日本沈没
テンプレート:Portal 『日本沈没』(にほんちんぼつ、にっぽんちんぼつ)は、1973年に刊行された小松左京による日本のSF小説、及びこれを原作とした映画、テレビドラマ、ラジオドラマ、漫画。映画は、1973年と2006年に、ラジオドラマは1973年と1980年、漫画は1970年代と2006年にそれぞれ2度製作された。
目次
小説
1964年から執筆が開始され、9年がかりで完成した。当初は複数巻となる予定だった長編を出版社の要請で短縮し、上下巻とした。
1973年に光文社カッパ・ノベルスより書き下ろしで上下2巻が同時刊行された。当初は3万部ずつだったが、版数を重ねるごとに出版数が増え、上巻204万部、下巻181万部の計385万部まで伸ばし「空前の大ベストセラー」とも評された。小松は1億2000万円の収入を得て、文壇長者番付の5位にランクインした。1974年、第27回日本推理作家協会賞を受賞、第5回星雲賞日本長編部門を受賞している。
ベストセラーになったことにより、小松の知名度を上げるとともに、日本におけるSFの浸透に一役買うことになった。ベストセラーになった背景には、高度経済成長が終焉を迎え、1970年の日本万国博覧会に代表される薔薇色の未来ブームへのアンチテーゼとして登場したことの衝撃に加えて、1973年の狂乱物価とも言われたインフレーション、オイルショックなどの社会不安があった[注 1]。また同年が関東大震災から50年という節目でもあり、本作によって大規模災害への不安が喚起されるきっかけともなった[1]。
1976年には、Michael Gallagher(en)により3分の1ほどの抄訳ながら、アメリカで『JAPAN SINKS』のタイトルで出版された。
元々は「日本人が国を失い放浪の民族になったらどうなるのか」をテーマに据えており、日本列島沈没はあくまでもその舞台設定で、地球物理学への関心はその後から涌いたものだという。しかし、そのために駆使されたのが当時やっと広く認知され始めていたプレート・テクトニクスであり、この作品はその分野を広く紹介する役割をも果たした。この分野に関する作品中の解説やアイデアは修士論文に相当するとの声もあったほどである。
難民となって世界中に散っていった日本人を描く第2部の構想(仮題は『日本漂流』)もあり、下巻の最後に「第1部・完」と記されていたが、下巻発刊後、長い間執筆されることはなかった。
物語
地球物理学者である田所雄介博士は、地震の観測データから日本列島に異変が起きているのを直感し、調査に乗り出す。潜水艇操艇者の小野寺俊夫、助手の幸長信彦助教授と共に小笠原諸島沖の日本海溝に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。異変を確信した田所はデータを集め続け、一つの結論に達する。それは「日本列島は最悪の場合2年以内に、地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈没する」というものだった。
最初は半信半疑だった政府も、紆余曲折の末、日本人を海外へ脱出させる「D計画」を立案・発動する。しかし、事態の推移は当初の田所の予想すら超えた速度で進行していた。各地で巨大地震が相次ぎ、休火山までが活動を始める。精鋭スタッフたちが死に物狂いでD計画を遂行し、日本人を続々と海外避難させる。一方、あえて国内に留まり日本列島と運命を共にする道を選択する者もいた。
四国を皮切りに次々と列島は海中に没し、北関東が最後の大爆発を起こして日本列島は完全に消滅する[注 2]。
設定
197X年と書かれているが、基本的には執筆当時から予測される近未来と設定されており、執筆当時にはまだ完成していなかった施設のうちのいくつかが既に稼動しているものとして話が進められている。具体的には、新東京国際空港(現在の成田国際空港)・青函トンネル・関西国際空港など。大型コンピュータ[注 3]のLSI化など確実に未来を予測したものもある。
いわゆる「実現しなかった未来」的な描写としては、水深10000mまで潜れるような深海潜水艇や超音速輸送機が多数登場する点が挙げられる。現実では、かなり未来のこととなったものを登場させているものとしては超電導リニアが全線の測量が終わり工事が始まっている。一方で東海道新幹線にビュフェがあるなど「懐かしい」描写もある。
