Hide

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hide(ヒデ、本名:松本 秀人(まつもと ひでと)、1964年12月13日 - 1998年5月2日)は、日本ミュージシャンシンガーソングライターX JAPANギタリストである。X JAPANでは大文字で「HIDE」、ソロ活動では小文字で「hide」と、表記を区別している。

概要

横須賀サーベルタイガー解散後、1987年初めに当時のXに加入。PATAも加わって、メジャーデビュー時のメンバー構成になり、ほとんどの楽曲でリードギターを担当した。また、一部曲の作詞および作曲も担当。ライブ等でも独自の派手かつ奇抜なパフォーマンスビジュアルで、YOSHIKIとはまた一味違う存在感を放った。他のメンバーがビジュアル・メイクを止め、徐々に素顔を見せるようになる中で、HIDEだけは「ファンからどう見られるか」に徹底して拘り、ヘアースタイル、ステージ衣装にビジュアル性を重視し、独自の個性を貫き続けた。

1993年からはソロ活動も始め、作詞作曲ボーカルギターベース(一部曲)、プロデューサーなど、ほとんどの役割を担った。

X JAPAN解散後のソロ活動は、hide with Spread Beaver名義で行っている。hideとツアー・メンバーによる一つのバンドに近い形態であり、hide曰く「沢田研二エキゾチックスみたいな感じ」だという。さらに、海外のミュージシャンとzilchを結成し、アメリカ・デビューも目論んでいた。マリリン・マンソンからは「前座でいいからやらせてくれ」「その代わり、アメリカを周る時は一緒にやろう」と対バンを申し込まれたりもしていた(宝島社著「hideDAYS」松本裕士インタヴューより)。

解散前のXも含めてこれらの活動は基本的に並行して行われていたが、それら全てが軌道に乗り始めた矢先に死去した。

彼の没後も公式ページは更新されており、X復活後もYOSHIKIらの「HIDEを含めたX JAPAN」という意向から彼の公式ページでも他の4人と同様の内容が掲載され、復活コンサートのチケット販売も行われた。

人物

少年時代は肥満から来るコンプレックスのため、内気で大人しい子供だったという。小学校の卒業文集の将来の夢の欄には「医者になって見放された患者さんを助けてあげたい」と綴っている。中学時代にはいじめも経験した。

Unitedの横山明裕とは幼稚園時代からの幼馴染で、互いにプロになってからも交流があった。

また、教育熱心な家庭であったのか、学習塾や習いごとに通う忙しい小学生であったという。アメリカへの集団でのホームステイも経験している。テンプレート:要出典範囲

中学生の頃、初めて聴いたキッスレコードに大きな衝撃を受け、ロックに目覚める。以後は俗に言う「ロック少年」となり、様々なロックを聴き漁るようになり、その中でキッス(特にエース・フレーリー)、ザ・クラッシュアイアン・メイデンディープ・パープルヴァン・ヘイレンダムドレッド・ツェッペリンジミー・ペイジ)、ジャパンなどに影響を受けた。BOWWOW山本恭司ファンではあるが、hideの代名詞となる「モッキンバード」は、同じBOWWOWの斉藤光浩が使用していたのが気になった事がきっかけであると語っている[1]

その後、エレキギターを手に入れたが当初はバンド活動はしておらず、そのまま県内屈指の進学校の高校へと進学した。その進学した高校が「エレキ禁止」であったためにバンドを組めずにいたが、不良の溜まり場などと言われていた横須賀のどぶ板通りに出入りするようになり、そこで出会った仲間達とバンドを結成する。このバンドがX加入以前に活動していた唯一のバンド、「サーベルタイガー」となった(正確には、中学でもバンドを組んだが形だけで音楽活動はしなかった)。

また、「おばあちゃん子」であったhideは美容院を営んでいた祖母からの影響を少なからず受けている。Xデビュー当時は祖母のサリーをステージ衣装として借りていたことも。祖母と言うには若くて派手な人であったために、後のファッションなどの基盤となったとも言われ、更に高校卒業後にはハリウッドビューティ専門学校へと進み、卒業して実際に美容院で働いてもいた。中学生のhideに高級品であったギブソンを買い与えたのも祖母。「サーベルタイガー」を解散した時には、全ての音楽活動からは足を洗って美容師として生きていこうと決心したが、結局はYOSHIKIの誘いでXに加入することになる。

インディーズバンドの発掘に力を入れており、エクスタシーレコードではバンドリサーチ担当としてLUNA SEAZI:KILL、DEEP等を発掘し、また、自身でもレモネードレーベルを立ち上げZEPPET STORE、VINYLtrees of lifeなどのバンドを発掘した。

テレビやゲームが好きで、好んで視聴したり遊んだりしていた。これらがあるとそればかりをしてしまうために、テンプレート:要出典範囲。テレビ番組の中では特にお笑い番組が好きで、当時人気を誇っていた「ダウンタウンのごっつええ感じ」などがお気に入りであり、ダウンタウン(特に松本人志)のファンでもあった。また、スーパーファミコンソフト『スターフォックス』にはまっていて、デビュー・シングルの『EYES LOVE YOU』のミュージック・ビデオは、そこから得たアイディアを取り入れている。

テンプレート:要出典範囲また、今井寿藤井麻輝の2人と雑誌で対談した際に意気投合し、当時今井と藤井が組んでいたSCHAFTとコラボレーションをする方向で話が盛り上がった(実現こそしなかったが、zilchのリミックスアルバムにSCHAFTが参加することで希望は叶えられた)。

