対潜哨戒機

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対潜哨戒機(たいせんしょうかいき)は、対潜水艦戦を重視して設計・装備された航空機

概要

哨戒機(しょうかいき)は、主に海軍が装備して、潜水艦艦船を探知・攻撃する航空機である。対潜水艦戦以外にも、洋上監視、捜索救難、輸送、映像情報収集、通信中継など、任務の多目的化が進んでいる。機内にはレーダーソナー磁気探知機赤外線カメラ電子戦支援(ESM)装置などの捜索機材が搭載されており、空飛ぶコンピューターとも呼ばれる。エレクトロニクスの発展に対応しつつ任務を遂行することが哨戒機の最大の課題であり、哨戒機は、カタログデータの飛行性能よりも搭載している電子装備の拡張性が要と言われている。軍事における革命によって、よりリアルタイムの情報収集能力と情報交換能力が求められており、陸上基地、友軍艦艇、AWACSレーダーサイト地対艦ミサイル部隊等との戦術データ・リンク技術が向上しつつある。

対潜哨戒機は、潜水艦捜索のための多種多様な捜索用器材を搭載していることが装備上の特徴である。また、膨大な情報をやりとりする必要があるため、多種多様な通信機器を搭載しており、高性能の自律航法装置を有している自己完結性の高い航空機である。初期の対潜哨戒機は肉眼およびレーダー、ESM装置のみに頼っていたが、第二次世界大戦中期にはMAD(磁気探知装置)、後期にはソノブイが追加されて、現在の対潜哨戒機の基本装備が出揃った。さらに、現在ではより高性能な合成開口レーダーや赤外線監視装置も導入されている。これによって探知した潜水艦を攻撃するための火力としては、大戦中には爆雷およびロケット弾(浮上時攻撃用)を使用していたが、大戦末期には誘導式の短魚雷、1970年代以降対艦ミサイル(浮上時攻撃用)が使用されるようになった。

対潜哨戒機の飛行パターンの特徴は、洋上を長時間、低速で低空飛行を行うことである。機種は、第2次大戦当時は地上基地より発進する固定翼機のほか、飛行艇も用いられていた。その後、航空母艦から運用される艦上機、さらにヘリコプターも対潜哨戒機として用いられる。特に哨戒ヘリコプターは水上戦闘艦にも広く搭載されており、対潜作戦には不可欠なものとなっている。


概史

対潜哨戒機としては、第一次世界大戦ドイツUボートを発見するため、連合国軍が航空機を用いたことが初の例とされている。第一次世界大戦中、および第二次世界大戦の初期は人間の目で捜索していたが、この時期の潜水艦は潜航可能深度が浅く、また頻繁に浮上しての充電が必要だったため、目視捜索でも絶大な効果をあげた。

また目視に加え、1940年頃より、イギリスにおいて浮上中の潜水艦や潜望鏡に対してレーダーが使用されはじめ、これによってUボート1隻を1941年11月に撃沈している。また、さらに潜航中の潜水艦を探知できる装備として、1943年ごろより、地磁気の歪みを利用して海中の潜水艦を探知する磁気探知装置(MAD)や、海面投下型のソナー(いわゆるソノブイ)が搭載されはじめた。これらは、対潜哨戒機の効果を格段に向上させるもので、1944年2月、アメリカ海軍PBYカタリナ飛行艇がUボートに対して使用している。カタリナ飛行艇は、1943年よりさらにSバンドの捜索レーダーを搭載して対潜任務に投入された。これらは、対潜哨戒機の基本装備として、現在でも使用されているが、対潜哨戒用の飛行艇そのものは、1960年代ごろにはおおむね固定翼機回転翼機にその座を譲ることとなった。 1944年から1945年にかけて日本海軍でもレーダーと磁気探知装置を搭載し、航続時間が10時間におよぶ対潜哨戒機「東海」を開発して運用していた。

