世良公則

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テンプレート:Infobox Musician 世良 公則(せら まさのり、1955年12月14日 - )は、日本ロックミュージシャンボーカリスト俳優広島県福山市水呑町出身(港町生まれ)[1]広島県立福山葦陽高等学校大阪芸術大学芸術学部放送科卒。

経歴・人物

プロデビューまで

世良公則&ツイスト

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  • 1977年11月のレコードデビュー、翌1978年1月のテレビ初出演(夜のヒットスタジオフジテレビ、1月9日)後は、出す曲出す曲大ヒット、わずか1年足らずで頂点に立ち一世を風靡した[5]
    • Char原田真二と共にロック御三家と言われ、それまでのテレビを拒否していたニューミュージック系のミュージシャンと違い、テレビアレルギーのない世良らは、有効なプロモーシャン・メディアとしてのテレビを積極的に利用していった[6]。当時は『ザ・ベストテン』が始まった時期で、このようなランキング番組や『レッツゴーヤング』などのアイドル系歌番組にも積極的に出演、「銃爪(ひきがね)」で、『ザ・ベストテン』初年度年間1位も獲得した(1978年)。
    • また、当時の売れっ子アイドル最大のステータスともいうべき「月刊明星」の表紙を日本のロックバンドで初めて飾った(1978年8月号)。この他、ツイストとして4度、世良単独でピンク・レディーらと2度表紙を飾る(単独の場合は基本的に男女二人)[7]。「月刊平凡」の表紙はツイストとして2度、世良単独で1度。こうした「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌やテレビに頻繁に登場・出演した最初のロックミュージシャンであった[8]
    • 彼らの成功は、1970年代後半の歌謡曲ニューミュージックの全盛時代に新たに「ロック」をオーバーグラウンドにのし上げる事となった[9]
    • 野生的なルックスや"演歌ロック"、"歌謡ロック"とも言われた野太い声を利かした唱法、"世良足"ともいわれたがに股など、空手風の派手なアクションで魅せる世良独自のステージングは物真似の格好のネタになる程で、当時のまわりの歌手も一様にオーバーな歌唱法と身ぶり手ぶりをやり始めるなど[10]後の音楽界にも多大な影響を与えた[11]。ロックのメジャー化はもちろん、それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓した功績は大きく、新たな潮流を生み出すきっかけとなった[12]。サラサラ髪のおかっぱ長髪の髪型も流行、女子中・高生のアイドルになった[13][14]。衣装や髪形はすべてセルフプロデュースだったという[14]。1978年の雑誌の「男性タレント・セクシー度調査」でも西城秀樹沢田研二を抜いてNo.1に選ばれた[15]
    • ロック系のヒットラッシュが続いた1970年代後半に於いて、商業的に最初に成功し[16]、1980年代の「バンドブーム」を誘発した[17]
    • ロックと歌謡曲の境目をなくして、日本でヒット性を考えてロックを作るとこうなる、という手本のような音楽性は"J-ROCKの元祖"との評価もある[18]
    • またこの頃、歌番組のスタッフにはロックミュージシャンへの偏見が強く、演出法に対してもめる事が多かったが、これらの改善にも世良らが後世に残した功績は大きい[19]。当時の歌番組は基本的に生放送で、歌手の演奏は「ダン池田とニューブリード」など、番組専属のオーケストラが行い、それなりに権限を持っていた。このため「ロック御三家」のように自身のバンドで演奏しようとするロックミュージシャンと衝突した[20]。時間の制限のある生放送で、前の歌手の演奏後、セット交換の間にバンドのセッティングをするのは難しかった[20]。この後、テレビ出演するロックバンドが増えたこと、カラオケの普及が、テレビの歌番組から専属のオーケストラを消すことになり、その怒りを本にしたものが1985年ダン池田の有名な暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』となる[21]。ケンカする世良の抑え役だったという桑田佳祐は"ライバルに匹敵する存在って俺の場合はいないんだけど、あえて同世代で同じ職種の人間というなら、世良クンかなぁ。テレビ局で居合わせたときに浮いてる感じが似てたしね。やっぱり世良クンというライバルがいなかったら「テレビでロックだ!」みたいな感覚にならなかったと思う。いまでもたまに会うと、なんか兄弟と久しぶりに会うときのくすがったさを感じる"と話している[22]
  • 1980年1月、それまで所属していたヤマハから独立し個人事務所・MRT(ミュージシャン・レヴォリューション・トレイン)を設立。ヤマハから独立したアーチストで成功例がないため不安視されたが、やはり独立後の第1弾シングル「SOPPO」からセールスは下降した[23]。また世良が高校時代の同級生と婚約を発表したことも大きな影響があった[24]
  • 1981年には桑田佳祐山下達郎竹内まりやダディ竹千代と期間限定ユニット「竹の屋セントラル・ヒーティング☆」を結成、ベースを担当している。そのときの名義は「世良正則」となっている。
  • 1981年末に「ツイスト」解散。その後はソロとして音楽活動を開始。