略歴

  • 1980年頃、自らが中心となりアマチュアバンドサーベルタイガー横須賀サーベルタイガー)を結成。曲を作り、ギターを担当した。SABER TIGERとは別のバンド。
  • 1986年、サーベルタイガーは人気・知名度も上がり、その名が知られるまでになっていたがメンバーの脱退などをきっかけに解散。一度は音楽をやめるつもりであったが、同じようにバンド活動をしていたXYOSHIKIからの誘いを受けてXに加入した。
  • 1989年4月にXはアルバムBLUE BLOOD』でメジャーデビュー。ギタリストにとどまらずビジュアル全般を担当し、メンバーの髪のセットなどもしていたという。Xは主にYOSHIKIが作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部曲で作詞・作曲をしていた。
  • 1993年1月21日LUNA SEAJINORANとMxAxSxSを結成し、DANCE 2 NOISE 004に参加する。
  • 1993年8月5日、「EYES LOVE YOU」、「50%&50%」のシングル2枚同時発売でソロデビュー。Xと並行してのソロ活動が始まった。9月23日にはZI:KILLのTUSKと、映像作品『Seth et Holth』を発表する。「ZI:KILLとhide=ジキルとハイド」という洒落にもなっている。
  • 1994年2月、初のソロアルバム『HIDE YOUR FACE』をリリース。ジャケットを飾る、仮面のオブジェは映画『エイリアン』などで有名なH・R・ギーガーによるデザインである。また、同年3月から4月にかけて初のソロツアーを行った。
  • 1996年、アマチュアバンドであったZEPPET STOREの楽曲や存在を世間に知らしめたいという動機からLEMONed(レモネード)を立ち上げる。5月22日に同名タイトルのオムニバスアルバムとビデオを発売しレーベルの存在を公にした。また、6月より2ndアルバム『PSYENCE』に向けての活動が始まった。
  • 1997年9月、TOSHIの脱退により、X JAPANの解散を発表する。12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散した。しかし、「2000年X再結成」をメンバーと約束していたという。(hide死去時にYOSHIKIが公表)
  • 1998年1月1日、ラストライブの翌日にhide with Spread Beaverとして朝日新聞紙上に全面広告を掲載。
  • 1月28日、シングル「ROCKET DIVE」をリリース。
  • 5月2日、朝7時30分頃にhideは自宅マンションの寝室にて、ドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっているのが同居していた婚約者によって発見された。病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。テンプレート:没年齢。後にファンが後追い自殺をするなどの事態が発生したという。
    • 5月5日、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。
    • 5月6日通夜5月7日告別式の両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。
    • 5月7日、脱退したTOSHITAIJIを含むX JAPANメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者も列席した。告別式はテレビで生中継された。
  • 5月13日、シングル「ピンクスパイダー」、5月27日にシングル「ever free」を、生前に予定されていた通りにリリース。
  • 7月23日zilchとしての1stアルバム『3・2・1』が発表される。zilchはレイ・マクヴェイとポール・レイヴンというメンバーと共に結成したロックバンド(音楽ユニット)である。
  • 10月21日、未発表曲としてシングル「HURRY GO ROUND」がリリース。これは生前に録っていた仮歌の音源を使用して、hideと共に最もレコーディング作業に深く関わっていたI.N.Aによって完成された。
  • 11月21日、アルバム『Ja,Zoo』がリリース。このアルバムは生前には未完成であったが、Spread Beaverのメンバーや、サーベルタイガー時代からの仲間であるkyo菊地哲などの参加により完成された。
  • 1999年5月1日、hideの死からちょうど1年後に、トリビュート・アルバムhide TRIBUTE SPIRITS』がリリースされた。hideに縁のあるミュージシャンや、hideがBOØWY時代からファンであった布袋寅泰などが参加している。
  • 2000年7月20日、記念館hide MUSEUMが故郷である神奈川県横須賀市の海岸沿いに開館した。
    • 衣裳や楽器などhideにゆかりのある品々を展示、併設の「Cafe Le PSYENCE」ではライブも行われた。
    • オープン式典にはX JAPANファンを公言し、設立にも協力したという衆議院議員小泉純一郎も出席。
    • 横須賀市内を走る湘南京急バス堀内営業所でも、hide並びにhide MUSEUMをテーマにした路線バスを2台製作・運行させている。
  • 2004年5月2日七回忌に当たる日には「FILM GIG」などのイベントが行われた。
  • 2005年9月25日に記念館は閉館。当初は3年間の期間限定であったが、結果的に5年に延長された。閉館後も、展示品などは時期を見て公開する予定である。
  • 2007年4月1日原宿にLEMONed shopがオープン。
  • 10月17日、X JAPAN再始動。新曲「I.V.」は、生前の彼の演奏をデジタル加工して使用しており、念願であった世界デビューへhideも同行する形となった。同22日のプロモーションビデオ撮影には彼の立ち位置に空席のマイクスタンドとエレキギターが設置され、YOSHIKIがhideの人形を持って登場するなどより『hideも一緒である』ということを強調していた。
  • 2008年3月28日東京ドームでのX JAPANの復活ライブに特殊映像などを駆使して再現されたhideが登場した。
  • 5月3日5月4日味の素スタジアムにてhide十周忌追悼ライブ(多数のバンドやミュージシャンが出演のライブ)『hide memorial summit』が開催された(hideは5月3日に出演したhide with Spread Beaverと5月4日に出演したX JAPANに、ステージに設置された巨大モニターに映った生前の映像という形で共演した)。
  • 2013年はソロ活動20周年、2014年は生誕50周年とメモリアルイヤーのため、hide MUSEUMの期間限定の復活、トリビュートアルバム6作品のリリース、96年に行われた千葉マリンスタジアムでの野外イベント映像の映画館ロードショー、および氣志團万博2013への出演等様々なイベントが行われた。そのひとつとして予定していたミュージカル「ピンクスパイダー2014」は、企画・制作担当であるアトリエ・ダンカンの「止むを得ぬ事情」として急遽公演中止となった。

