ヴィジュアル系

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テンプレート:Redirect テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox Music genre ヴィジュアル系(ヴィジュアルけい)は、日本ロックバンド及びミュージシャンの様式の一つ。「ビジュアル系」とも表記され、「V系」(ブイけい)とも呼称される。派手な化粧や髪型、衣装などの外見が特徴。

概要

「ヴィジュアル系」という呼称は、初期のX(後のX JAPAN)がバンドのコピーとして使っていた「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」[1][2]に起源があり、1990年の創刊時から「VISUAL & HARD SHOCK MAGAZINE」と銘打っていた音楽雑誌「SHOXX」の当時の編集長星子誠一が1992年頃から、化粧系のバンドを「ビジュアルショック系」と言い始め、後に短縮され「ビジュアル系」になった。同誌がこの名称を付けるまでは化粧系のバンドを指し示す明確な言葉はなく、「お化粧系」「髪立て系」などと呼ばれていた。

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1997年、SHAZNAのブレイク期に一般にも定着するようになり、「新語・流行語」[3]化。そののち、音楽分野に限定せず男性についても使われるようになった。また『日本俗語大辞典』では、谷恒生の作品である『闇呪』の文章を引用し、男性ではなく少女に対しての使用例を挙げている[4]。なお、この語はフランスなどの国外においても「ビジュアルケイ」で通用する言葉となっている[5]

傾向・特徴

音楽的な特徴

いずれもロックバンドであり、ハードロックを基本としたヘヴィメタル及びポップロックが主流である。

黎明期のバンドには、エクスタシー系X JAPANLUNA SEAZI:KILLなど、ヘヴィメタルやハードロックを基礎にゴスニューロマンティックに多い耽美で退廃的な歌詞を載せて歌っているバンドや、フリーウィルレーベルを中心としたCOLORかまいたち等の反抗的で反社会的な歌詞を含むパンク系とそれぞれが一定の勢力を保っていた。

1990年代中後期に増えたバンドには黒夢LUNA SEAからの影響を受けた者が多く、その後、21世紀に入ってからはムード歌謡ミクスチャー・ロックなどの音楽要素を含むスタイルが流行した。 2000年代後半~2010年代に入るとVersaillesNoGoD摩天楼オペラ、DELUHIなど元々メタルバンドに参加していた経歴を持つメンバーで構成されたバンドがヴィジュアル系シーンに参入し、世界観だけではなく自分達の高い演奏技術を楽曲に多く取り入れるバンドが現れた。

歌詞の傾向としては「内省的」「自虐的」「攻撃的」なものが多かった。政治批判など外を向いた主張は少なく、より身近なものに対する反発や悲恋歌が主であり、基本は暗く陰湿なものが王道と解釈されていた。しかし、1997年に歌謡曲のカバーでヒットしたSHAZNAによって世間一般のもつビジュアル系という認識が従来のイメージとはかけ離れた色物的な集団として捉えられた。2001年にはcali≠gariなどの昭和歌謡的メロディや独特の言葉遊びの歌詞を特徴とするバンドが出現し、大きなセールスにはつながらなかったがのちに多くのフォロワーを生み出した。2006年は歌詞・音楽ともに王道と言われた傾向は影を潜めている。なお、1990年代流行時のビジュアル系バンドの中には、何故か暗黙の了解として「下ネタ禁止」というものもあったが、これについては黎明期のビジュアル系バンドとの相違点として指摘する者も少なくない。ただし、DIR EN GREYのように官能美を楽曲のテーマに取り入れるバンドもあった。 Janne Da Arcなどは一部楽曲で官能的な表現を使うことがあるが、あくまで女性視点からの作詞で、下品に聞こえないようにされている。

テンプレート:要出典本来、ひとりの人間が好む曲調はある程度の幅に収まるはずであるがX JAPANは「Silent Jealousy」のような攻撃的・高速の曲から「Say Anything」のようなバラードまで発表しており、ファンもそれを受け入れている。それはX JAPANがその外見と共にサウンドもブランドとして確立した証拠であるとしている[6]

外見的な特徴

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ヴィジュアル系バンド(MALICE MIZER)のコスプレ

