全日本有線放送大賞
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 全日本有線放送大賞(ぜんにほんゆうせんほうそうたいしょう)とは1968年から2000年まで讀賣テレビ放送と大阪有線放送社(現在のUSEN)が共催していた歌謡曲の年間表彰である。初期を中心に上半期と年間の2回に分けて表彰された年もあるが、後に年1回(年間)のみの開催となった。ABC『歌謡ゴールデン大賞・新人グランプリ』と並ぶ大阪で開催された音楽賞レースの1つである。
概要
これは大阪有線放送社の有線放送を受信している利用者の楽曲へのリクエストの回数を基に審査するものであり1年間で最も多くのリクエストを獲得した楽曲を歌ったアーティストに贈られる大賞(以下グランプリ[1])を頂点に読売テレビ特別賞、ゴールドリクエスト賞、またその年デビューした新人アーティストの楽曲を対象とした新人賞とそこから選ばれる最優秀新人賞といった表彰があった。
大賞となるグランプリが決定すると天井から大量の紙吹雪が降り(但し、風船は入っていなかった)、受賞者には読売テレビから賞金100万円とゴールデントロフィーが贈られた。なお、グランプリは「栄光の星座」という愛称が付け加えられた。そして、受賞者が再び歌うと、再度紙吹雪が『NHK紅白歌合戦』やMBS『クイズMr.ロンリー』、ABC『THE ビッグ!』のように降った。しかし、紙吹雪の演出は『ベストヒット歌謡祭2005』まで続いていたが、その後はなくなった(理由は不明)。最優秀新人賞を受賞した歌手にも大賞を受賞する権利を与えられた時期もある(浜村が司会をしていた頃、1991年の第24回まで)。
なお、1991年開催の第24回からは前年限りで終了した日本テレビ主催『日本テレビ音楽祭』の内容の一部を引き継ぎ、1996年開催の第29回からは審査対象が楽曲からアーティストに変わり、2001年と2002年に開催された『ALL JAPANリクエストアワード』、2003年より開催の『ベストヒット歌謡祭』でも2010年まで適用されていた。
もともとは読売テレビが制作して日本テレビ系列で放送されていた深夜のワイドショー『11PM』の年末企画「夜のレコード大賞」としてスタート。のちに独立して日本テレビ系列の「木曜スペシャル」枠で放送されることとなり、『全日本有線放送大賞』(以下「全日本有線」)に改称した(独立後も『11PM』枠で新人賞ノミネートや当日放送後のパーティーが放送され、各受賞者が司会の藤本義一からインタビューを受ける)。
また、浜村淳の司会で長年親しまれたことでも知られているが、1991年の第24回限りで降板[2]。その後、1997年以降は堺正章が担当、2001年と2002年は『ALL JAPANリクエストアワード』へ、2003年以降は『ベストヒット歌謡祭』へ継承されていく。
1992年8月30日には『24時間テレビ15「愛の歌声は地球を救う」』の中で『全日本有線』の過去の受賞者が受賞曲を披露する歌謡ショー形式として編成されたが、開始当初から続いた読売テレビ放送枠はこの回で終了した。
1995年に入るとノミネート制を廃止させ欠席したアーティストが多く受賞した問題点が、のちの『ALL JAPANリクエストアワード』に続いたが、『ベストヒット歌謡祭』になってからは欠席したアーティストの受賞を廃止した。
グランプリ連覇の最長記録は4連覇で浜崎あゆみが2000~2003年に達成、全日本有線放送大賞限定だと3連覇でテレサ・テンが1984~1986年に達成している(年間ベース)。
ちなみに、1978年から1988年の11年間はTBS系の『ザ・ベストテン』の放送日と重なり、『全日本有線』の終了直後に『ベストテン』が始まる展開となった。このため、『全日本有線』に出演したアーティストがその週の『ベストテン』にランクインした場合は、“追っかけマン(ウーマン)”役のMBSアナウンサーの仕切りで、会場近くから中継で歌うことが恒例であった。この中継には当時『全日本有線』の司会を務めていた浜村が局の垣根を越えて出演し、イントロに乗せて曲の紹介をするのも併せて“お約束”となっていた。
司会者
- 浜村淳 - 1968~1991年[2]
- 鳳蘭 - 1984年
- 宮田輝 - 1977~1981、1985、1986年
