火葬
火葬(かそう)とは、葬送の一手段として遺体を焼却することである。また、遺体の焼却を伴う葬儀全体も指す。
火葬を行なう施設や建築物を火葬場と呼ぶ。
目次
火葬後の処理
仏式では、火葬の後の「焼骨」は骨壷に収(拾)骨され、土中に埋蔵(日本の法律では「火葬後焼骨の埋蔵」)されるか、納骨堂等に収蔵されることになる(墓地、埋葬等に関する法律第2条)。したがって火葬は「葬儀の手段の1つ」というよりも、葬儀の1過程であるという考え方もある。または安定化、減容化処理の方法と言うことも出来る。
散骨される場合もあるが、北海道長沼町など、都道府県または市町村の条例により禁止・規制している地域もある。
日本の火葬
火葬は、日本では一般的な死体の処理方法である。
歴史
日本における火葬は仏教と共に伝わったという説が有力とされている。これは釈迦が火葬されたことにちなむ。現代でも「火葬にする」の意味で用いられる言葉として「荼毘に付す」があるが、この荼毘(だび。荼毗とも)は火葬を意味する梵語Jhpetaに由来し、仏教用語である。
『続日本紀』によると、日本で最初に火葬された人は、文武天皇4年(700年)に火葬された僧道昭である。また最初に火葬された天皇は、702年に火葬された持統天皇である。8世紀ごろには普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まった[1]。
ただし、近年ではそれに先行して火葬が行なわれていたことが判明している[1]。古墳の様式のひとつに「かまど塚」「横穴式木芯粘土室」などと呼ばれる様式のものがあり、その中には火葬が行なわれた痕跡があるものが認められる。それらは6世紀後半から出現しており、最古のものは九州で590年±75年の火葬が確認されている。平成26年(2014年)2月、長崎県大村市の弥生時代後期(2世紀ごろ)の竹松遺跡において、長崎県教育委員会の発掘調査により火葬による埋葬と見られる人骨が発見されている。これが検証のうえ認められれば、火葬の歴史はもっと古くから存在することになる[2]。
一方、土葬も廃れていたわけではなく、日本では火葬が広まった後も、土葬が広く用いられていた。仏教徒も含めて、近世までの主流は火葬よりも棺桶を使った土葬であった。儒教の価値観では、身体を傷つけるのは大きな罪であった他、火葬は燃料代がかかり、埋葬地の確保が難しくなる明治になるまで、土葬の方が安上がりだったためとの説がある。遺体という大量の水分を含んだ物質を焼骨に変えるには、大量の薪と、効率よく焼くための技術が求められる。そのため、火葬は費用がかかる葬儀様式であった[1]。一部には鳥葬に代表される曝葬の習慣もあったテンプレート:要出典。
近代に入ると、明治政府は明治6年(1873年)にテンプレート:要出典神仏分離令に関連して火葬禁止令(太政官布告第253号)を布告したが、仏教徒からの反発や衛生面の理由から明治8年(1875年)には禁止令を廃止している[3]。その後火葬技術が進歩したこともあり、近現代の日本では火葬が飛躍的に普及し、ほぼ100%の火葬率である。
一方、明治以降も、天皇、皇后は長年に渡って土葬となっている。2013年時点において、火葬とされた最後の天皇は1617年に崩御した後陽成天皇である[4]。しかし、2012年4月、宮内庁は今上天皇が崩御の際は火葬を希望するとの意向を発表した[5]。2013年11月14日、天皇、皇后の意向を受けて、宮内庁は天皇の葬儀は火葬とすると発表した。皇太子や秋篠宮などの皇室関係者の了承も得ている[4]。
現在
土葬習慣が根強い一部地区の住民、火葬を禁忌する外国人、大規模な災害の後火葬場が使えないときを除いてほとんど全ての遺体は火葬される。その理由としては以下の点が挙げられる。
- 公衆衛生の観点から土葬よりも衛生的であり、伝染病等で死んだ場合はもちろんだが、通常の死亡原因による埋葬であっても、土中の微生物による腐敗では、埋葬地周辺域に長期に亘って腐敗菌が残存するため、衛生上広域な土地を必要とする。
- 無宗教である人が多く、埋葬の方法にこだわりがない。現代の日本では、火葬がごく普遍的なものとなっており、世間体にも無難なものとして受け入れられる。
- 仏教では、仏陀の故事にちなんで火葬が尊ばれており、特に浄土真宗などでは火葬を強く推進してきたという経緯があった。
- 都市に人口が集中しており、その都市部では埋葬(土葬)が条例により禁止されているか、許可されている墓地を確保することが極めて困難であること。
- 墓はイエを単位として考える人が多い。そのため、先祖と同じ墓に入れるようにするため火葬する。
