モスクワ

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モスクワロシア語Москва́ IPA: [mɐˈskva] マスクヴァーru-Moskva.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]</span>)は、ロシア連邦首都連邦市として市単独でロシア連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつとなっており、周囲を占めるモスクワ州の州都でもある。人口は約1150万人でヨーロッパで最も人口の多い都市であり、世界有数の世界都市である。漢字による当て字は莫斯科英語で発音した場合には、モスコーあるいはモスカウMoscow)のようになる。

概要

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地理

北緯55度45分、東経37度37分に位置する。市の中心をモスクワ川が蛇行しながら流れる。面積は2,511 km²。植生的には北の針葉樹林帯と南の混合樹林帯との接点に位置する。土壌はポドゾルが主で、それほど肥沃ではない[1]

人口

市域人口は11,503,501(2010年)。2011年の近郊を含む都市圏人口は1,368万であり、世界第17位、ヨーロッパ第1位である[2]。世界有数のメガシティである。

標準時

この地域は、モスクワ時間帯標準時を使用している。時差はUTC+4時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+3、夏時間がUTC+4であった)

気候

ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。年間降水量は705mmで、6月から8月にかけての夏季に最も降水量が多くなるが、一方で5月から8月にかけては晴天も多くなり、日照時間も最も多くなる。冬季には降水量は少なくなるものの曇天が続き、日照時間は非常に少なくなる。近年の冬季は急速に温暖化しており、1981~2010年の現平年値では、1961~1990年の旧平年値より1月の平均気温で2.8度、2月が1.0度も上昇した。

モスクワの気象観測は中心部から10kmほど離れた郊外のオスタンキノ公園に隣接する全ロシア博覧センター(通称ВВЦ,VCC)で行われており、緑豊かな場所にある。


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  • 2010年7月26日、気温が37.2度に達した。130年前に開始された観測史上最高を記録した。これまでの最高は1920年の36.8度である。
  • 2010年8月10日、モスクワ市登録局は、7月のモスクワ市内の死亡者が1万4340人で、前年同月の死亡者9516人の1.5倍にあがったことを明らかにした。記録的な猛暑や森林・泥炭火災のスモッグによる健康被害が影響していると見られている。ドイツ・オーストラリア・カナダなどがモスクワにある大使館の外交官や家族を一時退去させるなどの影響が出た。非常事態省は、同国では500カ所以上で森林・泥炭火災が続き、火災面積は17万4000ヘクタールに拡大しているとしている。

経済

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プライスウォーターハウスクーパースが公表した調査によると、モスクワの2008年の都市GDPは3210億ドルであり、世界第15位である。欧州ではロンドンパリに次ぐ第3位である。2013年のアメリカのダウ・ジョーンズらの調査によると、世界28位の金融センターと評価されている[3]

2011年3月、アメリカの経済誌『フォーブス』が公表した統計によると、10億ドル(約850億円)以上の個人資産をもつ大富豪の人数で、モスクワはニューヨークを抜いて世界一の都市になったとしている[4]

2011年にモスクワ市の予算規模が、ニューヨーク市に次いで第2位となった。ニューヨーク市の予算は、人口818万人に対し、659億9100万ドルで、モスクワ市の予算は、人口1151万人に対し、508億ドルとなっている。[5]

2012年億万長者の数が最も多い都市となった。

歴史

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1147年キエフ大公国ユーリー・ドルゴルーキー(手長公)が会合を行った場所として言及されるのが最古の記録である。1156年に砦が築かれて以降、徐々に小都市化していった。1237年から1238年にかけてはモンゴル帝国軍によって灰燼と帰した。

