MSX

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ファイル:MSX-Hit Bit HB-75P.jpg
ソニー「HiT BiT」 HB-75
ファイル:MSX FS-A1WX.JPG
パナソニック FS-A1WX (MSX2+)

MSX(エム・エス・エックス)とは、1983年に米マイクロソフトアスキー(現・KADOKAWA アスキー・メディアワークス)によって提唱された8ビット16ビットパソコン共通規格の名称であり、 MSXとその後継規格であるMSX21985年)、MSX2+1988年)、MSXturboR1990年)の総称でもある。最初のMSXを便宜上『MSX1』と呼ぶことが多く[1]、他に『初代MSX』と呼ばれることもある。MSXturboRでは16ビットのCPUを採用した。

複数のメーカーからMSXの仕様に沿って作られたパソコンが発売された。また、各種MSXエミュレーターとMSX2をFPGAで再構成したハードウェアである1チップMSX等が存在する。

MSXの規格

一連のMSX規格には以下が存在する。

また上記の規格を元にした以下のMSX動作環境も存在する(開発年順)。

賛同メーカー

MSXに賛同したメーカーには「メーカーコード」と呼ばれるIDが割り振られていた。メーカーコードを付与され1980年代から1990年代にかけてハードを製造した企業を以下にメーカーコード順に記す。なお、斜字は後にAXに参入したメーカー。

ID メーカー名 ブランド名 MSX1 MSX2 MSX2+ MSX
turboR
備考
0 テンプレート:Flagicon アスキー 規格提唱企業
1 テンプレート:Flagicon マイクロソフト 規格提唱企業
2 テンプレート:Flagicon キヤノン
3 テンプレート:Flagicon カシオ計算機 PV-7やPV-16など低価格のMSX1を投入した。
4 テンプレート:Flagicon 富士通 FM-X FM-7に注力するため、MSXは1機種を発売したのみで早期に撤退した。
5 テンプレート:Flagicon ゼネラル PAXON (パクソン) 現・富士通ゼネラル。
6 テンプレート:Flagicon 日立製作所
7 テンプレート:Flagicon 京セラ YASHICAブランドで販売、輸出のみ。
8 テンプレート:Flagicon 松下電器産業 キングコング(初期)・A1(後期) 現・パナソニック。ナショナル(初期の国内向け)・パナソニック(海外向け・後期の国内向け)ブランドで販売、また河合楽器がKAWAIブランドでOEM機を販売(おもに「ニコルの森」の教材として)した。
9 テンプレート:Flagicon 三菱電機 MSX: Let us (レタス、一部機種のみ)
MSX2: Melbrain's (メルブレイン)
10 テンプレート:Flagicon NEC 1983年6月27日の規格発表会にのみ参加し、「規格に賛同はするが参加はしない」と発言。
11 テンプレート:Flagicon ヤマハ YIS (ワイズ、AV機器ブランド)
CX (楽器ブランド)
YAMAHAブランドで販売。1987年に日本楽器製造からヤマハに社名変更。
12 テンプレート:Flagicon 日本ビクター io (イオ、一部機種のみ) 現・JVCケンウッド。VictorまたはJVCブランドで販売。
13 テンプレート:Flagicon Philips 主に欧州市場で販売。
14 テンプレート:Flagicon パイオニア Palcom
15 テンプレート:Flagicon 三洋電機 WAVY SANYOブランドで販売。三洋電機本体の直轄となる以前は、コンピュータ事業はグループ会社の三洋電機ビジネス機器・三洋電機特機の管掌であり、MSX1には三洋電機特機名義のものが存在する。
16 テンプレート:Flagicon シャープ 規格に賛同するもハードを発売せず。ブラジル支社が日本本社とは別にメーカーコードを取得して販売している。
17 テンプレート:Flagicon ソニー HiTBiT
18 テンプレート:Flagicon Spectravideo 1981年設立、1988年倒産。初代MSX規格の策定前から、ほぼ同じ構成のSV-328というパソコンを販売していた。
19 テンプレート:Flagicon 東芝 パソピアIQ
20 テンプレート:Flagicon ミツミ電機 ミツミ本体からの発売はないが、ヤマハやビクターなどにOEM供給を行う形でハードを製造した。
21 テンプレート:Flagicon Telematica Talent 大宇製品とほぼ同じデザインであり、ライセンス生産だった模様。スペインではDynadata社が、イタリアではFenner社が輸入販売。
22 テンプレート:Flagicon Gradiente Expert
23 テンプレート:Flagicon SHARP do Brasil HOTBIT シャープのブラジル現地法人であるシャープ・ド・ブラジルと現地子会社のEPCOMが販売。
24 テンプレート:Flagicon Goldstar
(金星電子)
現・LGエレクトロニクス。Goldstarブランドで販売。
25 テンプレート:Flagicon Daewoo
(大宇電子)
MSX: IQ-1000
MSX2: IQ-2000
ゲーム機: Zemmix
Daewooブランドで販売。ゲーム機として発売されたZemmixの最終形態であるZemmix Turboは、日本国外で唯一MSX2+用ソフトが動くハードだが、互換性に乏しく動作しないソフトも多い。イタリアではYENO社・Perfect社が輸入販売。
26 テンプレート:Flagicon Samsung
(三星電子)
サムスンの独自規格であるSPC-1000と並行販売。イタリアではFenner社が輸入販売。
備考
  • 同一の機種であっても、クウェートのAl Alamiah社やフランスのYENO社など各国の輸入業者によってカスタマイズされ独自のブランドが付けられている場合がある。
  • イギリスのDragon Data社は、参入を表明したが製品の発売には至らなかった。
  • 周辺機器メーカーとしては、韓国のZEMINA社やブラジルのCIEL社がある。
  • NTTキャプテンシステム端末はMSX2に近い仕様である。

歴史

1980年代

1980年代初頭、日本国内のホビーユースのパーソナルコンピューターホビーパソコン)では、別売りで高価だったDOS (OS)は一般的には利用されておらず、シャープを除くほぼ全てのパソコンにマイクロソフト社のBASICインタープリタROMで組み込まれて、事実上のOSとしての役割を担っていた。しかし、同じマイクロソフト社のBASICであっても各社各機種の能力を引き出すために独自の変更が加えられ、俗にBASICの「方言」と呼ばれる非互換の部分が存在し、機種ごとにアプリケーションは作成されていた。

当時、マイクロソフトの極東担当副社長でありアスキーの副社長だった西和彦は大半の機種の開発に関わっており、多くのメーカーと繋がりがあった。そのため、NECシャープ富士通パソコン御三家に対して出遅れた家電メーカーの大同団結を背景として、西が主導権を握る形でMSX規格は考案され、1983年6月27日に発表された。このため1983年6月27日はMSXの誕生日といわれている。MSXの発表会には 家電メーカーなど、家庭用パソコン市場に参入した経験を持つ企業、または参入を計画していた企業が参加した。

当時国内市場シェア1位のNECは発売せず、シャープも海外のみ[2]発売、FM-Xを発売した富士通も自社の製品と競合するとの理由ですぐにMSX市場より撤退している。そのためMSX規格は当初、弱者連合などといわれた。

1980年代、MSXはオランダで最も人気のあるコンピューターであり、コモドール64や ZX Spectrum よりも人気があった​[3]。南米諸国、東アジア諸国、アラブ諸国、アメリカ合衆国で発売された。出荷台数の総累計はそれら各国の合計で400万台以上[4]。世界規模の視点からみると販売台数では、1700万台から2500万台普及したといわれているコモドール社のコモドール64やそのライバルであるシンクレア社のZX Spectrumは元より、日本でしかリリースされていないNECのPC-9801シリーズにすら負けている。

当時のマイクロソフト社長、ビル・ゲイツは「ソフトウェアに専念すべき」との事でMSX規格には反対だったが、西に説得される形でMSX規格を承認。MSXは当初はマイクロソフトの商標だったが、1986年にマイクロソフトとアスキーが提携を解消しており、著作権をマイクロソフト、商標権(販売権)をアスキーが所有することになった。

MSXパソコンはパソコンとしてのみならず、時には家電品として、時にはゲーム機として、時には楽器として、時には当時の「ニューメディア」として分類される。それはMSXパソコンが、松下電器や日本ビクターなどのように家電品のルートで販売されたり、ヤマハや河合楽器などの楽器店のルートで販売されたり、フィリップスやNTTのキャプテンシステムのようにニューメディアと位置づけて販売されたり、主にゲーム機として利用されたりした事による。

MSXは統一規格のため、参入各社は他社と差別化を図るため様々な機能を付加したMSXパソコンを発売した。しかし大部分の購入者はMSXを単なるゲーム機としか見ておらず、高機能・高価格な機種より低機能・低価格な機種を購入した。そのため参入各社間で価格競争が勃発。他機種のパソコンとの競争も熾烈であり、MSX2が発売された1980年代後半にはより高性能な他機種の次世代パソコンや次世代ゲーム機との競争にも晒された。そのため元々参入が少なかった国外メーカーはMSX2で全て撤退、MSX2+対応の機種を出したのは日本のメーカー数社のみで、ほぼ国内専用の規格となった。そして最終規格であるMSXturboRでは、松下電器のみしか残らなかった。

