F1グランプリ
テンプレート:Notice F1グランプリ(エフワングランプリ)は、BSフジとフジテレビNEXTで日本向け放送されるF1レース中継番組。正式名称は「Formula 1 World Championship xxxx」("xxxx"はその年の西暦)である。2011年までは地上波放送のフジテレビ系列で放送されていた。
目次
日本におけるF1中継の歴史
日本で初めてF1グランプリを全戦中継したのは『カーグラフィックTV』でのダイジェスト版放送。F1放映権は1986年まではTBSが保持していたが、全戦中継することはなく月1回程度のダイジェスト番組が放送されるのみであった。
1987年から日本GPが再開されるのと中嶋悟が日本人初のF1シーズンフル参戦をすることになったことをきっかけに、フジテレビが日本GP分の放映権を取得しようとしたところ、FIAの方針によって全戦分の放映権を取得することになった。以来全戦中継を行っている。日本GPはゴールデンタイムで放送され、1991年の視聴率は20%を超えており、深夜帯の放送でも10%近い視聴率を獲得していた。しかし、1990年代以降F1ブームそのものが下火になり、一時期ほどの視聴率は獲得できていない。
2012年・2013年の2年間については、フジテレビのCS放送およびBSフジでの放送となると発表された。これにより、フジテレビ系列における地上波中継は2011年をもって終了することとなった[1]。
また2014年1月24日には、2014年の中継も前年までと同様であると発表された。放映権は複数年契約とされているが、2015年以降の中継体制については発表されていない。一方で2014年にはダイジェスト放送ではあるが地上波で3年ぶりに放送が行われる事となった(後述)。
地上波放送について
映像
中継に使用する映像は、当初は開催国のテレビ局の映像にフジテレビ独自のカメラからの映像をかぶせたり、編集したものを使いフジテレビが製作するオリジナルのテロップを使用していた。しかし、1994年からFOA(当初はFOCA)統括によるチェックが厳しくなり、オープニング後に「FIA FORMULA1 WORLD CHAMPIONSHIP」というアイキャッチが入るようになったほか(2003年以降は「F1」ロゴのアイキャッチが使用されている)、さらに厳しくなった1996年以降はスタジオトークなど局独自の映像以外、レースそのものにおけるオリジナルの映像やFOA中継で使用される以外のテロップ表示を禁じられた(このため一時はレース中に日本語テロップを全く表示できない状態となり、視聴者からの不評を招いた)。テロップについては2003年より規制が緩和されており、通常のFOA制作中継に重ねて局独自のものが挿入されている。2001年より一部地域を除き、番組の最初に「PERFECT SPORT SPECIAL」のアイキャッチが入る。また、地上デジタルテレビジョン放送では2006年からはデータ放送と連動、2007年からはHD対応の16:9サイズとなり、2011年からは国際映像がハイビジョン化された。
実況・解説
実況・解説・ピットレポートは、当初は全て現地から行っていた。しかし2001年第14戦アメリカGP以降は、地上波中継については日本GPを除き実況・解説を東京のスタジオで行う方式に切り替え、さらに2002年のサンマリノGPからは東京のスタジオにセットを構え、タレントの北川えりをレース前後の進行役に据え、実況と解説者が同スタジオでレースの模様を届ける方法に替わった。2003年からはタレントの永井大とモデルの山田優を「キャスター」に、ドライバー出身の片山右京や近藤真彦らを解説陣に据えた。これは2001年9月に9.11事件が発生したため、取材クルーがテロに巻き込まれるリスクを考慮した対応である。また、FOAの規制は厳しい反面、情報の提供は豊富であり、敢えて現地にCS・地上波の2クルーを送り込む必要がなくなっていることなどが理由である。ただし、この方法だと生の臨場感、錯綜する情報への対応に支障が出ることなどから、2004年より再び実況および一部の解説者が現地に入る形に改められた。
当初から上記の方法は何の予告もなく中継スタイルが変更されたことや、レース途中で中継が中断され模型による状況解説が挿入されたために視聴者から戸惑いと不満の声が上がっており、モータースポーツの知識に乏しい芸能人の進行役の存在もしばしば議論の対象となっていた。一例として、当時『週刊オートスポーツ』(三栄書房)に連載されていた漫画『あんたが大将 オレさま烈伝』では、当時の番組スタイルを揶揄・批判する描写がしばしば登場している。長坂哲夫のように新スタイルへの不満を公言して一時中継から離れるものもいた(詳しくは長坂哲夫#来歴・人物を参照)。
2007年からは進行役を置かず、オープニング後、CMが明けてすぐにレース映像に入るスタイルに変更された。なお、ごく初期の日本GP中継において、副音声で小林克也が実況を行いながら適切な音楽を流すと言う中継方法をとったこともあった。
前述の通り、2011年をもって、地上波放送は姿を消すこととなった。
古舘伊知郎の功罪
1989年から1994年にかけて、新日本プロレス中継などで有名であったフリー(元テレビ朝日)アナウンサーの古舘伊知郎を実況に採用する。マシンガン実況と呼ばれる名調子・比喩表現をF1実況に持ち込んだことで評判となり、F1ブームの立役者ともなった。その反面、過剰すぎる絶叫アナウンスやF1に関する知識の低さ、さらにはセナひいきな進行が公平性の欠如だとして、古舘の実況を嫌う[2]ファンもいた。ただ、本来は事前取材が綿密な人物であるため、経年ごとにコメントに深さも見られるようになり、1993年のスペイングランプリでは「解説者」として中継ブースに座るまでに至った[3]。
古舘の降板理由は、一般にはモナコグランプリに出演の都合がつかず代役を務めた三宅正治の実況が結果的にF1の歴史に残るレース内容とともに評価される結果となったこと、心酔していたセナのサンマリノグランプリでの事故死、その直前のパシフィックグランプリでのスタート前のメインスタンドからの生中継の際あまり注目されず寂しい中継を行わざるを得なかった事等々と言われているが、齋藤孝との対談書「日本語「息」「活」「粋」―7時間ぶっとおしトーク・ライブ!言葉のおしゃれデスマッチ! 」の中で、「実況する際に必要なマシンカラーとチーム名称、ドライバーの名前とそのヘルメットカラー等が、毎年毎年目まぐるしく変わり、毎年毎年それをリセットして記憶し直し、それぞれを結びつける作業(例:マシンカラー+ヘルメットカラー=ドライバー名・チーム名)ができなくなったため」と説明している[4]。