1271年ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーの子であるダニール・アレクサンドロヴィチが遺領としてモスクワを獲得し、モスクワ公国が成立した。モスクワ公国はやがてイヴァン1世の代にキプチャク・ハン国の徴税人となったことから力をつけていき、モスクワ大公国となった。1382年にはキプチャク・ハン国のトクタミシュ・ハンによって占領されるなどはあったものの、モスクワ大公国は順調に力をつけていき、1480年にはイヴァン3世が大公国をハン国から完全に独立させ、「タタールのくびき」を終わらせることで、モスクワはロシア最大勢力の都となった。彼はウスペンスキー大聖堂ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂アルハンゲリスキー大聖堂を建設・再建し、クレムリンを壮麗なものとした。クレムリンの前に赤の広場が建設されたのもこの時代である。1534年から1538年にはクレムリン北東のキタイ・ゴロドをクレムリンと同じ城壁で囲み、以後この地域は商工業地域として発展した。

1561年にはイヴァン4世によって聖ワシリイ大聖堂が建設された。1590年ごろにはクレムリンとキタイ・ゴロドの外側に城壁が築かれ、さらにその外側には土塁が築かれて、モスクワの町は大幅に拡張された。新しい城壁の内側はベールイ・ゴロド(白い町)、土塁と城壁の間はゼムリャノイ・ゴロド(土の町)と呼ばれた[6]。16世紀末には動乱時代となり、1610年には偽ドミトリー2世を擁したポーランド・リトアニア共和国軍がロシア・ポーランド戦争を起こしてモスクワを占領したが、商人のクジマ・ミーニンと公爵ドミトリー・ポジャルスキーを中心として組織された国民軍が1612年にモスクワを奪回し、翌1613年にはミハイル・ロマノフツァーリに選出されてロマノフ朝が成立した。

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1784年のモスクワの地図
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フョードル・アレクセーエフの描いた赤の広場(1802年)

ロマノフ朝時代は国土の拡張にともないモスクワも成長を続けたが、ピョートル1世1712年にロシア北西端のネヴァ川河口にサンクトペテルブルクを建設したことで首都の座を譲った。しかしそれ以後も副首都の座を保ち続け、歴代のロシア皇帝はモスクワにて戴冠式を行うことを常とした。古い貴族階級は遷都以後もモスクワに居住するものが多く、西欧の思想を取り入れる窓口となったサンクトペテルブルクに対し、モスクワは古いスラブ主義の思想の中心地となっていった。1755年にはロシア最初の大学であるモスクワ大学が開校した。このころ、ベールイ・ゴロドの城壁が撤去されて、その跡地にプリヴァール環状道路が建設された。1812年にはナポレオンのモスクワ侵攻(祖国戦争)を受け、街は灰燼に帰したが、その後すぐに復興された。19世紀にはゼムリャノイ・ゴロドの土塁も撤去されて、その跡地はサドヴォエ環状道路となった。1851年にはサンクトペテルブルクとの間に鉄道が開通し、その後も1862年にはニージニー・ノヴゴロド、1864年にはリャザン、1868年にはクルスク1870年にはヤロスラヴリへの鉄道が相次いで開業し[7]、ロシア中央部の商工業の中心としての地位は揺るぐことなく、農奴解放による労働力の流入や軽工業の発展もあいまって、19世紀末には人口は100万人を突破した。

ソビエトによって1918年に首都機能が移転され、ソビエト連邦とロシア・ソビエト社会主義共和国(現在のロシア連邦)の首都となった。大祖国戦争時には市の北西40kmの地点にまでドイツ軍が進出したものの、モスクワは陥落しなかった。かつては冷戦による対立関係があったアメリカワシントンと共に、モスクワは超大国の首都として二分し、スターリンはニューヨークの高層ビルに対抗意識を持ち、スターリン様式という建物を多く建築した。ソ連崩壊後のロシア連邦においても引き続き首都であり、現在人口1000万を超えるロシアの政治経済の中心である。

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市内の地理

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赤の広場はモスクワの中心である
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トヴェルスカヤ通り

モスクワは、中央にあるクレムリンから同心円状に広がっている町であり、クレムリンからはすべての方角に放射状に幹線道路が延びている。その幹線道路をつないでプリヴァール環状道路、サドヴォエ環状道路、モスクワ環状道路(大環状道路)の3つの環状道路がある。モスクワ地下鉄環状線とほぼ同じ場所を走るサドヴォエ環状道路は、1590年代のモスクワ市の土塁の跡に作られている[1]