活動

初仕事

彼がXに加入しての初仕事はXのギター担当としてライブをすることであった。 しかし、彼がXとして最初に立った舞台は、ライブハウスやコンサートホールではなく、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画で行われた「やしろ食堂」ライブで、ギターを演奏しながらTOSHIと共に女性客に向かい「食え~!」と叫んでいた。

hideとINA

hideのツアーメンバーでもあるINAだが、元々はXのレコーディングに参加していたスタッフであった。 その後、hideがソロ活動を始めた際に全面的に参加するなどhideの音楽にとても深く関わっていくことになる。 ツアーでも本来は俗に言う「裏方」であったはずだが、hideが無理矢理表舞台へ引っ張り出したという話である。

しかし、単なる製作スタッフやメンバーという存在にとどまらず、hideには欠かせない存在であった。 hideは自宅に一通りの機材を揃えてデモテープを自宅で製作していたが、この作業は常にINAと2人で行っていた。 「hide」というミュージシャンを、松本秀人(≠hide)とINAの2人でプロデュースしているという感覚であったらしい。

このデモテープはデモテープとしては質の高いものであり、これは、質の高いデモテープを作ることによってレコーディングに携わる人間に対して曲の意図をより明確に伝えられるためである。また、アルバム『PSYENCE』の中の『LASSIE』は雰囲気などのために敢えてデモテープの音源をそのまま収録してある。

「INA」として世に出るようになってからも、hideは本名の「稲田君」と呼んでいた(PATAのことを「石塚君、石塚先生」とも呼んでいた)。

LEMONed

LEMONed(レモネード)はhideの設立したレーベルであり、英俗語である「LEMON(不良品)」に過去形の「ed」を付けて、「不良品だった」という意味を込めた命名である。また同時に、大量生産されるこの時代で僅かな確率で生産された「不良品」が、似た者同士のアーティストの中で異彩を放ち、「僕たちもかつては不良品だった」と笑えるようにとhide自身語っている。ZEPPET STOREとの出会いをきっかけに立ち上げたが、音楽に限らずhideが「良い」と思ったものをサポートしていくために設立された。音楽以外には、ファッションやグッズの販売店や美容院、フォーミュラ・ニッポンチームルマンのスポンサーにもなった。毎年夏にはMIX LEMONed JELLYを開催、また千葉マリンスタジアムでのイベントなども行った。

zilch

zilch(ヂルチ)は、レイ・マクヴェイ (Ray McVeigh) (元プロフェッショナルズセックス・ピストルズのサポートなど)、ポール・レイヴン (Paul Raven) (元キリング・ジョーク、元PRONGベーシスト)というメンバーと共に結成したバンド(ユニット)である。当初のメンバーはhideを含めた三人とされているが、様々なミュージシャンを加えるなど、敢えてメンバーの固定化をしない柔軟な体制でもあった。

ロックンロールパンクヘヴィメタルグランジオルタナティヴインダストリアルといった、それまでのロックを消化した新しい形の非常に前衛的なロックを目指していた。完成されたアルバム『3・2・1』は、「邦楽」と「洋楽」という垣根を超えた、非アメリカ人によるアメリカへ向けての挑戦状であった。

「hide」に求められる音楽と、hide自身がやりたいと望む音楽とのギャップを取り除き、hideがやりたい音楽を、純粋に良いと思う音楽を作るという目的もあった。hideがいなくなった後にリリースされた『3・2・1』のブックレットには、hideへ向けたマクヴェイとレイヴンのメッセージが寄せられた。

アルバムリリース後にツアーなども構想されており、真夏のロック・フェスティバルである「サマーソニック」の前身フェス「beautiful monsters tour」ではマリリン・マンソンとの共演も予定されていた。

残されたメンバーや様々なミュージシャンによって活動は継続されていたが、2007年10月にポール・レイヴンが死去したため、今後zilch名義での楽曲製作が行われるかは不透明である。

