爆撃機

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テンプレート:参照方法 爆撃機(ばくげきき)は、大量の爆弾類を搭載し強力な破壊力を持たせた軍用機戦略爆撃戦術爆撃に使用される。

概要

ファイル:Boeing B-52 dropping bombs.jpg
爆弾を投下するB-52戦略爆撃機

爆撃機は、より多くの爆弾類を搭載し強力な破壊力を持たせた航空機であり、搭載量が小さいものは攻撃機と呼ばれる[1]

爆撃機の代表的な任務は前線後方の戦略目標(司令部、生産施設、発電所など)の破壊である。爆撃機の大きな特徴は大量の爆弾類を一度に投下することで大きな破壊力を有していることである。ただ核兵器のような大量破壊兵器を使用する場合にはこういった搭載量は必ずしも必要なくなり、爆撃機部隊を維持するコストもかかるため一定規模の爆撃機部隊を有しているのは2005年時点でアメリカ、ロシア、中国だけである[2]

種類・呼称

爆撃機の代表的な任務である前線後方の戦略目標(司令部、生産施設、発電所など)の破壊に使用される爆撃機の呼称。次第に戦略爆撃機のみになったが、戦術爆撃にも使われる。戦略目標の爆撃に戦術機の戦闘攻撃機で核兵器を投入できるようになり、戦略爆撃と戦術爆撃の区別が難しくなり冷戦後は明確な戦術機と戦略機の区別がなくなっている[3]
戦闘機と爆撃機の能力を兼ね備えた航空機。攻撃機の搭載量が高まった面から見れば戦闘攻撃機と同じものである[4]

機体性能

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  • 兵装搭載能力
爆弾やミサイルを目的地まで携行する能力。胴体下面や主翼下面に吊り下げる場合や胴体内(B-2では主翼内)の爆弾倉に収める場合がある。爆弾倉は通常胴体の前後方向に細長く設けられるが、現在の米国大型爆撃機はリボルバーグレネードランチャーの回転弾倉のようなロータリーランチャー複数基を胴体内に収めている。
  • 爆弾を正確に命中させる能力
第二次世界大戦終了までは自由落下の爆弾が主体で、もっぱら爆撃照準機が使用された。第二次世界大戦中は、爆弾の命中率を上げるために誤差が小さく、目標の近くまで爆弾を抱えて急降下する急降下爆撃機も多用された。大戦中ドイツは無線誘導爆弾を実用化し、敵の対空砲火に接近しなくても正確に命中させることができるようになった。2010年現在、航空機から投下された爆弾やミサイルは、レーザーGPSで誘導されて正確に目標に命中するものも多い。
  • 自立した航法能力
敵地上空を飛行する関係上、広範囲のレーダー照射や通信は自分の居所を敵に知らせる原因となるため、使用できない。そこで爆撃機には外部に頼らない自立した航法能力が求められる。爆撃機の誕生以来しばらくの間は、もっぱら太陽や星の角度を測定して、自機の位置を推定する天測航法で飛んでいた。第二次大戦時にナチス・ドイツ慣性誘導装置が実用化されミサイルV2に使用されたが、この技術は戦後各国で使われた。現在はGPSが活用される。
  • 敵に捕捉されにくいこと
重い爆弾を抱えた爆撃機は、空中戦では敵の戦闘機にかなわない。そこで極力見つからないように、見つかっても追いつかれないような性能や運用が求められる。以前は、高空を高速で飛ぶ能力や夜間航法能力が重要視されたが、現在ではステルス性や低空侵攻能力が重要視されている。
  • 防御能力
第二次大戦までは防御用機関銃と重要部を保護する防弾板が最重要装備であった。しかし、冷戦期以降の戦闘機は高速で、遠距離からのミサイル攻撃を可能としており、このような防御策は有効ではない。最新のB-2では『敵に見つからないから攻撃されない』ので、防御火器類は装備されていない。
  • 速力・航続力
一般的には高速で遠くまで飛べるほうが良い。ただし同時代の戦闘機などと比べると速力ではそれには及ばない例が多い。一方で爆撃の命中率を上げるためには低速で飛行可能なほうが都合がよく、アメリカのA-10のように、移動する地上目標を爆撃するために、最高速度を犠牲にして低速時の安定性を優先させた機体もある。

歴史

第一次世界大戦

ファイル:Bombers of WW1.ogg
第一次世界大戦においてドイツ軍を爆撃するアメリカ軍の飛行編隊(エディ・リッケンバウアー隊)

第一次世界大戦以前の航空用法は一部に爆撃の準備もあったが、主体は地上作戦協力の捜索目的、指揮の連絡、砲兵協力など航空戦略、航空戦術には値しないものだった[5]。第一次世界大戦が開始すると爆撃が逐次試みられた[6]