クレムリンは1156年にユーリー・ドルゴルーキーがとりでを築いて以来一貫してモスクワの中心であり、モスクワ大公国時代からロシア帝国初期を通じて王宮がおかれていた。ソヴィエト連邦成立後はここに政府が置かれ、現在もロシア連邦の大統領府があるロシア政治の中枢である。クレムリンの正面には赤の広場が広がり、広場周辺にはグム百貨店聖ワシリイ大聖堂レーニン廟がある。広場の北東はキタイ・ゴロドと呼ばれ、モスクワ大公国時代からの商工業地域だったところで、現在では都心の一部となっている。その北にはかつてKGBの本部の置かれていたルビャンカや、ボリショイ劇場などがある。

クレムリンから北西に伸びるトヴェルスカヤ通りは、19世紀からの目抜き通りであり、現在でも繁華街となっている。トヴェルスカヤ通りはその先でレニングラード街道と名を変え、サンクトペテルブルクまで延びている。クレムリンから西へと伸びるアルバート通りは歩行者天国となっており、商店や土産物屋が立ち並んで観光客が多く訪れる。

クレムリンの南西には、モスクワ川に沿って救世主ハリストス大聖堂トレチャコフ美術館がある。

政治

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行政区分

2012年7月1日に、ノヴォモスコーフスキー区トロイツキー区に相当する地域を市域に編入、モスクワ市は以下の12の行政区(Административные округа, АО)に分かれている。かつてはモスクワ環状道路がモスクワ市の境界線とほぼ一致していたが、現在は市域がその約3倍に拡大している。

  1. 中央区Центральный АО
  2. 北区Северный АО
  3. 北東区Северо-Восточный АО
  4. 東区Восточный АО
  5. 南東区Юго-Восточный АО
  6. 南区Южный АО
  7. 南西区Юго-Западный АО
  8. 西区Западный АО
  9. 北西区Северо-Западный АО
  10. ゼレノグラード区Зеленоградский АО
  11. ノヴォモスコーフスキー区Новомосковский АО
  12. トロイツキー区Троицкий АО

また、この行政区はさらにラヨンрайон)に分かれている(ロシア語では、ライオンと発音される)。

市政

市議会の定数は35である。2009年10月12日の選挙では、統一ロシアが圧勝した。1992年に就任したユーリ・ルシコフ市長の下でモスクワ市は積極的な経済開発を行い、行政府がインフラ整備や外資の誘致などを徹底して行うことで高い経済成長を記録し、さらに小企業の保護育成に市政府が積極的に取り組むことで失業問題を解決し、失業率を全国平均の10分の1に押さえ込んだことから[8]、市民の高い支持を得て18年間の長期政権を維持したが、2008年のリーマン・ショック後に経済が減速するとともに長期政権に伴う汚職や腐敗が取りざたされるようになり、2010年9月28日にドミトリー・メドヴェージェフ大統領によって解任された[9]

歴代市長

交通

テンプレート:節stub 市内の主要な公共交通機関は地下鉄をはじめ、バストロリーバス路面電車タクシー乗合タクシーなど。

鉄道

13の線路、方面別に9つのターミナル駅がある。列車の行先の地名が駅名になっている。

エレクトリーチカ(近郊電車)

地下鉄

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市内には、地下鉄が11の路線網を張り巡らしており、世界で最も利用客の多い地下鉄の一つとなっている。また、ヨシフ・スターリン政権時代に建設された駅を中心として、豪華絢爛な装飾が施されており、モスクワ市民の誇りとなっている。地下鉄路線の終点を起点とした高架線主体のライトメトロ(лёгкое метро)2路線(1路線は建設中)、およびモノレール1路線がある。

