ソニー

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ソニー株式会社(Sony Corporation)は、日本大手電機メーカー。日本の大手電機8社[1]の一角。

AV機器分野においては世界最大手であり、特に音響・映像機器や放送機材では世界屈指のブランド力を持ち、かつエレクトロニクスをはじめ、エンターテインメント金融流通等多分野の企業を包括する「ソニーグループ」の中核企業の役割を荷っている。創業者は井深大盛田昭夫

概要

ソニーは大きく分けて6分野の事業領域を形成するソニーグループの中核企業である(1.エレクトロニクス事業、2.ゲーム事業、3.金融事業、4.音楽事業、5.映画事業、6.その他事業)[2]

井深大盛田昭夫らによって1946年に設立された「東京通信工業(東通工)」を前身とする。東通工は日本初のテープレコーダートランジスタラジオを製造・販売し、海外に大量に輸出してきた実績があった。国内の大手電機メーカーは、東芝日立製作所松下電器産業など戦前に源を発する企業が占めるのに対し、東通工は戦後の設立であり、その後身となるソニーは後発のスタートともいえる。しかしエレクトロニクス系企業でのブランドイメージは世界トップレベル[3]にまで登りつめた。

またソニーの強みは「強力なサブ・ブランド」を持つことである。他社においてそれは単なるプロダクト・ネーム(商品名)の域を出ないが、ソニーでは明確なブランドとして存在する。VAIOウォークマンPlayStationなどは、それぞれが単独でブランド価値を有する。

古くから本業であるエレクトロニクス事業の枠にとどまらず、エンターテイメント分野(音楽映画等)に力を入れて来ており、ハード・ソフト両面からの展開により事業拡大に成功してきた。またゲーム分野、金融保険銀行)、流通ソニープラザ、現在はソニーグループから独立)、化粧品健康食品などの異分野にも進出している。

エレクトロニクス分野では、国内の生産現場のアウトソーシング化や海外生産の割合が増えつつある。かつてトリニトロンブラウン管でブランド力を誇ったテレビ市場では、ブラウン管技術に固執した事や有機ELの開発に力を入れていたこともあり、現在のテレビ市場の主力となっているプラズマディスプレイ液晶ディスプレイにおいて、パネルの自社生産体制構築に乗り遅れた。そのため他社との合弁で自社パネルを生産することとし、サムスン電子との共同生産工場S-LCDを設立、さらにシャープの堺液晶工場に出資した。[4][5]これにより順調に販売を伸ばしたが、エコポイント終了による急激な需要の落ち込みで、サムスンと合弁を終了[6]シャープとの合弁も終了した。これが、全世界でのテレビ生産において生産高1位の地位をサムスン電子に明け渡す原因になったという指摘もある。[7]これ以降他社から液晶の供給を受けることになり、長い歴史を持つテレビ向けディスプレイの生産から撤退した。2014年7月から赤字となっているテレビ事業を分社化した。 2013年3月期現在SCEの売上高は4789億5300万円、営業利益が84億2700万円、経常利益が79億8800万円、純利益が78億8600万円、資産1258億8700万円、負債1966億3400万円、純資産がマイナス707億4600万円の債務超過を計上していたが[8]、2012年度においてゲーム事業を受持つSCE、SCEA、SCEEの三社に対して合計2629億6100万円の債務保証をソニー本社が行っている[9]

ブランドでは、SONYの他に低価格帯製品を主軸としたAIWAが2008年5月まで存在した。

会社設立趣意書

ソニーは高い創造性と技術力で目新しい商品を次々と発表し、東京通信工業株式会社設立趣意書にある[10]テンプレート:Cquote2 という思想から、自社開発の技術にこだわりユーザーの支持を得る事に成功してきた。しかし独自規格にこだわるあまり、それが逆に失敗となった例も多くある。

ソニーの評価

文字としての「SONY」の資産

ソニーの幹部の言によれば、この会社の最大の財産は『SONYの4文字』であるという。東京通信工業(東通工)として名を知られつつあったときに突然ソニーという名称に変更することは、取引先などからも「なぜ」あるいは「やめておいたほうが良い」という反応を招いた。社内においてもその声は強かったというが、日本語圏以外でも普通に発音できる、どこへ行っても読み方の変わらないこの名前にしたことが、現在の同社のグローバルな多角化の萌芽であったという。ブランド価値が高まった現在では、生命保険などの異業種に進出する際にも、消費者に訴求する上で有利に機能している。