逸話

  • 難病であるライソゾーム病を患ったファンである少女、貴志真由子の「hideに会いたい」という願いを、支援団体のメイク・ア・ウィッシュを通じて受けたhideは1995年12月31日、Xの東京ドームライブで少女と会い、ライブの打ち上げにも招待して少女を友達だと紹介し、少女から不自由な手で2か月かけて編んだマフラーをhideにプレゼントされた(このマフラーはhideの死後、形見として少女の手に戻った)。その後も手紙を送ったり、お見舞いに訪れたりという交流を持ち、少女を励ますことになった。少女への手紙には「昔のこととか初めてのドームのこととか忘れていた色々な絵が見えてきて、かなり感動したんだ。おかげで、思い出さなきゃいけなかったいくつかのことが頭にやきついた」と感謝の言葉を残している。1996年3月28日に少女は治療のために骨髄移植手術を受けたが、手術後の1996年4月1日に拒絶反応のため心臓に水が溜まり危篤状態となり、彼女の母親から「hideさんの声だけでも良いから聞かせたい」と電話を受けた時にはその日の予定を全てキャンセルし、病院へ駆けつけて数時間の間励まし続けた。結果、その晩に危篤状態を抜け出し徐々に病状は良くなって数ヵ月後には退院することもできた。その後にhideは「できることをするだけ」とあくまで個人的に骨髄バンクに登録をしたが、その際に所属事務所が独断で急遽記者会見をセッティングしてしまい、実弟でありhideのパーソナルマネージャーを務めていた松本裕士は、そのことを一切知らなかったと後に出版した追憶本「兄弟」の中で明かしている。記者会見自体は行われたが、会見終了後にhideは「これじゃあ売名行為じゃねえか!!もしそんな風にマスコミに書かれてその娘が傷ついたらどうすんだ!!」と言って彼を殴り飛ばした(hide自身ももちろんそのことは知らなかった)。慈善活動をひけらかすような行動を嫌ってのことであったが、結果的にはこの報道が骨髄バンクの認知度向上に大きく貢献することとなり、以後もボランティア活動を続けていた。貴志真由子は、hideが他界した11年後の2009年9月30日に、和歌山市内の病院で、肺出血による呼吸困難により28歳で他界した[2]
  • Xの「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というフレーズを考案。これがヴィジュアル系という言葉を生み出したのはhideと言われる所以になる。また、hideが音楽界に与えた視覚面や音楽面の影響は多大で、音楽ライターの市川哲史からヴィジュアル系はhideから始まってhideで終わったとも言われている。
  • ファン想いであることが有名で、大物になるほど回避しがちなTV出演について「地方でライヴに来られないファンの為にも出る」と積極的であったり、「チケット代も安くないのに、更に高いお金を遣わせるのはいけない」と、ソロ活動についての関連グッズは全て5,000円以下であったという。
  • hideが初めて手にしたギターは新古品ギブソンレスポール(ナチュラルカラーのレスポールデラックスモデル)であった。祖母に無理だと思って頼んでおいたら、在日米軍横須賀基地内に出入りが出来たのでフリーマーケットで買ってきてくれたという。当時は現在以上に高級品でロック好きには憧れの的であったために、隣の学校や、「友達の友達」という人までが自宅にギターを見に来るという状況になった。だがそのギターは、PATA曰く「金がなかった頃に売っちゃたのかもしれない」とのこと。そのため、記念すべきhideの最初のギターの行方は誰にもわからない。
  • hideの勤めていた美容院(ジャガーが経営)の常連にヤクザの娘がいて、その常連が行方不明になったとき、その常連の日記の最後に「松本秀人 サーベルタイガー」と書いてあったため、その関連性を疑われ、車に乗せられる。富士の樹海まで連れて行かれ、自白するよう強要されたが、hideは「分からない。」と主張し続け、なんとか解放してもらう。
  • サーベルタイガー時代、当時デッド・ワイヤードラム・TETSUを迎えようと電話したところ、TETSUは留守で母親が出てきて、伝言を頼んだ。しかし、本名を名乗っていたため、TETSUには「松本さんという方から、一緒にバンドをやりませんか?」としか伝わらず、無視することに。しかし、サーベルタイガーに加入するといううわさがデッド・ワイヤーに広まってしまい、TETSUとTAIJIが大喧嘩。結果、引っ込みのつかなくなったTETSUがサーベルタイガーに加入したが、これが元で一時hideとTAIJIの仲は気まずいものになった。
  • また、kyoをサーベルタイガーのメンバーに加えようとしたとき、待ち合わせ場所にkyoがライブ並の格好で現れ、hide曰く「モーセの十戒のごとく」人が避ける様を見て「他人の振りして逃げようかと思った」と言っている。ただ、kyoも「お前も人のこと言えなかったろうが」と返している。
  • サーベルタイガー解散の理由は、REMが私用でライブをすっぽかし、裏でローディーがギターを弾いてごまかすという事件があり、これに疑問を持ったTETSUが脱退を表明、それを聞いたhide・kyo・TOKIも「今のメンバー以外にはありえない」として解散を決意した。
  • 解散後も、hide・kyo・TETSUはお互いに自分のバンドを持っているにもかかわらず、「元サーベルタイガーの○○です」と、言っていた。
  • hideがサーベルタイガーを解散させ、ミュージシャンを辞める決意をしたとき、親交のあったミュージシャンにそのことを電話で話した。しかし、サーベルタイガー時代からhideの活躍ぶりは有名で、中にはバンドへの誘いもあったが全部断ってきた。最後にYOSHIKIに電話を掛けた際、「Xに入らない?」と誘われ、hideは「ちょっと考えさせて」と答えた。翌日、都内にある居酒屋でそのことを承諾すると、それまでそばでおとなしくしていたTOSHIとTAIJIが歓喜をあげ、酒を飲みまくり挙句の果てには組体操まで行うことになったという。

hideの死

急逝

1998年5月1日、hideはSpread Beaverのメンバーと共にフジテレビ音楽番組「ロケットパンチ!」の収録を行う。その打ち上げ後、日付をまたいで更に飲み、泥酔したhideは実弟でマネージャーの松本裕士が運転する車で自宅マンションまで送られた。