第一次世界大戦開始時の飛行機はその性能から偵察のみに使われ、戦闘には使用されなかった。しかし戦争の進展に従って、特に西部戦線で膠着する塹壕戦を打破する手段を必死に模索していた軍が、防御側の優位を覆す方法を見つけようと、偵察のついでに手りゅう弾や小口径砲弾を改造した手製爆弾を落として敵を攻撃し、次にもっと大きな爆弾を落とせるような機体が製作されるようになった。

この時代の機体は複葉で木製骨組に帆布張り構造が主体。200~250馬力の水冷式エンジンを使用していた。単発(エンジン1基)の小型爆撃機は200 kgほどの爆弾を積み、戦場の高空を高速(200 km/h以上)で飛んで敵戦闘機の捕捉から逃れていた。双発(エンジン2基)の爆撃機は敵の都市を爆撃したが、速度が100 km/hを少し上回る程度で、敵戦闘機の目を逃れるために主に夜間爆撃を行った。ロシアで世界初の4発の大型重爆撃機が製作されたのを皮切りに、大戦後半にはドイツで4発~6発の重爆「R級」も各種製作された。爆撃機は誕生すぐに防御用機銃を装備していた。イギリスでは飛行機からの魚雷発射が実用化された。

長距離爆撃機による夜間爆撃は 戦線よりはるか後方にある都市を攻撃して非戦闘員である一般市民を戦闘に巻き込むという新しい戦争の形態を生む。

1920年代まで、軍用機といえども複葉帆布張りが主体であった。このころの最優秀機としてイギリス「ホーカー・エアクラフト社」の「ハート」がある。複葉ではあるがスマートな機体に500馬力水冷エンジン1基を装備し、200 kgの爆弾を積んで300 km/hで飛んだ。

第二次世界大戦

1921年航空戦力の本質を攻勢とし空中からの決定的破壊攻撃を説いたジュリオ・ドゥーエ(イタリア)の『制空』が発刊され、1927年ころには世界的反響を生んだ[7]。ドゥーエやミッチェルに代表される制空獲得、政戦略的要地攻撃を重視するには戦略爆撃部隊の保持が好ましく、1930年代には技術的にも可能となり、列強は分科比率で爆撃機を重視するようになった。[8]

第2次世界大戦では爆撃機が戦争の行方を決定するのに大きな役割を果たした。当時は約8トン搭載のB17Gや約9トン搭載のB29Aが最大級の搭載量であった[9]

1930年代に、機体はアルミ合金の全金属製で翼は単葉、エンジンは水冷式または空冷星型で1,000馬力を超え、も引き込み式に近代化していった。またこの時代に爆弾命中率を飛躍的に高めた急降下爆撃機が開発された。

この時代各国とも軽快な単発または双発の高速機(400 km/h前後)を製作していたが、アメリカのボーイング社だけは将来の爆撃機として4発重爆撃機「B-17」を開発した。各国海軍は雷撃が得意な機体を開発したが、日本の陸上攻撃機は遠い海上にいる敵艦を攻撃するために4発機並みの4,000 kmを超える航続距離を持っていた。ヨーロッパの爆撃機は想定される戦場が近いため、航続距離は2,000 km程度であった。

大規模な航空母艦を含む艦隊を擁する日・米・英では、第二次世界大戦初期に活躍する艦上爆撃機艦上攻撃機が実用化された。

第二次世界大戦は航空機を主体とした総力戦となった。戦争初期は十分な戦争準備をしていたドイツ空軍(ルフトバッフェ)がヨーロッパ上空を席巻し、同様に準備の整った日本陸海軍の航空隊が太平洋の米英戦艦や地上基地、港湾や工場群といった主要目標や重要施設を壊滅させた。その後圧倒的生産力を持つアメリカが多数の爆撃機を生産し、米国機がヨーロッパと太平洋の上空を覆うようになった。イギリスとソ連も特徴ある機体を多数製作し、ドイツを東西から締め付けた。

陸戦において、単発の軽爆撃機は対地支援に必要不可欠なものとなったが、敵戦闘機の前にはあまりに無力で、戦闘機を爆装した戦闘爆撃機へと取って代わられていった。

英米は大量の爆弾を搭載できる4発重爆撃機を次々に製作し、日独の都市や工場を爆撃して両国の継戦能力を奪った。また日本近海への空中投下機雷による海上封鎖で生じた国内航路船舶の被害は、潜水艦による通商破壊と共に日本の体力を奪った。これに対し枢軸側は4発重爆撃機を本格生産できないまま敗戦を迎えた。

海では航空母艦から発進した爆撃機や攻撃機が海上戦力として最も有効である事が明らかになり、更に地上攻撃にも柔軟に対応できた結果、制空権制海権という状況になった。従来の主力であり制海権を担ってきた戦艦は価値が低下し以後建造されなくなった。また潜水艦を探知し攻撃する機能を備えた対潜哨戒機が生まれた。