古舘の登場以後の実況では絶叫や独自表現・比喩法を利かせたようなアナウンスが目立つようになっている(2時間程度と長丁場なこと、また自身でなかなか経験できない世界の話なので、そうしないと持たないという側面もある)。
タレント起用の是非
2003年ごろから「応援」「サポート」の名目でタレントなどを起用し、番組宣伝を行わせる手法を取り入れたことも当中継の特徴であった。
芸能人を中継のゲストに呼ぶ行為自体は中継初期から行われていたが、初代プロデューサーの松野博文がバラエティ色の濃いスポーツ中継に否定的であったことから[5]、当時のゲストは芸能人でもある程度モータースポーツ経験のある人間、もしくはF1ファンに限られていた。
しかし渡辺信治がプロデューサーとなった2003年以降、番組は全体的にバラエティ色を強める方向に向かった。2005年シーズン中に「F1モデル」をレギュラー番組として放送したことでも挙げられるように、女性をターゲットにしたハンサムなドライバーの紹介をし、タレントや女子アナに魅力を語らせてから、日本メーカーや日本人ドライバーを中心とした紹介VTRをいくつも挿入して、視聴者に訴えかけるようなことを例年工夫している。最も顕著だった例としては、2006年シーズンのトルコGPから日本GPまで、モデルの蛯原友里を筆頭としたCanCamモデルをサポーターズ(現地リポーター)として起用したことが挙げられる。トルコGPオープニングではチームやドライバー紹介もコメディチックになり、さらに合間合間にCanCamのロゴをバックに蛯原、押切もえ、山田優がダンスをするムービーがなぜか流れ、ナレーションが「Support by CanCam!!」と叫ぶ[6]など、何を紹介しているのかわからない状態になり、日本GPでは小倉智昭とCanCamモデルがブースに入りコメントをするなど、ますますバラエティ路線を意識した番組作りに、インターネット上等で批判が巻き起こり[7]、前述の通り実況担当の長坂アナは一時期F1実況から離れることとなった。
この間もCS放送では、当初からバラエティ色を極力排除した本来の中継スタイルで放送を続けていた(下記項目を参照)。
このような賛否を招いたタレント起用は、2011年にAKB48の大島優子が日本グランプリのレポーターを務めたのが最後となり、2012年からのBSフジでの放送はCS生中継の編集版が使われることになったため、上記のようなタレント起用は一切なくなり、一部BSフジ独自制作の場合でも、片山右京、近藤真彦、小倉茂徳、森脇基恭などモータースポーツ関係者がコメンタリーを務めるため、バラエティ色はほとんど無い。
オープニング
オープニングについては、2006年までは歴代の名車を再現したものなどやアラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ニキ・ラウダ、ジル・ヴィルヌーヴ、中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハの名ドライバーを中心にCGを多用したものが使用され、THE SQUAREの『TRUTH』のテーマ曲と共にF1名物となっていた。
2007年からはテーマ曲がQUEENの『FLASH』をアレンジした『Flash's Theme 2007 High Octane Mix』となった。しかし、オープニングがこれまでのF1マシンを多用したものから、アメリカンコミックを思わせるようなアニメーションに変更された。そのアニメにはF1とは全く関係のないマシンが登場し、悪者と思われる青人もしくは黒人ドライバーの乗ったマシンが、シグナルポールに激突して爆発するシーンがあった。なお、第5戦スペインGP放送分より実車映像が挿入されているが、激突のシーンは以降もそのままだった。
翌2008年もテーマ曲は継続して使用されたが、件のアニメが廃止され、ネルソン・ピケ・ネルソン・ピケJr.、ケケ・ロズベルグ・ニコ・ロズベルグ、中嶋悟・中嶋一貴の親子ドライバーを中心に、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、フェルナンド・アロンソのトップドライバー、ジェンソン・バトン、ティモ・グロックの日本ワークスドライバー、日本人ドライバーの佐藤琢磨が紹介された。
2009年はテーマ曲が再変更され、屋敷豪太の『God only knows』を採用し、メロディアスで流麗な旋律が視聴者の好感触を誘った。映像は、2008年のレースのものが使われ、その後ルイス・ハミルトン、フェリペ・マッサ(シーズン途中まで)、キミ・ライコネン、ヤルノ・トゥルーリ、フェルナンド・アロンソ、ティモ・グロック、セバスチャン・ベッテル、中嶋一貴が紹介された。シーズンの途中からは、チャンピオンシップでトップに立っているジェンソン・バトン、マッサの代わりにはルーベンス・バリチェロも紹介されるようになった。
2010年も同じ曲であるが、その中の別のメロディを使用している。第3戦のマレーシアGPまでは曲の中にエンジン音を取り入れていた。ドライバーの紹介は3年ぶりに現役復帰したミハエル・シューマッハ、フェラーリに移籍したフェルナンド・アロンソ、同じくマクラーレンに移籍したジェンソン・バトン、バトンのチームメイトルイス・ハミルトンという4人の歴代世界王者に、セバスチャン・ベッテルと2009年に印象的な走りを披露した小林可夢偉という2人の挑戦者(4チャンピオン+2チャレンジャー)という図式で紹介された。
2011年はGreen DayのAmerican Idiot、原田憲のGIMCROCKが採用された。紹介されるドライバーは前年と同じであるが、ベッテルが2010年ワールドチャンピオンになったことで"5人の歴代世界王者+挑戦者"という図式となった。
地上波放送の終了、BSでの放送へ
日本国内でのF1の人気低迷、そして近年のトヨタ、ホンダ、ブリヂストンなど日本企業がF1からの撤退が相次ぎ番組スポンサーも付きにくくなっていたことなどの要因から、2012年1月19日にフジテレビは地上波放送の終了、そしてBSフジでの放送に移行することを発表した。なおCSではこれまで通り全セッションを生中継する。フジテレビ広報部によると「日本グランプリも地上波放送の予定はない」としている。
