機動部隊
機動部隊(きどうぶたい)とは、一種以上の兵科で構成された機動力を保有する戦闘部隊を指す。 海上においては、一般的に航空母艦を基幹とする航空打撃力を発揮するための艦隊を指し、一般に「機動部隊」と言えば、「海軍の空母機動部隊」を指す。なお、陸上においても「機動部隊」は存在し、主に諸兵科連合部隊である戦闘団を、あるいは主力となる部隊と比較して高速機動力をもって付与された任務に応じ運用される部隊を指す。
目次
海上における機動部隊
概要
海上部隊における機動部隊は、航空母艦を中心として、これを護衛・支援する戦艦・巡洋艦・駆逐艦等で構成される。陸上の航空部隊では攻撃可能な範囲は基地から一定の範囲に限られるのに対し、空母機動部隊は遥か遠方の敵勢力範囲まで進出し、空母艦上機による敵陸上基地の攻撃、敵艦隊の撃滅、上陸部隊の支援等を行えるのが最大の特徴である。
なお、必ずしも部隊名が「機動部隊」となっているわけではない。太平洋戦争中期の日本海軍の機動部隊は、「第三艦隊」が部隊の名称である。
歴史
第二次世界大戦前
航空母艦が実用化された後、列強の海軍の一部は、航空母艦を艦隊編制に組み入れていった。しかし、戦艦こそが主力艦であると考えられていたため、空母はあくまで偵察などの補助的任務を期待されていた。そのため、戦艦を中心とした艦隊に、少数の空母が付属するような運用が一般的だった。例えばアメリカ海軍も、1941年ころからタスクフォース(Task force、任務部隊)の一種として空母を中核としたものを編成する構想はもっていたが、戦艦を中心としたタスクフォースに協力するのが用途であって、独立した打撃戦力と考える者はあまりなかった。
もっとも、航空技術の進歩をふまえ、空母艦上機が強大な打撃力となりうると考える者もあらわれた。
第二次世界大戦
第二次世界大戦が始まると、空母を集中したタラント空襲のような対艦攻撃が成功する例も起きた。ただし、タラント空襲は奇策としての意味合いが強かった。
日本海軍でも戦前は他国と同様の分散運用を考え、戦艦などを中心とした艦隊に、2隻程度の空母から成る航空戦隊を補助兵力として組み込んでいた。しかし、1940年6月に第一航空戦隊司令官小沢治三郎少将が「空母(を集中配備の艦隊)と基地航空隊を一つにまとめた艦隊による集中攻撃で敵方の艦隊を殲滅する」といった内容の意見書を提出し、これを参考に空母6隻と少数の駆逐艦からなる第一航空艦隊が1941年4月に創設され、司令長官に南雲忠一中将が任命された。主力艦攻撃を目的として常設的に空母の集中配備・運用をする機動部隊の事例は、日本海軍のそれが初の試みであった。太平洋戦争が始まると、第一航空艦隊には臨時の護衛兵力が追加されて「機動部隊」と命名され、1941年12月の真珠湾攻撃をはじめとした戦闘で活躍した。陸上航空部隊によるマレー沖海戦の結果もあり、その後の海戦術はそれまでの大艦巨砲主義から航空機中心へと様変わりすることとなる。
真珠湾攻撃での機動部隊の威力にアメリカ海軍首脳は驚き、戦艦の多くが使用不能であったこともあって、空母艦載機を打撃力とした機動部隊の運用を始めた。呼称としては従来通りのタスクフォースが用いられているが、その一部が機動部隊としての実質を有するようになった。そのため、「第38機動部隊」(Task Force 38)のように、日本語訳に際して“Task force”を「機動部隊」と意訳する例が見られる。
日米両軍が機動部隊を保有したことから、珊瑚海海戦のように機動部隊同士が衝突する海戦も発生した。戦訓から、空母の脆弱性も明確になり、護衛強化策が必要となった。その結果、アメリカ海軍は、レーダーピケット艦や無線による航空管制を組み合わせた防衛システム(ビッグ・ブルー・ブランケット)を発展させていった。
イギリス海軍も東洋艦隊のA部隊のように小規模な機動部隊を用いることがあり、大戦後期には太平洋方面での作戦のため、本格的な機動部隊を編成した。アメリカ海軍の機動部隊と協同して、沖縄戦などで活動している。ただし、大西洋方面ではドイツ海軍は空母を所有せず、Uボートを活用した通商破壊戦術を主としたため、連合国側も船団護衛のために護衛空母を運用したにとどまり、機動部隊としての運用は見られなかった。
冷戦時代
テンプレート:節stub アメリカ海軍は強大な機動部隊を整備した。ソビエト連邦軍の対艦ミサイルや潜水艦に備えて、防衛システムをさらに発展させた。
STOVL機を搭載した軽空母中心の機動部隊も現れ、イギリス海軍のものはフォークランド紛争で活躍した。
現在の機動部隊
アメリカ海軍
