宅後の子供の行動は私が責任を持つ。それを学校がとやかく言うことか!」と怒鳴り込んだこともある。そんな父は貴明がデビューしてまもなく死去し、その当日に友達と遊び歩いていた貴明はそれを知って「最後の最後に親不孝をした」と、死に目に会えなかったことを後悔したという[20]。
- 「『とんねるずのみなさんのおかげです』をレギュラーにしてほしい」と一人フジテレビの編成局長に直談判しに乗り込んでいったことがある。なお、この際「俺も一緒に直談判した!」と「みなさんのおかげでした」エグゼクティブプロデューサー石田弘が関係者に語っていたらしいが、特番でフジテレビ会長(当時編成局長)の日枝久によって否定されている。
- 2005年までに公表されていた高額納税者ランキングにおいて俳優・タレント部門のトップ常連であり、相方の木梨憲武と共にランキング上位に顔を出していた。1980年以降の20年間の芸能人生涯所得ランキングは、1位の小室哲哉に続き2位にランキングされている。
- 2004年堀江貴文ライブドア社長(当時)が近鉄バファローズ買収を表明した際、広島のテレビ番組に出演し、その番組の中で堀江の提案に好意的であるということを発言した[21]。
- 輪島大士の再婚を番組で支援したこともある[22]。
- 毎年キャンプを主催している。このキャンプにはテレビやラジオなどで付き合いがある関係者やその家族を招き、本人が自慢の腕をふるってごちそうを振舞っている。
- 家宝の一つとして、世界に名を残したF1ドライバーアイルトン・セナのヘルメットを持っている。これは1993年秋に「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」で行われたカート対決で、石橋がセナに勝ったら間近に控えた日本GPで使用したヘルメットをもらえるという約束をしていたもので、対決では鼻の差で石橋が先にチェッカーを受け公約を果たすことになった。セナは1993年日本GPで見事優勝。セナ自身これが日本GPラストランとなる。実際にヘルメットが石橋の手に届いたのはセナが1994年5月1日に事故死したサンマリノGP後であり、当時契約していたSHOEIの関係者によって届けられ、そこにはセナからのメッセージが入った手紙も届けられた。「第4学区」の特別版である「第4学区スポーツ」では大事な家宝として一度ヘルメットを披露している。
- テレビでは傍若無人で暴れん坊なイメージを持つが、テレビの本番以外などはとても礼儀正しく、面倒見が良いことで知られる。うたばんに大泉洋が出演したとき、本番では「絶対に北海道から出てくるなよ!」など暴言を吐きまくっていたが、本番終了後は「東京には出てこないのか? 絶対に成功するだろうから出てこいよ。頑張れよ!」と応援されてビックリしたと、大泉は公式の日記で書いている。また野猿が出演したとき、アンケートで石橋派か木梨派かというアンケートがされた時、石橋派が8人、木梨派が1人という結果が出た。メンバーからは「ふだんは面倒見が良い」「タカさんの方がよくしてくれる」などの答えが出ていた。
- 本人曰く、とんねるずのわがまま担当。
出演作品
石橋貴明としての出演作品を記載。コンビでの出演作品はとんねるずの項目を参照。(ゲスト出演番組は除く)
過去の出演作品
- レギュラー番組
テレビ番組
- 石橋貴明・男塾(1996年5月28日 - 1996年9月17日、TBS)
- うたばん(1996年10月15日 - 2010年3月23日、TBS)
- 第四学区(1999年4月- 9月・2000年4月- 9月、フジテレビ)
- イシバシ・レシピ(第1期2003年10月 - 2004年3月、TBS)
- MLB主義 (2004年、TBS)
- イシバシ・レシピ2(第2期2005年1月 - 3月、TBS)
- MLB主義'05(2005年、TBS)
- イシバシ・レシピ(第3期2005年10月3日 - 2006年3月27日、TBS)
- メジャーシーズン中は『MLB主義』、シーズンオフには『イシバシ・レシピ』というローテーションで交互に放送されていた。
- MLB侍(2008年7月26日 - 9月28日、TBS)
- ザ・ミュージックアワー(2010年4月20日 - 9月14日、TBS)
- 日曜ゴールデンで何やってんだテレビ(2012年10月21日 - 2013年3月3日、TBS)
- TBS若手ディレクターと石橋の土曜の3回(2012年10月13日 - 2013年4月2日、TBS)
- リシリな夜 (2013年10月20日 - 2014年3月24日、TBS)
ラジオ
- 石橋貴明のレディオイシバシーノ(仮)(2001年10月7日 - 3月25日、ニッポン放送)
- 石橋貴明のレディオイシバシーノ2(仮)(2002年10月11日 - 3月21日、ニッポン放送)
スペシャル番組
判明分のみ(ゲスト出演番組除く)