BSフジでもこれまでの地上波放送と同様に予選と決勝の模様が中継されるが、CSとの差別化を図るため録画放送になる。基本フォーマットは予選が60分、決勝が1時間50分で、決勝の放送時間は23時開始を原則とする(ただし時差の関係もあるため固定ではない)など、予選については従来の地上波よりも放送時間が拡大、決勝も放送開始が従来より早まる[8]。
2012年は、基本的にはCSでの放送内容を編集したものであったが、イギリスグランプリと日本グランプリにおいては、BSフジとCSは別の実況・解説陣で放送された。BSフジの実況は、前年までの地上波中継を模した雰囲気で進められた。独自テロップはイギリスグランプリでは無かったが、日本グランプリでは一部に用いられた。
2013年は、BSフジは半数近くのレースで独自の実況・解説陣となる[9]。
2014年には、地上波では3年ぶりとなる地上波での放送が行われる事が発表された。これまでのレースの内容をまとめたダイジェスト版で、関東ローカルのみの放送となり、初回は6月1日にオーストラリアグランプリからモナコグランプリまでの内容を放送、年3〜4回の放送を予定している[10]。
オープニング
2012年からは、テーマソングとしてTHE SQUAREの『TRUTH』が復活した。オープニング映像では、当番組が開始した1987年からの歴代ワールドチャンピオンである、アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、デイモン・ヒル、ジャック・ヴィルヌーヴ、ミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、ジェンソン・バトン、セバスチャン・ベッテルが紹介された。
2013年もほぼ同じオープニング映像であるが、前年紹介されなかった1987年ワールドチャンピオンのネルソン・ピケが追加された。
2014年は前年の映像に加え(ただしセバスチャン・ベッテルの映像は変更されている)、2年ぶりのF1復帰となる小林可夢偉が追加された。
有料チャンネルでの放送について
歴史
1992年からBS放送局・WOWOWにて翌週、若しくは翌々週に決勝のノーカット再放送が行われ、1998年のフジテレビ721(現・フジテレビTWO)開局以降も並行して放送が続いていたが、2001年で放映を終了。また、フジテレビ721では金曜フリー走行1回目からの全セッションを生中継していたほか、下述のように実況・解説が地上波とCSで個別のものになる以前はオープニング・エンディングを除いて共通のソースを利用していた。
- 地上波を初心者向け・ライトなF1ファン向け
- CS放送をコアなF1ファン向け
と位置付け、2002年までの解説、レポーター陣をCS放送に起用した体制となっていた。 2008年からはフジテレビCSHD(現・フジテレビNEXT)対応の中継が開始。
現状
現在は、フジテレビNEXTで金曜フリー走行を含む全セッションの生中継を、フジテレビONEで全セッションの録画放送を行っている。
番組は東京のスタジオと現地の2元中継体制で、東京のスタジオでは実況者と解説者1名が伝え、現地では今宮純・川井一仁が解説と現地での状況を伝える。このほか土曜フリー走行の中継に津川哲夫・小倉茂徳が出演することがあるほか、日本GPのみ土屋圭市が出演。時折浜島裕英・森脇基恭もゲスト解説で出演する。2012年からは、経費削減や治安問題等の理由で現地解説なしで川井一仁らが東京のスタジオで解説を行うレースもある。
地上波との違いとして、レース全体の実況は比較的平坦である。また、地上波では披露されない、チームやマシンについての深い内容を解説する。2012年からはBSフジでも解説がそのまま流用されることがあるため、解説陣が言葉の言い回しに気を遣っている様子も見受けられる。さらに音声切り替えにより、実況や解説のないサーキットでの音声のみを聞くことも可能である。
2005年のシーズンオフからは、「F1 LEGENDS THE BEST GP」と銘打ったオフ企画を開始。これは、フジテレビが中継を開始する以前の1981年から1986年のグランプリを、2007年シーズンオフまでの3年間にわたり、視聴者リクエスト結果と解説陣の推薦するレースにより2年分ずつセレクトした形で放送するものである(2005年は1981・1982年、2006年は1983・1984年、2007年は1985・1986年分を放送した)。この企画には、従来シーズンオフになると翌年の開幕まで契約を解約する加入者が多かったことに対する解約防止策という側面もある。2008年も継続し、フジテレビが中継を開始した1987・88年分が放送されたが、内容はフジテレビの当時の中継の再放送ではなく、FOAの持つ国際映像に新たにスタジオ実況・解説をつけたものだった。2年置いて再開され、2011年は1989・90年分、2012年は1991・92年分を放送。
また、2009年のシーズンオフは「F1グランプリの歴史」と題した企画を開始。これは世界的に全戦中継もなされていなかった1970年から1980年までのレース映像を放送するもので、全編英語ナレーション・字幕放送となっている。
なお、CSでのF1中継は2007年まではフジテレビ721で、2008年からはフジテレビ721とフジテレビCSHD(現・フジテレビNEXT、スカパー!e2(現・スカパー!)では2008年のバーレーンGPから、スカパー!HD(現・スカパー!プレミアムサービス)では同年の日本GPから)両チャンネルのサイマル放送にて、土曜日のフリー走行3回目から予選、日曜日の決勝までリアルタイム生中継(日本グランプリのみ金曜日のフリー走行1回目から完全生中継)を行っていた。フジテレビ721が画面アスペクト比4:3で主音声・副音声ともにステレオ音声(ちなみに地上波アナログ放送の音声多重放送では技術的な問題により主・副 ともにモノラルとなる。地上デジタル放送では主・副 ともにステレオが可能)、フジテレビCSHDは画面サイズ16:9の放送(東京のスタジオ映像やオープニング映像などはハイビジョン映像、中継映像はハイビジョン映像または16:9SD映像)で副音声なしのステレオ放送であった。
2013年から、決勝の放送はピットレーンがオープンされるレーススタート30分前から開始され、レコノサンスラップの模様も中継される。また、2014年は「フジテレビNEXTsmart」を開始、フジテレビオンデマンドとスカパー!オンデマンドでフジテレビNEXTと同内容の中継を全セッション、インターネットでライブストリーミング配信や一定期間のアーカイブ配信を行う[11]。
