中条静夫

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テンプレート:ActorActress 中条 静夫(ちゅうじょう しずお、本名:中條 靜雄1926年3月30日1994年10月5日)は、日本俳優静岡県出身。

来歴・人物

東京府立第二商業学校(後の東京都立第二商業高等学校)卒業。従軍経験があり、当時の教官から「学生のくせに名前がチュウジョウ(中将)とは何事か」と理不尽な説教をされたことがあると後年述懐している。

1948年大映の入社試験に合格し俳優デビュー。以後、エキストラ同然の大部屋暮らしが長く続いたが、1965年から始まった大映テレビ室制作のテレビドラマ東京警備指令 ザ・ガードマン』(宇津井健主演)に小森隊員役でレギュラー出演。これがはまり役となり、一気に名優の仲間入りをした。大映倒産後、福田恆存の主宰する現代演劇協会・劇団欅に入団。1976年、「劇団欅」と「劇団雲」が合併した「劇団昴」の旗揚げに参加し、新劇の舞台でも活躍した。1974年の『6羽のかもめ』は脇役だが、メイン脚本家倉本聰は中条を軸に据えたエピソードも何本か執筆し、その演技が高い評判を呼ぶ。中条自身は後年のインタビュー(キネマ旬報1978年8月下旬号)で「俳優・中条静夫は、倉本聰さんとの出会いによって作り上げていただいた」「ぼくの、代表作ですよ」と語っている。

以降もNHK朝の連続テレビ小説雲のじゅうたん』『京、ふたり』、サスペンスドラマ赤い衝撃』、刑事ドラマ大都会 闘いの日々』『あぶない刑事』、日曜劇場オトコの居場所』など数多くのテレビドラマに出演。存在感のある脇役として親しまれた。

1994年10月5日午後11時59分、による肝不全のため死去。テンプレート:没年齢

『あぶない刑事』との関係

夢千代日記』(NHK)における藤森捜査課長役、『花へんろ』(NHK)における商家の遊び好きな主人・照一役、『赤い衝撃』(TBS)における実業家・大山豪介役など名脇役として当たり役が多かった中条。その中でも、死後も尚、その存在感がリスペクトされるまでの当たり役となったのが、『あぶない刑事』における近藤卓造・港警察署捜査課長役である。

この近藤課長役で中条はコミカルな雰囲気が強いこのドラマの中にあって、一際重厚な存在感を発揮した。中条はもともと、アドリブが嫌いなことで有名で、台本から外れたことはしない事で有名だったが、この作品においては主演の二人に乗るようにして、さまざまなアドリブやコミカルな台詞回し・仕草を見せており、没後10年以上を経過した今も尚、このドラマの熱狂的ファンや当時製作に関わった関係者の多くから「あぶない刑事の課長といえばやはり近藤(中条)を置いて他になし」と評されている。 彼の没後に製作された続編映画『あぶない刑事リターンズ』(1996年)では本編終了後に「To The Memory of 中条静夫」とのテロップ表示が用意されたり、彼が演じていた「近藤課長」の名が本編の台詞内に幾度と無く登場するなど、全編にわたり中条へのリスペクト色が強い作品構成が採られた。

尚、このドラマで共演した主要キャストである舘ひろし柴田恭兵浅野温子仲村トオルの何れともその後も他のドラマ・映画で幾たびか共演(舘とは映画『免許がない!』(1994年)、柴田とは『勝手にしやがれヘイ!ブラザー』(1989年)、浅野とは月9ドラマ世界で一番君が好き!』(1990年)、仲村とは『勝手にしやがれヘイ!ブラザー』『俺たちルーキーコップ』(1992年)でそれぞれ再度共演)しており親交も深く、中条の死去が1996年の『あぶない刑事』の復活への後押しとなった。

尚、没日である10月5日がこの『あぶない刑事』第1シリーズの第1回目の放送日であり、死去時刻の午後11時59分も同ドラマ内にて、何度も話の上で重要な鍵を握る時刻であった。

備考

遺族によると、葬儀の際には中条の希望により、本人が最も好きだった『夢千代日記』と『花へんろ』の台本が棺に収められた。

主な出演作品

映画

テレビドラマ

吹き替え

その他テレビ

CM

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