日本有線大賞
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テンプレート:Infobox Award テンプレート:基礎情報 テレビ番組 日本有線大賞(にほんゆうせんたいしょう)は、1968年に始まった日本の音楽に関する賞である。
TBSでの放送番組名は2008年(第41回)まで『発表!!第○○回日本有線大賞』で、第42回以降は「発表!!」の表記が無い。
目次
概要
- 主催は全国有線音楽放送協会(通称:全音協)。
- この賞は原則として有線放送シェア第2位で、全音協加盟の有線放送会社の中では最大手となる「キャンシステム」へ前年12月第3週から当年12月第2週までに寄せられるリクエストの回数を基準に表彰するものである(なお有線とあるが、有線放送シェア第1位で国内最大手のUSENは全音協に加盟しておらず当番組には一切かかわっていない)。ただし、2010年の第43回は11月18日開催・放送となるため、対象期間が早くなっている。
- 読売テレビの『ベストヒット歌謡祭』(旧・『全日本有線放送大賞』、通称“大阪有線大賞”)と区別するため、関係者の間では“東京有線大賞”と言われていた時期がある。
- 賞の種類としてグランプリである大賞の他、2009年までは最優秀新人賞・最多リクエスト歌手賞・最多リクエスト曲賞・有線音楽優秀賞・有線音楽賞・新人賞など様々な賞があるが、原則として有線音楽優秀賞は演歌歌手・ポップス歌手各4組ずつ、有線音楽賞と新人賞は各2組ずつが選ばれていた。
- 2010年の第43回では最優秀新人賞がなくなり、新人賞を演歌・ポップス各1組ずつ選出した他、最多リクエスト歌手賞・最多リクエスト曲賞に替わってロングリクエスト賞・有線問い合せ賞が新設されるなど、賞の種類が大きく変化した。[1]
- 発表会は1980年代前半まで渋谷公会堂、1980年代前半から1999年まで東京郵便貯金会館ホール(東京メルパルクホール)から、2000年は東京ベイNKホールから(現在閉鎖)、2001年と2002年は東京・青山劇場から行われたが2003年から2007年、2009年は東京都港区赤坂のTBS放送センターAスタジオ(2007・2009年はBスタジオ)で開かれ、2008年は中野サンプラザで開催された。さらにその模様はテレビ(TBS系列全国ネット)で生中継されており、ラジオ(TBSラジオのみ)でも後日ダイジェスト版として放送される(なお1999年まではTBSラジオでも同時生中継されていたが2000年のe-NITE開始以後、JRN系列の同時ネット放送に伴い現在の放送形態になった)。
- USENと読売テレビが主催している『ベストヒット歌謡祭』は、2007年までUSENへのリクエスト総数だけではなくオリコンの年間CD売上や視聴者のインターネット投票などを加味して各賞を決定していた。しかし2008年以降はUSENへのリクエストデータが審査対象から外されたため、事実上かつて放送されていた『日本テレビ音楽祭』が復活した形となり、『日本有線大賞』が日本唯一の有線放送大賞になった。
- 第42回が放送された2009年からは番組ロゴが変更され、これまでの角ばったロゴから明朝体を主体とするロゴになった。
- 一時期、「全日本有線放送大賞」と同様に上期・年間の2回行われた年がある。
- 最高視聴率は、1984年12月7日放送の24.8%[2]、この年の最優秀新人賞は、吉川晃司「モニカ」、日本有線大賞は、テレサ・テン「つぐない」であった。
発表音楽祭の放送について
- 発表音楽祭の放送は1982年まで毎年12月第1日曜日の19:30-20:54(毎日放送制作の『アップダウンクイズ』の後)に放送されていたが、1983年から2002年までは毎年12月の第1(後に第2・3)金曜日の19:00 - 20:54に放送されていた。当初は19:30-20:54での放送だったが1984年に『JNNニュースコープ』が19:20までの放送になると19:20-20:54、1987年に『ニュースコープ』が再び19:00までの放送になると19:00 - 20:54、2002年は18:55-20:54と3回も放送時間が変わった。ただし1990年から1999年は『金曜テレビの星!』を休止、2000年は『スーパーフライデー』を休止、2001年と2002年は逆に『スーパーフライデー』枠を使って放送した。