日本グランプリについて
日本グランプリ(以下日本GP)はフジテレビがタイトルスポンサーを務める、F1では珍しい放送局の冠レースであった(2009年まで)。2007年からは日本GPの開催地がこれまでの鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに替わることとなったが、フジテレビが引き続き同グランプリの冠スポンサーを務めた。当時使用された優勝トロフィー(漆器を使ったもの)はフジテレビの美術スタッフのデザインである。
しかし、長年に渡って地上波での生中継は行われず、決勝当日の夜(時期によって放送開始時間は異なる)に録画放送されていた。
特に1987年の日本GPでは広告効果などの都合上生放送で行う考えがあったが、日本GPが行われる時間帯に当時デーゲームで行われたプロ野球日本シリーズ中継があり、さらには競馬中継の放映の関係もあり、視聴率や放映時間の確保などの関係上20時-22時のゴールデンタイムで録画放送された経緯がある。[12]
中央競馬中継は、フジテレビおよび関西テレビにとってF1中継よりも長い歴史を有する番組であり、重要なコンテンツでもある。現状このような形で競馬中継ができない場合は、フジテレビが運営するBSフジで生中継を行っている。グランプリシリーズの日程決定機関がテレビ局ではなくFIAであるため、JRAが重要と位置づけるGIレースと日程が重なることもある。
1994年4月17日に、TIサーキット英田(現 岡山国際サーキット)で開催されたパシフィックグランプリにおいて、初のフジテレビによる日本国内開催のF1グランプリレースの生中継が実現した。この日は中央競馬でも牡馬クラシックの第一戦皐月賞が開催され、スーパー競馬もそれに対応して通常より30分早い14:30からの放送となっていたが、パシフィックグランプリのレーススタート時間も12:30と早い時間であり、両番組の時間的競合は発生しなかった。
日本グランプリの地上波生中継はその後も長く行われず、2005年10月9日に開催された2005年日本グランプリで初めて実現した。視聴率が関東地区で10.3%を記録した事から、翌2006年10月8日の決勝レースも生中継で放送。ちなみにこの放送ではF1では初めてとなるハイビジョン制作での中継となった。
2007年はF1日本GP決勝とGIレースのスプリンターズステークスが同じ9月30日開催(発走時間15:40)となったため、その処遇が注目されていたが、日本GPの生中継は13:10 - 15:15(最大延長15:35)となり、レギュラーの競馬中継時間と15分重なることになるが、F1・競馬両レースを生中継するにはほぼ問題ないスケジュールとなった。ただ、日本GPのスタート時間が13:30であること、さらに当日は雨天で2時間に及ぶレースとなったことから、最大延長時間の15:35まで放送、ゴールの瞬間は放送できたものの、表彰式以降は非中継となった。競馬中継もスプリンターズステークス出走直前からの放送となっている。
2008年も決勝生中継は13:10 - 15:15であったが、前年と異なり天候が悪化することもなく、時間内にレースから表彰式・公式インタビューの一部まで放送された。ちなみに、この日の競馬はGI競走は設定されておらず(GIIの毎日王冠・京都大賞典)、予定通り通常より15分遅れで競馬中継が開始した。
2009年は2007年と同様に決勝とスプリンターズステークスが重なった上に、2007年よりもF1決勝開始予定時刻が遅い14時(当初は15時予定だった)となっており、両レースの開催時間が重なる可能性が発生、さらに同日にゴルフの「コカ・コーラ東海クラシック」(FNS系列の東海テレビ主催)最終日も行われた。このためF1を13:40 - 15:45、競馬を15:45 - 16:20(F1は15:40までの放送予定だったが5分延長し、これに伴い競馬中継を5分繰り下げ・短縮して放送した)、ゴルフを16:20 - 17:50(録画)で放送した。また地上波放送としては珍しく副音声での放送も行った。前日の予選では、グロックのクラッシュなどで赤旗が3度も振られるなどし、セッション時間が大幅に延びたため、Q3(第3ラウンド)の途中で番組が終了。この予選中継の延長対応がなかったことに対し、1400件もの苦情電話が視聴者センターに寄せられた。ちなみに次のブラジルGP予選も雨の影響で予選が当初の時間より遅れたため途中から生放送となり日本GPに続いて予選の結果を伝えることができなかった。
2010年の日本グランプリは、トヨタ自動車の撤退を受け鈴鹿サーキットで10月10日に行われることが決定したが、国際機関の発表によると決勝のスタート時刻が15時と、通常時の競馬中継(『みんなのKEIBA Races For Everyone』『KEIBA beat〜競馬×鼓動』)の開始時刻に重なることから、F1の生中継を行われず、16:00 - 17:50 に録画中継で放送された[13]。また、フジテレビがリーマン・ショックに端を発した一連の不況を受け、日本グランプリ再開から長らく務めてきた冠スポンサーを前年で降りた。
無料放送がBSに移行してからは、決勝は21:00 - 23:00の録画放送となっている。
2007年から殆どのGPのホスト局が国際映像の制作をFOMに委託する中で、日本グランプリは2011年までフジテレビが国際映像の制作を継続した。2012年からは契約更新における予算削減の影響を受け、国際映像はFOMの制作に切り替わっている(2008年よりフジテレビが取り入れた5.1chサラウンド音声はCS放送でのみ継続されている)。
一方、今後の日本GPについて、2007年3月にFOAのバーニー・エクレストン会長が、「早ければ2008年からの日本GPは夜間開催にしたい」という意向を示していた。これが実現すればこうした問題は解決するほか、生中継となればゴールデンタイムでの放送となるが、安全性の問題やインフラ整備の問題があり、実現への障壁は大きい。
※時間はいずれもJST
前夜祭
日本GP・レースウィーク中には「日本GP前夜祭」を制作している。
