郷ひろみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Infobox Musician 郷 ひろみ (ごう ひろみ、1955年10月18日 - ) は、日本の歌手、俳優である。本名、原武 裕美 (はらたけ ひろみ) 、男性。
福岡県出身 (東京都育ち[1]) 。バーニングプロダクション所属。身長178cm。
来歴
幼少期
- 1955年10月18日に生まれた。「ひろみ」という名前は祖父が付けた。「心が"美しく"、いろんな意味で"裕福"になるように」という意味が込められているという[2]。
- 父は福岡県三潴郡三潴町出身、母は福岡県糟屋郡志免町出身。
- 生後まもなくジフテリアにかかり、3歳で赤痢にかかり、15歳で腹膜炎の一歩手前の状態で盲腸の手術を受けるなど、何度となく病にかかる。
- 子供の頃、福岡の家は牛や馬、鶏などの家畜がいる農家の住まいだった。
- 旧国鉄職員の父親の転勤で4歳の時に福岡から上京し[1][3]、京浜東北線の大井町駅に隣接する当時の国鉄大井工場敷地内に建つ社宅へ転居する。その後、父親は山手線の新橋駅・同東京駅・南武線の尻手駅の助役として勤務した後、定年退職した。
- 子供の頃は可愛くて評判だった。「『名犬ラッシー』の子役にそっくり」、「お人形さんみたい」と言われ、外国人と間違われることも多い美少年だった。
- スパルタ教育の母親に厳しく躾けられて育った。「あなたは赤が似合う」という母の薦めで、赤いシャツを着用することが多かった。
学歴
- 1968年3月、品川区立山中小学校卒業。
- 1971年3月、品川区立伊藤中学校卒業。
- 1971年4月、日本大学櫻丘高等学校に入学するが、芸能活動を優先するため2学期から堀越高等学校芸能コースに転校。高校を約5年かけて卒業すると[4]、大学進学をめざす事を公表する。
- 1977年3月、一浪後、日本大学法学部に合格するが、芸能活動多忙につき受講はしなかった。
デビュー~アイドル全盛期
- 8月1日、CBSソニー (現、ソニー・ミュージックエンタテインメント) 所属の歌手としてデビューする。
- 9月25日、デビュー曲「男の子女の子」がオリコン週間チャートのベストテン入り。11月、第14回日本レコード大賞新人賞を受賞する。
- 12月31日、第24回NHK紅白歌合戦に初出場し、前年のデビュー曲「男の子女の子」を歌う。以後1985年まで13年連続出場する。
- 1974年10月28日、初主演テレビドラマ『ちょっとしあわせ』の主題歌「よろしく哀愁」で、自身初のオリコン週間チャートの第1位を獲得する。
- 1975年、バーニングプロダクションへ移籍する。
- 1976年、『さらば夏の光よ』で映画初主演する。
- 第18回日本レコード大賞大衆賞を受賞する。
- 郷の特徴に良く似た人形を販売する業者を、肖像権侵害で民事提訴する。史上初の有名人が人形に関する肖像権訴訟であり、1980年5月、勝訴和解する。
- 1978年8月10日、主演したTBSドラマ『ムー一族』の挿入歌「林檎殺人事件」が『ザ・ベストテン』で自身初の第1位を獲得する。
- 1979年、『明星』「アイドル人気投票」で7年連続で1位獲得し、日本テレビ音楽祭トップアイドル賞を受賞する。
- 1982年7月、『ザ・ベストテン』等、音楽に関するランキング番組の出演をすべて拒否する。
渡米~再興期
- 1985年11月、翌年3月以降芸能活動を休止して渡米を告知する。
- 12月、バラエティー番組の企画でホノルルマラソン完走する。
- 1986年3月、芸能活動を休止し単身ニューヨークへ、1年弱滞在する。
- 1987年6月12日、二谷友里恵と結婚する。披露宴をフジテレビが『おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴』と題して大々的に中継し、霊南坂教会とシドニーのセントメリーズ教会で挙式して新居をニューヨークに構える。
- 1989年、ニューヨークの住居を引き払い日本に帰国。
- 1993年、ハリウッド映画『Samurai Cowboy』に主演する[5]。
- 1993年、バラードカバー曲「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」発売を皮切りに1994年、1995年と3年続けてバラードを発売し、いずれもヒットする。これをバラード3部作と呼んでいる。
- 1997年2月、イタリアンレストランSOGNI di SOGNI、大阪ドーム店が開店する。
- 1997年2月11日、名古屋御園座『愛・時をこえて ドラキュラ・イン・ジャパン』座長公演で、昼の公演中にステージ上約3メートルの仕掛けから転落し、右手骨折と肋骨骨折など全治約1か月半の重傷を負うが、そのまま続行して演じ終える。
- 9月、日本武道館でデビュー25周年公演を開催する。
- 1998年4月9日、離婚発表と同時に、その経緯を告白本『ダディ』として出版し、ミリオンセラーになる。
- 1999年、リッキー・マーティンの「Livin' La Vida Loca」をカバーした「GOLDFINGER '99」が「逢いたくてしかたない」以来4年ぶりのヒット曲となる。
- 8月、「GOLDFINGER '99」のプロモーションとして、JR渋谷駅前交差点にトラックを停車させて無許可でゲリラライブを敢行し、交通渋滞を引き起こして刑事事件になる。
- 11月7日、ニューヨークシティマラソンを完走する。
- 9月27日、元恋人松田聖子とのデュエット曲をリリースする。同時に再婚も発表。
- 11月9日、NY在住の投資家大根田勝美の娘でアルマーニショップ店員の大根田名美と再婚する。NYフォーシーズンズホテルにて近親者だけで挙式する。
ニューヨーク充電以降
- 2001年12月、『第52回NHK紅白歌合戦』への出演を最後として音楽活動を一時休止し、再びニューヨークに移住する。
- 2004年12月6日、二谷友里恵に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして訴訟を起こす。
- 2005年4月、新曲を発表し日本での芸能活動を再開。
- 2006年9月、デビュー35周年記念ライブとして、東京日比谷野外音楽堂など全国6か所で8公演する。
- 2007年5月27日、渋谷で8年ぶりに新曲イベントを行う。
- 2007年6月、「お嫁サンバ」の歌詞「恋する女はきれいさ…」の「女」の部分に100種類の女性の名前を入れた「着うた」の配信を開始。かつての交際相手「せいこ」 (松田聖子) 、元妻「ゆりえ」 (二谷友里恵) 、前妻の「なみ」 (大根田名美) の名前もエントリーされた。披露宴で「恋する紀香は…」と歌ったのが反響を呼び、「着うた要望が殺到したから」と説明された。
- 2007年7月、出演したマンダムCMで、松田聖子の曲「青い珊瑚礁」の替え歌を歌う。当初は松田とのデュエットが企画されていたが、松田側が拒否したため、ソロで歌うことになった。CM発表会では、「僕がまさかOKするとはメーカーさんも思っていなかったんじゃない?」と答えた。2008年11月の『ベストヒット歌謡祭』でもメドレー冒頭で、松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌った。
- 2009年9月2日、刑事事件に発展した渋谷の不祥事から10年、大阪・道頓堀のグリコ看板前に船で現れ、ゲリラ風新曲イベントを開いた。
- 2010年10月18日、55歳誕生日に2度目の日本武道館公演「55!伝説」開催する。これは1955年生まれ、55歳、全国ツアー55公演目のファイナルステージである。
- 12月4日、フジテレビ系『FNS歌謡祭』に出演しAKB48と競演したシーンが高視聴率をマークした。
- 12月31日、9年ぶりに第61回NHK紅白歌合戦に出場。「GO!GO!イヤー紅白スペシャルメドレー」と題して「愛してる」「僕らのヒーロー」「男願 Groove!」の3曲を披露した。