- 1990年は第1週が「TBS宇宙プロジェクト・日本人初!宇宙へ」の編成が組まれた関係上、第3週に繰り下げた。
- 1978年当時ではメイン会場とTBSのスタジオの2ヶ所を中心の放送だった。
- 平成に入るとJ-POPアーティストが受賞する機会が増え、また翌年の2003年から2006年までは毎年12月第3土曜日の19:00-20:54に放送されていた。なお、土曜19:00-20:54のレギュラー番組は休止された。2006年10月からは1990年9月までの定時番組枠だった金曜19・20時枠がレギュラー番組化されている。
- 40回目となる2007年は放送日を水曜日に移して12月12日に放送され、視聴率も13.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)とここ数年の視聴率を上回っている[3]。2008年も2007年に引き続いて水曜日(12月17日18:55-20:54放送)での放送となり、視聴率は13.3%(関東地区)で、昨年を若干上回った。
- 2009年に開催された第42回は、3月30日よりTBSの平日夜7時の帯番組に「総力報道!THE NEWS」が入ったことから、12月20日日曜日19:00-20:54に放送され、1982年以来27年ぶりの日曜日復帰となった。しかし、1桁視聴率に低迷してしまった。
- 2010年に開催された第43回は、例年の12月から11月18日の木曜日(時間は19:00~20:54)と、例年より1か月早く、長年年末の賞取りレースの先陣を切っていた、読売テレビが主催、日本テレビ系列で放送している『ベストヒット歌謡祭』より1週間早く開催・放送された。通常この枠は「スパモク!!」を放送している時間枠のため、今回の放送は一部の系列局の番組表では『スパモク!!』の番組名が冠された。また、通常はローカルセールス枠であるが、この日に限ってはマストバイとなり、TBS・JNN系列全国ネットによって生放送され[4]、平均視聴率は10.0%(関東地区)と2009年より上昇、辛うじて2桁を回復したが、最優秀新人賞が廃止になった。
- 2011年の第44回は当初、3月11日に発生した東日本大震災の被災者に配慮して中止することも予想されたが[5]、10月になって12月10日に放送されることが決定。例年通り12月の放送に戻り、5年ぶりに土曜日19時から2時間枠で放送された。視聴率は、0.2ポイント上昇の10.2%と、2年連続で2桁視聴率となった。
- 2012年の第45回は、11月14日とこれまでで最速の放送日にあたることが発表された。放送枠は『水トク!』枠となり、2年ぶりにローカルセールス枠を特例でマストバイにする放送となった。しかし、裏番組に「2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選 オマーン×日本」(テレビ朝日、20:00〜22:30)などの裏番組の競合化したことが影響し、3年ぶりの1桁となる9.0%となった。
- 2013年では地上波では12月11日に第46回を放送する(終了時間が21:00に変更[6])ほか、TBSチャンネル1では1982年の第15回と1994年の第27回を12月1日・7日・8日に放送。関東地区の平均視聴率は昨年より1.2%上昇の10.2%[7]だった。
司会者
- 鈴木治彦
- 小川哲哉(1978年・1981年・1982年)
- 松宮一彦(1980年代-1990年代)
- 三雲孝江(1978年)
- 宮崎美子(1981年・1986年)
- 斉藤慶子(1982年)
- 愛川欽也(1983年-1990年)
- 渡辺徹(1991年-1998年)