ヴィジュアル系バンドのファッションは時代に合わせて様変わりしている。

1980年代後期の黎明期から1990年代初頭までは、80年代から活動しているアメリカのポイズンウォレントなどの「ヘア・メタル」や従来のロックファッションに影響を受けたような、腰ほどまでの長さの髪を金や赤などの色に染めて逆立てた髪型や、濃い化粧などが多かった。初めて赤や青に髪を染め総立てにしたのがCOLOR、髪を横に流して総立てにしたのがDEAD END、髪を真ん中で分けバンダナを巻き総立てにしたのがかまいたちであった。現在は、80年代当時のファッションはすでに廃れたものとして認識されている。

1990年代に入って、X JAPANYOSHIKIがバンドにピアノを取り入れたのと同時に女性的なドレスを纏った事から、中世的・女性的な化粧や耽美的で倒錯的なイメージのものが浸透し始める。同時期に男性的でヴァイオレンスなライブを繰り広げていたCOLORがライヴ中の将棋倒しが原因でファンが死亡するという事故を起こし社会的批判に晒された為、彼らのフォロワーが現れなかったのも、ヴィジュアル系が女性的になっていくのを加速した。

以降、ポジティブパンクからの影響かゴシックよりの勢力も現れ、耽美的でダークなイメージのもの、その逆にポップなもの、色物的なものなども増えるが、それらの派生も他との差別化を図るためであったり、目立つためといった目的のものであった。しかし、その後登場したMALICE MIZERによって、単純にファッションとしての役割ではなく、そのバンドの持つ世界観を表現するという価値観が生まれた。ヴィジュアル系が一般に流行した1990年代中後期にはさらに様式が派生した。そして、この頃になると大きな事務所がバックに付いているバンドでは、オーダーメイドの特注衣装を纏うことも珍しくはなくなってくる。

ヴィジュアル系ブームが去った21世紀以降はその多様性も薄れてしまい、その多くは自己主張のためと言うよりもシーンの中での流行を追うだけのような状態になる。例外的にcali≠gariPsycho le Cemuがファッションで人気を博したが、後に続くようなバンドは出ていない。baroqueのようにポップでファッショナブルな衣装で活動するバンドの台頭もあり、一時期そのスタイルが流行となったが、その後は見る者の恐怖感を煽るようなメイクのバンドが台頭した。

メジャー・デビューやブレイクしたのをきっかけにそれ以後メイクが薄くなり、衣装もラフなものに変化していくバンドが少なくなく、それによってファンから「一般に媚びている」と顰蹙を買うことがしばしばあった。 これに対して「より多くの人に偏見無く聴いてもらうため」と語るバンドもいるにはいたが、大概はただ単にやりたい音楽が変わったとか、面倒臭くなったか、それとも、より音楽に集中するために邪魔になったという動機で語られることが多かった。

ZIGZOは初期から化粧をしていなかったため硬派ヴィジュアル系と呼ばれていた。ステージングが非常に重要視されるジャンルでもあり、メンバー全員がライヴで定位置に立ったまま動かないで演奏するバンドは僅かである。中には寸劇を組み込んだりMALICE MIZERのように楽器を持たずに踊る楽曲を持つバンドもあった。

ファンの特徴

ルックス重視で男性のみの構成であるバンドが多いため、ファンは10代から20代前半の若い女性が大半を占めている。ファンの中には、バンドの雰囲気に沿った独特の服装(パンクゴシックロリータゴスロリ、デコラ、バンドメンバーのコスプレなど)をする者がしばしば見受けられる。 中には黒夢のようにポップスからは遠ざかりパンク路線へとシフトして、男性ファンを増やすこともあれば、GLAYのようにキャッチーな歌謡ロックや、別ジャンルのユニットとコラボレーションなどでファン層を広げるバンド、DIR EN GREYのように一定の人気を得てから、ひたすらにディープでマニアックな路線を突き進み、よりコアなファンを獲得していくバンドもあった。