- 2012年3月31日、徳武定祐の次女で元タレントの女性と入籍したことを自身のオフィシャルサイト内に直筆のメッセージを掲載し、明らかにした[6][7]。
- 2013年12月、第64回NHK紅白歌合戦に4年連続26回目の出場を果たし健在ぶりをアピールした。
エピソード
デビュー~アイドル全盛期
- デビューのきっかけは、15歳の時、近所のおばさんが東宝映画『潮騒』の出演者募集に応募した。審査会場のある銀座で買い物がしたいという安易な気持ちでオーディションを受けることを決めたが、会場に向かう途中で怖気づき「やっぱりやめる」と母親に告げたところ「それでも九州男児か!」と数寄屋橋の交差点で平手打ちをされ、致し方なく会場に赴いたという。オーディションは不合格になるが、審査員として参加していたジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川の目に留まりスカウトをされた。
- デビュー当時、母親は原宿で美容院を経営していた。福岡県糟屋郡志免町の母親の実家の祖父母が「ひろみ」の焼印がされた紅白の「ひろみ饅頭」の製造販売を始め、現在は叔父叔母が「御菓子ひろみ」を営んでいる。
- デビュー前、フォーリーブスのバックに出演し「ひろみです!」と紹介され、会場から「Go! Go! Let's Go Hiromi!」と声援を受け、そのまま芸名が郷ひろみとなる。また「郷」にはフォーリーブスの弟「5人目のフォーリーブス」という意味もかけている。可愛らしいルックスと鼻にかかった歌声が、若い女性の人気を博し、ファンによる親衛隊も誕生した。
- 1974年10月、ドラマ『ちょっとしあわせ』で、共演の高沢順子とのキスシーンが騒動になる。ファンから局側に脅迫状が殺到。急きょ唇寸前でカット。釈明試写も開いて対応した。郷は週刊誌に「自分はマザコンで童貞である。」と告白している。
- 「アイドル時代、チェックの厳しかった相手方の事務所の目を盗んで山口百恵を口説こうと、書籍に電話番号を書いてプレゼントしたが、相手にされなかった。」というエピソードを歌番組で明かした。エッセイ『若気の至り』にも「無視され続けた。」と書き綴っている。また同番組で「ライバルは誰だったか?」という質問に、「25歳の頃から、同世代で3つ年下のマイケル・ジャクソンをよき目標として意識してきた。」と答えた[8]。1972年、最後の日劇ウエスタンカーニバルでは先輩フォーリーブスを従えジャクソン5の「I want you back」を歌っている[9]。
- 1976年、日本レコード大賞のノミネート会場(予選会)でキャンディーズとの決選投票に辛勝し、『あなたがいたから僕がいた』で第18回日本レコード大賞大衆賞の受賞が決定した際、感極まって歌が歌えないほど号泣した。レコード大賞では、新人賞で本選へ出場して以来の受賞であった(この年は、投票の様子をリアルタイムで中継していた)。
- 『アイドル水泳大会』では競泳など多くの競技に出場し、特にフジテレビの番組では『ミスター水泳大会』と呼ばれた。同じく参加していた西城秀樹と常に競い合い、番組を盛り上げていた。
- 27歳ぐらいの時、水泳のコーチについて泳ぎを教わる。「この頃は、ちゃんとした水泳の泳ぎ方を知らずに、気力と負けず嫌いの性格だけで僕は勝っていた。」と当時を振り返り明かしている。2000年、深夜のバラエティ番組『ヤミツキ』水泳大会で10数年ぶりに水着姿を披露した。
- 1982年から洋楽バラードのカヴァーを次々と発売し、アイドル歌手から大人の魅力を持った本格派歌手への脱皮を図る。その洋楽カバー「哀愁のカサブランカ」は初めてのスロー・バラードのシングル曲であり、「よろしく哀愁」以来自身2度目の50万枚突破を記録した。また、ニューヨークでボイストレーニングを受け、ブレス使いで力まずに声を出す手法を会得し、スロー・バラードをじっくり聞かせられるまでに歌唱力がアップする。
- 1984年2月25日リリース『2億4千万の瞳』は国鉄のキャンペーンに使われた。2007年にはこの曲をアレンジしたものがBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソングとして用いられている。
- 事務所移籍
- 1975年春、ジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移籍。ジャニーズJr. (6人) も伴ったこの移籍騒動で、ジャニー喜多川社長は体調を崩すほどショックを受けたと言われる。フォーリーブスの江木俊夫は著書の中で、「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう。」と述べている。
- 1972年、「小さな体験」で初出演した『夜のヒットスタジオ』は、ジャニーズ事務所の「アイドルを夜の番組にはあまり出演させたくない」という方針から新御三家の中では出演機会が少なかったが、バーニングプロダクション移籍後は原則として月1回のペースで出演するようになる。1982年、ランキング番組出演辞退の後もトリをつとめたり、過激かつ派手な演出を用意されるなど厚遇を受けた。1972年から1990年6月27日までの総出演回数は175回で、田原俊彦とともに「ミスター夜ヒット」とも呼ばれた。
- ランク付拒否
- 1979年、「くれる物は戴きますが、今後授賞式には参加しない。」と『日本レコード大賞』などの音楽賞への出演を辞退することを公表する。数年後のインタビューで「年々権威が落ちていく音楽賞には興味がない。」と語った。
- 1982年8月、「哀愁のカサブランカ」で10か月ぶりに『ザ・ベストテン』にランクインするが、「自分にとっては自分自身の歌は全部1番、他人に自分の歌のランク付けされるのは賛成しかねる。」という理由で、「今後すべてのランキング番組の出演を辞退する。」と発表。
- 当時、郷の音楽プロデューサーだった酒井政利は、雑誌『KAMZINE』 (2005年6月号) で一連の辞退について触れ、「郷は新御三家として括られるのも好きでなかったし、アイドル的な定型から脱皮したいと思っていた。そして、"自分は人とは違うんだ!"という差別化戦略を選んだ。」と、戦略・挑戦のひとつだったことを明かしている。但し『日本有線大賞』には数回出演し賞を受けているほか、1999年にはレコード大賞・最優秀歌唱賞受賞の打診を受けると、大衆賞を取った1976年以来23年ぶりに日本レコード大賞のステージに立ち、ヒットメドレーを披露した。
渡米~再興期
- 1993年1月、楠瀬誠志郎のバラードカバー曲「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」 を発売すると、最高位43位ながらジワジワと売り上げを重ね、「2億4千万の瞳」以来9年ぶりにヒット曲(17.7万枚)となる。これをきっかけに翌1994年「言えないよ」、1995年「逢いたくてしかたない」と続けてオリジナルのバラードを発売し、いずれもロングヒットを記録。この1990年代のバラードヒット3曲を総じてバラード3部作と呼んでいる。
- 2000年11月、発表のエッセイ『若気の至り』では裏表紙に自らの女性遍歴を年表風にまとめ「大丈夫かこいつ?」と自虐的コピーをつけ『ダ・ヴィンチ』 (2月6日号) で腰巻き大賞に選ばれる。「単に奇をてらう言葉ではなく著者の存在感との合わせ技だ。自虐的なコピーなのに少しも嫌味がないし、かえって好感に繋がってしまうのはヒロミ・ゴーの器量だろう。」と選評された。かつてバラエティー番組では唐突に高笑いをするなど、アイドルらしからぬ奇人変人ぶりを発揮していた。
- 2001年6月にリリースした『獣は裸になりたがる』のジャケット写真は、特殊メイクで自ら「獣」になっている。この新曲キャンペーンで、フジテレビ系バラエティー番組『笑う犬の冒険』の「はっぱ隊」のコーナーに出演。股間にはっぱ一枚、郷特製ゴールデンリーフを付け、YATTA!の歌を踊った。
- 渋谷ゲリラ・ライブ
