井上陽水
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox Musician 井上 陽水(いのうえ ようすい、1948年8月30日 - )は、日本の歌手、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。
人物
出生名は井上 陽水と書いて「いのうえ あきみ」と読む。
1970年代には吉田拓郎と双璧をなし、フォークソング界あるいはニューミュージック界を牽引した。1973年発売のアルバム『氷の世界』は、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録する。その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年のベスト・アルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持し、日本ポピュラーミュージック界の最重要人物の一人として活躍し続けている。
デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。コンサートやテレビ番組の中でしばしばビートルズの作品を歌うほか、ビートルズの影響は楽曲の随所に見られる。
2人目の妻である石川セリとの間に1男2女。長女は作詞家・歌手の依布サラサ。
身長178cm。
経歴
生い立ち
父は高知県幡多郡佐賀町(現黒潮町)出身の元軍医[1][2][3]であり、当時赴任していた京城(現在のソウル)で母と知り合い結婚している。終戦に伴い、母が地元の福岡県直方市[3]に帰郷。追って父が引き揚げて、以降福岡に定住。
父は引き揚げ後は炭鉱で働いていたが、陽水が生まれてまもなく福岡県田川郡糸田町で歯科医を開業。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。
1953年、糸田町に引っ越す。田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという[4]。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学。
小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいねと褒められる少年だった[5]。またこの頃から、8歳上の姉の影響でプラターズやエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系のラジオに熱中するようになる。
1963年、中学3年の時に小島正雄のラジオ番組で紹介された「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、以降ビートルズに熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれ、数人の仲間と一日中歌いまくり、休日には(当時出始めの)オープンリールのテープレコーダーでその歌を録音するなど[6]、ビートルズ漬けの生活を送っており、仲間内のみならず町内でも生粋の音楽狂として名が知られていた。1966年前後に、はじめて歌を作る。この歌は当時付き合っていた女の子を歌ったもので、ごく短く、題名もついていないが、デビュー後にはコンサートでときおり歌われている。
家業を継いで歯科医になることを期待されていたため、1967年、九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。二浪目の1969年「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を深夜放送で聞き、自らも高校時代に歌を録音する際に同じような早回しテクニックで遊んでいた経験[7]から、「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ[4][8]。ギターを見よう見まねで始める[4]。1968年、再度の受験にも失敗する。1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めた。その後「東京で勉強して大学入学を目指す。」と父に伝え上京するが歌手となるための活動に専念し、受験活動は行っていなかった。[9]。
アンドレ・カンドレ時代
1969年、RKB毎日放送のラジオ番組「スマッシュ!!11」が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は「カンドレ・マンドレ」を自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)し、4月16日、テープをRKB毎日に持ち込む[4]。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、「スマッシュ!!11」のディレクターの野見山実が難色を示し、芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は「スマッシュ!!11」で放送され、数多くのリクエストを受ける。ただしリクエストの大半は、陽水が友人(主に浪人仲間)にはがきを配ってリクエストを出すよう指令したためのものだったという[10]。
放送後、RKBのスタッフからホリプロを紹介され、同年6月にレコーディングのため上京。「カンドレ・マンドレ」を改めてレコーディングし、同年9月1日、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からアンドレ・カンドレとして同曲でデビュー。演奏は六文銭、編曲は小室等が担当したが、ほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛と加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年)も不振に終わり、シングル3枚でアンドレ・カンドレとしての活動は終わることになった。
ビートルズ狂いの経緯もあり、本人は自らをフォーク歌手とは全く思っていなかったが、当時一般には「ギターを持って歌う歌手はフォーク歌手」として認識されていたため、フォーク歌手的な扱いを受けることが多く、営業先で嫌な目にあう事がしばしばあり、これが後にホリプロから独立する遠因になった[11]。
アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセションの忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からボブ・ディランを薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた[12]。
当時の映像として1970年公開の、和田アキ子主演映画「女番長 野良猫ロック」にモップスなどホリプロのアーティストと共に出演。「アンドレ・カンドレ」を歌うシーンがある(只し、レコード音源に合わせて歌う、いわゆる「リップシンク」)。出演シーンと本編に関連性はなく、ホリプロのプロモーション戦略だったと思われる。