ソロ活動

  • 「SERA BAND」という名称のバックバンドを率い、アルバム発売時の全国ツアーや小規模ライヴハウスを連日借り切っての「マラソンライヴ」、生誕30周年を祝う武道館公演などを精力的に展開。
    • SERA BANDは1998年5月に行われた日清パワーステーションのフェアウェルライヴまでの活動が確認されているが、その後の活動記録はない。
    • 1990年以降、SERA BANDによるGentle Handsと題したアコースティックライヴを毎年冬に展開して話題となる。アコースティックの活動はSERA BAND解散後も続き、その成果として2001年と2006年にはアコースティックライヴ映像集、2007年には全編アコースティックのアルバム、2008年にはアコースティックギターの教則DVDを続々リリースすることとなる。
  • ソロ活動開始以降は俳優業も本格的に開始。その評価は高く、TV『太陽にほえろ!』などの刑事ドラマ、NHK朝ドラチョッちゃん』や『Wの悲劇』、『極道の妻たち』シリーズ、『マルモのおきて』、『カンゾー先生』などの映画にも多数出演し、日本アカデミー賞の第10回及び第22回助演男優賞を受賞。
    • 俳優活動の代表作として挙げられる『太陽にほえろ!』では、ハンフリー・ボガート(愛称:ボギー)に心酔した、その名も『ボギー』というニックネームの転任刑事として活躍。世良本人の出身地に合わせ、広島出身、大のカープファンというキャラであった。熱血漢・直ぐにカッとなる猪突猛進の性格の反面、人情味に溢れ、小動物を愛し、純情な一面も持ち合わせる。(神田正輝演じる『ドック刑事』に言わせると、「ほ〜らまた始まったよ、純愛感動路線が」とからかわれる)が、その熱血漢が災いしてか、この頃の『太陽に〜』では珍しく、転任して約1年半[25]という短期間で殉職・降板(第597話『戦士よさらばボギー最後の日』にて刺殺)となる。2枚目半の『格好良くキメているつもりの、ドジで格好悪い刑事』というボギー刑事が刺殺される場面では、必要最低限の都会の雑踏音・喧騒と、世良本人の希望によりBGMなしの音声のみで左胸をナイフで刺されるシーンを放映。法律では裁けない『悪』へ単身乗り込もうとしようとした所で不意に刺され、一瞬呆然とするボギー。そして「まだやりたいこと、あんだよぉ!」と無念さを言葉に出し、広島の実姉の名を呼び、無様な最期となった自分への言葉[26]。それぞれが上手く演出され、ボギー刑事の無念さをあらわす、悲しい名場面となった。
    • 1989年主演した『クライムハンター 怒りの銃弾』(東映Vシネマ)はVシネマ第一号として、その後のVシネマ(オリジナルビデオ)の量産を産むこととなる。
    • NHK朝ドラ『チョッちゃん』本番において、世良自身がヴァイオリンを演奏・OAしているのを高嶋ちさ子がTVで見抜き、覚えていた。これが、後々に2人がセッションを組むきっかけとなった。
  • 1989年、ツイストでのデビュー以来所属していたレコード会社であるポニーキャニオンを離れ、east west japan(ワーナーミュージック)へと移籍。いくつかの社内レーベル移動を経て、1997年まで所属。その中ではツイストの再結成活動も行った。
  • 1998年から約3年間はレコード会社へ所属せずにライヴ活動に専念。1999年になると弾き語り形式のソロ・アコースティックライヴを本格的に始めるほか、ハッピーラビッツやSSKユニットなどのプロジェクト活動が活発化。ここで野村義男櫻井哲夫と組んだことが、21世紀の活動内容へと発展していくこととなる。
    • この頃から、音楽活動への専念を理由に俳優活動を休止させる。
