張陵
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テンプレート:Infobox Taoist 張 陵(ちょう りょう、生没年不詳)は、中国における原始道教の一派である、五斗米道(天師道)の開祖。字は輔漢。張翳(字は大順)の子。妻は雍氏(または孫氏)。弟は張道聖、張道宏。子は張衡(張修?)、張権(または張機、張機仲景とは別人、妻は王氏)。娘は張文姫(字は文姫、名は不詳)、張文光(字は文光、名は不詳)、張賢(字は賢姫)、張芝(字は芳芝)。孫は張魯、張衛、張愧(字は公仁)、張徴。孫娘は張玉蘭(張衡の娘)。
伝承
沛国豊県(江蘇省豊県)の人とされるが、その伝歴には不明な点が多い。また、張 道陵(ちょう どうりょう)という別称もあるが、後世の付会であろうとされる。
桓帝の治世下の時代に生まれ、大学に学び広く五経に通じていた。晩年になって蜀(四川省)へ行き、鶴鳴山(鵠鳴山)に入り、「仙道」を学び、「道書」24編を撰したという。後に青城山に赴き、123歳で没したという。
彼の教法の中心は、祈祷を主体とした治病であり、信者に5斗(日本の5升=9リットル)の米を供出させたことから、五斗米道という呼称が生まれた。
張陵の伝記は、晋の葛洪の手になる『神仙伝』に詳説されているが、多分に潤色を加えられた形跡があり、彼よりも後世の五斗米道の教説も混入している。
その教団は、子の張衡、孫の張魯へと伝わり、広まった。張陵を尊称して「天師」と呼び、子孫は龍虎山へと移住し、道教中の一派である正一教となった。