井上堯之バンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

井上堯之バンド(いのうえたかゆきバンド)とは、ザ・スパイダースPYGの元メンバーである、井上堯之をリーダーとするバンドグループ。

概要

1971年4月に、ザ・スパイダース、ザ・タイガースザ・テンプターズの元メンバーで結成されたロックバンド、「PYG」から発展した。「PYG」時代から、リードボーカルで当時俳優として評価され始めていた萩原健一が参加できないときに、もう一人のリードボーカル沢田研二を前面に配した形で「沢田研二と井上堯之グループ」または「沢田研二と井上堯之バンド」と名乗り、その名義でのレコードも発売されている(沢田研二初リサイタルライヴ盤や、シングル「許されない愛」「あなただけでいい」など)。

「井上堯之バンド」初期の代表曲「太陽にほえろ!のテーマ」をはじめとする『太陽にほえろ!サウンドトラックの楽曲も、マスターテープの箱ラベルには「アーティスト:PYG」と記載されている。

また、一時期(1975年9月~1976年10月)に「井上堯之とウォーターバンド」という名義を用いての活動を短期間ながら行っていた[1]

略歴

1972年12月発売のPYGラストシングル「初めての涙/お前と俺」をもってPYGは事実上解散し、沢田研二は本格的にソロ歌手へ、萩原健一は俳優へと独立。残ったPYGメンバー、井上堯之(ギター)、大野克夫(オルガン)、岸部一徳(当時の名前は岸部修三)(ベース)、原田裕臣(ドラムス)の4人で「井上堯之バンド」として本格的に独立始動する。

主に、PYGメンバーである沢田研二のバックバンドや、萩原健一出演作品のサントラを中心に活躍。沢田研二が第23回NHK紅白歌合戦昭和47年)に初出場した折にも「ザ・いのうえバンド」として専属バックバンドを担当し、これが歌手が専属バンドを率いる最初のきっかけとなった。沢田との結びつきは非常に強いものがあり、PYG時代と同じように沢田と井上堯之バンドをひとつのロックグループという意識で当人たちも活動していた。

また、内田裕也GSバンド「ザ・フラワーズ」のヴォーカルだった麻生レミや、ガロ等のバックバンドも担当。

太陽にほえろ!』、『傷だらけの天使』、『悪魔のようなあいつ』、『寺内貫太郎一家』、『前略おふくろ様』、『青春の蹉跌』、『くるくるくるり』、『太陽を盗んだ男』など1970年代を代表するドラマ・映画作品のサントラの数々を担当した。

また沢田研二主演映画『炎の肖像』(日活1974年)では、沢田研二のバックを務める「井上堯之バンド」の貴重な演奏シーンを見ることができる。

メンバーチェンジも行われ、1974年には元「ジプシー・ブラッド」の速水清司が加入。ドラムスも田中清司に交代。

1975年6月にはベースの岸部が脱退し、俳優に転向している(俳優転向後に『岸部一徳』と芸名を改めた)。

1980年に解散し、同時に沢田研二のバックバンドも交代。解散後の『太陽にほえろ!』の音楽担当は、大野克夫バンドが担当している。

再結成

元「PYG」メンバーの萩原健一が1974年に主演し社会現象となった人気ドラマ『傷だらけの天使』が1997年豊川悦司らの主演でリメークされた際、そのサウンドトラックを担当するためリーダーの井上堯之が若手ミュージシャンを集め「井上堯之バンド」の名で「再結成」したが、オリジナルメンバーが井上本人のみであり事実上の再結成ではない。

2004年2月、井上堯之と、その前年に萩原健一の13年ぶりのコンサートツアーにおいてバックバンドを努めたメンバー(速水清司、ミッキー吉野ら)を中心メンバーに井上堯之バンドとして再結成ライブを行い、客席に来ていた沢田研二をステージに呼んで1975年のヒット曲「時の過ぎゆくままに」を歌わせたことが、ワイドショー等でも話題となった。この時でもオリジナルメンバーは井上と速水のみであるが、ミッキー吉野はGS時代には「ザ・ゴールデン・カップス」のメンバーであり、また1975年にはゴダイゴの前身バンドである「ミッキー吉野グループ」として井上堯之バンドとともに沢田研二のツアーバンドを務めたこともあるなど、1997年の「再結成」よりは幾分か現役時代の井上堯之バンドにゆかりのある人物が集まった。

脚註

テンプレート:Reflist

テンプレート:沢田研二テンプレート:Asbox
  1. 井上堯之バンド(A.K.A.井上堯之グループ) ロックバンド名鑑参照