  • 2000年、自主レーベル「Spicule」を立ち上げて新譜を製作することを発表し、新曲作りを活発化させる。2001年2月に自主レーベル第一弾アルバム「nobody knows」を発表。ここではSERA BAND時代のメンバーである神本宗幸(Key.)とサマンサ(Dr.)、そしてハッピーラビッツの活動で関係が密になった野村義男をゲストプレイヤーに招いた。また、世良自身が久々にベースをプレイしている。Spiculeからは2001~2002年の間に3枚のオリジナルアルバムとファン向けの企画盤「射手座のコッコちゃん」、広島で収録したアコースティックライヴビデオをリリース。
    • アルバム「nobody knows」発売記念として行ったライヴにおいて、野村義男(G.)、高砂圭司(B.)、横瀬卓哉(Dr.)という編成が実現。これが軌道に乗って正式に「GUILD9」という新バンドとなり、その後は同バンド名義でアルバムもリリース。
  • 2003年、ツイスト時代の曲をセルフカヴァーした「照 TWIST SONGS」を日本コロムビアからリリース。これは6年ぶりの国内メジャーレコード会社復帰作となった(このときの商品帯に付いていたキャッチコピーは「世良が動いた!」)。
    • ロサンゼルスで録音したこのアルバムの交友関係が元になり、海外ミュージシャンとのユニット「TWIST INTERNATIONAL」が誕生。2003年10月には日本武道館公演も行う。このときに出会ったエリック・ゴーフェン、マーティ・フリードマンダグ・アルドリッチといった人脈は、後の活動にも活きることとなる。
  • 2004年、CMで共演した宇崎竜童岩城滉一とともに3ピースのアコースティックユニット「GENTLE3」を結成。各地でライヴやディナーショーを行ったほか、ライヴアルバムもリリース。
  • 2006年、盟友の野村義男とともにアコースティックユニット・音屋吉右衛門としての活動を開始する。
    • 2008年1月、デビューシングルとして新番組「ヤッターマン」の主題歌をアコースティックアレンジでカヴァー。しかし、原曲の作曲者山本正之が自身の公式サイト上で制作サイドの内部事情を暴露した際に(現在は削除済)「デモテープだと思った」と酷評。それが火種となって、往年のコアファンを始めとした新旧ヤッターマン視聴者からの批判がインターネット上で噴出することとなった。一方でそういった話題性が追い風となったのか、CD発売に先かげて開始された着うたiTunes Storeなどの配信系販売ルートでのダウンロード数は3万曲以上を記録し、オリコンシングルCDランキング週間チャートにも初週で第38位に初登場。配信開始1ヶ月、CD発売10日前後の時点で通算5万枚のセールスを記録するスマッシュヒットシングルとなった(BARKS記事)。なお、このバージョンは当初の予定どおり2008年3月17日放送分(1クール分、第10話)まで使用されたが、世良公則はその2日後に一連の騒動に対する見解を含んだ記事を公式サイト上で発表している。
    • 2008年8月、ヤッターマンと同じタツノコプロが制作した伝説的なアニメ「マッハGoGoGo」のトリビュートアルバムに参加。ベースに寺沢功一、ドラムに高橋ロジャー和久を迎えた4人編成で、名義も「音屋吉右衛門'寿」となった。
  • 2008年、音楽活動への専念を理由に一部映画出演を除いて休止していた俳優業を本格的に再開することを発表[27]
  • 2008年12月24日、世良公則(GUILD9)名義及び音屋吉右衛門'寿名義によるアルバムを2枚同時リリース。異なる名義による2枚の新譜を同時発売するのは初めての試み(ツイストで新譜とライヴアルバムを同日発売したことはある)。それぞれのアルバムタイトル「UNDERCOVER」は敬愛するローリング・ストーンズのアルバム名から引用したもので、マスタリングやブックレット写真撮影者にもローリング・ストーンズと縁のある人物を起用した。
  • 2010年2月にNHK教育の教養番組『趣味悠々』に出演して陶芸に挑戦。これ以降は陶芸との関わりも目立ち始め、陶芸の盛んな土地でライヴを開いたり、ドラマの収録現場でもドラマの共演者と陶芸を行ったり、ツアーグッズで自作の陶器をラインナップするようになる。