当初はパドックの一角を借りてのささやかなイベント(アン・ルイスらが出演、予選の回顧やF1関係者のゲスト出演から始まり、ミニゲームを経て、別撮りのT-SQUAREのライブを放映)だったが、その後は古舘がホストとなって、ゲストを呼んでのスタジオ撮りとなり、またサーキット周辺にステージを設けるようになり、果ては独立した興行を打つようになった。前夜祭の名にふさわしく、大物ドライバーや中継陣、F1関係者が多数出演していた。興行化された1996年は、MAXのライブを開催したことから多くの熱狂的なMAXのファンが来場。イベント序盤にライブが開催されたため、それ以降の企画に来場者が盛り上がらなかったという本末転倒な事態に陥ってしまった。
1993年のゴールデン生中継の前夜祭では、鈴鹿サーキット入場口周辺の徹夜組を取材。携帯テレビを持参したファンがいたため、三宅正治が視聴番組を自番組と思い込んで確認したところ、NHKの時代劇を見ていたということがあった。
2012年・2013年にはフジテレビNEXTにて前夜祭の放送が行われた。
テーマ曲
1987年の開幕レースから使われているテーマ曲、『TRUTH』(THE SQUARE)が日本におけるF1、ひいてはモータースポーツ(レース)をイメージする代表的な曲となっている。その後は1999年・2000年に『GO FURTHER』(松本孝弘)が使用され、2001年から2006年までは『TRUTH』のアレンジバージョンが使用された。さらに2012年のBSフジでの放送開始に伴い、『TRUTH』が再度使用されている。
2007年・2008年はQUEENの代表作『FLASH』をブライアン・メイが新たにリミックスした『Flash's Theme 2007 High Octane Mix』が使用され、2009年は屋敷豪太の『God Only Knows』へと変更された。『GO FURTHER』以降はほぼ2年ごとに違った曲・アレンジが使用されている。
CS放送では2003年以降、『RESONANCE-T〜Truth Drum'n Bass Mix』がテーマ曲として採用されたが、2010年はテーマ曲・映像ともに地上波と共通となった。2011年以降はテーマ曲自体がなくなっている。
西暦 | 曲名 | アーティスト |
---|---|---|
1987年 | TRUTH | THE SQUARE |
1988年 | ||
1989年 | ||
1990年 | ||
1991年 | ||
1992年 | ||
1993年 | ||
1994年 | ||
1995年 | ||
1996年 | ||
1997年 | ||
1998年 | ||
1999年 | GO FURTHER | 松本孝弘 |
2000年 | ||
2001年 | TRUTH 21c | T-SQUARE |
2002年 | ||
2003年 | RESONANCE-T〜Truth Drum'n Bass Mix | |
2004年 | ||
2005年 | ||
2006年(予選) | ||
2006年 | TRUTH〜20th ANNIVERSARY Version〜 | |
2007年 | Flash's Theme 2007 High Octane Mix | QUEEN |
2008年 | ||
2009年 | God Only Knows | 屋敷豪太 |
2010年 | ||
2011年 | American Idiot | Green Day[14] |
GIMCRACK | KEN HARADA[15][16] | |
2012年 | TRUTH | THE SQUARE |
2013年 | ||
2014年 |
エンディングテーマは初期には『TRUTH』がそのまま使用されていたが、後に『In This Country』(ロビン・ザンダー)や『A Latchkey』(佐藤準)、『Let's Go』(小室哲哉→EUROGROOVE)などが使用され、その後もはたけ、松本孝弘、矢井田瞳、姫神、ロビー・ウィリアムス、coldplay、布袋寅泰など様々なアーティストが楽曲を提供している。2005年は『I do it for you』(ブライアン・アダムス)が、2006年は『Back to the Light』(ブライアン・メイ)が使われている。『Flash's Theme 2007 High Octane Mix』がオープニングで使われた2007年、2008年は『FLASH』の後半部分(歌詞にすると「Just a man」で始まる部分)をオープニング同様にリミックスした音源が使われているが、この部分はCDやダウンロードコンテンツなどでなぜか一切配信されていない。
放送初期(1989〜1993年開幕戦)にはスターティンググリッド紹介中のBGMにOVAドミニオンのサウンドトラックより『危険濃度』が使われていた。 近年は国内外のメタルなどのアーティストのナンバーをインストゥルメンタルで流すことが多い。
西暦 | 曲名 | アーティスト |
---|---|---|
1987年 | ||
1988年 | なし | |
1989年 | 危険濃度 | D-CREW |
1990年 | ||
1991年 | ||
1992年 | ||
1993年(第1戦) | ||
1993年 | Battle for the Chanpionship | Isamu Ohashi & Tail To Nose |
1994年 | ||
1995年 | Battle and chase | Isamu Ohashi |
1996年 | Stack Attack | GaryHoey |
1997年 | Into The Arena | Michael Schenker Group |
1998年 | RACE INTO THE LIGHT | IMPELLITTERI |
1999年 | Burning Desire | Power |
2000年 | Blood Alley | Ronnie Montrose |
2001年 | Oversea Evolution | Tony MacAlpine |
2002年 | ||
2003年 | ||
2004年 | ||
2005年 | ||
2006年 | ||
2007年 | ||
2008年 | ||
2009年 | ||
2010年 | ||
2011年 | Secret of the Stars | Marty Friedman |
同じく放送初期(1987年の数戦)の選手紹介の時に、メゾフォルテ (バンド) のRockall が使われていた。この曲はF1情報番組のF1ポールポジションでもよく使われていた。
同じく放送初期(1989〜1994年)の開幕戦(1989年は日本GP)に行なわれていたチーム紹介中のBGMにOVAヴイナス戦記のサウンドトラックより『メインテーマ(ヴイナスの彼方へ)』が使われていた。