ヴィジュアル系バンドのファンの男性をギャ男、女性をバンギャルという。

ヴィジュアル系の歴史

ヴィジュアル系黎明期

1970年代後期、沢田研二のメディアへの露出と忌野清志郎などの出現で、日本のミュージックシーンにおける「男性の化粧」は徐々に容認されつつあった。その影響下から、本田恭章のようなジャニーズ系のアイドルとは異なるキレイ系のアイドルをはじめとして、1980年代初期から中期にかけてマルコシアス・バンプ一風堂すかんち、あるいはAUTO-MODマダムエドワルダPHAIDIAらゴシック・ポジティブパンク系のバンドも登場。一方、インディーズのハードロック/ヘヴィメタルシーンでは、X JAPANCOLORといったバンドが、ほぼ同時期に関東と関西で活動を始めた。彼らの活動内容は、自らインディーズレーベルを設立、音源の無料配布ギグ、メディアへの宣伝広告の掲載等のプロモーションを展開するなど、後のインディーズシーンでの主流となった。

この両バンドは交流があったが、実際の表現はメタル系とパンク系、音楽性重視と精神性重視と相反するものであった。当時はこの現象を以って「東のX、西のCOLOR」「東のYOSHIKI、西のダイナマイト・トミー」、東のエクスタシー、西のフリーウィルと言われた。これ以降、彼らの活動を参考に、ミュージシャンが自身のレーベルを設立するようになる。

バンドブームとヴィジュアル系

1990年には、バンドブームの終息の一方でヴィジュアル系専門誌SHOXXが創刊される。1992年にはLUNA SEAが、1994年には黒夢がメジャーデビューした。 ハードロックやビートロック、ヘヴィメタルのバンドとして活動していたものでも、当時はこれらのジャンルがヴィジュアル系の隆盛に押される形で人気が下火となり、流行に応じた当人の意思や、或いは所属事務所やレコード会社などによる販売戦略、商業的な要求などの要因により、音楽性も含めて、形態の移行をせざるを得ない状況に追い込まれていったと見られるケースもある。一方でヒットしたバンドの中でも、その後は化粧の濃さなどヴィジュアル系としての特徴が薄れていったものが多い。そこには元々の純粋なロックバンド、メタルバンドなどへの回帰、パンクなどへの方向転換、よりロック色を出す為といった音楽の方向性の変化による理由が一般的である。

1996年には、インディーズバンドを紹介する音楽番組「Break Out」の放送が始まる。後にヴィジュアル四天王と呼ばれるLa'cryma ChristiFANATIC◇CRISISSHAZNAは、この番組に出演した後にメジャーデビューに至る。SHAZNAはメジャーデビューシングル「Melty Love」を累計88万枚、2ndシングル「すみれ September Love」を累計65万枚を売り上げ、1997年の日本有線大賞最優秀新人賞。同じくヴィジュアル四天王MALICE MIZERであったGacktや、ギターのManaらは、バンドが解散した現在も精力的に活動している。またeast west japanに移籍したPENICILLINロマンスを累計90万枚売り上げた。アリーナやドームクラスの会場でワンマンライヴをするバンドも現れ、PIERROTはメジャーデビューから日本武道館西武ドームでのワンマンライブに至るまでの当時の最短記録を更新した。DIR EN GREYはインディーズ期から2013年現在までリリースするシングル、アルバムともに全てオリコンチャートTop10入りしている。

2000年代のヴィジュアル系

バンドブーム以降、日本において一般のロックに置いても言える事だがヴィジュアル系は往時と比べるとややマニアックな存在となり、メジャー音楽番組などでは見られなくなっていた。しかし、ナイトメア雅-miyavi-the GazettEAlice Nineや元々バンドのヴォーカルでもあったお笑いタレント田村淳が結成したjealkbなど、若いファンを多く獲得してゆくアーティストも登場した。そのほか、シドLM.Cアンティック-珈琲店-vistlipPlastic Treeなどがデビュー。また、1990年代に活動休止した、SHAZNASIAM SHADE黒夢などが期間限定で復活・活動再開をしている。

メジャー・レーベルより作品を発売するバンドが増え、DIR EN GREYギルガメッシュD'espairsRayなどがDOWNLOAD FESTIVALWACKEN OPEN AIRLOUD PARK 06などでライヴを行う。

ネオ・ヴィジュアル系の流行

2006年6月、オリコンは、再燃したブームの牽引役となった若手バンドを指して「ネオ・ヴィジュアル系」と定義し、ネオ・ヴィジュアル系の現況を、専門誌『SHOXX』へ取材し以下のように報道した[7]

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オリコンの報道によれば、ネオ・ヴィジュアル系をサウンドの視点から論じること自体が不毛であることが伺える。それでもなおサウンドの特徴を探るのであれば、90年代に活躍したX JAPANLUNA SEAなどのヴィジュアル系バンドからの影響が見受けられなくもない。