- 1999年8月、「GOLDFINGER '99」のプロモーションとして、JR渋谷駅前の交差点にトラックを止め、警察に無届けで白昼ゲリラライブを敢行。マスコミが逆サイドからカメラを構え、野次馬などが交差点に押し寄せ、路線バスなど30分に渡って立ち往生し数本運休するという交通渋滞を引き起こす騒動になり、現場関係者6人が道路交通法違反容疑で書類送検される事件に発展した。レコード会社のプロデューサーは懲役3か月、執行猶予2年の判決を受けた。当事者の郷は「何処でやるのかさえ知らされていなかった。」と、罪には問われなかった。この騒動によって「GOLDFINGER '99」は有名になりチャートが上昇。最終的に46万枚を売り、代表曲のひとつとなった。
- この日たまたま子供を連れ代々木公園を散歩していた石橋貴明が、公園内で入念なリハーサルを行う郷に遭遇。あまりの爆音に乳母車の子供がピーヒャラ泣いたエピソードを、後に郷ゲスト時の「うたばん」で披露。翌日の新聞を見て「これか!」と思ったとのこと[4]。またデビュー前のコブクロが、渋谷ハチ公前で路上ライブをするため現地に居合わせライブの一部始終を目撃。黒田俊介は「背が高く、ワイドショーでもはっきり自分だと確認でき、メジャーデビューより先にワイドショーデビューになった。」と後に語った[10]。
- ジャケットプレイの由来
- 結婚後移住していたニューヨークから日本に拠点を変え帰国した1990年代に入り、NY直系ダンスとして、ジャケットの上着をバタバタさせたりパンツをつかんだりするダンスを披露するようになる。
- 1999年7月発売の GOLDFINGER '99 で、ジャケットを大胆にひるがえす振りが好評を得、続くシングル、2000年2月発売の「Hallelujah,Burning Love」では、ジャケットを使った振り付けをメインにし、それを"ジャケットプレイ"の名付けプロモーションを行ったのがネーミングの由来である[11]。
- ジャクソン5時代からのマイケル・ジャクソンを目標に意識してきたことは本人が明らかにしているが[8]、ジャケットプレイに関しては、鏡を見て自己研究から自然に開発させたものと語っており[12]マイケルの影響があるか否やについては明かされていない。近年ではバラエティー番組などで自らもギャグとして弄り弄られる事が多く、コミカルさが強調されている。
ニューヨーク充電以降
- 2006年5月、埼玉スタジアムで行われたキリンカップ2006「日本VSスコットランド」戦において国歌独唱を行なった。全身ブルーのスーツで登場し歌い終わった後には、お得意のジャケットプレイで、JFAフラッグを用いたスーツ裏地を見せた。
- 2006年7月、9月6日発売の新曲「LIFE」で、50歳を記念して郷と同じ1955年生まれの男性を公募し、ミュージック・ビデオで共演する企画に700人以上の応募者があった。
- 2007年5月、国土交通省が展開する「ビジット・ジャパン・キャンペーン (VJC) 」のテーマソングに「Come On Baby」が決まり、大臣から感謝状を手渡された。歌詞には訪日旅行のアピールに"Yokoso"という言葉をちりばめ、日本語のみでなく英語バージョンもあり、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語、タイ語の「ようこそ、日本」を意味する言葉が間奏に盛り込まれ、CDのパッケージに"Yokoso! Japan"のステッカーを添付した。
- 2007年5月、NHKの『英語でしゃべらナイト』に出演し、ニューヨーク仕込みの英語を披露した。司会のパックンには「大学生レベルの英語」と評される。番組内では英語で「考える・行動する・継続する」という人生の哲学を語った。同番組内で新曲「Come On Baby」の英語バージョンを披露する。
- 2007年5月、日本テレビで中継された藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴で、スペシャルゲストとして「お嫁サンバ」を歌う。
- 2009年12月、カリフォルニア州の最高級ぶどう畑を買い付け、最高級のぶどうで最高級ワインを造り、郷がデザインした「5」ラベルのワイン「マグニフィカファイブ」を歳暮に贈る[13]。
- 2010年4月12日、東京中日スポーツ創刊55周年「スペシャルサポーター」に就任する。
プライベート
- 1978年、ロサンゼルス在住の日系アメリカ人ドロシーと破局[14]。1975年、二十歳の時、現地日系人等を対象にロサンゼルス公演を行った際、日系人コミュニティのミス・ロサンゼルスとして郷に花束を手渡した女性に一目ぼれし交際がスタートした。破局原因は、ダンスレッスンのため仕事を1ヶ月休みアメリカに滞在していた郷に会いに来た彼女に(自分はレッスンで来ているので)一切会おうとしなかった事だったと、郷自身が近年告白している[12]。
- 1985年、祇園の芸妓佳つ乃と浮名を流し、六本木のクラブのNo.1ホステスと『フライデー』される[14]。
- 1985年1月、交際を公にしていた松田聖子が突然単独で、東宝スタジオの食堂にて涙の破局会見を行った。この会見で松田は「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と語ったが、後に郷は「会見することも知らなかった。あんなセリフも言っていない」と述べた。
- 1985年9月、郷が六本木のディスコで合コンしているところに二谷友里恵が来店し郷が一目ぼれ。その場で声をかけ、ゴルフデートの約束を取り交際がスタートする[15]。
- 1987年6月、二谷友里恵と結婚。結婚披露宴の模様は郷を支援するフジテレビが『おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴』と題して大々的に中継し、視聴率47.6%を記録 (披露宴中継、歴代最高視聴率) 。結婚後、2年間ニューヨークに移住するなどし、2女を儲けた。
- 1998年4月、結婚から11年で離婚を発表する。二人の娘の養育費として1億5千万円を支払った。離婚の際に発表した告白本『ダディ』 (幻冬舎) はミリオンセラーとなった。離婚は離婚届を提出した本の発売日まで一切明かされず、離婚会見の代わりとして「すべては本を見てくれればわかる」というものであった[16]。離婚の原因について郷は『ダディ』の冒頭で「僕の数人の女性との浮気」だと打ち明けている。
- 2000年9月27日、元恋人松田聖子とのデュエット曲 「True Love Story/さよならのKISSを忘れない 」を発売。郷側から声をかけ実現した。
- 2000年9月同上、「交際していたニューヨーク在住の投資家の娘、大根田名美と11月に結婚する。」と発表。ニューヨークのアルマーニショップで店員をしていた所に郷が訪れる形で出会った。ファンに対して「一日の23時間55分が郷ひろみであり、残りの5分間だけが原武裕美に戻る時間。原武裕美は結婚しても郷ひろみは結婚しない。」と説明した。
- 2001年3月、年内いっぱいで日本での芸能活動を一時休止し、妻の実家のあるニューヨークに移住することを発表。
- 2001年5月、二谷友里恵が、ダディの続編的告白本『楯』(文藝春秋)を発売し、離婚後の二方の確執が明らかになった。内容について郷は、「子供たちのために反論しない」とノーコメントを通した。
- 2004年、ファン限定の出稼ぎライブの毎夜にファンの女性複数人(何十~何百)と関係を持ち話題となる。(2014年~2015年に週刊誌に掲載予定)--Siji(会話) 2014年7月13日 (日) 02:26 (UTC)
- 2005年4月21日、公式ウェブサイト上で突然二度目の離婚を発表する。「それぞれの道を歩んでいくことが今後の2人にとって最善の方法。ボクはより一層努力し郷ひろみを極めたい。」
- 2012年3月31日、交際していた元タレントで化粧品会社OL、徳武利奈との入籍を公式ホームページで発表[7]。「彼女は、僕よりも僕の両親を大事にしてくれる人」だと紹介した。郷にとって3度目の結婚である。