しかし、わかりやすく書かれてはいないが、日本列島を沈没させてしまう科学設定の他にも「マルコフ過程に並んでナカタ過程と呼ばれている」という架空の、確率に関係する理論など、完全にフィクショナルな科学描写もある。
また、日本が沈没したのは日本の人口が減少に転じた翌年という設定もあり(そのため、密かに進められている海外移転計画が、海外から日本の人口対策ということはありえないと怪しまれる、という描写がある)、奇しくも現実ではリメイク映画版公開の2006年がそれに該当した。
1973年の映画
テンプレート:Infobox Film 東宝の製作と配給で、1973年12月29日より正月映画として公開。東宝の田中友幸プロデューサーによって、小説の刊行前から映画化の企画は進められており[1]、「映画化のあと、TBSでTVドラマ化する」という契約が交わされていた。このため、撮影現場にはTVドラマ版のスタッフも2台のカメラを持ち込んで撮影参加している。
監督には黒澤明作品でチーフ助監督を務めた経験がある森谷司郎を抜擢。脚本には同じく黒澤作品に参加していた橋本忍があたった。製作期間は約4ヶ月という短さだったが、約880万人の観客を動員し、配給収入は約16億4000万円(1974年邦画部門興行収入1位)を挙げる大ヒットを記録。中野昭慶が監督した特殊撮影もアジア映画祭の特殊効果賞を受賞する評価を受けた。本作の成功で、森谷司郎は以後、『八甲田山』など大作映画を任せられる監督の地位を確立し、東宝もまた本作に続く形で、『ノストラダムスの大予言』『東京湾炎上』と、1975年までパニック映画を一つの路線として敷くこととなった[1]。 アメリカでは、ロジャー・コーマンにより公開された。ハリウッド俳優を使った追加撮影が行われオリジナルよりかなり短縮された。
スタッフ
本編 |
特殊技術 |
特別スタッフ
キャスト
以下の順番は本編クレジットに準拠。
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(以下ノンクレジット) |
- 原作者の小松自身も、冒頭で小野寺と吉村が打ち合わせをするシーンでカメオ出演している[1]。
- 竹内均は東大退官後に自ら創刊した科学雑誌『Newton』掲載テンプレート:いつの自伝において、「迫真の演技である、として皆にからかわれた」と書いている。またDVD版の特典映像には、小松と竹内の対談の模様が収録されている。
2006年の映画
テンプレート:Infobox Film TBSなどが製作費20億円を投じて、東宝の配給で2006年7月15日公開された。監督は、1973年版の映画を「自分が映画制作を志すきっかけとなった作品」と語る樋口真嗣が務めた。2006年公開映画では国内興行順位第4位となる53億4000万円のヒットとなった。
本作のポスターはイラストレーターの生頼範義の描いた北海道、東京、京都、九州の「ご当地沈没」ポスターが4種類作成された。それとは別に中京地区の東宝宣伝部が独自に「名古屋沈没」のポスターを作成したため、急遽予定になかった名古屋崩壊シーンが追加されたいきさつがある。
原作や前作との相違点
本作は、原作や前作と比較し、登場人物の設定や役回りが大きく異なっている。
監督の樋口は前作の映画のリメイクというよりも原作小説の再映画化というスタンスで挑み、前作に欠けていた一般の市井の庶民の視点を意識して取り入れたとしている。
物語の設定
- 前作では、田所博士や山本首相の行動を中心にストーリーが展開され、小野寺と阿部の交際は中心的な位置づけではなかったが、本作ではストーリー展開の主軸となっている。
- 原作では、田所博士の唱える「日本沈没」説が検証し切れていない仮説の段階から始まっていて、立証データ収集の調査や対応策の検討を秘密裏に進める必要から、政界のフィクサーである渡老人の支援のもとで幸長助教授・邦枝・片岡・中田といった見識ある実力者が集められ、体制を整えていく。また「日本沈没」の情報の真偽に苦悩する政府の姿も描かれる。
- 一方、本作では、まず学界の最高権威(アメリカ測地学会)より「40年以内に日本は沈没する」と説明される(後に田所博士の調査で沈没は1年以内と判明)ことにより、政府が「日本沈没」を既成事実として受け入れてしまい、渡老人の登場や政府の苦悩を描く必然性がなくなっている[注 4]。