- 紺野美沙子(1984年・1985年・1987年・1994年)
- 薬丸裕英(1999年-2002年)
- 中井美穂(1999年)
- 木村郁美(2000年・2001年)
- 久保田智子(2002年・2010年-2012年)
- 磯野貴理子(2003年)
- 有馬隼人(2003年)
- 峰竜太(2004年)
- 陣内孝則(2005年・2006年)
- 小倉弘子(2003年-2006年)
- ベッキー(2004年-2008年)
- 草野仁(2007年-2011年)
- 出水麻衣(2007年・2009年)
- 加藤シルビア(2008年)
- 田中みな実(2009年)
- 小林悠(2010年)
- 吉田明世(2011年)
- 沢村一樹(2012年-)
- トリンドル玲奈(2012年-)
- 枡田絵理奈(2013年)
- 生島ヒロシ
司会者の体制
- 1978年:鈴木/小川・三雲
- 1982年:小川・斉藤/松宮・生島
- 1985年:愛川・紺野/松宮
- 1986年:愛川・宮崎/松宮
- 1987年:愛川・紺野/松宮
- 1994年:渡辺・紺野/松宮
- 1999年:薬丸/中井
- 2000年・2001年:薬丸/木村
- 2002年:薬丸/久保田
- 2003年:磯野・小倉/有馬
- 2004年:峰・ベッキー/小倉
- 2005年・2006年:陣内・ベッキー/小倉
- 2007年:草野・ベッキー/出水
- 2008年:草野・ベッキー/加藤
- 2009年:草野/出水・田中
- 2010年:草野/久保田・小林
- 2011年:草野/久保田・吉田
- 2012年:沢村・トリンドル/久保田
- 2013年:沢村・トリンドル/枡田
関連番組
- 一時期、毎年6~7月あたりに年度中間発表として「中間発表!第○○回日本有線大賞」と題した特別番組を原則として関東ローカル(TBSのみ)で放送されていたことがある(年によってはTBS系列局で放送されたこともある)。ただ、中間発表の放送は生放送ではなく録画で行われている。なお、以前は前述の通り「上期大賞」を実施した年があった。[8]
- 1997年8月には同じTBS系列で「栄光の日本有線大賞30年史」という特別番組を放送した。
- 2013年(第46回)は、生放送4日前に当たる同年12月7日に「日本有線大賞がグッと楽しくなる見どころSP」と題した事前番組が関東ローカルで放送された。
大賞受賞者一覧
この一覧では大賞受賞者のみを記載している。「放送日」はテレビでの放送日。その他の賞の受賞記録は公式サイトを参照。
各賞
現在
- 日本有線大賞
- 後述の有線音楽優秀賞の中から選ばれる(1991年〜2009年までは演歌・ポップスとジャンル別だったが、大賞はどちらかから選ばれていたため、日本レコード大賞で以前あったジャンル別に1組ずつの大賞ではなかった)。1990年(ジャンル別なし)から有線音楽優秀賞、1978年〜1989年までは、有線音楽賞から、1976年以前は、有線スター賞・歌唱賞などから、大賞が選ばれていたが、1977年・1968年〜1971年は、賞にノミネートはせず、大賞のみでの発表もあった。1972年は、欧陽菲菲だが、ノミネート曲(優秀賞)「恋の追跡(ラヴ・チェイス)」と大賞曲「雨のエア・ポート」が違った。また、2000年の小柳ゆきも同様にノミネート曲(優秀賞)「愛情」と大賞曲「be alive」が違った。
- 有線音楽優秀賞
- 先述の通り、1991年〜2009年までは演歌・ポップスとジャンル別だったが、演歌・ポップスは各4組ずつが基本。
- 新人賞(1968年〜1974年、1975年のみ優秀新人賞、1976年〜)
- ロングリクエスト賞(2010年〜)
- 50位以内に長くランクインした歌手に贈られる。
- 特別賞
- 2013年、2010年、1982年(第15回記念)、1981年・1979年、1978年(有線協会特別賞)、1977年、1976年(協会特別賞)、1975年(会長特別賞)、1974年・1973年・1971年・1970年・1969年・1968年