大戦後半は各機とも2,000馬力級のエンジンを装備した。機体はアルミニウム合金(ジュラルミン)が主体であったが、モスキートのような木製機や、防御力を考慮し鋼製構造を採用したIL2のような異端もいた。また戦況に影響を及ぼすほどにはいたらなかったが、ドイツは世界初のジェット爆撃機Ar234を実戦投入している。

冷戦

第二次世界大戦が終わった後、米・ソ・英・仏・中国で核兵器が実用化されると同時に、東西陣営に分かれて冷戦時代に突入した。爆撃機には仮想敵国の主要部に核爆弾を落とす能力が求められるようになった。この長距離侵攻作戦を実施できる機体は戦略爆撃機と呼ばれ、当然のことながら大型の機体に核爆弾を搭載した。別途局地的な紛争への対応や、仮想敵国周辺部への攻撃を担当する戦術爆撃機が作られたが、こちらは核爆弾運用能力の無いものも多かった。エンジンは終戦直後に作られた機体以外はジェット化され、超音速機も多数制作された。

戦闘攻撃機トーネードIDSが9トン以上、F/A-18Cは7トン以上の爆弾類を搭載できるようになり、第2次世界大戦時の爆撃機並みの搭載量を持つようになったが、爆撃機もB-52Hは27トン、B-1Bは34トン、B-2Aは22トンと搭載量が増加している[10]

冷戦後

核兵器のような大量破壊兵器を使用する場合には、爆撃機のような搭載量は必ずしも必要なくなり、爆撃機部隊を維持するコストもかかるため一定規模の爆撃機部隊を有している国家は激減した。戦略目標の爆撃に戦術機の戦闘攻撃機で核兵器を投入できるようになり、明確な戦術機と戦略機の区別もなくなった。ただ戦略目標攻撃の爆撃機の価値が下がったわけではなく、大陸間弾道ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイルとともに戦略核兵器の3本柱の一角であることに変わりはない。爆撃機は、核弾頭付き巡航ミサイルを発射する能力があり、発射後に機体を呼び戻せる柔軟性も持ち、前方に展開し戦力を誇示し威嚇にも使える。[11]

主な爆撃機

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  • 第一次世界大戦

単発爆撃機

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デ・ハビランド D.H.IV
イギリスの高速爆撃機
ショート184水上偵察機
世界最初の雷撃機
テンプレート:Flagicon イタリア王国
SVA(ズバ)
大戦末期に対戦国オーストリアの首都ウィーン上空へ飛んで停戦勧告ビラを撒いた逸話が有名な高速機
テンプレート:DEU1871
LVG C.V
偵察爆撃機
LVG C.VI
偵察爆撃機
テンプレート:UK
フェアリー ソードフィッシュ
第二次大戦全期を通して使われた複葉羽布張りの艦上攻撃機。イタリアのタラント港奇襲やドイツ戦艦ビスマルク」追撃戦で大活躍した。旧式で低速のため、戦闘機に対する防御力は弱く、インド洋では日本の戦闘機と遭遇しないように運用された。
テンプレート:Flagicon ドイツ国
ユンカース Ju87 シュトゥーカ
大戦初期のドイツ電撃戦を支えた有名な急降下爆撃機。急降下時の方向安定性確保のためにわざと固定脚を採用。急降下時に機速を抑えるためエアブレーキを使用していた。また、敵に恐怖感を与えるために固定脚内にサイレンを装備していた。対英戦で大損害を蒙り、西部戦線からは早々に姿を消したが、東部戦線北アフリカ地中海では終戦まで使われ続けた。

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テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
ダグラス SBD ドーントレス
ミッドウェー海戦で日本の空母4隻を沈めた艦上急降下爆撃機。小型軽量ながら爆弾搭載量が大きかった。運動性に優れていたため、空中戦を行うこともあった。

双発爆撃機

テンプレート:DEU1871
ゴータ G.IV
ロンドン市夜間爆撃で勇名をはせた。
テンプレート:UK
ハンドレページ O/100
ゴータのお返しにドイツを夜間爆撃した。
ハンドレページ O/400
ハンドレページ O/100の改良型。
テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
マーチン B-10
開発当時は戦闘機より速い爆撃機と呼ばれたが、大戦が始まるまでには旧式化、アメリカ陸軍からは退役しており、輸出した機のみが実戦に参加した。
テンプレート:UK
ブリストル ブレニム
"世界一速い旅客機"として試作された機体から発展した軽爆撃機。大戦が始まるころになると特に高速でもなくなっていたが、爆撃、偵察、夜戦など様々な任務に従事した。
テンプレート:Flagicon ドイツ国
ハインケル He111
大戦初期のドイツ重爆撃機。イギリスへの侵攻を目指した航空戦バトル・オブ・ブリテンのドイツ側主役。開発当時は高速だったがバトル・オブ・ブリテン時点では既に旧式化の兆しがあり、イギリス戦闘機に多数撃墜され、イギリス侵攻は断念された。