- 原作や前作では、物語終盤にて日本政府や世界各国が日本人救出に全力を尽くすが、本作では逆で一様に冷淡(政府首脳が“難民受入交渉”と称し我先に海外逃亡し、世界各国があまりにも多く押し寄せてきた日本人の受け入れに難色を示すなど)である。逆に協力してくれた国もある(日本海溝にあるプレート切断作戦のために掘削機を提供したりするなど)。
- 原作では南関東直下地震で250万人、73年版では360万人の死者・行方不明者が出る。それに対し、リメイク版では終盤の全ての住民の退避後に襲来しており、東京は地震と津波によってそのまま水没する[注 5]。
各地の被害
- 北海道南岸で地震が発生し十勝岳、富良野岳で大規模な噴火が発生、死者が出る。
- 阿蘇山で観測史上最大規模の噴火が発生。阿蘇カルデラは事実上崩壊する。熊本市では火山弾が飛来。熊本城が崩壊する。その後熊本市は都市機能を失う。また、日本国民の避難受け入れ交渉のために中国へ向かう山本総理を乗せた航空機が噴火に巻き込まれ墜落し、山本総理は死亡。
- 長崎県では妙見岳、国見岳が噴火する。
- 鹿児島県の桜島が噴火する。
- 紀の川と吉野川を震源とする地震が発生する。この地震により、高知県との通信が途絶える。
- 青森湾西岸、津軽山地、能代断層で断続的に地震が発生する。
- 九州地方全域で通信が途絶える。
- 東北地方では断続的に地震が発生し、断層が最大10mずれる。
- 中央構造線が裂け、四国と香川県、愛媛県が分断される。
- 北海道南部ではプレートの断裂が始まり分断されていく。
- 島根県の三瓶山が2000年ぶりに活動を開始した。
- 石川県南部、香川県西部、京都府北部で震度7の地震が発生。
- 地震の影響で南海本線全線が不通となる。
- 函館市に津波が来襲して水没する。
- 水門が開放され品川区や渋谷区などが水没する。
- 小松飛行場と広島空港で火山灰の降灰量が離着陸の許容範囲を超え使用が不可能となる。
- 静岡県の天竜川河口、長野県の諏訪湖、新潟県の糸魚川の複数震源で地震が発生。
登場人物の設定
- 前述の通り、ストーリー設定が変更された為、登場人物も、原作より設定変更などがなされている。
- 下記のように原作等にも登場しなかった人物が何人かいる。
- 登場する女性の役割が異なっている(原作等では“お嬢様”だった阿部が東京消防庁ハイパーレスキューの救助隊員[注 6]、政府内で大災害対策の陣頭指揮を執るのが、女性である鷹森大臣。)
結末
- N2爆薬という架空の兵器が、ラストシーンで重要なキーとなる。
- 当初の設定では核兵器が使用されることになっていたが、製作に加わっているTBSが「核兵器の使用」という設定に難色を示したため架空の兵器に変更された。
- 原作などと異なり、山本首相・結城・小野寺は物語中で命を落とす。逆に、原作・映画(1973年版)では日本列島と運命を共にした田所博士は、生命の危険に遭うことも無く生き残る。
- 原作などでは「ほぼ完全」に日本は沈没してしまった[注 2]が、本作では部分的には水没するものの、最終的には日本沈没とはならない。
スタッフ
- 原作:小松左京
- 監督:樋口真嗣
- 脚本:成島出、加藤正人
- 音楽:岩代太郎
- メカデザイン:庵野秀明
- 特技統括/監督補:尾上克郎
- 特撮監督:神谷誠
- VFXプロデューサー:大屋哲男
- 特殊効果:岸浦秀一
- アクションディレクター:諸鍛冶裕太
- 特撮ミニチュア:マーブリングファインアーツ、アップアート
- 特殊造型:原口智生、江久保暢宏
- 特撮:特撮研究所
- VFX・CG:Motor/lieZ、マリンポスト、日本エフェクトセンター、デザインコンビナート、チームガレージ、キュー・テック、ダイナモピクチャーズ、日本映像クリエイティブ ほか
- 科学監修:山岡耕春、土井恵治、平朝彦、巽好幸
- 協力:東京消防庁・独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)・東京大学地震研究所・防衛庁・陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊・本庄市・高崎市・日野市
- エグゼクティブプロデューサー:濱名一哉
- プロデューサー:中沢敏明
- 製作統括:近藤邦勝、島谷能成、島本雄二、喜多川擴、細野義朗、久安学、亀井修、常田照雄
- 配給:東宝
- 製作:映画「日本沈没」製作委員会(小学館、TBSテレビ、毎日放送、電通、毎日新聞社、ジェイ・ドリーム、スターダストピクチャーズ、東宝、セディックインターナショナル)
