太陽を盗んだ男
テンプレート:雑多な内容の箇条書き テンプレート:Infobox Film 『太陽を盗んだ男』(たいようをぬすんだおとこ)は、長谷川和彦監督によるアクション映画である。1979年、キティ・フィルム製作、東宝配給。
概要
「原爆を作って政府を脅迫する」という奇想天外なアイデアの日本映画。大掛かりなカーアクション、国会議事堂や皇居前を始めとしたゲリラ的な大ロケーション、シリアスで重い内容と、ポップでエネルギッシュな活劇要素が渾然となった作品。原子爆弾製造や皇居前バスジャックなど、当時としてもかなりきわどい内容である。
主演はジュリーこと沢田研二。原爆完成の嬉しさのあまりガイガーカウンターをマイク代わりにはしゃぐシーンは沢田のアドリブだという[1]。2001年にはアミューズピクチャーズ(現:ショウゲート)からDVD化され、映像特典として『11PM』(読売テレビ制作)による本作の特集などが収録された。
本作は長らく(現在も)カルト映画の位置付けで[2]、『狂い咲きサンダーロード』との邦画二本立ては、1980年代の名画座の定番プログラムであった[3]。しかし近年は一般的な評価も高めており、1999年キネマ旬報「映画人が選んだオールタイムベスト100」日本映画篇で13位、2009年「オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)」<日本映画史上ベストテン>では歴代第7位に選ばれている。1970年代以降の作品としては『仁義なき戦い』の第5位に次ぐもの(同点7位『家族ゲーム』)[4][5]。
あらすじ
中学校の理科教師である城戸誠(沢田研二)は、茨城県東海村の原子力発電所から液体プルトニウムを強奪し、アパートの自室でハンドメイドの原爆を完成させた。そして、金属プルトニウムの欠片を仕込んだダミー原爆を国会議事堂に置き去り、日本政府を脅迫する。誠が交渉相手に名指ししたのは、丸の内警察署捜査一課の山下警部(菅原文太)。かつて誠がクラスごとバスジャック事件に巻き込まれた時、体を張って誠や生徒たちを救出したのが山下だった。誠はアナキズムの匂いのする山下にシンパシーを感じていたのだ。誠の第1の要求は「プロ野球のナイターを試合の最後まで中継させろ」。電話を介しての山下との対決の結果、その夜の巨人対大洋戦は急遽完全中継される。快哉を叫ぶ誠は山下に名乗った。俺は「9番」だ、と(当時、世界の核保有国は8か国、誠が9番目という意味)。
第2の要求はどうするか? 思いつかずに迷う誠は、愛聴するラジオのDJ・ゼロこと沢井零子(池上季実子)を巻き込む。多数のリスナーも交えた公開リクエストの結果、誠の決めた第2の要求は「ローリング・ストーンズ日本公演」。これにも従わざるを得ない山下だったが、転機が訪れた。原爆製造設備のため借金したサラ金業者に返済を迫られた誠が、嫌々出した第3の要求「現金5億円」に山下は奮い立つ。現金の受け渡しなら犯人は必ず現れるからだ。電電公社に電話の逆探知時間を強引に短縮させ、罠を仕掛ける山下。誠の指定日は5月1日、メーデー。大型トランク2つ分もの大金を、誠はどうやって受け取るのだろうか?