フランスに赴任していた若き出井が日本に戻ってきて、欧州で学んだブランドの重要性をソニーに持ち込んだテンプレート:要出典。かつて一度だけロゴマークの変更を検討し、一般公募したことがあった。その選考結果は新聞紙面に発表され、「ブランドは変えないことに決定した」という内容であった。ブランドの普遍性、永続性を再確認したのである。

コーポレートスローガンとサウンドロゴ

「ソニー」に社名を変更した1958年から1970年代までは「日本が生んだ世界のマーク」をコーポレートスローガンとしていた。また「SONY」ロゴも、のちに4代目社長となった大賀典雄黒木靖夫の手により幾度となく変更され、最終的には1973年に現在の形となった。

1982年より1990年代後半まで、唯一の商標だった「SONY」ロゴに加え、SONYの「S」を象った水玉模様で形成された「Sマーク」と、テレビ広告ではこれに加え「It's a Sony」というサウンドロゴを用い、絵と音で「ソニー」という企業を印象づけた。特に「It's a Sony」のサウンドロゴは2000年まで使用され、ソニーブランドを象徴する音として現在でも語り継がれている。

また1980年代には、「Sマーク」の下に「It's a Sony」の文字を配したステッカーが各製品に貼られ、カタログには印刷されていた。

1996年からは「Digital Dream Kids」 をコーポレートスローガンとして掲げ、デジタルシフトとホーム・エンタテインメント路線を明確にした。

2000年から2005年までは、一定であらず変容し続ける様、双方向といった来るべきネットワーク型社会への想いを込めた「Connected Identity」というドットから成る商標をテレビ広告のみで使用。ユーザー自身がインターネット上などで入力した文字を、テレビ広告の最後に「Connected Identity」として表示するという試みが行われた。またサウンドロゴも新しくなり、男女が交互に「Sony, Sony」と言うシンプルなものになった。

2004年からはアメリカのみで使用していた「like.no.other」というコーポレートスローガンを全世界で使用した。「異なる視点・考え方から『新しい』を創造する」「新しい何かがある」というメッセージが込められていた。テレビ広告では、各製品ごとに「like.no.other」の文字と背景の色が異なっていた。

2009年から2013年までは、「make.believe」(メイク・ビリーブ)を子会社も含めて全世界で使用[12]

過去のキャラクター

東京通信工業10周年記念として1956年に岡部冬彦の「アッちゃん」を採用。アッちゃん人形は各営業所にマスコットとして設置されていた。1958年ソニーへの社名変更と共に「ソニー坊や」とキャラクター名を改め、飯沢匡作詞、服部正作曲、歌ダークダックスによる「ソニー坊や」のCMソングも作られるなど人気のキャラクターとなっていたが、1961年、大賀典雄の「世界を目指す企業がこんな物を使っていてはいけない」という方針により、その全てが撤廃された。

ソニーの技術

特に日本におけるソニーのブランドイメージとして、技術力があることを挙げられることが多い。古くはトランジスタラジオやトランジスタテレビ、トリニトロン方式のテレビやウォークマンなど、ユニークな製品をいち早く市場に送り込んだことから、「技術のソニー」と呼ばれる。

  • トランジスタは、ベル研究所が発明したものであり、トリニトロンはアメリカで発明されたクロマトロンが原型であるが、補聴器にぐらいしか用途がないと思われていたものを、ラジオテレビに応用するなど、これらの技術に目をつけ、いち早く取り入れる姿勢がソニーの最大の強みであるとも言える。加えていわゆる「スタミナ」や軽薄短小な製品作りなど、既存の製品や技術に改良を加えるという観点からの「技術力」は高い。
  • それだけではなく、最近では小消費電力技術VMEなど、まったく新しい技術も生まれている。

独自規格へのこだわり

ファイル:Microplug-stereominiplug.jpg
マイクロミニプラグ(左)とステレオミニプラグ(右)。ともにソニーの作り出した規格である。

ソニーは、独自に開発した規格への拘りが非常に強い社風で知られる。一度規格争いが生じると、対立規格への参入はしないことが多く、たとえそれがデファクトスタンダードになっても参入が大幅に遅れることが多い[13]