しかし日本においても火葬を忌む場合はある
世界的にみて、イスラームなど、火葬を禁忌とする戒律を有する文化が少なくない(後述#世界における火葬)。近年では国内の日本人・外国人の中でムスリムの人口が増加しており、火葬が主流の日本国内で暮らす彼らは、甲州市など全国に数箇所しかない土葬が可能な施設にあたらなければならない[6]。
法規
日本では、墓地、埋葬等に関する法律第3条の規定により、原則として、死体(もしくは妊娠7か月以上の胎児)は、死後(もしくは死産後)24時間以内は火葬してはならないとされている。(但し、感染症法30条の規定により、同法で定められている疾病、すなわち一類から三類までの感染症や新型インフルエンザ等の感染症による死亡の場合はこの限りではない。該当感染症については感染症法の項および関連法令条文を参照)。また、火葬を行なう場合には、当該死体に係る死亡届等を受理した市町村長の許可が必要であり(墓地、埋葬等に関する法律第5条)、この許可を受けずに火葬した場合には、墓地、埋葬等に関する法律違反となるほか(「罰則」規定同法第21条)、刑法第190条「死体遺棄・死体損壊罪」に問われる可能性もある。
なお、墓地、埋葬等に関する法律では土葬など火葬以外の方法を禁じてはいないが、環境衛生面から行政は火葬を奨励しており、特に東京都(島嶼部以外では八王子市、町田市、国立市など10市2町1村を除く)や大阪府などでは、条例で土葬を禁止している。
皇族の火葬
近世後期以降、皇族の埋葬方法は基本的に土葬であるものの、平安時代前期から近世前期にかけては、天皇、皇族の埋葬方法は仏教の影響からむしろ火葬が主流であった。巨大な陵(墓)を築き土葬する古代様式に復されたのは奥八兵衛の逸話に見て取れるように、幕末期に崩御した孝明天皇以降である。土葬は神道の風習であり、テンプレート:要出典。現在でも天皇、皇族の埋葬方法は基本的に土葬だが、皇后を除く皇族は、本人の希望で近年火葬される例が増えている。
2012年4月26日、宮内庁は、天皇や皇后が崩御した際の埋葬方法を、今上天皇および皇后の意向により旧来の土葬から火葬に変える方針で検討すると発表した。天皇と皇后を一緒に埋葬する合葬も視野にいれ検討される。実現すれば江戸時代初期から350年以上続いてきた天皇の埋葬方法が大きく変わることになる[7]。
火葬による問題
火葬のにおい
人が焼けるときのにおいには、その個体により強弱があるという。インドで神のように崇められた賢者が火葬にされた際には、村中に悪臭が漂って何日も消えなかったという伝説がある。また、人の心理的な原因により火葬のにおいに対する感じ方は大きく左右される。インドやネパールのように露天で薪を使った火葬では、実際には木が焼けるにおいのほうが強く、人体が焼ける臭いは隠蔽されるのが普通だが、人を焼くという非日常的な印象や死に対する嫌悪感などから、それをいやなにおいと錯覚する場合が多い[8]。
遺灰に残留した貴金属
火葬されたあとの遺灰には歯の治療や人工骨などで使われた金、銀、パラジウムなどの貴金属が含まれる。 これを回収することで名古屋市は1000万円、東京都は300万円の収益を得ている。このような処理については遺族には知らされておらず、無断で行われている。これに対して一部の市民団体などからは死体を換金するのは不敬であるとして抗議の声がおきている。[9]
諸宗教の火葬
ヒンドゥー教
仏教と関係が深いヒンドゥー教でも、最も多い葬送手段は火葬である。通常、遺体は棺桶に入れず、布でくるまれる。火葬は火葬場か墓地でされるが、いずれにしても屋外で、薪(火葬用のもの)で焼かれる。遺骨は川に散骨する。水葬同様、ガンジス川の人気が高い。仏陀の教えにしたがっていえば、火葬は、遺骸を火によって速やかに毀損せしめることで、死んだ直後の霊魂による自らの肉体への未練を断ち切るとともに、立ち昇る煙とともに霊魂を天上界に送ることで成仏を促す行為であるという。もっとも現代の日本においては、火葬場特有の高い煙突から立ち昇る、悪臭を伴う煙が近隣住民から疎まれるため、建屋外への煙突を有さずに煙も出さない最新型の火葬炉を設置する火葬場が多くなってきている。
インドでは変死人(病死、交通事故死などを含む)と幼児は水葬にする。「変死人と幼児は、己の生命を全うしなかったために回生の機会を与えられない」という理由による。このため火葬者の遺族は死者をあまり嘆かないが、焼かずに川に流されるものの遺族は、しばしば狂ったように泣くという[8]。火葬に要する時間はおよそ30分である。骨を拾う習慣はなく、灰となった遺骸はそのまま川へ流される。