特別スタッフ
- 地球物理学・火山学(名大教授):山岡耕春
キャスト
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主題歌
- 「Keep Holding U」SunMin thanX Kubota
脚本のクレジットについて
劇場公開時のクレジットでは「脚本 加藤正人」となっており、加藤の単独脚本ということになっていた[注 9]。しかし、DVDのクレジットでは成島の名前が追加されている。どのような経緯で追加されたのかは不明であるが、加藤は公開時の桂千穂との対談で、脚本は二人の共作(成島の名前は出していない)であるが、諸事情で自分の名前しか出ていないと話している[2]。
ソフト化
- 日本沈没 スタンダード・エディション
- 日本沈没 スペシャル・コレクターズ・エディション(DVD3枚組・初回限定生産)
- 2007年1月19日発売。発売元はセディックインターナショナル、販売元はジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン。
- 日本沈没 大辞典 ENSYCLOPEDIA OF SINKING JAPAN
- ナビゲートDVD、発売元はTBS、販売元はTCエンタテインメント、2006年6月21日発売。
テレビ放送
- 2008年4月13日に、TBS系列にてテレビ放映されている。
テレビドラマ
小松左京と東宝との「映画化の後TBSでTVドラマ化する」との契約に従い、映画版と同時進行で撮影された。このTV版スタッフの撮ったカットには、映画版に使用されたものもあるという。
1974年10月6日から1975年3月30日まで、TBS系列(一部地域を除く)・日曜20:00で全26回に亘って放送された(1975年12月31日には、総集編が放送されている)。おりしも、これに先駆けた19:30-20:00には同じく小松左京(他2名)が原作を務めた特撮サスペンスドラマ『SFドラマ 猿の軍団』が放送されており、90分間・2本連続で小松左京作品が放送された時代でもあった。
映画(1973年版)からの流用カットのみに頼ることなく、随所において意欲的な画面を作りあげた特撮だけではなく、ドラマ部分にも多額の予算が費やされ「キャスティング費用だけで1億円」といわれた(DVD収録の解説(静止画面)より)。下記の主要キャスト以外にも浜美枝、土屋嘉男、藤木悠ら東宝特撮作品でおなじみの面々をはじめ、豪華な顔ぶれがゲスト出演し、各回の物語を彩った(主題歌を歌った五木ひろしも、第14話にゲスト出演している)。
なお、小説では中盤に大地震の発生によって大ダメージを受ける東京が最後の方まで無傷だったり、幸長助教授が話の途中で出てこなくなり(演じる細川俊之が途中で降板したため)、代わりに野末技官が田所博士に協力したり、田所博士に娘がいるといったドラマ独自の設定・展開がある。また、田所博士は原作と異なり生き残る。ラストシーンも小説や映画と大幅に違っており、小野寺と玲子が生死不明という形で幕を閉じるが、後に放送された総集編のナレーション等で2人は助かり、オーストラリアへ脱出したことが明かされた。
本放送当時、関西でのネット局は朝日放送(ABC)だったが、後のTBS系列からNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列へのネットチェンジの準備も重なっていた。奇しくも最終回が放送された3月30日は、ABCにおけるTBS系列として最後の放送日でもあった。 後に関西での再放送は、1987年秋から火曜深夜枠にて現在の系列局である毎日放送(MBS)にて流れた。
1995年に福岡県で深夜番組(早朝番組)として再放送されていたが、同年1月17日に第2話の放送が終わった直後、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起こったため、3話目からの放送は打ち切られた。
スタッフ
- 企画:田中友幸
- プロデューサー:斉藤進、小倉斉、橋本洋二、安田孝夫
- 監督:長野卓、金谷稔、福田純、西村潔、山際永三、真船禎
- 脚本:山根優一郎、長坂秀佳、石堂淑朗
- 特技監督:高野宏一、田渕吉男、川北紘一
- 音楽:広瀬健次郎
- 主題歌:「明日の愛」、挿入歌:「小鳥」
- 制作:東宝映像(現・東宝映像美術)・TBS
特別スタッフ
キャスト
- 田所雄介博士:小林桂樹
