歌のトップテン
『歌のトップテン』(うたのトップテン)は、日本テレビ系列局ほかで生放送された日本テレビ製作の音楽番組。製作局の日本テレビでは1986年4月7日から1990年3月26日まで放送。ランキング歌謡番組『トップテンシリーズ』の第3弾となるこの番組は、前番組『ザ・トップテン』に比べて多少リニューアルされている。
4年間における放送回数は約180回。
目次
番組概要
- 1986年4月7日 - 1990年3月26日。毎週月曜 20:00 - 20:54
- 司会者
- 東京・渋谷公会堂から公開生放送(後述する事件を機に日本テレビGスタジオから非公開生放送の回が増え、末期はほぼ非公開に)
リニューアルされた点
- 順位発表が過去3週の折れ線グラフになった(ザ・トップテン末期より継承)。
- 歌手登場がスライド式ドアから、ランキングボードが観音開きするドアに変更(ドア上部には「歌のトップテン」と書かれ、後に英語で「UTA-NO TOP-TEN」に変更された)。スタジオ収録時はドアが設けられず、セット左手の入り口から登場する形式になり、セット変更時に再びスライド式ドアが設けられた。
- また、司会者は基本的にいわゆる「板付き」(既にスタンバイしている状態)で番組本編が始まっていたが、和田・紳助司会時代の公開生放送では初期を除き先述の観音開き式ドアから司会者が登場して本編開始となっていた(1987年5月18日放送分より)。
- アルバムトップテンの発表を行うようになる。
- 初登場の儀式が、写真撮影から和田との握手になる(1987年5月25日放送分より)。握手した歌手が和田の手の大きさに驚いたりするシーンが見受けられた(徳光・石野時代は無し)。
- 『NTV紅白歌のベストテン』から行われていた日本テレビHスタジオからのアナウンサーによる番組の告知が無くなり、同じく「ザ・トップテン」からの10位以下の順位の発表もVTRによるものに変わる。
1989年9月に『ザ・ベストテン』が放送終了した際、この番組にも「やめないで」という声が相次いだことを受けて、司会の和田と紳助がそのことに触れ、「この番組は続けて参ります」と宣言した。しかし、結局その半年後に終了することとなった(紳助本人も同局の『EXテレビ』にて低視聴率のことを証言している)。こうして、この番組を最後に『NTV紅白歌のベストテン』以来実に20年半続いた一連のトップテンシリーズは幕を下ろした。
「ザ・トップテン」では「もうすぐトップテン」の直後あたりにリクエスト募集のコーナーがあったが、この番組ではエンディングのスタッフロール終了後と最後のCMとの間に移動した。それまでと同様に運が良ければ、毎週30名に番組提供スポンサーからの賞品がプレゼントされた。
エピソード
- プロ野球の試合のない月曜日に試合が予定され、後楽園球場の巨人戦の中継が入り、生放送が中止になった場合は、関東地区等一部地域では翌日の夕方16:00-17:00に録画放送されていた(雨天中止の場合はそのまま月曜20:00から生放送。当時は公開放送であったために会場に来た観客に考慮し収録を中止できず、そのため司会者と出場歌手はこの時間のスケジュールを押さえられていた)が、1988年に巨人の本拠地が後楽園から東京ドームに移行し、雨天による試合中止が基本的に無くなり、月曜20時に出場歌手のスケジュールを押さえる必要が無くなったため、月曜に試合が開催される場合にはその週の放送が無くなった。
- 19:00から2時間スペシャルとして放送する際には、19:00台前半に他系列のネット番組を放送する関係上、19:30から飛び乗り放送する地域もあった。そのため、19:30には改めて簡素なタイトルテロップを出していた(月曜日に野球中継を放送した場合も同様の措置)。
- なお、徳光は『NTV紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』『歌のトップテン』と、「トップテンシリーズ」全てに携わることになった。
- 1986年9月1日、司会者である石野の最初の夫であった長渕剛が登場し(ちなみにランクインではなく注目曲コーナーで、曲名は「SUPER STAR」)、前妻の石野に対して一言「元気?」と声を掛け、石野はそれに「元気…」と頷きながら答えていた。
- 当時、ロッテオリオンズから中日ドラゴンズに移籍したばかりの落合博満が信子夫人を伴って出演し、「そんなふたりのラブソング」を注目曲コーナーで歌ったことがある(1987年1月5日放送)。なお、落合夫妻は、五木ひろしの1987年間トップテン1位の祝福にも来たが、その時に五木が交わした「レコード大賞を獲る」という約束は果たされなかった(この年の大賞は近藤真彦の「愚か者」)。