キャスト
- 城戸誠:沢田研二
- 山下満州男警部:菅原文太
- 沢井零子(ゼロ):池上季実子
- 田中警察庁長官:北村和夫
- 仲山総理大臣秘書:神山繁
- 市川博士:佐藤慶
- バスジャック犯・山崎留吉:伊藤雄之助(特別出演)
- ラジオプロデューサー・浅井:風間杜夫
- 水島刑事:汐路章
- 石川刑事:石山雄大
- 里見刑事:市川好朗
- 佐々木刑事:森大河
- 田所刑事:中平哲仟
- 田中長官の部下・江川:江角英明
- サラ金の係員:小松方正
- 電電公社技師:草薙幸二郎
- モンタージュ係:五條博
- アパートの管理人:高山千草
- 交番の警官・佐藤:水谷豊
- サラ金の男:西田敏行
- 城戸の生徒:戸川京子、山添三千代、鹿股裕司、香山リカほか
- ニュースのアナウンサー:林美雄
- カースタント:三石千尋、大友千秋、マイクスタントマンチーム
- その他;木樽仙三、浜口竜哉、沢田情児、久遠利三、高並功、奈良悟、幸英二、細川純一、吉宮慎一、宮城健太狼、佐藤了一、賀川修嗣、溝口拳、森洋二、谷口永伍、大平忠行、高橋ナナコ、森みどり、庄司三郎、小見山玉樹、小寺大介、柄沢英二、古屋哲、麿のぼる、今村昭信、堀礼文、草薙良一、永井雅春、星一、井上裕季子、森達也、上田正雄、増田康好、木島久司、岩本和弘、宮田啓之、坂本智一
受賞・選出
- 1979年度キネマ旬報 日本映画ベストテン第2位
- キネマ旬報読者選定邦画ベストテン第1位
- 映画芸術誌ベストテン第3位
- 2009年度キネマ旬報 オールタイムベスト映画遺産200(日本映画篇)<日本映画史上ベストテン>第7位[4][5]
エピソード
- タイトルの『太陽を盗んだ男』はオリジナルストーリーを執筆したレナード・シュレーダーの妻、チエコ・シュレーダーの発案。「何でもない普通の青年が原爆を作って時の政府を脅迫する。その第一の要求は“テレビのナイター中継を最後まで放送しろ”だった」が元アイデア。(比較的初期の段階で、チエコがレナードの口述を日本語訳した「名前のない道」と題された手書きのシノプシスが岡本喜八の元に届けられていた。)原題は「The Kid Who Robbed Japan」で、日本語に訳したときに"Kid"にあたるいい日本語訳がなかったため「笑う原爆」というタイトルを予定していたが、東宝サイドが映倫の許可が下りないと難色を示したため、準備稿の段階ではひとまず「日本 対 俺」という仮題で製作を進め、最終的に監督が原題をもじって『太陽を盗んだ男』とした。
- 監督の長谷川自身が「胎内被爆児」であり、「原爆」という題材にのみ過敏になって映画撮影中に抗議に来たある活動団体に対して、自分の「特別被爆者手帳」を見せて説明し、納得させたという。しかし公開前のキャンペーンのテレビ番組で「ジュリーってゲンバクのように強〜イ男」という番組サブタイトルを使ってしまい、番組スタッフが抗議を受けるという場面もあった。
- 長谷川と菅原文太は以前から新宿ゴールデン街の飲み友だちで、長谷川からの出演依頼に菅原は「面白いじゃないか、やろうよ」と快諾し、菅原から「主役にはジュリーなんかどうなの?」との提案を受け、長谷川は沢田に出演交渉を行うが、沢田のスケジュールが1年半先まで埋まっていて、この後1年待って、3ヶ月スケジュールを空けさせて撮影した[6]。
- 沢田研二は運転免許を持っていなかったが、この映画撮影のために取得した。同時期、同じ教習所に「蘇える金狼」のために松田優作も免許を取ろうと通っていたが、教官と喧嘩をしたため免許取得できなかったと沢田は自分のラジオ番組で語った。
- ヘリコプターの足にぶら下がった山下がヘリから地上に落ちるシーンでは、高度がかなりの高さになっている。これは撮影時のミスで、本来5〜10メートルの高さから落ちるはずが、無線トラブルでヘリコプターが予定を超過し上昇しすぎたことが原因である。東京湾のヘドロに落ちて奇跡的にケガひとつ負わず生還した山下役のスタントマンは、完成フィルムを見て自分の飛び降りたあまりの高さに驚き「嘘だろ! 冗談でしょ!」と顔面を引きつらせたという。笑うに笑えないジョークとして長谷川が紹介した[7]。