- 小野寺俊夫:村野武範
- 阿部玲子:由美かおる
- マリア・ベイリー:マリ・クリスティーヌ
- 有吉摩耶:小川知子
- 幸長信彦助教授:細川俊之
- 中田一成秘書官:黒沢年男
- 結城達也:橋本功
- 吉村秀夫:仲谷昇
- 辰野記者:田中邦衛
- 山城教授:佐々木孝丸
- 野末技官:佐原健二
- 邦枝助教授:山本圭
- 松川首相:山村聰
- 渡老人:中村鴈治郎
- 秋本夫妻(アパートの管理人):鳳啓助、京唄子
- 小野寺春子(俊夫の妹):沢田亜矢子
- 小野寺周二(春子の夫。婿養子):岡本信人
- 小野寺健一(周二と春子の子):小塙謙士
- 小野寺加代(俊夫の母):丹阿弥谷津子
- 阿部信太郎(玲子の父):内田朝雄
- 山川ノブ子(木下外科の看護婦):大井小町
- ニュースキャスター:新堀俊明、池水通洋、市川治、作間功
- ナレーション:内藤武敏、岸田森 ※岸田は予告のみ担当、ノンクレジット
サブタイトル
話 | 放送日 | サブタイトル | 脚本 | 監督 | ゲスト |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1974年 10月6日 |
飛び散る海 | 山根優一郎 | 福田純 | 下條正巳(森下信介)、幸田宗丸(教授)、伊豆肇(教授) |
2 | 10月13日 | 海底の狂流 | 西村潔 | 望月真理子(森下悦子)、佐々木勝彦(土屋)、 伊豆肇(教授)、幸田宗丸(教授)、勝部義夫(技官) | |
3 | 10月20日 | 白い亀裂 | 関根世津子(ジュン)、麻里とも恵(京子)、石山克己(小野寺の友人) | ||
4 | 10月27日 | 海の崩れる時 | 長野卓 | 正司敏江・玲児(漫才コンビ ヒロ・タケシ) | |
5 | 11月3日 | いま、島が沈む | 長坂秀佳 | 村井国夫(絹川俊介)、津野哲郎(矢島)、新井つねひろ(太一) | |
6 | 11月10日 | 悲しみに哭く大地 | 西村潔 | 村井国夫(絹川俊介)、小栗一也(小野寺千造)、 頭師孝雄(佐々木一彦)、守田比呂也(後宮次長) | |
7 | 11月17日 | 空の牙、黒い龍巻 | 山根優一郎 | ||
8 | 11月24日 | 怒りの濁流 | 山際永三 | 柳谷寛(源さん)、松下達夫(教授)、幸田宗丸(教授)、 勝部義夫(技官)、伊豆肇(教授) | |
9 | 12月1日 | 海底洞窟の謎 | 石堂淑朗 | 大和田獏(徳光春夫)、玉川伊佐男(徳光太佐衛門)、 三津田健(大西良夫) | |
10 | 12月8日 | 阿蘇の火の滝 | 長坂秀佳 | 金谷稔 | 大門正明(沖田健司)、新井春美(北川レイ子)、 高原駿雄(レイ子の父)、亀谷雅彦(青木則彦) |
11 | 12月15日 | 京都にオーロラが!! | 山根優一郎 | 東野孝彦(日高)、麻里とも恵(京子) | |
12 | 12月22日 | 危うし京の都 | 真船禎 | 東野孝彦(日高)、夏純子(吉川友子)、根上淳(木村弘三) | |
13 | 12月29日 | 崩れゆく京都 | 夏純子(吉川友子)、根上淳(木村弘三)、トニー・セテラ(ダグラス教授) | ||
14 | 1975年 1月5日 |
明日の愛 | 長坂秀佳 | 長野卓 | 五木ひろし(桂省吾)、穂積隆信(大田黒清吉)、柳生博(現場監督補佐) |
15 | 1月12日 | 大爆発・海底油田 | 浜美枝(山内和美)、柳沢真一(山内弥作)、新克利(浜倉清司) フランツ・グルーバー(ロバート・カスター) | ||
16 | 1月19日 | 鹿児島湾SOS! | 山根優一郎 | 山際永三 | 田坂都(結城ユカリ)、神田隆(牛山) |
17 | 1月26日 | 天草は消えた! | 林家木久蔵(坂本和夫)、高津住男(有吉光一)、武智豊子(坂本ハル) | ||
18 | 2月2日 | 危機せまる小河内ダム | 西村潔 | 下條アトム(永井三郎)、水沢アキ(二本松直子)、 藤木悠(二本松安五郎)、石井富子(安五郎の妻) | |
19 | 2月9日 | さらば・函館の町よ | 長坂秀佳 | 金谷稔 | 千石規子(北條はな)、保積ぺぺ(井上元太)、竹井みどり(北條百合)、 小原秀明(五郎)、福崎和宏(カズオ)、鍋谷孝喜(シゲル) |
20 | 2月16日 | 沈みゆく北海道 | 加茂さくら(服部いく)、草薙幸二郎(和田熊吉)、 江村和紀(サスケ)、榊田敬二(いくの父) | ||