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テンプレート:JPN1889
三菱 九六式陸上攻撃機
日中戦争中国奥地の都市を爆撃(渡洋爆撃など)して戦略爆撃機として働いた後、雷撃機としてイギリス海軍戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈した。同一機体の「ニッポン号」は毎日新聞社の主催で1939年に世界一周飛行を行った。
三菱 九七式重爆撃機
日本陸軍初の近代的な単葉・引き込み脚の双発爆撃機として、日中戦争からノモンハン事件太平洋戦争後期に至るまで陸軍の主力重爆撃機として使用された。海軍の九六式陸攻と異なり爆弾倉や機首前方銃座を備え、また当初から防弾装備も考慮されていた。

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4発爆撃機

テンプレート:Flagicon ロシア
シコルスキー イリヤー・ムーロメツ
アメリカへの亡命後ヘリコプターの開発で有名になったロシア人イーゴリ・シコールスキイが設計した大型爆撃機。大戦中順次改良され後期の型では爆弾800 kgを搭載し8丁の機銃を装備した。速度135 km/hと鈍足ではあったが、制作75機中撃墜また不時着したのはわずか3機だった。当初は旅客機として開発され、実際戦後は旅客・郵便機として使用された。

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テンプレート:DEU1871
ツェッペリン・シュターケン R.VI
重爆撃機R級のなかで唯一の成功作と言われ、18機が生産されてロンドン爆撃に使用された。左右に2基ずつのエンジンを前後串型に搭載した。しかし決定的な弱点もあった。何万立方メートルもの膨大な水素ガスを満載しており、銃撃もしくは引火するとたちまちのうちに燃え上がってしまうのだ。
テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
ボーイング B-17 フライングフォートレス(空の要塞)
1万機以上制作された第二次大戦初期のアメリカの主力爆撃機。4発の大型機体で、5 tに達する爆弾搭載量と4,000 kmに達する航続距離、充実した防御火器はこの頃の世界随一。排気タービン採用により高空での飛行性能がよく、迎え撃つ枢軸国を悩ませた。ドイツの工業地帯を昼間爆撃したため損害も多かった。

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テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
ツポレフ TB-3
1930年代からソ連の主力大型爆撃機であったが二次大戦時にはすでに旧式化しており、ドイツ軍相手に苦戦を強いられた。
  • 第二次世界大戦

単発機

テンプレート:JPN1889
中島 九七式艦上攻撃機
日本海軍の主力攻撃機であり真珠湾攻撃にも参加。800 kg徹甲弾の水平爆撃により戦艦「アリゾナ」を撃沈し、雷撃により多数の戦艦を着底させた。
愛知 九九式艦上爆撃機
ドイツのシュトゥーカと同じく固定脚を採用。大戦緒戦は250 kg爆弾を正確に投弾し連合国艦船を多数沈めたものの、後続機の信頼性の低さによる配備の遅れから使用され続け、大戦後期にはあまりの旧式化、劣勢状況から搭乗員達からは「九九式棺桶」などとまで揶揄された。
テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
グラマン TBF/TBM アベンジャー
真珠湾攻撃から間もなく生産がスタートし、ミッドウェー海戦を初陣に大戦中期以後活躍した雷撃機(艦上攻撃機)。太平洋で戦艦「大和」と「武蔵」を撃沈したほか、大西洋ではUボートを多数撃沈した。アメリカ機特有の頑丈な構造で被弾しても落ちにくかった。

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テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
カーチス SB2C ヘルダイバー
ドーントレスに次いで採用されたアメリカ海軍の急降下爆撃機。1,700馬力のエンジンと強力な火器をもつ。胴体下に900kg、翼下に225kgも搭載でき、爆弾だけでなく魚雷も搭載できた。欠点として操縦性に難があったにもかかわらず、魅力のある性能をもっていたため大量生産された。
テンプレート:JPN1889
海軍空技廠 艦上爆撃機 彗星
太平洋戦争前期の主力艦上爆撃機である九九式艦上爆撃機に代わる機体として戦争後期に登場した。最初に量産された一一型と一二型は、水冷式のアツタエンジンを搭載し、500kg爆弾が搭載可能となりマリアナ沖海戦などで主力艦爆として使用されたが、故障が多く、整備員泣かせであったことから、エンジンを信頼性の高い空冷の金星六二型に換装した彗星三三型が登場し、フィリピン決戦沖縄戦の際には、三三型が主力艦爆となった(実際には、日本海軍の空母機動部隊が壊滅状態になったため、実質的に陸上爆撃機として使用された)。のちに、三三型をベースにし、緊急時に一時的に増速するためのロケットを装備した彗星43型も生産された。また、彗星の一部は斜銃を装備し、夜戦として使われた。
テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
イリューシン Il-2
シュトルモヴィークと呼ばれた戦闘攻撃機で、23mm機関砲と爆弾を抱えて戦場上空を低空で飛び回り、ドイツの戦車装甲車を次々に葬った機体。主要部の構造は13mm鋼板をプレス整形したもので、大抵の機銃弾を跳ね返すと信じられ『空飛ぶ戦車』と呼ばれたが、実際はかなりの損害も出している。派生型が多い。