- ヘドロが大量に浮かぶ東京湾には更に二人飛び込んでいる。当時の東京湾は今とは比べ物にならないほど汚かった。池上季実子は現場に到着するなり、長谷川監督から「池上さんが東京湾に放り込まれるシーンから撮影する」と言われ仰天した。そこは東京湾に面した高さ5メートルはある断崖。最も危険なシーンを最初に撮影するなど有り得ず、また衣装がダメになってもいいように最後に撮影するのが普通で、今の映画なら、ヒロイン役に及ぶ危険を避けるため、スタントマンを起用するケースであるが、これに池上のマネージャーと監督、スタッフとの緊急討論が持たれた。結果、「①リハーサルで助監督が飛び込んで安全を確認する②すぐ近くにお風呂を用意する」という妥協案でまとまり、池上もヘドロいっぱいの東京湾に飛び込んだという。「スタントなしで当時の東京湾に飛び込んだのは、今では20歳の貴重な思い出になっている」と池上は話している[8]。
- 冒頭のシーン、バスジャックのクライマックスは、伊藤雄之助扮するバスジャック犯が神風特攻隊の格好に日の丸鉢巻という出で立ちでバスを走らせるものである。このシーンは長谷川が後に語ったところによると「皇居前広場に無許可で忍び込んで一発撮りした、いわばゲリラ撮影だった」「思ったよりバスの速度が出なかったため、突撃とならず、皇居係員ものんびり誘導に出てきた程」「仕方がないのでコマを抜いて速く見せた」とのこと[9]。
- それ以降のバス立てこもりシーン、皇居の堀に向かって手榴弾を投げるシーンなどは、よみうりランドに作ったセット撮影である[10]。
- 銀座(劇中は渋谷の設定)のビルからの1万円札(当然、劇用)撒きや、国会議事堂前、国会議事堂裏口のゲリラ撮影は相米慎二のB班が「逮捕され要員」として待機させられた。
- 本作は、全国100館以上で鳴り物入りで封切られたが、都市部で大入り、地方で惨敗。結果、興行的には成功をみなかった[11]。
その他
- 城戸の第一の要求「試合終了までのナイター完全中継」は、1979年当時は試合中でも午後9時前に一方的に中継終了することが通例だったために出た要求。
- 第二の要求である「ローリング・ストーンズ日本公演」は、1973年の中止以来、当時としては多くの人々が望んでいながら、実現することなど夢のまた夢、と思われていた。実現するのは、1990年になってからである。
- ボブ・マーリィの曲にあわせて、踊りながら爆弾を製造するシーンを撮影したが、まだ楽曲提供に関する問題をクリアしていなかった。長谷川は、いいシーンが撮れたので、カットしたくはないと考えていたが、予算は限られている。そんなとき、たまたま撮影を見学に来た内田裕也に事情を相談したところ、二つ返事で、レコード会社との交渉を買って出てくれた[12]。(ただし、内田の交渉の内容が、意味不明だったため、レコード会社の担当者が直接、長谷川に連絡を取り、長谷川は改めて事情を説明している)結果、レコード会社は曲の宣伝というかたちで楽曲の使用を許可してくれた。
- 撮影中、同じ撮影所で『蘇える金狼』を撮影していた松田優作が見学に訪れた。危険なストーリーに魅せられた松田は、「長谷川さん、俺にもこんな作品作ってくださいよ」と頼まれるものの、その依頼が実現する前に松田は亡くなってしまった。
- 芸能界の先輩である沢田が出演しているということで、やはり同じ撮影所で映画を撮影していた山口百恵が陣中見舞い(実際は山口の撮影の空き時間だったようだが)を兼ねて、本作の撮影を見学している。山口は完全なスケジュール管理の中、あわただしく撮影し、封切られてゆく自分の映画と、同じようなシーンを延々とテストしながら撮影してゆく制作の姿勢の違いに、ショックを受ける。
- 本作品は東洋工業(現:マツダ)が制作に協力している。首都高速での主人公城戸が乗るサバンナRX-7と山下刑事が乗るコスモAPは当時新車で、惜しげもなくカーチェイスに使われ、コスモは白パトカーとの接触やトレーラーに突っ込んで屋根を吹っ飛ばした挙句、ラストに爆破した(ちなみに大量に登場した白パトカーはトヨタ・クラウンや330型日産セドリック・230型日産セドリックで、カーチェイスシーンでは230型が大量に横転させられている)。また、劇中のナイター中継にファミリアのCMが挿入されていた。