- 2013年1月19日、結婚発表から約10か月を経て、芸能関係者ら約400人を招いた結婚披露宴を帝国ホテルで行った。その前に2012年10月下旬、ハワイにて二人だけで挙式している。
- 2014年6月、双子を6月に出産[7]。
社会貢献活動
- 1995年からチャリティー活動を実践し、アジアの子供達のために寄付を続け、フィリピンにおいて4つの学校建設に貢献した。
- 1995年11月25日、東京・赤坂プリンスホテルにおいて、アジアの恵まれない子供のためのチャリティーディナーライブを開催。収益金4,388,983円を特別救済活動カスパルに寄付し、フィリピンの学校建設費用に当てられた[17]。松田聖子とのデュエットソング(2000年9月発売)の売り上げの一部も同所に寄付すると発表された。その後もファンクラブサイトやファンクラブイベントでチャリティーオークションを行った売上の一部などを同所に寄付し続けた結果、1995年11月から2007年4月で約1200万円に達し、フィリピンでの4つの学校建設に貢献した[18]。
- 1999年10月、「GO's CLUB PARTY '99」オークションの売上の一部を「郷ひろみファンクラブ」から日本赤十字社を通じ、トルコ及び台湾の「被害をこうむられた方々が、元気を取り戻し、また、子どもたちが今までどおり、勉強したり遊んだりできるように、一日も早い復興を願い」、震災復興義援金に各50万円ずつの計100万円を寄付した。
- 2000年11月5日、結婚に伴う、結婚祝いを複数のNPOに寄付した。
- 2006年11月、ジュエリーブランドRosen Hemdenのプロデュースを始め、利益の一部を寄付する。
- 2007年5月放送の日本テレビ『トシガイ』(自分の年齢の数だけ (51歳×1万円) お金を好きなものに使えるという番組企画) を通じて自身が学校建設に貢献したフィリピンを初めて訪問し、子供たちから歓迎を受ける。51万円でフィリピンの子供たちに文房具、Tシャツなどをプレゼントした。「これからもライフワークにしていきたい。」と語った[19]。
作品
シングル
- 男の子女の子 (1972年8月1日) ※ デビュー曲がいきなりベストテン入り
- 小さな体験 (1972年11月1日)
- 天使の詩 (1972年12月21日、TBS『おやじ山脈』主題歌)
- 愛への出発 (1973年3月1日)
- 裸のビーナス (1973年6月21日)
- 魅力のマーチ (1973年9月21日)
- モナリザの秘密 (1973年12月5日)
- 花とみつばち (1974年3月21日)
- 君は特別 (1974年6月21日)
- よろしく哀愁 (1974年9月21日、NETテレビドラマ『ちょっとしあわせ』主題歌)
- わるい誘惑 (1974年12月21日)
- 花のように鳥のように (1975年4月21日)※バーニング移籍第一弾
- 誘われてフラメンコ (1975年7月21日)
- 逢えるかもしれない (1975年10月21日)
- バイ・バイ・ベイビー (1975年12月21日、ベイ・シティ・ローラーズの「Bye Bye Baby」のカヴァー)
- 恋の弱味 (1976年2月1日)
- 20才の微熱 (1976年5月1日)
- あなたがいたから僕がいた (1976年8月1日)
- 寒い夜明け (1976年11月1日、作詞:楳図かずお)
- 真夜中のヒーロー (1977年2月1日)
- 悲しきメモリー (1977年5月1日)
- 洪水の前 (1977年7月21日)
- 帰郷/お化けのロック (1977年9月1日、TBSドラマ『ムー』挿入歌、樹木希林とデュエット)
- 禁猟区 (1977年12月5日)
- バイブレーション (胸から胸へ) (1978年3月21日)
- ぼくのるすばん (1978年5月21日)
- 林檎殺人事件 (1978年6月21日、TBSドラマ『ムー一族』劇中歌、樹木希林とデュエット)
- ハリウッド・スキャンダル (1978年9月21日)
- 地上の恋人 (1978年12月21日)
- ナイヨ・ナイヨ・ナイト (1979年3月21日)
- いつも心に太陽を (1979年6月21日)
- マイレディー (1979年9月21日、TBS主演ドラマ『家路』挿入歌)
- セクシー・ユー (モンロー・ウォーク) (1980年1月21日、南佳孝の「モンロー・ウォーク」のカヴァー(歌詞違い))
- タブー (禁じられた愛) (1980年5月1日)
- How many いい顔 (1980年7月21日、カネボウ化粧品CMソング)
- 若さのカタルシス (1980年11月1日、TBS主演ドラマ『ミセスとぼくとセニョールと!』挿入歌)
- 未完成 (1981年2月1日)
- お嫁サンバ (1981年5月1日)
- もういちど思春期 (1981年8月8日)
- 哀愁ヒーロー Part1/Part2 (1981年11月1日)
- 純情 (1982年2月1日)
- 女であれ、男であれ (1982年5月2日)
- 哀愁のカサブランカ (1982年7月17日、バーティ・ヒギンズの「カサブランカ」のカヴァー)
- 哀しみの黒い瞳 (1982年11月21日、フリオ・イグレシアスの「黒い瞳のナタリー」のカヴァー)
- 美貌の都 (1983年3月5日)※ 1985年中島みゆきがセルフカヴァー
- ロマンス (1983年4月21日、フリオ・イグレシアスの「愛のロマンス」のカヴァー)
- 素敵にシンデレラ・コンプレックス (1983年5月12日、トヨタ・カローラ(E80型)CMソング)※ 1984年鈴木康博がセルフカヴァー
- ほっといてくれ (1983年9月1日)
- シャトレ・アモーナ・ホテル (1983年12月1日、フリオ・イグレシアスの「NO TE HE PODIDO OLVIDAR」のカヴァー)
- 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン- (1984年2月25日、国鉄のキャンペーン・コマーシャルソング)※2007年、アレンジ曲がBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソング ※ 2009年、アレンジ曲が億千米CMソング
- ヤクシニー (1984年6月21日)
- どこまでアバンチュール/ケアレス・ウィスパー (1984年11月10日、ワム!の「ケアレス・ウィスパー」のカヴァー)
- 愛のエンプティーペイジ (1985年3月6日)
- CHARISMA (1985年5月22日)
- サファイア・ブルー (1985年8月25日、井上陽水の「WINTER WIND」のカヴァー (歌詞違い) 、作詞:松本隆)
- Cool/LABYRINTH (1985年10月21日、両面英語詞シングル、12インチアナログ盤)
- 千年の孤独 (1987年3月21日)
- 時をかさねたら (1988年6月1日)
- 最終便にまにあえば (1989年6月21日、テレビ朝日系レギュラー番組「郷ひろみの宴ターテイメント」主題歌)
- Wブッキング-LA CHICA DE CUBA- (1990年5月12日、セニョーラ・ラティーナの楽曲のカヴァー)
- もう誰も愛さない (1990年10月21日、日本テレビ主演ドラマ『刑事貴族』主題歌)
- 裸のビーナス/よろしく哀愁 (1991年4月25日)
- 迷イズム (1991年5月22日)
- ビーナスたちのシエスタ (1992年5月2日、深夜枠ドラマ『アルファベット2/3』主題歌)
- 僕がどんなに君を好きか、君は知らない (1993年1月21日、楠瀬誠志郎の楽曲のカヴァー、フジテレビ『正しい結婚』主題歌) ※ バラード3部作
- 言えないよ (1994年5月1日、TBS『お見合いの達人』主題歌) ※ バラード3部作
- 逢いたくてしかたない (1995年4月21日)朝日生命CMソング) ※ バラード3部作