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双発機

テンプレート:Flagicon ドイツ国
ユンカース Ju 88
万能機と呼ばれた高速爆撃機。戦争後半には対爆撃機装備の夜間戦闘機バージョンも作られた。
テンプレート:JPN1889
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一式陸上攻撃機
三菱 一式陸上攻撃機
九六式と協力してマレー沖海戦でイギリス戦艦を沈めた。開戦直後に台湾基地から発進しフィリピンの米軍航空機を壊滅させた機体。防弾装備が貧弱で、中期以後の戦闘では大きな被害を出した。航続距離を稼ぐために翼に燃料を格納したため、被弾により簡単に火がつき「ライター」と揶揄された。

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川崎 九九式双発軽爆撃機
九七式軽爆撃機の後続機として太平洋戦争全期に亘って使用された陸軍の主力軽爆撃機。急降下爆撃も可能であった。
中島 一〇〇式重爆撃機 呑龍
九七式重爆撃機より高速・重武装が売り物だったが性能的には大差がなかった。

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テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
ノースアメリカン B-25 ミッチェル
1万機以上生産され太平洋や地中海で枢軸国側の艦船を攻撃した。空母ホーネットに16機を乗せて日本近海で発進させ、ドーリットル空襲をした機体。
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デ・ハビランド モスキート
全木製の高速爆撃機。Ju-88と同様万能機と呼ばれ、夜間戦闘機バージョンも作られた。

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テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
イリューシン DB-3/Il-4
ソ連で唯一の、ドイツ軍に対抗し得る性能を持った比較的大型の爆撃機であった。
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三菱 四式重爆撃機 飛龍
日本陸軍の最後を飾る高速爆撃機。単発機に匹敵する程と謳われた秀逸な運動性能、長大な航続距離、急降下爆撃の可能、防弾装備も充実していた。日本における重爆撃機の運用思想から、従来の陸軍重爆・海軍陸攻と特に変わらず爆弾搭載量はわずかに800 kg。しかし、海軍の航空魚雷1本を搭載することも可能で、台湾沖航空戦やフィリピン決戦、九州沖航空戦、沖縄戦などでは、陸軍雷撃隊として、しばしば、米軍艦隊などに対する夜間雷撃も敢行し、劣勢状態の大戦末期ながらも活躍した。
テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
ペトリャコーフ Pe-2
ドイツ軍を追い詰めた高速爆撃機。ベルリンの飛行場を爆撃し、ヒトラーらの脱出を不可能にした機体でもある。優れた高空性能から迎撃戦闘機型も作られ、Pe-3と命名された。同クラスで共に高性能機であるモスキートと比較されることも多いが、モスキートが木製機であるのに対し本機は全金属製機である。なお、ペトリャコーフが搭乗していたPe-2の墜落により死亡した後は、同設計局はミャスィーシチェフが率いのちに名称もミャスィーシチェフ設計局に変更されたため、後期の機体は「ペトリャコーフ Pe-2」ではなく「ミャスィーシチェフ Pe-2」とされている。

4発機

テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
コンソリデーテッド B-24 リベレーター
18,000機生産され、ヨーロッパや太平洋で活躍した重爆撃機。B-17より太い胴体を持ち汎用性に優れていた。ナチス・ドイツ支配下にあったルーマニアのプロエスチ油田などを爆撃した。
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ヴァフミストローフ ズヴェノーSPB(ЗвеноСПБ) TB-3
爆撃機に爆装したI-16戦闘機を搭載した機体。戦争初期にルーマニアへの攻撃などに使われた。
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アブロ ランカスター
5t爆弾トールボーイや10t爆弾グランドスラムノルウェーフィヨルドに潜むドイツ戦艦「ティルピッツ」を仕留め、分厚いコンクリートで守られたUボートのドックやトンネル、頑丈な鉄道陸橋を破壊した。1942年以降、イギリスの主力爆撃機として全種7,000機以上が生産されてドイツの都市に対し夜間爆撃を行った。

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ボーイング B-29 スーパーフォートレス(超空の要塞)
1944年のアメリカ軍のサイパン占領後、サイパンの飛行場より日本本土に飛来し、焼夷弾による絨毯爆撃日本の諸都市を焼き尽くして継戦能力を奪い、1945年8月に広島市長崎市原子爆弾を投下した機体。完全与圧室を装備し、高度10,000 mでも乗員は酸素マスク無しで操縦した。防御機銃は遠隔操作により作動する。爆弾は9tまで搭載可能、爆弾を少なくすれば航続距離は9,000 km、最大速度は576 kmで零戦より速い。後にエンジンを高性能版に換装したB-50型が開発され、朝鮮戦争初期に活躍した。