1990年代

1990年には販売台数が400万台を突破し、各MSX専門誌には「夢を乗せてMSX 400万台」のキャッチコピーが躍った。しかしこの頃よりMSXを取り巻く環境は急速に悪化してゆく。松下電器からMSXturboRがリリースされる一方、サードパーティーによるMSX向け商品のリリース数は減少傾向にあった。また休刊・廃刊が相次ぐMSX専門誌のうちMSX・FANは形態を変えてしばらくは細々と発刊を続けた。

1994年、松下電器は最後のMSX規格対応パソコンであるFS-A1GTの生産を終了し、翌1995年には出荷も終了した。これをもって日本でのMSX規格は終焉したと世間一般では解釈されている。なお1994年に松下電器は3DO REAL(家庭用ゲーム機)とWOODY(IBM PC/AT互換機)を発売している。

この時期にはMicrosoft Windows 95が登場し、PC市場を拡大してデファクトスタンダードとなりつつあった。MSX以外にもX68000FM TOWNSといった日本独自規格のPCが姿を消して行き、日本のPC市場はWindows95が動作するPC/AT互換機およびPC-98か、あるいはMacintoshへと集約されて行った。

その一方、ユーザーによるハード製作などの活動が、活発に行われるようになった。MSXをなんとか守り立てたいというユーザー達が東京、大阪、名古屋、福岡、札幌、倉敷でMSXイベントや集いを開催したり、パソコン通信などでは多数の優秀なフリーウェアが公開されたりした。特に漫画家の青井泰研(後に青井大地に改名)が東京で開催したMSXフェスタというイベントには、日本各地だけでなく海外からもMSXユーザーが集まった。MSXユーザーがなんとかMSXを守り立てようと頑張っていた時期であり、MSX復活プロジェクト(MFP)がハードディスクインターフェイスを開発するなど、最もMSXの同人の活動が盛んだったのもこの頃である。しかしMSXを支える活動をしていた人達やサークルの多くがWindowsなど別の環境へ移行しMSXを卒業していった[5][6]

2000年代以降

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ワンチップMSX

1990年代末期から顕著になったMSXコアユーザーや同人サークルによるMSX離れは、JavaやFlashなど自由度の高い環境の登場により拍車がかかっていた。その一方MSXを使い続けるユーザーも少なからず存在したが、MSXの製造・サポートの中止かつハードウェアの老朽化による消滅問題を抱えていた。その解決策としてエミュレーターやFPGAが用いられた。

2000年8月20日、東京・秋葉原のヒロセ無線本社ビル5Fにて、MSX電遊ランド2000が開催され日本中のMSXサークルとユーザーが集結する。そこで、西和彦がMSXの復活計画を発表する[7]

2002年商標システムソフトウェアなどの管理を行う任意団体『MSXアソシエーション』が発足し、公式エミュレーターMSXPLAYer』も公開された。後に従来多数のチップで構成されていたMSXの機能をひとつのチップに集積した『1chipMSX』が製品化されている。ただし、これを「MSXパソコン」と称して良いかは意見が分かれる。今のところメーカーも、「1chipMSXパソコン」とは呼んでいない。

2007年、MSXの商標権は西和彦と共に『株式会社MSXライセンシングコーポレーション』へ移る。日本での商標登録番号は第2709130号ほか。

2011年、ロシアの AGE Labs がコンピューターの学習を目的としたGR8BITというMSXキットの発売を発表。価格はUS$499(369ユーロ)。また、日本の株式会社H&SがこのGR8BITを輸入販売すると発表した。価格は4万2千5百円(送料/税/手数料別)。2012年3月末まで。これにより、MSXの動作環境が現代社会に復活することとなった。

Windowsやマッキントッシュのほか、PSPニンテンドーDSゲームボーイアドバンスといった携帯型ゲーム機や、JavaPocket PCWiiなど様々なプラットフォームにMSXエミュレーターは作製され現在も人気を博している。

このようにMSXユーザーはシェアベースでは目立った勢力ではないが、依然として活発なユーザーが存在しており、インターネットなどのネットワーク上でMSXにまつわる様々な活動が今なお繰り広げられている。

バーチャルコンソール上のMSX

2006年、Wiiの価格発表の場で、旧来のゲームマシン・パソコンで供給されていたゲームソフトをインターネット上からダウンロード販売する「バーチャルコンソール」へのMSXソフトの投入が発表された。i-revoなどで多くのMSXゲームの復刻実績を有するD4エンタープライズが参入したことによって実現した。詳細は「バーチャルコンソール」、i-revoD4エンタープライズの各項目を参考の事。

チップチューンブームとMSX

2000年代の別の動向として、日本でもチップチューンゲームボーイファミコン等による音楽演奏)ブームが起こった。それに伴いMSXによる音楽活動も比較的少数ではあるが再活発化した。かつて1980年代後半~1990年代前半に、MSXを扱う雑誌の投稿コーナーやパソコン通信のフォーラムで、現在のチップチューンに相当する音楽が発表されていた時期があった。しかし発表環境の衰退や消滅により、同ブームまでの間は一時停滞していた。

またエミュレータや1チップMSXの登場により、PSG・FM音源・SCC互換音源、さらにMSX-AUDIOや2個のSCC音源を同時発声させた音楽が、昔に比べ多く発表されるようになった。

MSXの特徴

MSXは、子供に買い与えられる安価なパーソナルコンピューター、コンピューターの学習に繋げられるコンピューターの入門機として[8]、設計された。 このため、単にゲームマシンとして見た場合には同時代のゲーム専用機の表現力から数段見劣りする反面、家庭で利用しやすい「ホームコンピュータ」として、下記のような特徴を持っている。

まず一般家庭への普及を目指すため、コンポジット映像入力できるテレビは少なかった当時、標準の構成で家庭用テレビRF接続で出力でき、専用モニターを必要としないことは、低価格でパソコンの使用環境を構築するのに有意だった。これは、他の低価格帯の入門機にも見られた実装で、文字の滲み、解像度の低さなど、その特性によるデメリットも存在したが、データレコーダーなどを含め、民生機器の流用によって、システム全体のコストを引き下げることを可能にした。

また、当時の一般的なホビー用パソコンと同様にBASICインタープリタ(MSX-BASIC)を搭載、さらに標準装備ではないものの、MSX-DOSと呼ばれるCP/Mシステムコール互換OSも供給され、既存のCP/Mアプリケーションの多くがファイルシステムをコンバートすることによりほぼそのまま動作した。これによって、CP/M環境で整備された豊富な開発環境を利用した、アセンブリ言語や、C言語PascalCOBOLFORTRAN等の各種言語の習得や開発の学習のみならず、欧文ワープロ表計算等の実務アプリケーションの実行も可能だった。

このように、MSXは位置づけこそ入門機であるものの、単に子供に買い与えゲームやBASICで遊ばせる「入門機」としての側面のみではなく、その後必要に応じて、システムを拡張し、本格的なコンピューター(ソフトウェア)の学習にも繋げて行くことが可能な、総合的なホームコンピューターとして設計されている。

ただし、MSX1の時点では、半角文字の80カラム(1行80桁)表示が不可能だった。また、漢字ROMの仕様はあったものの標準搭載機はごく限られており、漢字の表示に関しても当初は統一仕様が無かった。さらにはフロッピーディスクドライブ(以下FDD)、機種によってはプリンターインターフェースさえもオプションだった。最大解像度そのものが低いこともあり、高解像度の画面で長時間使用する際に最低限必要となるRGB出力端子を搭載している機種も少なく、搭載されなかった機種では、後から搭載することはできなかった。本体が安価である事により、特にFDDは相対的に非常に高価なものとなり、CP/M(MSX-DOS)環境を目当てに購入するユーザーは少なかった。表現力の面でも同時期のゲーム専用機であるファミリーコンピュータと比較すると劣っていた[9]ことから、日本国内ではもっぱら「中途半端な子供の玩具」として受け取られていた点は否めない。

この評価は、のちに表現力を増し、FDDを搭載していれば最低仕様のままでMSX-DOSの動作も可能となるMSX2の登場によって、一時的には解消されることとなる。しかし、その後MSX2の市場は熾烈な低価格化競争に突入し、安価な一体型MSX2マシンが普及したため、最終的に「子供向け」「ゲームマシン」との見方を返上するには至らなかった。

技術的な特徴

MSXといえば、後述するような仕組みによって、メーカーを越えたハードウェア並びに、ソフトウェア資産が利用できる統一規格であるということが特徴として挙げられる。今でいうところのオープンアーキテクチャのはしりである。これは単にCPUや、VDPなどのI/Oデバイス、メモリーマップやI/Oマップ等を規定するレベルに留まらず、一部の例外を除きハードウェアへの直接アクセスを禁じ、システム(BASICおよびDOS)と密接に連携したBIOSレベルでそれらが整備されることで、互換性を実現している。 前述のように、ハードウェアスペックから、単純な構成の入門機と思われがちではあるが、実際には、その汎用性を重視した実装は、同時期のZ80をコアに据えたシステムと比較し、複雑で、高度なものであり、他の実装ではバンク切り替えこそあれど、メモリマッピングなどのフレキシブルな実装がでてくるのはもっと後のことである。反面、CPUが、Z80の3.579545MHzであり、リソースへのアクセスなどは、オーバーヘッドを伴うものとなっていることも、パフォーマンスを落とす一つの要素でもあった。