ソロアルバム

(注)既発音源の流用のみで構成されたベスト盤は割愛。

発売日 アルバムタイトル・収録曲 発売元 備考
1982年
10月21日
ポニーキャニオン ファーストソロアルバム。長らくCD化されず、1995年の廉価盤シリーズ企画(Q盤)で初めてCD化された。一部の曲は松任谷正隆が編曲を担当。
1985年
5月21日
SERA BANDのメンバーで録音された初のアルバム。クリスタルキングのムッシュ吉崎と田中昌之、シンガーソングライターの伊丹哲也がバックコーラスで参加。
1985年
11月21日
1995年の廉価再発時にはなぜかラインナップから外れた。
1986年
2月21日
1985年12月14日に行われた日本武道館公演の模様を録音したライヴアルバム。CDは11曲のみの収録。廉価再発時にはラインナップから外れている。
上記ライヴアルバムのLP盤。こちらでは17曲収録で、当日の全容をほぼ再現している(ここでもカットされた導火線は、Against The WindのシングルB面に収録)。
1986年
11月21日
When A Man Loves A Womanは洋楽曲のカヴァー。1995年の廉価再発時には、なぜかこのアルバムが3rdアルバムと表記された[29]
1987年
12月16日
Heart Is Gold、Tough In The Cityの2曲はタイアップ向けにシングルカット。1995年の廉価再発時にはこのアルバムもラインナップから外れている。
1990年
4月10日
MMG/
ワーナーミュージック
ワーナー移籍第1弾アルバム。
1991年
8月25日
L.A.にて海外ミュージシャンとともに録音されたアルバムで、歌手の飯島真理がバックコーラスで参加。Two Heartsは郵便局レタックスCM曲に起用。
1992年
9月25日
ソロデビュー10周年記念盤。新曲は3曲で、残りは既発曲の再録音。ツイスト時代の盟友・松浦善博がプロデュース。
1995年
4月25日
east west japan/
ワーナーミュージック
9曲はSERA BANDによる演奏だが、ドラムは正式メンバーのサマンサではなく、SPARKS GO GOのたちばな哲也が担当。また、サザンオールスターズ桑田佳祐が「桑竹居助」名義で参加し、一部曲にてバックコーラスやスライドギターを担当。
2001年
2月26日
Spicule/
tokiora
自主レーベル「Spicule」から発売したアルバム第1弾。野村義男がゲストギタリストとして参加しているほか、世良自身が全曲でベースをプレイしている。
2001年
12月21日
THIS ISに収録されていたNight Worker、1996年のトヨタカルディナ下半期CMソングでありながら未発売だったBorn To Be Rockin'を再録音収録。引き続き野村義男がゲストギタリストとして参加。ベースは元チャーミースマイル&グリーンヘッドの高砂圭司。
2002年
9月13日
全曲がバンド「GUILD9」(世良公則、野村義男、高砂圭司、横瀬卓哉)によって録音されている。
2003年
9月25日
日本コロムビア L.A.で海外ミュージシャンとともに録音。タイトルどおりツイスト時代の曲を再録音したアルバムだが、新曲も2曲収録。プロデューサーはエリック・ゴーフェン。
2004年
12月22日
コロムビアミュージックエンタテインメント GENTLE3名義で2004年7月に行われた横浜公演を収録したライヴアルバム。世良の持ち歌からは新旧2曲が選曲。また、ソロライヴで度々カヴァーした「夜空ノムコウ」もGENTLE3バージョンにて収録。リハーサル等の模様を収めた特典DVDは世良が編集に関与。
2007年
8月15日
ROPPONGI WAVE GUILD9/世良公則名義。Spiculeからリリースした3枚のアルバムより選んだ12曲に、ツイスト初期3枚のシングル表題曲を加えた全15曲を、スタジオライヴ形式で再録音。ベースに元カシオペアの櫻井哲夫、キーボードに元ツイスト〜SERA BANDの神本宗幸を迎えた新編成GUILD9での初作品。
2007年
9月26日
ドリーミュージック 世良公則&TWIST INTERNATIONAL名義。みたびL.A.で作られた全編アコースティックのアルバム。ツイスト時代の7曲とソロ時代の3曲を再録音し、新曲を2曲加えた全12曲。プロデューサーはエリック・ゴーフェン。レコーディング風景を収めた特典DVDは、世良自身が編集を担当。
2008年
12月24日
ソロキャリアのシングル14枚の表題曲を網羅したベスト的内容だが、全曲がGUILD9のメンバーによって再録音されている。ベースの櫻井哲夫はスケジュールの都合上6曲のみの演奏で、残りの8曲は元BLIZARDの寺沢功一が担当。
音屋吉右衛門名義。タツノコプロ公式の下、同社の有名アニメ4作の主題歌をアコースティックアレンジでカヴァー。新作アニメ・キャシャーン Sinsのために書き下ろした新曲も含む。ヤッターマンの歌以外は、ベースに寺沢功一、ドラムに元X-RAYの高橋ロジャー和久を迎えたバンド「音屋吉右衛門’寿」としての録音。
2012年
10月3日
デビュー35周年記念盤。GUILD9/世良公則名義。ROPPONGI WAVEレーベルから2007年にリリースした『WE ARE GUILD9』のリイシュー盤だが、そこからは11曲のみのチョイスで、他は新規録音テイク(書き下ろし新曲1曲、既発曲の再録音2曲)に入れ替えとなっている。
デビュー35周年記念盤。エリック・ゴーフェンや野村義男、YANAGIMAN、西川進といった7人のアレンジャーとともに、世良自身の音楽人生とともに在った12組のアーティストたちの発表曲をカヴァー(うち1組は世良公則&ツイストであり、セルフカヴァーとなる)。演奏にはGUILD9の他、アレンジャーごとに様々なミュージシャンが集う。

