グレン・ミラー
テンプレート:Infobox Musician アルトン・グレン・ミラー(Alton Glenn Miller、1904年3月1日 - 1944年12月15日?)はアメリカのジャズミュージシャン(トロンボーン奏者、作曲家、アレンジャー、バンドリーダー)。グレン・ミラー・オーケストラ(Glenn Miller Orchestra)を結成。
カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグ・バンドの代表奏者に挙げられる。
プロフィール
アイオワ州クラリンダ生まれのドイツ系アメリカ人。1915年に家族と移住したミズーリ州グラントシティでトロンボーンを始め、地元のオーケストラで演奏を始める。やがて1923年にコロラド大学ボルダー校に進学するもほとんど行かずに中退、ニューヨークにてプロのトロンボーン奏者として音楽の道に進むが、売れずに目立たない時代が続いた。やがてトミー・ドーシーやベニー・グッドマン、レッド・ニコルスなどの音楽家と親交を結び、1937年に自己の楽団「グレン・ミラー・オーケストラ」を結成後、1938年にRCA傘下のブルーバード・レコードと契約、翌1939年から「ムーンライト・セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」「チャタヌーガ・チュー・チュー」など次々とヒット曲を発表し、バンドリーダー、作曲家、編曲家として絶大なる人気を博した。
第二次世界大戦の勃発にともない1942年に陸軍航空隊に入隊、慰問楽団を率いて演奏にまわった。国内外ツアー他、アメリカ合衆国軍慰問団(United Service Organizations)で演奏した[1]。ミラーは精力的に慰問演奏を続けていたが、1944年12月15日にイギリスからフランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機(UC-64)がイギリス海峡上で消息を絶った(最終階級は少佐)。原因として、ドイツへの爆撃から帰還する途中のイギリス空軍の爆撃機が上空で投棄した爆弾が乗機に当たり墜落したとする説の他、イギリス軍機の誤射で撃墜されたとする説、14日に無事にパリに着いたものの、翌日娼婦と事に及んでいる最中に心臓発作で亡くなったのを隠蔽するために行方不明にしたとの説まであり、明らかになっていない。行方不明後も残された楽団員がリーダーとなり、ニュー・グレン・ミラー・オーケストラとして、現在まで世界各地で活動している。
記録
ビルボードのジュークボックス・チャートにおいて「イン・ザ・ムード」(12週連続1位、通算13週1位)「タキシード・ジャンクション」(9週連続1位)「ウッドペッカー・ソング」(5週連続1位)の3曲で26週連続1位(1940年2月10日付〜8月3日付)を達成した。その後、2009年にブラック・アイド・ピーズが後継チャートであるBillboard Hot 100において、タイ記録となる26週連続1位を達成している。
主な演奏曲
- ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)
- イン・ザ・ムード(In The Mood)
- 茶色の小瓶(Little Brown Jug)
- 真珠の首飾り(String of Pearls)
- タキシード・ジャンクション(Tuxedo Junction)
- ペンシルベニア6-5000(Pennsylvania 6-5000)
- チャタヌーガ・チュー・チュー(Chattanooga Choo Choo) - 世界初のゴールドディスク授与曲
- オーバー・ザ・レインボー(Over The Rainbow)
- ムーンライト・カクテル(moonlight cocktail)
- カラマズーの娘(I've got a Gal in Kalamazoo)
- アメリカン・パトロール(American Patrol) - 編曲
関連する映画
- 『銀嶺セレナーデ』- Sun Valley Serenade(1941年) - グレン・ミラー&グレン・ミラー楽団が出演したミュージカル映画。
- 『グレン・ミラー物語』- The Glenn Miller Story(1953年) - グレン・ミラーの生涯を描いたアメリカ映画
- 『5つの銅貨』 - The Five Pennies(1959年) - 若き日のグレン・ミラーが登場するアメリカ映画。
参考文献
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- 秦郁彦 『第二次大戦航空史話・上』 ISBN 4122026946
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外部リンク
- The Glenn Miller Orchestra - YouTube。