スロット

互換性を維持しながら、フレキシブルな実装を可能にするため、MSXでは、Z80のメモリ空間を拡張したスロットと呼ばれる仕組みによって、その互換性と拡張性を実現している。

Z80のアドレス空間を4つに分割し、それをプライマリスロット。更にその空間を4分割したセカンダリスロットと、都合、16ブロックに分割された1MiBのアドレス空間が設定され、基本的にその空間に対し、ROM、RAM、I/Oを等価にリソースとして割り当てることになっている。

Z80のシステムでありながら、基本的にI/Oアドレス空間は、規格で規定されたもの以外は、直接割り当てられることはなく、ハードウェアとの入出力は、基本的にメモリーマップドI/O方式が推奨された。このため、アクセスの際にBIOSコールの時点でスロット切り換えを伴い、自動的にマッピングが変更されるため、ハードウェアの割り当ての競合は回避された。内蔵デバイスなど、直接本体に実装されているものは例外があるものの、複数の同一ハードウェアの接続などでの競合に対応するため、I/Oアドレスを割り当てる場合でも、あらかじめ初期化処理によって、I/O空間に割り当てる処理が必要になっている。

スロットに接続される機器は、RAMはもちろん、BASICやOSの収められたシステムROM、ゲーム等のROMカートリッジ、そして各社の独自拡張による周辺機器(ハードウェア)もこのスロットを用いて管理し、周辺機器には必ず拡張BIOSが付随し、起動時に初期化ルーチンを呼び出されることで割り込みベクタがワークエリアに登録され、システムに自動的に組み込まれる。さらにシステムの起動後もハードウェアへのアクセスはこの拡張BIOSを介して行われる仕組みが整えられており、ユーザーがドライバーの組み込みや設定等の作業を行う必要は無かった。

これら、スロットとBIOSで、互換性はBIOSレベルでのみ保証することによって、実際のハードウェア的な実装は各メーカーに一任され、多様化や低コスト化を可能とする一方、高い拡張性と柔軟性を実現し、プラグ&インストール&プレイではなく文字通りのプラグ&プレイを実現できていた、歴史上ほぼ唯一と言ってよいパーソナルコンピューターでもある。

物理的な拡張手段として、スロット機構に接続するコネクターが最低1基装備された。このコネクタは、スロットに対して接続される機器であり、前述の通り、ゲームソフト、ハードウェアも等価に接続され、多くの機種では差しこみ口が筐体上面や前面などに配置されていたため、他の多くのシステムのように、背面の拡張スロットで挿抜したり、筐体を開けることなく。手軽に増設機器の差し替えができた。ただし電源投入時の着脱防止機構や、ホットプラグは規格としては用意されていない。なお、着脱時に電源を切る機構は一部機種にあり、カートリッジが正常に装着されるとこの機構がキャンセルされ、電源が入る。

二次記憶装置がオプションであるハードウェアも多く、「ファミコン」等の当時一般的だったゲーム機と同様に、カートリッジによるソフトウェアの供給も行われ、多くはそのソフトウェアの利用や、接続にこのコネクタは使われた。

上記のように、スロットの仕組みは、柔軟な運用や、設計を可能にしたものの、「ページ間のアドレス空間の移動や再マッピングができない」「1つのスロットに4ページ64KBを越える空間を配置できない」といったZ80に由来するメモリー空間・アドレッシングに依存した制約があるため、特にワークエリアとスタックが置かれるページ3の切り替えには若干の困難が伴い、スロットに単純にRAMページを増設するだけでは増設されたメモリーの有効な活用がやや煩雑なものとならざるを得ないという事情があった。これを改善するため、MSX2規格制定時にRAMページの拡張を行う“メモリーマッパー”が拡張規格として追加された。このメモリーマッパーを用いることで、前述のスロットによるメモリー空間の拡張にまつわる制約の多くをクリアすることができた。また、後に登場したメガROMの一部にも、このメモリーマッパー規格を応用し、酷似した仕様でROM空間の切り替えや拡張を行う製品が登場した。

なお、プライマリ、セカンダリスロットは、基本的には同等とされ、多くの機器はどのスロットに挿入しても規格の上では変わらず動作する。ただし、セカンダリスロットは、再帰的な拡張を想定していないため、セカンダリスロットにセカンダリスロットを持つ機器は、接続することが出来ない。見かけは一つのカートリッジであっても、複数のデバイスを収めるために内部的にスロット拡張をしていたμ・PACKやMSX-DOS2カートリッジ、拡張スロットなどの周辺機器がこの制限に当たり、プライマリースロットに挿さないと動作しなかった。

また、この柔軟性ゆえに、ハードウェアの構成は固定されていることは規格として規定されたもの以外は期待できず、初期化、認識処理はスロットを検索する必要があるというオーバーヘッドを伴うものとなっている。一部のアプリケーションなどでは、特定の構成を期待したコードになっているため、MSX2では動作しなくなったり、実際には接続されているにもかかわらず、その拡張機器を認識できないなどの非互換性につながっている。また、FDD等の「同じ種類」のハードウェアであっても、スタック領域や、ワークエリアなど、実装の違いから、特定条件で動作しないなどの現象が発生することもあった。

これら独自の特徴を持つ一方、安価で広範なメーカーが参入できるという目標があり、「本体が5万円台で買えて、一般家庭に普通にある機器とつなげばシステムとして完成できる」事が必須だったとされる。このことから、MSX1ではその構成に専用品を用いず、その時点で市場に供給されていた利用実績の豊富な既存の汎用半導体製品を採用している(後述)。これは堅実ではあるものの、仕様としては平凡なものとなった。また、当時の主だったパソコンが高解像度化を求められていた中にあって、最大でも256×192ドットの解像度だったことと合わせて、「先進的でない」と批判する意見もあった[10]

日本国内向けMSXでは、半角(1Byte文字)でカタカナだけでなく、ひらがなの表示も可能だった事も特徴としてあげられる。これにより、MSXは漢字ROMなしでもカタカナとひらがなの使い分けが可能だった。また、特定の漢字(日月火水木金土・大中小・年時分秒・百千万円)は罫線などと共に半角記号(グラフィック文字)の中に入れられていた。なお海外向けMSXでは、この部分がアクセント記号つきアルファベットなどになっている。また、MSXで半角ひらがなに割り当てられていたコード領域は、現在のSHIFT JISコードで使用されている。

MSXでは、テキストフォントをROMとして固定していないため、テキスト画面をPCGとして利用することが可能になっている。SCREEN0~2,4では全ての文字形状をユーザーが自由に定義して使うことが出来る。BASICにコマンドは無いものの、SCREEN1・2・4ではVDPの設定を直接変更することによって、形状のみではなく、1ライン当たり2色のカラー指定したフォントも利用可能である。

その他のコネクタ類としては、アタリのゲーム機と同様のポートを2ボタン仕様に拡張した汎用の9ピンコネクターが搭載され、主にジョイパッドマウスの接続用に使われた。また、オプションでセントロニクス仕様の14ピンプリンターインターフェースも搭載された。汎用的な仕様のコネクタを採用したことは、のちに電子工作の接続・制御用途として重宝された。上記のスロットコネクターに関しては、電子部品を扱う店で電子工作用の汎用基板が入手できた。

キーボードの配列には、JIS配列と50音順配列(かな配列)の両方が規格にあり、ソフトでモードを切り替えることもできた。なおキーボードはパラレル入力で、同時押しもできたが、一部のキー以外にはダイナミックスキャンの回りこみ防止用のダイオードが入っていない(全部のキーにダイオードが入っていた機種があったかは不明)。なお、規格の上では、いくつかの特定の組み合わせを除いて、3つ以上のキーが同時に押下された場合の入力の整合性は保証されていない。また、セパレートタイプキーボードの規定は無いため、キーボードのコネクタは統一されていない。

MSXに関するトピックス

MSX の名称の由来

  • マイクロソフト説
西和彦1984年に語ったところによれば、由来はMicroSoft eX の略とされる。Xには「eXchangeable」「eXpandable」「eXtended」などの意味が含有され、また日本語訳のときにXは拡張性が無限に広がるという意味もこめて未知数のXであるとされている。後年のDirectXActiveXXboxWindows XPXNAなど、マイクロソフトの「X好き」はこの頃から現れていると指摘する声もある​[11]
  • 松下とソニー説(MSX販売当時)
MSX2+以降、参入メーカーが、松下電器産業(現パナソニック)ソニー三洋電機、と、頭文字が軒並みMとSだった事から、そのうちの代表格と言えるメーカーから「Matsushita(松下)・Sony(ソニー)・Xの略では?」などと、当時のユーザーや雑誌編集者が冗談混じりに語る事もあった(三洋電機も略称内に含める事もあった)。この冗談は、統一規格を謳いながらも限られた会社からしかハードが発売されなくなってしまった状況の変化を皮肉ったものだった。
同様の説を、やはり冗談だと断った上で、単に家電メーカーの代表格が松下電器産業とソニーであるという趣旨で紹介した書籍もある[12]
  • 松下とソニー説(規格発表以前)
主に後年になって語られるようになったものであるが、規格構想時は確かに「松下とソニーのMSX」であり、それが後に建前上の理由から「MicroSoftX」に変化した、との説も存在する。書籍により語られるようになった後、当事者が当時を振り返っての公演・発言をする際に同様の趣旨の事が言われるようになった。
曰く、MSXの初期の構想時にはマイクロソフトは関与しておらず、西和彦と、規格の推進役かつ後ろ盾だった松下電器産業(現パナソニック)の前田一泰のイニシャルから、当初はMNXと呼ばれていた。だがこの名称は既に商標登録されていたため、ソニーが話に加わった事でMSXと改まった。しかし日本のメーカーが提唱する規格の基本ソフトがアメリカのマイクロソフトだという点に通商産業省からクレームがついたことで、松下電器産業とソニーは前面に立つわけにいかなかったため、名称はそのままに、「マイクロソフトのMSX」と説明したという経緯とされる。
この事は書籍[13]に初めて書かれた後、規格発表当初はマイクロソフトから取ったと語った西和彦も同様に語るようになった。2000年のイベント「電遊ランド2000」の講演会で、この説について質問された際も「そう受け取っても構わない」と答えたという。翌2001年の「電遊ランド2001」での前田一泰の講演でも、同様の趣旨の発言がされている。
  • 候補に上がった名称
規格発表以前の段階では、MSXや前述のMNXの他に、西和彦の名からNSX、アスキーから取られたASXなどが候補に上り、商標登録された。