アメリカ海軍の空母機動部隊は空母打撃群(CSG)と呼ばれ、原子力空母(ニミッツ級)1隻を中心にして周辺をイージス巡洋艦(タイコンデロガ級)、イージス駆逐艦(アーレイ・バーク級)、ミサイルフリゲート(オリバー・ハザード・ペリー級)、攻撃型原子力潜水艦(ロサンゼルス級、バージニア級)等で護衛している。随伴している艦艇は合計で5~6隻程度。旗艦任務はブルー・リッジ級揚陸指揮艦のような指揮専用艦や通信機能の充実している大型揚陸艦などが有機的に受け持つ。
ニミッツ級の最大搭載機数は90機であるが、冷戦の終結により、F-14艦上戦闘機、A-6艦上攻撃機、S-3艦上哨戒機などを退役させた為、現在はF/A-18C/D・E/F戦闘攻撃機が50機程度、EA-6BまたはEA-18G電子戦機が数機、E-2早期警戒機が数機、対潜哨戒と救難用にSH-60 シーホーク数機、合計70機程度と一時期よりは搭載機数が押さえられている。
世界中に展開するアメリカの空母打撃群には、高速で随伴する補給艦も同行している。また、水面下では原子力潜水艦が随伴していて、機動部隊の前路哨戒やトマホーク巡航ミサイルの攻撃任務を行う。原子力潜水艦よりも更に前方は、世界中に前方展開している陸上基地から飛来したP-3C地上配備哨戒機が前路哨戒をし、空母から飛び立ったE-2早期警戒機が空を監視する。
空母打撃群と並ぶアメリカ海軍のもう一つの機動部隊といえるのが遠征打撃群(ESG)である。従来からあった両用即応グループを拡張したもので、強襲揚陸艦(ワスプ級)、ドック型揚陸艦・輸送揚陸艦(ホイッドビー・アイランド級、ハーパーズ・フェリー級、サン・アントニオ級)にイージス艦を含む水上戦闘艦艇を3隻と攻撃型原子力潜水艦1隻を加えて対地・対空・対水上・対潜の攻撃能力を高めたものとなっている。上記の揚陸艦には約2,200名の海兵隊遠征隊(MEU)が乗り組んでいる。上陸作戦を行う場合にはこれらが主戦力となる。強襲揚陸艦にはハリアーIIV/STOL攻撃機を20機程度搭載可能で、限定的ではあるが空母打撃群の代替的な行動が可能となっている。
イギリス海軍
イギリス海軍の機動部隊は、軽空母(インヴィンシブル級)を中心にして駆逐艦(42型)とフリゲート(23型)で護衛している。護衛艦艇は2隻-4隻程度。原子力潜水艦(トラファルガー級)を同行させる事もある。アメリカ海軍と同じくトマホークを発射する能力を持たせている。
搭載機はシーハリアー/BAe ハリアー IIV/STOL攻撃機が16機程度、HAS.シーキング早期警戒型ヘリコプター3機、マーリン HC.1哨戒ヘリコプター数機、合計24機程度。
陸上における機動部隊
陸軍における機動部隊の概念は、時代や兵制、技術の発展や各国軍の方針により様々であるが、おおむね主力部隊と比較して高速機動力を発揮、あるいは任務に応じた部隊である。その編制には、騎兵や自動車化歩兵などの機動力に優れた兵種が多く含まれる。常設の部隊ではなく、迂回別働隊などの必要に応じてタスクフォースとして臨時に編成されることも多い。
陸上の機動部隊の例としては、アルジェリア戦争中のフランス軍の例が挙げられる。アルジェリア戦争でフランス軍は40万人を超える大軍を動員したが、駐留軍14個師団の内10個師団は指定された地域に張り付け、その地域内で警備とゲリラの平定を担当していた。残りの2個機甲師団と2個空挺師団が機動部隊として運用され、主要都市部やゲリラの篭る山岳地帯からサハラ砂漠やモロッコ、チュニジア国境地帯など縦横無尽に展開し、貼り付け師団を補完する形で状況に応じ各地で作戦した。
なお、相対的に優れた機動力を持つ騎兵部隊や機甲部隊や機械化部隊および航空部隊などを総称して、機動部隊と呼ぶこともある。
戦術学における機動部隊
戦術学上においての機動部隊の概念は、「機動出来ない戦闘部隊」である城砦・野戦築城された陣地・洋上戦における泊地や港などの守備兵力に対する対語となる。[1]
したがって広義の意味での機動部隊とは「機動力を保有する戦闘部隊」であり、徒歩での歩兵や砲兵などの機動力が低い部隊であっても機動自体は可能であるので概念の範疇に含まれることになる。
狭義の概念では、戦闘部隊の構成の区分の一つとして扱われる。この場合は「前衛部隊」、「火力部隊」、「兵站部隊」と同列の区分の一として「機動部隊」が存在する。狭義の概念の機動部隊は「歩兵部隊」と「騎兵部隊」に大別することができる。[2]
古代・中世・近世などで歩兵が徒歩でしか機動できない時代などでは(広義の意味では現在でも)、歩兵部隊も機動部隊であり、時代によって機動部隊の概念が変化することに注意が必要である。詳しくは機動を参照されたい。