ソロシングル

  • TOKYO指紅/モーニングシャワー(1982年10月21日発売)ポニーキャニオン
  • Your Song/Girl ~somebody lovin' you~(1983年6月5日発売)ポニーキャニオン
  • 導火線/サスピションマインド(1984年6月5日発売)ポニーキャニオン
  • Darlin'/けたたましく朝(1985年4月21日発売)ポニーキャニオン
  • Say yeah 〜とんだ時代に生まれちまった〜/Chiken Step(1985年9月21日発売)ポニーキャニオン
  • Against The Wind/導火線Live Version(1986年3月21日発売)ポニーキャニオン
  • Knockin' My Heart/目撃者(1986年6月5日発売)ポニーキャニオン
  • Heart Is Gold/One More Night(1987年10月21日発売)ポニーキャニオン
  • Tough In The City '88version/TOKYO指紅 New Version(1988年4月21日発売)ポニーキャニオン
  • 抱きしめてくれ…/雨上がりのブルースウェードシューズ(1988年9月21日発売)ポニーキャニオン
  • POWER/Scrap(1989年7月15日発売)Mother&Children/ワーナーミュージック
  • 別れの朝/私は風(1994年6月25日発売)east west japan/ワーナーミュージック
  • 鼓動/そっと、Kissを…(1995年2月25日発売)east west japan/ワーナーミュージック
  • Rambling Dreamer/REAL(1996年2月10日発売)east west japan/ワーナーミュージック
  • ヤッターマンの歌/Days(2008年1月30日発売)ドリーミュージック ※音屋吉右衛門 名義(Daysは世良公則&TWIST INTERNATIONAL)

上記シングル収録曲の中で、セルフカヴァーバージョンを含めてCD音源化や配信音源化がされていないアナログリリース限定楽曲は、「Girl ~somebody lovin' you~」「目撃者」「One More Night」の3曲である。※2012年末現在

そのほかの発表音源

  • Heartache 303 Live Version(1988年)※ALIVE HIROSHIMA'88に収録
  • Prayer(1990年)※『クライムハンター3 皆殺しの銃弾』本編に1番のみ収録
  • Prayer Live Version(1990年)※HIROSHIMA'90に収録
  • Gentle Hands(1992年)※アコースティックツアー『Gentle Hands』テーマソング/未発売
  • Born To Be Rockin' 1996 Version(1996年)※トヨタカルディナ1996年下半期CMソング/未発売
  • for U(1998年)※テレビ朝日系『やじうまワイド』天気予報イメージソング/未発売
  • Kokoro(1999~2000年)※当時のアコースティックソロライヴで演奏/未発売
  • Pride & Glory(2003年)※『阪神タイガース優勝祈念CD VICTORY』に収録
  • タイトル不明(2003年)※キリンビバレッジ「釜の茶」CM用音楽
  • ヤッターマンの歌 TVサイズ Version(2008年)※『ヤッターマンSONG BOOK』に収録。音屋吉右衛門 名義
  • 蒼い影 Inst. Version(2009年)※『キャシャーン Sins スペシャルコンプリート』に収録。音屋吉右衛門’寿 名義
  • 蒼い影 Ballad Version(2009年)※『キャシャーン Sins スペシャルコンプリート』に収録。音屋吉右衛門’寿 名義
  • 燃えろいい女 2009 Version(2009年)※NHK『タビうた』番組内で使用された伴奏用音源。GUILD9による新規スタジオレコーディング(G:世良公則、野村義男、B:櫻井哲夫、Dr:横瀬卓哉)
  • あしたのジョー 40th Anniversary Version(2010年)※『ぱちんこ あしたのジョーORIGINAL SOUND TRACK』に収録。[31]
  • 傷だらけの栄光 40th Anniversary Version(2010年)※『ぱちんこ あしたのジョーORIGINAL SOUND TRACK』に収録[31]

コラボレーション

  • ふたりは 〜Two Of Us〜(1995年)※中島みゆきとのデュエット曲。中島みゆきのアルバム『10 WINGS』に収録。
  • True Love Song(2010年)※大友康平とのデュエット曲。iTunes Storeなどの各種配信サイトにて先行リリースされた後、大友康平のアルバム『コラボ×3』に収録。