また、1992年から1993年にかけてドライバーごとのテーマ曲が設定されていた時期もあり、優勝ドライバーがゴールすると共にそのドライバーのテーマ曲が流れていた。例外として1992年のハンガリーGPは優勝者のアイルトン・セナのテーマ曲ではなく、2位でフィニッシュしてワールドチャンピオンを決定したナイジェル・マンセルのテーマ曲が流された。しかし1993年のポルトガルGPでは同じように2位でフィニッシュしてワールドチャンピオンを決めたアラン・プロストのテーマ曲ではなく、優勝者のミハエル・シューマッハのテーマ曲が流された。なお、ジャン・アレジは期間中に優勝することができず、放送されることはなかった。アレジ以外にも当時の弱小チームドライバーが勝ってしまったらどうするか、と妙な興味を惹いていた。これについては1992年のF1日本グランプリ前夜祭で古舘伊知郎が「ペリー・マッカーシー(この年一度も予選どころか予備予選を通過できなかったドライバー)のテーマ曲も用意されています」と語った。一応は全ドライバー分用意されていたようである。
ドライバー | アーティスト | テーマ曲 |
---|---|---|
アイルトン・セナ | T-SQUARE | FACES |
アラン・プロスト | T-SQUARE | 明日への扉 |
ナイジェル・マンセル | SHOW-YA | PEACE OF MIND |
リカルド・パトレーゼ | S.S.T.BAND | I Can Survive |
ゲルハルト・ベルガー | S.S.T.BAND | TACHYON |
ミハエル・シューマッハ | DEAD END | Good Morning Satellite |
ジャン・アレジ | 森園勝敏 | Jet |
デイモン・ヒル | 是方博邦 | HEART OF EARTH |
現在の放送時間
フリー走行
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていて、フジテレビNEXTで生中継している。BSフジでの放送は無い。
予選放送
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていて、フジテレビNEXTでは生中継、BSフジではフジテレビNEXTで放送したものを1時間に編集して放送する。
決勝レース放送
フジテレビNEXTでの放送は現地開催時間に応じて行われていて、生中継している。BSフジでは基本的に決勝開催日の23:30 - 25:10(2012年度は23:00 - 24:50)に、フジテレビNEXTで放送されたものを1時間40分(2012年度は1時間50分)に編集して録画中継する。2012年度と2013年度の開幕戦であるオーストラリアグランプリは17:00 - 18:50に放送された。
過去の放送時間
※以下はフジテレビ系列が2011年まで地上波系列局で放映していたときのものである。
予選放送
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていた。通常は土曜深夜に予選を放送し、翌日に決勝の模様が放送される。ただし、一部のフジテレビ系列局では土曜の予選を放送していない、またはフジテレビより遅れた時間で放送している局も存在していた。2010年現在地方局で毎戦予選を放送していたのは北海道文化放送、岩手めんこいテレビ、さくらんぼテレビ、東海テレビ、関西テレビ、岡山放送、高知さんさんテレビ、山陰中央テレビ、沖縄テレビの10局となっていた。なお、年一回の「FNSの日(27時間テレビ)」と重なる場合は放送時間が30分に短縮されていた(この場合のみ通常未放送地域でも放送、ただしFNSの日を放送していないテレビ大分は除く)。2011年は放送時間を30分に短縮した。
決勝レース放送
F1商業権を統括するFOAとの契約によりレース開催当日に放送開始することを義務付けられている。実際に完全履行しているのはCSチャンネルのフジテレビNEXTでの放送のみだが、地上波でも2011年までは23:50から放映されていた(それまでは時間帯が不定期だった)。これは、特にヨーロッパでの開催において日本時間ではプライムタイムと重なるが、「高い視聴率を確保しにくい」という理由で深夜帯での枠が与えられているため。その場合、23:45からの「FNNニュース」は通常10分のところを5分短縮、「すぽると!」はF1中継終了後、深夜枠にて20分間の放送などの編成がなされていた。
また、クロスネット局であるテレビ大分とテレビ宮崎の場合は日本テレビ制作「Going!Sports&News」の終了後、1時間遅れの24:50から放送されていた(その場合、テレビ大分では通常番組の「NNNドキュメント」はF1中継終了後、もしくは翌日の月曜深夜に放送する措置がとられていた)。クロスネット2局では特番などの影響でこれより数10分遅れることもある他、編成によってはFNSフルネット局と同時ネットになる場合もあった。
例外としてオーストラリアGPは時差の関係上夕方(2005年は13:00)から、モナコGP、イタリアGP、シンガポールGP(2008年)、日本GPは22:00もしくは22:30、または22:55から放送を行う場合がある。また日本GPは2005年から2009年まで午後1時台からの生中継を実施していた(後述)。また、南北アメリカ大陸の国で行われる場合、時差の関係で当初は月曜深夜に放映されていたが、「結果が先に新聞などで流れてしまう」などの視聴者の声に応える形で月曜日の早朝に放映されるようになり、1993年以降生中継となったが(1992年のメキシコGPとカナダGPは月曜朝(録画放送)・月曜深夜(ダイジェスト)と2回放送していた)、2010年ブラジルGPは前夜のプロ野球日本シリーズ中継延長の影響で、125分遅れの2010年11月8日3:00 - 4:25でかつ放送時間を85分に短縮して録画放送された[17]。この場合はクロスネット局のテレビ大分とテレビ宮崎でも同時ネットで放送される(クロスネット2局では開始時間が22:00もしくは22:30、または22:55の場合は24:50からの時差ネットとなる)。
かつては1993年3月まではフジテレビ系列だった山形テレビ(現在はテレビ朝日系列)[18]のほか、青森テレビと岩手放送(現:IBC岩手放送)[19](いずれもTBS系列)などの系列外局でも決勝レースのみ放送されていた。