  • たとえばウォークマンの場合、初代機においてヘッドホンと本体との接続には従来の標準プラグでなく新規開発のステレオミニプラグを採用した[14]。これは他社にも採用され、事実上の標準となった。ところがヘッドホンが本体でなくリモコンに接続されるようになると、新たにマイクロプラグという規格を採用してきた。自らがかつて普及させたステレオミニプラグとはサイズやプラグ形状が異なるため、一般的なステレオミニプラグヘッドホンをつなぐ場合は変換アダプターを必要とし、本体・リモコン接続用と用意していた。しかし1997年末頃からはステレオミニプラグに回帰した。
  • ビデオのときも自社開発したベータマックスを推し進め、VHS陣営の勝利が決定的となってからもベータにこだわり続けてきた(VHSテープの供給開始は1985年、VHSビデオの生産開始は1988年である)。ベータ陣営が劣勢になってからも、「ベータマックスはなくなるの?」「ベータマックスを買うと損するの?」「ベータマックスはこれからどうなるの?」「ますます面白くなるベータマックス!」なるコピーの新聞広告を全国紙に掲載(1984年1月25日から4日連続)するなど、強気の姿勢を示していたほどであった[15]
  • またメモリーカードにおいてもメモリースティック(Duo)の性能強化(大容量化と高速化)と普及促進を行い、SDメモリーカードは自社製品への対応も行っていなかった。同社のパソコンVAIOは2005年秋冬モデルから、ソニーエリクソン製携帯電話は2006年発売のSO903iNTTドコモ向け)から、サイバーショット、ハンディカムは2010年モデルから対応した。またソニー製SDメモリーカードも2010年1月29日より販売が開始された。

他にも、以下のような事例がある。

  • DVDレコーダーBDレコーダーではDVD-R/DVD-RW/DVD-RAM規格が既にあるにも関わらず新規にDVD+R/+RWを立ち上げ、『DVD-RAM』には対応していない。DVD-RAMに関しては他のDVD-RW陣営のメーカーも全面対応には否定的な状況であるが、ソニー製品に関しては再生も不可能な機種が数多く存在する。
  • ミニディスク(MD)やその関連技術(ATRAC)に固執するあまり、アップルHDD携帯音楽プレーヤーiPod』とソフトウェアiTunes音楽配信サービス『iTunes Store』に次々と先を越され、ウォークマンのシェアが世界中で落ちてしまった[16]。最近はXperiaなどのAtracに対応していない製品が出始めている。Atracは仕様非公開のプロプライエタリな音声コーデックであったが、FFmpegの開発コミュニティによってリバースエンジニアリングされており、FFmpegベースのプレイヤーで再生することができる(ただしAtrac3plus、ATRAC Advanced Losslessは再生不可能)。また、RockboxにおいてもFFmpegのコードを移植しているために再生可能である(ただしAtrac3のみ)。
  • VAIOでは電子楽器メーカー製造の周辺機器との親和性が良くない機種が存在する。

また、この傾向は同系列会社でも顕著で、最も判り易い例がソニー・ミュージックエンタテインメント系列の音楽配信が殆どの場合moraとその提携先の一部サイトに限られており、アップルの音楽配信サイトであるiTunes Store等、多くの主要音楽配信サイトではアリオラジャパン(旧BMG JAPAN)所属の一部アーティスト・新人を中心とする一部の洋楽アーティスト・ソニー・ミュージックディストリビューションに販売を委託しているレーベルの一部(zetimaなど)を除いて、2012年(平成24年)11月まで全く音楽配信がされなかった事が挙げられる。

一方でこれらが近年の業績不振の一因とみたのか、近年ではオープン規格対応に転じている。そして、次世代DVD「Blu-ray Disc」では、長年のライバル、パナソニックと同じ陣営になり、HD DVDに対するBlu-ray勝利の一因となった。

株式

普通株式は、東京証券取引所(東証)のほか、ニューヨークロンドンの各証券取引所に上場されている。他にも世界各地で上場していたが、名古屋証券取引所は2004年9月6日に、福岡証券取引所は2004年9月7日に、札幌証券取引所は2004年9月10日に、トロントは2005年11月22日に、ウィーンは2005年12月16日に、パシフィックは2006年1月6日に、パリは2006年1月17日に、フランクフルトデュッセルドルフは2006年2月15日に、シカゴは2006年2月27日に、スイスは2006年2月28日に、ブリュッセルは2006年4月28日に、大阪は東証との統合で2013年7月12日に、それぞれ上場廃止となった。 この外、かつては子会社連動株式(トラッキング・ストック)型の種類株式が東証に上場されていた。この種類株式は、ソニー株式会社の子会社であるソニーコミュニケーションネットワーク株式会社(SCN、現ソネットエンタテインメント株式会社)の業績に連動した配当が支払われるものであった。しかし2005年12月にSCNがマザーズに上場されると同時に終了となった。