- 有線放送協会賞
- 有線問い合せ賞(2010年〜)
過去
- 最優秀新人賞(1975年〜2009年、新人賞の中から選ばれていたが、1968年〜1974年・2010年以降は発表されず)
- 最多リクエスト歌手賞(1982年〜2009年)
- 最多リクエスト曲賞(1989年〜1991年・1994年〜2009年)
- 有線協会奨励賞(2009年)
- 特別奨励賞(1987年)
- 有線奨励賞(1983年・1984年)
- 奨励賞(1981年)
- 評議員奨励賞(1979年)
- 有線音楽賞(1978年〜2008年。1989年までは、大賞の候補がノミネートしたが、1990年以降は有線音楽優秀賞が設けられたので大賞の候補ではなくなった。)
- 有線ヒット賞(1976年・1977年)
- 優秀賞(1970年・1972年〜1974年)
- 歌唱賞(1972年〜1974年)
- 有線スター賞(1975年・1976年)
- スター賞(1968年〜1971年)
- GOLDENスター賞(1969年)
- 有線話題賞(2005年・2006年)
- 有線功労賞(1975年・1976年・1985年・1995年・2005年)
- 有線特別功労賞(1986年・1987年)
- 第30回特別功労賞(1997年)
- 特別功労賞(1980年)
- 功労賞(1971年)
- 有線放送創業30年特別出演(1992年)
- 有線大衆賞(1983年・1984年)
- 有線音楽特別大衆賞(1990年)
- 大衆賞(1970年〜1974年)
- 協会選奨(1983年〜1989年)
- ベストヒット賞(1975年・1978年〜1988年)
- 敢闘賞(1978年・1985年)
- 特別敢闘賞(1976年)
- 協会期待賞(1980年)
- 有線新人期待賞(1984年)
- 期待賞(1969年・1970年)
- 注目曲(1981年・1983年)
- 企画賞(1976年・1977年)
- 会長賞(1974年)
- 郵政大臣賞(1972年)
- ホープ賞(1971年)
- 努力賞(1969年・1970年)
- グリーン賞(1970年)
- 東京放送賞(1977年・1978年、他の年は不明、大賞受賞者に贈られた)
- 集英社賞(1977年、他の年は不明、大賞受賞者に贈られた)
各種記録
- 最多受賞回数(有線音楽優秀賞・有線音楽賞など含む)
- (男性の場合)
- (女性の場合)
- 最年長大賞受賞者
- 46歳 - 鶴田浩二(1971年・第4回に記録)
- 最年少大賞受賞者
- 18歳 - 小柳ゆき(2000年・第33回に記録)
- 最年長最優秀新人賞受賞者
- 最年少最優秀新人賞受賞者
特徴
- 1980年代の「最多リクエスト歌手賞」「最多リクエスト曲賞」は司会の読み上げではなく、司会者が上位3組(曲)を紹介したあと、コンピューターグラフィックスの横向き棒グラフで最も多くリクエストした曲・歌手に受賞したが、2005年以降は「最多リクエスト歌手賞」「最多リクエスト曲賞」をまとめて発表した。年によって発表しなかった回もあった。
- 2009年まであった「最多リクエスト歌手賞」や「最多リクエスト曲賞」はあくまで当日出演のノミネート歌手限定のものであった。上記の賞の受賞者の中から「日本有線大賞」が選ばれることがほとんであったが、どちらが選ばれるか、そうでないかは審査員次第であり、特に決まりというものは無かった。2010年以降は「最多リクエスト歌手賞」や「最多リクエスト曲賞」を発表することは無くなった。
- 2009年まであった「最優秀新人賞」だが有線リクエスト回数は必ずしも重要視されなかった。
- 2010年の第43回まではメダルを出演歌手の首に掛ける唯一の歌番組だったものの、2011年の第44回のみ歌手にメダルを掛けることが無くなった[10]。
- 2011年の第44回は、初の達成を狙っていたAKB48か2回目の3連覇・通算7回目の受賞を狙っていた氷川の大賞が有力視されていた中、『第44回日本作詩大賞』を受賞した「いくたびの櫻」を歌うふくい舞が大賞を受賞。その影響により、視聴者・業界双方から騒然の声があり、「無名の歌手が受賞するのは?」という声があがっている[11]。