ポリドール時代
1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水-ようすい」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた[13]。
翌1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月にアルバム『断絶』がリリースされると、同アルバムに収録された「傘がない」が批評家に注目される。陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から[14]。陽水自身は売れた理由について『陽水ライヴ もどり道』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている[2]。
翌1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリースされるに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。
『氷の世界』の影響で以前の作品が注目され、「人生が二度あれば」「愛は君」「傘がない」「つめたい部屋の世界地図」「東へ西へ」「夜のバス」「夏まつり」「神無月にかこまれて」「紙飛行機」「能古島の片想い」などが人気を博する。これらの作品は四畳半フォークに通じる叙情的な色合いを持っている。また「東へ西へ」などには超現実主義的な歌詞がすでに現れている。これについて陽水は「ボブ・ディランの影響を受けた」と語っている。さらに「たいくつ」「自己嫌悪」など内省的な作品が多いこともこの時期の大きな特徴である。ただし『二色の独楽』はロサンゼルスでレコーディングされ、演奏にジャック・ニッチェやジーン・ペイジを迎えたものであり、サウンドが『氷の世界』以前のフォーキーな作風から一転してロック色を帯びている。
ポリドール時代には理由は諸説あるが殆どテレビに出演せず(「傘がない」「紙飛行機」「たいくつ」の映像は確認されている)、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」から『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」を以降著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。
1974年1月17日、熊本県出身の女性[15]と結婚する。同年のシングル「闇夜の国から」はこの結婚を意識した作品とされている。
1975年、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる・小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。
フォーライフ時代〜第二次陽水ブームまで
1976年2月、離婚。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得。1977年、石川セリのアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。同年9月10日、大麻所持容疑で逮捕され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。9月22日に保釈され、10月11日には懲役8か月、執行猶予2年の判決を受ける。この事件直後にリリースされたアルバム『"white"』は、オリコンチャートの3位を獲得したものの、事件以前と比較して売り上げは低迷していくことになる。 ちなみに、この『"white"』の収録曲であり、後にシングルカットされた「青い闇の警告」と「ミスコンテスト」は獄中で作られた曲であり、「青い闇の警告」にある『今の住所はここで、固い扉が守り』とは牢獄の事を意味し、「ミスコンテスト」にある『頼りなさそうな司会者が叫ぶ』とは公判での裁判官の事を意味しているらしい。
1978年8月30日、30歳の誕生日に石川セリと結婚、同年12月16日には長男が産まれている。
1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を務め、1980年のアルバム『EVERY NIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二は、その後BANANAなどの名前で陽水の作品に多く携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述のとおりセールスは伸びなかったが、この時期の作品には後に代表作とされる「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」などが含まれており、創作面は充実していたとも言える。
1981年1月、特別番組でテレビ初出演(詳細不明)[16]。7月『夜のヒットスタジオ』で二度目のテレビ出演、生放送は初めて[17]。8月『ザ・ベストテン』出演[17]。
1982年、バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを明治神宮野球場で行う。このコンサートは6万人の聴衆を動員し、テレビ中継されたほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録される。これらのことは『氷の世界』前後の「陽水ブーム」にたとえて、「第二次陽水ブーム」と呼ばれた。
フォーライフ時代〜『九段』まで
1988年9月、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病気で臥せっていた昭和天皇が危篤になったため、声はカットされてしまう。このことが話題を呼び、「お元気ですか」が流行語になる。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。
翌1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」(作曲は平井夏美との共作)がヒットする。リリース直後はそれほどでもなかったが、ソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMに使われてから売り上げを伸ばした。シングル「少年時代」はロングセラーとなり、1997年7月には日本レコード協会からミリオンセラーに認定された[18]。
1993年、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた「Make-up Shadow」(2007年にはトヨタ・ブレイドのTVCFソングとしても使われた)がヒットし、第35回日本レコード大賞の金賞を受賞する。