一方、第二次世界大戦中より、アメリカ海軍は、「ハンター・キラー」と呼ばれる新しい戦法を研究していた。これは、1機が捜索レーダーによって目標を探知し、もう1機が要撃レーダーおよびサーチライトによって目標を捕捉・攻撃して撃破するというものであり、ハンター専任機とキラー専任機の組み合わせを経て、兼任できる機体が開発された。これらの戦法を背景に、第二次世界大戦後には、各国の航空母艦には広く艦上哨戒機が配備されることとなった。

ハンターとキラーを組み合わせた運用思想は、このころ登場しはじめていた、対潜哨戒ヘリコプターにおいても踏襲された。当初、アメリカは対潜哨戒ヘリコプターを艦上機として開発していたが、カナダは独自開発の着艦支援装備によって艦載機としての運用を開始し、その後、ハンター・キラー兼任の対潜哨戒ヘリコプターが開発されるとともに、各国も追随した。後に潜水艦発射巡航ミサイルの登場、原子力潜水艦の普及と共に、対潜ヘリコプターは、水上艦において最重要の対潜装備となり、ついには航空母艦上にも進出して艦上哨戒機を駆逐するまでに至った。

運用概念

古今東西において、対潜哨戒機においてもっとも基本的な索敵方法は目視であり、搭乗員の肉眼による洋上監視である。これを活用するため、高輝度のサーチライトが搭載されていたほか、現在では赤外線暗視装置も用いられる。第二次世界大戦中には、これにレーダーが加わった。なお、現在の対潜哨戒機では、より分解能に優れた合成開口レーダーを装備しているものもある。また、敵潜水艦がレーダーを使用した場合に備え、ESM(電波探知装置)も装備される。しかし、これらは潜水艦が浮上状態または浅深度にいるときにしか使用できないものである。

現在の運用思想においては、味方の洋上部隊の周囲などの敵潜水艦を警戒すべき水域、あるいはSOSUSSURTASSなど早期警戒センサーや艦艇装備のソナーなどからの情報から推測された敵潜水艦の存在しうる海域においてソノブイ・バリアーを展開し、敵潜水艦を探知した場合には、その周囲に集中的にソノブイを展開して、推測位置を絞り込む。その後、ある程度局限化した時点でMAD (磁気探知装置) によって位置を特定するが、ヘリコプターの場合は、さらにディッピングソナーを使用することができる。

攻撃兵器としては、当初は爆雷が使用されていたが、現在では短魚雷が用いられることが多い。また、威嚇用の水中発音弾もある。

一方、浮上している艦への攻撃には、ロケット弾や対艦ミサイルが使用される。なお、西側諸国で標準的に使用されるアメリカ製のAGM-84ハープーンは、当初は浮上した潜水艦の攻撃用として開発されていた。

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MADブームを展開するS-3バイキング

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地上配備固定翼哨戒機

初期の陸上型固定翼哨戒機の多くは、PV-1ヴェンチュラPV-2ハープーンP4Y(PB4Y) プライバティアなど、哨戒爆撃機の転用型であった。しかし、これらはおおむね、レーダーのみを対潜探知装備として使用しており、当時すでに出現しはじめていたMADやソノブイなどの運用には対応していなかった。アメリカ軍は、これらの新装備を搭載したカタリナ飛行艇の就役や、日独軍潜水艦戦力の壊滅を受けて、戦後に至るまで、陸上型固定翼哨戒機ではこれらの装備を運用しなかった。

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日本海軍の哨戒機「東海」

一方、日本は対潜戦闘について必ずしも先進的とはいえなかったが、アメリカの強力な潜水艦戦力に対して、船団護衛に投入されていた戦力が極めて貧弱であったため、台湾沖縄などの地上基地より哨戒機を発進させてこれらを援護することを構想した。これに基づいて開発された「東海」では、日本軍航空機ではめずらしかったレーダーに加え、KMX磁気探知装置(MAD)も搭載されている。ただし、エンジンの非力さと機体容積の狭さにより、十分な性能の電子機器を装備するにはいたらず、また、護衛戦術の未熟や他任務への投入、さらには戦線投入の遅れによる制空権の喪失によって、十分に活躍することはできなかった。海軍のみならず陸軍においても対潜戦闘は重視されており、飛行分科「対潜」の各独立飛行中隊が編成され、中でも九九式襲撃機/軍偵察機を装備した独立飛行第73中隊は、1945年8月6日にアメリカ海軍潜水艦「ブルヘッド (SS-332) 」を確実撃沈している(「ブルヘッド」は第二次大戦において敵の攻撃により喪失した最後の連合軍艦艇であった)。また、同時に陸軍では護衛空母機能を追加した強襲揚陸艦に対潜機を搭載し、実戦投入している(#艦上哨戒機)。