- 泣けばいい (1995年6月14日、TBS『あした家族になあれ!』主題歌)
- なにもかも忘れない (1995年11月22日、ローレックス専門店「青山エバンス」CMソング)
- どんなに君がはなれていたって/裸の夢 (1996年2月1日、TBS『ママは大ピンチ!!』主題歌)
- く・せ・に・な・る/甘い束縛 (1996年4月12日、朝日生命のCMソング)
- Don't leave you alone/いつもそばに君がいた (1996年4月12日、朝日生命のCMソング/ISUZU「フォワード」CMソング)
- Zeroになれ (1997年4月21日)
- ゆっくり恋しよう (1997年10月1日、日本エアシステム「東京キャンペーン」CMソング)
- KISSが哀しい (1998年4月22日、フジテレビ『白衣のふたり』主題歌)
- 男が恋に出逢うとき (1999年3月25日)
- GOLDFINGER '99 (1999年7月23日、リッキー・マーティンの「Livin' La Vida Loca」のカヴァー、TBS日曜劇場『ヤマダ一家の辛抱』主題歌)
- Hallelujah,Burning Love (2000年2月2日)
- なかったコトにして (2000年6月21日、サンヨー食品『NEWカップスター』のCMソング、郷ひろみwith HYPER GO号 名義)
- True Love Story/さよならのKISSを忘れない (2000年9月27日、ワコール『ポイントシェーバー』CMソング、郷ひろみ/松田聖子 名義)
- Only for you-この永遠がある限り- (2001年2月21日、日本テレビ『FACE〜見知らぬ恋人〜』主題歌、作曲:織田哲郎)
- 獣は裸になりたがる (2001年6月20日、高須クリニックCMソング)
- ワキワキマイフレンド (2001年8月1日、フジテレビ『はるちゃん5』主題歌)
- この世界のどこかに (2001年11月7日、TBSドラマ『ひとりじゃないの』主題歌、プロデュース:ゴスペラーズ)
- 愛より速く (2005年4月20日、高須クリニックCMソング)
- 君が泣ける場所になる (2005年10月19日、雪国まいたけCMソング)
- LIFE (2006年9月6日)
- Boom Boom Boom/Come On Baby (2007年5月23日、ダビッド・ビスバルの「Oye El Boom」のカヴァー)
- Good Times Bad Times (2007年12月5日、パチンコ『CR GO!GO!郷! 2nd Stage』 (ニューギン) 機種挿入歌)
- 君だけを feat.童子-T (2008年5月14日)
- ありのままでそばにいて/このメロディだけは/君だけを feat.童子-T Remixed by 3rd Productions (2008年10月29日)
- 男願 Groove!/強引 Love! (2009年5月27日、エクササイズDVD『ヒップホップ・アブス』イメージソング)
- Get Real Love 〜GOLDFINGER'009 (2009年9月2日)
- 僕らのヒーロー (2010年6月9日、NHK『みんなのうた』)
- 愛してる/愛してはいけないひと (2010年10月20日)
- 笑顔にカンパイ! (2011年6月1日、NHK「サラリーマンNEO シーズン6」オープニングテーマ曲) ※布袋寅泰プロデュース
- デンジャラー☆ (2012年4月25日、パチンコ『CR Go!Go!郷3』 (ニューギン) 機種挿入歌)
- Bang Bang (2013年5月28日) ※オ・ジュンソン(韓国)プロデュース
- 99は終わらない (2014年5月21日)※前山田健一プロデュース
オリジナル・アルバム
- 男の子女の子 (1972年11月1日) ※ ファーストアルバム
- 愛への出発 (1973年5月1日)
- ひろみの部屋 (1974年1月1日)
- ひろみの朝・昼・晩 (1974年6月11日)
- ひろみの旅 (1975年6月21日)
- HIROMIC WORLD (1975年11月21日、全曲作詞:荒井由実(ユーミン))
- さらば夏の光よ (1976年4月21日)
- 街かどの神話 (1976年12月5日)
- アイドルNO.1 (1977年10月1日)
- ピラミッド ひろみっど (1977年12月21日)
- Narci-rhythm (1978年7月21日)
- アポロンの恋人 (1979年4月1日)
- LOOKIN'FOR TOMORROW (1979年8月1日)
- SUPER DRIVE (1979年12月21日) ※ ニューヨークレコーディング
- MAGIC (1980年8月21日)
- How manyいい顔 (1981年1月1日)
- PLASTIC GENERATION (1981年5月1日)
- アスファルト・ヒーロー (1981年12月21日)
- 哀愁のカサブランカ (1982年9月22日)
- 愛の神話 (1982年12月21日)
- 比呂魅卿の犯罪 (1983年4月1日、サウンド・プロデュース:坂本龍一)
- TAILORED SONG (1983年12月21日)
- ALLUSION (1984年12月1日、プロデュース:ヘンリー浜口)
- LABYRINTH (1985年10月2日)
- LOVE OF FINERY (1987年4月1日、全曲英語詞)
- DRIVING FORCE (1989年6月1日)
- アメリカかぶれ (1990年6月1日)
- 準備万端〜VINGT ANS〜 (1991年4月25日)
- CATALONIAN BLOOD (1992年5月2日)
- LUNA LLENA (1993年5月21日)
- GOrgeous (1994年6月11日)
- I Miss You〜逢いたくてしかたない〜 (1995年7月1日)
- く・せ・に・な・る (1996年7月1日)
- 心のカギ (1998年6月20日)
- THE GOLDSINGER (1999年8月21日)
- 恋のハレルヤ大作戦 〜Mission Code is "G"〜 (2000年7月5日)
- PERIOD 〜この世界のどこかに〜 (2001年11月21日) ※以降、芸能活動を一時休止
- Evolution (2005年9月14日)
- Winter Mood (2006年11月22日) ※ バラードミニアルバム
- place to be (2008年6月11日)
- one and only... (2010年11月20日)
ベスト・アルバム/コンピレーション/サントラ/他
- 郷ひろみデラックス (1975年6月1日)
- 郷ひろみのすべて (1976年6月1日) ※ LP3枚組
- おとうと (オリジナル・サウンドトラック) (1977年2月25日)
- フォーエバー・シリーズGO (1977年11月1日) ※ LP3枚組
- 金字塔ピラミッド (1981年10月18日) ※ LP5枚組+ピクチャーレコード
- マイ・コレクション (1982年6月21日) ※ シングル20曲メドレー
- 黄金郷 (1983年11月1日)
- 黄金郷I 〜2億4千万の瞳〜 (1984年6月10日)
- 聖女伝説 (映画オリジナル・サウンドトラック) (1985年3月6日)
- 郷ひろみ全集/'72〜'85 DANDYISM (1985年11月21日) ※ CD4枚組
- 郷ひろみベスト・コレクション (1986年5月21日)
- MY SELF (1987年5月31日) ※ CD3枚組
- 準備万端〜VINGT ANS〜SONGLESS (1991年5月22日)
- HIROMIX (1991年11月21日) ※ 藤原ヒロシによるシングル曲のリミックス・アルバム
- 郷ひろみ全集/'86〜'91 DANDYISM (1992年2月21日) ※ CD2枚組