21 | 2月23日 | 火柱に散る、伊豆大島 | 長野卓 | 吉田義夫(島本嘉門)、山添三千代(島本タエ子)、 福田豊土(大崎健一郎) | |
22 | 3月2日 | 折れ曲がる、日本列島 | 山根優一郎 | 小倉一郎(石黒順一)、北沢典子(石黒房代)、土屋嘉男(石黒泰造)、 高野浩幸(石黒弘二)、中村亜子(石黒サチ子)、 水谷邦久(大浦岬灯台所員)、鈴木和夫(大浦岬灯台所員・岸本) | |
23 | 3月9日 | 海に消えた鎌倉 | 金谷稔 | 轟謙二(大木二佐)、杜沢泰文 | |
24 | 3月16日 | 東京都民・脱出せよ | 轟謙二(大木二佐)、杜沢泰文、ポーラ野沢(エミー) | ||
25 | 3月23日 | 噫々 東京が沈む | 福田純 | 轟謙二(大木二佐)、杜沢泰文、若原初子(岡山) | |
26 | 3月30日 | 東京最後の日 | 小鹿番(松本銀二)、曽我町子(松本照子) |
映像ソフト
- 1996年から翌1997年にかけ、全13巻を2つに分けて収めたLD-BOXが発売[3]。
- 2001年4月27日から6月22日にかけてアミューズより全9巻でDVDが発売された[4]。
- 2006年にはDVD-BOXとしても発売されている(アミューズソフトエンタテインメント)。
1973年のラジオドラマ
映画版、テレビ版より早い1973年10月8日から1974年4月5日の半年間、毎日放送制作で、9:00 - 15分の帯番組として、月曜から金曜の毎日、全国ラジオネットワーク(NRN)系列局で放送された。全130回。主人公小野寺の名前は、俊夫ではなく浩介と変更されている。
スタッフ
キャスト
- 小野寺浩介:江守徹
- 阿部玲子:太地喜和子
- 田所雄介博士:加藤武
- 幸長信彦助教授:金内喜久夫
- 中田一成:高橋悦史
- 邦枝:角野卓造
- 山本総理:北村和夫
- 渡老人:龍岡晋
- 吉村秀夫:下川辰平
- ナレーター:川辺久造
- その他出演:文学座
1980年のラジオドラマ
NHK連続ラジオドラマ(1980年「連続ステレオ小説」としてNHK-FMで放送、のちにAMで再放送)。1話15分の全10回放送。設定年代を「198X年」とした他はほぼ小説通りのストーリー展開である。FMでの初回放送の直前に総合テレビの『NHK番組ガイド』で取り上げられ、東京大地震の群集シーンの収録風景が紹介された。
- 脚色:津川泉
キャスト
- 小野寺俊夫:鹿賀丈史
- 阿部玲子:島村佳江
- 田所博士:巖金四郎
- 幸長:纓片達雄
- 中田一成:大塚国夫
- 山崎:川久保潔
- 渡老人:宮口精二
- 首相:久米明
- オーストラリア首相:久松保夫
- 国連特別委員会委員長:加藤精三
- 語り:小林恭治
- テーマ音楽:シベリウス「交響曲第1番」
- レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニック演奏版(1967年)を使用。オープニングは第1楽章、エンディングは第4楽章からの抜粋。BGMも第4楽章からの抜粋が多く使われた。
漫画
玩具
- 『おおくに&メカコレクション』(青島文化教材社) - テレビ版に登場したメカの商品化。おおくに、わだつみ、ケルマデック、はやとが含まれる。
- 『日本沈没 D1計画篇』『日本沈没 D2計画篇』(タカラトミー) - 映画リメイク版のメカコレクション。主に劇中登場した自衛隊の装備や深海潜水艇が中心だが、撮影に用いられたタグボートもラインナップに含まれる。
- 『海上自衛隊輸送艦しもきた』(タカラトミー) - 映画リメイク版で登場した輸送艦「しもきた」の1/700模型。
実現しなかった映画化案
『日本列島沈没』
1972年頃に『日本沈没』を原作とした映画『日本列島沈没』を大映が製作発表した。経緯としては、1971年頃にマスコミで東京大地震が話題になっていたことに着目して大映社内で東京大地震を特撮映画をする企画が浮上。そんな中、1972年秋に『放送朝日』の対談記事で小松左京がその種の話を執筆していることが判明し、東京大地震のストーリー提供を打診したところ、『日本沈没』の執筆を教えられ、小松から出版前の生原稿を提供される。これを大映社内の企画会議で検討した結果、前向きに企画が動き出すことになる。ところが大映社長の永田雅一社長が、社内でこの企画を動かしていた担当者に何の連絡もなく独断で突然『日本列島沈没』を製作発表。制作費の目処が立っておらず、正式な契約書も交わしていない段階で小松に無断での発表だった。結局『日本列島沈没』の企画はそのまま棚上げとなり、原作の出版後に東宝が正式に映画化権を取得した[5]。