このころからリリースのペースが落ち始める。1994年にアルバム『永遠のシュール』を発表してから、次のアルバム『九段』(1998年)までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、1994年末から1999年9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。
1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生である(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名でリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものと言えよう。「ありがとう」はリリースされた1997年にサッポロビール・「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってヒットする。「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」は自演の作品にない元気のよさから、以後のコンサートではしばしば歌われる。
『GOLDEN BEST』とその後
1999年、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベスト・アルバム『GOLDEN BEST』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は自身3作目のミリオンセラーとなった後も売り上げを伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『GOLDEN BAD』が、『GOLDEN BEST』の売り上げが200万枚を突破した2003年には記念として『GOLDEN BEST SUPER』が発売される。
2001年、「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」のカバーがヒットし、日本のポピュラー音楽において2003年ごろまで続くカバー・ブームの先駆けとなる。これに続いてリリースしたカバーアルバム『UNITED COVER』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像はDVD『UNITED TOUR』として発売される。
2002年には4年振りの新作『カシス』と、ジャズ・アレンジを施したセルフカバー・アルバム『Blue Selection』をリリース。1999年から2006年までは、2004年を除いて毎年全国ツアーを行うなど、歌うことに関しては活発だが、自作の新曲は少なくなっている。
2006年にはツアーの合間を縫って制作された4年振りの新作『LOVE COMPLEX』をリリース。2008年もツアー活動を行いつつ、『弾き語りパッション』と『BEST BALLADE』の2作を発表している。2009年にはデビュー40周年を迎え、12月には15年振りとなる日本武道館公演を行い、その模様を収録したDVD『40th Special Thanks Live in 武道館』をリリース。翌2010年には4年半振りとなるオリジナル・アルバム『魔力』をリリースしている。
逸話、関連人物など
- かなり昔にゲスト出演したラジオ番組で、作詞方法は日本語辞書を見ながら面白いと感じた言葉を抜き出して創作することなどや、「なぜ歌手になったのか」の質問に「歯科大学の受験に3度失敗して歯科医を断念したほど、頭が悪かったから。頭が良かったら歌手なんてやっていません」などと語り、番組パーソナリティを驚かせた。
- 『NHK紅白歌合戦』には1度も出場経験がなく、同局の同年下期の連続テレビ小説『かりん』の主題歌『カナディアン アコーデオン』を担当した1993年についても「あの場は余りにもハデ。恥ずかしいから」と断っている(VOWネタにもなった)。2006年には、「今年は出る気がない。今後の紅白の出演を検討する」と言葉を濁した。その後、2009年に出場内定報道が出るも、出場には至らなかった。
- 「第二次陽水ブーム」を代表として、無数の楽曲をほかの歌手に提供している。経歴で挙げた例のほかには、沢田研二のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例が有名である。また一青窈は自ら陽水のファンと称しており、アルバム『一青想』のうち2曲は陽水の作曲による。
- 曲をカバーした歌手には、「夢の中へ」の斉藤由貴、TRICERATOPS、「心もよう」の中森明菜、南沙織、「氷の世界」の筋肉少女帯、工藤静香、「傘がない」の中森明菜、斉藤和義、「東へ西へ」の本木雅弘、中村あゆみ、「神無月にかこまれて」の香坂みゆき、「Make-up Shadow」の上原多香子、「いつのまにか少女は」の持田香織、「ジェラシー」の高橋真梨子、「結詞」の高橋真梨子、中村あゆみ、「夏の終わりのハーモニー」の中村あゆみ、MOOMIN、「最後のニュース」の奥田民生、「カナリア」に英語の歌詞を付けて歌ったジェーン・バーキン、「桜三月散歩道」をカヴァーしたキンモクセイなどがいる(本職の歌手でないところでは、お笑い芸人の友近が「Tokyo」を、アイドルマスターレディオにおいて今井麻美・たかはし智秋が「少年時代」をカバーしている)
- 嘉門達夫は「リバーサイド・ホテル」からヒント得て「温泉はリバーサイド」(アルバム「リゾート計画」収録)を発表する。「リバーサイド・ホテル」のイントロのギターカッティングを同じにしている他、間奏のセリフでは井上がCMで発した「お元気ですか?」のフレーズを入れている。
- 2004年に放送されたテレビ番組「空想ハイウェイ」には、持田香織、三上寛、加川良、高田渡、友部正人、小室等、押尾コータロー、ジェイク・シマブクロ、山下洋輔、高田漣、菊地成孔に加え、陽水へのトリビュートアルバム『YOSUI TRIBUTE』に参加したトライセラトップス、布袋寅泰、平原綾香、小野リサ、UA、一青窈、奥田民生、忌野清志郎、DOUBLEが出演した。この顔ぶれは陽水の影響力を示すものと言える。ただしこの中の何人かとは初対面だったと思われる。
- 文壇との交際が広い。文壇を含む文化人との交流は麻雀が切っ掛け[19][20][21]。1976年に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之との対談をきっかけに、まず「話の特集」の矢崎泰久がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち、阿佐田哲也に会い、この後、長谷川和彦と知り合い、長谷川に近代麻雀に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之、黒鉄ヒロシ、畑正憲らと知り合った[19][22][23]。世代的に上の人との付き合いが多い理由について、「吉田拓郎なんかは、自分がリーダーシップを取って周りの人間を引っ張っていくタイプでしょう。僕はそういうの不得意なんです。高校時代、タテ関係が希薄で女性も多い弓道部にいたせいかもしれないけど、下の世代に対する訓練ができていないんですよ」と、40代のころは話していた[20]。ほかにも沢木耕太郎は歌詞集『ラインダンス』に、村上龍は『綺麗ごと』に寄稿し、町田康は「新しい恋」を作詞している。活動分野は違ってくるが、三谷幸喜は『You Are The Top〜今宵の君』の劇中歌である「You are the top」を作詞しており、またタモリとは同郷でもあって親しい。昨今はリリー・フランキーを週末毎に呑み友達(後輩)として連れまわしているというテンプレート:要出典。
