新幹線大爆破

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テンプレート:Infobox Film新幹線大爆破』(しんかんせんだいばくは、英題: テンプレート:En、仏題: テンプレート:En )は、日本パニック映画特撮映画

日本では1975年7月5日に上映時間152分で封切り公開された。日本国外では国際版(『テンプレート:En 』)が115分、フランス公開版(『テンプレート:En 』)が100分に編集され公開されている。日本よりも海外での評価が高い作品である。

概要

企画は当時の東映社長・岡田茂である[1]。当時の東映は『仁義なき戦いシリーズ』など実録やくざ路線を主流としていたが、1974年(昭和49年)頃からその人気が下火になりつつあった[2]。代わって『殺人拳シリーズ』などの空手映画は大ヒットしていたものの[2]、決め手に欠く状況であった。1974年5月、岡田は当時の東映企画部長・天尾完次との打ち合わせで、ヤクザ映画に代わる新たな素材を探した。岡田には「アメリカでヒットしているものが、間もなく日本でも受けるようになる。だから常にアメリカの動向を観察していなければならない」という考えがあった。当時のアメリカ映画は『大地震』、『サブウェイ・パニック』、『タワーリング・インフェルノ』など、いわゆるパニック映画が非常に受けており、「間もなく日本に輸入されてくるはず。それが『エクソシスト』などの後をうけて大当たりするはずだ。」と予想していた。「それでは日本で製作するにはテーマを何にするか?」と考え、「日本だけにあって題材となるものといえば新幹線しかない、新幹線を乗っ取る、あるいは爆発させるというストーリーは日本だけでしか出来ないし、外国に持っていっても遜色ないものが出来るに違いない、それをやろうじゃないか」というのが企画の始まりだった[3]

制作費5億円を費やし[4]、当時の洋画トレンドであった、パニック系アクションの製作に乗り出した第一作目ということもあり、業界からも注目を集めた。しかし、国鉄に新幹線の撮影協力を交渉した所、国鉄は映画のタイトルに難色を示し、その変更を要求。東映はこれを拒否した。このため撮影協力を得られず、ロケーション撮影が思う様にできなかった。新幹線の車内についてはセットを作ることで凌いだが、こうした経緯から制作が2ヶ月ほど遅れ、映画の完成は封切の2日前だった。そのため試写会もなく、宣伝も行き届かなかった。また、1本立て興行ではなく、当時の人気アイドル・グループ「ずうとるび」のドキュメンタリー風短編映画『ずうとるび 前進!前進!大前進!!』との通常通りの2本立て興行であったことも影響し、第一級のサスペンス映画に仕上がりながら、不遇の扱いとなってしまい、任侠路線が色濃く残る東映のイメージもあいまって興行的には成功を収めたとは言えず、同年に東映が企画段階で頓挫した作品の穴埋めとして急遽製作、上映された『トラック野郎・御意見無用』の配給収入の8億円の半分にも及ばなかった。

1980年代以降、同作品のビデオレンタルテレビ放送がされるにつれ徐々に再評価されるようになった。

物語の肝は新幹線が時速80キロを下回ると爆発するという状況下の中で繰り広げられる、犯人と国家との攻防劇である。新幹線に爆弾を仕掛けた犯人、危機の回避に全力を尽くす国鉄、犯人逮捕に躍起になる警察、パニックを起こす乗客の姿で主に構成されている。パニックムービー制作時の典型的な構図ではあるが、「爆弾による脅迫」という内容から、国鉄の協力が一切得られない中で隠し撮り映像や模型での代替といった苦肉の策がとられている。具体的にはゲリラ撮影、別件撮影や他作品との合同撮影、シュノーケルカメラを使った精密な模型による特撮が挙げられる。

犯人側の人生背景にも大きくスポットが当てられており、町の零細工場の経営に失敗した男がなぜ犯行に至ったのか、日本の高度経済成長時代への批判を暗示しつつ明らかにされていく。犯人側にもドラマを与え感情移入を狙った描写は邦画ならではのところがあり、単なるパニックムービーとして括れないことが高評価に繋がっている。後に短縮版である『テンプレート:En 』がフランス等海外に輸出されているが、上述のような犯人側のエピソードは割愛されており、単なるテロリストとして扱われている。

ストーリー

あらすじ

ある朝国鉄に、本日東京駅を出発した「ひかり109号」に爆弾を仕掛けたと、脅迫電話がかかってきた。犯人は今でいう「負け組」となった三名のグループで、新幹線に爆弾を仕掛け、誰も殺さず殺されずに巨額の身代金を得ようと完全犯罪を計画したのであった。終盤まで、犯人グループと警察当局・国鉄とのスリリングな駆け引き、そして乗客乗員らのパニックが続く。