『続日本沈没』の企画
1973年末夕刊紙に東宝の翌年以降の大作ラインナップの広告が出された際、エスパイ、ノストラダムスの大予言等と共に発表された。製作前の各作品に「抽選で50名を試写会にご招待」とまで告知された。
監督と特技監督には前作と同じ森谷司郎と中野昭慶を起用。タイトル横に付けられたキャッチ・コピーは「祖国を失った日本人は世界史から抹殺されるのか?」だった。プロットとしてはジュネーブで再会する小野寺と玲子、難民化した日本人の受難、日本政府の裏資金での国土調達活動等が描かれると言われたが、製作は立ち消えになり幻の企画となった。
『日本沈没1999』の企画
1998年9月30日に銀座東急ホテルで、松竹が1999年12月から公開する2000年の正月映画として『日本沈没1999』の製作発表を行なった。監督には大森一樹を起用。大森と小松は、共に1995年の阪神・淡路大震災の被災者でもあり、その経験を活かそうと阪神・淡路大震災当時に見られた若者たちのボランティア活動やインターネット上の動向を盛り込もうと意欲を見せ、小松も若い世代の描写に期待を寄せた。映像面でもスペクタクルシーンにCGを活用する方針を採用。光吉俊二、大原伸一といったスタッフの名前が挙がった。
総製作費12億円、配収目標30億円の大作になる予定だったが、業績不振の松竹は制作費を調達できず、1999年3月5日の記者会見で大谷信義社長が「検討中」とコメントし、同作の関係社員を異動させた事も明らかとなり、事実上の製作中止が確定した[6][注 10][注 11]。結局、2000年の松竹の正月映画には大島渚の監督作『御法度』が公開された。
小説『日本沈没 第二部』
小説の続編である『日本沈没 第二部』が、2006年の再映画化に合わせ、谷甲州との共著という形で2006年7月に出版された。
執筆までの経緯
テレビでの対談において続編の構想について質問された小松は「日本沈没時、大量に発生した火山灰のため地球全体が寒冷化し、地球規模の食糧不足となり、そのような状況の下、世界各地に散らばった国を失った日本人がどうなるかを考えていたが、昨今の火山の噴火に伴う同様の状況の現出など、あまりに現実的すぎるテーマとなってしまい筆が進まないでいる」という趣旨の回答をしており、第2部においても「地球寒冷化」が「日本人の行く末」と並んで重要なテーマとされている。
後に小松と彼を慕う若手SF作家(谷や森下一仁ら)を中心として『日本沈没』の続編を執筆するプロジェクトが立ち上げられて、沈没後に残された日本人と地球が辿るであろう運命について議論が交わされて小松の元で基本的なプロットが纏められた。だが、小松が既に老齢であったこともあり、実際の執筆は沈没後の日本人が活躍の舞台とするであろうアジア地域での生活が長かった谷が担当した。
「第二部」以降の展開
第三部の構想もある。2006年にラジオ番組「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー」に小松が出演した際、「第三部をもし作るとしたら、第二部で生きてた日本人はもう宇宙まで行くしかない。宇宙にメガフロートを作ろうかと谷(甲州)と話している」と言った趣旨の発言をしていた。
『日本沈没』が執筆開始された後から「SFマガジン」に連載され、出版は1966年と『日本沈没』に先んじる形になった小松の別の長編小説『果しなき流れの果に』には、短いエピソードとして、国土を失ったさらに未来の日本人の行く末に触れており、ここでは宇宙に進出する日本人の姿が描かれている。また、『お祭り』というショートショート作品では、国土を失った日本の民族が宇宙開発を率先して進めたため、その貢献への返礼としてお盆に太平洋上で巨大「大文字焼き」を行う権利を得、月面や衛星軌道上から眺めるという新たな風物詩を定着させている、ということになっている。
現実に日本列島が沈没する可能性
日本列島の土台は複数のプレートの運動によって形成された付加体である。これは大陸側のプレートと太平洋側のプレートの衝突によって、海洋プレートの上の堆積物が押し上げられる形で隆起したものである。よってこのプレートの動きが変わらない限り日本列島が沈没することはなく、むしろ現在日本列島は沈下ではなく隆起している。実際にプレートの動きが変わっても完全に沈没するまで100万年以上かかると計算されており、差し迫って沈没時のための準備や心配、対策などをする必要はないとされている[7]。