アメリカも、ベンチュラ/ハープーンの後継となるP2Vネプチューンより、MAD、さらにソノブイの運用を開始した。P2Vはのちに三軍統一命名法の導入に伴いP-2と改名したが、後続の地上配備型対潜哨戒機が備える基本的な要素を全て備えており、西側諸国において標準的な対潜哨戒機となった。

アメリカは、P-2の後継としてP-3オライオンを開発したが、海上自衛隊はP2V-7の後継として、これをターボ・プロップ化するとともに搭載機器も強化したP-2Jを開発した。これは、P-3の初期型にほぼ匹敵すると言われている。一方、ヨーロッパ諸国は、P-2の後継として、完全な新規設計のアトランティックを開発した。

イギリスはアブロ シャクルトンを経て、初期のジェット旅客機をベースとしたBAE ニムロッドに発展した。ニムロッドは、のちにアトランティックの改良型によって代替されることが計画されたものの、これは最終的に放棄され2011年に退役した。

ソ連の潜水艦戦力の向上に対処するため、アメリカは、既存のP-3の機体を使用しつつ、搭載機器を全面的に刷新することで、対潜戦闘能力を飛躍的に向上させたP-3Cを開発した。これは、潜水艦と哨戒機のパワーバランスを大きく変化させる画期的な機体であり、西側の新しいスタンダードとなった。

代表的な機体

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艦上哨戒機

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「あきつ丸」船上にて対潜戦専門の独立飛行第1中隊によって運用される三式指揮連絡機

第二次世界大戦以前には、航空母艦には、専任の対潜哨戒機は搭載されておらず、艦上攻撃機が必要に応じて対潜攻撃を実施していた。この時期には潜航中の潜水艦を探知する手段はほとんどなく、基本的には対艦攻撃と同様の手法を使うことができた。その後、対潜戦闘の手法が洗練され、潜水艦の性能も向上すると共に、専用機の必要性が生まれた。なお、この艦上哨戒機の先駆けとして、当時世界的にも先進的な揚陸艦上陸用舟艇を開発・運用していた日本陸軍では、STOL性に優れる機体(三式指揮連絡機)に爆雷と着艦フックを装備し、強襲揚陸艦である特種船あきつ丸」の全通飛行甲板にて運用し対潜戦闘に投入している。

第二次世界大戦中に大きく発達したレーダーは、水上目標の監視・捜索機器として、潜水艦捜索の重要な機器となっていた。しかし、1940年代後半の水上捜索レーダーは大型であり、艦上機に搭載した場合、レーダー以外の搭載は不能の状態にあった。このことから、第二次世界大戦中より、アメリカ海軍は、「ハンター・キラー」と呼ばれる新しい戦法を研究していた。これは、1機が捜索レーダーによって目標を探知し、もう1機が要撃レーダーおよびサーチライトによって目標を捕捉・攻撃して撃破するというものであり、レーダー装備機を捜索に専念させることで、単能機であることをカバーするものであった。これらの戦法を背景に、既存の艦上攻撃機であるTBF/MアベンジャーをもとにしたTBM-3W/S、続いて専用機としてAFガーディアンが開発された。しかし、ハンター・キラー作戦そのものは極めて効率的な攻撃手法であるとはいえ、ハンター任務機とキラー任務機を専任として別々に設計することは、運用上の柔軟性を奪う上に、航空母艦の搭載機数の制限もあって、臨機にいずれの任務もこなせる兼任機が求められることとなった。

