多賀城市
テンプレート:Infobox 多賀城市(たがじょうし)は、宮城県のほぼ中央に位置する都市である。旧宮城郡。市の名称は陸奥国府「多賀城」に因む。
仙台市の北東側に隣接するため、同市のベッドタウンとしての性格も持ち合わせている。同市への通勤率は43.2%(平成22年国勢調査)。
人口密度は3,209.2人/平方キロメートル(人口63,060人/面積19.65平方キロメートル)と、東北地方では最大(北海道地方を含めても最大)である(平成22年国勢調査)。
目次
概要
仙台市の北東に位置し、市街地は丘陵地帯上にある。市名の由来は古代国府の多賀城よりとっている。昭和17年(1942年)に海軍工廠が設置されて以降、市南部に工業立地が進んだ。仙台港の開港もこれに拍車をかけている。仙台市中心部より鉄道をはじめアクセスが良好であることから、ベッドタウンとしても位置付けられ、市西部の水田地帯では住宅地の造成が進められている。1980年代にかけては、当時政令指定都市への昇格のための規模拡大を目指していた仙台市からの合併要求もあったもののこれを受け入れずに、市としての“独立”を保った。
町は街道(国道45号)沿いに発展してきたため、商店はロードサイド店が多く、“市の中心部が存在しない”という特徴をもつ。
地理
仙台市都心部から見て北東郊外(仙塩地区)、仙台港の近くに位置する。
隣接している自治体・行政区
歴史
- 724年(神亀元年)、多賀城が築城され、陸奥国の国府が郡山遺跡(現在の仙台市太白区にある)より移る。あわせて鎮守府も設置された(以下多賀城に関する詳細は多賀城#歴史・沿革を参照のこと。)。
- 1189年、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼすと、頼朝は側近の伊沢家景と葛西清重を奥州惣奉行に任命した。伊沢家景は陸奥留守職となり、多賀城の留守所長官として現在の利府町に定住した。その子孫は留守氏と呼ばれ、代々、東北地方を支配した。
- 室町時代、管領家・斯波氏の一族である大崎氏が奥州探題に任命され、現在の大崎市を本拠地として東北地方を支配した。
- 戦国時代、戦国大名・伊達政宗は東北地方(奥羽)の南半分を征服して“奥羽の覇者”となったが、1590年(天正18年)、政宗は豊臣秀吉に服属し、秀吉は日本統一を達成した。秀吉は政宗が扇動した葛西大崎一揆を経て、政宗の領土を現在の山形県南部・宮城県南部・福島県から宮城県・岩手県南部へと、北へ追いやった。1591年(天正19年)、政宗は岩出山城を居城として伊達領を形成した。こうして現在の多賀城市域を含む宮城郡は、伊達領の一部となった。
- 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いを経て、1601年、伊達政宗は仙台城を居城として仙台藩62万石を築いた。これ以降1871年(明治4年)の廃藩置県まで、現在の多賀城市域を含む宮城郡は仙台藩の一部となる。尚、現在の多賀城市八幡地区に当たる八幡村には伊達家の準一家である天童氏が居館を置き、一帯を治めた。
- 1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い、新田村、山王村、南宮村、高橋村、浮島村、市川村、高崎村、八幡村、東田中村、留ヶ谷村、下馬村、笠神村、大代村の13村が1村となり、陸奥国府の名をとって宮城郡多賀城村が発足。
- 1951年(昭和26年)7月1日、町制施行に伴い多賀城町となる。
- 1964年(昭和39年)3月3日、多賀城町を含む仙台湾地区が新産業都市に指定された。すると、新産業都市建設促進法第23条に基いて多賀城町や仙台市を含む8市町村で「仙塩合併」が議論されたが、撤回された。
- 1969年(昭和44年)1月10日、現在の市章である町章を制定する。[1]
- 1971年(昭和46年)11月1日、市制施行(県下9番目)。
- 1998年(平成10年)12月1日、仙台市と境界変更。
- 2009年(平成21年)4月1日、仙台市と境界変更。
