HEATH

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テンプレート:Infobox Musician HEATH(ヒース、本名:森江 博 - もりえ ひろし、1968年1月22日 - )は、ミュージシャン兵庫県尼崎市出身。血液型B型X JAPANベーシスト。ソロ活動時の名前は「heath」、X JAPANでは「HEATH」である。愛称は「ひーちゃん」(主にHIDEによる)。

来歴

  • 1968年1月22日5時22分、兵庫県尼崎市に生まれる。両親も音楽好きで家にはギター・ベース・ドラム・キーボードなどの楽器があり、家ではロックがいつも流れていた。4つ上の兄がギターをやっていたため、自然とベースを始めるようになる。兄がビートルズを弾くのに合わせてベースを弾くこともあった。生まれてはじめて買ったレコードは『嗚呼!!花の応援団』。
  • 中学2年からバンド活動を始め、中学3年の頃から1人でライブハウスに出入りするようになる。44MAGNUMを見に行くようになったのがきっかけ。17-18歳の時本格的にやり始めたバンドが、AIONのNOVと一緒にやった「PARANOIA(パラノイア)」。インディーズでレコード・CDも出している。その後、Xに入るまでの短期間hide with Spread Beaverにも参加したKIYOSHIの「media youth」にも加入していた。
  • 1990年5月、X『ROSE&BLOOD TOUR FINAL』日本武道館2days公演の打ち上げにてXメンバーに出会う。その後HIDEに誘われ上京。
  • 1992年5月中旬、Xに加入決定、すぐに「ART OF LIFE」のレコーディングの為に渡米。
  • 1995年2月22日、ソロ活動開始、BOX『heath(CD+VHS 50000セット限定BOX) 』発売。
  • 1997年2月19日、ソロシングル「Traitor」発売。
  • 1997年9月22日、X JAPAN解散記者会見。
  • 1997年12月27日、ソロPV集『heath all of films 1995.2.22-1997.12.31』発売。
  • 1997年12月31日、X JAPAN解散ライブ。
  • 1998年4月22日、ソロマキシシングル「Crack yourself」発売。
  • 1998年6月6日、大阪O-CATホールにてheath talking gig開催。
  • 1998年6月10日、ソロアルバム『GANG AGE CUBIST』発売。
  • 2003年2月末、Dope HEADz活動休止。
  • 2005年、通販による7年ぶりのソロシングル3作をリリース。
  • 2007年2月24日、ソロ活動開始15周年、X JAPAN解散後としては初のワンマンライブ開催。
  • 2008年3月28日~30日、東京ドームにてX JAPAN 3 DAYSライブ『X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V.~破滅に向かって~』開催

 (28日『~破壊の夜~』 29日『~無謀な夜~』(追加公演) 30日『~創造の夜~』)。

  • 2008年5月4日 X JAPANとしてhide memorial summit(hide十周忌追悼ライブ(多数のバンドやミュージシャンが出演のライブ))に出演(hide memorial summitは5月3日と5月4日に開催)。
  • 2008年7月5日のパリ、8月2日の台北、9月13日のニューヨークのX JAPANの公演の発表後、世界各国から公演依頼が殺到し、2008年6月現在発表している以外の日本を含め、全世界を回る大規模なツアーを予定していたが、YOSHIKIの持病の頸椎椎間板ヘルニアと腱鞘炎が悪化した為、全公演の延期を決定。X JAPANの活動再開は未定になったが、その後YOSHIKIの病状が回復したためパリ公演を同年11月22日に行うことが決定した。
  • 2009年3月 HEATHが所属事務所と契約上のトラブルになり、当面は活動を休止せざるを得ない状況で、韓国ソウル公演を延期及び、5月2、3日の東京ドーム公演のチケット発売も延期された。
  • 2009年4月 HEATHが所属事務所との契約上のトラブルが解消されず、状況はますます悪くなり、X JAPANを脱退したと報道された。しかし、所属事務所側は「脱退の申し入れがあったのは事実だが、事務所もYOSHIKIも認めておらず、東京ドーム公演はHEATHを入れて予定通り行う」とコメントした[1]
  • 2009年5月1日 トラブルを前向きに解消し、5月2日と3日に開催される東京ドーム公演に出演することが決定した。HEATHは「身勝手な行動をとってしまった事を、今は深く反省し、心よりお詫び申し上げます」と謝罪コメントを寄せ、再びX JAPANとして活動することとなった。この脱退騒動を心配していたファン達は、東京ドーム公演のオープニングにおいて「On Bass HEATH」のアナウンスが流れた時には大きな声援を送った。