5月2日朝7時30分頃、hideは自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見された。その後、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。

当日午後3時頃から、一斉に「元X JAPANのギタリストhideが死亡、警視庁は自殺と断定」と速報で報道された。

警視庁が自殺と断定した根拠は、ドアノブにタオルを巻きつけて首を吊った状態で発見されたという状況証拠である。そのためニュースやワイドショーでは自殺したものと扱われた。

しかし、当初から事故死だったのではないかという見方が出ていた。hideの自室には遺書がなかったこと、死去前に自殺するような印象を残していなかったこと、直前にも自殺を感じさせる兆候はなかったと証言されていること、生前のインタビュー、死去の数日前にhideが都内に建てるスタジオの土地の仮契約をしていたこと、などといった理由がこれに関連する。

「ピンクスパイダー」の一連の歌詞について「自殺」と関連付けられる説もあるが、これについてはhide自身が雑誌等で「『ピンクスパイダー』の歌詞は『世の中そんなに甘くはない』という挫折と失敗を表した歌。『若いうちは後先考えず突き進め』というメッセージを込めた「ROCKET DIVE」、『人間何度でもやり直せる』という再生・再起の意味を込めた「ever free」と合わせて3部作の1つとして聴いて欲しい」と語るなど、死を意図したものとは位置付けられていない。

後に発表された松本裕士の見解は、「ギタリストである彼は、職業柄肩こりが激しく眠れないこともあったほどで、タオルなどで肩を吊ってマッサージしていたという。これは、スポーツ選手などがよくやる牽引(タオルを首にかけて引っ張る方法)である。死去直前の5月2日未明まで酒を飲んでおり泥酔状態でそれをしてしまった為、そのまま眠ってしまい、結果事故死した」というものである。事実、彼の亡くなる数時間前に撮影された「ロケットパンチ!」でのインタビュー中、(ギターのストラップのあたる左肩が痛いのか)特に左肩を揉むしぐさを頻繁にしている。

「HURRY GO ROUND」の歌詞や、ラジオ番組「オールナイトニッポンR」での発言が意味深長で自殺に関連するのではないかという見方や、はたまた事故ではなく自殺だと断言している人間の存在までもあり、様々な見解がある。警察は雑誌取材などに「『牽引』にしては首の輪が小さく、むしろ死を意図するものであった。また、『バンドや音楽活動で悩み酒量が増えていた』と聞いており、突発的に死に踏み切ったのだと思われる」と答えている。

なお、YOSHIKIは「彼は自殺するような人間ではない」と発言している。

テンプレート:要出典範囲

葬儀までの5日間

hideの遺体は5月3日東京都中央区築地築地本願寺に安置された。夕方、YOSHIKIがロサンゼルスから帰国し成田空港から築地本願寺に直行。YOSHIKIは最初これを「悪い冗談じゃないか」とも思っていたが、飛行機の中での正式な報道を見た瞬間に現実であることを受け入れ号泣したという。

翌日5月4日、週が明け本格的にワイドショーなどで大々的に取り上げられる。築地本願寺にファンが集まり始め、その数は千人規模となる。夕方にYOSHIKIがの正面に姿を現し、報道陣を前にメッセージを発表した。

5月5日には、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。その間もファンは絶え間無く押し寄せ、その数は数千人にも膨れ上がった。また、疲労と心労が重なったファンが次々と倒れ、救急車で病院に搬送された。さらに、「hideが自殺」と報道されていたためにファンの後追い自殺東京都調布市千葉市、築地本願寺境内で相次いだ。そのため、翌日には警視庁の要請で元X JAPANのメンバーが記者会見を開き、自殺を思いとどまるように訴えた。

5月6日通夜5月7日の告別式の両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。中には単なる通行人や野次馬もいたとされるが、通夜、告別式に5万人近くが集まったとされ、隅田川沿いに2 - 3kmのファンの列が出来たことも報道されていた。「ファンは列に並ぶ際、パニックになるようなことも無く、むしろ近隣住民の迷惑にならないようにゴミ拾いまで進んで行う素行の良さであった」と葬儀翌日の朝日新聞天声人語で語られているが、実際は各所で将棋倒しなどの事故、警察の対応の悪さによるパニックも起きている。それまでも有名人の告別式に多くの人が集まったことはよくあったが、美空ひばり尾崎豊の告別式に訪れた人の数を超えた。

5月7日の告別式はテレビで生中継された。告別式には、脱退したTOSHI、TAIJIを含む元X JAPANメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者が列席した。築地本願寺開山以来のグランドピアノ持ち込みによるYOSHIKIの伴奏で、TOSHIがX JAPANの「Forever Love」を歌った。hideの「GOOD BYE」が流される中、午後3時40分出棺。道路に交通規制が掛けられ一般車両を完全に止めた状態であったが、ファンが大挙して道路に広がり霊柩車を追いかける者まで現れる非常事態となり、築地本願寺周辺がパニック状態になった。

その後、hideは渋谷区代々幡斎場荼毘に付された。代々幡斎場周辺も築地本願寺同様ファンが大挙して道路に広がり霊柩車が斎場に到着するシーンも追いかける者まで現れる非常事態となり、これもパニック状態になった。法名秀徳院釋慈音(しゅうとくいん しゃくじおん)。遺骨四十九日法要をもって、神奈川県三浦市三浦霊園に納骨され、一部はロサンゼルスの海に当時のzilchのメンバーや松本裕士によって散骨されている。 2013年3月に、何者かの手によってhideの墓石に刃物のような物で傷を付けられるという事態が発覚した。そのため、器物損壊罪で調査を行うこととなった[3]