しかしながら、オリコンの指摘どおり、ネオ・ヴィジュアル系のネオ・ヴィジュアル系たるゆえんはルックスの良さがまず先である。ヒットチャートの上位を席捲しネオ・ヴィジュアル系と呼ばれたthe GazettEナイトメアAlice Nineシドなどの若手バンドは、よりアイドル的な盛り上がりを意識したファッショナブルな化粧と衣裳(のアーティスト写真)で人気を博した。そこにはヴィジュアル的な点で気に入られるかどうかという徹底してファンを意識した商業的戦略が伺えた。

ネオ・ヴィジュアル系シーンもまた他の音楽シーンと同様にCD不況に苦しめられていた。レコード会社は一般的に、シングルCDを制作するために原盤制作費および宣伝費などを含めて100万円前後の予算を組む(メジャー・レーベルによるフルアルバムの原盤制作ともなれば、1000万円もの費用が生ずる[8])。そしてシングルCDを一枚1000円から1500円で販売し、アルバムCDは3000円から4000円で販売し、費やした制作費を回収して利益を得るために大変な労力を割かねばならない。対して、ネオ・ヴィジュアル系およびその周辺の若手バンドは、自主制作CDおよびグッズならびにライブチケットなどの販売不振を補うための有力な収益源を新たに開発した。インスタントカメラ・チェキで撮影したポラロイド写真を一枚1000円程度の売価で売り始めたのである。チェキ一枚にかかる製造原価は100円以下であり、単にレコード会社がCDを制作して販売するよりもよほど利益率のよいビジネスモデルを構築したといえる。需要と供給が一致した結果、ネオ・ヴィジュアル系バンドの物品販売ではCDよりもポラロイド写真のほうが売れるという状況が生み出された。

また、オリコンが指摘しているとおり、ネオ・ヴィジュアル系バンドによるブームの再燃は、ヴィジュアル系の専門媒体、専門レコード店、V箱(ぶいばこ)と呼ばれる専門ライブハウスなどでのムーブメントに終始し、一般の聴取者へと裾野を広げられるものではなかったことも否定できない。

ネオ・ヴィジュアル系の衰退

2002年からの胎動、2004年からの再燃を経て、若手バンドらにより牽引されたネオ・ヴィジュアル系のブームは、2009年の秋冬を境に再び衰退の道へと入っていった。

日本のレコード会社の最大手三社であるソニー・ミュージックエイベックスユニバーサルミュージックのうち、エイベックスからはDメガマソが、ユニバーサルミュージックからは宇宙戦隊NOIZD'espairsRayが、ネオ・ヴィジュアル系ブームが衰退し始めた時期に相次いでメジャー・デビューした。

これは、レコード会社がアーティストをメジャー・デビューさせるためには、制作および編成の都合上、ゆうに一年以上の時間がかかってしまうというレコード業界の一般的な問題に起因する。レコード会社がブームの絶頂期にバンドのメジャー・デビューを企図してから、実際にメジャー・デビューが果たされるころにはすでにブームが衰退しかけていた。

Dはオリコンチャートの最高順位をファーストアルバム『Genetic World』の11位からセカンドアルバム『7th ROSE』で37位に下げ、メガマソはファーストアルバム『M of Beauty』の最高順位が76位となり、宇宙戦隊NOIZはファーストアルバム『GREAT ROCK'N' ROLL HEROES』 がベスト盤でありながらも最高順位を158位(その後のシングル『BRAND NEW WORLD』は最高順位117位)に留め、D'espairsRayはファーストアルバム『REDEEMER』が最高順位39位であった。宇宙戦隊NOIZは、その後再びインディーズ・レーベルへ移籍している。

2009年10月下旬には、初のヴィジュアル系ロック・フェスティバルである「V-ROCK FESTIVAL '09」が幕張メッセにて開催された。このような大規模なロック・フェスティバルの開催は、疲弊していた2009年当時のヴィジュアル系シーンにとっては明るいニュースであり、ネオ・ヴィジュアル系をはじめとして多くのヴィジュアル系バンドが出演した。また、シーンの再活性化を目的として、翌年も開催が可能であると見込める程度の興行収入の確保が期待された[9]