このため、後継となるS-2 トラッカーは、1機でハンターとキラーを兼ねることができるようになった。これは、西側において標準的な艦上対潜哨戒機として、カナダ、オランダ、オーストラリアなどの航空母艦に搭載されたほか、日本や韓国、台湾などは地上基地から運用した。続くS-3 ヴァイキングでは、大型の攻撃空母での運用を前提にして、当時の地上配備の固定翼哨戒機と同等の装備を搭載した。しかし、冷戦構造の崩壊に伴う潜水艦脅威の減少、艦上対潜ヘリコプターの性能向上などを受けて、アメリカ海軍は、固定翼の艦上哨戒機の運用を中止し、既存のS-3は対地攻撃や空中給油に使用しており、代替機は調達しないこととなった。

そのほか、フランス海軍が艦上用の固定翼対潜哨戒機として、ブレゲーアリゼを開発し、自国の空母で運用していたほか、インド海軍軽空母で運用していたが、インドの運用分については対潜ヘリコプターの就役とともに運用を中止、フランス海軍も、原子力空母シャルル・ド・ゴール」においては、対潜哨戒は全面的にヘリコプターに移行することとしている。

代表的な機体

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哨戒ヘリコプター

英語表記ではHelicopter anti submarineと呼ばれており、よくHSの略称で表現することもある。 回転翼哨戒機は近年の航空電子工学の急速な進歩に伴い、空母甲板上から小型固定翼哨戒機の存在を淘汰するまでに至っている。

第二次世界大戦中、ドイツ軍は、当時登場しはじめたばかりのヘリコプターであるフレットナー Fl 282を対潜哨戒に投入することを計画した。これは、いわば世界初の対潜哨戒ヘリコプターというべきものだったが、戦闘機生産が優先され、実際には少数機が配備されたにとどまった。また、アメリカ軍も同様の試みを行ったものの、護衛空母戦力の充実から、あくまでも予備研究の域を出ないものであった。ただし、海軍とともに船団護衛を行なっていた沿岸警備隊は、救難任務も兼務させることを狙って開発を続け、1944年より救難任務を開始、1945年2月にはディッピングソナーを搭載し、1950年には対潜魚雷の運用試験も行なっている。

戦後のヘリコプターの進歩を受けて、アメリカ海軍も対潜哨戒ヘリコプターへの興味を取り戻し、1949年には輸送用のHRP-1をベースとした実験機に吊り下げソナーを搭載しての試験を実施した。1950年にはシコルスキー S-55をベースにしたHO4Sに吊下ソナーを搭載した機体の試験が開始され、1951年10年にはこの機体によって、キー・ウエストに第1対潜ヘリコプター・スコードロンHS-1が編成された。

1953年3月には、対潜作戦向けに新規設計されたベル HSL-1が初飛行したが、これは結局実験機としての域を出なかった。1955年ごろより、パイアセッキHUP-2が初の実用型として配備され、3個スコードロンを編成して、1956年にHSS-1に代替されるまで運用された。HSS-1は、自動操縦装置やドップラー・レーダーによって夜間作戦を可能としたHSS-1Nにおいて、対潜哨戒ヘリコプターの戦術を確立し、西側に広く配備された。これらはいずれも、艦上哨戒機と同様にハンター機とキラー機がペアになってのハンター・キラー戦術を採用しており、艦上哨戒機とともに対潜空母に配備されたほか、カナダやイギリスにおいては、艦載機としても使用された。

1958年には、ソ連海軍も56型駆逐艦の1隻の艦上で、カモフ Ka-15の運用試験を実施し、これは1962年よりクルップニイ型駆逐艦に配備された。Ka-15は西側のハンター・キラーに似た運用思想で、攻撃機とソノブイ投下機、ソノブイ情報解析機の3機組で運用された。これは1966年よりKa-25によって代替されたが、Ka-25においても、2機ペアでの運用が必要であった。