関連会社

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主要商品

現行商品ブランド

売却したブランド

販売終了ブランド

事件・問題

ステルスマーケティング

ソニー・ピクチャーズが捏造した架空の映画評論家[22]
複数のサイトにおいてソニー本社内のLANホストから他社製品を中傷、自社製品を宣伝する書き込みがあったことが発覚した問題[23]
  • PSPファンサイトヤラセ問題 (2006年
個人サイトとされていたPSP のファンサイトが、実際にはソニーによって直接運営されていたことが発覚した問題[24]

その他

ソニーの音楽CDにマルウェアが仕込まれていた問題[25]
PlayStation Networkにおいて推定7700万人の個人情報が流出した事件[26]
「ソニーが製品の故障時期をコントロールしているのではないか」という都市伝説。ソニーは否定している[27]

沿革

社業沿革

製品分野別の沿革

オーディオ分野

  • 1950年、国産初のテープレコーダーの試作に成功、発売する。
  • 1952年、日本初のステレオ・テープ・レコーダーを作り、NHKラジオ第1・第2の2波を使ったステレオ試験放送(当時は立体放送と言っていた)に使われる。
  • 1974年、自社初のPCMレコーダーの試作に成功。
  • 1976年、世界初のビデオデッキを使ったPCMオーディオプロセッサー「PCM-1」を発売。
  • 1978年、世界初の16ビットPCMオーディオプロセッサー「PCM-1600」を発売。
  • 1978年、実験的高級オーディオブランドSONY ESPRITの展開を開始(のちのRシリーズに受け継がれる。また、現在のESブランドはこの名残である)。
  • 1979年、ウォークマン「TPS-L2」を発売し大ヒットした。
  • 1982年、自社が中心になって開発したDASHフォーマットを使用した、24チャンネルマルチPCMデジタル録音機「PCM-3324」(定価:3300万円)を発売。
  • 1982年、コンパクトディスク (CD) を発表、10月1日に第1号機「CDP-101」(定価168,000円)を発売。
  • 1984年、世界初の携帯CDプレイヤーディスクマン「D-50」を発売。
  • 1987年4月、民生用DATデッキ「DTC-1000ES」を発売。
  • 1989年、世界初の48チャンネルマルチPCMデジタル録音機「PCM-3348」(定価:3800万円)を発売。
  • 1992年、ミニディスク (MD) を発表、プレーヤー「MZ-1」を発売(同年11月1日)。
  • 1996年、ΔΣ変調を使ったDirect Stream Digital (DSD)録音方式を開発、デモを行う。
  • 1999年5月21日、DSD技術を用いた世界初のSuper Audio CDプレーヤー「SCD-1」(定価:50万円)を発売。
  • 2004年、MDの拡張規格であるHi-MDを発表、プレーヤー「MZ-NH1」を発売。
  • 2007年、SDリピーターを発売。