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  • 冷戦
テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
コンベア B-36 ピースメイカー
第二次大戦中に設計された非常に大きな機体。全幅70 mもある少し後退角を持つ主翼に、3,500馬力のレシプロエンジン6基を後ろ向けに取り付け、その外側にジェットエンジンを片側2基ずつ増設した10発機。爆弾最大32tを積み、爆弾を減らせば最大航続距離は16,000 kmに達し、世界中どこでも爆撃できる機体と宣伝された。しかし最大速度がB-29程度なので、目的地につく前にミグ戦闘機に撃ち落されるのは明白だった。

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ボーイング B-47 ストラトジェット
スマートな後退翼にジェットエンジン6基を装備し亜音速で飛行した爆撃機。エンジンは内側が2基一組、外側が1基単独で主翼下にポッド式に吊り下げられていた。本機の後退翼はジェット戦闘機セイバーと同様、終戦時にドイツの研究所からアメリカが入手したデータをもとに設計された。当時のジェットエンジンは燃費が悪く、所要の航続距離が得られなかったので、空中給油(受油)システムが取り入れられた。

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ボーイング B-52 ストラトフォートレス
戦後相次いで作られたアメリカ戦略爆撃機の決定版。主要部品や電子機器を更新しながら現在でも使われている8発機でエンジンは2基ずつ束ねて主翼下に吊り下げている。ベトナム戦争の北爆や湾岸戦争等、通常爆弾による絨毯爆撃に使われた。B-1B配備(1985年)以後の本機の核任務は、核巡航ミサイル発射母機となっている。

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テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
ツポレフ Tu-95
35度の後退角を持った主翼に4基の巨大なターボプロップエンジンを備え、時速800 km/h以上の速度で飛ぶプロペラ機。現在も現役にあり巡航ミサイル発射母機の役を負っている。なお、Tu-142は対潜哨戒機型。また、1960年代日本航空アエロフロートとの共同運航でモスクワ-羽田間を飛んでいたターボプロップ旅客機Tu-114は本機の派生型。
ミャスィーシチェフ 3M
テンプレート:UK
アブロ バルカン
巨大で分厚い三角翼にエンジン4基を収めた機体。本来の目的である核戦争に使われること無くスクラップにされる予定であったが、その寸前にフォークランド戦争で一働きしたことは有名。


テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
コンベア B-58 ハスラー
三角翼の下面に戦闘機用ジェットエンジン4基を吊り下げ、マッハ2で飛んだ機体。航続距離が短く、搭載能力も少なく使いづらかったため、戦略航空軍団はあまり気に入らず、早くも1969年に全機退役した。
ノースアメリカ XB-70 ヴァルキリー
上記のB-58以上の超える機体として設計された爆撃機。B-52の後継的な機体として開発されたが、たった2機のみの製造のみで打ち止めし、早くも1969年に全機退役した。
ロックウェル B-1 ランサー
マッハ2で飛ぶ可変後退翼を持った4発の大型超音速爆撃機として設計された。ジミー・カーター大統領の時に一旦開発が中止され、ロナルド・レーガン大統領がB-1Bとして復活させ、時代の流れにあわせ最大速度をマッハ1.25、低空侵攻速度は音速以下に抑えその代わりにステルス性を高めた。生産機数100機。
テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
ツポレフ Tu-160
アメリカのB-1に対抗して制作され、形状もよく似た可変後退翼の超音速爆撃機。現在のところ世界最大の実用爆撃機で最大速度はマッハ2。生産機数38機。
テンプレート:Flagicon フランス
ダッソー ミラージュIV
ミラージュIIIをベースに双発・大型化した爆撃機で、核攻撃に特化していた。航続距離の短さや兵器搭載量の少なさなど、戦略爆撃機としての弱点は少なくないが、フランス国産の戦略爆撃機として長らく運用された。また、キャンベラなどと同様に偵察機型も開発されている。

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亜音速

テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
ダグラス A-4 スカイホーク
単発で小型の空母艦載機。飛行性能と兵器搭載量に優れ、長年にわたって改良を続けながら生産された。核兵器運用能力を持つタイプもあった。2006年現在でも使用している海軍・空軍がある。
グラマン A-6 イントルーダー
艦上攻撃機としては大型の双発機。敵のレーダー網をかいくぐって超低空で侵攻することを目的に制作された。飛行性能は特に目立つ要素はないものの、電子機器の性能が高かったため各種改良を加えながら1990年代までアメリカ空母の主力攻撃機として使用された。搭乗員2名が横に並んで座る配置のため胴体は先頭部分が太く、よくおたまじゃくしと揶揄される。同型機にEA-6 プラウラー電子戦機がある。

