バックバンド
テンプレート:出典の明記 バックバンドは、主にソロ歌手や、小編成のユニットの後ろで生演奏をする音楽バンドのこと。バッキングバンド、サポートミュージシャン。
概要
ソロ歌手以外でもボーカルのみのグループ、小編成のユニットやグループの場合、バンドとして足りない、或いは広がりを持たせるための楽器パートやコーラスパートを補う、サポートメンバーまたはサポート・ミュージシャンと呼ばれるミュージシャンを揃え、バックバンドとする事がある。そういった演奏家をスタジオ・ミュージシャンに対してツアー・ミュージシャンと呼ぶ事もあるが、多くはスタジオ・ミュージシャンと兼任している。
バンド形態でメジャーデビューしている一般的な「バンド」とは異なり、多くはバンドとしての名前もなく、「○○のバックバンド」と呼ばれるのが普通であり、あまり注目される存在ではない。しかし、バックバンドの実力がコンサートの質を左右するといっても過言ではなく、実力のある演奏家たちは、他アーティストのバックバンドを下積み経験の場として経て、自らのバンドを結成して、デビューしたりということもある。或いは自らのバンドの解散・脱退後、フリーの実力派ツアー・ミュージシャンとして活躍してるものも多い。
また有名アーティストになると、本人だけでなくバックバンドに対してもファンの注目が集まることが多く、その結果バックバンドを飛び出してメジャーデビューのきっかけをつかむ者も少なくない。バックバンドから正式メンバーに昇格することもある。逆に既に有名なアーティストがバックバンドに参加するケースも多い。
バックバンドは固定のメンバーではなく、ライブ毎にサポートするメンバーを変える事が多々ある。また、長い間ツアーを共にする事で親密になり、自らのバックバンドのメンバーと結婚する者も多い。
ツアー最終日などの公演に、単発で呼ばれ共演するミュージシャンは、ゲストであり、バックバンドやサポートメンバー(本項)と区別する。ゲストは、多くの場合、コンサート全編ではなく数曲を共に演奏するのみである。バックバンドやサポートメンバーは、正式なメンバーでは無いが「バンド」に迎え入れた身内である、ということを意味する。
バックバンドの変遷
ジャズバンド草創期には、歌手も他の楽器奏者同様にバンドの一員という位置づけであり、歌手の名前がクレジットされることはあまり無かった(例:「グレン・ミラー楽団」等)。したがってバックバンドという概念も普及していなかった。時代が進むと「○○楽団とビング・クロスビー」といったように歌手名がクレジットされるようになり、さらには「フランク・シナトラと○○楽団」といったように歌手と楽団の関係が逆転し、最終的には「エルビス・プレスリー」というように歌手のみの表記となり、バックバンドという概念が確立した。
主なバックバンド
比較的注目されたバックバンドとしては、以下が挙げられる。
- 鹿内孝、尾藤イサオのバックバンドであったジャッキー吉川とブルーコメッツ。
- 沢田研二のバックバンドであった井上堯之バンド(これが元祖)、ALWAYS、EXOTICS。
- 吉川晃司のバックバンドであったPaPa。
- 井上陽水のバックバンドであった安全地帯。
- 研ナオコのバックバンドであったALFEE。
- hideとそのサポートメンバーによるhide with Spread Beaver。
椎名林檎もバックバンドのギタリストと結婚し、話題になった。彼女はその後、もともとのバックバンドと融合し、東京事変というバンドの一員となっている。
またバックバンドに有名アーティストが参加している(あるいはかつて参加していた)例としては下記のようなものがある。なお、詳しくは各アーティストの記事を参照のこと。
- TM NETWORK - FENCE OF DEFENSEや、メジャーデビュー前のB'zの松本孝弘やaccessの浅倉大介などが参加。
- ドリームズ・カム・トゥルー - 浦嶋りんこや馬渡松子・村上秀一らが参加しているほか、一時はバックダンサーとしてZOOが参加していた。その中から浦嶋りんこと吉田美和によるユニット・FUNK THE PEANUTSも誕生している。
- 浜崎あゆみ - ギターに野村義男、ベースにENRIQUE(元BARBEE BOYS)が参加していることで有名。
- とんねるず - ドリカムでメジャーデビュー前の中村正人・吉田美和の2人が一時在籍した。
- 西川貴教 - T.M.Revolutionのツアーで長年に渡って親交を深めてきたサポートギタリストのSUNAOや元WANDSの柴崎浩らと共にabingdon boys schoolを結成し、T.M.Revolutionと並行して活動している。
- 相川七瀬 - X JAPANのギタリスト:PATA、元メガデスのギタリスト:マーティ・フリードマン、DEAD ENDのベーシスト:CRAZY COOL-JOE、LUNA SEAのドラマー:真矢、元spread beaverのキーボディスト:D.I.E.の5人を引きつれている。
- リリィ - バックバンドの「バイバイセッションバンド」に坂本龍一、佐野元春(初期)やウルフルズのプロデューサーとして知られる伊藤銀次が参加していた。
- あのねのね - デビュー前の小室哲哉や河島英五が参加していた。
- 岡林信康、高田渡 - バックバンドがはっぴいえんど(大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆)だった。
- 國府田マリ子 - ライブでのバックバンド「マリ子BAND」に作曲家、スタジオミュージシャンである宮島律子が参加
- 山平和彦 - 「東京」のヒット知られるマイペースがバックバンドだった。
- タモリ- アルバム「ラジカル・ヒステリー・ツアー」発表後のライブにおいてTHE SQUAREがバックバンドとして参加していた。
- 水樹奈々 - バックバンドにギターでFENCE OF DEFENSEの北島健二、ベースで元ハックルバックの田中章弘が参加している。
- 淡谷のり子 - その昔、かまやつひろしの父としても知られ、「日本ジャズの父」とも言われているティーブ・釜萢がバックバンドにいた事がある。