- 第四学区スポーツ(2000年12月29日、フジテレビ)
- ブレインサバイバー(2002年1月12日、TBS)
- ブレインサバイバーII(2002年4月5日、TBS)
- ブレインサバイバーIII(2002年9月21日、TBS)
- 石橋を叩いて笑う〜ゴッホの耳〜(2002年12月30日、テレビ朝日)
- 石橋を叩いて笑う〜ゴッホの耳2〜(2003年3月31日、テレビ朝日)
- 斬られてチョンマゲ!石橋新鮮組が行く(2003年10月2日、テレビ朝日)
- ナンバー2 〜一番になれなかった天才達の物語〜(2008年4月4日、TBS)
- フジ家の流儀(2012年9月27日、フジテレビ)
- 今夜解禁!石橋貴明のスポーツ伝説…光と影 (2014年4月6日、TBS)
ドラマ
- PUFFYのドラマ ワイルドでいこう(1997年9月30日、日本テレビ)
- 今夜、宇宙の片隅で(1998年7月 - 9月、フジテレビ) - 樋口紀人 役
- レッツ・ゴー!永田町(2001年10月 - 12月、日本テレビ) - 筒井五輪 役
- ブラックジャックによろしく(2004年1月3日、TBS) - 宇佐美孝志 役
- 星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉〜(2005年1月2日、TBS) - 星野仙一 役
- まるまるちびまる子ちゃん(2007年9月27日、フジテレビ) - ダーイシ男 役
映画
- そろばんずく(1986年8月、東宝) - 春日野八千男 役
- メジャーリーグ2 (1994年6月、東宝東和、ハリウッド映画) - タカ・タナカ 役
- 悪魔たち、天使たち (1995年5月、東宝東和、ハリウッド映画)- ヨシ・タカムラ 役
- ウルトラマンゼアス (1996年3月、松竹) - 大河内神平隊長 役
- ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影 (1997年4月、松竹) - 大河内神平参謀長 役
- メジャーリーグ3 (1998年6月、東宝東和、ハリウッド映画) - タカ・タナカ 役
- 銃声 LAST DROP OF BLOOD(2003年6月14日、ザナドゥー) - 萩原正一 役
- スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ(2007年、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント) - 弁慶 役
CM
- 大塚製薬「UL・OS(ウル・オス)」(2012年4月21日 - ) V6の岡田准一と共演。
- 『ウルオス知ってるか?』篇
- 『うるおいのあるお肌』篇
- 『好きよ!ウォッシュ』篇
- 『今だよ!スカルプ』篇
- 『日やけ止めな男たち』篇
- 『大人たちのリフレッシュ』篇
- 『ウルオスたちと旅に出よう』篇
- 『ウルオスライフ始まる』篇
- 『俺たちの冷やしウルオス』篇
音楽作品
単独で活動しているもののみ。コンビでの音楽作品は「とんねるず」を参照。
- A.S.A.P. - 「Little Kiss」名義 (1997年2月14日発売 - ポニーキャニオン)
- FREEDOM - 「ANDY'S」名義 (1997年7月23日発売 - ポニーキャニオン)
- 関東裸会の唄 - 「関東裸会三羽烏」名義 (2001年2月14日発売 - avex trax)
- 作詞:橋貴、作曲:後藤次利、編曲:後藤次利
- 「とんねるずのみなさんのおかげでした」内のコントから発生した3人組ユニットの1stシングル。
- 答 -answer is my life- - 「関東裸会三羽烏」名義(2001年11月21日発売 - BMGファンハウス)
- 作詞:橋貴、作曲:後藤次利、編曲:後藤次利
- 『日本テレビ「レッツ・ゴー!永田町」』挿入歌
- 2ndシングルはレコード会社移籍に伴いメンバーの入れ替えもあった。
- Smile on me - 「SEIKO with Crazy.T」名義 (2004年7月7日発売 - ソニー・ミュージック)
書籍
- 第4学区(2000年9月発行。集英社インターナショナル・1999年4月 - 9月にフジTV系で放映されたものと、未放送分を収録したもの)
DVD
- 銃声 LAST DROP OF BLOOD (2003年11月21日発売)
- ブラックジャックによろしく〜涙のがん病棟編〜(2004年7月22日発売)
- 星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉 (2005年9月25日発売)
- メジャーリーグ2 (2000年6月21日発売)
- メジャーリーグ2 (2004年3月5日 発売)
