2世紀
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2世紀(にせいき)とは、西暦101年から西暦200年までの100年間を指す。
できごと
- 2世紀初頭 - 日本で石器が消滅し、鉄器が普及する(弥生時代後期)。
- 2世紀初頭 - ペルーでナスカ文化がおこる。
- 2世紀初頭 - ティオティワカンの都市設計が行われる。
- 「月のピラミッド」「太陽のピラミッド」「死者の通り」が建設される。
- 101年頃 - カンボジアで扶南が建国される。
- 105年 - 後漢の蔡倫が製紙法を改良する。
- 106年 - ローマ皇帝トラヤヌスがダキアを征服し属州とする。
- 107年 - 倭国王帥升ら、後漢の安帝に生口160人を献上する。
- 117年 - ローマ皇帝トラヤヌスがパルティアに遠征し、ローマが最大版図となる。
- 122年 - ハドリアヌスの長城が着工される。
- 130年頃 - インドのクシャーナ朝でカニシカ王が即位する(- 170年ごろ)。
- 135年 - ローマ帝国がユダヤ人の蜂起を鎮圧(バル・コクバの乱)。
- エルサレムは「アエリア・カピトリナ」と名前を変えられ、ユダヤ人の立ち入りが禁止された(ディアスポラ)。
- 142年 - アントニヌスの長城が着工される。
- 147年頃 - 倭国大乱(- 189年ごろ)
- 156年 - 鮮卑の檀石槐が北匈奴を破り、モンゴル高原を統一する。
- 166年 - 後漢で党錮の禁が起こり、宦官が儒学派の官僚を弾圧する。
- 166年 - 日南郡(後漢)に大秦王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニヌス)の使者が到着。
- 184年 - 後漢で黄巾の乱が起こる。
- 184年頃 - 倭国乱れ、互いに攻伐しあい(倭国大乱)、長い間盟主なし、と伝える(『魏志倭人伝』)。
- 192年 - 後漢で権勢を振るっていた董卓、呂布に殺される。
- また、同じく日南郡の区連が蜂起し、独立して林邑(チャンパ王国)を建国。
- 192年 - ローマ皇帝コンモドゥスが暗殺されアントニヌス朝は断絶。
- 193年 - セプティミウス・セウェルスがローマ皇帝となる。
- 200年 - 官渡の戦いで曹操が袁紹に勝利する。
文化
105年 - 後漢の蔡倫が製紙法を改良する。
人物
地中海世界
- トラヤヌス(53年 - 117年) - ローマ皇帝(五賢帝の2人目)(在位98年 - 117年)・ローマ帝国の最大版図を実現した
- ハドリアヌス(76年 - 138年) - ローマ皇帝(五賢帝の3人目)(在位117年 - 138年)・先帝の領土拡大政策を放棄する
- アントニヌス・ピウス(86年 - 161年) - ローマ皇帝(五賢帝の4人目)(在位138年 - 161年)・先帝と同じく国内安定政策を継承
- マルクス・アウレリウス(121年 - 180年) - ローマ皇帝(五賢帝の最後)(在位161年 - 180年)・哲学者として『自省録』を残す
- コンモドゥス(161年 - 192年) - ローマ皇帝(在位180年 - 192年)・マルクス・アウレリウスの子・暗殺され血統は断絶
- セプティミウス・セウェルス(146年 - 211年) - ローマ皇帝(在位193年 - 211年)・セウェルス朝の創始者
- シメオン(? - 107年) - キリスト教の2代目エルサレム主教・イエスの従兄弟・トラヤヌス帝の治世に迫害で殉教したか
- デケバルス(? - 106年) - ダキア族の王(在位87年 - 106年)・トラヤヌスとのダキア戦争で敗北し自殺
- プルタルコス(46年/48年頃 - 127年頃) - ローマ帝国のギリシア語著述家・著作に『対比列伝(英雄伝)』などがある
- エピクテトス(55年 - 135年) - ローマ帝国のギリシア語著述家・もとは奴隷だったが解放されストア派哲学者となる
- タキトゥス(55年頃 - 120年頃) - ローマ帝国の政治家・歴史家・『ゲルマニア』や『同時代史』を著す
- アッリアノス(2世紀前半) - ローマ帝国のギリシア語著述家・政治家・歴史家として『アレクサンドロス東征記』を著す
