木村一八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:ActorActress 木村 一八(きむら かずや、1969年11月17日 - )は日本俳優。大阪府堺市堺区生まれ。大阪府摂津市出身。身長181cm。

来歴・人物

父は漫才師横山やすしエステティシャンで漫才師さゆみ・ひかり木村ひかりは、妹(異母妹)。漫才師の横山やすしの長男として生まれる。中学在学中の1983年に「やすきよの笑って日曜日」でテレビ初レギュラー出演。翌1984年やすしが主演した「唐獅子株式会社」で映画デビュー。

名前の由来は、父やすしが、「“人生一か八かや!”ということで名付けた」、「1と8でカブ(おいちょかぶ)だから」、やすしがきよしとコンビを組んだのが8人目で七転び八起きを経験して一番になったことに由来してなど様々な説がある。

「やすしの息子」から人気タレントへ

幼少の頃よりバラエティ番組にたびたび出演する。多くが父と共演であった。花王名人劇場などで西川きよしの次男西川弘志(後に『毎度おさわがせします』パートIIでも共演)とコンビで漫才を披露したり、パソコンのテレビCMに出演していた。中学校卒業後に俳優となる。テレビドラマの『毎度おさわがせします』(1985年TBS)の主役に抜擢され、中山美穂と共演。一躍アイドルとして人気者となる。

やすしは「親の七光りでも何でも使ったらいい」と公言していたが、「人気芸人の息子」という背景だけではなく、恵まれた風貌や不良っぽい言動などで、人気・知名度ともに一気に高まった。映画『シャコタン☆ブギ』の主役に抜擢されるなど、吉本興業としても若手俳優として飛躍の機会を得た木村に期待を寄せていた。

1986年1月には「オレたちだけの約束」(フォーライフ・レコード)で歌手デビュー。オリコン週間チャート最高位8位を記録した。人気歌番組「ザ・ベストテン」の“今週のスポットライト”のコーナーにも出演。その際、司会の黒柳徹子の「武勇伝があるそうで」という問いに、『毎度おさわがせします』の撮影中、見物人の数名から『大阪人のくせに東京で仕事すんじゃねーよ!』と野次を飛ばされたことを挙げ、「撮影終了後、車で待ち伏せしてボコボコにした」旨を涼しい顔でコメント。スタジオは冷ややかな空気に包まれた。放送直後からTBSには視聴者から抗議の声が多く寄せられた。

運転手暴行事件、吉本との契約解消

1988年11月、俳優として順風満帆だった19歳の時、遊び仲間と飲酒後、タクシー運転手が脳挫傷になるまで一方的に暴行を加え続け、傷害容疑で逮捕された[1]。当時交際していた飯島直子相楽晴子ら遊び仲間と飲酒後、六本木の路上でタクシーを停めようとしたが、乗車を拒否されて立腹。直後に停車した別のタクシーに八つ当たりをし、車体を傷つけた。驚いて声をあげた運転手(先に乗車拒否した者とは全くの別人である)に因縁をつけ、路上に引き摺り出し暴行を加える。仲間が嘲笑しながら煽った言葉に高揚し、執拗なまでの暴行を加え続け、運転手を脳挫傷に至らしめた。一八は勝ち誇った表情で「こいつが死んだら俺がムショ(刑務所)へ行ったらええんやろっ!大したことあらへん!」と叫び、仲間は歓喜の声を上げ、拍手までしていたとの目撃情報が多数あり、マスコミはそれを報じた。未成年者の一八が逮捕されたこの事件は、父親・横山やすし吉本興業をも巻き込むだけに留まらず、社会問題にまで発展した。

父親のやすしは、暴行事件報道直後にマスコミの取材を受け「教育方針が間違っていたのではないか。しつけが甘かったのではないか」と質問してきたテレビ局の女性レポーターに対し、「ちょっと待てや姉ちゃん。俺は子供のしつけに厳しかったぞ。男は喧嘩するぐらいが丁度ええ」と開き直り、謝罪の姿勢は見られなかった。吉本興業にも抗議の電話や手紙が殺到し、他の業務に差し支えが出るほどだったという。その後、喧嘩ではなく一方的な暴行であったと知り、父親として「自分の教育が間違っていた」と謝罪した。