オーディオ・ビジュアル分野

  • 1960年、ポータブルトランジスタテレビ「TV8-301」を発売。
  • 1965年、家庭用VTR ビデオコーダー「CV-2000」を発売。
  • 1968年、世界初のトリニトロン方式によるカラーテレビ「KV-1310」を発売。
  • 1969年10月29日、当時の松下電器日本ビクターと共に、3/4インチカセット式VTRの"U規格"を発表。
  • 1971年10月10日、U規格VTRの第1号機を、"Uマチック"という商標を使って発売する。
  • 1975年、ベータ方式の家庭用VTRベータマックス「SL-6300」「SL-7300」を発売。
  • 1976年、米アンペックス社と共に、放送用の1インチVTRを開発。第1号機「BVH-1000」を発売。
  • 1982年、BVH-1000を改良した、世界初の1インチのハイビジョン・アナログVTRを開発。
  • 1982年、ENG取材の機動力を高める為のVTR・カメラ一体型のカムコーダを開発し、それ用の新規格VTR"BETACAM"を発表。カムコーダ、据え置き型録画再生機共に同時発売。
  • 1985年、放送局向けに、1インチのハイビジョン・アナログVTR「HDV-1000」の受注販売を開始。(当初はNHKに納入された。)
  • 1985年、8ミリビデオ規格を発表。VTR「EV-S700」、ビデオカメラ「CCD-V8」を発売。
  • 1987年、世界初のデジタルVTRを発表、発売(D1方式、定価:700万円)。
  • 1988年、VHS方式のVTR「SLV-7」を発売。VHS/βのVTR規格争いが終了。
  • 1988年、新しい方式のデジタルVTRであるD2-VTRを発表、発売。
  • 1989年、世界初の1インチデジタル・ハイビジョンVTR「DVH-1000」受注販売開始(定価:2000万円)。(当初は日本放送協会フジテレビジョンに導入される。)
  • 1989年、コロンビア映画(現、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)を買収。
  • 1993年、BETACAMにデジタル録画・再生を可能にした"Digital BETACAM"が開発、商品化される。
  • 1997年、DVDビデオプレーヤー「DVP-S7000」を発売。
  • 1997年、DRCを搭載したフラットブラウン管テレビ「WEGA」を発売。
  • 1997年、Digital BETACAMのハイビジョン(HD)版、"HDCAM"が開発、商品化される。
  • 2001年、初代DVDレコーダー「RDR-A1」を発売。同機種はパイオニアOEMだった。
  • 2002年、アイワ株式交換により完全子会社し、その後合併した。
  • 2002年、8月にベータマックス機器の年内生産終了を発表。27年の歴史に幕。
  • 2002年、11月にCoCoonシリーズを発売。以降デジタルレコーダーのラインナップを大幅に拡充。
  • 2003年、4月に当時世界初のBDレコーダー「BDZ-S77」発売。
  • 2003年、11月にスゴ録シリーズを発売。
  • 2003年、12月にPSXを発売。ただし、同時期に発売したスゴ録に人気が集中した。
  • 2003年、HDCAMの高画質改良版、"HDCAM SR"を開発、発売。
  • 2004年、S-LCDを設立[30]
  • 2004年9月、HDV規格による世界初のHDV 1080i対応の家庭用ハイビジョン・ムービー「HDR-FX1」を発売。
  • 2005年、6月に初代デジタルチューナー搭載スゴ録「RDZ-D5」を発売。
  • 2005年、9月に薄型テレビのブランド名をWEGAからBRAVIAに変更。
  • 2006年、世界の液晶テレビの出荷におけるシェア率で初の1位となる。
  • 2007年、3月末でアナログチューナーのみの録画機全般から撤退。デジタル放送対応に移行。
  • 2007年、4月でブラウン管テレビの国内向け販売終了。
  • 2007年、9月12日に国内向けのDVDレコーダー市場からの完全撤退を発表。BDレコーダーに移行。
  • 2007年、11V型有機ELテレビ「XEL-1」を発売。[6]
  • 2008年、同年3月末でリアプロジェクションテレビ市場からの撤退を発表。
  • 2008年、中南米向けのトリニトロン製品の生産を完全終了。41年の歴史に幕。

カメラ分野

  • 1988年、電子スチルビデオカメラ Mavica「MVC-C1」を発売。
  • 1989年、パスポートサイズハンディカム「CCD-TR55」を発売。
  • 1995年、DV規格の家庭用デジタルビデオカメラ「DCR-VX1000」を発売。
  • 1996年、初代サイバーショット「DSC-F1」を発売。
  • 1999年、Digital8規格のビデオカメラ「DCR-TRV310K」を発表。他社からの参入はなく、その後Digital8規格は消滅した。
  • 2000年、10月に「DSC-P1」を発売。現在もソニーのデジタルカメラとしては最も売れた機種である。
  • 2001年、MICROMV規格のビデオカメラ「DCR-IP7」を発表。MICROMVも独自規格のまま消滅。
  • 2004年、同社初の8cmDVDを使用するビデオカメラ「DCR-DVD101」「DCR-DVD201」を発売。
  • 2004年、10月に世界初のHDV 1080i規格のビデオカメラ「HDR-FX1」を発売。
  • 2005年、7月に小型HDVカメラ、ハンディカム「HDR-HC1」を発売。
  • 2005年、12月に中華人民共和国浙江省工商行政管理局が、デジタルカメラ13機種に対し「ホワイトバランス」「自動露出」などの項目で独自の品質基準を満たしていないとして販売停止命令。サイバーショット6機種を含む。
  • 2006年、同社初のHDDビデオカメラ「DCR-SR100」を発売。
  • 2006年、1月にコニカミノルタのカメラ事業撤退に伴い、同社の資産を一部引き継ぎ、デジタル一眼レフ分野へ参入。「α(アルファ)」を発表。
  • 2006年、世界初のAVCHD方式のビデオカメラ「HDR-SR1」「HDR-UX1」を発売。