詳細

東京発博多行の「ひかり109号」(16両編成)が新横浜駅を定刻通りに通過[5]したころ、国鉄本社に1本の脅迫電話がかかってきた。電話を受けた幹部の宮下公安本部長は驚愕する。「ひかり109号に爆弾を仕掛けた。その爆弾は時速80キロに達した際スイッチが入りそれ以上の速度で走っていれば問題ないが、再び80キロに減速すると爆発する仕掛けである。信じられないだろうから夕張追分行きの貨物5790列車にも同様の爆弾を仕掛けた。どこでもいいから好きな所で時速15キロ以下に減速してみろ。爆弾は必ず爆発する。」

三宅新幹線技師長、高沢新幹線運転車両部長、宮下公安本部長が脅迫電話を録音したテープレコーダーを囲む一室に、早速、倉持運転指令長が呼び出される。事実を知らされた倉持指令長も驚愕する。

新横浜駅 - 小田原駅間を走行中の「ひかり109号」の青木運転士に列車無線で事態が知らされた。そんな複雑な爆弾が本当にあり得るのかと、疑問に思う青木運転士だったが、同じ爆弾が北海道夕張線貨物5790列車にも仕掛けられており、現在確認中であることを倉持指令長から告げられる。

爆弾の情報は当の「貨物5790列車」に伝えられ[6]、機関士たちは線路脇の草地へ飛び降り脱出した。無人となった「貨物5790列車」は犯人の予告通り爆発し、爆弾が実在することが確認された。

脅迫電話は本物と証明され、倉持指令長から「ひかり109号」の青木運転士にも知らされた。倉持は車内に不審物がないか捜索することと、博多駅到着までの時間を少しでも稼ぐために速度を時速120キロメートルに抑えて走行するよう指示し、国鉄当局は再び犯人の電話を待つ。

どんなささいなトラブルでも停めるという新幹線の安全を守るシステムや基本理念に、正面から挑戦状を叩きつけられる形となった国鉄。警察庁による対策本部が設置され、乗客の救出と犯人逮捕へ取り組むこととなる。

停められなくなった「ひかり109号」のために、運転指令室から東海道・山陽新幹線を走行中の各列車に指令が次々と出された。まず、「ひかり109号」の前を先行する下り列車は各駅で「ひかり109号」を待避、後続列車は全列車運休とされた。その最中、先行する「ひかり157号」がBr[7]系統の故障で立ち往生との一報が入る。そこで上り列車も全て運休とし「ひかり109号」を浜松駅で上り線に移そうとするが、浜松駅手前12キロメートル地点に「ひかり20号」が接近中であった。さらに下り列車が上り線に入るためにはATCを切らなければならないが、走行中にATCを切れば非常ブレーキがかかる。絶体絶命のピンチが訪れた。

倉持は、「ひかり20号」が浜松駅を通過すると同時に「ひかり109号」を上り線に転線させる決断をし、浜松駅の分岐点に「ひかり20号」が分岐点を通過した瞬間を確認し報告させるための係員を派遣するよう指令を出した。青木運転士には、上り線を逆走させるために列車種別を回送に変更し、「ひかり20号」の通過する時間を稼ぐために時速90キロメートルまで速度をダウンさせ、さらに指示があったら時速120キロメートルに加速するよう指示を出す。青木運転士は、列車が対向して走行している上り線に転線すること、爆発すると言われた時速80キロメートルに近い時速90キロメートルで走行すること、さらに分岐点の通過制限速度である時速70キロメートルを上回る時速120キロメートルで分岐点に進入することに対し、取り乱すほどに倉持に抗議をするが、議論する時間がない今、指示に従わせる以外にない倉持指令長は、強い口調で青木を諭し、指示通りに運転させる。青木は、指示通り時速120キロメートルに増速し、分岐点通過ギリギリ手前でATCを切る。その後非常ブレーキにより速度は落ちていき、「ひかり20号」をかわし「ひかり109号」の最後尾の車両が分岐点を通過し上り線に入りきった段階で時速84キロメートルまで速度が落ちたが、このとき非常ブレーキが緩解し安全な速度まで増速することができた[8]。上り線への転線が成功したことで青木は、倉持に対して取り乱したことを詫び、のちに「ひかり109号」は豊橋駅で下り線に戻っている。

その後、電話で届いた犯人の要求、それは500万米ドル[9]。車両代16億円と乗客全員の命とに比べればはるかに安い要求だとうそぶく一方で、自分たちの目的は殺人ではない、金だけだ、爆弾の解除方法は、金と引き代えに必ず教えると約束する。犯人は経営していた町工場が倒産にも逃げられたリーダーの沖田哲男、元過激派学生運動家崩れの古賀勝、仕事もなく生活のため過剰な売血で死に掛けていた所を沖田に拾われた大城浩の三名であった。

名古屋駅を都合により通過する[10]」という放送が流れると、それまでの車内検査をいぶかしんでいた乗客が遂に「なぜ止めないのか?」と騒ぎ出し、車掌室に詰め掛けた。途方にくれる田代。容疑者藤尾護送のため居合わせた国鉄鉄道公安官[11]菊池は名古屋駅を通過後に、事の次第を車内放送で乗客に告げた。