- 水谷豊にも多くの楽曲を提供しているが、レコーディングでの初対面の際はほとんど会話も無かったという。それにもかかわらず「今日家に来ない?」と持ちかけ、その不思議な雰囲気に水谷はよく分からずも応諾する。翌日、水谷は勧められるまま、鰻丼を食べたり近所の公園でキャッチボールをしたという[24]。
- 奥田民生に「僕のようになるには、まだまだ働かなきゃ」といいながら、レコーディング中の彼に電話で「休んでる? 休まなきゃダメだよ」と言い、困惑させたことがある。奥田は「僕も適当な性格だけど、陽水さんは僕以上に適当な性格」と評している。
作品
テンプレート:Infobox Artist Discography
シングル
タイトルの後のc/wはカップリング曲。シングルに3曲以上が収録された場合は半角スラッシュ(/)で区切る。同一曲のインストゥルメンタル・バージョン、カラオケ・バージョンは無視する。
「アンドレ・カンドレ」名義
- カンドレ・マンドレ c/w 終りがないのは(1969年9月1日)
- ビューティフル・ワンダフル・バーズ c/w 闇の中で(1969年12月5日)
- 花にさえ、鳥にさえ c/w さあ、おぬぎ(1970年10月)
「井上陽水」名義
- 人生が二度あれば c/w 断絶(1972年3月1日)(1989年5月25日再発)
- 傘がない c/w 感謝知らずの女(1972年7月1日)
- 夢の中へ c/w いつのまにか少女は(1973年3月1日)(1989年5月25日再発)
- 心もよう c/w 帰れない二人(1973年9月21日)(1989年5月25日再発)
- 闇夜の国から c/w いつもと違った春(1974年4月1日)
- 夕立 c/w ゼンマイじかけのカブト虫(1974年9月1日)
- 御免 c/w 旅から旅(1975年6月21日)
- 青空、ひとりきり c/w Flight(1975年11月25日)
- Good, Good-Bye c/w 子供への唄(1976年2月25日)
- 夏願望 c/w 青空、ひとりきり/招待状のないショー/子供への唄(1977年5月25日)
- 「青空、ひとりきり」のみ微妙に編集が違うが、ほか3曲は既出。
- 青い闇の警告 c/w 映画に行こう(1978年8月10日)
- ミスコンテスト c/w 八月の休暇(1978年10月21日)
- 「八月の休暇」を再録した「8月の休暇」が『EVERY NIGHT』に収録された。シングルバージョンはここでしか聞けない。
- なぜか上海 c/w 娘がねじれる時(1979年8月5日)
- テンプレート:仮リンク c/w 答えはUNDERSTAND(1980年7月5日)
- 「BRIGHT EYES」はアート・ガーファンクルのカバー。歌詞は日本語。
- クレイジーラブ c/w 空はブルーエンジェル(1980年11月21日)
- 山口百恵への提供曲(アルバム『This is my trial』収録)のセルフカバー。1999年5月21日の再発ではカップリングが「答えはUNDERSTAND」になっている。
- ジェラシー c/w 夏星屑(1981年6月21日)(1988年5月21日再発)
- 風のエレジー c/w 海はどうだ(1981年11月21日)
- リバーサイドホテル c/w 俺の事務所はCAMP(1982年7月5日)(1988年10月21日再発)
- とまどうペリカン c/w Music High(1982年10月21日)
- 愛されてばかりいると c/w 背中まで45分(1983年2月5日)
- 「愛されてばかりいると」は『LION & PELICAN』に収録されたものとはアレンジが違う。
- 誘惑 c/w Frozen Eyes(1983年12月5日)
- 「誘惑」はアルバムバージョンよりエンディングのフェイドアウトが短くなっており、ここでしか聞けない。
- 悲しき恋人 c/w ダンスのチャンス(1984年7月21日)
- いっそ セレナーデ c/w Speedy Night(1984年10月24日)(1988年5月21日再発)
- 新しいラプソディー c/w ダメなメロン(1986年5月21日)(1996年2月21日再発)
- WHY c/w 揺れる花園(1987年11月21日)
- 今夜、私に c/w 恋は自分勝手に(1988年9月7日)
- 夢寝見 c/w 紅すべり(1989年4月11日)
- 最後のニュース c/w BACK SIDE(1989年12月21日)
- 少年時代 c/w 荒ワシの歌(1990年9月21日)
- Tokyo c/w 夢の背中(1991年3月21日)
- 結詞 c/w 野イチゴ(1992年10月21日)
- 「結詞」は再録。『ガイドのいない夜』に収録されたものと同じ。
- 「野イチゴ」は再録で、『ReMASTER』に収録された。
- 5月の別れ c/w Be-Pop Juggler(1993年3月19日)
- Make-up Shadow c/w プレゼント(1993年7月21日)
- カナディアン アコーデオン c/w 引き揚げ者の唄(1993年11月3日)
- NHK連続テレビ小説「かりん」の主題歌。
- 愛は君 c/w あこがれ (1994年4月10日)
- 移動電話/カミナリと風(1994年10月21日)
- ジャケットの表記に従って、両A面シングルと判断した。
- 嘘つきダイヤモンド c/w OVER TIME(1995年12月6日)
- TEENAGER c/w 積み荷のない船/HAWAIIAN LOVE SONG(リリウオカラニ女王に捧ぐ)(1998年2月21日)
- コーヒー・ルンバ c/w 星のフラメンコ/ドミノ/旅人よ(2001年1月24日)
- 花の首飾り c/w お嫁においで(2001年4月1日)
- この世の定め c/w 毛ガニ/名古屋食べ物事情(2001年11月21日)
- 「毛ガニ」、「名古屋食べ物事情」はコンサートで即興演奏したもの。
- Final Love Song c/w ヤギのミルク(2002年4月3日)
- 森花処女林 c/w 決められたリズム(Single Version)(2002年8月21日)
- 飾りじゃないのよ涙は c/w 決められたリズム(2002年10月23日)
- 「飾りじゃないのよ涙は」は再録。『Blue Selection』に収録された。
- 「決められたリズム」は『カシス』に収録されたものと同じ。
- 新しい恋/長い猫(2006年3月29日)
- 両A面シングル「長い猫」の作詞は長女の依布サラサとの共作。