MSXロゴマーク

ファイル:Canon V-20 MSX computer.jpg
キヤノンV-20。
右下隅にMSXのロゴマークが見える

MSX仕様に準拠したハードウェアとソフトウェアにはMSXのロゴマークがつけられた。MSXマークがついていればMSXで動くと分かるように、ホームビデオのVHSを参考に発案・デザインされた。以後、MSX2、MSX2+、MSXturboRとMSXがバージョンアップする度にロゴは作られて、MSX2からは起動画面にMSXロゴが表示されるようになった。公式MSXエミュレーターMSXPLAYerでもMSXのロゴは踏襲された。デザインは全て西和彦が元になるアイデアを出している。

このロゴマークのついたMSX仕様のソフトウェアを発売する際にロイヤルティーは不要。これはMSX発表当時、対抗規格を打ち出して来た日本ソフトバンク(現ソフトバンク)の孫正義と西和彦のトップ会談によって決定されたものである。

MSXの応用例

MSXは単価が安く、またカートリッジスロットからZ80のメモリーバス、アドレスバスをそのまま引き出すことが出来るため、Z80の付随回路としてシンプルに設計でき、拡張や工作が容易である。80系/Z80系の環境では標準とも言えるCP/M互換のMSX-DOSという原始的なOSや開発環境も整っており、既存のCP/M環境やMS-DOS環境からのクロス開発も容易だったため、組み込み用や制御用にも多く流用されていた。

一部の市販ビデオタイトラーやビデオテックス(キャプテン)システム、また公共施設等に設置されたビデオ端末や簡易ゲーム機などにもMSXを流用したハードウェアが内蔵され、稼動していた例も少なくない。

特にビデオタイトラーでは、ソニーのXV-J550/J770/T55Fシリーズや松下電器産業のVW-KT300などの家庭用タイトラーのハードウェア構成は明らかにMSXを応用・流用したものである。ただし、これらの機種では基本はMSXシステムをベースとしていても独自の実装がなされており、特にBIOSなどは大幅に簡略化されMSXとしての機能は望めないなど、簡単な加工程度では汎用のMSXシステムとして使うことは不可能である。それらのMSXベースのタイトラーは安価なビデオタイトラーとしてはかなり普及していた時期があり、一時期は企業VPや解説ビデオやインディーズAVなどの小規模なビデオ関連の作品などにはMSXの漢字ROMフォントとまったく同じフォントを用いたテロップを多く見かけることが出来た。これらのビデオ作品は一部では2009年現在でも流通している。

MSXを音楽芸術活動に取り入れた主な人々

パソコン通信

MSX向けの商用パソコン通信サービスとしては、1986年12月からアスキーが運営したアスキーネットMSX、および松下グループ(現パナソニックグループ)系のネットワーク企業・日本テレネットが運営するTHE LINKS(ザ・リンクス)が知られる。

アスキーネットMSXは、MSXを所有していることが使用の条件であり、実際に使えるマシンはMSXに限らなかった。NHK学園のパソコンの通信講座で使われたこともあった[14]

対してTHE LINKSはMSX専用だった。画像通信やゲーム配信をサポートした独特のサービスで、対応機種をMSXに限定、モデムも専用ソフト搭載のカートリッジのみとする事で、他のパソコン通信サービスにはないカラフルなコンテンツの提供や画像配信、動くメールなども実現していた。MSXによる日本語表現の特徴の一つである半角ひらがなやグラフィック文字はJISの規格外で、機種によって全く別のキャラクタが定義されており、MSXに限らず多機種混在のパソコン通信では使わないのが常識となっていたが、THE LINKSはその逆にJISやシフトJISの2bytes文字の日本語は書き込むことができず、1byteのMSX文字でコミュニケーションを取ることになっていた。THE LINKSのためだけの専用通信ソフトが必要で、通信ソフトが内蔵されたTHE LINKS専用モデムカートリッジがあった他、松下電器産業のモデムカートリッジに通信ソフトが内蔵されていた。

当初は通信速度300bpsのモデムカートリッジが発売され、後には1200bpsの物も出た。MSXturboRが発売された時期にはパソコン通信も9600bpsを超える速度のモデムが一般化し、MSXでもRS-232CカートリッジとPCモデムを使用するユーザーが増えた。MSX2の中には本体に1200bpsモデムを搭載した、通信パソコンと称される機種もいくつか存在する。

それ以外にもPC-VANNIFTY-ServeにMSXに関係するSIGやフォーラムが設けられた。また、MSXの話題を扱う草の根BBSが全国に開設されており、MSX専門誌が休刊し、商業的にMSXが衰退した後は同人活動とともにパソコン通信での活動によって培われたコミュニティーがMSXを支えた。パソコン通信で発表されたフリーソフトウェアは、MSX専門誌のMSX・FANに付録ディスクに収録されたり、ソフトの自動販売機TAKERUで販売されたりもした。

その他にMSXを用いたネットワークサービスには、囲碁のネット対戦「GO-NET」や株式投資などがあった。

通信ソフトにはアスキーからMSX-TERMが発売されたが性能の悪さからあまり使用されず、フリーソフトウェアのmabTermやRAETERMや松戸タームが使われた。MSX向けのネット運営用ホストプログラムはMSXマガジンが開発した「網元さん」やMHRVなどが多く用いられた。

MSX3

MSXはMSX2の次のバージョンはMSX2+、MSXturboRという規格名となり、MSX3が発表されることはなかった。しかし、アスキーにはMSX3の計画が存在していたことが、後に公開された資料や証言で明らかになっている。MSX2が発表された1985年前後には、Z80互換の16bitCPUのZ280、VDPはV9948、音源はMSX-AUDIO(Y8950)という内容でMSX3が計画されていたという資料が存在している[15]。別の証言では、コードネームはTryX、CPUはZ80互換の高速CPU、VDPにはV9978かV9998とナンバリングされたVDPが予定されていたが、VDPの開発の遅れから高速CPUであるR800のみがMSXturboRに搭載されたとされる[16]

イメージキャラクター

1980年代当時パソコンは、一般への普及を標榜していたため、テレビCMや雑誌・新聞広告に知名度の高い芸能人やキャラクターを起用する事が多かった。MSXも多分に漏れず、数々のキャラクターでのCMを展開していた。

  • アスキー
    • MSX坊や
      特定機種ではなく、規格としてのMSXのマスコットキャラクターとして作成。MSX1~MSX2初期にかけて雑誌広告やアスキー発行の専門誌で使用された。
  • ソニー
    • 松田聖子
      TVCMの露出も多く、ソニーがMSXでトップシェアを勝ち得た事にかなり貢献したとされる。
  • 三洋電機特機
    • 宮本武蔵
      PHC-30が本体のみでROMカートリッジ・カセットテープの両メディアが使える機種だった事から、「二刀流」が謳い文句だった。
  • 三菱電機
    • (名称不明)
      最初の機種・ML-8000の広告には、カエルに似たオリジナルキャラクタがマスコットとして用いられた。Let usシリーズの広告では一般の女子大生を起用、以降はCMキャラクター無し。
  • 東芝
  • 日立製作所
    • 工藤夕貴
      MB-H1の頃は月変わりで雑誌広告を展開、セーラー服姿の工藤がパソコンを持って色々なところを闊歩するシリーズが1年間続いた。以降撤退までは機種毎に固定の写真が使われた。
  • 松下電器産業(現パナソニック)
    • キングコング
      MSX1及びナショナルブランドで発売されたMSX2を担当。同社MSXマシン自体のブランド名にも「キングコング」の名称が使われた。
    • アシュギーネ
      MSX2のA1シリーズを担当。MSX2用ゲームの主人公に使われた他、漫画にもなった。
    • スパーキー
      MSX2+以降を担当。「デザインにルーカスフィルムが関わった、スター・ウォーズ世界の住人」という触れ込みだった。
  • 富士通
    • タモリ
      他のFMシリーズから続けての起用。
  • カシオ計算機
  • 日本ビクター
    • 小泉今日子
      同社MSXが"IO"(イオ)というブランド名を使用した頃に起用されていた。