なお、三浦霊園の閉園時間は16時50分である(2013年4月2日現在)。

作品

シングル

  1. EYES LOVE YOU (1993年8月5日)
  2. 50%&50% (1993年8月5日)
  3. DICE (1994年1月21日)
  4. TELL ME (1994年3月24日)
  5. MISERY (1996年6月24日)
  6. Beauty & Stupid (1996年8月12日)
  7. Hi-Ho/GOOD BYE (1996年12月18日)
  8. ROCKET DIVE (1998年1月28日)
  9. ピンク スパイダー (1998年5月13日)
  10. ever free (1998年5月27日)
  11. HURRY GO ROUND (1998年10月21日)
  12. TELL ME (hide with Spread Beaver) (2000年1月19日)
  13. In Motion (2002年7月10日)

スタジオアルバム

  1. HIDE YOUR FACE (1994年2月23日)
  2. PSYENCE (1996年9月2日)
  3. Ja,Zoo (1998年11月21日)

ベストアルバム

  1. hide BEST 〜PSYCHOMMUNITY〜(ベストアルバム) (2000年3月2日)
    • hideが作った3枚のアルバムの中から選曲したベスト。HDCD対応
  2. hide SINGLES 〜Junk Story〜(シングルス) (2002年7月24日)
    • hideがリリースした全てのシングルに加え、未発表曲「Junk Story」を加えたシングルコレクション。HDCD対応
  3. KING OF PSYBORG ROCK STAR(ベストアルバム) (2004年4月28日)
    • hideの7回忌を記念し、hideが生前にコンセプトとしていた「PSYBORG ROCK」を中心に収録されたベストアルバム。HDCD対応
  4. hide PERFECT SINGLE BOX(コンプリートシングルBOX) (2005年9月21日)
  5. hide SINGLES+PSYBORG ROCK iTunes Special!! (2006年2月8日)
    • hideのiTunes Store楽曲配信第一弾として製作されたセレクション。全てのシングルA面と死後に発表された「In Motion」「Junk Story」の2曲、「DOUBT(MIXED LEMONed JELLY MIX)」「FLAME(PSYENCE FACTION version)」の2曲のリミックス、入手困難な状態が続いていたX時代のセルフカバー「MISCAST」を追加した全20曲。
  6. We Love hide 〜The Best in The World〜(リクエストベスト) (2009年4月29日)
    • 公式ホームページの投票で選ばれたリクエストベスト。

リミックスアルバム

  1. tune-up hide remixes (1997年6月21日)
    • hideの楽曲を7組のチームがリミックスしたもの。
  2. Psy-clone 〜hide electronic remixes〜 (2002年5月22日)

ライブアルバム

  1. PSYENCE A GO GO (2008年3月19日)
  2. HIDE OUR PSYCHOMMUNITY (2008年4月23日)

コンピレーションアルバム

  1. compilation cd LEMONed (1996年5月22日)
  2. WooFer!! (1997年12月17日)
  3. WooFer!!2 (1998年2月21日)
  4. Cafe Le PSYENCE-hide LEMONed Compilation- (2002年5月16日)
    hideのヴォーカルによるXの「MISCAST」を収録。hideが生前録音していたデモ音源を元に作られた。

zilch

  1. 3・2・1 (1998年7月23日)
    • アルバム自体は1996年当時にレコーディングされ既に完成していたが、契約上発売までにかなりの歳月を要した。
  2. BasTardEYES(リミックスアルバム) (1999年3月3日)
    • zilchやhideと交流のあったアーティストらがリミックスしたzilchのアルバム。CDのほか、初回限定には、ビデオが付いていた。
  3. SKYJIN (2001年9月27日)
    • 3・2・1を製作した後に、hideを含むメンバー間で練られていた構想を形にしたアルバム。

トリビュート・アルバム

  1. hide TRIBUTE SPIRITS (1999年5月1日)
    後にDope HEADzとなるI.N.A、HEATH、PATAによるXの「CELEBRATION」のカヴァーを収録。hideが生前にレコーディングしてI.N.AがMacに保存していたヴォーカル音源が使用されている。現時点でhideバージョンの「CELEBRATION」はこのアルバムのみに収録。
  2. hide TRIBUTE Ⅱ -Visual SPIRITS- (2013年7月3日)
  3. hide TRIBUTE Ⅲ -Visual SPIRITS- (2013年7月3日)
  4. hide TRIBUTE Ⅳ -Classical SPIRITS- (2013年8月28日)
  5. hide TRIBUTE Ⅴ -PSYBORG ROCK SPIRITS- 〜CLUB PSYENCE MIX〜 (2013年8月28日)
  6. hide TRIBUTE Ⅵ -Female SPIRITS- (2013年12月18日)
  7. hide TRIBUTE Ⅶ -Rock SPIRITS- (2013年12月18日)