- Love Rainbow c/w LOVE LILA (2009年4月29日)
コラボレーション
- 夏の終りのハーモニー c/w 俺はシャウト!(1986年9月25日)
- アーティスト名は「井上陽水・安全地帯」。
- 愛を謳おう c/w 教えてジィジ(2005年7月27日)
- アーティスト名は「忌野清志郎 with 井上陽水」。
アルバム
スタジオ・アルバム
- オリジナルアルバム
枚 | 発売日 | タイトル | 発売元 | 規格品番 | 最高位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1st | 1972年5月25日 | 断絶 | ポリドール | 8位 | ||
2nd | 1972年12月10日 | 陽水II センチメンタル | 10位 | |||
3rd | 1973年12月1日 | 氷の世界 | 1位 | 日本初のミリオンセラー・アルバムとなる。 | ||
4th | 1974年10月1日 | 二色の独楽 | 1位 | |||
5th | 1976年3月25日 | 招待状のないショー | フォーライフレコード | 1位 | 陽水にとってはフォーライフ設立後初のアルバム。 | |
6th | 1978年7月25日 | "white" | 3位 | |||
7th | 1979年9月21日 | スニーカーダンサー | 3位 | |||
8th | 1980年12月5日 | EVERY NIGHT | 28位 | |||
9th | 1981年11月21日 | あやしい夜をまって | 11位 | |||
10th | 1982年12月5日 | LION & PELICAN | 13位 | 陽水自身が多く言及し、コンサートでよく登場する曲も多い。 | ||
11th | 1983年12月5日 | バレリーナ | 25位 | |||
12th | 1987年12月16日 | Negative | 5位 | |||
13th | 1990年10月21日 | ハンサムボーイ | FLCF-30081 | 2位 | ||
14th | 1993年9月15日 | UNDER THE SUN | FLCF-30220 | 1位 | ||
15th | 1994年10月21日 | 永遠のシュール | FLTF-7505 | 7位 | ||
16th | 1998年3月18日 | 九段 | FLCF-3711 | 23位 | ||
17th | 2002年7月24日 | カシス | フォーライフミュージックエンタテイメント | FLCF-3906 | 12位 | |
18th | 2006年6月28日 | LOVE COMPLEX | FLCF-4143 | 17位 | ||
19th | 2010年11月17日 | 魔力 | FLCF-4358 | 22位 |
- カバー・セルフカバーアルバム
タイプ | 発売日 | タイトル | 発売元 | 規格品番 | 最高位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
セルフカバー | 1984年12月21日 | 9.5カラット | フォーライフレコード | 1位 | 陽水2作目のミリオンセラー。 | |
セルフカバー | 1992年11月20日 | ガイドのいない夜 | FLCF-30195 | 7位 | 「Just Fit」は沢田研二に提供した楽曲。 | |
カバー | 2001年5月30日 | UNITED COVER | フォーライフミュージックエンタテイメント | FLCF-3863 | 2位 | 「手引きのようなもの」のみセルフカバー。 |
セルフカバー | 2002年11月20日 | Blue Selection | FLCF-3919 | 20位 | 全曲にジャズアレンジが施されている。 |
ライブ・アルバム
枚 | 発売日 | タイトル | 発売元 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1st | 1973年7月1日 | 陽水ライヴ もどり道 | ポリドール | |
2nd | 1976年12月5日 | 東京ワシントンクラブ | フォーライフ | 未CD化。 |
3rd | 1986年8月27日 | クラムチャウダー |
コンピレーション・アルバム
- GOOD PAGES(1975年7月21日)
- 初のベスト・アルバム
- GOOD PAGES 2(1976年10月21日)
- 井上陽水ベスト20(1980年9月21日)
- カセットテープのみ。ここでしか聞けない音源を含んでいる。
- 井上陽水メタル・スペシャル(1981年3月21日)
- カセットテープのみでの発売。
- 陽水ライブ<ジェラシー>(1982年4月5日)
- カセットテープのみのライブ音源。
- YOSUI SINGLE COLLECTIONS(1987年)
- CD・カセットテープのみ。「人生が二度あれば」「断絶」など、全14曲を収録。
- YOSUI 4 ORIGINAL ALBUMS(1988年11月25日)
- ポリドール時代の4枚のアルバムをまとめてボックス化したもの。『氷の世界』の1曲目に「夢の中へ」を追加収録。
- NO SELECTION 井上陽水全集(1991年12月11日)
- ポリドール時代の4枚と、フォーライフ時代の10枚で合わせて14枚のアルバムにシングル曲集の『SPECIAL EDITION 1』『SPECIAL EDITION 2』を加えて16枚をボックスにしたもの。
- 『SPECIAL EDITION1』にはアンドレ・カンドレ時代の6曲が含まれている。
- 非売品のVHS『SELECTION』が付属しており、ここには初期のプロモーションビデオが収録されている。
- 平凡(1985年3月5日)
- 「招待状のないショー」はここでしか聴けない再録。「愛されてばかりいると」はシングルバージョンを収録。
- GOLDEN BEST(1999年7月28日)
- 2枚組のベスト。200万枚以上のセールスを記録している。
- GOLDEN BAD(2000年7月28日)
- B面曲やアルバム収録曲などから陽水自身が選んだ「裏ベスト」。
- 井上陽水 ReMASTER(2001年5月30日)
- フォーライフ時代のアルバム15枚にシングル曲集の『ReMASTER extra-1』『ReMASTER extra-2』を加えての17枚ボックス。
- ボーナストラックとして、ここでしか聞けない「少年時代」のライブバージョンが収録されている。
- GOLDEN BEST SUPER(2003年6月25日)
- 『GOLDEN BEST』に『GOLDEN BEST SUPER Disc3』を加えて3枚組とした限定盤。
- 『Disc3』に含まれるライブ録音の一部は、期間限定でネット配信された。
- 弾き語りパッション(2008年7月16日)
- 2007年ツアーから初期の楽曲を中心に収録された弾き語りベスト・アルバム。当初は2008年ツアー会場での限定先行販売であったが、あまりの反響の多さに急遽メジャー流通で一般発売されることとなった。