人物

  • TAIJIの後任としてX JAPANに加入したが、「理想のベーシストはジューダス・プリーストイアン・ヒル」と語るように、そのプレイは堅実かつ謙虚なものであり、TAIJIのようなエキセントリックなプレイはあまりみられない。
  • プレイスタイルは、オーソドックスなピック奏法であることが殆んどだが、楽曲によってはスラップ奏法スリーフィンガー・ピッキングなども用いる。例えば、「SCARS」では、ピック、スラップ、スリーフィンガーを使い分けている。
  • X JAPANのライブにおけるソロコーナーにおいて、「オペラ座の怪人」のメロディーをベースで演奏するというパフォーマンスを好んでおこなった。自らの曲である「daydream」も多く演奏した。
  • ソロコーナーでは、演奏していたベースを破壊するというパフォーマンスも非常に多く披露している。破壊したベースの種類などについては、使用機材の項に記述してある。
  • ライブの時にはエクステをよく付けるが、普段はブローした後は何もしないという。ちなみにシャンプーは、ヴィダルサスーンを愛用。
  • SUGIZOとは、自身がX JAPAN加入以前からの知り合い。SUGIZOからは「ハードロック、ヘヴィメタルにどっぷりつかってきたロック小僧だと思うけれど、資質はクラシックプレーヤーに近いんじゃないかな。本当にマジメで、常に練習してるし、譜面どおりに完璧に演奏するタイプ」と評されている。

X JAPAN加入のきっかけ

HIDEとの出会い~上京

22歳の時、1990年5月に行われた『ROSE&BLOOD TOUR FINAL』日本武道館2daysにHIDEの友達でもあった友人に一緒に行こうと連れて行かれ、その打ち上げの時に初めてXのメンバーに紹介された。それまで日本のバンドのコンサートはあまり見た事が無かったが、そのXのステージには劇的なものを感じたという。その後もちょくちょくHIDEとは電話で話していたが、HIDEに「とりあえず東京出て来い」と言われ、考えた末ベース2本とボストンバッグ一つで新幹線自由席に乗り、混んでいたため3時間立ったままで東京に着く。家には軽く「東京行ってくる」とだけ言って出てきた。東京に着いてHIDEに電話すると、本当に来るとは思っていなかったらしく大変驚いていたと言う。

セッションから加入まで

当時Xは新しいベーシストの一般公募と平行して、X側からも一緒に音を出してみないかとジャンル問わず様々な人に声をかけていた。ベーシストの条件は「男性で、一緒に音を出して楽しいかどうか・感覚的に馬が合うかどうか・俺たちとピッチが合うかどうか」だった。公募の中には男性という条件にもかかわらず、女性も多数テープを送ってきていた。(後日談だが、中にはベースは一切演奏できないにも関わらず、デモテープに意気込みだけを延々と吹き込んできた熱心なものもあったという。)沢山のテープの中から実際にオーディションに来てもらった人もいたが、なかなかこれだ!という馬の合う人はいなかったという。そんな中で名前が挙がったのがHIDEの知り合いのHEATHだった。

1992年1月のX東京ドーム3days(TAIJI脱退ライブ)の数ヵ月後、HIDEはHEATHに電話をする。HEATHは飲みの誘いと思っていたが、ベーシストオーディション勧誘(正確には「音を一緒に出してみないか」というセッション勧誘)の電話だった。HEATHはXが新しいベーシストを探していることは友人に聞いて知っていたが、当時は自身のバンドもあり応募しようとは全く思っていなかった。そのため、勧誘の話をされてもHEATHは他のバンドのベーシストを紹介したりしていた。

HEATHはその後、自身のバンドへの迷いがあったこともあり、入る入らないは別としてセッションならやりたいと承諾。結局、実際にはオーディションではなく、Xメンバーのほうからの希望でセッションと言う形でHEATHに来てもらう事になった。