しかし、世界的に見れば火葬は必ずしも普通の習慣ではない[10]。
儒教
儒教では火葬は身体の毀損行為であり、中国の歴代王朝の法典においても禁止が明記されている[11]。
ただ、儒教の国といわれる大韓民国では火葬が増えている。これは、日本同様狭い国土に人口が急増し、ソウル首都圏など大都市で土葬を行うための土地を確保できなくなっていることが理由となっている。このため、大都市部での土葬は、宗教指導者など一部の人に限られており、近年では2009年2月に死去した韓国人初のキリスト教枢機卿・金壽煥、同年8月に死去した元大統領・金大中の例があるくらいである。
ユダヤ教・イスラム教
ユダヤ教、イスラームでは、死者の復活の教義を持ち、この際もとの体が必要と考えられているため、火葬への禁忌が強い。イスラム教では火葬を晒し首などと同じ処刑後の死者への追加刑罰と考えることもあり、イランなどでは処刑された犯罪者は火葬される。
キリスト教
キリスト教では伝統的に火葬に否定的な見解があるが、日本においては必ずしも採用されている見解ではない。
正教会[12]、カトリック教会[13]、聖公会[14]、プロテスタント[15][16]のいずれの教派の信徒も、他国では通常土葬されることが多いが、日本においては火葬されることが一般的である[17]。
ローレン・ベットナーは『不死』でヨシュア記7:25-26、第一サムエル31:10-13から火葬が「のろわれた者」に対するものであったとして火葬に反対しているが、この本を日本語に翻訳した尾山令仁は異なる見解をとっている[18]。
アメリカ合衆国での火葬率は、プロテスタント保守派の間で禁忌が強いこともあり20%強にとどまるといわれるものの、同じキリスト教圏にあるイギリスをはじめとする国々の多くでは、いずれも70%程度の火葬率である。昔に比べれば、近年は火葬に対する忌避感は薄れており、教会に火葬場が併設されている事例も増えている。
ソ連崩壊後のロシア連邦において、伝統的に土葬を行ってきた正教徒であっても経済的な理由から火葬にするケースがあることにも示されているように、(ロシア正教会に限らず全世界の)正教会でも火葬が禁止されている訳ではない[17]。ただし土葬に比べて火葬の比率は低いものにとどまっている[12]。
用地問題の火葬による解消
火葬が増えている国のほとんどは、人口が急増する一方で、狭い国土故に土葬するための土地を十分に確保できないという現実的な問題に直面している場合である。宗教に限らなければ、もともと火葬を習慣としているインドなども現在10億人以上の人口を抱えていることから、似たような問題を抱えているといえる。
出典
参考文献
- 勝田至『死者たちの中世』、吉川弘文館、2003年7月。ISBN 4-642-07920-3
- 上高津貝塚ふるさと歴史の広場編『火葬と古代社会-死をめぐる文化の受容(上高津貝塚ふるさと歴史の広場第11回特別展)』、上高津貝塚ふるさと歴史の広場、2006年3月。
- 島崎昭『火葬概論』5訂版、日本環境斎苑協会、2007年4月。
- 横田睦「お骨のゆくえ」(平凡社新書/平成12年)
- 長谷川章『ドイツ近代建築の研究 : 近代における火葬の歴史とクレマトリウム建築の成立(建築歴史・意匠) 』日本建築学界関東支部研究報告集2、2007年
関連項目
外部リンク
テンプレート:葬制テンプレート:Link GA- ↑ 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 8.0 8.1 藤原新也『インド放浪』(朝日新聞出版)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ Cremation Society of G.B. - International Cremation Statistics 2005
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ 12.0 12.1 葬送の自由をすすめる会-海外葬送事情 ロシア 山崎瞳(2011年3月26日時点のアーカイブ)
- ↑ カトリック堺教会・「臨終からお通夜・葬儀」
- ↑ 前橋聖マッテア教会Q&Aテンプレート:リンク切れ
- ↑ 日本キリスト教団 蒲田教会(2012年1月21日時点のアーカイブ)
- ↑ 日本キリスト教会出版局
- ↑ 17.0 17.1 教派いろいろ対照表(2012年3月2日時点のアーカイブ)
- ↑ テンプレート:Cite book