VHS

  1. Seth et Holth (1993年9月29日)
  2. A Souvenir (1994年3月24日)
  3. FILM THE PSYCHOMMUNITY REEL.1 (1994年10月21日)
  4. FILM THE PSYCHOMMUNITY REEL.2 (1994年11月23日)
  5. X'mas Present! (1994年12月24日)
  6. UGLY PINK MACHINE file 1 official data file [PSYENCE A GO GO in Tokyo] (1997年2月26日)
  7. UGLY PINK MACHINE file 2 un official data file [PSYENCE A GO GO 1995] (1997年3月26日)
  8. seven clips (1997年6月21日)
  9. hide presents MIX LEMONed JELLY (1997年8月21日)
  10. マル秘X'masプレゼント'97 (1997年12月24日)
  11. hIS iNVINCIBLE dELUGE eVIDENCE (1998年7月17日)
  12. hide A STORY 1998 hide Last Works〜121日の軌跡〜 (1999年12月8日)
  13. ALIVEST perfect stage<1,000,000 cuts hide!hide!hide!> (2000年12月13日)
  14. seventeen clips〜perfect clips〜 (2001年5月3日)

DVD

  1. hide A STORY 1998 hide Last Works〜121日の軌跡〜 (1999年12月8日)
  2. hIS iNVINCIBLE dELUGE eVIDENCE (2000年7月20日)
  3. UGLY PINK MACHINE file 1 official data file [PSYENCE A GO GO in Tokyo] (2000年10月18日)
  4. UGLY PINK MACHINE file 2 unofficial data file [PSYENCE A GO GO 1996] (2000年10月18日)
  5. seven clips HURRY GO ROUND (2000年10月18日)
  6. ALIVEST perfect stage <1,000,000 cuts hide!hide!hide!> (2000年12月13日)
  7. A Souvenir TELL ME (2001年4月4日)
  8. FILM THE PSYCOMMUNITY REEL.1 (2001年4月4日)
  9. FILM THE PSYCOMMUNITY REEL.2 (2001年4月4日)
  10. seventeen clips〜perfect clips〜 (2001年5月3日)
  11. hide presents MIX LEMONed JELLY 1997.8.26ALL NITE CLUB EVENT (2003年7月20日)
  12. hide with Spread Beaver appear!!"1998 TRIBAL Ja,Zoo" (2005年9月21日)
  13. ALIVE! (2008年12月3日)
  14. We Love hide〜The Clips〜 (2009年12月2日)

その他

激突 (1988年)
COLORの1stアルバム。hideはコーラスで参加。
Shake Hand (1990年)
L・O・Xのアルバムで、hideはJACK POT HIDE名義でコーラスで参加。
Overdoing (1992年)
東京ヤンキースの2ndアルバム。
made in HEAVEN (1992年)
TOSHIの1stシングルで、1曲目の「made in HEAVEN」にギターで参加。
DANCE 2 NOISE 004 (1993年)
LUNA SEAのJとINORANとMxAxSxSを結成し一曲目の「FROZEN BUG」に参加。
FLOWERS (1994年)
ヴィジュアル系の先駆者的存在であるDER ZIBETISSAY(YOSHIKIに招かれ、エクスタシーサミットにも出演したことがある)の邦楽カヴァーアルバム。hideは二曲目の「いとしのマックス」にギターで参加。編曲&プロデュースはD.I.E.こと乃澤大二郎。
SPEED BALL (1995年)
D.I.E.の1stアルバムで、5曲目の「S.O.S.」にギターで参加。
少年ナイフUltra Mix(リミックスアルバム)
世界的に有名な日本のガールズバンドでhideとも親交があった少年ナイフのリミックスをhideが担当(5曲目の「タワー・オブ・ザ・サン」)。
96/69(リミックスアルバム)
小山田圭吾ことCORNELIUSのアルバム「69/96」のリミックスアルバム。9曲目「HEAVY METAL THUNDER」にて参加。

タイアップ

タイアップのあった楽曲

ツアーメンバー

ツアーメンバーの名前、パートなどはほぼすべて当時の表記である。

  • hide FIRST SOLO TOUR '94 『HIDE OUR PSYCHOMMUNITY 〜hideの部屋へようこそ〜』
  • hide solo tour 1996 『PSYENCE A GO GO』
    • hide (VOCAL & GUITAR)
    • PATA (GUITAR) (X JAPAN)
    • KIYOSHI (GUITAR) (media youth)
    • CHIROLYN (BASS) (DEBONAIR)
    • JOE (DRUMS) (ZIGGY)
    • D.I.E. (KEYBORD)
    • I.N.A. (COMPUTER & PERCUSSION)
  • hide with Spread Beaver appear!! 『1998 TRIBAL Ja,Zoo』
    • hide (GTR & Vo)
    • I.N.A. (Computer & Percussion)
    • KIYOSHI (GTR) (MEDIA YOUTH)
    • CHIROLYN (B) (DEBONAIR)
    • JOE (Dr) (ZIGGY)
    • D.I.E. (Key)
    • KAZ (GTR) (OBLIVION DUST)
    • PATA (GTR) (X JAPAN) ※助っ人怪人

使用機材

使用ギター

MG-X

hideはX加入以前のアマチュア時代から長年フェルナンデス(Burny)製のモッキンバードモデル、MG-Xを愛用していた。様々なデザインの物が多数存在するが、ここでは代表的なもののみを紹介する。ちなみにhideの使用するギターのレプリカモデル(値段にして8万円から45万円のもの)がフェルナンデス社から発売(一部を除き生産終了)されている。アーティストモデルとしては彼の生前、死後を問わず過去に例がないほどの驚異的な売れ行きを見せ、ここからもhideというギタリストの人気の高さと影響力を窺い知る事が出来る。