名古屋駅通過中にパニック状態に陥った名古屋駅で降りる予定だった臨月の妊婦が産気づいてしまう。さらに、車内電話の順番を金で買おうとした商社マンが非難を浴びる。

500万ドルの受け渡しで、主犯の沖田哲男は当局にヘリコプターで埼玉方面に現金を持って向かうよう指示、寄居桜沢高校の校庭に着陸させた後に秩父鉄道の野上駅に向かわせ、駅の手荷物預り所からトランシーバーを受け取らせる。そして、刑事1人に現金を持って荒川上流の長瀞渓谷を「長瀞ライン下り」で下るよう命じた。トランシーバーを通じて現金入りトランクを崖の上から垂らしたロープに結わえ付けて去るよう指示が来たが、犯人確保を焦る刑事は通りがかった大学の柔道部員たちに崖の上の爆弾犯人を捕まえてくれと叫んでしまう。ロープを垂らしていた実行役の犯人・大城浩はその場で受取を諦めオートバイで逃走する。しかし警察が深追いしすぎたためパトカーにバイクが激突、大城は即死してしまった。それを見つめるしかない沖田だった。大城自身の遺体からは身元や、爆弾の解除方法に繋がる物は何も出ず、警察は焦る一方であった。

その後警察は、都営地下鉄6号線(現在の都営地下鉄三田線)の志村車両検修場付近で犯人グループの古賀勝を発見、追跡を開始。古賀は夕張で「貨物5790列車」に爆弾を仕掛けたが、その際吸った煙草の銀紙に残した指紋が、過去に学生運動で逮捕された際の指紋ファイルと一致して身元が割れていた。行く手を地下鉄に遮られた刑事が、古賀を拳銃で撃ったが致命傷とはならず、アジトである沖田が経営していた町工場に古賀は辛くも逃げおおせた。

犯人グループの大城が死亡し、さらに古賀も取り逃がすという度重なる失態に業を煮やした倉持指令長は、捜査本部に抗議に出向く。どんな変事でも停めるという新幹線の安全に対する基本理念を衝いた恐るべき犯罪であることを訴え、もっと慎重に対応するよう求めるが、捜査本部の特捜係長からは、逆に国鉄には「ひかり109号」の救出の方法はないのかと切り出された。例えば、「ひかり109号」の編成を前後半分に分割し、分割された前部の編成に乗客を集めた上で、無人になった後部の編成を停車させる。その編成が爆発すれば乗客救出はたやすいし、もし爆発しなければ集められた乗客が乗る前部の編成に爆弾が仕掛けられていることになるから、救援車を連結して、今度はその救援車に乗客を移せばいい、と提案される。しかし、固定編成が前提の新幹線では車内から連結器を外すことは絶対と言っていいほど不可能であり、もし無理に切断すれば、即座に非常ブレーキがかかる。そんなことが可能なら既にやっていると言い捨てて倉持は特捜本部を後にする。

国鉄側は警察に頼ることをあきらめ、自力で爆弾を見つけるため、鉄橋を通過する「ひかり109号」の床下機器を高速度撮影するが、光量不足で爆弾は発見できなかった。

大城の死と古賀の負傷を目にした沖田は「俺たちの負けかな」「これ以上じたばたしたって、ただ見苦しいだけだって気はしないか」と弱気になるが、古賀は社会からはじき出された我々が犯罪を完遂することに意義があると力説する。「いいじゃねぇか……浩が死んだって、俺が死んだって、極端に言やあアンタまで死んだって、この仕事をやり遂げりゃ、俺たちは見苦しくなくなるんだ!」古賀の熱意が、沖田を再び現金奪取へと動かした。沖田は、一旦取引打ち切りを宣告する電話を入れ、捜査本部を揺さぶる。爆弾の外し方が分からぬまま取引が打ち切られることを恐れた捜査本部は、沖田からの再度の電話で、要求を全て受け入れ、一切の逮捕行為や現金入りトランクへの探知機設置をしないことを約束した。

最後の取引は、首都高速道路の待避エリアでバイクと軽トラックを用い行なわれ、警察は一応の約束を守り、刑事の追跡が遅れたため、500万ドルは沖田の手に渡った。沖田は約束通り、爆弾の解除方法を記した図面書類を、新橋4丁目の喫茶店「サンプラザ」に預けてあるから取りに行けと、電話で捜査本部に教える。この時新幹線内では、名古屋で産気づいた妊婦は乗り合わせた秋山女医の手当ての甲斐なく死産となってしまっていた。刑事らが書類回収に向かったところ、当の「サンプラザ」の入った雑居ビルは火事に見舞われており、図面も当然焼失してしまった。