ソロ時代の音楽映像

(注)ファンクラブビデオ会報は除く

  • KAIZOKUBAN(1987年 VHS)※1986年 INK STICK 芝浦ファクトリーでのライヴ映像
  • HIP HIP HURRAH(1992年 VHS)※1992年 日比谷野外音楽堂でのライヴ映像(2006年にDVD再発)
  • O-kiraku Live(2000年 VHS)※2000年 広島サンプラザホールでのライヴ映像
  • JUST PLAY ROCK(2003年 DVD)※1999、2001、2002年のライヴ映像オムニバス集
  • アンプラグドライブ DISC2(2004年 DVD)※GENTLE3アンプラグドライブの初回仕様DVD。リハなどを収録
  • Acoustic Works(2006年 DVD)※2005年 Motion Blue Yokohamaでのライヴ映像
  • GUILD9 REC'07(2007年 DVD)※WE ARE GUILD9の初回特典DVD。スタジオライヴを2曲収録
  • JACARANDA DISC2(2007年 DVD)※JACARANDAの初回仕様DVD。リハやPVなどを収録
  • 直伝ギター魂 〜seraならこうヤルッ!〜(2008年 DVD)※ギター教則DVD

歴代ユニット及びメンバー

世良公則(ボーカル、ギター)

  • GUILD9(2001年~)
    • 野村義男(ギター)
    • 横瀬卓哉(ドラム)
    • 櫻井哲夫(ベース)2005年に加入
    • 神本宗幸(キーボード)断続的なサポートを経て2005年に加入
    • マーティ・フリードマン(ギター)2003年以降断続的にサポート
    • 寺沢功一(ベース)2008年のレコーディングに参加、以降断続的にサポート
    • 高砂圭司(ベース)2001年~2004年
    • サマンサ(ドラム)2001年のレコーディングに参加
    • 松本タカヒロ(ギター)2013年のTBS音楽の日』出演時に初参加[32]
    • 小島剛広(ベース)2013年の日本テレビ音楽のちから』出演時に初参加
      • 野村の不在時にはマーティーが、櫻井の不在時には寺沢がその穴を埋める場合が多い
      • 2014年10月に、世良、横瀬、神本、松本、小島という編成でのライヴが組まれ、そこで初めて「GUILD9とJET ROXの混成」という紹介がなされるとともに、松本と小島はJET ROXからの客演という位置付けが確立した。
  • 音屋吉右衛門(2006年 - )
    • 野村義男(ギター、ボーカル)
    • 寺沢功一(ベース)彼を加えると音屋吉右衛門'寿名義となる
    • 高橋ロジャー和久(ドラム)彼を加えると音屋吉右衛門'寿名義となる
    • 横瀬卓哉(ドラム)2008年のレコーディングに参加
  • 音屋吉右衛門 分家(2008年 - )[33]
    • 武直亮(ギター、ヴォーカル)
  • 世良公則 with Friends(2004年 - )
    • エリック・ゴーフェン(ヴァイオリン)
    • 神本宗幸(ピアノ)
    • 武直亮(ギター、ヴォーカル)断続的にサポート
      • 出発点及び基本構成となっているのは、世良公則 with エリック・ゴーフェン&神本宗幸(Acoustic Works)。Friends名義になってからは、神本とのデュオ、一部曲で武を迎えたトリオ〜カルテット、それ以外のゲスト招聘など、幾つかの派生事例がある。また、これの前身的な組み合わせとして、神本宗幸(ピアノ)、渡辺茂(ウッドベース)という布陣のトリオ興行が、2000年1月に実現している。
  • 櫻井哲夫 with 世良公則&神本宗幸(1999年 - )
  • SERA BAND(1982年~1998年/流動的なので、ここでは主なメンバーを記載)
    • 青山徹(ギター)
    • 浜野義光(ギター)
    • 雨水英司(ベース)
    • 渡辺茂(ベース)
    • 鮫島秀樹(ベース)
    • 神本宗幸(キーボード)
    • 難波弘之(キーボード)
    • そうる透(ドラム)
    • サマンサ(ドラム)
    • 藤井正弘(サックス)
    • 森崎ベラ(コーラス)


上記の他、デュオによる興行が多数あり、これらは音屋吉右衛門以降に活発化した動きである。ここでは、音屋吉右衛門と音屋吉右衛門分家を除いた、主な双頭共演者を挙げる(テレビ等の放送番組用共演奏は割愛)。

    • 神本宗幸(ピアノ)
    • マーティー・フリードマン(ギター)
    • ダグ・アルドリッチ(ギター)
    • 高嶋ちさ子(バイオリン)
    • 今野均(バイオリン)
    • ROLLY(ボーカル、ギター)
    • 戸田恵子(ボーカル)
    • 宇崎竜童(ボーカル、ギター)