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ディッピングソナーを吊下するSH-60F

1961年、アメリカ海軍は、HSS-1の後継としてHSS-2を配備した。これは、タービン・エンジンを使用し、またハンター・キラー兼用機でもあり、対潜ヘリコプターとして初の完成された型とも評される。ディッピング・ソナー、ソノブイ、短魚雷、爆雷、さらに国によっては対艦ミサイルまでもを搭載し、西側の標準的な対潜哨戒ヘリコプターとなった。アメリカ海軍においては艦上機として使用されたが、カナダは、HSS-1で実用化した独自の着艦支援装置によって、艦載機としての運用を可能とし、のちにこれは海上自衛隊にも導入された。

一方、西欧諸国においては、より小型のヘリコプターを対潜哨戒用として艦載化した。イギリスは、艦載の対潜攻撃機であったウエストランド・ワスプの後継として、ディッピングソナーによる対潜哨戒も行えるハンター・キラー兼任機としてアグスタウェストランド リンクスを開発し、1977年より配備されたほか、フランス海軍やオランダ海軍西ドイツ海軍、さらには韓国海軍ブラジル海軍にも輸出された。また、イタリアにおいても、ハンター・キラー・チームで運用されたAB204 ASを経て、兼任機であるAB212 ASWが開発され、イタリア本国で採用されたほか、広く輸出された。フランスは、HSS-2と同規模のシュペル・ピューマを対潜哨戒ヘリコプターとして改装したが、これは主として陸上機として運用された。

このように、多くの国は対潜哨戒ヘリコプターを艦載化していたが、アメリカは、無人の艦載対潜攻撃ヘリコプターとしてQH-50 DASHを使用していた。しかしDASH計画が放棄されるに伴い、有人の対潜哨戒ヘリコプターを艦載化することを決定した。これがLAMPS構想で、ヘリコプターとしては、最初に使用された小型のSH-2 シー・スプライト、続いて実用化された大型のSH-60 シーホークがある。これらはディッピングソナーを搭載せず、センサーとしてはソノブイを使用する。

LAMPSで採用されたSH-60は、のちに艦上機としても採用されることとなった。また日本は、艦載機および陸上機として使用していたHSS-2Bの後継として、SH-60B LAMPSをもとに独自の運用要求を加味してSH-60Jを開発したが、これはソノブイに加えてディッピング・ソナーも装備している。これは、のちにさらにSH-60Kに発展した。

西欧においては、リンクスの後継機としてはNFH90、シーキングの後継機としてAW101が開発された。また、アメリカでは、LAMPSと艦上機を統合した機体としてMH-60Rが配備されつつある。

代表的な機体

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哨戒飛行艇

飛行艇は、滑走路長という束縛が無いことから大型化が容易であり、また、陸上機とは異なり、洋上飛行中にトラブルが発生しても、着水することで重大な事態を回避できる見込みがあることから、第二次世界大戦前後には、対潜哨戒機として多用されており、アメリカのP3Y(PBY) カタリナは連合国で広く使用されたほか、後継のマーチン・マリナー、イギリスのショート サンダーランド、日本の二式飛行艇などがある。

戦後、アメリカは1960年代までP5M マーリンを運用していたが、地上配備機および艦上機、艦載対潜ヘリコプターの配備の進展、技術進歩による各種装備の小型化に伴い、最終的には、固定翼機やヘリコプターにその座を譲ることとなった。一方、ソ連は、ベリエフBe-6を経てBe-12を開発し、1965年より配備に入ったが、これは傑作飛行艇として、2009年現在でも運用が継続されている。

また、日本は、飛行艇が着水して吊下ソナーを使用できるという独特の特長に注目してPS-1を開発した。しかし、実際には着水してのソナー吊下は稀であり、当時の新鋭陸上機と同等の対潜哨戒機器を活用して、通常の対潜哨戒機として運用されていた。これらの飛行艇を参考にして、中国は水轟五型(SH-5)を開発し、1984年より配備を開始したが、これは2014年現在、飛行艇が対潜哨戒機として新規に配備された最後の例となっている。

代表的な機体

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関連項目