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO (1994年11月2日) ※ CD2枚組
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.II 〜Ballads〜 (1995年11月22日) ※CD2枚組バラードコレクション
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.III セレクション (1996年11月1日) ※CD2枚組、オリジナル・カラオケ付
- ALL THE SINGLES 1972-1997 (1997年8月1日) ※ デビュー25周年記念
- デビュー曲「男の子女の子」から「Zeroになれ」までのシングル全曲 (B面曲、12インチも含む) 147曲収録、8枚組CD-BOX
- GOLDFINGER '99◆Re-mix (1999年10月21日)
- MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.1 〜Heat〜 (2001年7月4日) ※ファンのリクエストによるシングル・アルバム曲のリアレンジ
- MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.2 〜Cool〜 (2001年7月4日) ※ファンのリクエストによるシングル・アルバム曲のリアレンジ
- With Whom? (2001年3月28日) ※デュエット曲ミニアルバム(樹木希林、松田聖子、鈴木聖美、杏子)
- Single Collection of Early Days vol.1 (男の子女の子〜わるい誘惑) (2005年10月5日)
- Single Collection of Early Days vol.2 (花のように鳥のように〜洪水の前) (2005年10月19日)
- Single Collection of Early Days vol.3 (帰郷・お化けのロック〜セクシー・ユー) (2005年11月2日)
- Single Collection of Early Days vol.4 (タブー〜哀しみの黒い瞳) (2005年11月16日)
- Single Collection of Early Days vol.5 (美貌の都〜千年の孤独) (2005年11月30日)
- 上記5枚は、シングルレコードを復刻したものをCDにして11枚ずつ各BOXに収納した完全生産限定版 (合計55枚)
- SAMBA de GO 〜HIROMI GO Latin Song Collection〜 (2007年8月8日)
ライブ・アルバム
- フォーリーブス・郷ひろみ/ジョイント・リサイタル (1974年9月5日) ※ LP2枚組
- HIROMI ON STAGE! -よろしく哀愁 (1974年12月10日) ※ 初のソロのライブアルバム
- GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A. PartI (1976年8月21日)
- GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A. PartII (1976年9月21日)
- ヒーロー (1977年6月1日)
- フェニックス -HIROMI IN BUDOKAN- (1978年4月1日)
- IDOL OF IDOLS (1978年10月1日)
- MY OWN ROAD (1980年5月21日)
- AT THE STARTING LIVE 〜READY SET GO!〜 (1981年9月5日)
- 郷ひろみライブCONCERT TOUR LABYRINTH (1986年3月21日)
VHS・DVD
所属レコード会社
一貫してソニー系レーベル(デビューから1991年まではCBSソニー、1991年以降はソニー・ミュージックエンタテインメント)に所属しており、他のレーベルに所属したことはない(グループ再編に伴うレーベル移動はある)。2014年4月現在、ソニー・ミュージックに所属している日本人としては一番在籍期間が長い。
主な出演
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回<th bgcolor=#fbbbb>曲目 | 対戦相手 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1973年/第24回 | 初 | 男の子女の子 | アグネス・チャン | |
1974年/第25回 | 2 | 花とみつばち | 佐良直美 | |
1975年/第26回 | 3 | 花のように鳥のように | 南沙織 | |
1976年/第27回 | 4 | あなたがいたから僕がいた | 桜田淳子 | |
1977年/第28回 | 5 | 悲しきメモリー | 桜田淳子(2) | 白組トップバッター |
1978年/第29回 | 6 | バイブレーション (胸から胸へ) | 榊原郁恵 | 白組トップバッター |
1979年/第30回 | 7 | マイレディー | 石野真子 | 白組トップバッター |
1980年/第31回 | 8 | How many いい顔 | 榊原郁恵(2) | 白組トップバッター |
1981年/第32回 | 9 | お嫁サンバ | 高田みづえ | |
1982年/第33回 | 10 | 哀愁のカサブランカ | 松田聖子 | |
1983年/第34回 | 11 | 素敵にシンデレラ・コンプレックス | 河合奈保子 | |
1984年/第35回 | 12 | 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン- | 松田聖子(2) | |
1985年/第36回 | 13 | Cool | 小柳ルミ子 | |
1990年/第41回 | 14 | Wブッキング | EVE | |
1994年/第45回 | 15 | 言えないよ | 藤谷美和子・大内義昭 | |
1995年/第46回 | 16 | 逢いたくてしかたない | 伍代夏子 | |
1996年/第47回 | 17 | 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(2) | 森高千里 | |
1997年/第48回 | 18 | お嫁サンバ'97 | Le Couple | |
1998年/第49回 | 19 | セクシー・ユー | 坂本冬美 | |
1999年/第50回 | 20 | GOLDFINGER '99 | 松田聖子(3) | |
2000年/第51回 | 21 | なかったコトにして | 小林幸子 | |
2001年/第52回 | 22 | この世界のどこかに | 安室奈美恵 | |
2010年/第61回 | 23 | GO!GO!イヤー紅白スペシャルメドレー | aiko | |
2011年/第62回 | 24 | Go Smile Japan!! | 少女時代 | |
2012年/第63回 | 25 | デンジャラー☆ | aiko(2) | |
2013年/第64回 | 26 | Bang Bang | E-girls |
- 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
- トップバッターを4年連続4回務めており、白組出場歌手としての最多記録を持つ(通算では、浜崎あゆみが2012年に最多記録を更新した)。
音楽番組
- 紅白歌合戦 (NHK)
- NHKのど自慢 (NHK)
- ふたりのビッグショー (NHK)
- ミュージックフェア (フジテレビ)
- FNS歌謡祭 (フジテレビ)
- ベストヒット歌謡祭 (読売テレビ)
- ザ・ベストテン (TBS)
- 夜のヒットスタジオ (1972年 - 1990年6月27日 (175回出演) 、1981年2月16日は井上順の代役司会、フジテレビ)