なお1990年代後半まで、フジテレビ社内の映写室で生映像を見せるサービスを、モータースポーツジャーナリストやスポンサー、ドライバー関係者のために行っていたが、フジテレビ721(現フジテレビTWO)における生放送の開始(1998年)を受けてこのサービスは廃止となった。
総集編
シーズン終了後の12月にはその年の総集編を特別番組として放映している。ブーム期には5時間の内容だったこともある。また、総集編は放映しない系列局も存在する。1999年からはCS放送でも放送している。近年は地上波放送がなくなっていた。
詳細についてはF1総集編を参照。
現在の主な出演者
実況アナウンサー
馬場以外は現職のフジテレビアナウンサーである。
- 馬場鉄志 1987年 - 1998年 、2013年 - (1987年イタリアGP)※フリー、地上波担当時関西テレビアナウンサー
- 塩原恒夫 1993年 - (1993年カナダGP)
- 竹下陽平 1998年 - (2000年マレーシアGP)
- 福永一茂 2006年 - (2007年中国GP)
- 立本信吾 2011年 - (地上波実況経験なし、BSフジ版初実況は2014年モナコGP)
()は地上波初実況のGP
スタジオ解説
現地解説
- 今宮純(1987年 - 1994年、1996年 - 2002年は地上波にも出演)
- 川井一仁(現地に解説陣を派遣しない場合はスタジオ解説を担当する)
- 小倉茂徳(川井不在時)
- 津川哲夫(原則として不定期で金曜フリー走行2回目のみだが、2012年は韓国GPのスタジオ解説を担当。また以前は地上波にも不定期出演)
- 船田力(金曜フリー走行2回目のみ)
ゲスト解説
- 近藤真彦(2012年・2013年日本GPのBSフジ版に出演、2003年 - 2011年は地上波に解説者として出演)
過去の主な出演者
実況アナウンサー
古舘、鈴木、下田以外はフジテレビアナウンサーである。
- 大川和彦 1987年 - 1990年 (1987年ポルトガルGP - 1990年オーストラリアGP)
- 野崎昌一 1987年 (1987年ブラジルGP - メキシコGP)
- 古舘伊知郎 1989年 - 1994年 (1989年ブラジルGP - 1994年日本GP)※フリー、元テレビ朝日
- 三宅正治 1990年 - 1999年 (1990年ベルギーGP - 1999年日本GP)
- 鈴木敏弘 1995年 - 1998年 (1995年ポルトガルGP - 1998年カナダGP)※テレビ静岡
- 長坂哲夫 1995年 - 2002年、2008年 - 2009年(1995年カナダGP - 2009年スペインGP)
- 伊藤利尋 2000年 - 2008年 (2001年ハンガリーGP - 2008年マレーシアGP)
- 長谷川豊 2003年 - 2007年 (2007年アメリカGP)
- 西岡孝洋 2003年 - 2011年 (2003年カナダGP - 2011年シンガポールGP)
- 野島卓(CSでの日本グランプリ中継のみ)
- 渡邉卓哉(CSのみ)
- 田中大貴 2005年 - 2008年 (2008年カナダGP、2008年ブラジルGP ただし予選のみ)
- 下田恒幸 2008年(CSのみ)※フリー、元仙台放送
- 小穴浩司 2008年 - 2011年(CSのみ)
解説者
ゲスト解説
- 高橋国光(1987年日本GP・1988年ブラジルGP)
- 青木宣篤(GPライダー)(1997年ハンガリーGP)
- 中嶋悟(1992年 - 、不定期)
- 生沢徹
- 脇阪寿一
- 本山哲
- 金石勝智
- ミハエル・クルム
- 福田良
- 佐藤琢磨 (2009年日本GP)
ピットレポーター
- 川井一仁(1988年 - 2002年)
- 永田康和(1987年 - 1989年)
- 林百合佳(1995年)(その後、フォーミュラ・ニッポンのピットレポーターを務めた)
- 大林素子(1996年)(2011年までCS『F1GPニュース』司会を担当していた)
- ジェフリー・ブレズ(1993年。川井のサブ的な役割。古舘伊知郎に「謎の外国人・ジェフ」と紹介される)
- 中嶋一貴(2007年)
- 山本左近(2007年ハンガリーGPより、スパイカーF1で参戦のため降板)
- 吉本大樹(2007年 - 2008年)
キャスター
ナレーション
- 小林克也 「F1 Grand Prix in ○○(開催地)!」のコール。1987年シーズンではオープニング前のF1紹介VTRのナレーションも担当。
- 城達也 1990年 - 1992年のオープニング前(過去の名ドライバー紹介)・1993年エンディングナレーション・1993年までのF1総集編など、死去直前まで長らくナレーション全般を担当。
- 榊原良子 1993年オープニング前ナレーション担当。
- 窪田等 城の後任。1994年のオープニング前ナレーション・1997年オープニング前・エンディングナレーション・1994年以降の総集編ナレーションなどを担当。
- 林原めぐみ 1999年オープニング前ナレーション担当。
- 世良公則 1999年F1総集編、2000年オープニング前ナレーション担当。
- 鈴木英一郎 2005年 - 2007年オープニング前ナレーション担当。
- 佐藤賢治 2001年 - 2004年オープニング前ナレーション担当。以降2011年までは地上波の番組における、すべてのナレーションを担当。
- 大友龍三郎 2009年オープニング前ナレーション担当。
ゲスト・その他の出演者
- 岡田美里
- 夏木陽介(1987年ブラジルGP) カーマニアとして知られ、パリ・ダカに参戦していた。
- 岩城滉一(1987年サンマリノGP)
- 田島和広(1987年イタリアGP)
- 平子理沙(元『F1ポールポジション』アシスタント)
- 中野浩一(1991年モナコGP)
- 松任谷由実(1991年モナコGP)
- 石橋貴明(とんねるず、1993年モナコGP)
- 定岡正二(1993年モナコGP)
- 江本孟紀(1993年イギリスGP)
- 田尾安志(1993年イギリスGP)
- 安藤優子(1994年パシフィックGP) スタート直前のアイルトン・セナの公式インタビュアーを務めた。
- 鈴木保奈美(1994年モナコGP)
- 森口博子(1994年日本GP)
- 浅野ゆう子(1995年パシフィックGP)
- 松岡昌宏(TOKIO、1996年モナコGP)
- 鈴木杏樹(1996年モナコGP)
- 薬師丸ひろ子(1996年ポルトガルGP)