プロデュース

(注)第三者のプロデュースのみを記載。

  • 渡辺誠二「最近どう?」(1997年6月21日発売)A'Zip Music
  • いづみきんぎょ

テレビドラマ

映画・ビデオ

声の出演

CM

ドキュメンタリー番組

バラエティー番組

  • くんれん~あなたの知らない危機管理の世界~(2013年12月27日、2014年8月16日、NHK総合) - ナレーターとして声の出演

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参考文献

  • FMfanコレクション ニューミュージックの本 1978年 共同通信社
  • 石原信一 燃えろロックンローラー 著 1981年 集英社
  • 富澤一誠 あいつの切り札―松山千春から吉田拓郎まで36人 1881年 音楽之友社
  • 富澤一誠 青春のバイブル 1983年 シンコー・ミュージック
  • 若森繁男 現代風俗史年表 1986年 河出書房新社
  • 日本ロック大系〈上、下巻〉 1990年 月刊オンステージ編集部 白夜書房
  • 別冊太陽 日本のロック 50's~90's 1993年 平凡社
  • 1970音楽人大百科 日本のフォーク/ニューミュージック/ロック 1994年 学習研究社
  • J-ROCKベスト123 1968-1996 1996年 講談社
  • 田家秀樹 読むJ-POP 1945-1999私的全史 1999年 徳間書店
  • ロック・クロニクル・ジャパン vol.1 1999年 音楽出版社
  • Media View 1970-1999 売れたものアルバム 2000年 東京書籍
  • Jロック&ポップスCD名盤ガイド 2001年 立風書房
  • 長谷正人/太田省一 テレビだョ!全員集合 2007年 青弓社