- ミュージックステーション (テレビ朝日)
- HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP (フジテレビ)
- うたばん (TBS)
- 僕らの音楽 Our Music (2007年5月25日、DJ OZMAと対談、フジテレビ)
- MUSIC JAPAN (NHK総合、2010年10月24日) 出演
- ミュージックフェア (フジテレビ、2010年10月30日) 出演
- 僕らの音楽 Our Music (2010年12月10日、浅野温子と対談、フジテレビ)
- 火曜曲! (TBS、2012年5月1日) 出演
バラエティ
- カックラキン大放送!! (1983年、日本テレビ、野口五郎に代わりレギュラー出演)
- 郷ひろみの宴ターテイメント (1989年、テレビ朝日、レギュラーで初の司会・ホスト役、主題歌「最終便にまにあえば」)
- ヤミツキ (2000年4月 - 2001年3月、中京テレビ)
他多数
ラジオ
- 郷ひろみのセイ!ヤング (文化放送、木曜日担当:1980年10月 - 1981年3月、火曜日担当:1981年4月 - 1981年9月)
- NISSANミッドナイトステーション 水曜「ちょっと乱れてカーニバル」 (1982年4月 - 1983年3月、TBSラジオ)
- サウンド・フラッシュ 郷ひろみ・60'Sカンパニー (ニッポン放送)
- HIDEKIとHIROMIのサンデーワイワイ広場 (1979年、文化放送)
ドラマ
- 新・平家物語 (1972年、NHK「大河ドラマ」、平経盛役)
- 青春をつっ走れ (1972年、フジテレビ、主演:森田健作)
- あしたに駈けろ! (1972年、フジテレビ、主演:森田健作)
- 一姫二太郎 (1972年、フジテレビ)
- おやじ山脈 (1972年、TBS、主題歌「天使の詩」)
- 銀座わが町 (1973年、NHK)
- 肝っ玉博物帳 (1973年、フジテレビ)
- ぼくは叔父さん (1974年、日本テレビ、主題歌『夢で会おうね』)
- ちょっとしあわせ (1974年、NET、共演:酒井和歌子、主題歌「よろしく哀愁」)
- あこがれ共同隊 (1975年、TBS、共演:西城秀樹、桜田淳子)
- 毎日が日曜日 (1977年、NHK「銀河テレビ小説」)
- ゆずり葉 (1977年、中部日本放送「東芝日曜劇場」)
- ムー (1977年、TBS、共演:樹木希林、挿入歌「お化けのロック」)
- 七人の刑事 (1978年、TBS、第22話)
- ムー一族 (1978年 - 1979年、TBS、共演:樹木希林、挿入歌「林檎殺人事件」)
- 家路 (1979年、TBS、挿入歌「マイレディー」)
- 草燃える (1979年、NHK「大河ドラマ」、源頼家役)
- 婚前時代 (1979年、中部日本放送「東芝日曜劇場」)
- 新・座頭市 第3シリーズ (1979年、フジテレビ、第4話「あした斬る」)
- ミセスとぼくとセニョールと! (1980年、TBS、主演、挿入歌「若さのカタルシス」)
- 峠の群像 (1982年、NHK「大河ドラマ」、片岡源五右衛門役)
- 沖田総司 華麗なる暗殺者 (1982年、フジテレビ)
- 春雷 (1983年、フジテレビ「新春ドラマスペシャル」)
- 聖母たちの行進 (1983年、TBS、共演:桃井かおり)
- 流れ星佐吉 (1983年、関西テレビ、主演、主題歌「暗闇のディーン」)
- 翔んでる警視 (1986年、TBS、主演)
- 翔んでる警視2 (1987年、TBS、主演)
- 失われた時の流れを (1990年、フジテレビ「サントリードラマスペシャル」)
- 刑事貴族 (1990年 - 1991年、日本テレビ主演、主題歌「もう誰も愛さない」)
- 生前情交痕跡あり (1991年、フジテレビ「金曜ドラマシアター」、主演)
- 信長 KING OF ZIPANGU (1992年、NHK「大河ドラマ」、徳川家康役)
- D坂殺人事件 名探偵明智小五郎誕生 名探偵明智が挑む猟奇殺人の謎!!闇に浮かぶ白い肌… (1992年、フジテレビ、主演)
- 愛する時と裁く時 (1992年、フジテレビ、主演)
- 企業病棟 (1994年、NHK ドラマ新銀河」、主演)
- 坊っちゃんちゃん (1996年、TBS、主演)
映画
- 急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS (1974年、東宝/ジャック・プロ、共演:フォーリーブス)
- さらば夏の光よ (1976年、松竹、共演:秋吉久美子)
- おとうと (1976年、松竹、共演:浅茅陽子)
- 突然、嵐のように (1977年、松竹、共演:秋吉久美子)
- ワニと鸚鵡とオットセイ (1977年、松竹、共演:樹木希林、秋吉久美子)
- ダブル・クラッチ (1978年、松竹、共演:松坂慶子)
- 夢一族 ザ・らいばる (1979年、東映、共演:森繁久彌)
- コールガール (1982年、松竹、共演:未唯)
- 瀬戸内少年野球団 (1984年、日本ヘラルド、主演:夏目雅子)
- 聖女伝説 (1985年、松竹、共演:岩下志麻)
- ALLUSION -転生譚- (1985年、松竹、共演:守山知子)
- コミック雑誌なんかいらない! (1986年、監督・主演:内田裕也)
- 近松門左衛門 鑓の権三 (1986年、松竹、共演:岩下志麻)
- さらば愛しき人よ (1987年、松竹、共演:石原真理子)
- 舞姫 (1989年、東宝、共演:リザ・ウォルフ)
- Samurai Cowboy (1993年、監督:ミヒャエル・ケウシュ、邦題:『ワイルドハート〜遥かなる荒野へ〜』日本未公開) ※ハリウッド映画[5]主演
- サラリーマンNEO 劇場版(笑)(2011年、ショウゲート)
舞台
- 権八小紫 (1994年、新橋演舞場) ※初座長を務める
- 坊ちゃん (1996年6月4日 - 28日、原作:夏目漱石、新橋演舞場)
- 愛・時をこえて ドラキュラ・イン・ジャパン (1997年2月御園座、1997年3月新歌舞伎座、共演:川島なお美)
アニメ
イベント
- 1971年、日劇ウエスタンカーニバル (日本劇場)
- 1973年5月5日 - 6日、第49回ウエスタン・カーニバル『郷ひろみショー』 (日本劇場)
- 1983年、国鉄新橋駅の一日駅長
- 2000年10月7日、FUNBOWL NIGHT 2000〜史上最大のパラパラ祭り〜「20世紀最後のHALLELUJHA!!」(ツインリンクもてぎ、共演:AVEX ARTISTS…ダンス☆マン、HYPER GO号2、キーヤキッス、PARAPARA ALL STARS、安西ひろこ)
- 2006年5月、キリンカップ2006「日本VSスコットランド」戦、国歌独唱(埼玉スタジアム)
- 2007年5月30日、藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴(ホテルオークラ神戸、中継:日本テレビ)
- 2007年9月、第5回東京ガールズコレクション(さいたまスーパーアリーナ)
- 2008年8月16日、お台場冒険王「めざましライブ」 (ファン5000人)
- 2008年5月5日 5時55分、ラクーア「開業5周年記念イベント」ライブ (ファン5000人)
- 2009年5月5日、「コルテオGO!GO!サポーター」就任し「GO外!」を自ら配る
- 2009年5月21日、ヒップホップエクササイズ「Hip Hop Abs」イベントでイメージソングの新曲「男願Groove!」披露 (六本木ヒルズ、ファン550人)
- 2009年7月28日、「コルテオ」大阪公演のPRのため、橋下徹大阪府知事を表敬訪問
- 2009年8月6日、神宮外苑花火大会30周年記念の明治神宮野球場ライブ
- 2009年8月22日、お台場合衆国「めざましライブ」(ファン4000人)
キャンペーン
- 1984年、国鉄:エキゾチック・ジャパン「2億4千万の瞳」