最初のセッションの時の演奏曲は「Standing Sex」、「BLUE BLOOD」、「ENDLESS RAIN」、「Joker」、「Sadistic Desire」の5曲。その前日から当日朝までHIDEとHEATHが一緒に飲んでいたこともあり、HEATHは二日酔いでヘロヘロの状態でセッションに参加。仮眠も1、2時間ほどしかとらずHEATHは「間違えても仕方がない」と緊張していなかったがほぼ完璧に弾きこなす。逆にメンバーのほうが緊張して「下手なのがバレてナメられないようにしないといけないと思ってコチコチに緊張していた」と語る。物怖じしない性格や、終わって片づけをして、「じゃあ、結果は後日~」とすぐに帰ってしまったHEATHに対しHIDEとPATAは「大物だ」と感じたと同時に、「こいつはXにいてもおかしくない」と思ったという。

その日のうちにHEATHのもとに「メンバーはHEATHを気に入ったがHEATHはどうだったか」という連絡がある。さらにしばらくして、やはりベースはHEATHが良いとメンバー内で一致。すぐにHEATHに電話をするが、HEATHはそのとき自身で再結成させたバンドMedia Youthをやっていたこともあり、少し考えさせて欲しいと言った。結局2週間色々考えた末、セッションが楽しかったこともあり、決心して加入承諾の連絡をする。後のインタビューでHEATHは「あの中にいて違和感がなかった」「ピンとくるものが、Xに対してはすごく強くあった」と語っている。加入が決まったのは1992年5月中旬、HEATH24歳の時であった。

かくして1992年8月24日午後6時、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンロックフェラーセンター・レインボールームにてX新ベーシストとして正式に紹介されることとなる。

使用機材

ベース・ギター

フェルナンデス(Burny)WB-X
X JAPAN加入直後に使用していた、ワーロックタイプのベース。12フレット部の指板にXのインレイが入っている。よく東京ドームでのライブのソロコーナーで破壊されていた。シグネイチャーモデルが以前フェルナンデスより市販されていた。
フェルナンデス(Burny)EB-X
1993年から97年あたりまでメインとして使用していたイーグルタイプのベース。黒のボディに2本の白いラインが描かれている。ボディ、ネック材はコアが使用されている。こちらもソロコーナーで破壊していたが、同じものを何本も用意していた。(チューニングの違う曲に対応するためでもある。)シグネイチャーモデル、EB-95Xはボディ材およびPUが異なる仕様になっている。
フェルナンデス(Burny) PROTO-TYPE
「THE LAST LIVE」のリハーサル時に使用されていたというベース。ポール・リード・スミスに似た外観にアーチドトップでPタイプのピックアップを搭載している。
フェルナンデス FJB-115H
X JAPAN解散後から使用を開始し、再結成以降のメインとして使用しているジャズベースタイプのベース。EB-Xと同じカラーリングである。2009年からフェルナンデスよりHEATHモデルとして市販が開始された。
ERNIE BALL MUSICMAN STINGRAY (白)

サウンド・システム

  • 「THE LAST LIVE」時
MESA BOOGIE BASS 400+ (アンプ)
MESA BOOGIE RD-1000 (キャビネット)
  • 「X JAPAN攻擊再開」時
AMPEG SVT-CL (アンプ)
AMPEG SVT-810E (キャビネット)

ディスコグラフィー

シングル

枚数 リリース タイトル 規格 販売生産番号 備考
1st 1996年10月7日 迷宮のラヴァーズ 8cmCD PODH-1323 読売テレビアニメ名探偵コナン」エンディングテーマ
2nd 1997年2月19日 Traitor 8cmCD PODH-1342 フジテレビ系「猛烈アジア太郎」オープニングテーマ
3rd 1998年4月22日 Crack yourself 12cmCD POCH-1686 読売テレビ系「パパイアQ」オープニングテーマ
4th 2005年 NEW SKIN 12cmCD WF-0002 *通信販売のみ
5th 2005年 come to daddy 12cmCD WF-0003 *通信販売のみ
6th 2005年 THE LIVE 12cmCD WF-0004 *通信販売のみ
7th 2006年8月25日 solid 12cmCD WF-0006 *通信販売のみ

アルバム

枚数 リリース タイトル 規格 販売生産番号 備考
1st 1998年6月10日 GANG AGE CUBIST 12cmCD POCH-1709/10
2nd 2006年10月27日 Desert Rain 12cmCD WF-0007 *通信販売のみ

ビデオ

枚数 リリース タイトル 規格 販売生産番号 備考
1st 1995年2月22日 heath VHS + 12cmCD POVH-1045 CD+VHS 50000セット限定BOX
2nd 1997年12月27日 heath all of films VHS POVH-1060

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:X JAPAN

  1. 制作運営管理委がHEATH脱退説を否定2009年4月21日 サンケイスポーツ