- BEST BALLADE(2008年12月10日)
- バラードベスト。
その他
- 陽水生誕(1975年7月29日)
- ライブ音源など、ここでしか聴けないトラックを含んでいるが、陽水の同意を得ずにリリースされたため発売停止となったLP。
関連作品
- クリスマス(1976年11月10日)
- 限りなく透明に近いブルー オリジナル・サウンドトラック(1978年5月)
- サイモン&ガーファンクルの「Homeward Bound」「Cloudy」をカバーしている。
- Natural Menu(1979年12月10日)
- 来生たかおのアルバム。「ゆるやかに愛が…」にコーラスで参加している。
- STARDUST RENDEZ-VOUS 井上陽水・安全地帯LIVE at 神宮(1986年11月5日)
- アーティスト名は「井上陽水・安全地帯」。ライブアルバム。
- 115人のイラストレーターが描く井上陽水の115曲(1997年12月10日)
- 115点のイラストに合わせて陽水の歌が流れるCD-ROM。ここでしか聞けない録音が含まれている。
- オフ・オフ・マザーグース(1995年)EMIミュージック・ジャパン
- 37曲めの「みんなくたくた」というシュールな歌を歌っている。
- RESPECT! The 30th Anniversary of Kiyoshiro Imawano(2000年5月5日)
- 地上のスピード(2000年10月21日)
- 来生たかおのシングル。シングルバージョンとアルバムバージョン(アルバム『Dear my company』収録)があり、ともに作詞とコーラスで参加している。2つのバージョンが存在するのは、陽水の提案によるものだという。
- Queen's Fellows: yuming 30th anniversary cover album(2002年12月11日)
- 松任谷由実へのトリビュートアルバム。陽水は「甘い予感」で参加している。
- Rendez-vous(2004年3月30日、日本版は31日)
- いつのまにか少女は c/w ミステリー あなたに夢中(2004年10月20日)
- アーティスト名は「持田香織 produced by 井上陽水」。持田香織が歌った作品である。
- 「いつのまにか少女は」は陽水のカバー。陽水はハーモニカで参加している。
- 「ミステリー〜」はこのシングルのための提供曲。陽水はコーラスで参加している。
- 『LOVE COMPLEX』には陽水が歌う「ミステリー〜」が収録されている。
- シティ・ポップスカバーコンピ『Happy Holidays! ~CITY POPS COVERS~』には「いつのまにか少女は/持田香織 produced by 井上陽水]」が収録されている。
- YOSUI TRIBUTE(2004年11月10日)
- 陽水自身へのトリビュート・アルバム。
- はじめてのやのあきこ(2006年3月8日)
- 矢野顕子のアルバム。陽水は「架空の星座」を作詞し、矢野とデュエットしている。
- 『LOVE COMPLEX』には再録された「架空の星座」が収録されている。
- 服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜(2007年10月17日)
- 奥田民生・カバーズ(2007年10月24日)
- 奥田民生のトリビュート・アルバム。「The STANDARD」を歌っている。
映像作品
- クラムチャウダー<NHKホールライブ> (1986年9月1日)
- 井上陽水ライブ'88サントリーホール 夜のシミュレーション(1989年4月21日)
- ライブ映像。VHS、LD、βの3形態で発売。
- 夢寝見(1989年10月21日)
- プロモーションビデオ。VHSとLDの2形態で発売。
- 井上陽水 CONCERT 1999〜2001 UNITED TOUR(2001年12月5日)
- ライブ映像。VHSとDVDの2形態で発売。
- 「The Premium Night」―昭和女子大学 人見記念講堂ライブ―(2007年4月11日)
- ライブ映像。DVDのみの発売。
- 「40th Special Thanks Live in 武道館」(2010年3月31日)
- ライブ映像。DVDのみの発売。
PV
- いくつかの曲でPVが制作されているが、ソフト化されたのは現在のところ「夢寝見」のみ。他に「夢の中へ」、「リバーサイドホテル」、「少年時代」、「Make-up Shadow」、「花の首飾り」、「傘がない(『弾き語りパッション』)」がある。
『井上陽水奥田民生』名義
シングル
- ありがとう c/w 佗び助(ボツテイク)(1997年2月13日)
- パラレル・ラブ c/w クリスマス・バニラシェイク(2006年12月20日)
アルバム
- ショッピング(1997年3月19日)
- ダブルドライブ(2007年2月21日)
タイアップ
- 夢の中へ
- BRIGHT EYES
- 映画『ウォーターシップダウンのうさぎたち』主題歌(1980年)
- とまどうペリカン
- 日本テレビ系スペシャルドラマ『季節が変わる日』エンディングテーマ(1982年、山田太一脚本)
- 映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』劇中歌(1986年)
- いっそセレナーデ
- WHY
- 日立製作所AV用品CMソング(1987年)
- We are 魚
- ホンダ・トゥデイCMソング(1988年)
- 今夜、私に
- 日産・セフィーロCMソング、同CM「皆さんお元気ですか」に出演(1988年)
- リバーサイドホテル
- 夢寝見
- 日産セフィーロCMソング、同CMに出演(1989年)
- 最後のニュース
- TBS系列『筑紫哲也 NEWS23』エンディングテーマ(1989年 - 1991年)
- 他にもNEWS23にレコード・CDとも未発売のオープニングテーマ(1989年 - 1997年)も提供した。
- TBS系列『筑紫哲也 NEWS23』エンディングテーマ(1989年 - 1991年)
- 少年時代
- Tokyo
- サントリーローヤルCMソング(1991年)
- 結詞
- JR東日本「その先の日本へ」テーマソング(1992年)
- 5月の別れ
- キリンラガービール「日本の恵みシリーズ」CMソング(1993年)
- Make-up Shadow
- カナディアン・アコーデオン
- 愛は君
- TBS系ドラマ『スチュワーデスの恋人』主題歌(1994年)
- 移動電話/カミナリと風
- TBS系ドラマ『夢見る頃を過ぎても』主題歌・挿入歌(1994年)
- 嘘つきダイヤモンド
- フジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』エンディングテーマ(1995年)
- 新しいラプソディー
- 積み荷のない船
- ありがとう
- 「サッポロ<生>黒ラベル」CMソング(1997年)
- HAWAIIAN LOVE SONG〜リリウオカラニ女王に捧ぐ〜