FERNANDES MG-X "ペイント"
  • 黒ボディを元にhide自身がポスカで描いたもの。ピックアップはフロントにディマジオ、リアにEMGのピックアップを搭載している。これにはボディ材にモンキーポッドが使用され(ネックはメイプル)粘りのある中音域をhide自身が気に入っていたようだ。4-6弦にはボディ裏通しのために穴が開けられている。
Burny MG-X "チェリー・サンバースト"
  • hide所有の1959年製ギブソンレスポールのスペックを盛り込んだもの。これはレスポールと同じメイプルトップマホガニーバックボディ、マホガニーネックとし、ピックアップは彼のために開発されたフェルナンデスVH-401にサスティナーを搭載したもの。合計2本が製作され、初号機はネックグリップはUシェイプだったが、2号機はVシェイプに変更されている。ボディ厚は42ミリ。この仕様は少々の変更はあったが彼がこの世を去るまでのMG-Xの最終型となり、それ以降の「イエローハート」、「サイエンス」、「基盤」(全て通称)なども同仕様となっている。
Burny MG-X "イエロー・ハート"
  • 後期のメインギター。1996年の東京ドーム公演で初登場。ネック・グリップはVシェイプを採用。黄色のボディに赤のハート柄というモデルで、主に「紅」、「DAHLIA」などの半音下げチューニングで使用。また色違いとして"グリーン・ハート"も製作され、こちらは「RUSTY NAIL」などのレギュラー・チューニングで使用されていた。

その他

Gibson Les Paul STANDARD
  • 主にレコーディングで使用していたギターで1994年に購入。過去に、モトリー・クルーミック・マーズが所有していた。PATAの所有する59年製レスポールとは型番が数番違いであり、全くの同一またはそれに近い時期に作られたのではないかとの事。このギターを基に、チェリー・サン・バーストなどが製作されている。
Martin D-18
  • アコースティック・ギター。自宅での曲作りやアコギパートのレコーディングなどで使用。「hideがいつでもギターを弾けるように」と、hideと共に棺に納められている。
Burny H CUSTOM "くじら"
  • PATAの所有していたエクスプローラーモデルを弾いたところ、そのサウンドをいたく気に入ったため、同じコリーナ材で製作されたギター。主にレコーディングで使用されていた。PUにトム・ホームズを搭載。
Burny HR-195/REBIRTH
  • "くじら"をベースにhideオリジナルモデルとして製作が進められていたモデル。このモデルの最終調整の打ち合わせ予定日の前日、hideは突然この世を去ってしまった。その後hide MUSEUM設立に合わせて製作されている。その後、木材をホンジュラス・マホガニーへ変更して限定300本で発売された。
FENDER STRATOCASTER LEFF BECK MODEL
FERNANDES JG CUSTOM
Burny H-65 CUSTOM

使用アンプ

  • X 「Jealousy」
ENGL 2×50 TUBE POWER AMP(パワーアンプ)
ENGL 2ch Preamp(プリアンプ)
T.C.ELECTRONIC TC2290(デジタル・ディレイ)
Guyatone FLANGER(フランジャー)
BOSS OD-1(オーバードライブ)
EX-Pro WIRELESS(ワイヤレス)
HIWATT 12×4 SP CABINET W(スピーカーキャビネット、中のスピーカーをセレッションのVINTAGE 30に交換)
DEGITECH WHAMMY(ピッチ・シフター)
  • X JAPAN 「THE LAST LIVE」
VHT Classic(パワー・アンプ)
SANSAMP(プリアンプ)
TONEWORKS(アコーステック・シミュレーター)
DEGITECH GSP-2101(プリアンプ)
HIWATT CUSTOM HAIWATT 100(ヘッド・アンプ)
ENGL SAVAGE 100(ヘッド・アンプ)
HIWATT(キャビネット)
MARSHALL(キャビネット)
DEGITECH WHAMMY 2(ピッチ・シフター)
VOX WAH(ワウ)

関連書籍

  • 遠藤 允「hide「がんばんだぞ」―優しさと、愛と勇気をありがとう」小学館
  • 本郷 陽二 「音楽のヒーローたち hide伝説」
  • 「限界破裂本」シンコーミュージック
  • 「hideDAYS」宝島社
  • 大島暁美「hide BIBLE―OFFICIAL BOOK hideを愛する全ての人へ贈ります」音楽専科社
  • 松本裕士「兄弟 追憶のhide」講談社
  • 「夢と自由」ニッポン放送プロジェクト
  • 荒川正彦「Pink Cloudy Sky―俺とhideと横須賀ロック・ストーリー」メディア・クライス
  • 「HIDE 無言激」音楽専科社
  • 菅野秀夫「hide」扶桑社
  • 「Pinky Promise hide Official Book」インデックス・コミュニケーションズ
  • イエローZ「hide FOREVER FREE 松本秀人の大いなる遺産」衆芸社
  • hide哀悼の会「hide ここにあり記」旭書房
  • 中条 剛「hide 真実のストーリー」ルー出版

関連項目

脚注

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外部リンク

テンプレート:Hide

テンプレート:X JAPAN
  1. ロッキンf97年7月号別冊 Rockin'Talk CAFE(立東社)152p
  2. レモネードカフェ・ごあいさつより
  3. テンプレート:Cite news