その頃、大城浩の遺体の指紋から、過去に起こした人身交通事故の調書が警視庁にあることが分かり、FAXが捜査本部に送られてきた。その調書には、大城浩の身元保証人として沖田哲男の名と沖田の経営する町工場沖田精器の住所が記載されており、古賀勝が目撃され取り逃がした現場とは至近距離であることが判明した。捜査本部は、その住所をアジトと断定、特捜係長から長田刑事に現場へ急行するよう指令が下った。警察に包囲された古賀は、車で戻ってきた沖田に気づく。(ここに来ちゃダメだ、一人で逃げてくれ)というメッセージを沖田に伝えるため、残ったダイナマイトで凄絶に自爆する古賀。その意を汲み取り、驚愕しつつ沖田は車をUターンさせた。やがて人気の無い河原に来た沖田は、大城と古賀の偽造パスポートを燃やす。

万策尽き果てた捜査本部は、主犯を沖田と断定し公開捜査に踏み切る。更に沖田の別れた妻の元に飛び沖田の顔写真を要求するが、妻は一切を処分したのでもう写真は無いと言い張った。わずかな望みをかけ、倉持指令長はテレビで沖田に呼びかける。「図面は火事で燃えてしまったんだ、本当だ。沖田さん、爆弾の外し方を教えて下さい!乗客1500人の命を救ってくれ!」モーテルの一室で大城と古賀の遺族宛てに身代金の分け前を送る作業中の沖田にも、倉持のその訴えは届いた。だが、罠か否かはわからない。

「ひかり109号」車内では、古賀の爆死と図面の焼失を知った乗客たちが絶望にかられ、商社マンは錯乱し「はしれ超特急」を歌い出すなど、パニックの度を増していた。「ひかり109号」で護送中の藤尾がその混乱に乗じて逃げようとするが、菊地公安官らに取り押さえられる。藤尾は古賀にダイナマイトを売った際にこの爆破計画を知り、犯行完遂後に口止め料を貰う約束だったのだ。沖田らが自分を見捨てたと思った藤尾は、「タケダシュンスケ」名義の偽造パスポートで沖田が海外脱出を計っていることを護送の刑事に漏らす。新情報を得て、出国カウンターで「タケダシュンスケ」を探す羽田空港の刑事たち。

遂に政府当局は、国鉄総裁以下幹部に「ひかり109号」が新関門トンネル到着までに、爆弾を解除し停車させるめどが立たなければ、山口県内の田園地帯で「ひかり109号」を停車させることを促し、国鉄総裁は政府当局が示したその地点を「ゼロ地点」と定める。それはすなわち「ひかり109号」を爆破し、1500人の乗客たちを見殺しにすることを意味する。しかしこれは、「ひかり109号」がこのまま九州へ入り博多駅に到着した場合、先に線路がない以上[12]否応なく停車すなわち爆発せざるを得ず、それによる北九州工業地帯や新関門トンネルへの被害を防ぐためであった。

その後、広島のテレビ局からありったけの照明車を掻き集め、2度目の高速度撮影を行った結果、遂に2号車の前部台車に、電磁式速度計を伴ったダイナマイトが仕掛けられているのを発見。このため「ゼロ地点」は当初の予定より少し先の下関市小月に変更された。そして、2号車前部のドアを開け、公安官の菊池が爆弾のケーブルを引きちぎることを試みるが、跳ねたバラストが手にぶつかり、失敗する[13]

最後の手段として爆弾近くのゴミ箱に作業ルートを確保する穴を開けるため、「ひかり109号」と救援車(4両編成)を並走させ酸素溶接機一式を持ち込むことにした。上下線間にある障害物が迫る中、双方を時速100キロメートルで並走させ、渡り板を渡してボンベとバーナーを「ひかり109号」の車内に持ち込むことに間一髪成功。運転士の青木がゴミ箱に穴を開け、その穴からペンチを差し入れ、ようやく爆弾のケーブルを切断できた(この間の運転は森本副運転士が行っている)。これで速度を落としても爆弾が爆発する危険性はなくなった。

安心したのもつかの間、宮下鉄道公安本部長が高速度撮影された写真を持って運転司令室に駆け込んできた。6号車に第二の爆弾らしきものがあるとの報告だ。だが写真は不鮮明であり、爆弾かどうかは判別できなかった。もう一度撮影をすることを三宅新幹線技師長は提案するが「ひかり109号」は、すでに「ゼロ地点」目前まで来ており、もう対処する時間は残されていなかった。国鉄新幹線総局長は覚悟を決め、倉持指令長に停車を指示するよう命令する。

倉持指令長は「もし爆弾であったら乗客が危険に晒される」と「ひかり109号」を停車させることに反対するが、国鉄新幹線総局長は「だからこそ停車させるんだ。大の虫(北九州工業地帯や新関門トンネル)を生かすためには小の虫(「ひかり109号」の乗客の命)を犠牲にすることも必要だ。君が指令できないなら私が指令を出す」と指令台に足を向ける。倉持指令長はそれを遮り、「私がやります」と、停車指令を出すべく列車無線のマイクに向かった。一か八かの停車指令に従い、「ひかり109号」はゆっくりと減速を続け、遂に停車する。6号車に爆弾は存在せず、2号車の爆弾の爆発を防ぎつつ停めることができたのだ。喜びに沸き安堵する「ひかり109号」の乗客・乗務員、そして運転司令室。倉持指令長は、新幹線総局長と目を合わすと、そのまま静かに退室した。