日本国外のMSX

ファイル:Gradiente MSX.jpg
ブラジルで販売された、Grdiente 「Expert」 GPC-1(MSX)
ファイル:Daewoo CPC-300E.png
韓国で販売された、大宇電子「IQ-2000」 CPC-300E (MSX2)
ファイル:Yamaha msx ax120 1.jpg
アラビア語にローカライズされアラブ諸国で販売されたSakhr AX-150。YamahaのロゴとSakhr(صخر)のロゴが確認できる

当時のホビー用パソコンにはBASICインタープリタをROMで搭載することが一般的であり、MSXでもこれを踏襲する一方、MSX-DOSと呼ばれるCP/M互換OSも供給され、既存のCP/Mアプリケーションの多くがほぼそのまま動作する等、アセンブリ言語やC、Pascal等を用いた本格的なソフトウェアの学習・開発や、豊富なCP/Mアプリケーションを用いた実務なども可能だった。

このように、MSXは単に子供に買い与えゲームやBASICで遊ばせる「入門機」としての側面のみではなく、その後本格的なコンピューター(ソフトウェア)の学習にも繋げて行くことが可能な、総合的なホームコンピューターとして設計されている。また、2bytesで処理し表示にも高解像度が必要な漢字を使う日本とは異なり、アルファベットを使う諸国ではMSX1の表示能力でも十分という事情もあった。またグラフィックチップのTMS9918を搭載するなどのハードウェア構成がゲーム機のコレコビジョンとよく似ており、コレコビジョン用のゲームが移植しやすかった。また、CPUが同じであるZX Spectrum用ソフトの移植も楽だった。こうした点が日本以外の諸国では評価され、普及に繋がることとなった。

MSXは日本国内のみならず、オランダブラジル韓国を中心に現地企業でも生産され、他の国にも輸出された。日本でパソコン御三家に対して出遅れた家電メーカーがMSXに参入したのと同様に、Apple IIやZX Spectrumに対して出遅れた現地の大手家電メーカー、ブラジルのグラディエンテやオランダのフィリップスがMSX規格に頼らざるを得なかったという事情もあり、ファミコンなど日本製の高性能なゲーム機が進出していなかった地域ではその代わりとなるハードが必要だったという事情もあるが、MSXに注力したこれら大手企業の影響力が強い諸国ではそれなりに普及した。

北米のホームコンピューターのマーケットは既にコモドールなどが低価格競争を繰り広げていたため、スペクトラビデオとヤマハのMSXのみ発売されたがほとんどシェアを獲得できず、現地企業として唯一MSXに参加したスペクトラビデオも倒産の憂き目にあった。ただし、それ以外の専業メーカーもまた、生き残れたわけではなかった。

欧州では当時コモドール64とシンクレアZX Spectrumがシェアを二分していた。MSXよりも、MSXとほぼ同じスペックで値段が安かったイギリス産のZX Spectrumの方が人気が高く、特にシンクレア社の地元イギリスでは、東芝の現地法人が大きな宣伝をかけたわりにほとんど売れなかった。ただしZX Spectrum用のプログラムはMSXに流用して簡単に移植できるため、イギリスでもMSX用ソフトはそれなりに発売されている。一方で、フィリップス社の地元オランダ、イタリア、スペインでは人気があった。

韓国でMSXは三星電子、金星電子、大宇電子、と複数の現地大手メーカーから発売され、Apple IIとシェアを二分する成功を収めた。三星電子と金星電子は早期に撤退し、MSX2は大宇電子のみが発売した。FDDも周辺機器として発売されたが、当時としてはかなり高価だったためにあまり普及しなかった。ゲームマシンとしても利用され、MSXソフトが動作するもののキーボードがないなどMSX仕様を満たさない大宇電子Zemmixという家庭用ゲーム機も発売されている。大宇電子は1990年代中盤までZemmixを販売し続け、日本国外の製品としては唯一MSX2+規格に対応したゲーム機Zemmix Turboまで発売して、三星電子のメガドライブや金星電子の3DOと対抗している。

ブラジルでは現地大手家電メーカーのグラディエンテと、シャープのブラジル法人シャープ・ド・ブラジルが1986年頃より製造販売した。Atari 2600の代理店からMSX機の販売に切り替えた経緯があるグラディエンテを始めとして、シャープもMSXをパソコンと言うよりも安価なゲーム機の代替品として捉えていたようで、MSX2規格の発表以後にも関わらず初代MSXしか販売されなかった。シャープが日本で成功しており欧州でも販売実績のあったMZシリーズを投入しなかった理由は不明であるが、複数の日系企業の拠点があったマナウスフリーゾーンを通じて未正式に販売された日本製のMSX機がブラジルに少なからず出回っていた背景があったものと見られる。初代MSXが普及し専門誌による情報交換も盛んだったブラジルではユーザーコミュニティがMSX2の発売を切望していたが、シャープは1988年にMSXから撤退。グラディエンテも1990年にはMSXから撤退し、以降はMSX2ではなくファミコンを販売した。そのため、サードパーティからMSX2相当にパワーアップする製品などが発売され、ユーザーコミュニティによる自主制作も盛んとなった。

アラブ諸国ではクウェートの大手SIであるAl Alamiahが日本からヤマハのMSX機を輸入しており、子会社のSakhr社によってアラビア語のローカライズを行い販売していた。このように、韓国向けではハングルアラブ諸国向けにアラビア文字を使えるなど、現地向けに仕様をローカライズすることが可能だった。

ソ連などの旧共産圏などでMSXは学校などに多数納入され、初等教育の現場でも応用されていた。ただし当時の東側諸国は市場経済が導入されておらず、庶民がパソコンを気軽に購入・利用できる時代ではなかったため、西側諸国とは違ってあくまで教育・軍事用途がメインである。

MSXと冷戦

ファイル:YAMAYAMA.JPG
ソ連の学校教育で使われていたという、ヤマハ YIS503II[17]

冷戦時代、西側諸国ではコンピューターを含む電子機器の輸出を対共産圏輸出統制委員会(ココム)で制限しており、ソビエト連邦を中心とする共産圏の国々では16ビット以上の高性能コンピューターを西側から輸入することが出来なかった[18]。そのため、規制対象外とされていた8ビット機を大量に輸入し、またコピーして使用していた。機種は用途に応じてよく選別されていた。

これらの中にはMSXも含まれており、その拡張性や互換性などが評価された結果、学校教育のみならず各分野で応用された。教育用には独自に簡易ネットワークシステムまで構築して利用していた例もある[19]。またそれらがテンプレート:要出典範囲にも転用された。

ファイル:Interior of Mir Core Module.jpg
ミールのコアモジュール。左側の白い機材がHB-G900APと見られる

ソ連の軌道宇宙船ミールでも、MSX2規格の動画編集機であるソニーHB-G900APと見られる機材[20]が設置されており、撮影したビデオの編集に使われていた模様。 テンプレート:Clear

周辺機器

ROM/RAMカートリッジ

  • ロムカセット
    ページ先頭に書かれているヘッダによって、起動時の初期化(拡張BASIC等)や自動起動(ゲームソフト等)が可能。通常はマスクROMが使用されたが、ソフトベンダーTAKERU用のEPROMカートリッジもあった。
    • メガROM
      内部にバンク切り替え機能を搭載した、1メガビット(128KB)超のROMカートリッジ。1986年4月にアスキーが仕様を制定し、同年7月22日発売の『グラディウス』で初使用[21]。その後、長方形を斜めに3つ連ねた統一マークが定められた。コナミによるものとアスキーによるものの2種類の仕様があった。同様の物は特に名称はついていないものの、ファミコンなどの家庭用ゲーム機でも見られる。
    • MegaRAM
      ブラジルのMSXマーケットでのみ普及したカートリッジでDDXとCIELの2社から発売されていた。メガROMのROMの部分をRAMに交換した様な構造をしており、このRAM部分にROMイメージをLOADして使用する。ブラジルでは、このMegaRAMが存在したからこそMSXが普及したといわれる程、大ヒットした。もっとも、主な用途は「メガROMから吸い出したゲームを違法コピーして使用する」というものであり、結果的にはMSXゲーム市場の衰退を招き、メーカーがMSXから撤退する遠因ともなった。
    • BEE CARD
      アダプタカートリッジ「Bee Pack」と組み合わせて使用する。セガ・マークIIIマイカードPCエンジンHuCARDと同様のもの。
  • 増設用RAMカートリッジ
    MSXの内蔵RAMを増設するためのカートリッジ。スロットに直接接続し、メインメモリを増設するカートリッジと、メモリマッパカートリッジがある。前者は、カシオの「16KB増設RAMカートリッジ」「64KB増設RAMカートリッジ」等で、多くは純正の拡張機器として、小容量のRAMを持つMSXの為に用意された。後者は、MSXDOS2カートリッジや、テラネットワークシステムの「AddRAM2」、似非職人工房の「うっかりくん」など。
  • SRAMカートリッジ
    MSX1発売開始当初は、一般家庭での需要を見込んだ、家計簿ソフトなどのデータ保存用に発売、もしくは本体に同梱された。その後は主にゲームデータの保存用にシフトした。PAC(パナ・アミューズメント・カートリッジ)、FM-PAC、新10倍カートリッジなど。