- ユウェナリス(60年 - 130年) - ローマ帝国の風刺詩人・弁護士・『風刺詩集(サトゥラェ)』の著者
- バル・コクバ(? - 135年) - 属州ユダヤでバル・コクバの乱を指揮した革命指導者・ラビ・アキバに救世主(メシア)とされる
- ユリウス・セウェルス(2世紀半ば) - ローマ帝国の政治家・ハドリアヌスの長城を建設しバル・コクバの乱を鎮圧
- ポリュカルポス(69年頃 - 155年頃) - キリスト教神学者・属州アシアのスミルナの主教・殉教者として死ぬ
- スエトニウス(70年頃 - 140年頃) - ローマ帝国の歴史家・政治家・『皇帝伝』の著者
- クラウディオス・プトレマイオス(83年頃 - 168年頃) - ローマ帝国の天文学者・数学者・地理学者・『アルマゲスト』の著者
- バシレイデス(85年頃 - 145年頃) - 初期グノーシス主義の教師・バシレイデス派の祖
- ユスティノス(100年? - 162年?) - キリスト教神学者・ギリシア哲学の概念を用い護教家として『第一弁明』『第二弁明』を執筆
- マルキオン(100年? - 160年?) - ローマで活躍した属州アシアのシノペ出身のキリスト教徒・その教説は異端とされる
- パウサニアス(115年頃 - 180年頃) - ローマ帝国のギリシア語著述家・旅行家・地理学者として『ギリシア案内記』を著す
- ルキアノス(120年頃 - 180年以後) - ローマ帝国のギリシア語著述家・著作に『本当の話』『神々の対話』などがある
- アプレイウス(123年頃 - ?) - 属州アフリカ・マダウロス出身のラテン語著述家・『変身物語(黄金のロバ)』の作者
- アテナイオス(? - 192年以降) - 属州エジプト・ナウクラティス出身のギリシア語著述家・『食卓の賢人たち』の作者
- アルテミドロス(生没年不詳) - 属州アシア・エフェソス出身のギリシア語著述家・『夢判断の書』『鳥占い』『手相占い』がある
- ガレノス(129年頃 - 200年頃) - ローマ帝国の医師・その学説は以後1000年以上にわたりヨーロッパで尊重された
- エイレナイオス(130年頃 - 202年) - キリスト教神学者(護教家)・属州ガリアのリヨンの司教・『異端反駁』の著者
- ガイウス(130年頃 - 180年頃) - ローマ帝国の法学者で『法学提要』の著者
- アエミリウス・パピニアヌス(150年頃 - 212年) - ローマ帝国の法学者で『定義録』『解答録』の著者
- セクストス・エンペイリコス(160年頃 - 210年頃) - 哲学者・医師・『ピュロン主義哲学の概要』で古典古代の懐疑論を大成する
- ロンゴス(2世紀 - 3世紀) - ローマ帝国のギリシア語著作家・レスボス島を舞台とした恋愛小説『ダフニスとクロエ』を残す
パルティア
インド
- ガウタミープトラ・シャータカルニ(生没年不詳) - サータヴァーハナ朝の君主(在位106年頃 - 130年頃)・王朝の最盛期を現出
- カニシカ1世(生没年不詳) - クシャーナ朝の第4代君主(在位2世紀半ば)・仏教やその他の宗教を保護し王朝の最盛期を現出
- アシュヴァゴーシャ(馬鳴)(80年頃 - 150年頃) - クシャーナ朝の仏教僧侶・カニシカ1世に近侍・『ブッダ・チャリタ』の著者
東アジア
後漢
- 鄧隲(? - 121年) - 後漢の政治家・妹は鄧太后(和帝皇后)・鄧太后の死に伴う安帝の親政で一族は滅ぼされる
- 蔡倫(50年? - 121年?) - 後漢の宦官・従来の製紙法を改良して作った「蔡侯紙」を和帝に献上する
- 楊震(52年 - 124年) - 後漢の政治家・「関西の孔子」・諫言が疎まれ讒言で自決・弘農楊氏「四世三公」の祖
- 許慎(58年? - 147年?) - 後漢の儒学者・文字学者・最古の漢字字典『説文解字』の著者
- 張衡(78年 - 139年) - 後漢の政治家・天文学者・数学者・地理学者・渾天儀や地動儀を発明
- 馬融(79年 - 166年) - 後漢の学者・政治家・訓詁学の立場から経書に注釈をほどこす・鄭玄は弟子
- 曹騰(生没年不詳) - 後漢の宦官・大長秋・順帝から質帝に仕え宮中を支配・曹操の義理の祖父