退室し廊下を歩く倉持指令長の目に、自らが沖田に訴えるテレビ画面が映った。警察は主犯の沖田に再度電話させ逆探知するため、「ひかり109号」救出のニュースを差し止めたのだ。これを見た倉持指令長は、乗客の家族が死ぬ思いで救出を祈っているのに、なぜ救出のニュースを流さないのかと、警察に怒りをあらわにするが、自分も(無事に停車したものの)1500人の乗客を見捨てて「ひかり109号」に停車を命じたことに気づき、もうこの仕事を続ける資格は自分に無いと悟る。倉持指令長は新幹線総局長に「明日、辞表を持って参ります」と言い残しその場を立ち去る。

羽田空港でもテレビでの倉持の呼びかけは流れていた。「タケダシュンスケ」を待ち構える警察の眼をすり抜け、「サクマゴロウ」名義の偽造パスポートで出国カウンターを通過した沖田は、逆探知を避ける一方で倉持の訴えに応えようと、東海道新幹線の車庫である東京運転所の職員へ爆弾解除方法を電話する。後顧の憂いを絶ち、コペンハーゲン行きのスカンジナビア航空984便に乗ろうと進む沖田だったが、その出国ゲートには沖田の首実検のために警察が連れて来た、沖田の別れた妻と息子がいた。二人の動揺した様子から、沖田は遂に警察に見破られ、ゲート寸前で引き返す。更に空港から多摩川を泳いで逃亡するも、対岸には警察が先回りしていた。須永刑事部長の警告を無視し海へ飛び込まんとしたところを警察狙撃隊の銃弾に倒れる。沖田の夢はそこで潰え、搭乗するはずだった旅客機が夜空に高く舞い上がっていった。

ひかり109号について

当時、実際の「ひかり109号」は東京9:48発の博多行きで、途中の停車駅は名古屋・京都新大阪新神戸姫路・岡山から先各駅停車(当時は新尾道東広島厚狭の各駅はまだ開業していない)といういわゆる「Aひかり」と言われる列車であり、時刻は以下の通りであった。

東京(9:48発)→名古屋(11:49着/11:51発)→京都(12:41発)→新大阪(12:58着/13:00発)→新神戸(13:17発)→姫路(13:45発)→岡山(14:15着/14:17発)→新倉敷(14:31発)→福山(14:46発)→三原(15:01発)→広島(15:27着/15:29発)→新岩国(15:48発)→徳山(16:08発)→小郡((現:新山口)16:28発)→新下関(16:51発)→小倉(17:02着/17:04発)→博多(17:36着)

なお東海道・山陽新幹線(東京 - 博多間)を全線通して運行される「ひかり」号は「のぞみ」号の登場もあって現在のダイヤでは存在しない。

キャスト

主要キャスト

その他のキャスト

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カメオ出演(特別出演)について

  • 田中邦衛、川地民夫
田中邦衛は北海道酪農を営む古賀の兄役で、尋ねて来た地元刑事役の川地民夫と共演した。二人は共演が多く、田中は『若者たち』でも山本圭の兄を演じた。
  • 志穂美悦子
物語冒頭に、沖田が国鉄に電話するシーンでの電話交換機オペレーター。台詞もたった一言である。予告編でのシーンは本作での出演シーンとはまったく違うものであった。
  • 北大路欣也
古賀の出没を羽田空港で張り込んでいたが見逃した捜査員役。ちなみに本作品が封切られる前日まで東映系で上映していた『資金源強奪』に主演していた。
  • 多岐川裕美
映画のラスト近くに、羽田空港勤務の航空会社カウンター受付嬢役として沖田と絡む。2カット合わせてわずか十数秒のうえ、下向き気味と後姿で、出演しているのかさえわからない程である。やはり予告編では本編とは無関係のシーンを使用。
  • 岩城滉一
売れっ子のロックミュージシャン役で出演したが、アップやセリフもなく、乗客役の一人でしか画面に登場していない。この後東映が“暴走族スター”として売り出すことになる。

スタッフ

  • 監督:佐藤純弥
  • 企画:天尾完次・坂上順
  • 原案:加藤阿礼(坂上順のペンネーム)
  • 脚本:小野竜之助・佐藤純弥
  • 撮影:飯村雅彦
  • 美術:中村修一郎
  • 編集:田中修
  • 音楽:青山八郎
  • 特殊撮影:小西昌三・成田亨
  • 助監督:岡本明久

