SONY MUSIC TV

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組SONY MUSIC TV』(ソニー・ミュージック・ティーヴィー)は、地方の民放テレビ局を中心に放送されていたテレビ神奈川製作の音楽番組である。製作局のテレビ神奈川では1983年昭和58年)12月から1994年平成6年)9月まで、毎週金曜深夜に放送。

概説・歴史

洋楽プロモーションビデオを中心に紹介していた番組である。

ソニーの一社提供で、開始当初の放送時間は200分(3時間20分)だった。この放送時間は、自社製品のVTRベータマックスのプロモーションを兼ねており、放送と連動して200分テープ・L-830が発売された。当時のVHS標準モードは最長120分(2時間) - 160分(2時間40分)で1本のテープに録画できないことから、ベータ方式の優位性をアピールすることができた。しかし、ソニーがVHS方式のVTRを発売開始した1989年春の改編で放送時間が2時間に短縮。1993年頃にはさらに短縮され、90分枠での放送となった。

番組スタート時にはTVKと近畿放送(KBS京都)の共同制作であったが、1984年にTVKで音声多重放送(この場合はステレオ放送)が開始され、それを受けてTVKの単独制作へと切り替わった[1](実際の番組制作を担当したのは、番組制作会社のインプットビジョン)。ネット局はTVK・KBS京都・サンテレビジョンの3局。後に千葉テレビ放送テレビ埼玉テレビ愛知へとネットが拡大した。基本的には同時ネット番組であったものの、テレビ東京系列であるテレビ愛知は、編成上の都合から60分遅れネットとなり[2]、サンテレビでは阪神戦中継が延長の場合に限り、放送時間を繰り下げて対応していた。

一度、放送日が大晦日になった1993年12月31日放送分のみ、横浜市内の海の見えるカフェバーから生放送の独立U局年末特番として独立U局にフルネットされたことがある。『ゆく年くる年』終了後、独立U局ではTVK制作で毎年フルネットの年越し特番を放送していた(1998年から1999年まで)ことから、この年の大晦日がちょうど金曜日だったための措置となったのである。このときに限っては、本来非ネット局である群馬テレビ岐阜放送テレビ和歌山等でもネットされた一方で、テレビ愛知ではテレビ東京系列の特別番組および編成が優先されたことから、当該回は放送されなかった。

当時、パーソナリティを置く洋楽ビデオ番組は他にも存在したが、期首期末など特別企画時を除き、司会者やゲストなどは一切なく(それ以前に収録のためのスタジオも使用せず)、オープニングに続いて1本目のビデオ・クリップが流れ、時の新作、ヒット曲を中心としたビデオが、時折ロゴのアニメーションやソニー製品のCMを挟みつつ、終了時刻まで淡々とオンエアされるという、番組であった。当日のオンエア曲目は、電話での自動音声による案内と、ネット局本社・支社などの受付での無料配布、TVK・FAXサービスでのコピー紙の無料配布によって、分刻みのかなり詳細なオンエア時刻まで照会することができた。番組詳細は小学館が当時発売していた隔週刊テレビ情報誌『テレパル』でも毎号掲載された。なお、この掲載欄の放映局紹介スペースでは、当初は併せてステレオ放送実施局の案内も毎号載っていたが、後にモノラル局の案内に変わっていた。

また、他の同種番組でよく見受けられたクリップの最後がフェイド・アウトされたり、冒頭部分がカットされるようなこともなく、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のような長いクリップなども全編ノーカットでオンエアされた。

放送100回目を迎えた週は、冒頭に「Fright Night」が流れたほかは、それまでの回で1曲目に紹介したクリップ(つまりツカミ)が放送されるという、ある種の「総集編」「回顧企画」的な構成であった。

プロモーションビデオごとに「SONY MTV」という番組の略称ロゴがテロップ(ストリーミングジングルズ)で出た。クリップの間にはアニメーションのロゴも存在した。末期には番組に八分音符の形をかたどったキャラクターも出現し、欧米風女性につかまえられるCGアニメにも登場していた。

オープニングは当初はPINKの「ZEAN ZEAN #0」、後にPINKの福岡ユタカが在籍したユニットHALOの「AMANA」原型、エンディングは当初はPINK「水の都」、後に同じくPINKの「SOUL FLIGHT」。エンディングでは独自のCGアニメが存在した。なおオープニングでは、放送期間中TVK制作の音楽番組の冒頭で共通に流れていたその時々のビジュアルロゴ(例えば「Let's feel the music telepathy」「YOLIMASHI」等)も流れ、ネット局でも見ることができた(「ミュージックトマト」「ミュージックトマトJAPAN」等でも同様)[3]。なお、「Let's feel the music telepathy」のナレーション(読み)は中村真理が担当した。

番組終了とその後

段階的に放送時間枠が縮小されつつ約11年続いた番組であったが、1994年9月に番組の幕を下ろした。

なお本番組の終了後、TVKのみ引き続きソニー一社提供によるビデオクリップ紹介番組が続けられ(番組枠はさらに短縮されて60分枠に)、『SONY MUSIC DISC』(1994年10月 - )、後に『SONY MUSIC ACCESS』(2000年4月 - 2004年9月24日)と変遷した。この2番組については選曲者や選曲コンセプトを週替わりで明確にしたことにより、最新ヒットなどをノンストップで放送していた当番組とは趣を異とする部分も見られた。ちなみに本番組の終了後、TVKとテレビ愛知以外のネット各局は、『J-ROCK ARTIST COUNT DOWN 50』などKBS京都制作の30分枠音楽番組2本のネットに移行した。

関連項目

  • TVKの過去に放送した番組
  • TVKの過去の番組編成
  • SONY PRESENTS 名作洋画ノーカット10週 - TBSで1980年代に深夜枠で放送されたソニー一社提供の映画番組。番組の最後に映画のビデオソフト(β版)のプレゼントコーナーがあった。
  • 録画チャンネル4.5 - フジテレビで1986年9月から1987年2月まで放送された番組。VHSビデオ陣営の家電メーカー各社が共同提供し、当番組のほぼ真裏の時間帯に編成されていた。詳細は当該項目参照。

脚注

  1. 音声多重放送になってすぐ切り替わったのではない。
  2. 本番組のネット局で唯一、在京キー局のネットワーク系列局であったテレビ愛知は、編成上の制約があったため、テレビ愛知ならではと言えるエピソードもある。そのいくつかを列記する。
    • 24時間放送が未実施だった当時、テレビ愛知の放送終了が3:50なのは異例であった。
    • テレビ愛知はテレビ東京系ネット番組など編成上の都合で金曜に放送できないときは、水曜の同様の時間帯(映画枠)に曜日を変更しての繰り上げ振替放送を行った。
  3. これは、TVKの音楽番組制作を一手に引き受けていたTVKミューコム(現:ミューコム)の担当番組であるというクレジット代わりであり、TVK制作部音楽班の共通ジングルとして、TVKの音楽番組すべての冒頭に差し込まれていたものである。当番組もTVK制作部音楽班担当ゆえ、当然の如く差し込まれていた。

外部リンク

テンプレート:Asbox