- ハワイ観光局CMソング(1997年)
- TEENAGER
- 日本テレビ系ドラマ『三姉妹探偵団』エンディング曲(1998年)
- 最新伝説
- MBS-TBS系テレビ番組『世界ウルルン滞在記』4・5月エンディングテーマ曲(1998年)
- クレイジーラブ
- フジテレビ系ドラマ『アフリカの夜』主題歌(1999年)
- 花の首飾り
- キリンビバレッジ聞茶CMソング(2001年)
- Final Love Song
- キリンビバレッジ聞茶CMソング(2002年)
- 森花処女林
- フジテレビ系『ランチの女王』劇中歌(2002年)
- 決められたリズム
- 松竹映画『たそがれ清兵衛』主題歌(2002年)
- 歌に誘われて
- 九州・西鉄バスCMソング(2004年)
- 新しい恋
- ザ・サントリーオールドCMソング(2006年)
- Love Rainbow
- 資生堂「ザ・コラーゲン」CMソング(2009年)
- MAP
- NHK『ブラタモリ』エンディングテーマ(2009年 - )
- 赤い目のクラウン
- 映画『今度は愛妻家』主題歌(2010年)
楽曲提供
- オリーブ
- 「愛ある国へ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1970年)
- ザ・モップス
- 「窓をあけろ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1972年)
- 「あかずの踏切り」 - 作詞:井上陽水/作曲:星勝(1973年)
- 石川セリ
- 「ダンスはうまく踊れない」 - 作詞・作曲:井上陽水(1977年)
- 「気まぐれ」 - 作詞:石川セリ/作曲:井上陽水
- 佐藤博
- 「月の子の名前はレオ」 - 作詞:井上陽水/作曲:佐藤博(1979年)
- 中山千夏
- 「Kiss」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等(1980年)
- 山口百恵
- 「Crazy Love」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水(1980年)
- 三上寛
- 「俺のあの娘は可愛いい」 - 作詞・作曲:井上陽水(1981年)
- 沢田研二
- 「News」
- 「デモンストレーションAir Line」
- 「背中まで45分」
- 「Darling」
- 「A.B.C.D.」
- 「チャイニーズフード」
- 「How Many “Good Bye”」
- 「次のデイト」
- 「ジャスト フィット」
- 「ミスキャスト」
- 全曲、作詞・作曲:井上陽水(1982年12月10日)
- 荻野目洋子
- 「ギャラリー」 - 作詞・作曲:井上陽水(1990年6月27日)
- 「ON BED」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水・平井夏美(1990年6月27日)
- 小泉今日子
- 「月ひとしずく」 - 作詞:井上陽水・奥田民生・小泉今日子/作曲:井上陽水・奥田民生(1994年11月14日)
- デーモン小暮閣下
- 「LOVE ROMANCE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年8月21日)
- 篠原涼子
- 「ダメ!」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年11月22日)
- PUFFY
- 「アジアの純真」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1996年5月13日)
- 「渚にまつわるエトセトラ」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1997年4月16日)
- 「CAKE IS LOVE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1998年4月1日)
- 「オリエンタル・ダイヤモンド」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(2007年9月5日)
- Chappie
- 「DOCU-MENTARY KISS」 - 作詞:井上陽水/作曲:ギターペイダー(1999年10月10日)
- 一青窈
- 「一思案」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日)
- 「面影モダン」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日)
- 持田香織
- 「ミステリーあなたに夢中」 - 作詞・作曲:井上陽水(2004年10月20日)
- 岡本知高
- 「E-I-E-N」 - 作詞:井上陽水/作曲:筒美京平(2004年10月21日)
- Akeboshi
- 「Yellow Moon」 - 作詞:Yosui Inoue/作曲:Akeboshi)(2006年4月19日)
- DR.STRANGE LOVE
- 「アメリカのアリゾナ」 - 作詞:井上陽水/作曲:長田進
- 本山ツトム
- 「一枚ガラスの喫茶店」 - 作詞:小椋佳/作曲:井上陽水
- 野崎沙穂
- 「エアメール・ブルー」 - 作詞:安井かずみ/作曲:井上陽水
- かしわ哲
- 「オシエテモット」 - 作詞:かしわ哲/作曲:井上陽水
- 水谷豊
- 矢野顕子
- 「架空の星座」 - 作詞:井上陽水/作曲:矢野顕子
- 三田寛子
- 中森明菜
- 「飾りじゃないのよ涙は」 - 作詞・作曲:井上陽水
- 「ムーンライトレター」 - 作詞:松井五郎/作曲:井上陽水
- 森進一
- 「風のエレジー」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水
- 町田義人
- 「風のように」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水
- 薬師丸ひろ子
- 「哀しみの種」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
- 「ステキな恋の忘れ方」 - 作詞・作曲:井上陽水
- 「ローズ・ティーはいかが?」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
- 樋口可南子
- 「からたちの花」 - 作詞:流れ星犬太郎/作曲:井上陽水
- 小林麻美
- 「グランプリの夏」 - 作詞:小林和子/作曲:井上陽水
- 「TRANSIT」 - 作詞:松任谷由実/作曲:井上陽水
- 安全地帯
- 「恋の予感」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二
- 「真夜中すぎの恋」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二