- 桂三枝(現・六代目桂文枝) - 担当開始時期不明、1994年まで
- 島田紳助・坂本冬美- 1995年
- 神田正輝・三井ゆり・今田耕司・東野幸治 - 1996年
- 赤坂泰彦 - 1994~1996年
- 堺正章・川島なお美 - 1997年
- 堺正章・藤原紀香・中村玉緒 - 1998年
- 堺正章・藤原紀香 - 1999年から2008年の『ベストヒット歌謡祭』へ引き継ぐ
歴代グランプリ受賞者
回数 | 放送日 | 受賞者 | |
---|---|---|---|
第1回 | 1968年12月日 | 森進一 | |
第2回 | 1969年12月日 | 青江三奈 | |
第3回 | 1970年12月4日 | 内山田洋とクール・ファイブ | |
第4回 | 1971年12月日 | 鶴田浩二 | |
第5回 | 1972年12月7日 | 内山田洋とクール・ファイブ | |
第6回 | 1973年12月8日 | ぴんからトリオ | |
第7回 | 1974年12月日 | 渡哲也 | |
第8回 | 1975年12月日 | さくらと一郎 | |
第9回 | 1976年12月9日 | 都はるみ | |
第10回 | 1977年12月8日 | 小林旭 | |
第11回 | 上期 | 1978年月日 | 増位山 |
年間 | 12月7日 | 沢田研二 | |
第12回 | 1979年12月6日 | 小林幸子 | |
第13回 | 上期 | 1980年月日 | もんた&ブラザーズ |
年間 | 12月4日 | もんた&ブラザーズ | |
第14回 | 上期 | 1981年月日 | 寺尾聰 |
年間 | 12月17日 | 山本譲二 | |
第15回 | 上期 | 1982年7月4日 | サザンオールスターズ |
年間 | 12月9日 | 細川たかし | |
第16回 | 上期 | 1983年月日 | 佳山明生 |
年間 | 12月8日 | 都はるみ 岡千秋 | |
第17回 | 上期 | 1984年月日 | 安全地帯 |
年間 | 12月13日 | テレサ・テン | |
第18回 | 上期 | 1985年月日 | 吉幾三 |
年間 | 12月12日 | テレサ・テン | |
第19回 | 上期 | 1986年7月13日 | 中森明菜 |
年間 | 12月11日 | テレサ・テン | |
第20回 | 上期 | 1987年7月5日 | 吉幾三 |
年間 | 12月10日 | 瀬川瑛子 | |
第21回 | 上期 | 1988年7月日 | テレサ・テン |
年間 | 12月8日 | 吉幾三 | |
第22回 | 上期 | 1989年月日 | Wink |
年間 | 12月7日 | Wink | |
第23回 | 1990年12月6日 | 堀内孝雄 | |
第24回 | 1991年12月12日 | 沢田知可子 | |
第25回 | 1992年12月10日 | 米米CLUB | |
第26回 | 1993年12月9日 | 高山厳 | |
第27回 | 1994年11月26日 | 藤谷美和子 大内義昭 | |
第28回 | 1995年11月25日 | シャ乱Q | |
第29回 | 1996年11月23日 | シャ乱Q | |
第30回 | 1997年11月29日 | GLAY | |
第31回 | 1998年11月21日 | L'Arc〜en〜Ciel | |
第32回 | 1999年11月20日 | GLAY | |
第33回 | 2000年11月18日 | 浜崎あゆみ |
スタッフ(2000年 (第33回))
- 構成:八木晴彦
- 舞台監督:梅田尚哉
- ディレクター:山口剛正
- プロデューサー:藤澤國彦
- チーフプロデューサー:弘中謙
脚注・出典
- ↑ 大賞は第1回のみ、第2回から第8回までは金賞。
- ↑ 2.0 2.1 創業50周年アーティストコメント|USEN
関連項目
- 音楽に関する賞
- 日本有線大賞(1968年~) - 全国有線音楽放送協会(加盟有線最大手はキャンシステム)とTBSが主催
- 全日本有線放送大賞(1968年~2002年) - USEN(旧大阪有線放送社)と読売テレビが主催
- →ALL JAPANリクエストアワード(2001年~2002年)
- →ベストヒット歌謡祭(2003年~)
- ヤング歌謡大賞・新人グランプリ(1983年~1993年) - 朝日放送が主催。