- 2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災により被災。
- 2013年(平成25年)7月1日、仙台市と境界変更。
国の機関
行政
産業
多賀城市は財政的に豊かである。この財政を潤しているのが、仙台港(仙台新港)の後背地に存在する会社からの法人税である。これは仙台市が仙台港を多賀城市との境界線付近につくったため、仙台港の後背地が多賀城市域になってしまったことによる。 すなわち多賀城市は仙台市(仙台港)から大きな恩恵を受けている。
郵便
市内に集配拠点はなし。市内全域の集配業務は、塩竈市にある塩釜郵便局が担当している。
- 大代郵便局
- 下馬郵便局
- 多賀城郵便局
- 多賀城高橋郵便局
- 多賀城明月郵便局
- 高崎簡易郵便局
- 南宮簡易郵便局
- 笠神簡易郵便局
- 直営店なし。
- 直営店なし。
地域
人口
教育
- 大学
- 東北学院大学(多賀城キャンパス)…工学部
- 中等教育学校
- 高等学校
- 宮城県多賀城高等学校
- 宮城県貞山高等学校
- 仙台育英学園高等学校(多賀城キャンパス)
- 中学校
- ※塩竈三中は塩竈市立でありながら所在地は多賀城市である。但し学区に多賀城市内は含まれていない。
- 小学校
- 多賀城市立多賀城小学校
- 多賀城市立多賀城東小学校
- 多賀城市立山王小学校
- 多賀城市立天真小学校
- 多賀城市立城南小学校
- 多賀城市立多賀城八幡小学校
- 図書館
- 多賀城市立図書館 - 佐賀県武雄市図書館に引き続き、カルチュア・コンビニエンス・クラブとの連携で新図書館を運営することを発表した[2]。
交通
鉄道
バス
- 以前は全ての路線が宮城交通によって運行されていたが、多賀城東部線(ユーアイバス)を皮切りに宮交バスシステム(現:ミヤコーバス)への移管を進め、2008年8月に全ての路線がミヤコーバスでの運行となった。宮城交通が運行するのはイベント時の多賀城駅 - 夢メッセみやぎ間の臨時バスのみである。
- 多賀城西部線(仙塩交通受託運行)
- (市民プール前 - )多賀城駅前 - 高崎中学校前 - 高橋四丁目 - 山王地区公民館 - 岩切駅前 - 北安楽寺 - 高橋一丁目 - 高橋四丁目 - 高崎中学校前 - 多賀城駅前( - 市民プール前)
- ※2013年度の平日一日あたりの平均利用者数は65人であった[4]。
道路
名所・旧跡
奈良・平安時代に陸奥国府・多賀城がおかれていたため、多くの文化財や名所が残る。
- Tagajo.jpg
多賀城跡
- Tagajonohi-miyagi.jpg
多賀城碑
- Tagajo Haiji 01.JPG
多賀城廃寺跡
- Tagajo Sue-no-Matsuyama 01.JPG
末の松山
- Tagajo Oki-no-Ishi 01.JPG
沖の井(沖の石)
観光スポット・祭事・催事
祭り
- 陸奥総社宮例大祭・八幡神社社例祭
- 史都・多賀城花と緑のふれあいまつり
- 多賀城跡あやめまつり
名産
- 多賀城バナナ
出身の有名人
友好・姉妹都市
電話番号
多賀城市で利用されている市内局番は次のとおり。
- 塩釜収容局…361-1,3~9、362~367、762
- 多賀城収容局…309、368、389
- ひかり電話…仙台市と同一
多賀城市域では、塩釜収容局の局番と多賀城収容局の局番が混在している。
関連項目
- 仙台地方
- 鎮守府
- 国府
- 郡山遺跡
- 国府津
- 鹽竈神社
- 陸奥総社宮
- 陸奥国分寺
- 歌枕
- 大伴家持
- 全国市町村一覧
- ソニー仙台FC
- UNDER HORSE RECORDS
- 仙台都市圏
- 昭和産業(1936年、当市で創業)
脚注
- ↑ 図典 日本の市町村章 p35
- ↑ 宮城県多賀城市、CCCとの連携で2015年夏に新・市立図書館オープンへ
- ↑ 多賀城市西部を走るバス「多賀城西部線」(平成25年7月28日改定)(多賀城市ホームページ)
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:PDFlink