- 『ザ・ベストテン』では、ある時期を境に一切出演をしなかったおニャン子クラブだが、この番組に関しては、スケジュールの都合がつかない場合を除いて出演している。
- 新年最初の放送は「夢のトップテン」と題してリクエストのみのランキングを発表していた。
- 1989年の放送では毎年末に発表していた年間ランキングが発表されず、クリスマス・忘年会スペシャルが放送されただけだった。
- 小泉今日子の「学園天国」が1位になったとき、小泉は欠席だったためオリジナル歌手のフィンガー5が出演して歌った。
- 第1回の1位は中森明菜の「DESIRE -情熱-」、最終回の1位は光GENJIの「荒野のメガロポリス」だった。
- 1986年当時バップから発売されたファミコン用ゲームソフト『元祖西遊記スーパーモンキー大冒険』の取扱説明書には、番組観覧の応募券が印刷されていた。
- 光GENJIが1987年12月14日から1988年9月26日までの40週(約9か月間)にわたって長期ランクインしていた。そのうちの24週は1位を獲得。当時の社会現象とも言える光GENJIの人気を証明したような記録である。
- 中継先にいた峰竜太が「ザ・ベストテンいつも見てます」と堂々と発言したことがあった。他にも出演アーティストのみならず司会者までもが「ベスト」と「トップ」を間違えたことは何度かある。
- 1988年3月28日、渋谷公会堂での生中継中に統合失調症の男が乱入、『AL-MAUJ』の歌唱中だった中森明菜にノートを投げつけて警備員に取り押さえられるという騒動があった。この模様は一瞬ではあったがテレビでも放送され、会場は騒然とした。中森やステージにいたミュージシャン達に危害は無かったが、これを機に日テレGスタジオからの非公開生放送の割合が増え、「さよなら渋谷公会堂」として『NTV紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』のセットを再現した企画を実施した後、非公開に完全移行した。
ランキング・出演データ
年間トップテン1位獲得曲
シングル
年度 | 曲名 | 歌手名 |
---|---|---|
1986年(昭和61年) | BAN BAN BAN | KUWATA BAND |
1987年(昭和62年) | 追憶 | 五木ひろし |
1988年(昭和63年) | 抱きしめてTONIGHT | 田原俊彦 |
1989年(平成元年) | (発表なし) |
アルバム
年度 | 作品名 | 歌手名 |
---|---|---|
1986年(昭和61年) | NIPPON NO ROCK BAND | KUWATA BAND |
1987年(昭和62年) | ノン・ストッパー | 荻野目洋子 |
1988年(昭和63年) | 不明 | 不明 |
1989年(平成元年) | (発表なし) |
連続トップワン記録(6週連続以上のものを掲載)
- 9週-光GENJI 「ガラスの十代」
- 8週-光GENJI 「パラダイス銀河」
- 7週-中森明菜 「DESIRE(ザ・トップテンから継続)」
- 6週-光GENJI「Diamondハリケーン」・工藤静香 「黄砂に吹かれて」
初登場第一位を獲得した歌手・楽曲
- 中森明菜 「Fin」 (1986年)
- 松田聖子 「Strawberry Time」 (1987年)
- 少年隊 「ABC」(1987年) 「じれったいね」(1988年) 「まいったネ今夜」(1989年)
- 光GENJI 「パラダイス銀河」(1988年) 「Diamondハリケーン」(1988年) 「剣の舞」(1988年) 「荒野のメガロポリス」(1990年)
- 男闘呼組 「秋」(1989年) 「DON'T SLEEP」(1990年)
- Wink 「One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜」(1989年)
- 工藤静香 「くちびるから媚薬」(1990年)
トップテン入りしながらも一度も出演しなかった歌手
- BOØWY 「B・BLUE」(1986年)
- 藤井尚之 「NATURALLY」(1987年)(ザ・ベストテンには出演)
- 久保田利伸 「You were mine」(1988年)(ザ・ベストテンにはビデオ収録されたコンサート映像を放送する形で出演)
- 高橋良明 「恋の3-2-1」(1988年)