しかしながら、翌年のV-ROCK FESTIVALの開催についてはなんら告知されず、2010年に開催されることもなかった。なお、2009年のほぼ同時期に同会場で開催されたLOUD PARKは、2010年も例年どおり開催された。V-ROCK FESTIVAL '09(バックステージプロジェクト制作)は、2009年のLOUD PARK(クリエイティブマンプロダクション制作)の舞台装置の大半をそのまま流用して使用させてもらうことで、舞台制作費を節約していた。また、V-ROCK FESTIVAL '09の協賛、協力、主催、後援のいずれにも、ヴィジュアル系シーンでは特筆すべき音楽専門誌を発行している出版社の社名は掲載されなかった[10]

「海外で大人気」の実態と不法ダウンロード

これまで数多くの媒体を通じて、ヴィジュアル系が海外で人気を博しているという報道が日本国内でなされており[9]、「海外ではどうやら大人気」という認識が定着していた。しかし、その実態は、媒体側から一方的に報道されてきたイメージとはまるで異なるものであったことが、いくつかの情報源から明らかにされた。

海外へ向けて邦楽を販売する音楽配信サイト「HearJapan」の代表であるネイサン・リーヴンは、特に海外のヴィジュアル系ファンへ向けて、自社のウェブサイトに辛辣な書簡を掲載した[11]。以下に抄訳して引用する。

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リーヴンは、インターネットにて楽曲を不法に頒布する多くのヴィジュアル系ファンを痛烈に批判し、その不法行為はバンドの音楽活動を阻害するのみならず、バンドが今後飛躍する可能性を(とりわけ金銭面から)摘み取ってしまうとして警鐘を鳴らした。また、海外のヴィジュアル系ファンの間において音楽ファイルの不法な共有が常態化しているという実態に関しては、リーヴンの指摘のみならず、アニメの情報サイト「Japanator」もリーヴンの発言を受けて記事を発表した[12] 。以下に抄訳して引用する。

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ベンツの指摘により、いわゆる「顔ファン」(バンドマンの外見のみでファンになり音楽には興味がないファンを指す俗語)の存在が日本だけではなく海外においても顕著であり、むしろ「顔ファン」が海外では主流であることが明らかとされた。

日本国内では、ヴィジュアル系アーティストのCD売上は全国各地のヴィジュアル系専門レコード店での限定購入特典や、専門レコード店で開催される「インストア・イベント」に支えられることが多い。これは「AKB商法」としてしばしば批判される売り方と共通してはいるものの、限定グッズや限定写真を入手したり、あるいは本人と会話や握手をするためにCDを(一人で何枚も)購入するという購買の動機づけには結びつく。しかし「顔ファン」にとっては音楽は「意味がない」ため、ライブやイベントなどで本人と接触する機会に乏しい海外在住者は、音楽そのものにお金を払う理由がなくなる。

リーヴンが書簡のなかで例示しているが(上記引用文では未訳のため原文[11]を参照されたい)、原盤制作には少なくとも一万米ドル以上の予算が必要とされる。メジャー・レーベルによるフルアルバムの原盤制作ともなれば、一千万円近くの費用が生ずる[8]。しかし海外の音楽ファンは、アーティストやレーベル側から正規の購入方法を提示されても、音楽に対してあまりお金を払おうとしない。それはアーティストやレーベル側が費やした原盤制作費を回収できず、次の原盤を作る費用を捻出できないことを意味する。リーヴンらの指摘は、楽曲の違法アップロードが海外でのヴィジュアル系の人気を助けているものの、それがヴィジュアル系音楽業界に経済的利益を直接与えることはなく、ゆえにその衰退を助長しうることを明らかにした。

ヴィジュアル系シーンの舞台裏の実情

約六年間ヴィジュアル系バンドのヴォーカリストとして活動していた金子友也は、BLOGOSの取材に応じ、1994年から2010年までの自身の経験を交え、元ヴィジュアル系のバンドマンという視座からシーンの問題点を指摘した[13]