評価

逸話

  • 前述のように本作はハリウッドパニック映画のヒットから製作されたが、日本ではヒットには及ばず、幻の名作として歴史の中に消えていくかに見えたが、テンプレート:要出典範囲、特にフランスでは約44万人の動員となり[14]テンプレート:Refnest、フランス語吹き替え版が逆輸入され日本で凱旋公開された。但しフランス語版では、日本人でなければ理解しづらいと思われる犯人側のドラマはカットされ、沖田たちは単なるテロリストとして扱われた。
  • 監督の佐藤はこのカット版の大ヒットに複雑な思いがあったらしく、これに基づいたテレビ放送に対し知人からの「面白かったよ」という電話に対し「本当はもっと面白かったんだ」と言い返したとエッセイに記している(季刊映画宝庫「日本映画が好き」芳賀書店)。
  • 原案としてクレジットされている加藤阿礼は、プロデューサーの坂上順のペンネームである。本作以外では2001年の『ホタル』で脚本協力としてクレジットされている。[15]
  • 当初、東映は実際の新幹線車内や線路上での撮影の協力を当時の国鉄に申し込んだが、「『新幹線大爆破』と言う映画のタイトルでは新幹線のイメージが悪くなるので『新幹線危機一髪』と言うタイトルへ変えるなら撮影に協力しても良い」と言う条件を提示され、東映側がこれを拒否。結局国鉄の撮影協力は得られず、実物大の客車セットや模型を使って撮影が行われた。また、新幹線司令室も内部の写真の提供を拒否されたため、当時のニュース映像や資料写真を参考にして、それらしいセットを作ったとされている。映画での司令室のCTC表示板は起点である東京駅が本来は左側であるところが右側となっているが、これは映画進行上のイマジナリーラインを右から左としているための意図的な演出である。ただし、本来の表示の左右だけを反転させ上下を反転させていないため、表示と実際の線路配置とでは左右(上り線と下り線)が逆になってしまっており、CTC表示板でのひかり109号が停車している東京駅19番ホームの位置と実際に19番ホームを発車するひかり109号の映像の間に矛盾が生じている。
  • シナリオ上では、岡山付近で停電が起き、動力を絶たれた109号が時速82キロメートルまで減速しあわや爆発というピンチに遭うものの、倉持の手配で隣接ブロックから緊急送電して増速し危機一髪で切り抜けるシークエンスがあったが、完成作品ではカットされている(後に出版されたイギリス版ノベライズではこのシークエンスがある)。また実物大の客車セットは、当時実際に国鉄に納入していた業者から実物の部品を買い集めて組み立てられており、後にテレビドラマ『新幹線公安官』に流用された。109号が爆破されるイメージカットは東映の特撮ドラマなどにも流用されている。なお「貨物5790列車」の走行シーンは北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道で、爆破シーンは北海道炭礦汽船夕張鉄道線の一部を引き継いだ専用線で撮影された。5790列車は当時夕張線に実在し、実際に蒸気機関車が牽引していた。
  • 当初劇場で紹介されていた本作予告編での千葉真一は、茶・白の縦縞(ストライプジャケットを羽織り、新宿副都心にいる姿であった。これは1974年(昭和49年)8月10日に封切り公開された映画『直撃! 地獄拳』のワンシーンを流用したものである。全く無関係のシーンを本作予告編に使ったため、千葉が新幹線・ひかり109号運転士の青木役とは、とても予想できないものであった。ついでながらTBSラジオコサキンDEワァオ!』で関根勤が、青木(千葉)と倉持(宇津井健)の一人二役ものまねを披露した。同じネタがDVD『カマキリ伝説2』に収録されている。
  • 地上波でのテレビ放送は、1980年4月4日金曜日に『ゴールデン洋画劇場』で、放送枠を21:00-23:55まで拡大した特別放送が最初とされる。後にテレビ朝日などでも、年末特番として3時間枠でほぼ全長版で放送された。日本テレビでは1990年代に深夜番組として海外版にシーンを追加したバージョンがCM無しで放送された。有料放送では2009年(平成21年)頃にWOWOWで全長版が放送された。
  • 公開当時、サントラ盤は主題曲とスキャットのシングルのみ発売。その後、バップからライナーに作品解説も含むCDが発売。劇中で流れた既製の楽曲のうち、沖田が爆弾の図面の入った封筒を預けた喫茶店で流れていたのは、松平純子の「両国橋」(作詞:喜多條忠、作曲:吉田拓郎)。沖田が分け前の発送作業をしたモーテルで部屋のテレビから流れていたのは、浜田勇の「怨み唄」(作詞:佐藤純弥、作曲:野田ひさ志)。1996年(平成8年)にバップよりサントラCDが発売された(J-CINEサントラコレクションシリーズの一作)。 尚、劇中に流れる青山八郎の音楽は、1977年(昭和52年)の東映実録ヤクザ映画『日本の仁義』に転用されている。
  • 特撮シーンは特殊技術の成田亨によるもので、新幹線などのミニチュアは長らく映画・テレビの特撮作品で金属模型を手掛けた郡司製作所が担当した。ミニチュアといっても1両の長さは1メートル近くあり、撮影用に2編成・計24両製作している。さらに撮影所の裏手に全長150メートルほどの縦長のオープンセットを組み、微妙な傾斜をつけて新幹線のミニチュアを走らせたという(自走式では無かった)。新幹線のミニチュアは、のちに『ウルトラマン80』でも使用されている[16]。なお背景の都市はミニチュアではなく、ビルのモノクロ写真を引き伸ばして、パネルに貼り付けて着色したものである。これは成田の発案で、限られた予算内で撮るためのアイデアの一つだった。この特撮のために、当時最新鋭だったシュノーケル・カメラをレンタルしたが、1日のレンタル料が当時で100万円という破格のものだった。
  • テンプレート:要出典範囲