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フェアチャイルド A-10 サンダーボルトII
戦場上空を低速で飛び敵戦車やトラックを見つけ次第破壊する目的で制作された。ジェット機には珍しい直線翼で、その任務ゆえ強力な装甲を持つ。湾岸戦争で活躍した。
テンプレート:UK
イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ
イギリス空軍の戦術爆撃機。同国のほか、発展途上国を中心に広く輸出され、印パ戦争など各地の紛争で活躍。アメリカ空軍でもB-57 キャンベラとして、アメリカナイズされたライセンス製造機が採用された。
ブラックバーン バッカニア
イギリス海軍の艦上爆撃機。イントルーダー同様、低空域を高速で侵入する事を得意とした。
ホーカー・シドレー ハリアー
世界最初の実用垂直離着陸機ヨーロッパ大陸での戦闘を想定し、滑走路が破壊された後でも戦闘が継続できる攻撃機として設計された。派生型BAe シーハリアー軽空母に搭載され戦闘機としての能力も身に付けた。フォークランド紛争アルゼンチン空軍に圧勝した結果、他国も軽空母とシーハリアーの組み合わせの有効性に注目するようになった
テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
イリューシン Il-28 “ビーグル”
ジェット戦術爆撃機として、旧東側諸国や発展途上国、中立姿勢にあったフィンランドなどに供与。キャンベラ同様、中東戦争など地域紛争に登場した。
スホーイ Su-25
アメリカのA-10と似た目的で制作され、直線翼を持つ。アフガニスタンチェチェンコートジボワールなど、世界各地で実戦に投入されている。

超音速

テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
リパブリック F-105 サンダーチーフ
核戦力戦闘機として生産が開始された単発機。ベトナム戦争で最も多く出撃した機体として有名。
ジェネラル・ダイナミクス F-111 アードバーク
3軍統合戦闘機として開発された筈の戦術攻撃機。ベトナム戦争から湾岸戦争まで幅広く活躍し、戦略爆撃機型や電子戦機型も生産された。
国際協同
パナビア トーネード
イギリス・ドイツ・イタリアの3カ国が協同して開発した超音速攻撃機。地上レーダーの死角の超低空を高速で飛行して敵を襲撃する目的で作られ、超低空での安定性確保のため可変後退翼を採用した。戦闘機タイプの派生型をイギリスが採用している。

テンプレート:-

テンプレート:Flagicon 日本
三菱 F-1
日本に上陸しようとする敵艦船を攻撃する目的で、国産高等練習機T-2をベースに制作された。空戦能力も有する。
テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
ミグ MiG-23/MiG-27
ソ連空軍戦闘爆撃機部隊の主力となった機体。
テンプレート:Flagicon 中国
Q-5(強撃5/A-5)
ソ連製の双発戦闘機MiG-19をベースとして独自に設計された戦闘爆撃機。奇しくもF-105同様に核攻撃任務を前提として機内に弾倉を備えていた。軽戦闘機といえるMiG-19からの発展型のため、兵装・燃料の搭載量が少ないが、コストが安いため旧式化した後も中国空軍で大量に採用され、「廉価かつ政治的条件が少ない戦闘爆撃機」としてパキスタン、ミャンマー、スーダンなど発展途上国にも輸出された。
JH-7「フライング・レオパルト」
Q-5では持ち合わせない対艦攻撃能力を中心任務とした双発複座の大型戦闘爆撃機。中国独自の設計であり、エンジンはイギリス製のスペイを用いるなど旧西側諸国の戦闘攻撃機の設計思想に近いスタンスを取っている。近年は、Q-5の後任として整備が進んでいるが輸出は実現していない。
テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
ツポレフ Tu-22M
可変後退翼を持った双発超音速爆撃機。冷戦時代日本を含む西側諸国から大きな脅威とみなされていた。ソ連崩壊後はロシアやウクライナで使用。
  • 冷戦後
テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
ロッキード F-117 ナイトホーク
世界最初の本格的ステルス実用機。レーダー反射を極力減らす形状と構造を採用し、赤外線排出を減らすために2基のエンジン排気口はスリット型にした。自分から電波を発するレーダーはステルスと相反するので装備していない。搭載する兵器は全て機体内に収める。等の徹底的な対策を施している。生産機数64機。戦闘機をあらわすFの記号がついているが、空戦能力は低く実質的には攻撃機である。

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テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
ノースロップ・グラマン B-2 スピリット
全翼機と言う特徴的な構造を持つ大型爆撃機。先に完成したF-117同様徹底したステルス性を追求している。イージス艦タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦)よりも高価な価格とメンテナンスの難易度がネックとなり、生産機数21機に留まる。