入力装置

  • キーボード
    キーボードが本体と分離しているマシン用に各社独自仕様の物が用意された他、スロットコネクターやジョイスティック端子を介してつなぐテンキーパッドが市販されたり、専門誌の電子工作コーナーに作例掲載されたりした。
    なお、MSX規格では「キーボード接続専用の標準端子」のような物は定められていない。
  • 鍵盤
    ヤマハ・SFG-01/05専用の物が発売された。
  • ジョイスティックジョイパッド
    8方向入力スティック+押しボタン1~2個を備える。当初は据え置きタイプは操縦桿型、手持ちタイプはスティック付きの物が多かったが、徐々にアーケードゲーム型・方向ボタン付きの物に移行し、連射機能などを備えたものもある。右がボタン、左がレバー(方向ボタン)の物が主流であるが、右側が操縦ボタンになっている製品も存在する。
    • ハイパーショット
      押しボタン2個のみ、方向入力は無し。コナミ「ハイパーオリンピック」「ハイパースポーツ」シリーズ専用の入力機器。
    • ジョイボール
      HAL研究所製の連射モードを搭載したボール型ジョイスティック。
    • アナログジョイスティック
      厳密にはデジタル256段階のデジタルスティック。電波新聞社X68000用のアフターバーナー用に開発、販売し、シャープも色違いのものを純正品として販売している。後継機はコンパクトな設計となり、メガドライブとの接続にも対応した。2軸スティック+1軸スティック+押しボタン12個。BASICマガジンでMSXでの制御方法がプログラムつきで記事として公開され、一部の市販ソフトでも隠し機能として対応した。
  • マウストラックボール
    ジョイスティック端子に接続する。トラックボールはソニー・HAL研究所等が発売。後にマウスとともに正式に規格に取り込まれた。規格上での扱いには幾分かの差異があり、マウス用ソフトでトラックボールを使っても操作できない場合がある(逆も同様)。
    マウスはMSX規格準拠と同じ物が同じインターフェイスを持つPC-8801mkIISR以降のバスマウスや富士通FM-TOWNS用としても使用された。
  • パドル・タブレット
    前者はブロック崩しゲーム等で用いられるダイヤル状の物でジョイスティック端子1つに最大6つ接続できる。後者は透明な板をペンでタッチするポインティングデバイスで現在のタッチパネルペンタブレットに近い。ともにジョイスティック端子に接続して使用。マウスやトラックボールよりも早く、MSX1発表当初から規格に組み入れられていたアナログ入力装置である。
    ただし、パドルは専門誌の電子工作コーナーで作り方が紹介されたのみで、メーカー品は存在しない。タブレットもMSX1初期に同仕様の商品がいくつかのメーカーから発売されたのみで、対応ソフトも機器付属のもの以外ほとんど無い。turboRではいずれも非サポートで、対応BIOS・関数を呼び出しても必ず固定値が返る。
  • ライトペン
    三洋のMSX1・WAVY-10とWAVY-11に標準添付、専用の端子に接続。他機種用にカートリッジスロットに接続する物が発売されたが、映像出力をカートリッジに経由させる必要があったため一部機種では使用できない。MSX2から規格化されたが、MSX2以降の画面モードに対応した機器は発売されていない。パドル等と同様にturboRでは非サポート。
  • 光線銃(ライトガン)
    • PLUS-X ターミネータレーザー
      中東諸国で流行したゲーム用光線銃。ジョイスティック端子に接続。対応ソフトも中東で流通していたMSX1対応の物がほぼそのまま売られていた。
  • マイク
    turboRには音声取り込み用の物が本体に付属。それ以前にも(規格でサポートされていた訳ではないが)1ビットサンプリング用に市販品が使用された。
    • 「シャウトマッチ」付属マイク
    ビクター音楽産業製の同名ゲーム専用の物。ジョイスティック端子に接続。感知できるのは音量のみ。

記録装置

ファイル:Call format.jpg
ブラジル・グラジエンテ社のMSXでBASICより「call format」の命令を実施した所。5インチ片面(1DD)と両面(2DD)が追加されている。
  • データレコーダー
    プログラムや画像データを「音」に置き換える事で、「音」を扱える機器を外部記憶装置として用いていた。記録速度は1200bpsと2400bpsを選択でき、インターフェイスは大半の機種に装備。カシオ PV-7などではオプション、松下電器産業FS-A1WSXとMSXturboRでは削除。一部の機種にはカセットデッキが内蔵された。特に日立MB-H2は、音楽再生も意識したステレオ対応デッキで、頭出しや早送り巻き戻しなどデッキの操作を拡張BASICでコントロールできた。
    このフォーマットでプログラムを記録・媒介するメディアとしては以下のような物があった。
    • カセットテープ
      FDDのない環境では標準的な外部記憶メディアとして使われた。読み出し・書き込みの双方が可能。ROMカートリッジの生産にはある程度の資金力が必要なため、中小ソフトメーカーではMSX1時代を中心にゲームなどのソフト供給メディアでもあった。アイワのデータレコーダーDR-20はテープを倍速再生でき、1200bpsでSAVEしたプログラムやデータを倍速再生により2400bpsでLOADできた。
    • レコード
      アニメの主題歌とドラマが納められたレコード『みゆきメモリアル』(キティレコード)や小久保隆の「バウハウスの詩人たち」(ネクサスレコード)に音声データとしてMSX用プログラムが収録。それらデータはMSXよりCLOADする事により読み込める。また、月刊誌PiOのソノシートにMSX用プログラムが収録されたこともあった。
    • ビデオテープ
      データレコーダーと同じフォーマットで音声記録。日本テレネット制作のプロモーションビデオ『ヴァリスクラブ』(日本ソフトバンク)に特典としてMSX用プログラムが収録。読み出し専用(書き込みも可能ではあるが実績の程は不明)。
    ※なお、レーザーディスクもデータのフォーマット自体は同一だが、プログラムが映像や通常の音声と連動するメディアなので後述とする。
  • フロッピーディスクドライブ(3インチ、3.5インチ、5.25インチ)
    当初は日立などが3インチ、ソニーなどが3.5インチのドライブを開発していたが、国内では1984年5月の発売前に3.5インチに一本化された。インターフェースカートリッジとドライブとの別売、またはセットで提供された。後年にはドライブがインターフェースと一体化した形状の物も発売。使用にはメインメモリーがMSX DISK-BASICで32KB以上、MSX-DOSで64KB以上、MSX-DOS2では128KB以上必要。BASICとDOSのファイルシステムには互換性がある。MSX2末期以降は大半の機種に内蔵された。
    ヨーロッパでは当初、フィリップスが3.5インチ1DDを内蔵した安価な機種を市場に投入したため、1DDが普及した。その後、日本と同じく3.5インチ2DDが発売された。よって、ヨーロッパのMSX用ソフトウェアは3.5インチ1DDで発売される割合が日本よりも高い。また、1DDのドライブを2DDに入れ替える事も盛んに行われている。
    ブラジルではグラジエンテが3.5インチ2DD内蔵のMSX1を発売し普及したが、Apple IIアタリ400/800コモドール64などが先に普及していたので、それらに接続されていた5インチFDDをMSXに接続できる様になっていた。また、DDXやCIELなどのメーカーが発売した拡張FDDシステムも3.5インチFDだけでなく、5インチFDもサポートした。よって、ブラジルでは3.5インチ1DD/2DDと5インチ1DD/2DDが並存する事となった。
  • クイックディスクドライブ
    ミツミ電機製、カシオブランド及びロジテックブランド及びフィリップスブランドから発売。60円(当時)の封書で郵送でき(3.5インチフロッピーディスクの郵送には当時70円かかった)、安価なFD代用メディアを標榜するも普及せず。機械語でローダを書いてROMカートリッジよりも番号の若いスロットに差せば、ROMカートリッジより優先してブートされた。そのため、機械語ローダを書き込んだクイックディスクを用いてROMカセットをセットして起動、ROMカセットの内容がクイックディスクにコピーし、次回からはそのディスクのみでコピー元のROMカセットと同等の動作をさせる事が可能で、ROMカセットのデッドコピーには重宝された。
  • ハードディスクドライブ
    SASI規格のインターフェースカートリッジ「MSX HD Interface」が1989年7月にアスキーより市販された。SASI規格は40MBまでしか利用できず、ハードディスクドライブも高価だったため、あまり普及しなかった。しかし、その後オランダの MSX Computer Club Gouda(ハウダ) が販売していた Novaxis SCSI を G-SCSI の名称でTEAM-PMKが輸入し販売し始めるとMSXでもハードディスクの普及が始まり、有限会社EJがMSX-IDE-INTERFACEを、似非職人工房がMEGA-SCSIを Sunrise for MSX が Sunrise ATA-IDE を開発し販売した。
  • ビデオディスク
    MSXでは下記の2種類の規格が使用できた。
    • レーザーディスク(Palcom)
      CPE(Computer Program Encoded)ディスクと呼ばれ、通常の映像の他にMSX側からのコントロールプログラムも格納されていた。アナログ音声トラックのRチャンネルにデータレコーダーと同じフォーマット(転送速度は2400bps)で音声記録されたデータを読み込む仕組みで、方式としてはスタディボックスに近く、後のレーザーアクティブによるLD-ROMとは全く異なる。拡張BASICのP-BASICでレーザーディスクを制御した。パイオニア製MSXでは標準で、他社MSX1ではオプション機器で接続可能。MSX2以降では使用不可。
      対応ソフトとしては、SEGAアストロンベルト」、FUNAIインター・ステラ」」、KONAMIバッドランズ」、TAITOコスモスサーキット」、FUNAIエシュズオルンミラ」」等が移植されたほか、レーザディスク「スターファイターズ」などのオリジナルソフトも発売された。教育用ソフトウェアとしては、レーザーディスク「スペースディスク」シリーズ(英語版からの移植、NASA撮影の衛星画像の検索ソフト)、アイペック「ラスコムメイト」シリーズ(中学生向け学習教材)等がある。
    • VHD(VHDpc INTER ACTION)
      VHD言語という異機種間共通の言語仕様が用意され、中間言語でVHDディスクにデジタル記録されたプログラムを、MSX側に用意されたインタプリターで実行した。ただし、実行速度の都合から一部、各機種個別のソフトをディスクと別売で用意した物もあり。VHD言語はコードがVHD上にある前提からユーザー開発は想定しておらず、自作プログラムでVHDプレイヤーをコントロールする場合は、(VHD言語ではなく)拡張BASICを使う。MSX2規格で標準化したが、MSX2対応VHD言語インタプリターは出なかった。
      対応ソフトはデータイーストサンダーストーム」「ロードブラスター」、タイトータイムギャル」等(いずれもVHD言語非対応)。また、ユーザーがプログラムから制御する前提で、「ゼビウスマップ」も発売された。
  • CD-ROMドライブ
    MSX2の1987年頃に東芝が外付け型、ソニーが内蔵機を試作したという報道があったが、商品化には至らなかった。後にSCSI/IDE経由で利用できるようになった。