- 尾崎豊 「太陽の破片」(1988年)
- 氷室京介 「ANGEL」(1988年)(ただし紅白歌のベストテンにはスピニッヂ・パワー在籍時に出演)
- 藤井郁弥 「Mother's Touch」(1988年)(チェッカーズとしての活動中はソロでの出演を断っていたため。ただしチェッカーズのメンバーとしては何度も出演)
- THE BLUE HEARTS 「TRAIN-TRAIN」(1989年)
- COMPLEX 「BE MY BABY」(1989年)(ただし吉川晃司はソロで何度も出演)
- ZIGGY 「GLORIA」(1989年)
- 宮沢りえ 「ドリームラッシュ」(1989年)
- 竹内まりや 「シングル・アゲイン」(1989年)(ただし紅白歌のベストテンには出演)
- 米米CLUB 「FUNK FUJIYAMA」(1989年)
- 小田和正 「Little Tokyo」(1989年)
- JUN SKY WALKER(S) 「白いクリスマス」(1989年)
- 山下達郎 「クリスマス・イヴ」(1989年)
- 牛若丸三郎太 「勇気のしるし」(1990年)
- BUCK-TICK 「悪の華」(1990年)
ザ・ベストテンでは1位になった事がないが歌のトップテンでは1位になった曲
()内はオリコンでの最高位
- アイドルを探せ/菊池桃子 (1位)
- 砂の城/斉藤由貴 (2位)
- 水の中のAnswer/杉山清貴 (1位)
- Nile in Blue/菊池桃子 (2位)
- 50/50/中山美穂 (2位)
- 吐息でネット/南野陽子 (1位)
- セシル/浅香唯 (1位)
- I MISSED "THE SHOCK"/中森明菜 (3位)
- Witches/中山美穂 (1位)
- ROCKIN' MY SOUL/男闘呼組 (1位)
- 学園天国/小泉今日子 (3位)
スタッフ
- 構成:玉井冽(現:玉井貴代志)、宮田和実、矢頭浩
- 音楽:永作幸男
- 振付:土居甫、日本テレビ音楽学院、ザ・バーズ10
- 演奏:ガッシュアウト、新音楽協会
- コーラス:シャンテ
- ディレクター:高木章雄、鈴木昌利、長谷川賢一、稲庭由美子
- プロデューサー:増田一穂
- 演出・プロデューサー:吉岡正敏
- 制作:遠藤克彦
- 製作著作:日本テレビ
放映ネット局
系列は放送終了時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 日本テレビ | 日本テレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 札幌テレビ | ||
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
岩手県 | テレビ岩手 | 日本テレビ系列 | |
宮城県 | ミヤギテレビ | ||
秋田県 | 秋田放送 | ||
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
福島県 | 福島中央テレビ | 日本テレビ系列 | |
山梨県 | 山梨放送 | ||
新潟県 | テレビ新潟 | ||
長野県 | テレビ信州 | テレビ朝日系列 日本テレビ系列 |
|
静岡県 | 静岡第一テレビ | 日本テレビ系列 | |
富山県 | 北日本放送 | ||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1989年3月までは日本テレビ単独加盟局 |
中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 | |
近畿広域圏 | 読売テレビ | ||
鳥取県・島根県 | 日本海テレビ | 1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |
広島県 | 広島テレビ | ||
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | |
香川県・岡山県 | 西日本放送 | ||
愛媛県 | 南海放送 | ||
高知県 | 高知放送 | ||
福岡県 | 福岡放送 | ||
長崎県 | テレビ長崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
|
熊本県 | くまもと県民テレビ | 日本テレビ系列 | |
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