高校生の時に結成したバンドで音楽祭に出場し、奨励賞を受賞した金子は、バンドのメンバーとともに音楽で成功することを志し栃木から上京し、音楽を学ぶために音楽大学へも進学した[13]。しかし金子が見聞きし、実際に体験したヴィジュアル系シーンの舞台裏は苛烈を極める凄惨な様相を呈していた[13]。ヴィジュアル系の音楽事務所も、ヴィジュアル系のアーティストも、ヴィジュアル系のファンも、みな相互に扶助しあう関係性にはなかった[13]。ヴィジュアル系という極々限られた小さな市場から得られる僅かな経済的利益を奪い合い、そしてお互いがお互いを潰し合う、痛ましい状況であった[13]

2010年から2013年までのヴィジュアル系の現況

2010年、結成21周年を迎えたLUNA SEAが活動を再開する。

2011年1月にAlice Nine日本武道館単独公演「Alice Nine Live Tour 10 "FLASH LIGHT from the past"」を行い、8000人を動員した[14]

ヴィジュアル系シーンでは特筆すべき音楽専門誌であった『Neo genesis』は、2011年3月8日発売のVol.53を最後に、以降の新刊の発行が停止された。同じく『Zy.』は、2011年4月1日発売のNo.56を最後に休刊した。

2011年10月4日には、シドが日本武道館にてファンクラブ限定公演を行った[15]

ヴィジュアル系ロック・フェスティバルの「V-ROCK FESTIVAL 2011」が、二年ぶりとなる2011年10月23日に開催された[16][17][18]

2012年1月4日にbaroqueが同時発売したシングルがオリコンチャート週間シングルランキングにてインディーズアーティストによるシングルトップ5内3作同時ランクインという史上初の快挙を成し遂げた[19]

2012年1月8日にLM.Cが日本武道館単独公演「LM.C 2012 〜Go To The 5th Anniversary FINAL〜」を行い、8000人を動員した[20]

2012年1月14日・15日にゴールデンボンバーが二日連続での日本武道館公演「ゴールデンボンバーワンマンライブ特大号『一生バカ』」を行い、追加公演を大阪城ホールで行った[21]

2012年6月17日・18日には、ゴールデンボンバーが二日間連続公演「ゴールデンボンバー全国ツアー2012 Oh! 金爆ピック〜愛の聖火リレー〜」を横浜アリーナにて行った[22]

ヴィジュアル系シーンでは特筆すべき音楽専門誌であった『FOOL'S MATE』は、2012年12月発売の第376号をもって、以降の新刊の発行を停止した[23]

2013年4月6日、結成10周年を迎えたシドが、横浜スタジアムで「SID 10th Anniversary LIVE」を行った。12月11日には、10周年にちなんでヴィジュアル系バンドをはじめとした10組(AYABIER指定アリス十番×スチームガールズカメレオZORODIVDaizyStripperDOG inTheパラレルワールドオーケストラν[NEU]Moran)がそれぞれ『妄想日記』のカバーシングルを発売した。

ヴィジュアル系のシーン全体を見ると、往時の勢いは見られなくなった。2010年代に入ってからは主として若手・中堅世代のバンドの一部が、ヴィジュアル系以外の分野の音楽情報も取り扱う媒体に取り上げられることはあったが、それも一部のバンドが突出していたのみであり、ヴィジュアル系そのものが支持されたという論証には至らなかった。また、前述のとおり、『Neo genesis』、『Zy.』、『FOOL'S MATE』など、この数年来のヴィジュアル系シーンの情報を伝えてきた音楽専門誌が新刊の発行停止および休刊に至るなど、ヴィジュアル系シーンや関連業界の経済的実情については順風満帆とはいいがたい一面が見られた。

評価と影響

1990年代に入り、1980年代の国内音楽シーンを支えたハードロック/ヘヴィメタル系のバンドの大多数が興行的な不振に陥ってゆく状況の中で、ヴィジュアル系バンドは活発な活動を続けて一大ブームを築き上げ、世間に多くの話題を提供し、この時代の邦楽ロックを産業・興行として支えた。しかし、ヴィジュアル系に対する過去の評価の全てが称賛であったわけではない。とりわけ、1990年代のヴィジュアル系の黄金期には、ブームに便乗して乱立したバンドの中に音楽性やパフォーマンスの水準が低いものが見られ、これにまつわる批判が起きた。また、幾つかのバンドがリストカットなどの自傷行為を創作モチーフとして用いたことなどは、リスナーに悪影響を与えるものとして問題視された。