拡張音源

MSXは音源としてPSG(AY-3-8910相当品)を持っていた。1983年当初はそれでも十分だったが、他のゲーム機やパソコンが音源機能を強化する中、MSXにも対抗上各種ミュージックシステムが開発された。

  • FM音源
    • SFG-01/SFG-05(ヤマハ)
      SFG-01は「FM SOUND SYNTHESIZER UNIT」、SFG-05は「FM SOUND SYNTHESIZER UNIT II」。1985年に発売されたMSX初のFM音源カートリッジ。MSX-AUDIO以降のFM音源が2オペレータだったのに対して、より複雑な音色を作成できる4オペレータのチップを採用し、8声の再生が可能。詳細は下記MIDIインターフェイスの項を参照。
    • MSX-AUDIO
      MSX-AUDIOは規格名。音源チップはY8950。日本では1987年にパナソニックから FS-CA1 MSX AUDIO UNITの名称で発売された。MSX AUDIO UNIT は34,800円と非常に高価であり、ほとんど普及しなかった。ヨーロッパではフィリップスが NMS-1205 Muziekmodule(ミュージックモジュール)、東芝が、HX-MU900 MSX MUSIC SYSTEMの名称で発売、標準音源として定着した。
    • MSX-MUSIC
      MSX-MUSICは規格名。音源チップはYM2413。MSX-AUDIOが日本で普及せず、そのためY8950と比較して同時発声数は同じだが自作音色が1声のみなど簡素化されて安価なYM2413チップ(OPLL)を採用したFM Pana Amusement Cartridgeが1988年にパナソニックより7,800円で発売。これが普及して日本では標準音源となった。一方、ヨーロッパではMSX-AUDIOがMSXの標準音源になった。
      その後フィリップスがMSX市場より撤退、MSX-MUSICを搭載したMSX2+/turboRがヨーロッパに輸出されたため、ヨーロッパでもMSX-MUSICが普及する事となる。
  • SCC音源
    コナミのゲームソフト「スナッチャー」「SDスナッチャー」に付属(ゲーム本体は2DDディスク)。元々メモリコントローラとしての側面を持つSCCにDRAMを64KiB接続し、プロテクトを兼ねたゲームのディスクキャッシュとして用いている。各々のカートリッジはDRAMのアドレスが異なり、無改造では双方に互換性はない。同社のディスク後に制御の方法が雑誌上で公開され、いくつかの(フリーソフトを含む)音楽ソフトで対応が行われた。また、スナッチャ、SDスナッチャーが品薄になると、SCC内蔵ROMカートリッジを電源が入った状態で挿入する、ROMを無効化、若しくは取り外す等の方法によって、ゲームのROMカートリッジ上のSCCを使う方法も用いられた。
  • PCM音源
    • とーくまん(エミールソフト)
      MSXで音声合成が楽しめる、トーキングマシン。付属のマイクをつかって、PCM録音、再生。サンプリング周波数は4KHz~8KHzの5段階。音声データはエディターを使ってエコーなどエフェクト処理、ディスクへのセーブ。ROMに書き込んで市販の「おしゃべりさん」の音声ROMとしても使用可能。内蔵の拡張BASICによって簡単に音声入りのプログラムが作製できる。
    • +PCM
      A.Hiramatsuという人物により開発され、同人サークルであるフロントラインが販売していたハードウェア。MSX本体とは別にPCMを追加する事ができる。M改という人物が開発し、フロントライン販売のシューティングゲーム「PLESURE HEARTS」に使用すると、MSX内蔵音源とは別に、この+PCMより効果音が発声する。

MIDIインターフェイス

  • MSXでMIDIを使用する事ができるハードウェアも色々と開発された。
    • SFG-01/SFG-05(ヤマハ)
      MIDI-IN/OUT端子の他、FM音源(音源チップはSFG-01がYM2151、SFG-05はYM2164)、鍵盤端子も搭載。音声出力はステレオ。SFG-01は19,800円、SFG-05は29,800円。SFG-01はMSX用FDDの仕様決定前に発売され、ワークエリアがMSX用FDDとバッティングしていた。それを変更してデータ保存先にフロッピーディスクを指定できるようにした物がSFG-05である。
      ヤマハ製MSX独自スロットに接続する。一部の日本ビクター製マシンでも動作保証はないが同様に使用できた。ヤマハ以外のMSXでも使用できるようアダプターが発売された。
    • MIDIサウルス(ビッツー
      専用ソフト同梱で発売されたMIDIインターフェイス。専用ソフトはSCREEN6を使用してVRAM使用量を削減し、その分をトラックバッファに当てていた。
      ゲームソフトでも、同社のファミクルパロディックシリーズが対応していた。
      演奏自体はカートリッジ内部に制御用にZ80互換チップとバッファメモリを搭載することでCPU負荷をかけずに再生していたが、その仕様は一般公開されなかった。同社に問い合わせると一般人でも資料がもらえたが、MIDIポート直接入出力の手順だけとなっていた。
    • MSX-MIDI
      turboRで規格のひとつとして定義されFS-A1GTに同規格に対応したインターフェイスが内蔵された。BASICからの制御も対応している。他には、ビッツーのμPACKのカートリッジ、ハードウェア的には、藤本昌利によって開発された自作ハードウェアである MSX MIDI Interface3 が存在する。ハードウェアの設計の問題から、一定のCPUパワーを必要とし、MIDI-IN として使う場合や割り込み機能を使う場合はturboR相当のパフォーマンスを必要とする。取りこぼしなどの影響が無い、MIDI-OUT として使うだけなら turboR以外でも、ソフトウェアがサポートすれば利用可能である。

これらインテリジェントなものや、スロットに差し込むハードウェアはコストが高く、規定のシリアルデータとしての信号を生成できれば演奏は可能であるため、汎用インターフェイス等を利用したMIDI出力の方法並びに実装がユーザによって行われている。

  • プリンター端子(パラレルポート)に接続して使用するもの
    只MIDI、Dual MIDIなどMSXのプリンター端子(ポート)に接続して利用したする簡易インターフェイス。前者は、ソフトウェア的な検出ができないものの、抵抗二つとコネクターを配線するのみで完成し、後者は、ソフトウェアにより存在を検出できるほか、プリンターポートの信号を出力ポートへ割り当てているため、処理が間に合えば、最大8ポートの制御が可能となっている。
  • ジョイスティック端子を使用するもの
    MSXのジョイスティック端子(汎用ポート)に接続してMIDI出力を行うもの。Acrobat232、Joy Serial、へろへろ5号などが存在する。
  • RS-232CインターフェイスとMIDIアダプターを使用するもの
    RS-232Cに準拠するシリアル信号を前提としたアダプタも流用可能である。主にPC-9800シリーズ向けとして売られているものを利用する。インターフェイスが、RS-232Cに準拠していない場合は、動作しない可能性もある。また、SC-55mkIIなどMIDI楽器側にもパソコン接続用端子(RS-232Cから接続する端子)を持ち、MIDIアダプターを必要としない製品も存在する。RS-232Cカートリッジに関しては後述する。