宮崎県 | テレビ宮崎 | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
|
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | [1] |
- テレビ金沢は開局直前のサービス放送初日(1990年3月26日)に最終回スペシャルを放送。
CSでの再放送
2010年6月7日から2011年までCS放送・日テレプラスで再放送された。過去のランキング形式の音楽番組がCSで再放送を行うのは『ザ・トップテン』に続き2例目。また、2011年7月から12月まで歌謡ポップスチャンネルで放送され[2]、さらに2013年5月よりファミリー劇場でも放送されている。
各チャンネルともに、第1回は本放送の第1回である1986年4月7日放送分を放送。VTRの保存状態や楽曲の著作権等をクリアした回を中心に順不同で放送している。
肖像権の問題によりジャニーズ事務所所属歌手とサザンオールスターズメンバー(KUWATA BAND等)出演の回は放送されていない。一方、同じように権利関係で放送が困難とされていたとんねるずやおニャン子クラブメンバーの永田ルリ子出演回はそのまま放送されている。また、メンバー2人がジャニーズだったがグループ自体は浅井企画の所属だったCHA-CHAの出演回は放送された。また1987年4月以降(和田・紳助司会時代)の放送回について、紳助が2011年8月に諸事情により芸能界を引退したため、該当箇所(MCトーク部分)の二次利用が不可能となったことから、今後も再放送される可能性は極めて低くなっている。
なお、各チャンネルともに、放送当時のテロップ(氏名・曲名表示、スタッフロールなど)は表示されていない(順位グラフなどはそのまま放送されている)が、曲の冒頭の画面右下に独自で曲名・歌手名を表示している(順位表示なし)。
日テレプラス・歌謡ポップスチャンネル
放送回数約180回のうち、日テレプラスでは31回が放送された。また、歌謡ポップスチャンネルでは2011年7月の放送開始当初から1986年放送分(徳光・石野司会時代)のうち10回を放送したほか、2012年6月3日と6月10日に全10回分のうち9回分が一挙放送された[3][4]。
ファミリー劇場
- 2013年5月2日、ファミリー劇場にて『ザ・トップテン』とのセットによる特別編成が行われ[5]、『歌のトップテン』からは第1回(1986年4月7日放送)と第8回(1986年6月2日放送)の2回が放送された(19:00-21:00)[6]。ファミリー劇場での歌謡番組放送も『ザ・トップテン』に続き2例目であり、本番組はこの時が初放送となった。
- 2013年5月24日より週1回、金曜日20:00 - 21:00の枠で放送(『ザ・トップテン』との入れ替えによる編成[7])。
- ファミリー劇場でも前述2回に続いて、第9回(1986年6月9日放送[8])から放送されている(歌謡ポップスチャンネル放送分と同一のものを放送)。
その他
脚注
関連項目
- 渋谷公会堂
- NTV紅白歌のベストテン
- ザ・トップテン
- 速報!歌の大辞テン
- 1番ソングSHOW - 現在日本テレビ系1900枠(水曜日)で放送されている音楽バラエティ番組。歌のトップテンの映像を一部使用することがある。
- 1986 OMEGA TRIBE CARLOS TOSHIKI&OMEGA TRIBE COMPLETE BOX "Our Graduation" - この番組から収録した映像がDVDで収録されている。
外部リンク
テンプレート:Navboxes- ↑ 週末に遅れネット。
- ↑ 一方の『ザ・トップテン』は第一興商スターカラオケで2011年1月から2012年2月まで放送された(同チャンネルは2012年3月で閉局)。
- ↑ 歌のトップテン一挙放送!! 歌謡ポップスチャンネル、2012年6月1日閲覧
- ↑ ちなみに2012年6月17日にはファミリー劇場で『ザ・トップテン』6回分の一挙放送が行われた。
- ↑ 特集:バック・トゥ・ザ・昭和 > トップアイドル編 ファミリー劇場、2013年4月
- ↑ ただし、ファミリー劇場での放送回数表示は地上波放送当時に準じており『ザ・トップテン』からの換算で、257回(『歌のトップテン』第1回)、264回(同・第8回)とする。
- ↑ 2013年5月10日より。
- ↑ 『ザ・トップテン』からの換算で第265回。なお、ファミリー劇場では2013年5月31日(20:00 - 21:00)に初放送された。