コンピュータ分野

歴代社長

  1. 前田多門
  2. 井深大
  3. 盛田昭夫
  4. 岩間和夫
  5. 大賀典雄
  6. 出井伸之
  7. 安藤国威
  8. 中鉢良治
  9. ハワード・ストリンガー
  10. 平井一夫

提供番組

TBS系列(JNN)・BS-TBS

2013年現在、定期的に提供している、また提供クレジットがあるのは「THE世界遺産」のみで、それ以外の番組は日替わりなどで提供になる場合があるが、この場合全てPT枠で、提供クレジットはない。なお子会社のソニー・モバイルコミュニケーションズで提供される場合の提供クレジットは「XPERIA」で、ソニー・コンピュータエンタテインメントでの提供の場合は「PlayStation」となる。

かつて提供していた番組

テレビ

TBS系列(JNN)
日本テレビ系列(NNNNNS
フジテレビ系列(FNNFNS
テレビ朝日系列(ANN)
テレビ東京系列(TXN)
独立UHF放送局

ラジオ

ニッポン放送系列(NRN)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 日立製作所、パナソニック、東芝、三菱電機、ソニー、シャープ、日本電気、富士通
  2. 2009年の機構再編により「コンシューマ・プロフェッショナルプロダクツ&デバイシス (CPD)」「ネットワークプロダクツ&サービス (NPS)」「B2B&ディスク製造 (B2B & Disc)」「映画」「音楽」「金融」「ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ」「その他」がソニーグループのビジネスセグメントとなっている。CPD、NPS、B2B & Discとソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズが旧来のエレクトロニクス事業にあたる。ゲーム事業はNPSに含まれる。
  3. ブランド・イメージ首位はソニー、認知度ではMicrosoft(ITpro 2008/12/17)
  4. シャープとソニーが大型液晶の生産合弁会社設立 [1]
  5. ソニー、シャープ堺液晶工場への出資を1年見送り [2]
  6. [3]
  7. サムスン「封印された成長神話」[4]
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite press release
  11. テンプレート:Cite news
  12. ただし、ソニーオプティアークソニーフィナンシャルホールディングス及びその傘下企業(ソニー銀行ソニー損害保険ソニー生命保険)では使われていなかった。
  13. 特にパナソニック(旧:松下電器産業)とは長年のライバル関係にあり、同社が採用した規格は一部の例外(Blu-ray Disc等)を除き、参入しないか、参入してもかなり後発になることが多かった。
  14. 黒木靖夫『ウォークマンかく戦えり』筑摩書房〈ちくま文庫〉、98頁。
  15. 旗色の悪いベータマックスに最後まで付き合った互換メーカーは東芝であった。三洋が1985年に完全撤退したのに対し、東芝は1機種のみながら1993年までカタログにラインアップしていた。なお東芝のベータデッキがカタログ落ちした後も、ソニーは2002年までベータデッキの生産を続けた。
  16. テンプレート:Cite news
  17. テンプレート:Cite news
  18. 完全子会社
  19. The World's First Internet Television Sony Electronics Inc.
  20. 『Sony Chronicle 2006』(ソニースタイル・ジャパン)
  21. ホテル用の小型電磁調理器はソニーブランドで1990年頃まで生産していた。
  22. John Horn. テンプレート:Cite web
  23. テンプレート:Cite news
  24. テンプレート:Cite web
  25. テンプレート:Cite web
  26. テンプレート:Cite web
  27. テンプレート:Cite web
  28. 「SONYの由来」、ソニー株式会社(ソニーグループポータルサイト)
  29. 「固定資産の取得及び譲渡に関するお知らせ(PDF)」株式会社ニッキ(2013年11月20日) 2014年3月1日閲覧。[5]
  30. テンプレート:Cite web

関連項目

テンプレート:Sister

その他の盛田家関連企業

外部リンク

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