- 2012年の第45回は、氷川が大賞を受賞し、通算7回目の受賞を達成することになった。
主なスタッフ
- 制作:TBSテレビ(第42回以降表記廃止)
- 製作著作:TBS(第42回以降はTBSテレビを指す)
- 2006年(第39回)
- 2007年(第40回)
- アシスタントプロデューサー:鹿渡弘之・浅川寿人
- チーフプロデューサー:利根川展
- プロデューサー:服部英司
- 構成:矢頭浩・あべ・古屋啓子・川上共子・播田ナオミ
- 総合演出:木田将也
- 舞台監督:高岡滋樹
- 2008年(第41回)
- アシスタントプロデューサー:鹿渡弘之・浅川寿人
- プロデューサー:落合芳行・服部英司・木田将也
- 総合演出:青山優子
- 舞台監督:寺田祐樹
- 2009年(第42回)
- アシスタントプロデューサー:鹿渡弘之
- プロデューサー:落合芳行・服部英司・木田将也
- 総合演出:青山優子
- アシスタントプロデューサー:鹿渡弘之・神田祐子
- 編成:片山剛
- 2010年(第43回)
- アシスタントプロデューサー:鹿渡弘之・神田祐子
- プロデューサー・総合演出:木田将也
- プロデューサー:落合芳行・服部英司
- 2011年(第44回)
- アシスタントプロデューサー:鹿渡弘之・神田祐子
- 総合演出:寺田淳史
- プロデューサー:落合芳行・服部英司・木田将也
- 2012年(第45回)
- アシスタントプロデューサー:鹿渡弘之・神田祐子
- 大阪中継演出:志賀大士
- 舞台監督:細谷知世/植木修一
- 演出:安永洋平
- プロデューサー:片山剛・大木真太郎・服部英司・木田将也
- 制作プロデューサー:落合芳行
- 2013年(46回)
- アシスタントプロデューサー:鹿渡弘之・神田祐子・佐藤誠子
- 舞台監督:藤田亘/植木修一・深谷俊介
- 演出:安永洋平
- プロデューサー:片山剛・大木真太郎
- 制作プロデューサー:落合芳行
脚注
関連項目
- ベストヒット歌謡祭 - 読売テレビが主催・日本テレビ系列で毎年11月に放送(2011年は全てエキシビション扱いで、各賞選考が行われなかったが、2012年11月に完全に取りやめることを決めたため、今後は公開音楽ショー形式となる)。
- 日本レコード大賞 - TBSで放送されている音楽賞
- 音楽に関する賞
外部リンク
- TBS「日本有線大賞」
- テンプレート:Twitter TBS「日本有線大賞」「日本レコード大賞」共同アカウント
- 日本有線大賞史
テンプレート:日本有線大賞 テンプレート:日本有線大賞最優秀新人賞
テンプレート:Asbox- ↑ [日本有線大賞]氷川きよし 「虹色のバイヨン」2年連続6度目の受賞(マイコミジャーナル、2010年11月18日)
- ↑ 1998年12月30日放送のテレビのちから「とっておき映像永久保存版 20世紀名番組ベスト200」より
- ↑ 視聴率ランキング
- ↑ この時間に別番組を編成している青森テレビ(ATV)、テレビ山口(tys)、宮崎放送(MRT)、南日本放送(MBC)、琉球放送(RBC)などの系列局でも同時ネットで放送されていた。
- ↑ 2011年11月24日に開催された読売テレビの『ベストヒット歌謡祭』は、例年通り公開生放送されたが、各賞選考は行われず事実上のエキシビションとなり、賞取りレースの形式はこれをもって終了。
- ↑ 大賞楽曲披露後、「JNNフラッシュニュース」を放送。
- ↑ ビデオリサーチ週間高世界視聴率番組10 VOL50
- ↑ 全国有線音楽放送協会ホームページの事業計画書より。
- ↑ 最優秀新人賞の発表がなかった年の新人賞受賞者を含めると、2010年・第43回で新人賞を受賞したレーモンド松屋(当時59歳)が最年長となる。
- ↑ 過去に「全日本有線放送大賞」も出演歌手にメダルをかけたことがある。
- ↑ テンプレート:Cite news