また、入舩徹男・愛媛大学教授は、ネイチャー2008年2月14日号に発表した論文で、地表から地中に沈下したプレートは、地下600キロ前後で滞留しそれ以上は沈下しないとしている[8]が、映画のようなメガリスの崩壊説が完全に覆されているわけではない[9]。
作者の小松にとっても承知であり、作品中でも示唆されている通り日本沈没は、“何億年に一度かの天変地異が今起こったら?”という仮定の話である。仮定が現実となった場合であっても、天変地異が日本列島のみに限定されることや、たった数年の前触れだけで起こる事は、まずあり得ない。
パロディ
- 日本以外全部沈没
- 日本漂流
- 小松左京による自己パロディ。松代群発地震の調査でボーリングを行ったところ、なにやら柔らかいものに行き当たり、同時に日本列島すべてを激震が襲い、直後に日本列島は南に向かって泳ぎ出す。地下にナマズがいるというのは本当で、日本列島の下にはなんと巨大な一匹のナマズのような怪物がいたのである!という話。超々特大日本鯰竜(アルキウルトラギガントナマザウルス ニッポニクス)という名が付けられている。
- 日本ちんぼ*
- 横田順彌のナンセンスパロディ小説。
- 日本ふるさと沈没
- SMAP×SMAP
- ケロロ軍曹
- ドラえもん
- 王様はロバ〜はったり帝国の逆襲〜
- ギャグ漫画。タイトルは「日本ちょっと沈没」、数回にわたり連載されていた。局地的な地盤沈下により、日本が80cmだけ沈没(浸水)したという設定で、その環境で暮らす人々の生活を描いたネタ。
- ふしぎの海のナディア
- ハヤテのごとく!
- 週刊少年サンデーで連載中の漫画。メイドのマリアが、ヒロインの三千院ナギの暇つぶしに見ていた映画DVDの中に「練馬沈没」という作品を見つける場面がある。この場面が登場した物語はリメイク版が放映された年に掲載された。
- 大韓民国の新聞
注記
出典
参考資料
- 横田順彌『SF事典』(広済堂、1977年)
- 小松左京『SFへの遺言』(光文社、1997年)
- 『出版データブック』(出版ニュース社、1997年)
- 樋口尚文『「砂の器」と「日本沈没」 70年代日本の超大作映画』(筑摩書房、2004年)
- 小松左京・イオ『小松左京マガジン 第23巻』(角川春樹事務所、2006年 - 海外版「日本沈没」について)
- 『キネマ旬報』(キネマ旬報社、2006年7月下旬号)
- 川北紘一『特撮魂 東宝特撮奮戦記』(洋泉社、2010年)
関連項目
外部リンク
- テレビドラマ版日本沈没DVD紹介ページ
- 筑摩書房「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」
- 東京大学地震研究所 「日本沈没」と地球科学に関するQ&Aコーナー
- 緊急地震速報と映画「日本沈没」
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- ↑ 『月刊シナリオ』2006年9月号。
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ 鈴木噺也『ラッパと呼ばれた男 映画プロデューサー永田雅一』キネマ旬報社、1990年、pp.123-125
- ↑ サンケイスポーツ1999年3月6日「松竹版『日本沈没』製作中止」
- ↑ 「日本が沈むことはないのですか?」「100万年かけて沈むと書いていましたが、日本は、最終的には沈むのでしょうか?」 共に東京大学地震研究所日本沈没と地球科学Q&Aコーナー
- ↑ 日本沈没ない?愛媛大でプレート落下説を否定する研究成果 読売新聞 2008年2月14日付(2008年2月17日時点のアーカイブ)
- ↑ 第8回 日本は沈まない? 山岡耕春・名古屋大学大学院教授(仙台放送「大地震に備える」)
- ↑ その記事
- ↑ その記事
- ↑ 韓国メディアが東日本大地震をパニック映画と関連付け報道・「日本沈没」と報じた韓国メディアに非難殺到、「なんという見出し…気は確かか?」
- ↑ 「日本沈没」訂正しエール 韓国大手紙、震災報道を反省(朝日新聞2011年12月27日 2014年8月25日閲覧)・それを拡大したもの(左が3月11日付、右が12月26日付)