- 城戸の作った原爆は劇中の設計図や製造過程から爆縮式(インプロージョン式、長崎型)であることがわかるが、爆縮式原爆において極めて重要な部分である爆縮レンズの構造については触れられていない。形状、材質、細かな構造から見ても、全く同じ物を製造しても火薬の爆発の力がプルトニウム・コアに均等に伝わるとは考えにくい。したがってこの爆弾を作動させても核反応は起こらず、限られた狭い一定範囲にのみ火薬自体の爆発による破壊が起こるだけであろう。しかし、プルトニウムが爆発によって飛散することで、周囲のそれなりの範囲が放射能汚染されること(=汚い爆弾)は予想できる。
- 伊藤雄之助は『西部警察』の第2話「無防備都市・後編」でも本作品と同じ出で立ちで強奪した特殊装甲車に乗り込み、政府にやはり無理難題を要求して、渡哲也扮する大門部長刑事率いる「大門軍団」と戦って死亡している。
- 山下刑事が「毎日暑いねぇ」と電話を通じて言う城戸に「日立のビーバールームエアコンがいいらしいぜ」と切り返すシーンがあるが、日立は「白くまくん」というエアコンを発売し、「ビーバー(ルーム)エアコン」は三菱重工業から発売されている。つまり、山下刑事は存在しない製品名を発言していることになる。
- 映画評論家樋口尚文は1997年5月の朝日新聞夕刊の連載企画「わが青春のヒーロー」に本作の主人公「城戸誠」をとりあげて愛を語っているが、(「しらけ世代」参照)、さらに著作『『砂の器』と『日本沈没』1970年代日本の超大作映画』(筑摩書房 2004年)で一章をさいて『太陽を盗んだ男』を詳細に分析、激賞している。
- 映画ジャーナリストの大高宏雄は、『太陽を盗んだ男』のような娯楽大作映画[13]を興業的に成功させるには、その映画のクオリティだけでは不十分で角川映画なみの型破りな宣伝力も必要だったと指摘している[14]。
- 助監督だった相米慎二は映画の評判がいくら良くても、子供に受けなかったのでヒットしなかったと答えている[15]。
- 映画評論家・轟夕起夫は自著で「振り返ると1979年とは、日本映画史上とても重要な年であったと思う。というのも、今後語り継がれてゆくであろう活劇ムービー、『太陽を盗んだ男』と『ルパン三世 カリオストロの城』が公開された年だからだ」「一部に熱烈に評価されたものの"79年" は決して恵まれた興行成績を得られなかったこの二作。しかし歴史は自らの誤りを認め、改めて審判を下し直し、時を経るにつれ、どちらもオールタイムベストの常連となった」等と述べている[16]。
- 水道橋博士は本作を見て映画の虜になり、将来は長谷川かビートたけしのどちらかに弟子入りしようと考えていたが、結果的にビートたけしに弟子入りして良かったと話している[17]。
- 2009年6月公開のアニメーション映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』にて、伊吹マヤの通勤シーンに本作のBGM「YAMASHITA」が使用された(同作品のサウンドトラックにも収録)。同作品に絵コンテで参加している樋口真嗣は本作を自身が選ぶ映画ベスト3の一つとして挙げており、また上記DVDの特典で長谷川監督、永瀬正敏と対談している。
- 原子爆弾を用いた題材としては、刑事ドラマ『特捜最前線』(1977年-1987年、東映/テレビ朝日)の第29話「プルトニウム爆弾が消えた街」(1977年10月19日放映)、第30話「核爆発80秒前のロザリオ」(1977年10月26日放映 監督・佐藤肇、脚本・長坂秀佳)の方が2年早い。『特捜最前線』のメインライターで、同作品では「爆弾ネタの長坂」との異名もとる長坂秀佳が手掛けた前編、後編の2話連続作。
- 大槻ケンヂは3.11のあと『映画秘宝』編集部から「励ましの映画」を推薦してくれと言われ本作を推薦したが、却下されたという[18]。
- アニメ『ドキドキ!プリキュア』に登場する城戸先生は本作に登場する城戸がモデルである[19]。
脚注
関連項目
- 天国に一番近い男 - 2000年12月29日放送のスペシャル版のサブタイトルが「天国に一番近い男VS太陽を盗んだ男」
外部リンク
- 太陽を盗んだ男 公式サイト
- ashikel: Hasegawa le rebelle 長谷川和彦インタビュー
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