パルナス製菓
テンプレート:Infobox Company パルナス製菓株式会社(パルナスせいか)は、かつて関西を中心に洋菓子製造・販売を行っていた食品メーカー。本社は大阪市北区で、後に大阪府豊中市上津島2丁目に移転。2000年に事業を停止し、2002年に企業清算して解散した。
概要
兵庫県加西市出身の古角(こかど)松夫(2004年死去)が1947年に神戸市で創業した[1]。1952年に株式会社化。ロシア風ケーキや「クレーモフ」(ロシア風シュークリーム)などの菓子、及び「パルピロ」(ピロシキ)といったロシア風調理パンを製造・販売した。最盛期の従業員は500人あまり[2]で、関西地区に200店以上の直営店とチェーン店を展開した[1]。
ロシア風菓子の製造販売を始めたのは、戦後の砂糖販売統制解除を受けて洋菓子店を開いた際に、ドイツ菓子やフランス菓子といった一般的な洋菓子店と異なる独自のカラーを打ちだそうとしたためで、開業にあたり、当時のソ連対外文化交流協会から菓子の資料を取り寄せるなどした[3]。古角は晩年、新聞社の取材に対して、帝政ロシア時代の小説家レフ・トルストイの大河小説『戦争と平和』で描かれたような豪華な食文化の再現を考えていたと述べている[3]。日ソ国交回復直後の1957年には訪ソしてモスクワのレストランや菓子工場を視察。帰国後「モスクワの味」を自社のキャッチコピーとしてPRに務め、広く知られるようになる[3]。1970年には日本万国博覧会ソ連館のレストラン「レストラン・モスクワ」を受託運営し、その後大阪、神戸、東京で「レストラン・モスクワ」および「レストラン・パルナス」を営んだ。
洋菓子需要の落ち込みや同業他社との価格・販売競争激化で売上高の減少が続いたことから、黒字・無借金経営を維持しつつ1990年代末に事業の縮小・整理を進め、2000年に工場を閉鎖。2002年3月に企業清算を終了し解散した[1]。事業整理に入る直前の1996年当時の直営店は、洋菓子店27店舗、「パルナスブッフェ」(喫茶店)7店舗であった[3]。豊中市の本社工場は2001年に解体され[4]、跡地は分譲宅地となった。
会社清算後の動き
古角松夫は企業清算にともなう残余財産の分配で、2003年に長者番付の全国33位に一度だけ公示された。古角は出身地の加西市に、キャラクター人形、CMソングのレコード、製品の運搬用トレーなどパルナス製菓に関連する物品と、ロシアの民芸品、絵画などの個人コレクションを寄贈した。これらの品々は、2003年3月30日~4月13日にかけて同市北条駅前再開発ビル「アスティア加西」にて開催された「パルナス展&古角松夫コレクション展」で一般公開された。画像付き解説HP
菓子・パン分野における商標「パルナス」はパルナス製菓の登録商標だったが、商標権消滅後、2007年8月に東京都杉並区の個人が新たに商標として出願し、2009年2月に登録された[5]。
テレビCM
パルナス製菓は1958年から「モスクワの味」のキャッチコピーを打ち出したユニークなCMソングとテレビコマーシャルを次々に制作し、関西圏一円で知名度を高めたことで知られる[3]。
特に中村メイコとボニージャックスが歌ったロシア民謡調のCMソング『パルナスの歌』(作詞・作曲 : 津島秀雄)は、関西圏で放送されたTVアニメ「リボンの騎士」(本放送)、「ムーミン」、世界名作劇場シリーズ(再放送)のCMに十数年間にわたって用いられ有名となった。古角によると、1957年の訪ソ時にハバロフスクから乗車したシベリア鉄道の車中で「モスクワの味」のコピーとCMの着想を得たという[3]。また古角自身も「スタリウーゴル」の仮名で数々の自社CMソングの作詞を手がけた。
『パルナスの歌』のCMは1分間の長さがあり、放送するには番組を1社単独で買い切ることが必要だったため、1980年代以降は単発の特別番組などに限られて次第に登場頻度が減り、1990年代半ばにはほとんど見られなくなった[3]。また『パルナスの歌』自体も、非売品のソノシートや廃業時に関係者向けに配布した限定品CDが製作されただけだった。
しかし1994年には朝日放送『探偵!ナイトスクープ』がCMを取り上げるなど関西圏の視聴者の関心は高く、『パルナスの歌』は廃業後の2007年、同番組で歌の存在を知ったキングレコード社員の手によって同社が発売したCD『心と耳にのこるCMのうた』に市販品として初めて収録された[6]。ラジオ関西『青春ラジメニア』では1995年以降頻繁にパルナスの歌を取り上げたが、放送可能な音源がなかったことから、キングレコード版CDの発売まで、パーソナリティーが数度にわたりアカペラでCMソングを披露した。このほか2006年にも、毎日放送のキャラクター「らいよんチャン」のCMに、「パルナスの歌」のメロディー・曲調をモチーフにした替え歌が採用された。
関連項目
- ネズナイカの冒険(Приключения Незнайки и его друзей)
- ソビエト連邦の児童文学を代表する作品の一つで、ウクライナ出身の絵本作家ニコライ・ノーソフ(Николай Николаевич Носов)が1954年から1966年にかけて発表した3部作。主人公の少年ネズナイカ(Незнайка、"僕は知らないよ"の意)がパルナス製菓のマスコット・キャラクター「パルちゃん」のモデルとなった。日本語版は偕成社が出版。
- 製菓工場ボルシェビク(Кондитерская фабрика «Большевик»、パルナス製菓では「国立ボルシェビーク製菓工場」と呼称。現・公開株式会社ボルシェビク)
- 旧ソ連最大の国営菓子メーカーで、ビスケットを中心に洋菓子全般を製造した。1970年代、国家重要行事の記念ケーキ製造などの指揮監督者などを務めた食品業界社会主義労働英雄の女性職長(бригадиру рабочих)、イェヴドキヤ・アンドレーヴナ・オージナ(Евдокия Андреевна Ожина)[7]がパルナス製菓の招きで2度にわたり来日し、ケーキ製法の技術指導を行った[8]。パルナス製菓ではこれを記念してCMソング「オージナケーキの歌」や社内向け記録映画「ようこそオージナさん」を制作した。
- モンパルナス(公式HP)
- 阪神尼崎駅構内の喫茶店・製パン店。古角松夫の実弟、古角伍一(1994年死去)が、1974年にパルナス製菓から独立して開店した。モスクワ製菓工場ボルシェビクの技術者がパルナス製菓に直伝したという「パルピロ」の製法を守ったピロシキを製造・販売している[9]。店名の「モンパルナス」はフランス語でパルナス山を意味する。
- 関西テレビ放送と阪急電鉄が1962年から兵庫県宝塚市の宝塚大劇場で毎年1月に開いているチャリティーコンサート。パルナス製菓は1978年から1992年まで協賛し、この間コンサートの模様は関西テレビで放送された。
脚注
外部リンク
- パルナス非公式ホームページ
- パルナス思い出の館
- 「懐かしのパルナス ふるさと加西でコレクション展」(『神戸新聞』2002年11月21日付)
- 「パルナスの歌」がCDに収録、初めて発売へ(『asahi.com』2007年08月22日付)