- 大林素子(1997年イタリアGP)
- 森田剛(V6、1998年フランスGP)
- 三宅健(V6、1998年フランスGP)
- 岡田准一(V6、1998年フランスGP)
- 観月ありさ(1998年日本GP)
- 花田勝(2000年モナコGP、日本GP)
- 堂本光一(Kinki Kids、2000年イタリアGP、2002年イタリアGP、2009年日本GP)
- 菊川怜(2002年オーストラリアGP)
- 松岡充(SOPHIA、2002年オーストラリアGP)
- 船木和喜(2003年オーストリアGP)
- 谷亮子(2003年日本GP)
- 浜田雅功(ダウンタウン、2006年ハンガリーGP、2007年スペインGP) 自身が出演しているスポーツバラエティ番組『ジャンクSPORTS』のスーパーアグリ応援企画の一環で登場。
- 木村拓哉(SMAP、2007年モナコGP、日本GP)ただしモナコGPにおいては仕事のスケジュール上、決勝レースを見ずに日本に帰国。事実上の、ゲスト扱いということになる。
- 清原和博(2009年モナコGP)
- 古田敦也(2009年イギリスGP)
- 大島優子(AKB48、2011年日本GP)
サポーターズ(スペシャルリポーター)
2006年の企画(トルコGP - )。日本グランプリを盛り上げる役割を担った。
- 小倉智昭(キャプテン。日本グランプリでは自身の番組「情報プレゼンター とくダネ!」でもリンクリポートした)
小倉以外は山田優もモデルを務める小学館のファッション雑誌「CanCam」とのタイアップで、同誌のモデルから選ばれた。
スタッフ
- 作家:高桐唯詩
- TP:中村有吾
- TD:中村有吾
- SW:伊佐憲一、長田崇
- カメラ:斉藤伸介、三浦博紀、生谷吉亜、永野進、熱田信、馬塲義土
- 音声:西尾征剛、山田公次郎
- VE:佐藤順一、青木良太
- 照明:河村龍太郎
- 国際衛星:中田智之
- 編集:西勝隆行、竹内信夫、寺澤健、田村義景、岡本和也
- 音響:長谷川龍
- MA:萩野賢
- CG:北岡誠、佐藤康夫
- テレシネ:荒木陽太
- 広報:小出和人
- TK:小島陽子、江守紀代子
- コーディネーター:藤井美智子、ドナータ・ディ・マイオ
- 渉外:原由香
- 制作デスク:草薙結喜子
- アシスタント:齋藤佳伸、高田和典、熊倉拓也
- ディレクター:酒井範行、伊藤雄司、藤井将人、田熊清、竹森禎敏、東厚志
- チーフディレクター:酒井範行、髙木健太郎
- プロデューサー:藤山太一郎、岡泰二、福本洋
- 技術協力:北海道文化放送、仙台放送、長野放送、テレビ静岡、東海テレビ、関西テレビ、テレビ新広島、テレビ西日本、八峯テレビ、FLT、共立、東通、バンセイ、テクト、SIS、イメージスタジオ101、東邦航空
- 制作著作:フジテレビ
過去のスタッフ
- ディレクター:佐藤大輔、吉川宏、吉田博章、太田光史、杉江達也、木南正人、能智大介、木下智裕、佐古真由子
- プログラムディレクター:高盛浩和、酒井範行、本間学、土屋健、片山正康、吉田豪
- チーフディレクター:岡泰二、根本俊太郎、山本剛志
- プロデューサー:清原邦夫、岡泰二、渡邊信治、松野博文、矢延隆生、峰岸淳、根本俊太郎、黒木省一郎
op(90〜92年)に登場した歴代のドライバー
- 90年
- フィル・ヒル(1961年ワールドチャンピオン)
- カルロス・パーチェ(1975年ブラジルグランプリ優勝)
- クレイ・レガッツォーニ
- グラハム・ヒル(1962,68年ワールドチャンピオン、モナコ5勝)
- ジル・ヴィルヌーブ
- ペドロ・ロドリゲス
- フランソワ・セベール
- ジム・クラーク(1963,65年ワールドチャンピオン)
- ヨッヘン・リント(1970年ワールドチャンピオン)
- ニキ・ラウダ(1975,77,84年ワールドチャンピオン)
- ジャッキー・イクス(1969,70年シリーズ2位)
- ロニー・ピーターソン(1978年イタリアグランプリで死去)
- スターリング・モス
- ジャッキー・スチュワート(1969,71,73年ワールドチャンピオン)
- アラン・プロスト(1985,86,89,93年ワールドチャンピオン)
- アイルトン・セナ(1988,90,91年ワールドチャンピオン)
- アラン・ジョーンズ(1980年ワールドチャンピオン)
- 91年
- マリオ・アンドレッティ(1978年ワールドチャンピオン)
- エマーソン・フィッティパルディ(1972,74年ワールドチャンピオン)
- ジョディ・シェクター(1979年ワールドチャンピオン)
- ロレンツォ・バンディーニ(1967年モナコグランプリで死去)
- パトリック・タンベイ(ヴィルヌーブの親友)
- リッチー・ギンサー(1965年メキシコグランプリでホンダに初優勝をもたらす。)
- ディディエ・ピローニ
- ジェームス・ハント(1976年ワールドチャンピオン)
- ヨッヘン・マス(1975年スペイングランプリ優勝)
- 本田宗一郎
- ケケ・ロズベルグ(1982年ワールドチャンピオン)
- ジョン・サーティース(1964年ワールドチャンピオン、1967年イタリアグランプリ優勝)
- ファン・マヌエル・ファンジオ(1951,54,55,56,57年ワールドチャンピオン)
- カルロス・ロイテマン(1981年シリーズ2位)
- 中嶋悟(日本人初のF1レギュラードライバー)
- ジャック・ブラバム(1959,60,66年ワールドチャンピオン)
- 92年
- マリア・テレーザ・デ・フィリップス(世界初の女性F1ドライバー)
- デニス・ハルム(1967年ワールドチャンピオン)
- ウィルソン・フィッティパルディシニア
- クリス・エイモン
- ジュゼッペ・ファリーナ(1950年ワールドチャンピオン)
- プリンス・ビラ(タイの王族ドライバー)
- ネルソン・ピケ(1981,83,87年ワールドチャンピオン)
- ジャン・ピエール・ベルトワーズ(1972年モナコグランプリ優勝)
- マイク・ホーソン(1958年ワールドチャンピオン)
- パトリック・デュパイエ(1980年ホッケンハイムで死去)
- ヴィットリオ・ブランビッラ(1975年オーストリアグランプリ優勝)
- グンナー・ニルソン(1977年ベルギーグランプリ優勝)
- アルベルト・アスカリ(1952,53年ワールドチャンピオン)
- フロイラン・ホセ・ゴンザレス
- ホンダエンジン
- ブルース・マクラーレン(マクラーレンチーム創始者)