メタルパンクは、ヴィジュアル系と一時期かなり混同されたことで誤解と偏見を招いた(ジャパニーズ・メタルの項を参照)。見た目が派手という共通事項からか、グラムロックアーティストをヴィジュアル系と呼ぶ場合もあるが、本来、グラムロックとヴィジュアル系は発祥や音楽性などの面から区別されるべきものである(「グラムロック」の項を参照)。

マーティ・フリードマンによれば、日本のヴィジュアル系は世界に誇れる最高の文化であるとしている。現在のアメリカやイギリスやヨーロッパでは、外見をより重要視するようなバンドは蔑視される傾向にある(日本においても一部そういった傾向が見られる場合が少なくない)が、ロックバンドはキッスのようにイメージもかっこよくあるべきであるとの意見を述べている。さらに、外見も表現の一部として取り入れているJ-POPならではの現象は、「形」を重視する日本文化、特に男性が化粧をする歌舞伎文化との関連性をも推測している。キッスは歌舞伎に影響されたという説もあるため、ヴィジュアル系は日本文化の逆輸入とも捉えられる、としている[6]。ただし、キッスの創立者であるジーン・シモンズは、自伝で歌舞伎からの影響を否定している。

ヴィジュアル系シーンを舞台とした文芸作品は、1990年代の絶頂期に題材を求めたものなどが、主に女性向けのものを中心に幾つか作られており、一例としては雨宮処凛の小説『バンギャル ア ゴーゴー』(上巻 ISBN 4-06-212075-5 / 下巻 ISBN 4-06-213369-5)などがある。

主なヴィジュアル系アーティスト

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ヴィジュアル系のレーベルおよび音楽プロダクション

ヴィジュアル系を専門範囲とするレーベルおよび音楽プロダクションは、1980年代後期よりその存在が確認されている。

初期ヴィジュアル系バンドの音楽プロダクションとしては、YOSHIKIの主宰するエクスタシーレコードとDYNAMITE TOMMYが総指揮を執るフリーウィル・レコードが、「東のエクスタシー、西のフリーウィル」と謳われるジャンルのフロンティアとして双璧をなした。その後はアナーキストレコードデンジャークルークライスキーパーティーなどの専門レーベルが次々と台頭した。現役か、もしくはかつてヴィジュアル系ミュージシャンとして活動していた経営者が主宰する場合も少なくはない。ミュージシャンの主宰以外では、イベンターやライブハウスの系列事務所、エイベックスなどの大手レコード会社の傘下の事務所もヴィジュアル系のマネージメントを手がけている。ただし、1990年代のヴィジュアル系全盛期のブームに乗って乱立したレーベル・プロダクションには、ブームが終息し市場が収縮を始めると早々に姿を消したものも少なくない。

なお、タレントを主力とする芸能事務所が手がけたケースは少ない。これらの会社の手法ではヴィジュアル系バンドを商業的に成功させることが難しく、田辺エージェンシーホリプロ[注 1]などは撤退している。

ミュージシャンが主宰するレーベル、プロダクション

レーベル、プロダクション 主宰者
アナーキストレコード KENZI
Matina(解散)→UNDER CODE PRODUCTION(解散) KISAKI
エクスタシーレコード YOSHIKI[24]
Keasler Japan Limited TOKI
KreisTokyo Monochrome Factory Records YUKIYA[25]
CROW MUSIC TATSUYA
LOOP ASH株式会社マーサ傘下レーベル) 未散
APPLAUSE RECORDS KAMIJO
Sherow Artist Society KAMIJO
Sequence Records
Starwave Records Kiwamu
フリーウィル ダイナマイト・トミー
marder suitcase株式会社フジプロダクション内レーベル) MAHIRO
GRADATION(解散)
Midi:Nette
密室ノイローゼ(株式会社3.14内レーベル) 桜井青
DANGER CRUE RECORDSMAVERICK D.C. GROUP内レーベル) 大石征裕
オフィスキンメダイ 犬神明
吐血クマレコーズ

ミュージシャンが主宰していないレーベル、プロダクション

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ヴィジュアル系を扱うメディア

TV・ラジオ

放送中のテレビ番組

放送中のラジオ番組

終了したテレビ番組

終了したラジオ番組

専門誌

現在刊行されている雑誌

休刊・廃刊した雑誌

脚注

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注釈

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出典

外部リンク

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