- 梁冀(? - 159年) - 後漢の政治家・外戚として順帝から桓帝までの政治を壟断し「跋扈将軍」と呼ばれる
- 安世高(生没年不詳) - 後漢に西域から渡来した訳経僧・パルティアの王子とされる・諸国を遊歴して洛陽に来訪
- 李膺(? - 169年) - 後漢の官僚・将軍・宦官の専権に対抗し名声を得たが党錮の禁で処刑される
- 鄭玄(127年 - 200年) - 後漢末の学者・官吏・馬融の弟子・党錮の禁以後は著述に専念
- 魏伯陽(生没年不詳) - 後漢末の道士・最古の煉丹術の著作『周易参同契』を著す
- 張角(? - 184年) - 後漢末の宗教家・太平道の教祖・黄巾の乱を起こす
- 張陵(生没年不詳) - 後漢末の宗教家・五斗米道(天師道)の教祖・現在も残る正一教の遠祖
- 皇甫嵩(? - 195年) - 後漢末の将軍・黄巾の乱を鎮圧・董卓と対立するが屈服する
- 蔡邕(132年/133年 - 192年) - 後漢末の政治家・儒者・書家として熹平石経の揮毫で知られる
- 張譲(135年? - 189年) - 後漢末の宦官・十常侍として宮廷で権力を握るが袁紹に粛清される
- 董卓(? - 192年) - 後漢末の武将・政治家・少帝を廃位し献帝を擁立して長安に遷都するなど専権を極める
- 呂布(? - 198年) - 後漢末の武将・群雄の一人・董卓に重用され養子になる・後に裏切り董卓を暗殺
- 王允(137年 - 192年) - 後漢末の政治家・呂布と共謀して董卓を殺害する・董卓の部下に殺害された
- 華佗(? - 208年) - 後漢末の医師・薬学や鍼灸に才能を持ち曹操に侍医として仕える
- 張仲景(150年? - 219年) - 後漢末の官僚・医師として『傷寒論』『金匱要略方論』を著す
- 袁紹(154年以前? - 202年) - 後漢末の武将・政治家・宮廷の宦官勢力を殲滅・官渡の戦いで曹操に敗北
- 曹操(155年 - 220年) - 後漢末の豪族・献帝を擁立して丞相となり魏の基礎を築く(追号は武帝)
鮮卑
- 檀石槐(生没年不詳) - 鮮卑族の大人(部族長)・勢力の衰えた匈奴に代わりモンゴル高原を統一・後漢の懐柔策を拒否し翻弄する
日本
- 帥升(生没年不詳) - 中国の史書(『後漢書』)に記載された固有名を持つ最古の日本人
- 卑弥呼(170年頃 - 248年頃) - 邪馬台国の女王(在位188年頃 - 248年頃)・倭国大乱の後に女王に推戴される
10年紀と各年
100年代 | 100 | 101 | 102 | 103 | 104 | 105 | 106 | 107 | 108 | 109 |
110年代 | 110 | 111 | 112 | 113 | 114 | 115 | 116 | 117 | 118 | 119 |
120年代 | 120 | 121 | 122 | 123 | 124 | 125 | 126 | 127 | 128 | 129 |
130年代 | 130 | 131 | 132 | 133 | 134 | 135 | 136 | 137 | 138 | 139 |
140年代 | 140 | 141 | 142 | 143 | 144 | 145 | 146 | 147 | 148 | 149 |
150年代 | 150 | 151 | 152 | 153 | 154 | 155 | 156 | 157 | 158 | 159 |
160年代 | 160 | 161 | 162 | 163 | 164 | 165 | 166 | 167 | 168 | 169 |
170年代 | 170 | 171 | 172 | 173 | 174 | 175 | 176 | 177 | 178 | 179 |
180年代 | 180 | 181 | 182 | 183 | 184 | 185 | 186 | 187 | 188 | 189 |
190年代 | 190 | 191 | 192 | 193 | 194 | 195 | 196 | 197 | 198 | 199 |
200年代 | 200 | 201 | 202 | 203 | 204 | 205 | 206 | 207 | 208 | 209 |
</table>