小説版

1975年に勁文社より佐藤純弥・小野竜之助共著『新幹線大爆破』が刊行された。

また、イギリスの小説家ジョゼフ・ランス(本名:テンプレート:仮リンク)によるノベライズ版『Bullet Train 』が1980年にイギリスで、1981年にアメリカで出版された[15]。このイギリス版は2010年に論創社の論創海外ミステリで翻訳刊行された。

映像ソフト

  • 1999年(平成11年)7月21日に東映ビデオより2枚組レーザーディスクが発売された[17]。東映プロデューサーの坂上順が、本作と1999年(平成11年)公開の「鉄道員」のプロデューサーであり、本作を機に東映を退社した高倉の事実上の復帰作でもある事から発売が企画された。佐藤監督と坂上プロデューサーのショートインタビューと公開当時の資料が内ジャケットに掲載され、インナージャケットには庵野秀明樋口真嗣による、1998年(平成10年)の時点から作品を視聴した対談(現代との差異点・リメイクの話題など)も掲載している。テンプレート:独自研究範囲
  • 2001年(平成13年)、東映50周年記念を機にDVDソフト化希望の映画タイトルを投票により募集したところ、3位にランキングされ、翌年DVD発売されている。2002年4月12日にレンタル開始、7月21日にセル発売[18]

類似作

黒澤明原案、アンドレイ・コンチャロフスキー監督作品、佐藤純弥は「実は『暴走列車』は黒澤さんがやることになって、B班が実は僕がやることになっていたんです。ところがアメリカのプロデューサーと黒澤さんが対立して、結局流れちゃったんですけれども。だからあの「暴走列車」そのものの台本というのはたぶん僕が最初に日本で読んでたんだと思うんです。話は知っていました」と語っている[19]
  • 夜空の大空港
1966年の米テレビ映画。高度1万フィート(3048メートル)以下に降下すると爆発する爆弾を仕掛けられた飛行機という設定もアイデアの源になっており、『夜空の大空港』をたまたま観ていた山本圭が、プロデューサーにその話をしたところ『あ、わかる?』と答えたという[20]
1994年公開のヤン・デ・ボン監督作品。脚本を書いたグレアム・ヨストは、映画『暴走機関車』の原案である黒澤明が書いたオリジナル脚本を読んで思いついたと公表しているが、マイル表示の爆発設定速度をキロ表示に変換すると、ほぼ「時速80キロメートル」であり、『新幹線大爆破』が原典とする説もある。
本作と同時期に製作された、新幹線を題材にした東宝作品で、共に大映出身の増村保造監督・田宮二郎主演。『動脈列島』が新幹線による騒音公害と絡めた社会派路線であったのに対して、本作は娯楽作品としての面白さを追求した路線を取っていると同時に、乗客や運行に携わる関係者の真剣な対応と、警察や政府の打算的な解決策、そして犯人らの個人的な思いが交錯して描かれている点が対照的である。
1976年(昭和51年)の映画、「新幹線」へのオマージュ。スイスのWHO(国連・世界保健機構)本部地下室に在るNATO軍秘密研究所を襲撃したテロリストが研究途中の新型ウィルスに感染したまま逃走し、寝台特急に乗って国境を越える。軍当局はウィルスの蔓延を防ぐ(真意は細菌兵器研究の隠蔽)目的で列車の運行を急遽変更させ、「カサンドラ鉄橋」と呼ばれる大昔に閉鎖され朽ち果てた橋梁へノンストップで列車を突っ込ませ、運行手違いの事故に見せかけて全てを闇に葬り去ろうとするが……という筋立て。「止められなくなった列車内での乗客たちのパニックとサバイバル」というプロットがよく似ている。
小林久三による小説。『カサンドラ・クロス』をヒントに、寝台特急さくら号が決起部隊にジャックされるサスペンス作。松竹で山本薩夫監督で映画化され、本作で古賀役の山本圭が主演した。
1980年(昭和55年)に放送された日本サンライズ制作のロボットアニメ。第37話「火星で食べた!?サンマの味」で、主役ロボの飛行形態であるトライダーシャトルに速度が落ちると爆発する爆弾を仕掛けられるという場面があり、0系新幹線が出てくるカットがある。
1997年(平成9年)の映画。「東都鉄道東都環状線」の線路上に爆弾が仕掛けられ、時速60キロ以下になると爆破するというシーンが登場。本作同様ポイント切り替えシーンや新幹線総合指令所とそっくりなセットやカットがアニメ化された。
1999年(平成11年)に放送された第3シリーズ最終回のエピソード。
2003年の韓国映画。タイマー式爆弾をセットされた地下鉄車両が走ると言うストーリーである。この映画にも走りつづけている列車を回避する為に待避線へ逃げる他の列車の描写がある。
2005年(平成17年)に公開された映画。本作をオマージュした場面がある。
1998年(平成10年)に出版された小説。盛岡発東京行きの東北新幹線やまびこ」号の車両に、速度が時速100キロメートル以下になると爆発する爆弾を仕掛けられる。犯人は多額の身代金を要求し、JRは時間稼ぎのために急遽東京駅構内で東北新幹線と東海道新幹線の線路をつなぎ、「やまびこ」号を博多まで走らせる[21]
2014年(平成26年)に放送された東映製作の特撮作品。第8話の「レインボーライン大爆破」でバクダンシャドーがトッキュウ1号の攻撃により倒されるが、のちに烈車に異常事態が発生し、バクダンシャドーの分身により烈車のブレーキがかからなくなり、トカッチに爆弾が仕掛けられ、揺らしたりすると爆発するという。止めるには分身を捕まえ、スイッチを止めなければならない。その中で車掌役の関根勤が千葉真一(青木運転士)の物真似をしていた[22]
ブラッドレー・ボンド(Bradley Bond)とフィリップ・ニンジャ・モーゼズ(Philip Ninj@ Morzez)のアメリカ人コンビによるとされるSF小説。2014年に公開されたエピソード「マグロ・サンダーボルト」において、主人公であるニンジャスレイヤーは速度を落とすと爆発する爆弾を身体に取り付けられる。