外部リンク

テンプレート:世良公則&ツイスト
  1. 燃えろロックンローラー 石原信一著 1981年 集英社 77頁
  2. 大阪の大学に進学したのはFBIバンドがブルース志向だったため。当時の大阪はブルースが盛んだった(いつみても波瀾万丈(日本テレビ)2007年8月12日)。
  3. いつみても波瀾万丈
    富澤一誠著 青春のバイブル 1983年 シンコー・ミュージック 219、232頁
    燃えろロックンローラー 68-151頁
  4. バンド名がまた「ツイスト」になったのは1978年夏(燃えろロックンローラー 133-134頁)。
  5. 1970音楽人大百科 日本のフォーク/ニューミュージック/ロック 1994年 学習研究社 129、136、137頁
    『ニューミュージックの本』 共同通信社 98頁
  6. 世良公則&ツイスト(2):富澤一誠のフォークが好き
    ニューミュージックの時代 1993年 シンコー・ミュージック、138頁
    別冊宝島1548号 音楽誌が書かないJポップ批評54、宝島社、2008年、p20、21
    富沢一誠著 ぼくらの祭りは終わったのかーニューミュージックの栄光と崩壊ー 飛鳥新社、1984年、83-85頁
  7. 「明星」50年601枚の表紙 カラー版 明星編集部 2002年 集英社、192、193、196、199、209、210頁
  8. 「生身のロッカーでいたい」 世良公則さんインタビュー 産経新聞 2009年6月2日テンプレート:リンク切れ
    世良公則&ツイスト(2):富澤一誠のフォークが好き
    日本ロック大系〈上、下巻〉 1990年 月刊オンステージ編集部 白夜書房 415-417頁
    別冊太陽 日本のロック 50's~90's 1993年 平凡社 105頁
    富澤一誠著 青春のバイブル 1983年 シンコー・ミュージック 224頁
    富澤一誠 あいつの切り札―松山千春から吉田拓郎まで36人 1881年 音楽之友社 172-173頁
    田家秀樹 読むJ-POP 1945-1999私的全史 1999年 徳間書店 218-220頁
  9. 「生身のロッカーでいたい」 世良公則さんインタビュー 産経新聞 2009年6月2日テンプレート:リンク切れ
    oricon career 私の人生グラフ 時代の最前線にいるあの人の、過去・現在・未来を直撃 ...
    インタビュー | エンタテインメント | マイコミジャーナル
    J-ROCKベスト123 1968-1996 1996年 講談社 158-160頁
    1970音楽人大百科 日本のフォーク/ニューミュージック/ロック 1994年 学習研究社 129、136、137頁
    世良公則&ツイスト(2):富澤一誠のフォークが好き
    富澤一誠 青春のバイブル 1983年 シンコー・ミュージック 232頁
    ロック・クロニクル・ジャパン vol.1 1999年 音楽出版社 156頁
  10. 週刊朝日、1979年1月26日号43頁
  11. 昭和ジュークボックス【OnGen:国内最大級の音楽ダウンロードサイト】
  12. Media View 1970-1999 売れたものアルバム 2000年 東京書籍
    Jロック&ポップスCD名盤ガイド 2001年 立風書房 60、200、237頁
  13. 若森繁男著 現代風俗史年表 1986年 河出書房新社 291、292、300頁
    J-ROCKベスト123 1968-1996 講談社 158-160頁
  14. 14.0 14.1 【ヒューマン】世良公則「毎日がセッション」(2/2ページ)
  15. 郷ひろみ豊川誕以降、ジャニーズ事務所の人気も低迷し存続の危機を伝えられた時期だった(日本ロック大系〈上、下巻〉 1990年 月刊オンステージ編集部 白夜書房 415頁、別冊太陽 日本のロック 50's~90's 1993年 平凡社 105-106頁)
  16. Jロック&ポップスCD名盤ガイド 2001年 立風書房 60頁
  17. 『日本ロック大系』〈上、下巻〉417頁
  18. Jロック&ポップスCD名盤ガイド 2001年 立風書房 60頁
    昭和ジュークボックス【OnGen:国内最大級の音楽ダウンロードサイト】
  19. カラオケでやれ、と強要されることも珍しくなかったという(あいつの切り札―松山千春から吉田拓郎まで36人 172頁)
    富澤一誠 青春のバイブル 232頁
    日本ロック大系〈上、下巻〉 445頁
  20. 20.0 20.1 Char Meets ???? Talking Guitars Char×ギタリスト対談集 Vol.2 2009年 シンコーミュージックエンタテイメント 33頁
  21. 吉田豪『続・人間コク宝』コアマガジン2007年。p.134-139
  22. 桑田佳祐 素敵な夢を叶えましょう 1999年 角川書店
  23. 富澤一誠 あいつの切り札―松山千春から吉田拓郎まで36人 1881年 音楽之友社 170-174頁
  24. 燃えろロックンローラー 143-151頁
    チャゲ&飛鳥プロジェクト/ヤマハ音楽振興会 PRIDE CHAGE&ASKA10年の複雑Ⅱ 八曜社、1989年、40頁
  25. ただしこれでも、共演していた地井武男らに「もう少し一緒にやろう」と説得を受けて半年延命したもので、もともとは1年間の予定だった(又野誠治演じるブルース刑事が、殉職後の後任となる予定だった)。
  26. ただし、当初の台詞は「おんどりゃー!」という、全く正反対のものだった。しかし世良自身がこの台詞に「ボギーのキャラクターじゃない」と難色を示したため再検討した結果、採用された「まだやりたいこと、あんだよぉ!」に決まった。
  27. NHK『SONGS』2008年1月30日放送分にて。
  28. オリジナルはパーシー・スレッジマイケル・ボルトンのカヴァーが有名だが、それよりも早い時期にレコーディングしている。
  29. スタジオ録音のアルバムとしては4作目である。
  30. この曲のみ、シングル盤ヴァージョンのままの収録のため、演奏者がスタジオ・ミュージシャンによる。その録音の時だが、世良は唄のみの予定だったが、世良はこのレコーディング当日にレスポールを携えて現れ、「世良さん、Guitar持ってきた!」とスタジオ・ミュージシャン達を驚かせ、結局、IntroのGuitar Soloは世良の演奏によるものである。
  31. 31.0 31.1 演奏メンバーはGUILD9等で既に縁深い野村義男(G.)と寺沢功一(B.)に、JOE(Dr.)と渡部チェル(Key.)を加えた4人(野村義男公式サイト「PEGMANIA.COM」内PEG-MAILぅ2010年4月17日回答より)。即ちRIDER CHIPSと同じ布陣である。編曲の仕上がり方もRIDER CHIPSのそれに近いものとなっており、RIDER CHIPSに世良のヴォーカルをフィーチャーした色合いの濃いプロジェクトと言える
  32. この際のメンバーは世良、松本、寺沢、神本、横瀬だったが、メンバーの公式Twitterなどで呼称されたバンド名は「世良公則Band」だった。
  33. 2008年春頃から世良のソロアコースティックライヴ内でも音屋吉右衛門の曲を演奏する機会が増え、それに伴い野村義男と縁のあるギタリスト・武直亮を迎えたセッションコーナーが常設されるようになった。その際のユニット名を「音屋吉右衛門 分家」と称する。
  34. デビュー35周年記念アルバム「BACK BONE」のレコーディングに関わったメンバーを中心にしたバンド。この編成において世良はボーカルのみに徹し、往年のマイクスタンドアクションを披露する。