- 「ワインレッドの心」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二
- 小椋佳
- 「白い一日」 - 作詞:小椋佳/作曲:井上陽水
- 「坂道」 - 作詞:小椋佳/作曲:井上陽水
- 郷ひろみ
- 「サファイア・ブルー」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
- 来生たかお
- 「地上のスピード」 - 作詞:井上陽水/作曲:来生たかお
- 姫乃樹リカ
- 「地上の楽園」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
- 風間杜夫
- 「東京さみしがり屋」 - 作詞・作曲:井上陽水
- 長谷川きよし
- 「ドライアイス」 - 作詞:井上陽水/作曲:長谷川きよし
- 武田久美子
- 「半分ピエロ」 - 作詞:友部正人/作曲:井上陽水
- YK型
- 「バルサの翼」 - 作詞:吉田照美/作曲:井上陽水
- ブレッド&バター
- 「ファッションラヴァー」 - 作詞:GALLWAY PETER ALAN、井上陽水/作曲:GALLWAY PETER ALAN
- 「WYOMING GIRL」 - 作詞・作曲:井上陽水
- ペギー葉山
- 「プラス・ピアス」 - 作詞・作曲:井上陽水
- 吉永小百合
- 「夢さぐり」 - 作詞:来生えつこ/作曲:井上陽水
- 亀淵友香
- 「夢のくらし」 - 作詞:及川恒平/作曲:井上陽水
- 松坂慶子
- 「ラジオのついたナイト・テーブル」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等
- かまやつひろし
- 「ロンドン急行」 - 作詞・作曲:井上陽水
- アンデルセン
- 「ロンドン急行」 - 作詞・作曲:井上陽水
- MAACHO
- 「NOTHING IN BLUE」 - 作詞:CASS MARK/作曲:井上陽水
- 香坂未幸
- 「神無月にかこまれて」 - 作詞・作曲:井上陽水
出演
映画
TVドラマ
- 幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(1982年、日本テレビ) - 伊藤博文役
CM
- サントリー 角瓶(1984年)
- 日産自動車 セフィーロ(1988年 - 1989年)
- キリンビバレッジ 聞茶(2001年頃) - 鉛筆を削っていた。
- サントリー サントリーオールド(2006年)
- JR九州 九州新幹線「九州の歴史の先に」(2011年)
書籍
著書
- 音のそとがわで(1974年、サンリオ)
- エッセイ集。
- 青空ふたり旅(1985年、角川書店)ISBN 4041294150
- 1976年の五木寛之との対談。
1976年のペップ出版発行の方にあった「田川のどろぼう部落」が強くてたくましいイメージ、九州的なものとして大事にしたい、などと二人で擁護する件(同書1976年版p163)などが1985年版では削除されている。
- 1976年の五木寛之との対談。
- ラインダンス(1982年、新潮社)ISBN 4101282013
- 歌詞集。
- 綺麗ごと(1985年、集英社)ISBN 4087800857
- ロングインタビューなどを掲載。
- 歌う見人(ケンジン) - 井上陽水カセットブック(1986年、小学館)ISBN 4093632510
- 媚売る作家(1993年、角川書店)ISBN 4048833294
- 作品解説などを掲載。
- 夢の旅人(1994年、新潮社)ISBN 4105299018
- 井上陽水 FILE FROM 1969(2009年、エフエム東京)ISBN 4887452144
- 井上陽水40周年記念として今までの多数の活動記録をまとめた本。
- 別冊カドカワ 総力特集 井上陽水 (2009年、角川マーケティング(角川グループパブリッシング))ISBN 4048950657
- 井上陽水の40周年記念に作られた特集号。
- 陽水と親交のある著名アーティストによる陽水についてのインタビュー等も掲載。
関連書籍
- 「井上陽水・孤独の世界」(1975年、[塩沢茂]著、講談社発行「ビッグ・バックス」)
- 井上陽水 全発言(1994年、えのきどいちろう編集、福武書店)ISBN 4828817360
- 陽水の快楽 ― 井上陽水論(1999年、竹田青嗣著、筑摩書房)ISBN 4480034587
- 満月、空に満月(1995年、海老沢泰久著、文藝春秋)ISBN 4167414112
脚注
外部リンク
- Yosui Inoue official site - 公式サイト
- 井上陽水 フォーライフ公式サイト - フォーライフミュージックエンタテイメントによる公式ページ
- 井上陽水 ユニバーサルミュージック公式サイト - ユニバーサルミュージックによる公式ページ
- ↑ 九州歌謡地図 第5部・井上陽水の世界<2>
- ↑ 2.0 2.1 アルバム『陽水ライヴ もどり道』ジャケット自筆年表(うれいの年表)
- ↑ 3.0 3.1 自著『綺麗ごと』、集英社、1985年、p15-16
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 五木寛之・井上陽水『青空ふたり旅』、ペップ出版、1976年、p285 引用エラー: 無効な
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- ↑ 相倉久人『日本ロック学入門』(新潮社)対談
- ↑ 相倉久人『日本ロック学入門』(新潮社)対談、p164
- ↑ 自著『媚売る作家』角川書店、1993年、p49、251、自著『ラインダンス』、新潮社、1982年、p30
- ↑ 受験に失敗した原因について、のちに「天才的頭脳がない」「裏口入学させられるほど金持ちの親がいない」(『断絶』の歌詞カード)、「ビートルズ」「女性」「受験慣れ」(『もどり道』のインナースリーブ)などとコメントしている。
- ↑ 『媚売る作家』、p50-51
- ↑ 相倉久人『日本ロック学入門』(新潮社)対談、p166-167
- ↑ 「LIFE 井上陽水 40年を語る」、2009年8月25日
- ↑ あの日フォークが流れていた、シンコー・ミュージック、p76-78
- ↑ 川瀬泰雄 - The Beatlemania.com
- ↑ アルバム『二色の独楽』のジャケットにはこの女性とのツーショットが掲載されている。
- ↑ 『ラインダンス』、p204
- ↑ 17.0 17.1 『ラインダンス』、p230、250
- ↑ 『日刊スポーツ』2007年12月15日付。
- ↑ 19.0 19.1 『井上陽水全発言』えのきどいちろう編集、福武書店、1994年、p131
- ↑ 20.0 20.1 『究極の10冊物語』ダ・ヴィンチ編集部、メディアファクトリー、1996年、p60-68
- ↑ 『貧乏だけど贅沢』、p311
- ↑ 『媚売る作家』、p186、259-260
- ↑ 『綺麗ごと』、p222-227
- ↑ SONGS井上陽水 水谷豊インタビューより