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

  • 福岡市博物館 - 本作のポスターが博物館資料として収蔵されている。2003年(平成15年)に収集されたもので、「第19回新収蔵品展」で展示された(同展示リーフレットにも記載)。

外部リンク

テンプレート:佐藤純彌監督作品
  1. 渡邊達人『私の東映30年』1991年、p160、161
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite book
  3. 「新幹線大爆破にしかけたスリルのサスペンスについて」『キネマ旬報』1975年7月上旬、夏の特別号、88 - 94頁。
  4. 本作のプレスノートより。
  5. この時代の新横浜駅はこだま停車駅であり、ひかり号は全便が通過していた。
  6. 貨物5790列車は古い蒸気機関車で鉄道電話が装備されていなかったので「途中通過駅の駅員が投げ渡すタブレットケース(カバンキャリア)の中に連絡メモを入れる」という方法で伝えられた。
  7. ブレーキの事、劇中では「ビー・アール」と呼称。
  8. 実際に逆走した場合には、非常ブレーキは解除されない。
  9. 当時の円換算では約15億円
  10. 当時名古屋はATCによって全列車停車するようになっていたが、劇中ではATCを解放しているため通過可能としている。
  11. 正式には鉄道公安職員であるが劇中では公安官と名乗っていた。また鉄道公安職員は国鉄民営化後、都道府県警察鉄道警察隊に引き継がれている。
  12. ただし、実際には博多駅の先に博多総合車両所がある。また九州新幹線はこの当時は未開通。
  13. 劇中では全線バラスト軌道であるが、実際の山陽新幹線区間では、スラブ軌道であり、このシーンの区間にバラストはない。また本来走行中に、ドアコックを使用しドアを開けると、ATCが作動し非常ブレーキがかかるが、劇中ではATCを解放しているためドアの開閉は可能としている。
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  15. 15.0 15.1 ジョゼフ・ランス、加藤阿礼『新幹線大爆破』(論創社、2010年)巻末の小山正による解説「もうひとつの『新幹線大爆破』」より。
  16. ウルトラマン80』DVD-BOX第一巻・コレクターズブックより
  17. テンプレート:Cite book
  18. テンプレート:Cite journal
  19. しんゆり映画祭ゲストトーク2002「新幹線大爆破」にて [1]
  20. キネマ旬報2005年8月下旬特別号内「DVD特別インタビュー1 山本圭」より。
  21. (「やまびこ」号は周波数切替対応のE2系0番台のJ編成。これは、電源周波数が東北は50ヘルツ、東海道・山陽は60ヘルツと異なり、他の車両では東京駅を通過できないため。
  22. 関根勤曰く、スタッフにコサキンリスナーがいて前々から「関根さんが出演するなら『新幹線大爆破』をモチーフにした回を作りたかった」と言って実現したとのこと。