プリンター

MSX規格のもの、MSX向けのもののみ

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  • ドットインパクトプリンター
    • ブラザー工業 M-1024X(モノクロ・24ドット、MSXロゴあり)
    • ソニー PRN-M24(モノクロ・24ドット、M-1024XのOEM供給品)
    • 松下電器産業 FS-P400(モノクロ・24ドット、M-1024XのOEM供給品)
    • ブラザー工業 M-1024ⅡP/X(モノクロ・24ドット、M-1024X後継品、背面のディップスイッチ切換によりNEC PC-PR101系の互換プリンターとして使用可能、MSXロゴなし)
    • 東芝 HX-P550(モノクロ)
  • プロッタプリンター
  • 熱転写式サーマルプリンター
    • ソニー HBP-F1(モノクロ)、HBP-F1C(カラー)
    • 松下電器産業 FS-PW1(モノクロ・ワープロソフト付)、FS-PK1(モノクロ・JIS第1水準漢字ROM搭載)、FS-PA1(モノクロ)、FS-PC1(カラー・48ドット)
    • カシオ計算機 MW-24(ワープロソフトを内蔵した専用ROMカートリッジを介して接続、ワープロソフトからの印刷のみ可能でありBASICからの利用はできない)
      FS-PC1以外は24ドット
  • 感熱式サーマルプリンター
  • インクジェットプリンター
  • レーザープリンター

パソコン通信用

  • RS-232Cカートリッジ
    モデムの接続のほか、CP/Mのディスクが読めないMSX-DOSにソフトをコンバートするための他機種との接続などにも用いられた。
    • 各社発売のカートリッジ
    • ASCII MSX SERIAL-232
    • 似非職人工房 はるかぜ
  • モデムカートリッジ
    • 各社発売のモデム(300bps~1200bps程度)
    • THE LINKSモデム
      MSX専用のパソコン通信サービス"THE LINKS"専用モデム。300bps・半二重という当時の他のモデムではあまり見かけない仕様だった。THE LINKS利用者に事実上無償貸与されていた。

その他

  • 拡張スロットユニット
    MSX本体のプライマリスロットに接続して4つのセカンダリスロットを供給する。各種拡張機器の併用や、複数スロットを使う周辺機器の使用に用いられた。MSX仕様準拠(MSXマーク付き)の物が、東芝HX-E601など複数のメーカーから発売。
    • EX-4(NEOS)
      MSX向けの製品だが、厳密にはMSXの仕様を満たさないため、MSXマークは付いていない。
  • 映像ユニット
    • MPC-X(三洋電機)
      同社のMSX1、WAVY-11に接続する。解像度512×192ドット、512色中8色を使用可能、ビデオデジタイズ機能付き。一時期のMSXマガジンの表紙CGはこの両機の組み合わせで作成されていた。
    • HBI-V1(ソニー)
      MSX2以降用のビデオデジタイザ。ビデオ映像をMSX2のSCREEN8・MSX2+以降のSCREEN10~12の画像に変換する。
    • VHDインターフェース(日本ビクター)
      VHD PC接続端子及びMSX1用VHD言語インタプリタを搭載、スーパーインポーズ機能つき。日本ビクター製MSXの独自スロットに接続する。ヤマハ製マシンでも同様に使用可能(ただし動作保証は無し)。他のMSXで使用する場合は要・専用アダプタ。
    • 拡張グラフィックプロセッサER-101(パイオニア)
      パイオニア製以外のMSXにLDプレーヤーを接続して使うための機器。スーパーインポーズ機能つき。MSX2以降では使用不可。
  • バージョンアップユニット
    • MSX2バージョンアップアダプタ(NEOS MA-20)
      MSX1をMSX2(VRAM 128KB)にバージョンアップする事が出来る。RAMは要64KBで、増設でも可。MSX2+やturboRに挿入すると、MSX2にバージョンダウンする。メインROMとサブROMは同一スロットに並存できないため、メインROMカートリッジとVDP/サブROMカートリッジで2スロット使用。メインROMはサブROMよりも先に初期化される必要があるため、メインROMカートリッジの方をより若い番号のスロットに挿入しないと正常動作しない。
    • μ・PACK(ビッツー)
      FS-A1GTで拡張された機能を他のMSXturboRでも使用できるよう用意された。MSX-MIDIと拡張マッパーRAMを同時搭載。同一スロットに並存できないマッパーRAMとROMとを1カートリッジ内に収めるために、内部でプライマリ→セカンダリへのスロット拡張を行っており、セカンダリスロットに挿入した場合は動作しない。
  • 日本語処理カートリッジ
    • MSX-WriteII(アスキー)
      MSX2用日本語処理ワードプロセッサーソフトでMSX-JE連文節変換機能つき。
    • HBI-J1(ソニー)
      MSX2用日本語処理カートリッジ。このカートリッジを挿すだけでMSX2でも漢字BASICがサポートされる。対応のワープロソフトは別売、FDDで供給。
  • GUI
    • HALNOTE(HAL研究所)
      MSX2以降向けのMSX-DOSにGUI環境を提供するソフト。カートリッジにMSX-JEと漢字ROM、キャッシュメモリとなるSRAMを内蔵。対応アプリケーションはMSXViewでも動作可能。
  • スキャナ
    • スキャナ/ハンディプリンターインターフェイス FS-IFA1(松下電器産業)
      同社のワープロ機パナワードU1シリーズのハンディスキャナFW-RSU1W等をMSX2で使用する周辺機器。
    • ハンディースキャナーMSX2(HAL研究所)
      モノクロのハンディスキャナー。カートリッジには「HALSCAN」のラベルが貼られている。

関連メディア

専門誌

※すべて創刊時は月刊、毎月8日発売

  • Oh!HiTBiT日本ソフトバンク
    季刊・1984年4月創刊→1986年12月休刊。創刊号の題号のみ、Bが小文字表記になっていた。
    ソニーのパソコンの専門誌で、MSX以外にソニー独自マシン・SMCシリーズも扱っていた。ソニーMSXには独自拡張されている部分が少なかったため、掲載内容は他社MSXにもそのまま応用できた。
    • なお、MSX発売メーカーの機種の専門誌としては他にOh!FMOh!PASOPIAがあるが、どちらもMSXは発売時に紹介された程度の扱いしかされていない。

ディスクマガジン

同人の物は省略

参考資料

  • 竹内あきら、湯浅敬、安田吾太『MSXホームコンピュータ読本』(1984年、アスキー) - 表紙には「OFFICIAL MSX HANDBOOK」。「MicrosoftX」の記述や、メーカーの参入が記された「MSX月報」など。
  • 平田渥美『パソコンでVHDを楽しむ本』(1985年、工学社)
  • 小林紀興『西和彦の閃き孫正義のバネ-日本の起業家の光と影』(1998年光文社
  • MSXマガジン永久保存版』(2002年、アスキー) - MSXのロゴ。
  • 月刊アスキー1982年5月号

脚注

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関連項目

外部リンク

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公式

資料

1チップ MSX

その他

  1. 鎗田竜一・宮崎暁・清水真佐志『MSX2 テクニカル・ハンドブック』 アスキー出版局 15ページ
  2. 但し、シャープとして取得したIDは使用されず、現地法人がメーカーIDを新規取得し、販売している。
  3. [1]
  4. Mマガの歴史
    BCN This Week 1990年9月10日 vol.370「アスキー 最上位のMSX機 「MSXturboR」を開発BCN
  5. [2]
  6. [3]
  7. テンプレート:Cite web
  8. [4]
  9. 汎用性を割り切り、専用の回路で構成されたファミコンが、同時期の実装としてはゲームに対しては高機能だったとは言える。MSX同様汎用パーツで構成されたSEGAや、SORDの低価格機は、構成も、性能も、MSXと同様であった。
  10. 工学社『I/O1983年12月号
  11. [5]
  12. 那野比古・著『アスキー 新人類企業の誕生』(1988年文藝春秋) - 当時アスキーに在籍していた塚本慶一郎の発言。
  13. 滝田誠一郎・著『電脳のサムライたち-西和彦とその時代』(1997年、実業之日本社) - 初出は雑誌『実業の日本』1996年5月号から連載の『電脳のサムライたち』。
  14. BCN This Week 1987年9月28日「NHK学園 10月開講実践コースを設置」 BCN
  15. 「西和彦Special Interview 次期MSXの全貌 ユビキタスMSXが焦点」『MSX MAGAZINE 永久保存版 2』アスキー書籍編集部編著、アスキー、2003年、pp.60-61.
  16. 「超速コンパイラMSXべーしっ君たーぼとR800の秘密! 岸岡和也×鈴木仁志」『MSX MAGAZINE 永久保存版 2』アスキー書籍編集部編著、アスキー、2003年。p.68。
  17. MSX - Television Tropes & Idioms
  18. Samuel Evans’ Research » CoCom Lists CoCom Lists - 1985 - 1985年のイギリスの禁輸品リスト。 "They fall within the scope of sub-item h 1 ii a and are micro-processor based systems having a word length of more than 16 bit;" (P.41 IL1565>12>b>6>ii) )
  19. Soviet Digital Electronics Museum -- YAMAHA YIS805 (KYBT2 MSX2) -- Ямаха YIS805 (КУВТ2 MSX2) -- Коллекция советской цифровой электроники "Teachers computer of the YIS805 / YIS503IIIR classroom network."
  20. ソニーHB-G900AP
  21. BCN This Week 1986年9月15日 vol.178「MSX "メガロムウォーズ"開戦へBCN