事件当時、一八は未成年だったが、スポーツ紙やワイドショー、週刊誌などは実名で報道した。また、それまでも撮影所や繁華街で起こしていた問題(デビュー前からの飲酒・喫煙・喧嘩、加えて、デビュー後は現場に現れない・二日酔いのまま撮影に臨む・途中で勝手に帰る・女性スタッフへのセクハラなど)、また、それらを「やすしの息子だから」という親の七光りで庇い揉み消してきた吉本興業の姿勢も明るみに出た。

吉本興業は一八に対し懲戒処分として専属契約の解消という判断を下し、出演中のテレビドラマ『疑惑の家族』から降板させた(結局この番組は途中終了となった)。その後、少年院送致となり、芸能活動は停止。出所後も自粛の姿勢をとった。被害者のタクシー運転手への損害賠償は吉本興業が肩代わりをして弁済していたが、やすしが飲酒運転をして警察の世話になったため「息子の件も未だ解決していないうちに、自ら問題を起こすとは不謹慎である」とし、やすしに対しても専属芸能家契約の解消をようやく通告した。

また、同時に弁済分の支払いを請求した。しかし、やすしの死後に請求を取り下げた。吉本の社員でやすし・きよしの元マネージャーだった木村政雄は、「亡くなった方から取り立てるわけにはいかんので」とコメントしている。問題児であった木村親子であるが、少なくともやすしに関しては、“やすきよ”として、激動の時代から吉本の屋台骨を支え、全国に名を広めてくれた実績に対する敬意からの温情措置である。

芸能界復帰・傷害事件で逮捕

成人後、バーニングプロダクションを経て哀川翔の事務所に所属し芸能活動を再開するも、1995年2月、路上で友人と一緒に米国人の少年を殴り負傷させたとして、傷害罪で再度逮捕。罰金20万円の略式命令を受ける。

吉本復帰

2001年、再び吉本興業と専属契約を結び芸能界へ正式に復帰する。だが、数年後に吉本を退社している。

銃刀法違反逮捕・独立

2006年3月8日、登録証の無い日本刀を所持していたことから銃刀法違反により現行犯逮捕されるが、実際には美術刀であることが判明し、釈放される。2008年にはPower Mに所属、その後、舞台やドラマの出演や、自身の波乱万丈な経験を生かし、「木村一八のけんか説法」(circus/kkベストセラーズ)というタイトルで執筆活動も開始、独特な存在感で青少年に対する人生相談から、社会貢献や地球環境のエコロジー問題にも精力的に関わり、活動を始める。

ディスコグラフィ

シングル

  1. オレたちだけの約束 / 悲しみを打っ飛ばせ(1986年1月18日、フォーライフ・レコード)
  2. 輝くおまえ / さよならはサイレンス(1986年4月18日、フォーライフ・レコード)
  3. 漂流記 / たった一度のLove song(1987年5月21日、フォーライフ・レコード)映画「ウェルター」主題歌

アルバム

  1. KAJA(1987年1月18日、フォーライフ・レコード)

出演

テレビドラマ

ラジオ

映画

Vシネマ

  • TUFF(タフ)シリーズ(1990-1992年)
  • リストラ代紋(1996・1997年) - 鳴海敏 役
  • 日本抗争列島牙の如く(2001年)
  • 銭道4〜6(2004年-2005年)
  • 甲州プリズン(2005年-2006年)
  • 首領がゆく(2006年-2007年)

CM

舞台

  • フェアリー・ムーン 「夏の終わりに 」(2013年 TYPES Shakespeare Entertainment)

関連項目

脚注

テンプレート:Reflist
  1. 前園、亀梨、古くは横山やすしも……なぜ芸能人・業界人の“タクシートラブル”は続くのか