- メジャーリーグ お買い得パック <初回限定生産>(2004年3月5日発売)
- メジャーリーグ3 (2000年7月19日発売)
- メジャーリーグ3 (2004年3月5日発売)
- メジャーリーグ2 <期間限定生産> (2005年9月30日発売)
- メジャーリーグ2 <期間限定生産> (2006年6月2日発売)
- メジャーリーグ3 <期間限定生産> (2006年6月2日発売)
- イシバシ・レシピ 前編(2005年2月16日発売.2003年よりTBS系列にて放送分全24回の前半12回分を収録)
- イシバシ・レシピ 後編(2005年2月16日発売.2003年よりTBS系列にて放送分全24回の後半12回分を収録)
- イシバシ・レシピ2 (2006年1月18日発売.2005年1 - 3月放送分を収録)
ものまねレパートリー
- 愛川欽也
- 哀川翔
- 青木功(世界のAO木さん)
- アグネス・チャン
- アントニオ猪木
- 石田弘(ダーイシ・ダーイシ男、フジテレビ役員待遇エグゼクティブプロデューサー、フジパシフィック音楽出版取締役)
- 石原裕次郎(ボス)
- M.C.ハマー
- 大橋巨泉
- 荻野目洋子
- 金井克子
- 岸田今日子
- 吉川ひなの
- 宜保愛子(宜保タカ子)
- 草間彌生(草間貴代)
- 久米宏(久米貴明・久米タカシ)
- 高校の頃の食堂のおじさん
- サリーちゃんのパパ(「魔法使いサリー」より)
- 島田紳助(もじもじ君コーナーにて)
- スピードスケートの選手
- 田嶋陽子
- 舘ひろし
- 田中角栄
- 田中邦衛
- 田村正和(田村マサカズ・古畑任三郎)
- 毒蝮三太夫
- 新沼謙治
- バカボンのパパ(「天才バカボン」より)
- 萩原健一
- 広末涼子
- 福留功男(トメ福留)
- ブルース・リー
- 星一徹の眉毛(「巨人の星」より)
- 松浦亜弥(愛称は「たやや」)
- 松田優作(ジーパン)
- 宮里藍
- 薬師丸ひろ子
- ライオネル・リッチー(ライオネル・リチ男)
- 輪島功一
石橋貴明のものまねをする芸能人
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:石橋貴明 テンプレート:とんねるず テンプレート:野猿
テンプレート:矢島美容室- ↑ 2010年3月25日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでしたとんねるず結成30周年スペシャル」内の『食わず嫌い王決定戦とんねるず対決スペシャル』より。本人曰く「ツナマヨ自体は好きだが、おにぎりとの組み合わせが苦手」とのこと。
- ↑ 2011年8月4日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」内の『大竹、指輪を買う』より。
- ↑ とんねるず『とんねるず 大志』
- ↑ [1] 「とんねるず石橋長女、穂のか女優デビュー」SANSPO.COM(2008年11月11日)
- ↑ とんねるず『とんねるず 大志』
- ↑ 2014年1月27日放送、『リシリな夜』にて石橋貴明のコメント。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 『オールナイトフジ』1985年1月19日放送
- ↑ 『「ザ・ベストテンin静岡』1985年10月17日放送
- ↑ 『FNS27時間テレビ』2001年7月21日放送
- ↑ 『新春かくし芸大会』1996年1月1日放送
- ↑ 本来なら現場で先方に謝れば済むレベルだった出来事だったが、オリエンタルランドの幹部がたまたま放送をチェックしていたのが不幸な偶然となり、『あの無礼な奴は今後ディズニーのキャラクターと共演することを許さない!』『今すぐ謝罪させろ!』と局に電話で即刻猛抗議。「凄まじい剣幕で怒り狂っていた」と当時の関係者は語っている。プロデューサーが対応することでその場を収めたが、幹部の怒りは収まらなかったという
- ↑ 『F1グランプリ』1993年5月23日放送
- ↑ 『うたばん』2002年3月28日放送
- ↑ 『うたばん』2002年2月14日放送
- ↑ 『とんねるずのみなさんのおかげでした』2009年1月9日放送
- ↑ 『とんねるずのみなさんのおかげでした』2011年7月14日放送分(女子アナハンバーグ選手権)
- ↑ 石橋貴明が錦織圭に7カ月の密着取材!その強さの秘密に迫る!!『情熱大陸』 - テレビドガッチ・2012年11月2日
- ↑ 志村けん『変なおじさん』
- ↑ とんねるず『とんねるず 大志』
- ↑ 『KEN-JIN』2004年7月9日 - 7月23日放送
- ↑ 『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』1996年3月27日放送