テンプレート:-

テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国
ボーイング F-15E ストライクイーグル
ゼネラル・ダイナミクス F-16 ファイティングファルコン
マクダネル・ダグラス F/A-18 ホーネット
ボーイング F/A-18E/F スーパーホーネット
ロッキード・マーティン F-35 ライトニングII
テンプレート:Flagicon ロシア
ミグ MiG-23 フロッガー
ミグ MiG-29SMT ファルクラム
スホーイ Su-30 フランカー F1/F2/G/H
テンプレート:Flagicon 日本
F-2主に敵の艦船を撃沈するための支援戦闘機。対空運用にも就く事が可能。
テンプレート:Flagicon フランス
ダッソー ミラージュ5/50
ダッソー ラファール
テンプレート:Flagicon スウェーデン
サーブ JAS39

爆撃機の機種名について

テンプレート:出典の明記 テンプレート:Main 開発・所有する飛行機の制式名に一貫して機種名、即ち爆撃機またはB(Bomberの頭文字)等を付したのは、日本とアメリカのみ。例えば第二次大戦初期にロンドンを空爆したドイツの爆撃機はハインケル社のHe111であり、ドイツ戦艦「ビスマルク」を雷撃したのはフェアリ社のソードフィッシュ、ロシアの超音速戦略爆撃機はツポレフTu-160。イギリスで開発された垂直離着陸機ハリアーはアメリカ軍に採用されると攻撃機としてAV-8の名を冠したが、本国では相変わらずハリアーのままである。日米の機種名についても時代によって変遷があるので列記する。

  • 日本陸軍
    基本的に重爆撃機または軽爆撃機と命名。その他にソ連の機甲師団等の戦車攻撃用に急降下爆撃ができる機体を襲撃機と呼ぶ(九九式襲撃機等)。
  • 日本海軍
    当初雷撃と水平爆撃兼用の機体しかなく、これを攻撃機と呼んでいた。1930年代に入りアメリカ海軍が急降下爆撃を採用すると日本海軍も急降下爆撃ができる機体を設計して爆撃機(ごく初期には特殊爆撃機)と称した。急降下爆撃は降下時や引き起こし時に機体に大きな力がかかるため機体強度を上げる必要があり、800kg魚雷を搭載する攻撃機とは別設計になっていた。しかし大戦中期から末期に開発された機体は充分な強度を持つよう設計され、銀河流星改は雷撃も急降下爆撃も可能な機体であった。
  • アメリカ陸軍
    第二次大戦当時、比較的小型で運動性の良い爆撃機にA(攻撃機)、それ以外の機体にB(爆撃機)を付していた。
  • アメリカ空軍
    アメリカ陸軍航空隊から発展した空軍はAの分類を廃止し、比較的大型のものをB(爆撃機)、比較的小型で運動性の良いものをFに再分類した。例えばF-105のように対地攻撃を主任務としながらF(戦闘機)扱いとなっているものがあるのはそのためである。A(攻撃機)の名は、1962年の三軍命名法統一に伴って復活し、以後地上を移動する戦車やトラックなどの目標を攻撃する機体に対して命名された(対戦車攻撃を想定した低速ジェット機A-10など)。ベトナム戦争時にはC-1304発ターボプロップ輸送機の胴体に多数の機関銃を装備したAC-130のようなガンシップも攻撃機の仲間入りをした。
  • アメリカ海軍
    第二次大戦終了まで、水平・急降下を問わず爆弾を落とす機体をB(爆撃機)、魚雷を発射できる機体をT(雷撃機)、偵察に使用する機体をS(偵察機)として、複数目的に使用できる機体は併記していた。ミッドウェーで日本空母を葬った急降下爆撃機ドーントレスはSBD(偵察爆撃機ダグラス製)、「大和」・「武蔵」を撃沈した雷撃機アベンジャーはTBF(雷撃爆撃機グラマン製:急降下爆撃は不可能)だった。大戦後期に登場した雷撃と急降下爆撃の両方を行える機体にはBTという記号が用意されたが、ほどなく攻撃方法を特定しないA(攻撃機)の記号が使われることになった。
    大戦後の主力攻撃機となった急降下爆撃と雷撃の両方ができるスカイレイダーの記号はAD(攻撃機ダグラス製)だが開発当初はBT2Dである(後にA-1)。その後海軍は対地・対艦攻撃を行う機体を全てAとしている(双発大型機A3Dスカイウォリアー(後にA-3)や超音速核爆撃機A3Jヴィジランティ(後にA-5)など)。
    なお名称に製造会社の記号を付す海軍の命名法は、1962年の三軍命名法統一の時に廃止された。

脚注

  1. 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門 (軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版13頁
  2. 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門 (軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版14頁
  3. 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門 (軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版14頁
  4. 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門 (軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版12頁
  5. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで57頁
  6. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで59-60頁
  7. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで233頁
  8. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで373頁
  9. 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門 (軍用機知識の基礎から応用まで)』13頁
  10. 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門 (軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版2005年14頁
  11. 青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門 (軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版2005年14頁

関連項目