- 2007年、BSデジタル放送3000万台突破記念:「2億4千万の瞳」のアレンジ曲
- 2007年、国土交通省ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)テーマソング:「Come On Baby」
- 2009年、リュック・ベッソン製作・脚本の人気映画シリーズ最新作『トランスポーター3 アンリミテッド』 (8月15日公開)の本編先付け映像のナレーターに起用された
CM
- 高須クリニック ( - 2008年11月)
- 朝日生命 (「人生倶楽部」、「あんしん倶楽部」、「あんしん倶楽部10」、「Vシリーズ」、「My倶楽部」、「My倶楽部ZOOM」(共演:菅野美穂)、「My倶楽部ヤングステージ」、共演:菅野美穂)
- 穴吹工務店「サーパスマンション」、「サーパスフェア」
- 伊勢丹「I カード」
- 大塚食品「ボンカレーゴールド」
- ロッテ「パイの実」、「ガーナミルク」
- JR東日本「東北新幹線」
- 丸八真綿「82 ハッチーニ」、「ファーベッド」 (共演:内田有紀) 、「ホームショッピング」 (共演:浅野ゆう子)
- ロート製薬「新パンシロン」
- カネボウ 男性化粧品「XANAX(ザナックス)フォームコロン」
- 延田グループ「パチンコ・スロット 123」※関西ローカルCM (GAORAでも放映)
- 1972年
- 1979年、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「ムシムシコロコロ キンチョール」 (共演:横山やすし)
- 1980年、カネボウ化粧品CMソング:「How many いい顔」
- 1980年 - 1986年、三洋電機「サンヨービデオ・マイコニック」
- 1981年、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「ハエハエカカカ、キンチョール・よろしいんじゃないですか」 (共演:柄本明)
- 1982年、サントリー「赤玉ワイン・赤玉パンチ」
- 1983年 - 1987年、トヨタ自動車「カローラセダン(E80系)、カローラレビン(AE85/86)」
- 1987年、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「オス!メス!ハイオスキンチョール1本〜!」
- 1989年、サントリー「モルツビール」
- 1995年、トリンプ「天使のブラ」CMソング:「忘れられないひと」
- 1996年、宝酒造「タカラ本みりん てりっこ」
- 2000年
受賞歴
- 1972年、第14回日本レコード大賞・新人賞「男の子女の子」
- 1973年
- 1975年 - 1979年、日本テレビ音楽祭・トップアイドル賞・5年連続受賞 (明星アイドル人気投票結果から選出)
- 1976年、第18回日本レコード大賞・大衆賞「あなたがいたから僕がいた」
- 1977年、第2回報知映画賞・特別賞(『突然、嵐のように』などで新しい映画スターのイメージを作ったことに対して)[20]
- 1978年
- 1981年、第14回日本有線大賞・有線音楽賞「お嫁サンバ」
- 1984年、第1回ベストジーニスト
- 1986年、ベルリン国際映画祭・銀熊賞『鑓の権三』 (篠田正浩監督) ※主演映画
- 1994年、第27回日本有線大賞・有線音楽優秀賞 (ポップス) 「言えないよ」
- 1995年、第28回日本有線大賞・有線音楽優秀賞 (ポップス) 「逢いたくてしかたない」
- 1999年
- 第41回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞「GOLDFINGER '99」他メドレー
- 第32回日本有線大賞・有線音楽優秀賞(ポップス)「GOLDFINGER '99」
- 第12回ネイルクィーン・協会特別賞
- 国土交通省ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)テーマソングとして楽曲提供により感謝状「Come On Baby」
書籍
著書
- たったひとり (1980年10月、小学館)
- 郷ひろみの紐育 (ニューヨーク) 日記 (1989年10月、朝日新聞社) ※1991年文庫化
- 紐育 (ニューヨーク) 日記 (1991年10月、朝日新聞社)
- 不惑 (1996年6月、工作舎)
- ダディ (1998年4月、幻冬舎)
- 若気の至り (2000年11月、角川書店)
- NEXT 明日の僕がいちばん! (2009年5月25日、講談社)
写真集
- 写真集『ムー一族』 (1978年11月、レオ企画)
- 「G 郷ひろみ」 (2013年5月29日) ※ジミー・ミン・シュン(香港)撮影、台湾ロケ
雑誌・漫画
ビジネス
レストラン
- イタリアンレストランのプロデュース/SOGNI di SOGNI (ソーニ・ディ・ソーニ) ※ 経営・運営は延田グループ
ブランド
- ジュエリーブランドのプロデュース/Rosen Hemden (ローゼン・へムデン) ※ 経営・運営は坂本貴金属
- 日本酒のプロデュース/大吟醸 原武 ※ 製造販売は齋彌酒造店
- 2009年、ブランドロゴは郷ひろみの父・原武英夫の文字。
- オリジナルワインのプロデュース/2008 マグニフィカファイブ (ディレクターHIROMI GO) ※ 醸造・販売、クラッシュパッド株式会社
脚注
関連項目
外部リンク
- 郷ひろみスペシャルサイト
- 郷ひろみオフィシャルサイト
- 「かいたか日記」スタッフによる公式ブログ
- Sony Music Online Japan 郷ひろみ
- SOGNI di SOGNI大阪テンプレート:リンク切れ
- Rosen Hemden
- 大吟醸 原武
- 郷ひろみオリジナル・プレミアム・ワイン マグニフィカ・ファイブテンプレート:リンク切れ
- ↑ 1.0 1.1 1.2 サワコの朝、TBS、2012年4月28日放送分
- ↑ 東京中日スポーツ55周年企画「郷GO!!インタビュー<1>おふくろに平手で殴られた」2010年5月11日
- ↑ 2010年10月20日 SONGS
- ↑ 4.0 4.1 TBS『うたばん』2005年4月28日放送
- ↑ 5.0 5.1 ハリウッドメジャースタジオ6社の傘下に属していない小規模予算のインディペンデント映画に属す
- ↑ 『Hiromi Go official website』“ファンの皆さんへメッセージ”2012年3月31日テンプレート:リンク切れ
- ↑ 7.0 7.1 7.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 8.0 8.1 徹子とマツコの音楽時代(2012年3月29日放送分)
- ↑ 日テレ「Music Lovers」(2010年6月13日放送)
- ↑ 「僕らの音楽」(2008年10月24日放送)
- ↑ TBS「うたばん」(2000年2月17日放送)
- ↑ 12.0 12.1 フジテレビ「堂本兄弟」ジャケットプレイ(2013年4月21日放送)/恋愛話(2010年11月21日放送)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 14.0 14.1 著書『若気の至り』裏表紙に自ら自身の女性遍歴を年表風にまとめた
- ↑ 著書『ダディ』より
- ↑ 幻冬舎社長見城徹インタビュー「情熱の系譜3」(WEB GOETHE・ウェブゲーテ)/TBS「がっちりマンデー」幻冬舎・見城徹の勝利方程式とは?(2005.11.20放送)
- ↑ 「郷ひろみさんのチャリティーコンサート」『カスパルニュースレター (1996年12月)』
- ↑ 「郷ひろみ様に感謝いたします」『特別救済活動カスパル (2007年4月) 』
- ↑ 『トシガイ』 (日本テレビ) 「第7回郷ひろみ (2007年5月17日) 」
- ↑ テンプレート:Cite web