路線や駅にもよるが、きわめて深い場所に作られた豪華な装飾の駅と、地上と駅を結ぶ長い超高速エスカレーターはモスクワ地下鉄の特徴である。

道路

テンプレート:節stub 市中心部から道路が放射状に伸びていて、北西にはサンクトペテルブルクへと向かうレニングラード街道、北西にはヤロスラヴリ街道、東にはニジニ・ノヴゴロドに向かうゴーリキー街道、南東にはリャザン街道、南にはワルシャワ街道、南西にはキエフ街道やスモレンスク街道といった行き先の名をとった幹線道路へつながっている他に、モスクワ環状道路などの環状道路もある。クレムリンに隣接する市中心部のマネージ広場道路元標になっている。

近年は自動車の普及により、市内での慢性的な渋滞や駐車スペース不足が大きな問題となっている。

空港

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シェレメチェボ・ターミナルD(2009年開業)

市内および市郊外に4つの空港がある。国際線が発着するのは市の北にあるシェレメーチエヴォ国際空港(I,II)と市の南にあるドモジェドヴォ空港と、カフカス方面のヴヌーコヴォ国際空港の3つ。ほかにも国内線用のビコヴォ空港があったが、2010年に旅客の取扱を終了した。旧ソ連時代はシェレメーチエヴォ国際空港に主に国際線が発着し、旧ソ連国内線は主にドモジェドヴォ空港に発着していたが、ソ連崩壊後この区別が消滅し、とくに2000年以降老朽化の進むシェレメーチエヴォ国際空港にかわって設備の整ったドモジェドヴォ空港に諸外国の航空会社が相次いで乗り入れ先を変更して、ドモジェドヴォ空港が事実上モスクワのメイン空港となった。シェレメーチエヴォ国際空港はロシアのフラッグキャリアであるアエロフロート・ロシア航空ハブ空港としているが、アクセスや設備で悪評が高かった。しかし、2007年から2010年にかけて新ターミナルが完成した。また、近年はラメンスコエ空港を第4の空港と位置付けており、急ピッチで旅客ターミナルの建設が行われている。

文化

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教育

テンプレート:Main テンプレート:節stub 1755年に創設されたロシア最古の大学であるモスクワ大学をはじめとして、モスクワ大学と並ぶ評価を受けているモスクワ国際関係大学や、モスクワ音楽院人文科学現代大学全ロシア通信制金融経済大学などといった各種高等教育機関や専門学校が多く存在する。

スポーツ

観光

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世界遺産

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教会

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美術館

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その他の建造物

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ジンクス

ソ連発足以来政治・経済・文化の中心であるはずのモスクワの出身者はなぜか最高指導者になれないと言うジンクスが存在する。実際に、

となっている。

姉妹都市

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ギャラリー

脚注

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関連項目

外部リンク

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政府
日本政府
観光
その他

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テンプレート:Link GA

  1. 1.0 1.1 「朝倉世界地理講座 大地と人間の物語10 東ヨーロッパ・ロシア」p255 朝倉書店 2007年1月25日初版1刷
  2. Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  3. Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013) 2013年9月15日閲覧。
  4. Moscow is now the billionaire capital of the world
  5. モスクワ市の予算 世界中の都市で第2位: The Voice of Russia
  6. 「新版 ロシアを知る事典」内「モスクワ」項 平凡社 2004年1月21日発行
  7. 「朝倉世界地理講座 大地と人間の物語10 東ヨーロッパ・ロシア」p244 朝倉書店 2007年1月25日初版1刷
  8. 「現代ロシアを知るための55章」pp98-101 下斗米伸夫・島田博編 明石書店 2002年6月25日初版第1刷
  9. ロシア:メドベージェフ大統領、モスクワのルシコフ市長を解任 ブルームバーグ、2012年6月9日閲覧
  10. http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/gaimuka/shimaiyuukou/sistercitytop.htm 東京都 東京都の姉妹友好都市 2013年2月26日閲覧
  11. テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:Cite web
  15. Moscow and Rejkjavik sister cities. テンプレート:リンク切れ. Retrieved on 2008-03-11
  16. テンプレート:Cite web
  17. Twinning Cities: International Relations. Municipality of Tirana. www.tirana.gov.al. Retrieved on 2008-01-25.
  18. テンプレート:Cite web